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2017年9月18日 (月)

「桜田門外ノ変」の検証 (23)龍譚寺、天寧寺

龍譚寺の鳴鶴石碑

 清涼寺に隣接した龍譚寺は、井伊家の菩提寺で、奈良時代行基によって遠江国(現静岡県)井伊谷に開基された、臨済宗妙心寺派の寺院である。石田三成公の供養塔がある。寺院裏山の墓地には、彦根御前とうたわれた井伊直弼の母の墓や、直弼の側室であった里和の文塚など、多くの史跡が残っている。そこに日下部鳴鶴の学問の師である田中芹坡先生を顕彰した碑が建っているので、馬場恵峰先生ご夫妻をご案内した。碑の書は日下部鳴鶴である。この石碑は東北の仙台石である。

 日下部鳴鶴は、中林梧竹、巌谷一六と共に明治の三筆と呼ばれる近代書道の確立者の一人である。馬場恵峰師は、原田観峰師の第一弟子である。原田観峰師は日下部鳴鶴の書をお手本として日本習字を創立した。だから、恵峰師の書は、日下部鳴鶴の書体とそっくりである。私は恵峰師の方が名筆だと思う。私は弟子として恵峰師の書を世に問いたいと写真を撮り、出版の準備をしている。

 

天寧寺の鳴鶴石碑

 その後、天寧寺に行き、馬場恵峰師を日下部鳴鶴の書の墓、碑文に案内した。石黒太郎氏の墓石の彫られた日下部鳴鶴の書体の彫り方を見て、恵峰師はその彫り方の解説をされた。石の彫り方にも高度な技法がある。石黒太郎の墓は無縁の墓として墓地の奥のほうに置かれており、誰も訪ねるものもない。石黒太郎の墓の裏面には勝海舟の弔辞を日下部鳴鶴が書にして彫ってある。この墓石は文化財としても貴重であるが、今は捨てられたように置かれている。恵峰先生が石黒太郎の墓石の裏に彫られた鳴鶴の字体をなでるように慈しまれたのには驚きであった。(碑の詳細はNo12「明治の墓標」を参照)

 

図1 田中芹坡先生顕彰の碑

図2 田中芹坡先生顕彰の碑 部分

図3 大東義徹氏の顕彰の碑  日下部鳴鶴書

図4 大東義徹氏の顕彰の碑  部分

図5 大東義徹氏の顕彰の碑  部分

図6 石黒太郎氏の墓 

      日下部鳴鶴書を愛でるように触れられる恵峰師

図7 石黒太郎氏の墓  日下部鳴鶴書

 

2017-09-18

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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