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2019年11月

2019年11月18日 (月)

無駄な時間とは

 下記は無駄な時間である。己の人生で、全ての無駄な時間を無くすことはできないが、意識して少しでもその無駄な時間を少なくしたい。今、己が時間を使っている作業・仕事・行事を見直したい

「それで、己の人生の付加価値が向上するのか?」と。

 

組織で仕事をしている時

 利益を直接稼いでいない時間

     (組織の成果を出していない時間)

 意思決定のために不必要なことに費やしている時間

 知識、経験、智慧、ご縁の機会を増やしていない時間

 やればマイナスなのに、惰性でやっているルーチン行事

 

個人で生きている時

 自分の使命のために時間を使っていない時間

 使命達成のため、意思決定をしていない時間

 命を削ることに使っている時間

  体を傷つける食を貪っている時間(狂った食事)

  有酸素運動をせず、ガンに罹る準備をしている時間

  いくら使命に時間を使っても癌になっては総合でマイナスだ。

 

小川敏の場合

 大垣市長として、大垣市の付加価値を上げていない時間、大垣市民を幸せにしない行事にかける時間は、全て無駄時間である。下劣な行事、ルーチンワークの行事、表敬訪問の対応、事前選挙活動の新聞への登場、質問への言い逃れの議会答弁、等は全て無駄な時間である。

 大垣市長の小川敏は、新市庁舎でのAI化、ロボット化とぶち上げているが、無駄の多い基本的な業務を見直さず、市民に目くらましで派手なアドバルーンだけを上げている。それでは、成果は出まい。それは無駄な時間である。単なるIT化をAI化というのは、AIが何たるかを知らない素人である。現在のAI化というのは、ほとんどがIT化の変形版である。それは、単なる口先だけの魔術師の小川敏が使う言葉である。

 近いうちに小川敏のAI化・ロボット化バブルが弾けるはずだ。全国の市町村で、そんなバブルを膨らませているのは、大垣市だけである。他市はバカらしいからやらないだけだ。

 

経営とは

 何をやるにしても、まず費用対効果を、市民に公開すべきである。それが経済、経営の原則である。小川敏は、それは口が裂けても言わない。

 先年の死政100執念忌念行事で、市民税3億5千万円を投じて、派手な行事ばかりをして、市の活性化をしたと言うが、結果は大垣市の地価は下落であった。大垣市の付加価値が、それで逆に下落したのだ。大垣市の職員は、無駄な市制100周年記念行事に時間を費やしたのだ。

 小川敏が、利己的な政策を推し進めたので、大垣市は無駄な時間を費やして没落した。小川敏の政策は無為無策の無能政治であった。地価の評価は冷酷な神のごとき評価である。松下幸之助翁が、市場は神のごとき評価をするといつも言っていた。小川敏は誤った確信をもって政策を推進してきた。小川敏は、行政の反省を18年間もしなかった。小川敏は、経営の基本のPDCAを回さなかった。結果として大垣市民を不幸にしたのだ。私の両親が草葉の陰で泣いている。天網恢恢疎にして漏らさず、で天は罰を与えるであろう。

大垣市地価平均     前年比変動率

2001年[平成13年]   12万4222円/m2  -7.98%  下落 小川敏市長就任

2002年[平成14年]   10万8425円/m2  -10.10%  下落

2003年[平成15年]   9万6470円/m2   -9.65%  下落

 2004年[平成16年]   8万3482円/m2   -8.56%  下落

2005年[平成17年]   7万3836円/m2    -7.04%  下落  小川敏市政2期目

2006年[平成18年]   7万2277円/m2    -4.20%  下落 

2007年[平成19年]   6万8535円/m2   -1.85%  下落

2008年[平成20年]   6万9942円/m2   -0.16%  下落

2009年[平成21年]   7万1687円/m2   -1.40%  下落 小川敏市政3期目

2010年[平成22年]   6万7237円/m2   -2.82%  下落

2011年[平成23年]   6万5702円/m2    -2.36%  下落

2012年[平成24年]   6万3941円/m2    -2.41%  下落

2013年[平成25年]   6万3216円/m2    -2.13%  下落 小川敏市政4期目

2014年[平成26年]   6万1898円/m2    -1.31%  下落

2015年[平成27年]   6万1495円/m2   -0.78%  下落

2016年[平成28年]   6万0585円/m2    -0.57%  下落

2017年[平成29年]   6万0692円/m2    -0.50%  下落 小川敏市政5期目

2018年[平成30年]   6万1540円/m2    -0.39%  下落

2019年[令和元年]   6万2036円/m2     -0.47%   下落

 大垣市の公示地価・基準地価マップ・坪単価 - 土地代データより 

 ※変動率は、各地点の変動率の平均となる。(平均地価の変動率ではない)

  https://tochidai.info/gifu/ogaki/

 

2019-11-18 久志能幾研究所通信 No.1402  小田泰仙

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2019年11月17日 (日)

おとなの玩具を衝動買い

 2019年11月2日の朝、前から欲しかったものが見つかり、内容を確認して夕刻に買うことを決めた。これは「おとなの玩具」である。それも衝動買いである。我ながら呆れた。

 11月14日に大村市の恵峰先生宅を写真撮影のため訪問した折、雑談でその件を恵峰先生に話をしたら、呆れられるかと思ったら、逆に褒められて拍子抜けをした。

 

恵峰先生の意見

 恵峰先生曰く「老人は”おとなの玩具”を買って、人生を楽しむべきだ。それが寿命を延長させてくれる」という。恵峰先生も中国に行くと、数十万円分の書画用の軸や白冊子を買ってきて、おとなの玩具として楽しんでいるという。先生が中国に行くと、いつも40kg分ほどの書の材料・道具を買い込んでみえる。先生はそれを体力的に運べないので、それを同行の人に持たせて飛行機に乗るという。それに、何を書くかを考えるのが老人の楽しみだという。

 

お金の価値

 お金とは経験を得る為の費用なのだ。貯めるものではない。だからお金は使えば使うほど、経験が豊かになり、智慧が付き、ご縁とお金を稼ぐ力が付く。それが運命学の考え方である。これは、おだ仏教の予算方針である。だからお金は溜めなくてもよい、そのお金を稼ぐ能力とご縁を獲得することが人生の目的なのだ。そうすれば、どんな時代も生きていける能力が身に付く。心が豊かになれる。

 今日本経済が停滞しているのは、老人が貯めたお金を使わないためである。お金は使えば使うほど、お友達を連れて帰ってきてくれる。帰ってこないのは、利己的な使い方で、世のためになっていないからだ。お金の使い方が間違っているためだ。「お金さん」に嫌われる使い方をしたためだ。お金さんを銀行に幽閉しては、お金さんが腐ってしまう。

 

一万円札はお金ではない

 その昔、母方の祖父が、虎の子の退職金を銀行に預けていて、ある日突然、新円切り替えで預金封鎖となった。預金封鎖が解除された後は、退職金は紙くずとなっていた。1946年(昭和21年)2月16日のことである。まだほんの73年前のことである。母はその話を何度もしてくれた。だから母も私も日本政府を信用せず、生きてきた。なにせ一万円札は、日本銀行が発行した「日本銀行」で、お金ではないのだ。日本銀行が発行した単なる信用手形である。政府の気が変われば、一万円札の価値はゼロになる。ご用心、ご用心。だから本物のお金とは「純金」のこと。

 硬貨は、補助通貨で、お金ではない。支払いに一定以上の硬貨では、相手は受け取りを拒否することが出来る。

 

お金とは「お足」

 私にとって、お金とは「お足」のこと。動き回れる資源の事、動ける体力のことである。意思を持って、行きたい所に足を運ぶから、ご縁と智慧が付く。稼げる能力が付く。じっとしていては、運は掴めない。私の人生哲学である。

 恵峰先生は、中国に240回以上も旅行をして、総額で7千万円ほど使った。今そのお金は残っていないが、智慧とご縁が溜まったという。だから93歳の現在も、現役で元気である。私より元気である。

 恵峰先生は60歳の時、1億円の借金を背負い、社会貢献として「日中文化資料館」を建てた。24年かけてその借金を完済した。時に84歳である。

 お金は悪いことに使うのでなければ、何とかなるものだ(トヨタの中興の祖・大野耐一の言葉)。

 

Dsc07168s     馬場恵峰先生 2019年10月11日

Dsc08346s  日中文化資料館(左)とその付属図書館(右)  敷地350坪

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撮影の仕事

 今年末に、「老のともしび」という軸60本分の先生のエッセイ集を写真集として出版することになり、今回はその撮影の仕事であった。書友の方2名に手伝ってもらって、60本の軸の撮影をした。今回、私の病気の為、9か月ぶりの撮影となった。そのためカメラも新しくして、構えて撮影した。裏技で、ソニーの6100万画素のミラーレスα7RⅣに、キヤノンのレンズを装着しての撮影である。その軸の中に「おとなの玩具」のエッセイもあり、思わず見とれてしまった。 

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      撮影風景

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「老のともしび」の出版計画

 「老のともしび」は恵峰先生の人生訓を軸に書き綴った作品である。長さ1.5mほどの軸が60本である。約100mの巻物分の分量である。先生は、この人生訓を下書きなしに、直接表装された軸に揮毫された。神業である。明治大正昭和平成で、軸に人生訓を毛筆で60本も系統立てて書いた書家はいない。今回、これを日めくりカレンダーの形式(サイズ20×60cm)で出版する予定で、編集を進めている。

 

エピソード 

 私の「おとなの玩具」を買うにあたり、資金繰りに困り、家屋敷を抵当に入れようと思ったが、今住んでいる家屋は価値ゼロで、土地の値段だけしか評価されないことが判明した。いくらリフォーム工事で金をかけても、売る場合は資産価値ゼロである。両親が50年前に坪40万円で買った土地が、現在は坪20万円の評価にしかならない。大垣の不動産価格が暴落したためである。これが、刈谷に住んでいれば、土地の値段が買った時より高騰していたのにと残念である。大垣市長が無能のせいで、大損害である。

 

不動産は財産ではない

 今回、土地家屋は人生の消耗品であることが判明したのが、今度の最大の学びである。土地家屋は財産ではないのだ。自分の代で、人生を全うするために使う消費材である。子孫に土地家屋を残しても、遺産相続争いの種になるだけで、不幸の基である。少子高齢化で、土地の値段は下がる一方である。不動産に財産価値はない。持っていれば、税金がかかり、年々価値も下がる。更地にすれば税金3倍である。家は資産価値ゼロである。

 だから人生での最大の投資すべき先は、自分自身である。人こそが、ゼロから無限の価値を創造することが出来る「お宝」である。

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 馬場恵峰書

 

2019-11-17 久志能幾研究所通信 No.1401  小田泰仙

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ムダという佛様(阿無陀佛)

 人生で一見ムダと思われる修行が、自分を佛に成長させてくれる。人生に無駄はない。無理・無駄・無用のものに成長の糧がある。その糧を消化する道が佛道である。佛道をならうというは、己をならうなり(道元禅師『正法眼蔵』)

  注)「阿無陀佛」の「阿」は親しみを込めて呼ぶ時にその名につける接頭語

 

無理の道

 無理をして佛様に頭を叩かれるから、理にあわないことをしてはダメと気がつく。無理をしない限り出会えない佛様である。無理をせず無為に人生を過ごすと、どの佛様にも出会えない。最期に、地獄道に立つ認知症と言う鬼に取り付かれる。

 無理をして、その時は無理が通っても、10年後に佛様がその咎に利子を付けて請求書を突きつける。それが病気であり不運であり事故である。無理をせず、正道を道理に従い精進してこそ人の道である。急がば回れである。

 

食の無駄の効用

 食生活においても、無駄のない高カロリーの練り物にした宇宙食やビタミン剤だけを食べていれば、偏った体に成長する。低栄養の野菜やノーカロリーのこんにゃく等の繊維質を含む食物を摂取しないと排便が滞り便秘となる。これが長年続くと大腸がんになる。

 精製して雑物が混じっていない砂糖や白米等を食べれば、病気やガンになりやすい。それには穀物にとって必要なもので、人間にとって無駄と思うものが排除されている。生命体に無駄なものはない。その無駄と思われる成分が、人間の健康には不可欠なのだ。

 無駄と思われる果物の皮の部分に抗菌作用、抗がん作用の要素が含まれる。それを剥いて捨て、果実の部分だけを食べるから、病気になる。

 

エリートという選別品

 仕事の世界でもエリートのように、下積みを経験せず、選別された仕事だけを与えられて、超特急の出世コースに乗った人は、偏った労働感が身につき、後年にその咎を受ける。仕事の基本を学べない為である。そんな姫がナッツリーターン事件(韓国、2014年)のような不祥事を起こす。エリート教育を受け苦労をしないで成人した輩が、うつ病になり、新興宗教に嵌り、地下鉄サリン事件を起こす。

 世の中の掟を知らずに過ごした元エリートが、老人ホームで「私の上席はどこですか」と妄言を吐く。それが原因で時には刃傷沙汰となる。

 

「エリートおぼちゃま」から被害を受けた

 私の前職の職場でも、T大学、H大学の大学院を出たばかりの若造が「エリート」と呼ばれて、ちやほやされた。そのため上司である私(当時は主任)は冷や飯を食わされた。学歴重視の役員が、その二人の若造をちやほやし、会社の金で、大学に出向させ、博士号までとらせた。しかし、その数年後、その一人は、処遇が気に入らないと、退社して大学に戻ってしまった。もう一人は、目をかけた役員が力を無くすと冷遇され、そのあげく鬱病になってしまった。その10年後、学閥重視の役員が跋扈していた会社は、同業他社に吸収合併されて、市場から名前が消えた。

 

小川敏の場合

 小川敏は、下済みのサラリーマン生活に堪えられず(推定)、僅か6年で伊藤忠商事を退社して、大垣で家業を継いだ。何を悲しくて、東大を出て超一流企業の伊藤忠に入社したのに、それを僅か6年で退社して、超零細企業の家業を継がねばならなかったのか。今でもその家業の経営は別の人がやっているので、伊藤忠商事を辞める必要がなかったはずだ。当時、超零細企業の家業は、今も超零細である。小川敏はなぜ、家業を発展させられなかったのか。小川敏は、地方都市では東大出というブランドが希少価値なので、担がれて大垣市長になった。

 それで市長になっても、やることなすこと、大垣市民の意識と経済の正道とは乖離した政策を摂った。その18年後の結果が、大垣の没落である。小川敏は、学校のペーパーテストだけの知識偏重の社会では、優秀だが、実社会では無能なのだ。それを市長になるから、大垣が没落した。政治家は結果が総てである。

 この失われた20年間といわれた平成時代、欧米諸国や近隣諸国が発達している中、日本だけが、経済停滞であるのと同じ現象である。今までの知識偏重・学歴偏重のリーダがのさばっているのが、その背景である。小川敏が本物の優秀で智慧ある人間なら、大垣を発展させていたはずだ。家業を発展させたはずだ。衰退した大垣の目の前の現実が総てである。

 

泣いている大垣市民

 大垣の没落で、多くの大垣の商店主が泣いて店を畳んだ。大垣経済が衰退して、多くの人が泣いている。両親が汗水垂らして手に入れた不動産の価値が暴落した。子供のための思い、汗水たらした親が草葉の陰で泣いている。子供たちは、県下最低のエアコン設備率(2.1%)で泣いている。児童生徒は一人当たりの予算費用で、県下最低レベルの環境に置かれて泣いている。こんな環境では、将来の出世競争に負けて、将来は大泣きするのだ。大垣の子供は、小川敏のせいで格差社会の底辺に追いやられて泣くのだ。子供にかける教育費と、将来の年収は比例する。それでいて、大垣市役所職員の給与は県下一の高さなのだ。市職員は市民の貧乏を笑っている。

 

四天王の教え

 人生曼荼羅入り口の中門に立つ四天王は「もっと広い視野、高い見地でものを見よ、もっと法を聞け、黙って国・地域を支えよ。もっと智慧を出せ」と諭している。衆生の愚かさは1200年前から変わっていない。

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  松本明慶先生作 広目天 高野山中門

  2015年10月8日 撮影

 

2019-11-16 久志能幾研究所通信 No.1400  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年11月16日 (土)

小川敏、最期の日の後悔

 今まで、己が過ごしてきた世界が、利己の世界か、利他の世界であったかを考えたい。今までの日々、一刻、一刻の時間を何に使ってきたかを考えたい。せめて第二の人生を送る際に、考えたいことである。第二の人生には、老後だけでなく、ひとっ跳びに来世に逝くことも含まれる。

 時間なぞ、幾らでもあると思って安易に過ごしてきた人生が、ある時、残り時間数分になる時が、必ず来る。医師から余命宣告をされ、頭がまっ白になるときもあるだろう。人間で、死ななかった人はいない。死を前提に、人生を考えないから、愚かな人生を送るのだ。お釈迦様は亡くなられるとき、あの世が有るともないとも言わず、「ただ精進せよ」と言い残されて旅立たれた。それが人の勤めなのだ。

 

余命宣告

 余命1週間と宣告されれば、好きなことして過ごせばよい。しかし余命2年なら、享楽的な時間の過ごし方ではなく、自分の命の使命を考えるはずだ。虚楽的な生活は1か月がせいぜいで、2年も時間があると、命を世のために使うことを考えるのが、良識ある人間である。

 定年は会社人生の死である。それを前提に38年間の会社人生を考えないから、定年後が惨めになるのだ。

 毎日が人生の駆け込み乗車のような生活で、人生最期の瞬間に後悔をしないのか、考えたい。最期の時は10年後かもしれないが、明日かもしれないのだ。心筋梗塞、交通事故、テロ事件、天災地変等で人生の一寸先は闇である。私の仕事仲間も、私の定年前後の時期に、24名が亡くなっている。多くは還暦前での死である。今、自分が癌になり、手術をして生還できた奇跡を神仏に感謝している。

 

人生の走馬灯

 人間の最期の瞬間は、今までの人生の出来事が、何万枚もの映像となって走馬灯のように目の前を横切ると言われる。人生の最後ではなかったが、南雲クリニックの南雲吉則医師は、今まで張り合っていたご尊父が急逝されて、御尊父との最後のお別れ時に、父との出来事が走馬灯のように目の前を横切ったという。それで医師として、世のためにやっていく覚悟が出来たという。それからの人生を、世の中から癌を半減させるために命を捧げているという。私は、その南雲吉則先生に診察して頂けるご縁を頂いて感謝である。

 

小川敏の後悔

 大垣市長の小川敏は、今まで市長としてやってきたことは、すべて自己満足、利己の世界の悪行であった。その結果が大垣市の没落である。大垣市民の不動産財産を半分に減らしたのだ。私の不動産財産も激減した。

 小川敏が自慢する「ギネス水饅頭の共食い記録挑戦」での恥行、「死政100執念忌念行事」は、利他の行事ではなく、小川敏の自己満足の市民税大浪費行事であった。大垣市民を泣かした利己の行事であった。小川敏がそんな愚劣な行事に時間をかけたことの後悔は、最期の瞬間になって、如何に愚劣であったかを悟るのだ。でもその時では遅いのだ。

 歴代の大垣市長は全員、現役死を遂げている。大垣市長は激務である。小川敏が現役死する確率はかなりの高い確率である。これは統計学での仮説である。神仏からの推定である。その激務の職を5期20年も務めるのは、自殺行為なのだ。小川敏は、無為無策の無能政治に固執して大垣を没落させた。狂っているとしか思えない。

 

多選禁止の条令を

 そういう異常事態を想定して、大垣市の市長選挙の多選禁止の条令を作るべきだ。

 神仏は、天網恢恢疎にして漏らさずの世界である。我々は、小川敏の愚行を他山の石として、観るしかない。小川敏のような大垣史上最低の市長がいるから、他の立派な市長が映える。その愚行を、反面教師として自分と大垣市の糧にすればよいのだ。

 

人は何のために生きるのか、死ぬのか

 どんな生物でも、自分の種族の防御と種の保存がDNAに刻まれた本能である。人生の残り時間が明確になると、利己のためよりも種族のために生きるのが霊長類である。金を残すよりも、子孫、種族のために何が出来るかを模索して生きるのだ。大垣市長として、大垣のために、大垣に子供たちのために命を捧げるのがリーダである。小川敏にその覚悟があるとは、過去の言動から見て、とても思えない。

 ギネス水饅頭を食い漁る小川敏は、爬虫類の脳に支配されているとしか思えない。大垣市民として悲しいことだ。小川敏は、知識偏重の日本の教育システムが生んだ怪物の象徴である。50年前のペーパーテストの結果だけで、大垣と日本の未来が左右されるのだ。これが現代日本が閉塞状態になっている根本原因である。大垣市の不幸、日本の悲惨である。

Photo     3つの脳

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 馬場恵峰書

 

2019-11-15 久志能幾研究所通信 No.1399  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月14日 (木)

人生駆け込み乗車は禁止。何を死に急ぐ?

今日という日は、残り人生の最初の日

   チャールズ・デイトリッヒ

 

 人生の目的地は死である。一日一日、残り人生は少なくって行く。どんなにあがいても、人生120年である。それを意識しないから、準備が疎かになって、人生が無為に過ぎていく。金を稼ぐのが目的の人生に没頭するから、人生の目的が何であるかに思い至らず、金の奴隷人生で終わっていく。会社の仕事がないと、日々、生きていけなくなる体となる。それは人間の人生ではない。

人生では、時間は十分にあるのだ。しかしその準備をしていないから、土壇場になって慌てるから、人生の駆け込み乗車となる。そんなに慌てて三途の川の渡し船に乗らなくてもよい。

 己は何のために生を受けたのか。それを考えていないから、日々の雑用に追われるだけの人生となる。金儲けに走って、いつしか本来の人としての生きる目的も果たさず、究極の目的地である死に着いてしまう。

人は時間なぞ、幾らでもあると思い、今日が最期の日かもしれないとは思わない人が大多数である。

 

駆け込み乗車が出来ない体

 私は、大病をして体力がなくなり、駅で走って電車に駆け込む技が使えなくなった。つくづくと老いと病後の体力の減少を痛感している。

 しかし電車に乗るのにしても、準備をして余裕をもっていくと、待つ間に買い物ができ、目的地に行く過程を考えることが出来る。余裕で特急電車に乗ることもできる。

私は大病をして、人生駆け込み乗車の愚を悟った。それよりも人生の特急電車にのって、無駄な雑務と無縁の人生を考えたい。慌てれば、人生の三途の川を渡るための電車が満員電車になって、座れない。それでは、辛かろう。日々の生活の追われては、人生はおしまいである。人生の駆け込み乗車では、本来の夢の実現は、叶わない。

人生でも、ゆっくりと人生の目的を見極め、余裕をもってご縁の電車にのればよい。目的地(死)は同じである。何をそんなに急いで、目的地に行くのか。人生時間はいつも赤字である。人生は、その赤字幅をいかに小さくするかである。

 

2019-11-14  久志能幾研究所通信 No.1398  小田泰仙

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2019年11月13日 (水)

私の病気への対処方針

 事故、争い、人生問題でも、対処方法は同じである。この方法は、基本原則さえ守れば、どんな事象にも対応できる。

 

基本原則

 自然の理に従う(宇宙根源の理に逆らわない)

 良心に従う。神仏を敬う

 利己より利他を優先する

 自然と共生(ともいき)(分を守り小欲小食)

 何故なぜを繰り返し、病気の真因を探る

  対処療法ではダメ、根本療法を探す

  そのためには日本全国を走り回ってでも名医を探す

 死んでもいいが、健康第一で選択

  生死は佛の管轄、健康は己の責任

 

宇宙根源の理

 薬は基本的に毒である。飲まないことに越したことはない。飲んでも一時的な応急処置として飲むだけだ。

 抗がん剤は、宇宙根源の法則に反している。放射線治療、化学治療は、宇宙根源の法則に反している。昔は癌もなく、抗がん剤もなかった。

 サプリメントも人工加工食品である。自然の理に反している。昔の人はサプリメントなど飲まなかった。私はガン予防で医師の推薦のサプリメントを飲んで肝臓をやられた。それ以来、サプリメントは止めた。今は、薬を全く飲んでいない。

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対処療法でなく根本療法を

私の高血圧治療、ガン治療

 大垣に転居して、高血圧治療で、W医院を訪ねたら、「血圧が高いようだから、もう一種類の降圧剤を出しましょう」と医師が言うので、即、その病院に行くのを止めた。私は減量して、必死に降圧剤の薬を止めようと努力していたところであった。高血圧の原因を探し回り、最後は、久留米市の真島消化器クリニックに行って、真因を探り当て、高血圧を治した。薬は、食事療養であった。

 私の目の病気の対応も、福山市の三好輝行先生を訪ねて、治療をして頂いた。その紹介で、名古屋市立大学病院の超一流の先生から治療を受けた。

 今回、ガン治療、予防でも、愛知県がんセンターで治療、また南雲クリニックで南雲先生の癌予防指導を受けている。

 

医師も分からない

 がん治療はいまだに「やってみないとわからない」という側面が強い。実際、医者自身ががんで倒れているのですよ。医療者ですら自分の体のなかでがんが育っていることに気がつかないし、治療に失敗することがある。これが現実です。

「医師が患者の期待に75%しか応えられないわけ」『プレジデント2017.1.2号』より

 

医療費の異常

 平成30年度の日本政府の予算は、税収60兆円、医療費42兆円である。それでは、自然の理に反していないか。まるで年収600万円の人が、病院に420万円を支払うようだ。

 医師は病気に対して処置はするが、治療はしない。食事療法で、薬を出さない治療では、病院は儲からない。だから薬漬けにする。その挙句に、日本の医療費総額が42兆円である。それも年々増加している。40年前は、10兆円であった。医療費が4倍に増えて、患者も4倍になった。何かおかしい。自然の理に反している。

 自分の身は自分で守れ。自分の体を医師任せにしないこと。

 

大垣市の病状

 大垣市は汚川便癌に侵されている。大垣市が罹った病気への対処方法を観ていると、その異常さがよくわかる。愚かで無能な市長が、対処療法で、金を使いまくるが、大垣市の衰退は、18年間も衰退の一途である。市長を変えるしか、大垣市の病気は治らない。

 

2019-11-13 久志能幾研究所通信 No.1397  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月12日 (火)

吾は権現様・佛様である

 「吾」とは神のお告げの意味と神具で使う器具の象形からなる文字で、「われ」を意味する。吾の「口」とは神のおつげの意味。音符の「五」は、棒を交差させて組み立てる器具の象形である。神のおつげを汚れから守るための器具のさまから、「ふせぐ」の意を表す。そのさまを借りて、「われ」の意味を表す。漢字を創った古代人は、人間には佛性があることを知っていた。

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図1 「吾」の象形文字

 

佛様は己の内に存在

 修証義に曰く「佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん(釈尊および歴代の祖師のその昔は我々であった。我々の将来は祖師である)」。佛はどこにもいない。己の内に存在すると道元禅師は言う。己の内なる佛の声は聞こえるが、それに耳を塞ぎ、欲に負けて、やってはいけないことを犯し、食べすぎ、飲みすぎ、集めすぎ、貯めすぎの強欲に走る人間の弱さから来る業を、罪という。「足る知る」を理解しながら、それが自制出来ない弱さの鬼性と、神の御告げに耳を傾ける佛性の両方を持つのが人間である。

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権現様とは

 己が市長なら、その身は大垣市の「権現」でもある。権現とは、佛菩薩が衆生を救うために仮の姿をとって現れるさまを言う佛語である。市長が佛の代理の権現様として、市民のために口でいくら立派な訓語を垂れても、その後姿に綻びがあると、化けの皮が剝がれる。市民は小川敏の後姿にきつねの尻尾を見る。知らぬは市長ばかりなり。小川敏が、佛様より預かった大事な大垣市を市長権限でめちゃめちゃにした結果、大垣市は衰退した。全ては小川敏の強欲の結果である。市民は騙せても、100歳になった大垣市の氏神様は、その履歴を知っていて、限度を超えると反乱を起こす。それが衰退という現象である。

 

非常事態から目を背ける市長

 己の佛性に目覚めない限り、いくら高いカネを払ってIT化、ロボット化を、行政改革、新市庁舎建設に金を継ぎこんでも、猫に小判である。

 小川敏が、日本の最高学府を出たと誇っても、目の前の事態に対処できなければ、無能なのだ。それは40年前に単なる知識を得ただけなのだ。それは陳腐化した。志があり、大垣を良くしたいなら、然るべき行動がとれるはず。市長の小川敏は、目の前の衰退という異常事態になす術が取れず、ギネス水饅頭の共食いの宴に酔い痴れた。大垣市制100執念忌念行事に執着して市民税3億5千万円金を浪費した。日頃の節約の大号令と相反する言動だが、本人は痴呆症なのか、それに気が付かない。

 

市長の小川敏の後姿から尻尾が見える

 2001年、前市長の小倉満氏が現役で亡くなられた。その後を小川敏が市長を引き継いだ。しかしいくら高学歴を誇っても、志がなければ、大垣市の経営はできない。

 それから18年が経って、大垣市は没落した。大垣市の経済状態と小川敏の経営能力を的確に表す地価は、18年間連続で下落の一途である。結果として市長就任当時から50.2%も地価が暴落した。大垣市の顔である大垣駅前商店街の81%が閉店した。小川敏があらぬ力を投入したので、大垣市役所の給与は県下一の高さになり、その働きぶりは県下最低となった。その財源を児童生徒の教育費から強奪し、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低となった。そのあおりで、昨年の猛暑の時、大垣市の小中学校のエアコン設備率は2.1%で、県下最低レベルの現状が露見した。岐阜県の他市は、ほとんど100%のエアコン設備率である。この有様は市民として恥ずかしい。

 市長の小川敏は、いくら高尚な行政方針やIT化、ロボット化を唱えても、それは線香花火のような泡沫事業ばかりである。大威張りで始めた「大垣中心市街地活性化計画」は大失敗であった。活性化計画を実施したら、大垣駅前商店街の20%の店がシャッターを下ろした。小川敏はそれに口をつぐむ。

 

紺屋の白袴

 小川敏は、東大法学部を出たのに法律の基礎を知らない。知らないのならまだしも、守らない。行政の長なのに、経営のケの字も知らない。市の経営に経済知識が必用なのに、経済音痴である。知識はあっても、智慧がない。恥を知らない。ギネス水饅頭の共食いで、どれだけ大垣が笑いものになったかを認識できない。組織の長なのに、人の心が読めない。

 小川敏が大垣市理念を唱えても、現実の行政政策が愚劣だから、大垣市の経営が出来るはずがない。市民が市長の後姿を見て、「あんたの放漫行政経営のため大垣駅前商店街が崩壊した。それの総責任者のあんたに、そんなことは言われたくない」が本音である。

 誰のお陰で大垣市の今日があると思うのか。その小川敏の感謝の念の希薄さが、大垣市衰退の最大原因である。

 

基礎工事の杜撰さ

 小川敏のイケイケドンドンの大垣行政から市長の尻尾が透けて見える。己を支える基盤(体、市職員、市民、社会)への感謝の念が薄く、生かされていることへの認識が薄い。前のめりで高尚な言葉を列挙するが、足元が固まっていないと、土台から崩れてしまうのではと危惧している。事件が起こると基礎工事の手抜きや白蟻に侵されたような惨状が露見する。2017年11月4日のドローン墜落人身事故はその基礎がないため、起きた必然の事故である。

 

蟻塚

 人は山には躓かないが、小さな蟻塚に躓く。佛様は全てを閻魔帳に記載して、大垣市の病気を通して閻魔帳の中間報告をされる。多くの人が佛の御心も知らず、地獄への近道へ足を向ける。人生曼荼羅には全てが描かれている。人生経営での学びである。ご縁の貸借対照表に人生の歩みが表われる。縁の残高が少ない政治屋が人生で躓く。

2p1030050s   図2 白蟻に食われた柱

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   図3 脚下照顧  馬場恵峰書

 

2019-11-12   久志能幾研究所 No.1396 小田泰仙  

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大垣市広報の用紙に不正疑惑、汚職?

 大垣市の広報はB4の変形版である。大垣市の広報を、保管しようと収納ファイルを用意して入れたら、入らなかった。B4規格より3ミリほど大きかったのだ。慌てて、少しサイズの大きいファイルを用意せざるを得なかった。

 

何故B4版か

 何故、大垣市の広報がB4なのか。それも少し規格より大きいサイズである。 なぜ、A4ではないのか。他市のほとんどは、現在A4判である。日本政府や現代企業の用紙はA4版が常識である。市場で流通量が小さければ、コスト高であるのは常識である。今時、B4版など、異常である。おかしいと感じるところには、汚職の匂いがプンプンする。なにか利権が絡んでいるとしか思えない。AI化、ロボット化などほざく前に、日本企業、行政の業務の基本的なことが出来ていなければ、絵にかいたモチになる。

 

汚職か?

 家業が紙屋である小川敏が、規格品外が高くなることは、よく知っているはずだ。その故意(?)に高くした分だけが、業者の利益となるはずだ。そこからバックマージンが払われているのでは?と考えるのが、一般市民の素朴な考えである。

 私の知り合いの紙業者は、規格外の用紙はコスト高になると断言した。規格より3ミリも大きければ、その上の規格の紙を使わないといけないそうだ。

 大垣市の広報は、最低66,662部(世帯数数)×B3(B4を広げて印刷)×3枚×2回×12月=4,799,664枚(B3)である。B3が一枚3円としても年間1,500万円近い金が動いている。

 ところがこれが規格外の用紙である。その金額は数割高から2倍高に跳ね上がる。それも18年間である。そこからリベートがあると考えと、空恐ろしい。

 家業が紙屋の小川敏は、その疑惑に説明責任がある。市長は、大垣市政の業務改革をする前に、疑惑に対して説明責任は果たすべきある。それは、大垣財政の節約対象事項である。節約が口癖の小川敏にしては、不自然である。

 

小川敏の金銭感覚、公金疑惑

 新市庁舎建設でも、東京オリンピックで建設費用が高騰している時期に、市庁舎を建てるのも、小川敏の経済感覚が異常であるとしか思えない。少し時期をずらすだけで、数億円の節約が出来るのだ。それをやらないのが異常である。市民の金だと思い、小川敏はやりたい放題である。

 小川敏は、大垣市制100周年記念行事で3億5千万円も浪費しても、その内訳の会計報告は、条令でマル秘扱いにして、市民には公開しない。公金の使用用途を条例でマル秘扱いなど、正気の沙汰ではない。大垣市制100周年記念行事で3億5千万円も浪費しても、大垣市の今年の地価は更に下落した。正に税金の無駄であった。小川敏が市長に就任して18年間で、18年間連続の下落で、大垣市の地価は半分に暴落した。

 「元気ハツラツ市」の補助金の使用用途も、全く公開はされていない。その金額も9年間で1億円に近い。その資金源は市民税である。石黒塾にも、その金が流れているが、その会計報告は全くない。大垣商店街組合の小倉利之理事長にも、大垣駅前商店街を衰退に導いた主の責任があるのに、小川敏の大垣市から直々の功労章である。なんでやの? その功労章の費用も市民税である。汚職の匂いがプンプンである。

 ロボット化、IT化もその投資金額を小川敏は、口が裂けても言わない。

 以上の状況証拠を考えると、小川敏の汚職を疑わざるを得ない。

 

説明責任

 田中角栄も、1974年『文芸春秋』の立花隆「田中角栄研究」で、その金脈追及の釈明が出来ず、首相退陣に追い込まれた。公人には、その行動で疑惑を持たれたら、説明義務が発生する。できなければ、退陣である。

 

小川敏の辞書にPDCAはない

 2017年から始まった「大垣市中心市街地活性化計画」が大失敗したように、AI化、ロボット化など成功するはずがない。なにせ、それにかかる費用の公開もなければ、その費用対効果の公開もない。あるのは、地方新聞紙上で、選挙事前運動としか思えない小川敏のアドバルーン宣伝だけである。

 市長なら、偉そうに絵に描いた餅のアドバルーンを上げる前に、実施して成果のあったことを言うべきだ。大失敗の「大垣市中心市街地活性化計画」の反省と原因の解明をして、その再発防止をしてから、次の計画をすべきだろう。なにせこの計画を実施して、この2年間で大垣商店街の20%の店が閉店したのだ。大垣駅前商店街の81%のお店が閉店したのだ。創業109年のヤナゲンが8月に廃業したのだ。心労で、丸忠の社長が10月に急死したのだ。大垣市の地価の18年連続の下落は止まらなかったのだ。この計画では、中心市街地の衰退を止められなかったのだ。

 市長の小川敏の頭には、PDCAという概念は、ないようだ。それが、小川敏が政治屋である証明である。そんなレベルの人間が、大垣市政を18年間も牛耳れば。大垣が没落して、当然である。無能な小川敏市政18年間の結果として、天は最高の結果を示しただけだ。それが大垣の没落である。

 

利権がらみ?

 以上を素人の私が見ても、業者の利権が絡んでいるとしか思えない。公人の言動が、疑惑があると思われるだけ、まともではない。冤罪が時折、話題になるが、私人ならともかく、公人がそう思われるだけで、罪である。火のない所に煙は立たぬ。

汚川では 臭いはきつく 神不遜

 

2019-11-11 久志能幾研究所通信 No.1395  小田泰仙

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2019年11月10日 (日)

竜宮城で頂いた玉手箱を開けちゃった

煙となって消えた

 駅前のホテルで楽しい同窓会で53年前の夢を見た。その後、大垣駅前商店街をぶらついたら、楽しい想い出の詰まった玉手箱が開いてしまった。

 そこは、大垣市長の小川敏が18年間の無為無策の無能政治で没落させた大垣の繁華街であった。53年前の浦島太郎が、今の大垣駅前商店街を歩いても、知っているお店がなくなくなっていた。ビルも壊されてなくなっていた。懐かしい亀も、死んだ状態のはく製みたいに、冷たい金属製に代わって大垣駅前の「死の亀の池」に鎮座していた。昔は生きた亀が、「駅前亀の池」で甲羅干しをしていたのに。この様は、まるで童話の浦島太郎物語である。

 18年前は、大垣市の大垣駅前商店街はまだ繁盛していた。それを無能な政治屋の小川敏が無為無策で廃墟にしてしまった。小川敏は政治も経済も分からない。実施してきた政策が正気の沙汰ではない。

 首相の安倍晋三も同じである。増税すれば、経済が悪化することが明白なのに、平気で増税である。正気の沙汰ではない。今の政治家は経済音痴ばかりである。

 

大垣駅前商店街の惨状

 53年前の学友の同窓会が2019年11月9日(土)の18時に終わり、その足で駅前商店街に足を向けた。本来、休日の夕刻6時なら、大垣の駅前の商店街は、人通りが多いはずが、全く人が歩いていない。幽霊通りのようである。見てはいけない玉手箱を開けてしまったようだ。普通の人は、近くの同窓会会場のホテルからここまで、足を運ばないので、気が付かない(玉手箱を開けない)。

 

53年前の宴

 私も中学、高校の時、母親に連れられて、大垣駅前商店街でカバンを買いに行った。そのかばん屋は、今はシャッターが下りている。

 駅前商店街の眼鏡を作りに行った。当時、街で一番の眼鏡屋であったが、いまかろうじてお店が残っている。その両脇や近辺は、全て廃業である。

 私が高校に入学した時、学校からの指導で何かのクラブに入らねばならないので、カメラ部に入った。そのためのカメラを親に買ってもらった。それが、私がカメラを趣味にした始まりである。その後、フイルムの現像をしに頻繁にカメラ屋に通った。そのカメラ屋は消滅して、今はない。

 大垣駅前と商店街の中央にあった2軒の本屋は完全消滅した。数多く通った本屋である。

 百貨店ヤナゲンで、松本明慶仏像彫刻展で明慶先生と初めて出会った。仏像を買った。ここから多くのお歳暮、お中元を贈った。今年の8月、ヤナゲンは閉店した。跡地はマンションである。

 私もヤナゲンの果物屋の丸忠で、多くの果物を買った。松本明慶先生が、柿が大好物だというので、お歳暮として特産の干し柿を贈った。私の英語の先生に、病気お見舞いで、同じ干し柿を贈った。先生が感激してお礼の手紙が英文で来た。

 その丸忠の社長は、ヤナゲンが8月末に閉店後、この10月に急逝した。心筋梗塞である。名古屋の御園座に芸能人が来ると、その付き人がよく、大垣ヤナゲンの丸忠まで指名買いに来ていた。その中の一人である水前寺清子も、丸忠の社長のファンで、名古屋に来るといつも付き人が指名買いで飛んできていた。

 私はその丸忠さんと懇意になり、社長から丸順の今川順夫著『負けてたまるか』、『地獄のシベリア抑留記』を頂いた。

 百貨店タマコシで、私は遊びにいきながら多くの買い物をした。今は、その跡地がマンションになっている。

 私が前職の会社に入社するとき、保証人になってくれた社長のお店も人手に渡った。

 大垣城の前のお寿司屋さんに、よく母に連れて行ってもらった。そこで子供のくせに1半のお寿司を平らげた。母は嬉しそうに私を眺めていた。

 電気屋の電波堂で、こだわったオーディオを買うため、よく通った。当時、デンオンのアンプを買った。今は細々とCDを売る店になってしまった。

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夢の如し

 私の53年前から今までの想い出は、煙のように消えたのだ。無為無策の無能政治で小川敏が、大垣から駅前の繁栄を消したのだ。多くの商店主が、涙を流して消えていった。急逝した丸忠の社長も、ヤナゲン閉店で心労がたたったのだろう。多くのお店の滅亡は、まるで夢の如しである。

 この記事は、大垣の衰退の実態を知らない人への情報提供、現状把握として記載する。

 

 次図は、大垣駅前商店街の西側の通りをヤナゲン前から、南に向かって歩いて行って、1キロ先の商店街の終わりで折り返し、東側の通りを元に戻ってくる道中である。その途中の風景である。土曜日18時の風景である。本来、繁華街として人出があってしかるべき。

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右はこの8月に閉店したヤナゲン

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06dsc08270s   新大橋07dsc08271s

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13dsc08277s   正札堂も昨年、倒産した

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16dsc08281s  この電波堂で、オーディオを買った

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18dsc08284s  大垣駅前商店街の端

 次に東側に移り、北進する

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20dsc08287s  右横はマンション、昔はタマコシがあった

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28dsc08296s  中心地の新大橋

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33dsc08303s  予備校だけは電気が煌々、商売には邪魔

34dsc08309s  駅前の「死の亀」の池  誰も寄り付かない

2019-11-10 久志能幾研究所通信 No.1394  小田泰仙

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2019年11月 9日 (土)

53年後の浦島太郎物語と閻魔様物語

善男善女の仏様の集会 中学の同窓会

 2019年11月9日の今日、53年ぶりの中学校の卒業同窓会をあり、参加した。どの顔を見てもその面影がなく、「貴方はどなたでしたっけ?」ばかりである。3年前にも同窓会があり、皆と会っているのだが、私に認知症の気があるのか、全く3年前の記憶がない。情けない思いである。

 これは浦島太郎と竜宮城お姫様の53年後の出会いである。善男善女の出会いである。中学卒業後、53年後に玉手箱を空けたら、皆同時に歳をとり、よきジジババになって再会したのだ。

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4無し同窓会

 今回の同窓会は、K幹事が、「カラオケなし、出し物なし、恩師出席なし、二次会なし」を強固に主張してくれて、拘った4無しの同窓会にしてくれた。恩師を呼ばなかったのは、恩師が出ると、どうしても気を使わないといけないので、会話がぎこちなくなるとの判断であった。ただただ皆でお喋りを3時間するという方針で、実に気持ちのよい同窓会であった。いままで参加した同窓会、ОB会とは格段に差のある同窓会になった。

企画の大切さ

 何ごとも計画、志、目的でそのプロジェクトの全てが決まる。今までは、幹事が皆さんに喜んでもらおうと、色んな企画をするのだが、それは自己満足で終わっている。実際に顧客の立場で考えたら、その反対のことをしている場合が多い。

 学校の丸暗記の試験だけはできた市長の小川敏の都市行政で、大垣は没落した。自己満足の計画であった。知識はあっても、智慧がないための結果である。計画、企画には知恵が必要なのだ。

 自分は何のためにそのプロジェクトの企画をしているか、顧客の立場で考えているのかを自省すべきである。

 同窓会なら、数十年ぶりに会った仲間なのだから、じっくりとお喋りをしたい。それを下手な聞きたくもない他人のカラオケの大声で、仲間との会話が邪魔されるのは本末転倒なのだ。カラオケを歌って自己満足している輩のレベルが低いのだ。イベントの出し物に引き込まれるのは、昔の仲間との会話に身が入っていないのだ。

幼馴染の記憶 

 I君は、私といつも模型屋に行ったというが、私の記憶が全くない。後で思い出したことは、中学校ではなく、小学校での幼馴染であった。当時、父の会社の廃止されたプールのコンクリート壁で、一緒に戦争ごっこをしたことを思い出した。

 今、写真をやっている女性と写真づくりの話題で意気投合して、楽しい時間を過ごせた。

 

生涯現役の教え

ほどんどの人が現役引退で、仕事を継続している仲間は少なかった。その中でも、子供、病気、盆栽、姑の悪口、等の話しがなかったのは良かった。

 私の所属したクラス仲間は、11名が参加して10クラス中で最大の参加者数であったが、亡くなられた仲間が9名もいて、それも最大の数となった。実に2割が亡くなっている。仏様に生かされている幸せを感じた。

 私は93歳の馬場恵峰先生の後姿を追い続けて、生涯現役を目指してきた甲斐があった。色々と皆と話し合って比較してみると、私の行動力が飛びぬけていた。良き師を目標に持つことは、長生きの秘訣である。長生きしても体が動き、現役でないと、意味がない。

 

市長の批判

 余談で、小川敏市長の批判がでると、大盛り上がりである。小川敏市長の政策が間違っている証明である。同級生のみんなが同じ感想を持っていることが確認できたのは、収穫であった。これは今回の同窓会のおまけの話しである。

 

閻魔様の代理

 72人の仏様が、今まで生きてきた己の生きざまが正しかったかどうかを教えてくれた。正しくはなかったかもしれないが、間違った生き方ではなかったことだけは分かった。それだけでも大収穫である。

 今年、私は癌が発見されて手術をしたが、死なずに生還できた。皆と会えた。こんな僥倖はない。感謝である。人生の折り返しで、同窓生の仲間が閻魔様の代理で、その審判をしてくれた。

 同学年の450名中、参加者は72名。生きていて、参加したくとも参加できない人もいる。病気で参加できない人もいる。諸般の事情で参加できない人もいる。閻魔様が、参加を許してくれなかったのだ。それを参加できた幸せを感じるべきだろう。同窓会のご縁がきても、参加の意思と閻魔様の許可がないと参加はできないのだ。ここでの再確認は、健康でご縁がなければ、同窓会に参加もできないこと。人生の基本的なルールである。

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 馬場恵峰書

 

2019-11-09 久志能幾研究所通信 No.1393  小田泰仙

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