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2021年1月

2021年1月21日 (木)

新型コロナの奴隷になるな

 

 此の世は、ものに執着した奴隷が跋扈している。金、思想、妻、夫、名誉、地位、利権、薬、嗜好品、に目が眩み、人間が餓鬼の存在になっている。奴隷とは、自分が考えることを放棄した動物である。人生の「主」ではなくなっている。

 

 師の奴隷となるな。師の教えを受け入れ、自分のモノにして全て忘れろ。頭を真っ白にして、それを咀嚼して自分の教えを作れ。そうしないと師を超えることはできない。それを先人は「守破離」と言った。

 

 金の奴隷となり、金を腐るほど集めても、あの世には持っていけない。韓国一の金持ちの李健熙は、72歳で急性心筋梗塞になり、6年間も意識なく植物人間で生きた。その相続税が1兆円を超え、会社の存続にさえ影響を与えるほどである。世界一の金持ちのジョブズも、金では癌を治療できず、56歳の人生を終わった。お金は道具であって、貯めるものではない。お金は幸せを運ぶ「お足」なのだ。足を止めるから、成長が餓鬼のままで止まる。

 稼ぐべきは、金ではなく、金を作る能力を稼ぐことだ。金など価値観や政府が変われば紙くずとなる。しかし金を稼ぐ能力は、時代が変っても通用する。

 

 思想の奴隷となると、人の話しを聞かない偏屈者になってしまう。中国共産党の思想の奴隷となると、ナチスのユダヤ人皆殺しと同じホロコーストをウイグル族、チベット族に犯しても、平然としている畜生に成り下がる。やっと米国が、中国共産党のウイグル民族大虐殺をナチスなみの民族虐殺と認定した。

 そのウイグル族の民族大虐殺のドンを国賓扱いで招聘しようと躍起になっているのが二階幹事長である。そんな男を議員に選出する和歌山の選挙民がいるから、日本は良くならない。

 共産主義の思想の奴隷となると、社会党土井たか子のように、北朝鮮の拉致を知っていても、知らぬ存ぜぬで通してしまう。だから社会党は消滅した。そのDNAを受け継いだのが民主党である。日本人も最近は目覚めて、民主党の支持率は7%前後しかない。いや7%もの国民が奴隷思想に侵されていると言える。

 思想を知るのは良い。しかしそれに拘ってはならない。自分の頭で考えることが必要だ。

 

 妻や夫の奴隷となると、夫婦である意味がなくなる。一方が、相手に考えることを禁止するからだ。奴隷となった夫は幸せである。考えなくてもよいからだ。その世界に浸れば幸せだ。それは奴隷の幸せ。

 

 名誉や地位の奴隷となると、組織の長の座にしがみ付き、保身ばかりで組織が死んでしまう。都市の長の座に執着して長の奴隷となると、死神のようにその都市を食い荒らし没落させる。

 

 利権の奴隷になると、金しか目に入らない盲目になり、法律を守らなくなる。

 薬の奴隷となると、認知症への道をまっしぐら。薬は基本的に毒である。薬は対処療法の道具である。真の原因を探さないと、病気は治らない。

 

 嗜好品の奴隷となると、癌と認知症への地獄道に落ちる。自制心を無くせば、畜生の世界である。嗜好品には、麻薬物質が含まれている。砂糖には麻薬以上の依存性がある(WHО)。甘いものは奴隷を手なずける道具である。

 

 安さの奴隷になると、安いものばかり買いあさり、安さが価値観となり、ものの価値観が見えなくなる。それは価格の奴隷である。人生の価値は価格ではない。

 100円ショップには、外国の奴隷労働で作られた製品が氾濫している。そんな製品を使えば、己が奴隷制度の応援者となってしまう。

 その分の日本の雇用が消滅する。それは自分の子弟が正規社員になれる道を閉ざす。安物買いしか脳のない愚親はそれに気が付かない。正規社員になれないから結婚もできず、子供が生まれず、日本の少子化が止らない。

 スマホの奴隷になると、目の前の親友さえ、無視してしまう。スマホ奴隷は、目の前の友より、スマホが大事なのだ。人を侮辱しているのだ。私は表に出さないが、怒りで心中は穏やかでない。目の前に男は、スマホの画面に鎖に繋がれたのだ。それを「スマホ脳」という。そうやって人は信用を失う。

 

 新型コロナ情報の奴隷となると、真実が見えなくなる。マスコミやワイドショーの過剰な報道に踊らされると、自分で考えることを放棄して痴呆になり、真実が見えなくなる。新型コロナの死亡率は1.2%である。それより怖しい病気が蔓延しているのに、その事実には気が回らない。

 しかし夫は妻からも外出禁止令で身動き出来なくなると、それは認知症への道にまっしぐら。その陰で大衆を新型コロナの恐怖で民衆を奴隷にして、大儲けしている輩が嗤っている。世の中は情報で支配した方が勝ちなのだ。

 

2021-01-21 久志能幾研究所通信 1896  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月20日 (水)

自分を見る目を持て

 

 馬場恵峰師は、原田観峰師より「自分を外に放り投げて、自分を外から眺められる人間になれ」と指導された。自分を客観的に見つめることの難しさは、己に欲がある限り困難を極める。

 

 高野山開山1200年の年に納佛された四天王は、その中門を通ると、上から自分を睨みつける四天王の目つきに圧倒される。そんな目で、自分の行動を見つめるのも、道を誤らない方法であろう。欲に任せて生きていけば、縁ある花も開かない。「花を開かせたなら実を結ぶ人間になれ」と恵峰先生は耳にたこができるほど毎回、力説される。

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  高野山中門 増長天  松本明慶大仏師作  2015年4月15日撮影

 

 お墓を作る過程で、自分とご先祖と回りの親戚の葛藤や軋轢に接することが多くあった。なぜ、あの親戚達は愚かな行動を取るのかが不思議であった。家系図を頭の隅に置き、自分を離れて客観的にその状況を観察すると、彼らの生い立ち、生まれ育った環境、現在に状況が見えてきた。そして如何に自分がよき親、よき師、恵まれた環境で生きてきたかが分かるにつれ、両親ご先祖に手を合わさずにはおれない。還暦を過ぎ、お墓を作って新たに得た感慨である。

 

89歳の教え

 その先生の言葉で最近多いのが「私も89歳で、何時までも皆さんにお話が出来るわけではない。だからこそキツイ言葉も吐くが許して頂きたい」である。当日の午前中に国立病院で定期診察に行かれて、異常はないとの診断を受けての言葉である。89歳の御歳で血圧も正常との驚異的な健康体である。それでも80歳の時に初めてお会いしたときの若さに比べれば、見た目でも老いられた。

 「何時までもあると思うな、親と金」は、全ての森羅万象に通じる。万年の寿命と思われたお墓にも100年ほどの命しかないことを、今回のお墓つくりで思い知った。ましてや生身の人間の命ははかない。だからこそ今の命を大事にして生きるべきだとの思いを強くした。少しでも恵峰先生から多く学んでおきたいと思う。

 

2015年忘年会

 2015年12月14日、恵峰先生宅を墓開眼法要のお礼挨拶と先生の書の写真撮影、書道教室参加のため訪問した。その夜が月書会の忘年会があり、書道教室はお休みとのことで、急遽、忘年会に参加をした。その忘年会での恵峰先生の挨拶で、上記の原田観峰師の話を聞かされ上記に思い至った。

 次図の歌の意味は、「月松会に集う皆さんは鶴と亀なんだ。心技を修めて、体の栄養だけではなく、頭の栄養を永久の壽の糧として欲しい」である。

 この歌を当日の朝、忘年会に参加するお弟子さんのため15枚の色紙に自作の和歌を揮毫された。15枚の色紙は全て書き方が異なって書かれた。

 

5年後

 5年前、「何時までも皆さんにお話が出来るわけではない。」と言われた馬場恵峰師は今年の1月1日にご逝去された。死の直前、不吉な予感を覚えて、九州に飛び、直前に数回お会いできたのがせめての救いである。三根子先生もその前年の3月に突然に亡くなられた。ご冥福をお祈り申し上げます。

 何時かは己も死ぬのだ。それが師の最期の教えである。師は最後まで後進に残す作品作りに没頭し、弟子の教育に邁進し、自身の人格向上に精進された。中国に自費で250回以上も行かれ、民間の日中友好に尽力された。縁あって花開き、実を結ぶことを後ろ姿で後進に教えられた。

 己でも後40年は生きられないのだ。せめて「花を開かせ実を結べる人間」になれる」ように、それに一歩でも近づくように精進をしたい。それが先生への供養である。

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 忘年会で色紙の説明をされる恵峰先生   2015年12月14日

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  恵峰先生宅で見つけた色紙       2015年12月14日

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 やまざとに  集う月松鶴亀は  心技おさめて     永壽の糧たり

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  忘年会で色紙の説明をされる恵峰先生     隣は三根子先生

 2015年12月14日

2021-01-20 久志能幾研究所通信 1895  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月19日 (火)

恵峰師の豪快運転を「平常心是道」に

 

 2013年2月14日、馬場先生宅に知己塾出席のため訪問した。夕食で、先生の運転で市内へ食事に誘われた。その時の運転が、先生の人格らしからざるレベルであった。要するに、仏の馬場先生がハンドルを握ると人が変わった。車は人を虜にする魔物である。そこに車の素晴らしさと恐ろしさがある。

 見るにみかねて、後日、恵峰師に運転の改善をお願いする手紙を、本資料『極楽運転道 交通安全の科学』を添付しておそるおそる差し上げた。なにせ私の師である。事故があれば日本の宝の損失である。手紙で諫言を書くのに、一大決心が必要であった。

 その後、三根子奥様から絵葉書の礼状が届き、

 「心暖まる運転のご忠告ありがたくお受け致します。私も実はハラハラドキドキで乗せていただく時もあり、言うとオコルので、言えません。でも小田先生からお便りをいただき助かりました。心から感謝です」

との文面である。馬場先生は神業の筆力を持ってみえるが、やはり人間であった。安心した。

 

「平常心」を揮毫

 その1ヵ月後の3月27日、岐阜駅じゅうろくプラザで恵峰先生の講演会があり、「平常心」の掛け軸を書かれた。翌日、馬場先生は「奥の細道むすびの地記念館」の見学のため大垣を訪問され、ご案内をさせて頂いた。

 その昼食会場で、下記の掛け軸を贈って頂いた。さすが人生の達人の先生は、お礼の表現もさりげなく、超一流の芸を駆使される。

 

平心常

 車の運転では平常心が必要です。自分という乗り物でも、人生を平常心で歩き、歩いた後を「道」にする。平気で死ねる、平気で生きられることが人生修行である。それを先生の知己塾で教えていただいた。

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 先生の手にかかると数分間でうん万円の書が完成する。その背景には50年間の修行がある。でも我々凡人は50年かかっても到達できない境地。

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2021-01-19 久志能幾研究所通信 1894  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月18日 (月)

人生の「テストドライバー」を目指す

 

 レーシングドライバー(レーサー)とは、決められたコースを最速で走り競争相手に勝つことが求められる。レースでは、他車と駆け引きしながら、走り勝つことが求められる。要は勝負の世界のドライバーである。

 それに対してテストドライバー(試験車評価者)は、試験する車の特性を正確に把握して、正しく評価することが求められる。テストドライバーは他車と競争して、速く走ることではない。その車の特性を知りつくし、最高の性能を引き出すことが仕事である。

 

テストドライバー

 テストドライバーは、持てる五感を全て使い、前の試作部品と今回の改善部品の差を確認できることが求められる。それを数値として評価する。それが測定データで証明されるとシメシメである。

 テストドライバーはシフトダウンをしても、クラッチの合わせで車の速度を変えない技量が求められる。路面の状況を正確に把握して、スピンしてもそれを制御する技量が求められる。

 上級のテストドライバーの訓練では、一日の訓練をすると、タイヤがつるつるになる。一日の消耗タイヤ費だけで20万円である。

 試験した開発部品に納得ができず、試乗しておかしいと思えば、その車が完成間際で設備が完成していても、ライン立ち上げに「ノー」という権限がある。

 

人生道レース

 人生道を走るために、自分自身(心と体)を正しく評価して、正しく安全に素早く、美しく走れるように心身を鍛えねばならぬ。そのために正しく評価して指導してくれる「師」を持たねばならぬ。それをしないから、人生道で脱落、転落、自殺をするのだ。だからこそ、「3年かけて師を探せ」である。

 人生道レースの基本は自分の健康である。健康でなければ、人生道レースで勝てない。その競争相手は、自分である。走行中の大事な時に、病気になって病院にピットインでは、人生の勝利など夢の夢だ。体のかすかな不調の気配にも気づき、早めの手を打つべきだ。自分は人生道を走行する「体」のテストドライバーなのだ。

 人生道に待ち受ける危険を事前に想定して、行動することが危機管理である。事故は仏様が己を試しているのだ。その事故に己はどう対処、予測していたのかが、問われている。人生道は、雪道よりも恐ろしい。一つ間違えれば、スピンして奈落の地獄にまっしぐらである。

 

出世競争

 人生道を走るのは、人より早く出世することが目的ではない。それは単なる会社での出世競争である。下劣な精神でも、汚れた会社内なら、悪知恵があれば他人を蹴落として社長にも出世できる。まるでゴーンのように。それで幸せなのか。

 

トヨタの社長のこだわり

 だから豊田章男社長は、自社製品を良く知るため、感性を上げるため、こだわりでレース用のライセンスを取得している。普通の会社の社長、役員は、自分で車の運転をすることがご法度であるが、車メーカは少し事情が違う。トヨタでは、社長や役員は自分で自社の車を運転して、「商品」を自分の眼で確認するのが伝統だ。ただ秘書室の担当は気が気きではない。できれば社長には危険な運転はして欲しくないのが本音である。

 

石田退三氏の墓参り

 約40年前に、豊田英二氏(当時社長か会長)が、社長車センチュリーの後部座席に乗るのではなく、自分でカリーナEDを運転して、豊田市から彦根市まで豊田佐吉翁の長女、愛子さんのお墓参りと石田退三氏の墓参りに行っている。

 トヨタの大番頭といわれた石田退三氏のお墓は、トヨタの家風を表すように華美ではなく、堅実である。石田退三氏のお墓は、氏が生前に経営の正道を歩んだ姿を表している。石田退三氏の戒名「豊光院釈精進」は、「豊田を光らせた精進者」と言う意味の素晴らしい名前である。

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石田家墓所  岡崎産の御影石  石田退三氏の戒名「豊光院釈精進」

2015年7月7日撮影

 

2021-01-18 久志能幾研究所通信 1893  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月17日 (日)

極楽運転道 雪上走行運転

寒冷地評価試験

 担当した部署で開発する部品は四駆用の部品である。その部品の評価試験は、実車試験を北海道網走にて、農地を一時的に借りてテストコースを設営して、雪道走行試験をすることになる。

 ここで実際の雪道を想定した極限試験を体験する。私はあくまで課長として、体験しただけであるが、人生で貴重な体験をする。実際の試験は課員が実施した。私が体験として試験車で雪のテストコースを運転した。その運転中、雪上で急ブレーキを踏むと、車は急にスピンをして全く制御が出来なくなる。滑りだすと2輪駆動でも4輪駆動でも関係ない。過剰な駆動力が駆動輪にかかり、車は横滑りをしてあらぬ方向に滑っていく。最後にテストコースの周囲に積んだ雪山に突っ込んで止まる。車が雪の中に埋まり、フロントガラスが雪で真っ白な状態となり、一瞬車内が暗くなる。身動きできないので、待機していたレッカー車に、雪山から引っ張って出してもらう。

 

人知を超えた世界

 人生で、人智の及ばない力で流される状態を思い起こした。そういう場合は、無理してかけた力が無くなるのを待つしかない。そうなったのも自分が撒いた種である。なまじっか力んでも、無力である。沈むときは底まで沈めば、それ以下にはならない。人徳があれば、回りが助けてくれる。そんなことに思いをはせた寒冷地評価試験であった。これは希望をしても体験できない貴重な職務であった。

 

 「死ぬるときは死ぬるが良き候」(良寛)

 不運なときは、もがいても無駄である。

 沈むときは底まで沈め。後は浮かび上がるだけ。

Photo    雪上試験(イメージ)

http://cdm.mking.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/007... 2013/04/01

HP「みんカラ」より引用

 

4WD(四輪駆動システム)

 四輪駆動(四駆)とは、人生を走るうえでの象徴のようなシステムである。人生の道とは、いつも泥濘の道で舗装されてはいない。そこを走るのに普通の後ろだけの2輪駆動では、タイヤがぬかるみで滑るため空回りして前進できない。4つのタイヤに駆動力を配分して、初めて前進できる。

人生でも仕事でも、力を込めて走っても空回りする時もある。その時は、力を抜いて考えることも必要だ。その時を過ごすには、もう一つの能力を身につけ、持てる全ての力を2本の足に配分して、人生街道を慎重に歩むと、人生の道が開ける。そうすれば事故(不運)も減り、有意義な人生が送れる。

第二の人生道は、舗装もしていない泥濘の道なき道である。自分が走った後が道になる。定年後、テレビばかりをみて、出歩かず、人と会わなければ、人生はそこで終わってしまう。一本足の案山子では、何処へも行けない。

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    四輪駆動システム 

     「トヨタのHPより  http://toyota.jp/hiace/005

4k8a93791s  馬場恵峰書

2021-01-17 久志能幾研究所通信 1892  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月16日 (土)

極楽運転道 私の運転の作法

 

運転の基本方針

・何のために車に乗るか、明確にして乗る

  どこへ行くのか。それを明確にしないから、途中で寄り道をするし、無駄なドライブをする。それが人生時間を無駄にする根本原因だ。

 車は、自分が思ったところ(志)へ自分を運んでくれる夢の道具である。最初に志あり。その志が大事なのだ。それを道具に振り回されるから、不幸になる。

 

・なるべく車を使わない

 事故は、[事故確率]×[走行距離]の確率で起きる。

 

 各要素の数値を減らせば、事故の確率は減る。

 車とは目的地に行く手段である。

 それが、走ることが目的になっていませんか?

 それが車を凶器に変える。その凶器が己の人格を変える。

 何のために走るか、考えよう。

 その走る目的を全うしよう。

 無事是名馬。無事これ人生の達人。

 

・曲がらない。ひたすら大通りを走り、裏道は走らない

 曲がるからタイヤに余分な摩擦が生じて、タイヤが磨耗する。ガソリンを無駄にする。曲がるという余計な変化があるから、事故を起こす。近道をしようと曲がりくねって必死に走っても、到達時間に大きな差はない。裏道街道は事故が多い。

 人生道はひたすら真っ直ぐに、目的地に表街道を走るのが基本。

 そんなに焦って何故走る? 人生道の終着点は「死」。

 

・ブレーキを踏まない

 急ブレーキを踏むのは予想運転をしていないため。要は上の空で運転していたのだ。試験車運転試験中に急ブレーキを踏めば、一発で失格である。

 止まるときも、予想運転をしてエンジンブレーキをかければ、省エネにもなり、ブレーキパッドも減らない。車に優しいのだ。

 相手にブレーキを踏ませない気配りの運転をする。無理な運転をするから、相手がブレーキを踏むという迷惑をかける。人生道は譲り合って、走ろう。車の運転ぶりを見れば、その人の人生が分かる。

 その成果で、私の車のブレーキパッドとタイヤの寿命は普通の人の2倍です。その基本は予想運転で、それが危機管理である。

 

・運転中は車と回りの状況に全神経を使う

  人生でも自分の体と周りの状況に気を使わないと、人生で沈没する。

 

2021-01-16 久志能幾研究所通信 1891  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月15日 (金)

極楽運転への遠い道

過去の否定が極楽への道  自動車部品の開発へ

 

 極楽への到達には、長い寄り道が必要であった。極楽には地獄を通らないと到達しない。私の極楽運転への道は、1991年のバブル崩壊から始まった。バブルが崩壊した後、私の所属する機械事業部が急速に失速して売り上げが壊滅的に激減した。今の新型コロナ禍での大不況と同じであった。

 私はその年、課長になれる予定であったが、その事業部の縮小で課長になるポストないとのことで、自動車部品事業部に異動して課長となった。そこで四駆用の部品の開発を担当することになった。バブルの崩壊とともに、私の約20年間に及ぶ一つの時代が、日本経済の地獄の始まりで終焉した。それが私の極楽への道の第一歩であった。

 

過去の時代の否定

 新しい部署の設計方針では、高価な研削加工をできるだけ使わない方針であった。原価低減活動にて、研削加工の廃止が真っ先に槍玉に上がるのを見て、ショックを受けた。当社はその面ではトップシェアで、国外でも名が知られている。そのお膝元の自動車部品開発部では、その加工がコスト面で毛嫌いされている。そんな情報は同じ会社の機械開発部の部員には伝えられていない。ひたすら従来の延長線上の開発が推進されていた。これは経営の問題である。技術者の問題ではない。

 

会社内の文化の違いに戸惑う

 またここで今までの「しきたり」を否定されて出鼻を挫かれることになる。部下の仕事で何か指摘をすると「自動車部品事業部ではそんな仕事のやり方はしていません」と。

 図面の描き方の規格でも、会社独自の規格はなく、客先の図面規格に従っていた。機械事業部では、独自の製図規格を制定して運営している。まるで会社が違うような有様で、つくづくと社内に2つの文化があることを認識した。機械事業部にいると、絶対に思いつかない発想である。いかに蛸壺に篭って、仕事をしてきたかを思い知らされた。これはどちらの事業部にも言える事で、会社改革の支障になっていた。

 

テストドライバー資格

 この部署では、開発した部品を評価するための運転技量が問われる。そのため設計者は全員、試験車運転資格(テストドライバー)を取らされる。この事業部への「新入社員?」である私は、実地訓練を受け、この資格を取得した。その資格で問われる内容は、人生の安全運転と同じである。

 当時、上級資格を持った部下の指導下で訓練をした。実技訓練で部下が助手席に座り、運転訓練を受け、部下の教官から「課長は学習能力がないですね」と嫌味を言われながらの運転訓練である。たとえ部下でも、車上では教官である。何を言われても反論できない。その資格取得後は、安全を最優先に心がけていたので、小さい事故はあったが、大きな事故には遭わずに無事過ごす事が出来たと感謝している。

 

資格を取得

 取得資格は初級の資格であったが、それでも助手席に指導教官が座って、親会社の富士山麓のテストコースで、当時、担当部署で開発中の部品を搭載した試験車の運転が出来た。トヨタ本社のテストコースで、指導教官の横で時速200キロの走行体験もした。今にして思えば良い経験であった。中級の資格取得に挑戦したが、時間切れとなった。

02_04  イメージ図(日本自動車研究所のテストコースの写真を借用)

 

人生道の疾走

 人生の街道を自分の体という乗り物で疾走するには、安全が最優先である。それは自動車の運転で問われる課題と同じである。その中でも、普通の運転者より高い技量が求められる試験車運転資格(テストドライバー資格)での最優先事項は安全である。試験車運転資格試験で問われるのは、3Sの能力である。3Sとは、安全 (Safety)に、素早く(speedy)、滑らかに(smooth)である。これを言い換えると、次の表現になる。

 

 自分の子供が急病になって、車で病院に連れて行かなければならない。焦って安全運転を怠れば、事故で病院にたどり着けず、子供が死んでしまう。低速で走れば、時間がかかり子供が死んでしまう。スピードを出して乱暴に運転すれば、振動や衝撃で容態が悪化して、子供は死ぬ。安全に、素早く、滑らかに運転して、我が子を病院に送り届ける。これがテストドライバーに求められる能力で、これがないと部品の評価はできない。

 

 これは全ての仕事のやり方を象徴している。子供を仕事の置きなおすと、仕事の心得そのものである。この資格の実技試験で、急ブレーキを踏むと一発で不合格である。なぜなら危険の予想が出来ていないとの判定である。事前に危険を予測できるのに、それを怠った結果が急ブレーキである。要するに安全確認の心構えができていない。

 

 その他の技術として、3秒前に方向指示をしてから車線変更をする。要するに、自分や組織は何処の方向に向うのか、周りにも部下にも、適正な時期に示せ、である。

 サイドブレーキを引く時は、カチャカチャという音を立てず、ノブを押しながら引け。つまり、車をいたわり優しくして操作をせよ、である。仕事や周りへの心配りである。

 曲がる時は、右よし左よし後方よし、と呼称する。安全の自己徹底である。仕事でもチェックリストを使うのと同じである。今でも私は呼称運転をしている。

 

2021-01-15   久志能幾研究所通信 1890  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月14日 (木)

嘘を検証 新型コロナ対策、利権暗躍、事実隠蔽(改)

 

 新型コロナ騒動で、非常事態宣言発令の連呼で日本は大騒ぎである。

 データから見える現実を冷静に分析して下記に語す。

   一部、記事を修正(2021年2月1日)

 

事実の検証 Go to

 Go to トラベルを東京に拡大してから、感染が爆発的に全国に広がった。

 過去の歴史が教訓は、人々の移動の増加が感染拡大の原因になっている。

 Go to トラベルは一部の業界だけが一時的に潤った。

  二階幹事長は全国旅行業協会の会長である。

  Go to トラベルは利権の象徴である。

  政府は税金を使って、感染を拡大させた。

 Go to イートでも、不要な会食が増え、感染が全国に広がった。

  政府のGo toキャンペーンで、国民の中には感染拡大を深刻に受け止めなくなった人々が増えていった。

 満員電車通勤では、感染は広がらなかった。

  それは全員がマスクをして会話を控えたからだ。

 感染が広がったのは、どんちゃん騒ぎの酒宴からである。

 密室のカラオケから感染が広がった。

 隣国でも、宗教教団内の3密で、大声の経文の怒鳴り合いで、感染爆発が起きた。

 声なき大衆は、3密を避けて、正しく生活している。

 政治家どもが宴会を頻繁に開いている。

 政府の政策がコロコロ変わり、ホテル業界、飲食業界は繁盛と極閑の差に泣いている。トヨタ生産方式では生産の平準化こそ、利益がでる。政府は支離滅裂な政策で、業界の利益を無くす施策を施している。業界の利権が絡んだ政策をするからだ。これは人災である。

 

事実の検証 経済

 2020年1月~10月の倒産件数 730件 過去最高

                   昨年比で40%増

 2020年10月の自殺者数 2,153人(年間換算27,036人)

  令和元年の自殺者数は20,169人である。それを3割も上回る。

  自殺者が、新型コロナでの死亡者数より、多くなるようだ。

 移動制限、緊急事態宣言で患者、老人の鬱病、認知症の増加

 経済崩壊で生活困窮者が増加して日本が死ぬ寸前である。

 

事実の検証 危険度

 風邪でもインフルエンザでも高齢者は、新型コロナと同じく危険。

 「新型コロナだから高齢者危険」とは、煽動報道である。

 どんな疫病でも疾患を持った人が危険なのだ。それは機械力学で、「応力は弱いところに集中する」という自然の理である。亡くなられた方の多くは、生活習慣、食生活が狂っていたのだ。

 

事実の検証 病院の事情

 新型コロナは、指定感染症1,2種相当で、致死率50~90%のエボラ熱と同じ扱いとなり、この指定の為、エボラ熱並みの対応を強いられていて、医療現場が混乱している。新型コロナの致死率は1~2%で、普通のインフルエンザ並みなのだ。指定感染症1,2種相当にする科学的根拠がない。

 しかし、指定感染症1,2種相当の解除は、何かあった場合、役人は責任を取りたくないから、指定解除をやらない。病院はICUが空いていても、新型コロナ患者がいると他の患者がその病院を避けて患者が減り、病院の収益が減るので、病院は新型コロナ患者の受け入れ拒否をするのだ。それで医療現場が大混乱している。混乱は、政府の間違った対応が原因である。

(この項、『週刊新潮2021.12.10号』「演出される医療崩壊」のデータを参照)

 

世界と日本の比較から見た事実

 世界一の病床を持っているのは、日本である。

  1000人当たりの病床数

   日本   13.05

        ドイツ  8.00

        フランス  5.98

   イギリス  2.54

   アメリカ  2.53

 

 新型コロナの日本の感染者数も死亡者数も、世界の1/50~1/100

 毎年、日本でインフルエンザのため3000人が死ぬ

 新型コロナでの昨年の日本の死亡者は3600人

 新型コロナの全世界の死亡者 50万人

 直接・間接の喫煙による死者は年間で800万人

 (日本のタバコでの年間死亡者は1万5千人。新型コロナ死者の5倍)

 アルコールの過剰摂取のため世界で年間300万人以上が死亡

 

コロナより多い死亡原因

 日本では癌で373,584人(2018年)が死ぬ。

  その大半の原因がタバコ、酒、CMで放映する食品が原因である。

  マスコミはそれには、言及しない。国会議員の多くが喫煙者である。

 毎年、日本では誤嚥性肺炎で4万人が死ぬ。

  それなのに、大垣市長の小川敏と市商連理事長の小倉利之が大垣の行事の餅つき大会で、老人を餅の誤嚥で死なせた。それでも知らんふりである。

 毎年、お風呂で2万人が死ぬ。

 

マスコミが金儲けのため暗躍

 マスコミは医療崩壊だと大騒ぎだが、これで日本の医療が崩壊などするはずがない。30万人が死んでいるアメリカで、病床数が日本の5分の1でも医療崩壊は起きていない。

 それを言うなら、患者数が何人で、病床がいくつで、どれだけ足りないかを報道せよ。集中治療室(ICU)がどれだけ足りないか、どれだけ増床したのか、それを報道せよ。その情報がなく、大変だ大変だとオオカミ少年のように報道しているだけだ。

 

政治家の売名

 ワイドショーなどマスコミが騒ぎ過ぎ。要はマスコミが過剰報道をして恐怖を煽り、視聴率を稼ぎ、金儲けをしたいのだ。その陰でマスク不足で大儲けした悪党がいる。痴呆的な芸人の扇情的な言葉に騙されてはならない。

 政治家も大変だ大変だと、いかにもやっているように宣伝しているだけだ。自分の保身と売名と次の選挙目当てである。

 なぜマスコミは現状の危機と別の病気での死亡を報道しないのか。マスコミがそんなに恐怖を煽るなら、新型コロナより怖しいタバコと酒の害を大々的に報道せよ。酒タバコを禁止するキャンペーンを打て。

 

大スポンサーの存在

 タバコもアルコールも大スポンサーが存在する。だからマスコミもその広告での収入が大きいから批判ができない。マスコミはタバコ産業と酒産業の寄生虫である。

 マスコミは癌の原因となる食品会社の寄生虫なのだ。絶対にその批判はしない。

 新型コロナの大スポンサーが中国共産党である。稀有の存在のマイナスのスポンサーである。そのため世界は分断された。これでアメリカの力を弱めることが出来た。中国万歳である。共産党の超強権で、中国国内の感染拡大は抑えられ、自分の所だけ経済が持ち直しているとか。なんでも日本の中国向け企業の株価が上がっているとか。日本政府には、媚中派議員が多いので、本件を批判一つしない。日本政府は、中国に忖度である。

 

日本政府の中国への忖度

 政府発表のGo to トラベル等の制限も2月7日までである。それは、その直後に中国の春節の連休がある。その中国からの観光客を狙っての処置と推定される。全国観光業協会の会長である二階幹事長の裏工作と推定される。菅総理は、二階幹事長の操り人形のようだ。二階幹事長は裏金が入れば、また中国に忖度できれば、日本国民の命は知ったことではないのだろう。

 

クラスター発生の原因

 おひとり様や少人数での食事では、飛沫感染など関係ない。クラスター感染が起きているのは、大人数でのどんちゃん騒ぎの酒宴である。それを規制すれば、飲食店の時間制限など必要ではない。時間制限すれば、そこの客が集中して、逆効果である。

 それよりもっと密接接触の風俗業をなぜ規制しない。

 先日(2021年1月7日)、東海道線の下り電車中で真昼間から4席のボックス席で、対面でマスクもせず大声で喋りまくっていた2人の男がいた。二人は岐阜駅で降りて行った。話を遠くから聞いていると、どうも風俗関係の経営者のようで酒が入っていたようだ。こんな業界の男がのさばれば、コロナ菌も発散するだろう。

 

海外からの渡航者規制を

 政府は掛け声だけで、実質的な対策を打っていない。

 海外からの観光客を全面停止とすべきだ。中韓からのビジネスマンの多くは、観光である。現在の規制はザル法である。

 

知事は戒厳令(?)がお好き

 全国の知事は、売名行為で戒厳令(?)(緊急事態宣言)ばかりを唱えている。「緊急事態宣言」の連呼ばかりで、実効性のなく弊害が大きい政策ばかりだ。Go to トラベルだ、やれGo to イートだと利権がらみの政策ばかりである。その弊害は大きく、そのツケは国民が背負う。

 

増税で付けを払う

 Go toでの費用は、最後は税金で拭うのだ。それを払うのは、国民である。罪務省が増税を虎視眈々と狙っている。政府には増税の立派な名目が出来たのだ。この世でタダのものはない。先の東日本大震災でも、減税すべきを、あらんことか復興を名目に増税した前科がある。増税ではなく、長期債券を発行すればすむ話なのだ。財務省は国民の敵である。

 何故、知事たちは生活が困窮している大衆に減税の政策を訴えないのか。実施されているのは、一部の業界にだけ潤う政策ばかりである。知事たちはそれには口をつぐむ。やるのはザルの政策ばかりである。

 現実を正しく分析し、正しい手を打つ政治家が日本にはいないのか。罪務省では、コロナ菌対策の増税さえ話がでているという。やるべきは減税で増税は売国奴の発想である。日本は亡国の政治屋ばかりである。次の選挙で、そういう政治屋は落とすべきだ。

 

普賢菩薩

 今、国民に必要なことは、賢く振舞うことだ。政府は当にならない。自分の身は自分で守るのだ。知識がいくらあっても、それをも元に、あまねく賢く振舞わないと、現世では酷い目に会う。政府も、マスコミも賢くないのだ。烏合の衆である。

 私は、毎日、普賢菩薩様に手を合わせている。賢く物事に対処したいと、誓っている。普賢菩薩様は合掌して私に向き合っている。合掌して祈るとは、心を無にして、謙虚に反省して今後の自分の行動を誓うことだ。それがサムライの心得である。普賢菩薩は釈迦如来を守る脇侍である。

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松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

 

2021-01-14  久志能幾研究所通信 1889  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年1月13日 (水)

幸福の鍵は、家への愛情と土地の神様への敬意

 

 私は家の柱に釘一本打ったことがない。今までの借家住まいでも同じである。柱に釘を打てば、家が可哀そうだからだ。体に釘を打てば痛いように、柱の木も痛みも感じるだろう。同じように、家も傷みを感じるはずだ。家には魂が籠っている。プロの大工さんが家に手を入れるのは別である。

 今の家は、万力で固定したり、戸の間に挟み込んで固定したり、突っ張り棒を使いと、釘を一切使わず、色んな物を固定している。必要な壁には、大工さんにピクチャーレールを付けてもらい、それに書画や絵などをぶら下げている。

 

新ハウスの他家への愛情

 昨年買った第二の家は、その家を建てた人に家への愛情がなく、私はその後始末に苦労している。

 その家は洪水に対して土台を上げているのは良いが、1mとは上げ過ぎである。相手先から見ると、目の前に土の壁がそびえている。相手は不愉快であろう。相手の家は、上からのぞかれようで、窓も開けられない。

 また裏庭に大きな木の残骸が残っており、前に持ち主に考えが垣間見える。木をぞんざいに扱ったようだ。その木の根が延びて、家の土台の壁を壊している。

 土地の神様の怒りでも買ったのか、持ち主は、その家を売らざるを得ない状況になって、その家が昨年の初めに私の手に渡った。

 今まで、裏庭の土地が草だらけになっていた。友人のアドバイスで、それの上土を除去して、砂利を敷いてすっきりとさせた。砂利は清めの意味があるという。

 天然の河砂利は、長い年月の間、表面が何度も磨滅させられて、丸くなっている。だから神社の境内は砂利がひいてある。それがお清めなのだ。破砕石ではダメである。また砂利は歩くと音がするので、防犯上もメリットがある。

 人は多くの試練を受けて、角が取れ人格が丸くなるのと同じだと感じた。エリートしてチヤホヤされ、苦労を知らない役人は、ロクでもないのが多い。そういう市長が居座ると、都市が衰退する。大垣市のように。

 

自家の場合

 自家の隣の土地は、10cmほどかさ上げして整地してある。そのため雨が降ると、水が自家の方に流れ込み、床下が何時までも湿気を帯びている。だから自家の床は全て白アリに食われて大被害を受けた。

 今は白アリ対策をして、床下換気扇をつけたが、効果が薄い。それで床下に吸湿のため炭を敷いた。

 隣の土地に建っていたアパートは2005年、火事になって、取り壊された。私は氏神様の天罰だと思う。自家は土地の神様が守ってくれたようで、延焼を免れた。

 その家主はその跡地を駐車場にしたが、その家主の非常識さが、アパートの火事で露見したので、火事後の駐車場を借りる人が敬遠して、6台分の駐車場で、1台分しか借り手がない。

 そこに建っている借家の住人も、長く自治会にも入らず居座っていた。つい最近になって、やっと自治会に入った有様である。その家は、家庭内暴力があり、通報でパトカーまで飛んできた経緯がある。土地の所有者の性格が、土地に住む人に現れる。天の差配は冷酷である。

 土地にも魂が宿っている。土地は新たに生まれるわけではない。土地は万世の世から生きている。だから土地には魂が籠っている。敬意をもって接したい。

 私は、毎月の1日には土地の神様に手を合わせ、玄関先を酒で清め、塩を盛っている。私は見えないものに対する敬意が、神仏のご加護につながると信じている。

 

2021-01-13  久志能幾研究所通信 1888  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年1月12日 (火)

化石時代の「米敏腕トップが語った経営術」

時代に取り残された拝金主義者の末路

 

 ルイス・ガースナ― 米IBM 前会長兼CEО 米IBMを立て直した敏腕トップが語る経営術とは。

(「敏腕」とは日経ビジネスが定義しただけで、辣腕であるわけではない)

 

下記は、ルイス・ガースナ―が唱えた「社長がなすべき10の仕事」

1 BRICsなど新興国市場の開拓を10年計画で進める

2 金融不況に対応してコスト削減、事業構造を見直す

3 ネットワーク技術を生かして経営を効率化する

4 従業員との対話を増やし、会社の現状や指針を伝える

5 競争力のない事業から撤退し、強い事業に集中する

6 組織のあり方、報酬制度、社内文化に気を配りる

7 後任選びを最大の仕事と捉えて綿密に進める

8 取締役会で綿密な戦略議論をする

9 技術の発明ではなく、製品を意識し、イノベーションを生む組織に

10 常に仕事の優先順位を明確にする社風を作る

 日経ビジネス 2010.1.11号より

 

以上を読んで私が感じた疑問点を下記に列挙した。

 なぜ新興国市場の開拓が第一なのか。それは戦術だ。

 なぜコスト削減が第二なのか。それも戦術だ。

 安ければよいとは、商品に付加価値がなく、価格でしか勝負できないのだ。負け犬の遠吠えである。

 なぜネットワーク技術を生かすことが第三なのか。それも戦術だ。ネットワーク技術を生かすのではなく、イノベーションするのが最優先ではないのか。それが戦略だ。

 IBMはPCの草分け時代に大規模コンピューターからPCへの転換を見誤った。IBMは、ネットワーク時代への大転換に乗り遅れた。失敗をまた繰り返している。巨像のIBMには戦略がないのだ。学習能力がないのだ。

この戦略に、

 「顧客の為に」は、何処にあるか

 「社会の為に」は、何処にあるか

 「従業員の幸せの為に」は、何処にあるか

 「何のために働くのか」は、何処にあるのか

 「会社の存在意義をどう伝えるか」は何処にあるのか

 

IBMの10年後の末路

 この「社長がなすべき10の仕事」は拝金主義者の部長クラスが唱える仕事術である。こんなレベルの経営者がIBMをかじ取りしたから、この10年間でGAFAに負けた。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのIBMは、今はGAFAに押されて影が薄い。昔のコンピューター創世記の巨像は、時代の進化に置いていかれた。この世界は強いものが成長するのではなく、変化に対応できたものが成長するのだ(ダーウィン)。IBMはこの30年間の激変に対応できなかった。

 

 自分はこの時代の変化についていくために、自分は変われたのか。学んでいるのか。その変化に対して何か行動を起こしたのか。他山の石として、自分に振り返って、反省したい。人皆師である。

それに不満があるなら、何か行動を起こせ。何もしないのが最大の罪である。

 この世界は強いものが生き延びるのではなく、変化に対応できたものが生き延びる。(ダーウィン)

 

組織トップの器量

 米国企業のトップが拝金主義者として跋扈するから、米国社会は格差社会になった。欧米の経営者は、拝金主義、全部取り、格差大歓迎でグローバル経済主義を邁進した。そこには社会との共存、人類の幸せ、利他の精神は見られない。

 しかし、もっとも時代に取り残されたのは、日本社会と大垣市である。時代の変化に対応できない拝金主義の国会議員や古い政治家・小川敏に支配された末路である。古い政治屋はお払い箱にすべきである。何時までもそんな政治屋がのさばるから、日本と岐阜県と大垣市は衰退した。

 

トップの器量が組織の成長の限度

 組織はそのトップの器量以上には成長しない。小川敏が大垣市長になって大垣を支配した20年間で、大垣の公示地価は半分以下になり、経済は年率マイナス1%で下落を続けた。大垣駅前商店街の60%の店が小川敏の悪政が原因で店を閉めた。今は20%の店しか残っていない。大垣駅前商店街は幽霊のシャッター通りとなった。しかし大垣新市庁舎だけは立派になった。小川敏が建てた砂上の楼閣である。

 小川敏が利己主義として悪用した予算で、大垣市の職員の給与は県下一の高さになった。大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低になった。大垣市の教職員の給与は岐阜市のそれより200万円も低くなった。

 小川敏が唱える「大垣が子育て日本一」など大嘘である。

 こんな大垣市に誰がした?

 

殺人行為?

 大垣市が大垣駅前で開催した餅つき大会(2020年2月)で、老人が餅の誤嚥で死亡しても、小川敏も市商連の小倉利之理事長も弔問にさえ行かず、その説明責任も果たさず、知らんふりである。人間として最低のレベルである。日本では嚥下障害で年間4万人が亡くなっている。老人に餅を食べさせる危険性が明白なのに、大垣の行事として、老人に無料の餅を振舞うのは殺人罪に相当する。こんな人間が支配する大垣行政は恥である。そんな人間の政治など、子供には見せられない。

 小川敏は化石時代の政治屋である。大垣市民の幸せは、市長が握っている。未来を背負う子供の為にも早期の退任が必要だ。

 

2021-01-12 久志能幾研究所通信 1887  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。