2018年11月16日 (金)

浜松国際ピアノコンクール(4) 妖艶な色香にも負けず

 妙齢の美しい女性がピアノを奏でる姿は、非常に魅力的である。ピアノコンクールで、野獣と美女がピアノを武器に死闘をしているという状況を忘れてしまう。しかし参加者達は、自分の人生をピアノに託して戦かっているのだ。激しい曲をピアノの鍵盤を叩きまくって表現する様は、まるで野獣と美女が死闘しているようだ。

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  場外テレビのLIVE配信画面

 

赤頭巾ちゃん、気をつけて

 美女の参加者は、まるで赤ずきんちゃんがピアノを弾くようだ。それを庄司薫さんは『赤頭巾ちゃん、気をつけて』の中で「中村紘子さんみたいな若くて素敵な女の先生について(中略)優雅にショパンなどを弾きながら暮らそうかと思ったりもするわけだ」と書いて、若き中村紘子さんを感激でボーっとさせ、アレグロ的なスピードで庄司薫さんとの恋を成就させた。ごちそうさま。

 その中村紘子さんが庄司さんの小説『赤頭巾ちゃん、気をつけて』に負けたと言わせたのは「なまめかしくて艶っぽくて、キャー、かなわないって印象だった」ためだ。

 その表現を今回のコンクールのピアノ演奏で当てはめると、課題曲を超高速で連打する姿から、その技に、「キャーかなわない」と驚嘆はするが、艶とかなまめかし音とは感じないのだ。これは演奏会ではなく、ピアノの技を追求する競技会なのだ。多分、審査員も聴いて同じ思いで審査しているだろう。

 中村紘子さんは、浜松国際ピアノコンクール審査委員長をつとめ、世界へ向けた「浜松発」の若手育成に情熱を傾けた。中村さんは浜松国際ピアノコンクールでは1994年の第2回から審査員で、第3回から2009年の第7回まで審査委員長をつとめた。

 

靴が光るが、音の艶が光らない

 今回は、外国勢の女性陣の多くが美しいドレスとキンキラきんのカラフルな靴でピアノ演奏をした。思わず音よりもその姿と赤や紫の靴の輝きに目が行ってしまった。最近の演奏はビジュアルも要素が大きい。その点で女性は得である。同じ曲を聴くのでも、美女が輝くドレス姿でピアノを弾くのと、エネルギー溢れる若者が弾くのでは、素人の私の耳には違って聞こえる。

 さすが審査員は、そんな色香には迷わされず第一次審査をしたようだ。私が目を奪わせた美女軍団の多くは、第一次予選を通らなかった。

 なにせ私はかぶりつきのアリーナ席、審査員は舞台から遠くはなれた二階席なのだ。二階席までは、美女の色香や妖艶さは届かない(?)。今年から応募審査でビデオが採用された。以前は録音だけの審査であった。音楽もビジュアルの影響が大きい。それを計算して女性陣は飾っていた。演奏中は撮影禁止なので、その写真が掲載できないのが残念である。ピアノコンクールで演奏会ではないのだから、挑戦者のドレスコードが必要ではないか。

 

エピソード

 どういうワケか、外国勢の男性の靴がピカピカの人が多く、ライトが当たり、ピアノよりも輝いていた。ところが日本人の若者ピアニストは、艶消しの黒の靴が多かった。その対比が、際立っていた。男性のピカピカの靴に、なにか違和感を覚えた。

P1050912     2階席が審査員席 

 2018-11-16 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月15日 (木)

浜松国際ピアノコンクール(3) 家康「しかみ像」のご縁

 2018年11月10日(土)と11日の浜松国際ピアノコンクールのチケット入手に失敗して、半日の時間が空いた。10日の朝、会場で15時から追加チケットが販売されることを確認して、気分転換で浜松の観光名所の中から浜松城を選択して散策した。

 そこで徳川家康が敗戦した時の肖像画『徳川家康三方ヶ原戦役画像』、通称『顰(しかみ)像』を見付けて嬉しくなった。元亀3年(1572)12月、浜松市街東部の三方ヶ原で、武田信玄と徳川家康との合戦があり、家康は命からがらに敗走し、なんとか浜松城に逃げ込めた。その際、この敗戦を肝に銘ずるためにその姿を描かせた。この絵は、「憔悴し切った家康の表情」が巧みに描かれている。己の慢心の自戒として生涯座右を離さなかったと伝えられている。顰(しかみ)とは、顔をしかめること。

 本物は徳川美術館にあり、ここの展示はレプリカだが、それを感じさせない出来であった。レプリカでも身近で見たのは、初めてである。

 

辛いこと

 自分の惨めな姿を絵に描かせた家康はただモノではない。いわば臥薪嘗胆である。経営者として、日々、辛いことばかりで、夜、酒を飲まないと寝られないでは、経営者失格だ。経営者は辛いことは目を背けず、現実を直視せねばならぬ。酒は百薬の長というのは嘘だ。

 どれだけ少量でも酒は毒であると、最近の英国の研究で明らかになった。食品は胃で消化されるが、酒は肝臓で、薬物と同じプロセスでしか分解されない。だからお酒を飲むとは、薬物パーティをすること。だから私は今、完全禁酒です。

 経営者は辛くて当たり前。その辛さを受け入れられなければ、経営者になってはダメである。己の決断に、社員の生活がかかっている。それを酒で胡麻化してはダメ。酒は思考を麻痺させる。経営者なら辛いことは、覚えていなければだめだ。それに己の成長の糧が埋まっている。「しかみ像」はそれを象徴している。

 

ご縁

 2018年11月12日、アクトシティホテルで朝食後、ロビーを通ったらホテルの売店で「しかみ像」の手ぬぐいの展示品が目に飛び込んできた。お店の中を散策して、この手ぬぐいを何かのご縁と思い入手した。一枚1080円で、徳川美術館認定商品とある。色は白と青があったが、青の方が心情を良く表しているようで、青を選択した。己の戒めの絵として飾るのもよいと思ったからだ。翌日、思い直して、白の作品も追加購入した。家康さんも、400年経っても、地元の経済活性化に貢献している。偉い方だ。

 この絵を気に入ったのは、10年まえ、「人の一生」という徳川家康遺訓を馬場恵峰師が揮毫し、その軸を10年間も誰も買わずに、私が購入できたこと。ご縁とは、一つだけでなく連綿とした繋がりを持っている。

P1050800  浜松城で展示のレプリカ「しかみ像」

P1060012_3 「しかみ像」の手ぬぐい

Photo  馬場恵峰書 

新説

 この絵は、家康が書かせたのではないとの新説が学芸員の原史彦さんより出されて話題になっている。そういう話題が出るだけ、家康は超有名人である。そんな歴史の話題のご縁に誘ってくれた浜松国際ピアノコンクールである。

 「家康の『しかみ像』に新説が! 家康が描かせたはウソだった!」

https://shizuoka-hamamatsu-izu.com/hamamatsu/shikami/

 

2018-11-15 久志能幾研究所 小田泰仙

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浜松国際ピアノコンクール(2)ピアノの見分け方

 国際ピアノコンクールの関心事は、ピアニストであるが、それ以外の最大の関心事がピアノの選定である。ピアノメーカにとっては技術アピールの最大の機会であるので力が入る。

 ファンにとっても、どのメーカのピアノが選ばれたかが大きな関心である。ホールを作りたいという夢を抱いている私も、どのピアノがどういう音を出すかは最大の関心事である。だから演奏中にメーカ名を知りたいのだが、遠くからではなかなか識別が難しい。

 最近のピアノの形状が、どのメーカも同じになってきて、一見しても、またホールの中央部の遠くの観客席からでは識別しにくい。ピアノ側面にメーカ名が表示されているが、暗いホールで遠くからでは見にくく識別が困難である。

 高松と浜松の国際ピアノコンクールで4社のピアノを見て、やっとピアノを外観から、メーカの識別できる点を発見した。一番明確な識別は下記のペダル支柱の角度と太さである。

 

音の差

 本来、ピアノの一番大事な差は、音であるが、演奏曲とピアニストの弾き方で大きく変わるので、私みたいな素人では、すぐには識別がむつかしい。特に今回の浜松のコンクールは演奏曲の選択数が多く、その差が聞き分けにくい。それと比較すると、高松のコンクールは演奏曲の選択数が少ないので、ピアノの音質の差が比較しやすい。そのピアノの音の差を文学的に表現すると(素人の私の個人的な独断で)、下記に表現した。

 ヤマハ       ハイテクで着飾った上品な貴婦人

 スタインウェイ   ヨーロッパの正統派貴婦人(雛形)

 カワイ       現代派雰囲気の明るい貴婦人

 ベーゼンドルファー ロマン派のヨーロッパ貴婦人

 

 今回は、ヤマハのピアニッシモの繊細な音が際立ってよく聞こえた。大きな迫力ある連続音では、なかなか差は分からない。それが、小さな音にピアノの差が出る。とはいえ、ピアニストが変わり、曲が変わると、他のメーカも同じように繊細な音に聞こえて、識別は難しい。

 

ぺダル支柱の支え棒の角度と支え棒の太さ

 ヤマハ       30度  細い   

 カワイ       45度  一番太い

 スタインウェイ   15度  中間の太さ

 ベートーヴェンドルファ 30度  細い   

  

ピアノの下部の塗装

 ヤマハ        薄黒(腹黒?) 一番わかりやすい 

 スタインウェイ    白木の状態(カワイよりシックな状態)

 カワイ        白木の状態(一番白く輝いている)

 ベートーヴェンドルファ 薄黒

1p1100113  ヤマハ 

2p1100112 スタンウェイ

3p1100120  カワイ 

4p1100121  ベートーヴェンドルファ

 写真は2018年3月の高松国際ピアノコンクールにて

 

上蓋の支え棒の塗装

 ヤマハ       艶消し塗装   

 スタインウェイ   艶消し塗装

 カワイ       光沢塗装

 

ピアノの足のキャスター(後ろ側)の向き

  ヤマハ       0度  

  スタインウェイ   45~90度

  カワイ       45度

  ベーゼンドルファー 45~90度

 

 前側の2つのキャスターの向きは、全メーカ共、「ハ」の字の状態に向ける。角度に多少のばらつきがあるが、ホールの係員任せなので、メーカの調律師は手をださないとのこと。

 後側のキャスターは調律師の責任で上記に設定するとのこと。メーカのこだわりがあり、上記の状態である。キャスターが床の木の節目に当たると、それを避けるため、多少の角度の修正があるようだ。また調律の最後の手段で、その角度を変えることもあり、それで音が微妙に変わるとか。

 ベーゼンドルファーは足の金メッキの部分の形状が他社と明確に違う。

 

2018-11-15 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月14日 (水)

磨墨知152-3.  確信教に入信しよう

時間の富者

 時間は、全ての人間に平等に1日24時間を与えられている。時間貧乏人になるか、時間の富裕層であるかは、本人の意識と智慧の出し方如何である。

 「時間がない、忙しい、忙しい」と走り回っている人は、永遠に時間という富は手に入らない。それは、なぜ忙しいかの真因を考えないからだ。「忙しい、忙しい」と走り回っている人に限って時間がだらしなく、パチンコ店に入りびたりがちである。

 時間の富裕層は時間の有限性を知っている。その限られた一日のうちで、一定の時間を社会奉仕活動に費やすことは、限られた時間を有効に使う訓練になる。またその過程で、社会の実相を見ることができる。それが今後の自分の生き方を変える。

 

ユダヤ教の教え

 ユダヤ人は貧乏のときでも、収入の10%を必ず寄付する。それがユダヤ教の教えである。寄付をするとは、「私は富んでいます。皆さんに寄付をするだけの富があるのだ」と自身に言い聞かせること。自己暗示である。それが確信教のお勤めである。それにより稼ぐことを正当化し、稼いだお金で他者を助けるため、稼ぐことが大義名分となる。それ故、富者のような行動を取り、富者になる確率が高くなる。ユダヤ人の富裕層の割合は高く、ロスチャイルドや投資家のジョージ・ソロス、映画監督のスティーブン・スピルバーグなど世界的な成功者が数多く存在する。

 

寄付の効用

 寄付をしないとは「自分は貧乏だ、金が無い」と何回も何回も自分の潜在意識に言い続けることになる。潜在意識に沁みこんだ考えは、日頃の行動に反映され、貧乏人の行動を取り続ける。それで富裕層になれるご縁(機会)から日々離れていく。

 自分は豊かであると確信しよう。出来心で寄付するようではダメである。確信教として寄付をしよう。きっと豊かな心と時間を得ることができる。

 

倍返し

 時間をかけた社会奉仕活動は、お金の寄付より価値がある。10年後、元本に利子をつけて仏様が返してくれる。この世は奪った分が手に入るのではなく、与えた分が倍返しで返ってくる(五右衛門風呂の定理)。

 それが孫の代に返ってくる場合も多い。可愛い孫が大喜びすれば、それでよいではないか。今の自分の幸せは、ご先祖が積み立てた功徳の配当を得ているに過ぎない。

 与えない人は、何も与えられない。「自分信用金庫」の貯金は、ペイオフもなければ、差し押さえも預金封鎖もない。格付けAAAAの超安全資産である。

Photo

寄付

 2011年、東日本大震災義捐金として、私は岩手県山田町と日本赤十字社に数回にわたり計50万円を寄付した。寄付をしたくても、できないご縁もある。寄付をできるとは福の一つである。

 しかし日本赤十字社経由で寄付をすると、2割が経費として寄付金から天引きされ、8割しか被災地に行かないと知人から聞いた。それは理不尽と思い、知人の助言に従って、以後は直接、山田町に義援金を送った。山田町では、寄付者名と使用用途がHPで公開される。

 日本赤十字社では、送った義援金の使用用途が公開されない。巷の噂では、大災害が起きると日本赤十字社本社のある飲み屋街が賑わうという。それを暴露した週刊誌は、予告された第二弾の報道がいつしか立ち消えになった。

 岐阜県・大垣市の日本赤十字社支社の会計報告でも、予算の2割に当たる経費の内訳は公開されていない。

 

2018-11-14 久志能幾研究所 小田泰仙

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浜松国際ピアノコンクール(1/11)チケット騒動

 2018年11月9日(金)~13日(火)、浜松アクトシティで行われた2018年第10回浜松国際ピアノコンクール(浜コン)の第一次予選に行ってきた。ところが現地に着いてチッケトを入手しようとしたら、9日(金)、12日(月)、13日(火)のチケットは入手できたが、土・日は完売でチケットが入手できない事態に直面して慌てた。金曜日の当日も、早めに行って並んで買ったが、暫らくすると完売である。これは事務局でも想定外で、こんなことは初めてだという。ヤマハの社員もチケットが入手できず慌てたという話も聞いた。

 どうも直木賞を取った恩田陸作『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)で前評判の人気が盛り上がり、何時にない切符の売り上げになったようだ。NHKも取材に来ており、このイベントの盛況ぶりが際立っていた。

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空席あり

 ところが座席について一日の状況を見ていると、チケット完売なのに空席が多いのだ。3割くらいが空席である。常識的に朝の10時から夜9時まで、連続でピアノコンクールを聴く酔狂人(私みたいな)は少ないようで、一部の時間帯だけ演奏を聴いたら、退席する人が多いようだ。だから空席が目立つ。ネットで一次予選の通し券を買っても、普通の勤め人では全時間帯、全日は来られまい。しかし券を買えば席が埋まるので、消防法の制限で、それ以上にはチッケットを売れないようだ。

 そこで会場の管理者を見つけ、空席状況を見て、午後からの分だけでも、販売して欲しいとねじ込んだ。その甲斐あってか翌日の表示板に「空席が多くなってきた場合、15時、19時から追加チケットを売ります」と掲示された。やはり言うべきを言ってよかった。それで土日の15時からの入場がかなった。

 それでも土曜日は途中入場の券の発売数が多く、余裕で当日券が入手できた。しかし、日曜日は、チョット油断して販売の25分前の14時35分に並んだが、すでに15名ほどの行列ができていて、販売予定のチケット数は20枚余と少なく、すれすれで入手できた。その後、60名ほどの行列となった。これも良き反省材料の経験であった。

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結果オーライ

 私が入手したのは当日の15時からの入場チケットであるが、それでも夜の9時半までのコンクールである。ちょうどよい時間長であったかもしれない。当日、朝10時30分から夜9時30分までのコンクールのお付き合いは大変である。そのおかげで、浜松城に行けて『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(通称『しかみ像』)とご対面のご縁を頂いた。

 

今後の対応策

 今後もこんな状況が続くと予想されるので、入場者数を把握するIT技術を導入すべきだろ。また、予約のネット販売で全て売るのはやめて、一定数は当日券にすべきだと思う。また全日券でなく、午前、午後、夜の部と分けて券を発行するのも手だと思う。

 浜コンが始まった当初は、がらすきで、席を埋めるのが大変だったという当時のボランティアの方の声も聞いた。それだけ関係者の長年の努力の成果が上がったのだ。喜ばしいことではある。浜松の町おこしとして、素晴らしいイベントである。

 

2018-11-14 久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知115. 清水の舞台から飛び下りない

そんなことをしたら大怪我をする。それよりも、日々の小さな決断と場数をきちんと積み上げよう。そうすれば、「清水の舞台」が低い小さな舞台と思える自分に成長できる。だから(自分にとって)「清水の舞台」から飛び降りなければならない事態には陥らない。日頃の積み重ねで大きな決断がさりげなくできる。それが積小偉大。決断とは迷いの時間を断ち切ること。場数を踏むとは、舞台を超えること。

 

人生の舞台

若い子にとって、浜松国際ピアノコンクールの舞台に立つのも、清水の舞台から飛び降りるのと同じ心境だろう。厳密な予備審査を通過した出場予定者でも、4人も出場辞退する人が出るのだ。その重圧を振りのけ14歳で物おじせず大舞台に立ち跳ぶ子もいる。小さな発表会や身内の演奏会等の披露の繰り返しで、大舞台という清水の舞台に立てるのだ。

12018119日 浜松国際ピアノコンクール

 

2018-11-09  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月13日 (火)

磨墨知151.「~になったら、~をする」を止める

「もし、~だったら」、「もし、~れば」を止める

やるべき事、やりたいことは即実施しよう。逃げ道を作るから、目的が達成できない。やりたいことを先延ばしするから、出来ない羽目になる。今までやってきたことが時間の無駄となる。まず出来ることから一つづつやる。なにか動けば、状況が変わる。

「もし、~」など、他人任せの棚ぼたはあり得ない。自分の道を脇目も振らず歩いていると、佛様が「もし~」と思った状況にしてくださる。

 

死んだ子

死んだ時間を振り返る事なかれ。大切なのは今からの時間。死んだ子の歳を数えても時間は戻ってこない。過去がどんなに悲惨でも、悪くてもそれは解釈の問題である。その逆境を、自分を育ててくれた肥やしとして解釈すれば、どんなことも素晴らしい体験となる。未来は変えられないが、過去は考え方次第で、過去の見方を変えられる。固定観念を変えないと、今のままの人生が未来も続く。

 

2018-11-13  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知86. 禁句:「きちんとする時間がないから出来ない」

「きちんとする時間がないから出来ない」と言う人は、時間など永遠に作れない

 「忙しいからできない」などは言い訳以下だ。きちんとやる時間なんて一生訪れない。明日の命も保証されない人生だ。しかし重要なことをやるためには、いつでも十分な時間がある。

 できないのは、やる気がないから。行動力がないから。言い訳がうまいから。命より金儲けが忙しいから。時間を大事にしないから。人生で何が大事かわかっていないから。

 「絶対的な時間」は「行動力」に比例する。その行動力は命の認識からはじまる。みんな忙しいけれど、やっている人はやっている、やらない人がやっていない。

 

自動車部品開発の死闘

 自動車部品の開発で、やるべきことをやらず、問題が起これば、忙しいなど言っていられない。速やかに対応しないと、トヨタの品質保証部が乗り込んでくる。トヨタからの仕事が減らされる。トヨタは保安上で二社発注なのだ。マスコミに叩かれる。30万人のグループ企業のラインが止まる。30万人が遊んでしまう。速やかに対策を打たないと人の命に影響する。死亡事故を起こせば、殺人罪で訴えられる。

 だから、自動車部品の開発は、自社で取り決めた開発手順に従って、きちんとしたことが着実に進められる。想定される全ての条件下で耐久試験・性能試験が行われる。部品の加工精度も影響する場合、規格値の上下限品で耐久試験が行われる。寒冷地試験も行われる。そこまで安全に気を使って開発がされる。

 特定の自動車会社で、品質問題が多発しているのは、やるべきことをやるという習慣がないだけだ。だから、そんな会社の車には乗るべきではない。自分の命に影響する。そんな会社は、きちんとするなど、永遠にできない。フォルクスワーゲンや三菱自動車のように。そういう会社は、ユーザーの命より、社長の鶴の一声が大事なのだ。プロとしてやるべきことを放棄している。それは『フォルクスワーゲンの闇 世界制覇の野望が招いた自動車帝国の陥穽』(日経BP社刊)に詳しい。

 

日本の家電産業との対比

 日本の家電産業が衰退したのは、製品の開発で、多少の故障では、人の命に影響しないという安易な開発思想が心の隅にあったためではないか。開発に命をかけていなかったのだ。だから、ソニーのように、己の基本ソフトの開発ミスの修理で、顧客から金をとる恥行為をするのだ。ソニーが没落したのにはワケがある。

 

2018-11-13  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知104. レストランへは何を注文するか決めてから入ろう

料理注文までの時間を短くしよう。席に座ったらメニューを見ずに注文しよう。料理が出てくるまでの時間は、次回食べる料理を選ぶためにメニューを見よう。

たかが1000円の1料理で3分間も悩むのですか? それで300円の時間ロス。それは決断する時間を遅くする訓練をすること。人生でもっと大事なことがあるだろう。1000円の料理の選択を即決できない人に、1000万円の稟議は決済できない。

 

補足情報 

 20181112日深夜、本ブログの累積閲覧数が48,000を超えました。感謝。

 

2018-11-13  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月12日 (月)

「おおがきの歌」は経済的音痴

 小川敏市長は、大垣市制100周年記念事業で「おおがきの歌」を作らせたが、内容が私の目から見てお粗末である。「おおがきの歌」を作るより、大垣市民憲章の見直しが急務である。

 

結論

歌にも、詩にも、憲章にもメッセージがある。この「おおがきの歌」には、こうしたい、こうありたい、という希望の声が聞こえない。これは単なる時間つぶし、税金の無駄遣いの歌謡曲である。

この歌詞を作った人は経済が全く分かっていない。大垣の現状が分かっていない。大垣の現在の教育の状況が分かっていない。今、大垣は次の100年に向かって衰退か繁栄かの帰路に立っている。だから大垣市民を鼓舞して次の100年を全員の力で創りあげる気力を唄う歌であるべきなのだ。昔を懐かしがって極楽とんぼごときに歌っている場合ではない。ピント外れである。作詞者は小川市長とグルになって市民を経済衰退から目を逸らすため、ボケに促す歌を作っている。

 

新しい「おおがきの歌」の歌詞を要約すると、下記である。

起  大垣はど真ん中

承  大垣は東西を結ぶ道

転  水が人を潤し

結 (昔は繁栄、今衰退。昔が懐かしい)おおがき万歳

こんなレベルの歌でいいのか?

 

内容分析

「おおがきの歌」で「真ん中、真ん中、おへそ」と喚いているが、どこが、真ん中でいいのか。地理上の真ん中なんか、何の意味もない。教育界の真ん中、文化の世界で真ん中、芸術の真ん中になるような取り組みをしていないから、大垣は衰退の一途である。

 この詩の作者は、有名な先生の作だが、私は感動しない。夢がないのだ。理想がないのだ。大垣経済の緊急の話題を逸らして、とぼけた歌となっている。

この歌は大垣の現状の本質を歌っていないのだ。だから、大垣の少年少女に韓国民族衣装を着せ、おおがきの歌 「これまでからこれからへ」を歌わせるような国賊まがいの真似をさせて、悦にいる小川敏氏のようなお粗末な市長が生まれるのだ。

「真ん中」がどうしたというのだ。大垣市民の歴史の努力の跡が何もない。「私の背の高さは、日本人のど真ん中の寸法です」というようなものだ。天から与えられた自然現象を誇ってどうするのか。アホかいなである。ど真ん中でない他市を侮蔑した歌である。

ど真ん中に位置して、大垣の水が大垣の100年を作ったのではない。370年前のお殿様の指導があり、人々の地道な人づくりがあって、今の大垣ができた。それがこの歌には表現されていない。

天才のピカソ作には傑作が多いが、駄作もそれ以上に多い。有名な先生だから、全てが素晴らしい詩であるわけではない。のどかを唄う目的なら許されるが、今はそんな状況ではない。市民の視線でその歌の価値を評価すべきだ。有名だからと作詞者の名前で胡麻化されてはダメである。有名企業の不祥事が多すぎる日本である。

 

芸術に疎い人がクレーム

そんな状況下で、大垣市長が、当初の原案の歌にクレームをつけて、41日に発表すべき歌の披露が、7月に延びた醜態がある(伝聞)。芸術に疎い市長が、プロの作詞者にクレームを付けたこと自体、異常である。大垣市の恥である。だから歌詞に感動を呼ばない。本来は、歌詞を市民公募にして、作曲をプロに任せればよかったのだ。今からでも遅くない。

 

作詞者のコメント

 作詞者のコメントを見ると単なるノスタルジアで、歌詞を作ったようだ。過去ばかり見て、現在と未来に目を背けた歌である。

  「子どもだった私にとって、 旅と言えば東海道線に乗って行く京都でした。そこが母の郷里で、私はよく旅の 終わりに近い大垣で、柿羊羹を母にねだって買ってもらったものでした。そんな縁が あったおかげで、歌詞を考えるにも心のどこかに、暖かい懐かしさのようなものがありました。

  昔と今、東と西、異なる時間と空間を、水の流れのように絶え間なく動き続けなが ら結ぶイメージが浮かんだとき、幼いころから知っていた大垣が、私の心に新しくよみがえりました。 <のびのび> <わくわく>のような子どもの声に ふさわしい言葉も、自然に私の心と身体のうち に浮かんできたのです。」 大垣市のHPより

 

大垣市制100周年記念

おおがきの歌「これまでからこれからへ」

日本の真ん中 おおがきの

大地の下から 湧く水は

昔を今に むすぶ水

清らかに 人を うるおし

これまでから これからへ

これまでから これからへ

いのち いのち

のびのび 大垣!

日本のおへそ おおがきに

終わり始まる この道は

東と西を つなぐ道

生き生きと 人は行き交い

これまでから これからへ

これまでから これからへ

未來 未來 わくわく 大垣!

これまでから これからへ これまでから これからへ

いのち いのち のびのび 大垣!

ラ ラ ラララララ ララララ ラ ラ ラララララ ル ル ル ル

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2018-11-12  久志能幾研究所 小田泰仙

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