「おおがきの歌」は経済的音痴
小川敏市長は、大垣市制100周年記念事業で「おおがきの歌」を作らせたが、内容が私の目から見てお粗末である。「おおがきの歌」を作るより、大垣市民憲章の見直しが急務である。
結論
歌にも、詩にも、憲章にもメッセージがある。この「おおがきの歌」には、こうしたい、こうありたい、という希望の声が聞こえない。これは単なる時間つぶし、税金の無駄遣いの歌謡曲である。
この歌詞を作った人は経済が全く分かっていない。大垣の現状が分かっていない。大垣の現在の教育の状況が分かっていない。今、大垣は次の100年に向かって衰退か繁栄かの帰路に立っている。だから大垣市民を鼓舞して次の100年を全員の力で創りあげる気力を唄う歌であるべきなのだ。昔を懐かしがって極楽とんぼごときに歌っている場合ではない。ピント外れである。作詞者は小川市長とグルになって市民を経済衰退から目を逸らすため、ボケに促す歌を作っている。
新しい「おおがきの歌」の歌詞を要約すると、下記である。
起 大垣はど真ん中
承 大垣は東西を結ぶ道
転 水が人を潤し
結 (昔は繁栄、今衰退。昔が懐かしい)おおがき万歳
こんなレベルの歌でいいのか?
内容分析
「おおがきの歌」で「真ん中、真ん中、おへそ」と喚いているが、どこが、真ん中でいいのか。地理上の真ん中なんか、何の意味もない。教育界の真ん中、文化の世界で真ん中、芸術の真ん中になるような取り組みをしていないから、大垣は衰退の一途である。
この詩の作者は、有名な先生の作だが、私は感動しない。夢がないのだ。理想がないのだ。大垣経済の緊急の話題を逸らして、とぼけた歌となっている。
この歌は大垣の現状の本質を歌っていないのだ。だから、大垣の少年少女に韓国民族衣装を着せ、おおがきの歌 「これまでからこれからへ」を歌わせるような国賊まがいの真似をさせて、悦にいる小川敏氏のようなお粗末な市長が生まれるのだ。
「真ん中」がどうしたというのだ。大垣市民の歴史の努力の跡が何もない。「私の背の高さは、日本人のど真ん中の寸法です」というようなものだ。天から与えられた自然現象を誇ってどうするのか。アホかいなである。ど真ん中でない他市を侮蔑した歌である。
ど真ん中に位置して、大垣の水が大垣の100年を作ったのではない。370年前のお殿様の指導があり、人々の地道な人づくりがあって、今の大垣ができた。それがこの歌には表現されていない。
天才のピカソ作には傑作が多いが、駄作もそれ以上に多い。有名な先生だから、全てが素晴らしい詩であるわけではない。のどかを唄う目的なら許されるが、今はそんな状況ではない。市民の視線でその歌の価値を評価すべきだ。有名だからと作詞者の名前で胡麻化されてはダメである。有名企業の不祥事が多すぎる日本である。
芸術に疎い人がクレーム
そんな状況下で、大垣市長が、当初の原案の歌にクレームをつけて、4月1日に発表すべき歌の披露が、7月に延びた醜態がある(伝聞)。芸術に疎い市長が、プロの作詞者にクレームを付けたこと自体、異常である。大垣市の恥である。だから歌詞に感動を呼ばない。本来は、歌詞を市民公募にして、作曲をプロに任せればよかったのだ。今からでも遅くない。
作詞者のコメント
作詞者のコメントを見ると単なるノスタルジアで、歌詞を作ったようだ。過去ばかり見て、現在と未来に目を背けた歌である。
「子どもだった私にとって、 旅と言えば東海道線に乗って行く京都でした。そこが母の郷里で、私はよく旅の 終わりに近い大垣で、柿羊羹を母にねだって買ってもらったものでした。そんな縁が あったおかげで、歌詞を考えるにも心のどこかに、暖かい懐かしさのようなものがありました。
昔と今、東と西、異なる時間と空間を、水の流れのように絶え間なく動き続けなが ら結ぶイメージが浮かんだとき、幼いころから知っていた大垣が、私の心に新しくよみがえりました。 <のびのび> <わくわく>のような子どもの声に ふさわしい言葉も、自然に私の心と身体のうち に浮かんできたのです。」 大垣市のHPより
大垣市制100周年記念
おおがきの歌「これまでからこれからへ」
日本の真ん中 おおがきの
大地の下から 湧く水は
昔を今に むすぶ水
清らかに 人を うるおし
これまでから これからへ
これまでから これからへ
いのち いのち
のびのび 大垣!
日本のおへそ おおがきに
終わり始まる この道は
東と西を つなぐ道
生き生きと 人は行き交い
これまでから これからへ
これまでから これからへ
未來 未來 わくわく 大垣!
これまでから これからへ これまでから これからへ
いのち いのち のびのび 大垣!
ラ ラ ラララララ ララララ ラ ラ ラララララ ル ル ル ル
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2018-11-12 久志能幾研究所 小田泰仙
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