2018年11月20日 (火)

魔墨知268.  本の選択、何を読まないか

 本はその価値から見て安い。その本の中身を自分で体験しようと思ったら、数年はかかる。

 しかし、一冊の本を選択するとは、一生で読む本の全体量で、読めない本が一冊生まれるという現実に目を向けよう。50歳のビジネスマンなら残り人生30年として、一生で読める本は3,000冊(年100冊×30年)しかない。人生の残り時間は有限なのだ。本はどんなに買ってもよいが、実際に読むかどうかには選択が必要である。くだらない本を一冊読むことは、大事な本を読めるチャンスを逃す事になる。それは大事な時間の浪費である。本を読む努力より、本の選択が重要である。

 会う人の選択も同じである。ある人と面会するとは、大事な一人との出会う機会を逃すかもしれない。だからこそ、人を見る目とご縁の選択が大事なのだ。

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     馬場恵峰書 

 

2018-11-13 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

大餓鬼饒ホールに熟年痴女の歓声がこだまする

熟年式での老女の痴態に唖然

 2018年11月17日13;15から大垣城ホールで、大垣市は今年65歳になる人を約200名を招待して「かがやき熟年式」を開催した。大垣市制100年記念事業の一つである。熟年式だから、酸いも甘いも経験してきた人が、第二の人生を始めるための記念すべき開始式で、その後のイベントだからと期待した。ところが、その記念アトラクションで、メインゲストが美川憲一と野村美菜の歌謡ショーなのだ。それも岐阜ちゃんラジオの生放送で、熟年のお祝いなどに関係ないのだ。要は岐阜ちゃんラジオと美川憲一プロダクションの営業活動なのだ。軽薄な司会者のコンビが絶叫して、歌謡ショーを盛り上げていた。私には聞くに堪えなかった。大垣の老女軍群が美川憲一に奇声を上げて熱狂していた。大垣の熟年の知性は地に落ちた。小川敏大垣市長が落としたのだ。

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   オープニングセレモニーで挨拶する小川敏市長 2018年11月17日10:20

 会場右側が熟年式に招待の席  大垣城ホール

 

税金無駄遣い、平成末期猿芝居

 何故、「かがやき熟年式」のメインゲストが美川憲一で、その歌謡ショーが市民税で行われるのか。なぜ71歳高齢歌手の地方ドサまわり歌謡ショーが大垣市制100周年記念行事なのか。私は当初、なぜメインゲストが熟年の模範者として美川憲一かと思い、それなら大いに噛みつこうと思ったのだが、実態を見れば、単なる客寄せの歌謡ショーであることが判明して、振り上げた手が、困ってしまった。

 大垣市民が65歳の熟年になった記念に、今後の世の中と大垣と自分の人生を考える機会として、有識者のパネルディスカッションや講演があるなら理解できる。しかしそれのアトラクションが、美川憲一の歌謡ショーでは、ド田舎感覚の大垣行政の平成末期猿芝居である。

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 会場に張られたポスター

 

美川憲一ショーでの痴態

 美川憲一が舞台に登場すると、バル(ギャルの老人版)が熱狂的な歓声でお出迎えである。観客約1000人で、立ち見まで出る有様である。その午前中のオープニングセレモニーの時は、会場はがらスキで、2階席は誰も座っていなかったのに、美川憲一歌謡ショーが始まると2階席も満席で立見人まで出て大満員の有様である。美川憲一にこれだけ人気があるのには驚いた。

 これが大垣市制100周年記念事業の一つで75番目の行事だという。税金の無駄遣いの最たるものだ。東京では売れなくなった高齢の71歳の歌手が、地方のドサまわりで稼ぐため、大垣市民税を食い物にした。美川憲一歌謡ショーが悪いと言っているのではない。美川憲一歌謡ショーを見たければ、市民税を使わず、身銭を切って見て欲しいだけだ。まさに市民税の私物化だ。これでは会社の金を私物化して、11月19日の昨夜、逮捕された日産のゴーン氏と同じレベルである。

3dsc04598  オープニングセレモニー 10:33 

 階段席は観客がいない。招待席も空席が目立つ

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 熟年式 13:15 これ以降撮影禁止  階段席が満席で、立ち見までいる

 

熟年式のお粗末

 式の祝辞で、大垣市長は「65年間の長年にわたり社会の発展に尽力された経験を今後の大垣のために使って欲しい」と祝辞を述べた。その言葉とは裏腹の熟年式の式次第である。式次第は、国歌斉唱、市長、議長の挨拶、「今伝えたいメッセ-ジ」表彰、「大垣の歌」全体合唱である。

 

小学生向けの言葉遊び

 熟年者に対して、65文字の「今伝えたいメッセ-ジ」の募集があり、233通の応募があった。知性と経験あふれる熟年者の今後の決意表明が、たった65文字での言葉遊びである。熟年なのだから、せめて1600文字(原稿用紙4枚、A4レポートで1枚)の論文形式で募集できないのか。65文字なら小学校生でも作れる言葉の遊び文である。それでは、これからの生き方の熱意が表現できまい。熟年として、知性あふれる書式があるはず。

 230通集まった中の最優秀作品が「あの時できなかったこと、いつの頃からか諦めていた夢、充分できなくてもいい、今こそ再チャレンジして第二の青春の花を咲かせよう!!」なのだ。なぜ65歳で今からやるの? やるのはいつでも、思いついた時なのだ。何も65歳だからと再チャレンジしなくてもいい。65歳までで待つなど愚の骨頂である。それで最優秀賞とは、情けない。

 

大垣の歌の強制

 その後が、意味なきお粗末な「大垣の歌」(別ブログで講評済み)の合唱である。この歌は3拍子なので、訓練しないと歌いにくい。ほとんどの人が合唱していなかった。その点でも問題である。熟年式で、この歌を歌う必然性が全くない。合唱時、立たずに座ったままの人も多かった。

 その後のアトラクションが美川憲一歌謡ショーでは、止めのお粗末すぎる極地である。

 

「かがやき熟年式」の真の目的が露見

 今回、「かがやき熟年式」に参加して分かったことは、「かがやき熟年式」の目的が、イベント会社に金をばらまくための仕掛けであること。「かがやき熟年式」という名目を付けて、アトラクションで歌謡ショーを開催して、業者に儲けさせることだ。美川憲一を呼べば、それだけで500万円くらいは金が動く。東京都民は騙せないが、大垣市民なら騙せるのだ。

 小川敏大垣市長は、大垣の次の100年を全く考えていないことが、これでよくわかる。大垣市民を痴呆状態に追いやって、市政を考えさせず、長期政権のゴリ押しで税金を浪費させ、業者に金をばらまいている。

 「かがやき熟年式」は、小川敏市長が14年前から実施しているという。「かがやき熟年式」は表向きのお飾りで、メインゲストを招いた歌謡ショーが主目的なのだ。それが派手な行事として実施され、それで「かがやきライフ大垣実行委員会」の役員が所属するイベント会社が儲かるのだ。誰かがうまい汁を吸っているとしか思えない。これは市民税でやるべき行事ではない。

 この行事にいくら使ったのかは、小川市長は条例を盾にマル秘扱いで公開しない。

 

美川憲一の歌の実態

 美川憲一の歌も「かがやき熟年式」に相応しい話と歌かと思いきや、全く関係なく、下記の歌で私はずっこけた。まさに地方痴呆老女向けのドサまわり田舎舞台なのだ。熟年とは関係ない痴呆老女たちが大喜びである。この場面は撮影禁止で、状況が撮影できなかったのが残念である。痴呆状態の露見はマル秘である。

 当日の美川憲一が歌った歌:さそり座の女、新潟ブルース、柳瀬ブルース、春待ち坂、愛の賛歌、生きる

 

時限爆弾

 この大垣城ホールは、昭和28年8月(1953年)建設で、大垣市指定の避難所なのに、耐震補強が不可能な危険な施設である。この施設はIS値0.33で、公共施設はIS値0.6以上が必要であるのに、放置されたままになっている。それなのに、大垣市は愚劣な行事には金を浪費して、市民の命を保全する設備更新には金をケチる。

 

古代ローマ帝国の末期を連想

 ローマ帝国の末期には、ローマ皇帝は、市民の政治への不満を逸らす目的で、円形の闘技場コロシアムが建設され、市民は奴隷と決闘者(犯罪者)、奴隷と野獣の殺し合いのショーが開催され、市民は殺し合いの見物に熱狂した。世界最大のローマ帝国のやることはスケールがでかい。その舞台で流れた血を砂(arena)で落とした。それが階段状の観客席のある演劇場、決闘場の建物のアリーナの語源である。

 ローマ市民の政治への関心を逸らすための決闘ショーと今回の大垣城ホールでの無料歌謡ショーとは同じ趣旨である。会場に市民の血税が流れている。小川敏腐政の末期、階段状の観客席のある大餓鬼饒ホールに、71歳の高齢演歌歌手に血迷った熟年痴女の歓声がこだまする。小川市長の意図通りことは運んで、市長は笑いが止まらない。小川敏市長は舞台の袖で、美川憲一歌謡ショーをニンマリと見守っていた。そんな時間があるなら、大垣市長として100年後の大垣の姿を考えることに時間を割くべきだ。愚劣な行事の付き合いは代理に任せればよい。これで小川敏氏に大垣は任せられないのを再確認した。

5img_2380 ローマのコロシアム

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コロシアムの内部  2010‎年‎11月‎16‎日 ‎撮影

 

2018-11-20 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月19日 (月)

組織のかかる死病

 会社とは、社員を支え育成に限りない援助を与えてくれる親的な存在である。会社も長く存続すると、それ相応に成熟し安定成長に入る。自然現象として、大事な情報がトップに伝わらない現象である「情報の動脈硬化病」、「組織の硬直化病」という死病がじわりじわりと迫りくる。企業の寿命は30年といわれる。入ったときは若かった会社もいつかは老いる。社会を見渡しても、2000年の雪印乳業の食中毒事件、2001年の三菱自動車のリコール隠し、2002年のみずほ銀行のシステムダウン等、この病気に起因する不祥事が続いている。発病後のトップの発言は不思議と同じで、「そんなことは聞いてなかった」である。情報が流れない情報ルートの詰まり、組織の硬直化といった死病に罹った企業の症状である。そして倒産の危機に面する。

 病気にかかれば治療する。事前予防をする。当たり前のことを当たり前にするのが自然の理にかなった経営である。その治療が業務改革である。(2003年7月31日記)

 

13年後の真実

 以上を13年経った今の目で見直しても、問題企業の体質は何ら変わらない。最近の燃費偽装問題で、三菱自動車の隠ぺい体質は、13年経っても変わらないことが露見した。人も企業も変わらない。なぜそうなったかの真因を追求せず、表面的な対処療法で済ませるからである。よき反面教師の教えを頂いた。(2016年9月23日記)

 

行政のかかる死病

 大垣市のように独善的な市長が18年間の長きにわたり君臨すると、市役所はヒラメの職員ばかりになり、正論、諫言が通らなくなる。言えば唇寒しの状態が蔓延して、情報の流れが止り、腐敗の原因となる。情報は現代組織の血液である。自分達で行事の使用用途を非公開のマル秘にする条例を作り、やりたい放題に金を使えば、不正が起きない方がおかしい。それが民主主義社会で如何に異常なのかが、分からないほど大垣市長は病が進んだのだ。

 2017年11月5日の大垣市ドローン墜落傷害事件を起こしても、行政の責任者は、業者に責任を押し付けて遁走した。大垣市制100周年記念行事の大判振舞いで、大垣さん大臭合、水饅頭偽ネス記録造成、ミッキーパレード等の予算には疑惑点が多いが、小川市長は条例を楯に使途用途の公開を拒否して何も言わない。

 それでいて、エアコン設備率が県下最低水準で、小学校の子供たちが夏の酷暑に泣く声は、市長の耳に届かない。市民の声は聞かざる市長である。

 大垣駅前商店街の61%がシャッターを下ろしても、それが市長の目には入らない。小川敏市長は、見ざる聞かざる言わざる。これは死病に罹った状態である。

 

身内というカス

 名経営者と言われた人でも、企業が公器であることを忘れて、身内の人間には甘くなることが多い。その身内の人間が経営者として失格でも、身内ゆえ、切るに切れず、経営の中枢部が侵食されてゆく。そうすると本体の経営がおかしくなる。血管のプラークのように経営の中枢の障害物となって経営情報の流れを阻害する。経営の血の流れに付いた不純物は、身内というカスなのだ。身内ゆえに切るに切れない。経営情報という血が正常に流れないので、じわじわと企業の生命力を削いでいく。業病である。

 

松下電器の過ち

 かの松下幸之助翁も娘婿の経営者を切れなかった。そのため娘婿を辞めさせる汚れ役を後進の社長に任せたが、反撃され返り討ちにあって消えてしまった。そして松下電器はおかしくなっていった。それは企業が公器であることを忘れた罰なのだ。

 地元の企業でも名経営者と呼ばれた方も、身内におかしな娘婿を入れたがため、経営がおかしくなった。そんな娘婿を選ぶような娘の男を見る眼が問題で、娘の育て方を間違えたのだ。

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     2016年9月28日 揮毫

 

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2018-11-19 久志能幾研究所 小田泰仙

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浜松国際ピアノコンクール(9) 二番じゃダメなんです

一番をめざせ

 日本で一番高い山はどこか? 答えは富士山であるが、では二番目は?と聞くと誰も答えられない。私も二番目の山の名を一度は覚えたが、すぐ忘れて次に名前が出てこない。それくらい1番と2番の差は大きい。

 浜松国際ピアノコンクールで選ばれた一番は、名前を憶えてもらえ、世界で活躍するピアニストに成長する機会を与えられる。しかし2番目以降は一番ほどには名前を覚えてもらえない。それが社会なのだ。だから一番を目指して全員が頑張るのだ。二番とは、限りなくビリに近い順位なのだ。

 一番になるためには、まず一次予選を通過しなければならぬ。95人の挑戦者中、24人しか通過できない。過酷なレースは続く。その挑戦は一生続く。

2p1050985 1次予選通過者の発表式の直前    2018年11月13日19時3p1050989

       1次予選通過者

ピアノのレース

 コンクールでは、挑戦者が本番で弾くピアノを15分間の試弾のうえで選べる。コンクール挑戦者が自分の中で、これが一番だと思うピアノを選べば、2番目のピアノの出番はない。舞台の片隅でお休みである。だからピアノメーカも一番に選定されるために、開発に金と人の投入を惜しまない。

 

明日の一番  

 今日の1番以外は、全員が敗残者である。そこに明日の勝利者になるネタが埋まっている。それを見つける挑戦を諦めたら終わりである。それを糧に敗残者は明日の一番を目指すから、成長がある。一番になっても自惚れるとすぐ没落である。その挑戦は生涯続く。前回のコンクールでは、カワイさんが優勢だったが、今回はヤマハさんが巻き返した。

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選ばれた舞台のピアノ。他社は後ろで控えている。

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2018-11-19 久志能幾研究所 小田泰仙

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二番じゃダメなんです

 自分の心の中には、4尊の佛様が葛藤している。四流佛は、いくら助言をしても全く動かない不動迷王である。「そんなことは分かっているわい」と、助言をすると怒るので、不動明王様もお手上げで、もうホットけ、である。

 三流佛は、雑事に追われて「忙しい、忙しい」と日々を送り、一歩前進二歩後退を繰り返す不賢忙殺である。自分の悩みを忘れる為に、現実から目を背け、諫言に耳を塞ぎ、雑用に取り組むことで悩みから逃れる佛である「急ぎ事ではないが、人生でもっと大事なことは何かを考えよ」と普賢菩薩様は嘆く。

 二流佛は、物事を遅れずに早からずソツなく過ごし、その場で足踏みをする高見見佛である。分かっていてもつい傍観者の立場になってしまう仏様である。ブツぶつと仏にぼやきはするが動かない「傍観ではなく、その本質の音を観よ、もっと動け」と観音菩薩様は諭す。

 一流佛は、一歩前進、障害に出くわし半歩後退はするが踏み止まり、決して諦めない極道菩薩である。道を極めるのに労を惜しまない極道者の佛様である。

 

己の心で四佛が乱舞

 四尊は全て自分の心中におわします佛様である。日々、場面によって主役となる佛が違う。ある時はアクセルのお役目をするし、ブレーキのお役目もする佛様である。全ての仏が、己の心の状態に合わせて、神出鬼没で人生ステージに乱舞する。人生演出家としての己に根性がなく、その配役決めで迷うと、役者の佛様は右往左往で、波瀾万丈の人生劇場となる。

 

似番菩薩

 「二番じゃダメなんですか?」と耳元で囁く妖怪がいる。この妖怪は、二重国籍問題はひとごとのようにして、ブラーメンで人を攻めるのが得意である。「耳を洗い目を拭って相手を見て、己の魂の叫びを聴け」が、魂の真の声である。「魂」とは自分の内なる「鬼」が本心を「云う」と書いて魂である。親切がましく助言をする佛の本心を見極めたい。本心を隠し、言行が振れ、自分の経歴詐称をする妖怪の本質を見極めないと、ニセモノ人生を掴まされ、自分の人生も日本の政治もダメにしてしまう。一流の佛でなければダメなんです。一番を狙っても入賞さえ難しいのに。二番とは限りなくビリに近い順位である。

 

極道菩薩

 手を合わせれば、観音菩薩の化身である極道菩薩が、救いの手を差し伸べ、己の背中を押してくれる。手を合わせるとは、自分を静かに内観して、その内なる声を聞くことである。人生での戦う相手は、自分の内なる四体の佛である。

 どの佛が浄土に導いてくれるか考えてみよう。人生の第4コーナに突入したのなら、二番じゃぁ駄目なんです。ゴールまで、もう時間がないのです。閻魔大王がゴールで、待ち構えている。

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衆生の救いを求める声を聞き、救いのため足を踏み出し、手を差し伸べているお姿。救いの手のため、人の腕の長さに比べて長い。 大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

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2018-11-19 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月18日 (日)

我慢より辛抱を選ぶ

 何事もなすにも時折・・・不安挫折そして行き詰りはある。それは飛躍する為のエネルギーの蓄積の時。根気よく思考熟慮して、決してあせるまいぞ。仕事をするうちに、新たな発想も生まれる。辛抱という木に実は結実する。日々心がけていこう。(2018年 馬場恵峰記)

 

心棒

 人生で、どんなことがあってもブレない心棒があれば、うろたえない。芯がブレなければ、どんな嵐でも耐えられる。その心構えを辛抱という。心棒の木、辛抱の木、信望の木、心房の木とも言う。

 

辛抱

 やりたいことをやらずに我慢などする必要はない。やるべきことをやって、辛抱して、それをやり遂げるのだ。「辛」は、入れ墨をするための針の象形文字である。つらい、つみの意味を表す。やることは、己の体に入れ墨するくらい痛いことなのだ。我慢してやらないのは、楽なのだ。逃げなのだ。

 やれるのに、やりたいことを我慢しても、それができる状態になっても、やれない日が来る。辛抱できる体力が無くなる時がくる。お金が無くなる時が来る。心房が止まる時がくる。何時までもあると思うな、親とカネ。そして命も100年も持たないのだ。

 己にご縁と体力があり、some moneyがあれば、やってしまおう。それに出会うのも行幸である。その対象物(挑戦に値する事象)に出会うのは有難いこと。

 

我慢

 七慢の一つである(佛語)。七慢とは、過慢、慢過慢、我慢、増上慢、下劣慢、邪慢を言う。慢とは「忄」(心)+「曼」〔音〕で、心が伸びたるんで怠るを意味する。

 「我慢」の意味は、①我をよりどころとして心が高慢であること、②我を張ること、③じっと耐え忍ぶこと、である。

 当初の意味の「自分自身に固執する」ところの①の意味から②に転じ、さらに③の意味となった。

 七慢は人が持つ煩悩である。その煩悩を断ち切るのが不動明王の持つ宝剣である。佛法、佛像を作り出した古代の賢者は、人の持つ慢心を知っていた。慢心を持つ人の本質は、2千年前から少しも変わっていない。

1p1040936  不動明王像  松本明慶仏像彫刻美術館の許可を得て掲載しています。 

 

出会い

 2018年10月31日、馬場恵峰先生宅で、先月から気になっていた下記の軸を、決断して入手した。同じ文句の別の軸もあり選択に迷ったが、恵峰先生の推薦で、絹本の軸に書かれた下図の軸を入手した。

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2018-11-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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浜松国際ピアノコンクール(8) 血まみれの席

 浜松国際ピアノコンクール第一次予選の2018年11月18日~13日の5日間、土日の午前中を除いて、浜松国際ピアノコンクールを聴いた。チカれた、が感想である。幸い(?)土日の午前中のチケットが取れず、意図せずにお休みできたのは、かえって良かった。5日間共、朝10時30分より、夜の9時30分まで、聞くのは体力がいる。審査員は大変だ。なおかつ、その中から、順位を付けねばならぬ。その評価基準に興味を抱いた。

 

定席

 5日間とも、浜松アクトシティ・中ホールの最前列席でコンクールを聴いた。私のいつもの定席である。この席は、ピアノとピアニストの指の動きと顔を表情がよく見えるので、どの会場でもこの場所を選んでいる。音楽的、音響的には後方の場所の方が良いようであるが、私はこの方が好きだ。

 

血まみれの席

 この席はアリーナ席ということを、隣に座ったピアノの先生から教えてもらった。別名、血まみれの席である。アリーナ (英語 arena) は、スタンド(傾斜がある階段状の観客席)に全周を囲まれた、闘技場・競技場・劇場などの施設をさす。ラテン語のarenaの原義は「砂」で、そこから「流血を吸収するために砂を撒いた闘技場」の意味に転じた。さらに、そのような闘技場が設けられたアンフィテアトルム(古代ローマの円形闘技場)のような施設の意味に転じた。

 確かに、ピアニスト達は自分の人生をかけて血みどろな戦いをしている。調律師も会社の命運をかけて競合他社と戦っている。この席は、その血まみれの戦いが、まじかに見えるのだ。

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  血まみれの席からの眺め

 

2018-11-18 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月17日 (土)

浜松国際ピアノコンクール(7) 中村紘子の睨めっこ

磨墨知49-2 達磨さんと睨めっこ 

 目の前の人は自分の心を写す鏡である。自分が見るものは、自分の心が映し出している。自分は何を見ているのか、何を見たいのか、何を聴きたいのか、自分が思ったままに、目の前の情景として目に映り、自分が聴きたいままに聞こえてきて、人生舞台は、自分の描いたストーリーに沿って、バックグラウンド演奏に合わせて演劇が進行する。

 

達磨さんと睨めっこ

 2013年10月、大仏師松本明慶仏像彫刻展(池袋東武店)の会場で、松本明慶先生が「達磨大師像と睨めっこしなさい」と言うので、数分間の睨めっこをした。怖い顔の達磨さんの目が自分を見つめていた。次に「ちょっと横を見て」と言われ、隣の美しい彩色の吉祥天像に一瞬、目を向けて(浮気をして)、直ぐに達磨大師像の目に戻すと、達磨大師像はもう私を見ていなかった。仏像であるから描かれた目が動くわけはないが、直前まで確かに私を睨んでいた達磨大師像の目は、別の方を見ていた。達磨大師像が私を見ているのではない。自分の心が、観念でそのように映しだしていた。

 

音楽の見えないものを観る

 中村紘子さんは庄司薫さんと結婚して、庄司さんの文壇を通して日本の知識人の評論家林達夫、政治学者丸山眞男らと出会う。当時、中村さんはピアニストとして今後、どう生きていくか悩んでいた時期である。テクニックを磨くならば日本を出るべきだったが、それを思い留まらせたのが、庄司さんを通して得た知識人達との交流だった。それは中村さんにとって衝撃的な世界だった。

 「私は受験勉強もしていないし、ものごとを一番吸収できる十代はピアノだけ。それが先生たちを知り、こんな世界があるのかと」。彼らは日本にいながら世界をしっかり見ていた。いや、日本に根を下ろし、自分の支えとしていたからこそ、世界を語り得た。ピアノも同じだった。「大事なことは自分自身を見極め、精神を育てていくこと。何を表現したいのか、はっきりとした意志を持つこと」。

 以来、日本を拠点に世界で活躍するようになった中村さんである。その成果が浜松国際ピアノコンクールで音楽を通しての世界への発信である。「結婚で精神が安定し、よりピアノに集中できるようになった」とも言う。中村紘子さんは今まで見ていても、見えていない世界を見ることができるようになった。だから音楽に深みがでたのだ。中村紘子さんは、音楽の達摩大師と睨めっこをして悟ったのだ。

 コメントは「読売新聞2000年6月10日 村田記「人に本あり」」を参考にした。 

 

己の観念が映し出す人生

 目の前の仕事、目の前の人(恋人、顧客、上司、演奏家、舞台の役者)は達磨大師像の目と同じである。自分がどれだけ真剣に向き合っているか、全ては自分の心が映し出している。心の持ち方次第で、仕事の意味、相手の対応が違ってくる。全て自分の心が映し出している。他人のせいではない、自分が作り出した世界である。自分がその対象物に心身を捧げないと、見えるものも見えない。聴きたいことも聞こえない。自分の心の格を上げないと、仕事の質も相手の人間との関係も向上しない。それを松本明慶仏像彫刻展(2013年10月11日)で松本明慶先生より示唆された。それで自分が描く人生のストーリーに気がついた。2018年11月の浜松国際ピアノコンクールを聴いて、それの思いを新たにした。

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4k8a0319 大仏師松本明慶作

 この達磨大師像の写真は松本明慶仏像彫刻美術館の許可を得て掲載しています。

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 浜松国際ピアノコンクール会場にて

 

2018-11-17 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

浜松国際ピアノコンクール(6)中村紘子さんを食べた狼

赤頭巾ちゃんの訃報

 浜松国際ピアノコンクールの審査委員長として運営に尽力されたピアニストの中村紘子さんが大腸がんで亡くなられた(2016年7月26日)。その追悼番組で中村紘子さんのピアノリサイタルを視聴して真っ先に目がいったのは、彼女の肥満した体であった。

 その映像には、記憶にある妖精のような中村紘子さんの姿はない。中村紘子さんは最期までピアノの弾ける状態を最優先にした闘病生活をされた。ファンとしては、理想のアイドルとして健康管理にもピアノと同じような情熱を注ぎ込んで、老いてもそのスタイルを保って欲しかった。中村紘子さんのように、多くのファンを持ち宝石のような才能に恵まれたのなら、多くのファンを泣かせないために、自身の健康管理は責務であった。

 中村紘子さんの若い時と晩年の姿の写真は、ネットで画像検索して見てください。

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ご縁とカネ、血液は流れなければ腐る

 悪い食生活(美食)を続けると、血管内部にコレステロールのカス(プラーク)が発生して、血流の流れを阻害する。それが高血圧(結果)という症状になる。血液がうまく流れないため、血の巡りが悪く認知症になる。血液の流れが阻害されるから高血圧になり、結果としてガン、脳梗塞や心筋梗塞、加齢黄斑変性症に罹る。高血圧は現象であって真因ではない。

 現代医学は、対処療法が主流である。高血圧だからと降圧剤を処方するのは対処療法である。世界一の神の手による手術を受けても、画期的新薬を飲んでも、真因を取り除かないと、病状は良くならないし、再発する。

 血液には自己防衛機能としての白血球や免疫要素が含まれている。肥満になり、それに比例して血管内部にコレステロールのカスやプラークが発生して、血液がうまく流れないと、がん細胞が増殖しやすくなる。大腸がんなどのがん細胞発生は、その免疫力が低下した証であると推定される。

 

現代医学の落とし穴

 現代医学は、往々にして細分化された分野で極到の医療技術を誇る場合があるが、その病気の根本原因には目を向けない傾向がある。木を見て森を見ていない。科学の原則とは、細分化である。「科」とは遍に秤の意味のつくり(斗)で構成された漢字である。科学とは物事を細部の分解をして、その根本を究明する学問である。分解しすぎて本質を見失ったのが、現代科学、現代医学だと思う。

 

フードトラップ

 「赤頭巾ちゃん」を食べたのは、拝金至上主義の食品業界の狼達である。その狼達は、消費者の健康は眼中になく、美味しすぎる毒餌で、フードトラップ(至福の罠)を仕掛け、油断した獲物を捉えて喰っている。獲物は至福のまま死んでいく。一度食べたら、やめられない味の食品を世に氾濫させている。それで消費者は罠に落ちるのだ。その業界の実情はマイケル・モス著『フードトラップ』(日経BP社、2000円、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー1位)に詳しい。

 本書の「エピローグ」に「パッケージは子供が喜ぶようにデザインされている。広告には、買わないという我々の理由づけを覆すべく、あらゆる心理トリックが使われている。味も強力だ。売り場を通りかかって、つい手に取ったが最後、我々は次回もその味をしっかり覚えている。そして何より、加工食品の原材料とその配合は、熟練の科学者や技術者たちが計算しつくしたものだ。知っておくべき最も重要なポイントは、食料品店の店頭に偶然の要素は一つもないということである。」とある。

 

悪縁の魔の手を逃れよ

 健康を保つには、何を食べるかではなく、何を食べないかである。よき人生を送るには、良き縁を探す前に、悪い縁を避けるようにするのが原則である。世の中は悪手、悪食、悪縁が満ちている。

 お金も水も、溜め込むと腐ってくる。お金、ご縁、血液を流さないから、病気や不運になる。お金はお足である。足止めされれば、お金もお友達を連れては来られない。気持ちよく感謝を込めてお金を送り出すと、お金はお友達のお金を連れて帰って来てくれる。それがお金の本性である。ご縁も同じである。良きご縁が更なる良きご縁を招く。

 

中村紘子さんとのご縁

 庄司馨著『赤頭巾ちゃん気をつけて』の主人公は、東大紛争で東大入試中止(1969年)の被害を被った受験生で、私と同じ境遇であった。今回の浜コンに参加して、中村紘子さんの大きな写真を見て、何かご縁を感じた。今回、浜松国際ピアノコンクールに行き、会場ロビーに中村紘子さんの大きな写真が天井から吊り下げられて参加者を見守っているのを発見した。まるで中村さんが天国ら見守っているようだ。それでこの件の思いを新たにした。

 さようなら僕らの永遠の『赤頭巾ちゃん 気をつけて』。ご冥福をお祈りします。

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  会場ロビーの入り口近くの喫茶店からの眺め

  目の前の天井から、中村紘子さんの大きな写真が、参加者を見守っている。

 

2018-11-17 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月16日 (金)

浜松国際ピアノコンクール(5) 美食にも負けず

 ピアノとの長いお付き合いは、健康があってのこと。そのために断油、断糖、断酒、断肉、断乳が必要である。

 浜松国際ピアノコンクールの審査委員長として運営に尽力されたピアニストの中村紘子さんが大腸がんで亡くなられた(2016年7月26日)。その追悼番組で中村紘子さんのピアノリサイタルを視聴して真っ先に目がいったのは、彼女の肥満した体であった。それを視て肥満と洋風の食生活が大腸がんの遠因だと確信した。

 

フードトラップ

 身の回りには揚げもの、添加物・砂糖だらけの菓子類、酒類、肉類、乳製品の美味なる食品が激安で氾濫し、食卓を襲っている。100円でハンバーガが提供され、うまい早い安いで280円の牛丼が目の前にぶら下がる。しかし外来種の全ての食品には、遅延性の毒が盛られている。それはフードトラップ(食品に仕掛けられた至福の罠)である。私はすっかり油断をしていた。

 

サイレントキラー

 私はその悪食を30年間食し続けた結果として、肥満、高血圧、心房細動、高脂血症、網膜静脈閉塞症、記憶力低下の体になってしまった。その毒が血管の内側にコレステロールの血漿の壁(プラーク)を作り、血管の内部を細くし、血管の柔軟性を損なわせたようだ。それはサイレントキラーとしてガンよりも恐ろしい脳梗塞、心筋梗塞を招くトリガーとなる。

 プラークにより血管の内側が狭くなると、必要な酸素、栄養がいきわたらず、臓器や組織が正しく機能しなくなりがちである。血管が詰まってしまい、臓器や組織に血液が流れず、壊死してしまうこともある。大事な免疫酵素も細胞の末端に回らず、病気(がん、認知症等)も発生しやすくなる。

 ガンの場合は死まで1年くらいの余裕があり、死に対して心と身辺整理の準備ができる。しかし脳出血や心筋梗塞は、即死状態になることが多く、自分も家族もその準備ができない。また助かっても後遺症が残ると家族を介護の地獄の生活に陥らせる。自身もリハビリで地獄の苦しみを味わうことになる。現代医学の対処療法では、また病気が再発する。真因を突き止めて、根本原因を除去すべきなのだ。日本の伝統古来の和食には、そんな遅延性の毒はない。

 

病気の真因を発見

 現在、自分の体の不調(目の病気、肥満、不整脈(心房細動)、高血圧、記憶力の低下)が、長年の食生活の乱れで、血管の若さの欠乏したのが病状の真因であることを突き止めた。それで病気の治療として、油を使った料理、砂糖の入った菓子類、肉類、乳製品、酒類を避ける食事療法を始めた。受験勉強の成績がなかなか上がらないというご縁を頂いて、体の異常が発見できた。有り難いことである。(ピアノの腕がなかなか上がらないことも、これを言い訳にしている?)

 悪縁のため自分の人生道にプラークが溜まって、来るべきご縁が届かないかもしれない。そんな障害物を早期発見、除去して、人生道第4コーナに全速で突入して、ゴールに向けて走り抜けたいと思う。途中落馬は避けたい。

 

ピアノコンクールに参加して我慢大会

 浜松国際ピアノコンクールを聴くため、オークラアクトシティホテル浜松に5泊したが、粗食に耐えた(?)。流石、オークラだけあって朝食のバイキングは種類も多く豪華であった。それを、野菜中心の和食スタイルで、お代わりなしで過ごした。毎回、鰻のひつまぶしもあり、涎が出たが、手を出さなかった。野菜中心で、スィーツもご法度である。油で焼く目玉焼きも避け、茹で卵一個である。ドレッシングも油があるので避けた。

 昔の食い意地の張った私なら、朝食を3食分も食い、コンクールでは寝てしまっていただろう。

 今回、地元の知人との会食もしたが、相手が飲んでも私は飲まなかった。酒がなくとも宴席は付き合える。

 健康だから、浜松国際ピアノコンクールに出かけ、音楽を聴くことができる。健康でなければピアノも弾けない。その有難さは失ってみないと分からない。一番怖いのは、生きながら、認知症になること。それだけは避けたいと、ボケ防止でピアノを習っている。

P1110933_2   ホテルのバイキング朝食

Photo  馬場恵峰書  ボケの華 狂歌

2018-11-16 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。