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2019年12月

2019年12月31日 (火)

除夜の鐘は御恩の音、出会いに感謝

 除夜の鐘は108つ衝く。ごぉーんとなる108の鐘の音は、人間の煩悩・迷いの叫び声である。大晦日、煩悩の闇を「除」いて、光明の「正月」を迎えるために鐘を衝く。自分の煩悩を「夜」という言葉で象徴している。夜である「人生の闇」を、自分の悩み・苦しみをテコに、仏の教えを乞うために、戸を叩く。それに悟れば、闇の世界から光の世界に行くための戸を叩く機会を与えられる。悩みがなければ、光の世界への戸も探さないだろう。それが除夜の鐘を108つ衝く意味である。鐘を叩くのは、そのご縁に出会えたことに感謝である。

 

「一」とは

 正月の正は「一」と「止まる」からなる。「一もって止まる」の意である。『易経』では「一は天を指し、二は地を指す」という。老子は「一は道であり、真であり善である」という。孔子は、論語で「一以貫之」(一をもって之を貫く)と述べている。「一」は数字の始めであり、神・仏を意味し、天の道、人の道、真の道を意味する。

 人との出会いも「一期一会」である。一とは人生の初心である。正師との出会いは一度限りである。道元禅師は「正師に会わざれば、会わない方がよい」とまで言っている。頭の良い人が「尊師」を「正師」と思って盲信したら、絞首台に上らされたサリン事件があった。だからこそ「3年かけて師を探せ」なのだ。

 人は、物事を「一事一心一念道」で取り組むから成功する。それをやるか、やるまいかと「二心」があるから失敗するのだ。

 だからこそ108の煩悩を「除」いて、「正月」を迎えるために除夜の鐘を衝くのだ。

 

解釈があるだけ

 人生で障害、苦難、病気に出会わなければ、人は慢心になり、過ち慢心地獄に堕ちる。自分が出会ったご縁は、すべて自分を正しい道に導くための道路標識である。道路標識には、何の好悪の意思はない。好悪、正誤をきめるのは、己の煩悩である。

 ニーチェ曰く「There is no facts, only interpretation. 事実はない、解釈があるのみ」

 己の色眼鏡のせいで、正しいことを悪と思い、邪道の道に逸れる。色眼鏡とは、己にしみ込んだ潜在意識である。

 

総ての出会いは仏様の差配

 人生の総ての出会いには意味がある。その出会いの数は、煩悩の数と同じだけ、108つある。それに正邪はない。正邪は人の心が勝手に決めているのだ。

 癌という病気にならなければ、己の狂った食生活、生活習慣は変えないだろし、それが間違っていることに気が付かない。病気も人生の道中で出会う仏様である。私も病気になったから、全国の医師を訪ね、南雲吉則先生に出会った。それで己の狂った食生活、狂った生活習慣に気付かされた。気が付かなければ、手遅れになって早死にするところであった。「癌」という仏様に命を助けてもらった。

 自分が癌にならなければ、日本の医療の問題に光を当てなかった。抗がん剤治療の恐ろしさも、気が付かなかっただろう。

 入学試験で失敗して、世には自分より能力の高い人間がいることに気が付き、もっと勉強しなければ駄目だと気が付く。入学試験失敗という仏様との出逢いである。

 自分が交通事故と出会わなければ、自分の運転技量の問題点を明らかにされなかった。それで将来の大きな事故を起こすのを避けられた。仏の導きである。

 

仮面舞踏会

 人間関係で軋轢を生じなければ、自分の自我の強さに気が付かない。それを気付かせてもらった。その衝突で、相手のレベルと比較して、自分のこれからの生きざまが、光で照らされて明徳が明らになったのだ。

 人生は仮面舞踏会である。嫌な相手との出逢いは、邪鬼の仮面を被った仏様との出逢いであった。人生ドラマのクライマックスで、己の鼻をへし折ってくれたので、己は成長が出来た。周りの人は、仮面を被ってこの世を生きている。ぺルソナとは、ラテン語で仮面という意味である。ここからパーソナリティという言葉が生まれた。仏様は邪鬼の仮面を被って、己を試し、己を導いてくれた。感謝である。

 

 「命」とは「人」が棒(一)で、「叩」かれると書く。人間関係で軋轢を生んで、己の慢心を批評という棒で叩かれなければ、自由気ままに生きる畜生と同じである。人間界の叩きを修行という。

 

人生賞味期限

 河村義子先生との昨年の別れは、「いつまでもあると思うな親と金」を教えてくれた仏様との出逢いである。だからこそ、生きている間に精一杯の精進をすべきとの教えなのだ。己もいつまでも生きていられるわけではない。「夕焼け小焼けで日が暮れて♪」を聞きながら、「日暮れて道遠し」に気が付く。それで自分の命の賞味期限と自分の使命を教えてくれたのだ。

Dsc08982s   馬場恵峰書

2019-12-31 久志能幾研究所通信 1440  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月30日 (月)

企業の拝金主義化は、日本人の劣化の表れ

 綜合文具首位のコクヨが、文具大手のぺんてるを敵対的買収を仕掛けて、結果として、敵対的買収が失敗した。その過程で、コクヨがぺんてるの従業員に内部情報を漏らすのを唆すような呼びかけをしていると、そのコクヨを非難する文書をぺんてる自社HPに公開するような醜態的事象まで起きている。文人が愛する文具を作るメーカなのに、その喧嘩の様子は野蛮人のように醜態である。まるで金で全てを解決できるかのような風潮である。

 

コクヨの経営方針の綻び

 『致知』の対談記事で、コクヨとは「国の誉れ」から社名を取ったということを覚えていたので、コクヨの敵対的買収の行為に違和感を覚えた。これはコクヨ創業者の気高き志を踏みにじることになる。それは創業家末裔の未熟さを表す恥さらし行為ではないかと感じた。

 コクヨの今回の敵対的買収の仕掛けは、日本の企業が拝金主義、グローバル経済主義に染まった現象である。経営者が、人格と同じ社格のある相手会社の尊厳を平気で踏みにじるまで劣化した象徴的事件だと思う。それがまかり通る世情にいら立ちを覚える。企業の劣化は、会社を経営する経営者の劣化である。それは日本人の人格の劣化の表れだ。

 先人が苦労して作り上げた組織を札束で頬を叩くように、敵対的買収で手に入れる。そんな行動が、グローバル経済主義では正当化されるが、日本では何か違和感がある。会社を創業し、それを継続するのは大変な労苦である。会社には、創業者の志と社会への責任がある。グローバル経済主義の裏技で、敵対的買収で、簡単にその会社を入手するのが流行る世相は異常である。

 

ソフトバンクの例

 ソフトバンクの孫氏は、米国の会社の買収工作で大火傷を負ったようだ。孫子はマネーゲームの興じているようだ。私はソフトバンクの経営方針に疑問を持っていたので、その昔、ツーカーセルラーがソフトバンクに吸収されたとき、私はソフトバンクでなく、auに切り替えた。君子危うきに近寄らず、である。

 

事務用品のメーカ変更

 今まで、私は自宅の事務用品の購入で、お店の推薦でコクヨ製のチューブファイルを揃えていたが、馴染みの文具店店が私に不合理な仕打ちをしたので、そのお店に行くのを止めた。次に変えたお店では、キング製のファイルを推奨されたので、それを買うことになった。結果として、コクヨ製からキング製に変えたことになった。

両社の製品を比較すると、明確にキング製が優れている。つまり経営者が劣化すると、製品も競争力を無くすようようだ。私は、この買収騒動事件を機に、コクヨの製品を完全に止めようと思う。その会社が作る製品は会社の顔と経営者の人格を表すのだ。

 

チューブファイルは創造の道具

 ちなみに今回、自宅書庫にあるA4、B5のチューブファイルの分量を数えてみたら、148冊が存在した。今も増加中である。我ながら呆れた。資料は私の仕事の歴史と知的創造のツールなので、ケチるわけにはいかない。

 ドイツの諺に「整理整頓は、人生の半分である」がある。私は、資料の整理にチューブファイルが欠かせない。持てる情報・資料の整理こそ、創造の源である。創造とは、学会の定義によれば、「過去の経験知識の解体と結合による」という。発明は天才の仕事だが、創造は凡人でも出来るのだ。

 

2019-12-30  久志能幾研究所通信 1439  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月29日 (日)

河村義子先生を偲んで

 河村義子先生が逝去されたのは2018年12月25日であった。先日、一周忌法要があり、私はその命日の数日前に先生宅を訪問してご霊前にお参りさせていただいた。

 そこでご主人といろいろお話をして、お参りされる皆さんが私と同じ感想を持たれていることを知った。皆さんが、義子先生と知り合いになり、普通では叶わぬ世界一流の音楽家達と交流が出来たと感謝である。それは皆さんが異口同音に感謝されていた。大垣の片田舎で、世界を相手に活躍された義子先生の偉大さが実感できる。ご逝去後一年経っても、先生宅にお参りにこられる人が絶えないのも、先生の人徳であろう。葬儀では約1000人の方が参列された。

 

先生との出会いのご縁

 思えば河村義子先生とのご縁も稀有なご縁である。もし私が定年延長をして大垣に帰郷していなければ、このご縁はない。前職の、上からと下からのいじめの軋轢で、かつ実質吸収合併された会社の中間管理職の立場で、宮仕えの延長は嫌だと辞める決断したのがご縁の始まりである。

 大垣に帰郷後、酔狂にも長年の夢であったピアノを入手して、防音室まで作って始めたピアノである。公式の言いわけは、「ボケ防止でピアノを習う」である。若いころ(1970年)、平塚市でピアノ殺人事件が起こり、その影響でサラリーマン生活・借家住まいではピアノは無理と諦め、ピアノを始めるなら防音室が必用と覚悟をしていた。ピアノもグランドピアノと、決めていた。それは定年後でしか、実現しなかった。

 定年後、購入したピアノもこだわってチッペンデール形式の猫足のピアノを選定した。ヤマハの販売課長が、この30年間で中部地方では、このピアノを含めて2台しか見たことがないという代物であった。

 そのこだわりがあったから、その販売課長さんの紹介で、個人レッスンの講師として、河村義子先生を紹介して頂いた。ド素人の還暦後のおじさんの個人レッスン引き受けを快諾された義子先生も偉いと思う。このこだわりのピアノでなければ、河村義子先生とのご縁はなかったかもしれない。そういう点で、この猫足のピアノは、ご縁の招き猫ピアノである。この猫ちゃんを粗末に扱うと化けて出そうである。

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 猫足のピアノ

 

音楽家とのご縁

 義子先生とご縁ができて、世界の一流の音楽家や関係者と親しくなった。それはドイツ、米国、ウィーンの音楽家とのご縁である。義子先生とのご縁で、ウィーンの楽友協会の資料館館長のビーバー・オット博士にも表敬問する機会を頂いた。これも義子先生がライフワークで戸田極子伯爵夫人の研究をされていたご縁に起因する。私も義子先生とご縁がなければ、ウィーンになどに飛ばなかっただろう。

 

演奏中の撮影

 先生のご縁があったから、音楽活動の写真を5年間にわたり撮影する機会に恵まれた。いくら写真が好きでも腕があっても、演奏中の写真を自由に撮れるわけではない。河村義子先生からの依頼がないと、音楽家の写真は勝手には撮影できない。そのご縁で、無音シャッターのミラーレスsony α9を設備投資して臨むことができた。それで私の新しい分野への挑戦が出来た。たまたま写真歴50年の経験を活かすことが出来たのは幸いであった。

 

義子先生の覚悟

 義子先生は5年前に癌が見つかり、手術をするとピアニストとして生きていけなくなる恐れがあると言われ、癌の手術を断念されて、最期までピアニストとして生きる覚悟をされた。丁度、私が先生と知り合ったころである。

 私が先生とお会いしたころ、いつも部屋に掲示されているご自身の写真は「気に入っていて私のお葬式にも使うの」というので、何の冗談かと呆れた思い出がある。

 また4年前に先生がドイツへ1か月ほど演奏旅行に行かれて、帰国後、「やりたいことは全てやったので、いつ死んでもいい。幸せ」というので更に呆れた思いである。鈍感な私は義子先生の決意に気が付かなかた。

 先生は人生の賞味期限の意味を知っておられたのだ。義子先生は、人生を最期まで、全力で駆け抜けていかれた。

 

ドレスデントリオの最後の演奏会

 2018年1月13日に、ドレスデントリオを招いて先生最後の公式演奏会をクインテサホテル大垣でされた。私や周りは病気の事情は知らないので、何を焦って年に2回も大きな演奏会を企画するのかと、半ば呆れていた。先生が資金的に困っておられたのを援助できたのが、今にしてよいことをしたと思う。

 この少し前に、チェリストTIMMの演奏会を開催したばかりで、市内の大手企業に協賛金のお願いに回れない事情があった。それを陰で支援できたのは功徳であった。私の支援があり、先生がこの講演会をする決断をされた。

 このお陰で、私はドレスデントリオに密着して音楽家チームのご縁ができた。飛行場へのお出迎え、数日間のリハーサル会場での撮影、支援、大垣でのサポートをできてよき経験を得られた。普通の人ではこんな経験はできまい。義子先生に感謝である。お陰で、ドレスデントリオと義子先生の新春演奏会は大成功であった。これが義子先生の公式演奏会の最後となった。 

Dsc04341s  ドレスデントリオとの共演 クインテッサホテル大垣 2018年1月13日

花が咲いた

 義子先生が長年、大垣の音楽の普及活動で尽力をされていて、それが花開いた結果である。準備万端、実践万端すれば、後は花が開くしかないのだ。それを佐藤一斎は、「已むを得ざるにせまりて、しかる後のこれを外に発する者は、花なり」と表現している。まさに「縁ありて 花ひらき、恩有りて 実を結ぶ」である。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)よ

 

命の恩人

 河村義子先生が亡くなられて、私が葬祭場でその病名を知り、少し胸騒ぎを覚えて、その翌年の年初に精密検査をしたら、癌が見つかった。あと半年発見が遅れていれば手遅れであったろう。義子先生のご家族から、地元の病院は野戦病院のようで、それより義子先生が入院された病院(愛知県がんセンター)がよいと推奨された。それで即、入院・手術を受けた。有りがたいご縁であった。義子先生のお陰で命拾いができたようだ。

 すべてご縁の連鎖であった。これは仏様のご配慮としか思えない。どこか一つでもご縁が切れていれば、こんな状況にはならなかっただろう。人智を超えた何か大きな力だと思う。

 

夕焼け小焼けで日が暮れて♪

 最近、義子先生のことを思い出すと、童謡「夕焼け小焼け」の歌詞が聴こえる。義子先生は、自分の夢を大きく燃やして、大きな夕焼けを作り出して、人生を全うされた。その夕焼けが多くの弟子を照らしている。自分も相応した小さな夢を燃やして、人生の小焼けを作り出して、人生を全うしたいと思う。先に逝かれた義子先生だが、先生の遺志を継いでそれを全うし、「皆で仲良く帰りましょう♪」で、先生の後を追い浄土に還るのだ。人は必ず死ぬ。早いか遅いかは、大した問題ではない。人の偉さは、死ぬ時に、後進にどんな「大きな金の夢♪」を残せるかである。それが人の課題である。

 

戒名

 義子先生の戒名は「聖観院教音義愛大師」である。童謡の中の「まるい大きなお月さま♪」とは、「皆さんを優しく見守り、衆生の助けの叫び声を観れば助けに駆けつける『聖観音菩薩』」であると私は解釈している。私が大垣に帰郷して、最初に大仏師松本明慶先生の作品に触れたのは、聖観音菩薩像である。私には、ご縁の仏様である。

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 大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

 

2019-12-29 久志能幾研究所通信 1438  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月28日 (土)

ご縁の裏切り者

 会社や学校の同窓会があると、欠席した昔の仲間付き合いのことが思い起こされ、会いたくなり電話をしたことがある。

 またその同窓会で数十年ぶりに再会して、別の場所でじっくりと話し合いたいと食事を誘うことがあった。しかしその3人とも、「今忙しくて、この仕事の山が越えれば会える。後で電話をするよ」と言って、そのままになってしまった。もう2年も経つが、3人から電話はない。

 

今ここ

 そういう人に限って、「今度」、「何時か」は永遠に来ない。我々には「今」しかない。私はその人とは縁がなかったと思い、こちらから督促の電話をすることはしない。ボールは相手にあるのだ。相手からの返事までの時間が、私が相手からどの程度思われているかのバロメータなのだ。男が約束したことを、忘れる人と付き合ってロクなことはない。

 

時間泥棒

 ある人を飲み会の約束をして、向こうの都合でそれがキャンセルになったことがある。相手は私の予定時間を無為にしたのだから、その巻き返しをしなければならないのに、相手はそのままにしてしまった。そういうレベルの人間であることが証明されたので、私は、彼とは表面的な付き合いは続けたが、飲み会をする縁を切った。そういうレベルの人と付き合うほど、私が時間を損する。付き合わないのが正解である。

 ここでの問題点は、「今度食事をしよう」と軽い気持ちで言った本人はコロッとそれを忘れてしまうが、言われた方はしっかりと覚えていることである。時間が経つほどに、その人の信用が減っていく。

 私が逆の立場の場合なら、万難を排してその飲み会の時間を作るのが私の主義である。ご縁は大事にしなければ、気が済まない。

 

時間は命

 人と約束するとは、相手の時間(命)を頂くのだ。時間は命である。その時の時間は、永遠に来ないのだ。一期一会とは、全力でその時間を全うする人生修行である。遅刻、延期、忘却は罪である。一刻、一刻、命が消えてゆく。今、出会うご縁は、次の機会のご縁とは全く別である。だからこそ、今のご縁を大事にしなければ、夕焼け小焼けで、日が暮れて♪」と人生の夕刻が迫るのだ。人との約束をたがえるとは、貴方の信用という人格の寿命が尽きようとしているのだ。

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  馬場恵峰書    2018年

 

2019-12-28 久志能幾研究所通信 1437  小田泰仙

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運命を変える一番大事な力

 組織で一番必要とされる力とは、リーダの「総合的人間力」である。組織とは、二人以上で要素から構成された集合体である。集合体である以上、それを統括するリーダが必用である。会社で言えば、社長であり、家庭であれば家の主である。自分の体という組織なら、己の頭(心)がその統括者である。そのリーダが組織の持つ資源を最大限生かして、成果を最大にする営みを「経営」という。

 リーダがその経営を間違えるから、組織が左前になり倒産する。自分の体の経営を放漫経営するから、病気になり、早死にする。

 

組織とは

 組織は人、モノ、カネ、情報、歴史からなる。国で言えば、人(国民)、モノ(国土、インフラ)、情報(文化資産)、歴史からなる。

 会社で言えば、人、商品力(モノ)、カネ(資本力、土地、インフラ)、情報(情報資産)、歴史(信用、伝統)からなる。

 

資源の分類

 その資源の内、「人」こそが未来を作る組織の競争力である。「モノ、カネ、情報、歴史」は過去に作られた組織の補助力(追い風)である。

 自分の未来を作るのは、親からもらった遺産でもなく環境でもない。自分等言う「人」が未来を作るのだ。その意識の有無が成果に差を生む。

 企業を発展させるのは(逆境に立ち向かう力)、モノでもカネでも歴史(伝統)でもなく、「人」という綜合的人間力である。過去の栄光は、企業の発展には、過去の遺物は追い風にはなっても、推進力にはならない。

 

経営者の質

 しかし中小企業、いわんや大企業でも、指導者の素養を持つ人材は極めて少ない。大企業での経営者が有名大学を出ているから、指導層の素養を持っているわけではない。指導層になるには、相応の素養が必用だ。それがないと、知識はあっても経営の智慧のない経営者となる。その悪例は、大垣を没落に導いた市長の小川敏の経営の無能さを見ればよい。

 大企業でも有名大学を出たが、経営に無知で、指導者の素養がない人が社長を務めると、会社がつぶれている。日産、三菱自動車、東電、JR西日本、電通、タカタ、松下電器、シャープ、パイオニア等と事例が、次から次に湧き出る程である。

 

自分の体の経営者

 自分が何の為に、此の世に生まれてきたかの意識がないから、もてる最大のお宝の命を粗末にするのだ。だから病気になる。それは己の体の経営者失格である。乱れた食の経営、乱れた生活の経営、利己欲の制御の失敗、それが病気を招く。

 

ネッツトヨタ南国の経営

 経営者・リーダが持つべき力が「人間力」である。ネッツトヨタ南国では、社員全員が経営者の意識で働いている。だからネッツトヨタ南国は、不況で同業他社が売り上げを減らしている時も、成長している。

 その人間力の源は、「心」の問題である。グローバル経済主義競争が激化して、その心の教育がないがしろにされ、利他の心が失われ、利己主義、拝金主義が蔓延した。その結果、日本の「失われた30年」が生まれた。私が危機感を抱き、前職で技術者教育講座に「修身」の講座を新設し、私がその講師役を務めたのも、この危機感からである。

 ネッツトヨタ南国では、社員教育でこの人間力を高める仕組みを構築して、社員に目覚めさせている。最大の要点は、「何の為に働くか」を意識させるのだ。それに気が付けば、人間力は自ら高めていく。

 

「全ての成功は、メンタルから始まります。」

   サーシャ・パイン(テニス選手・大坂なおみのコーチ)

 

人間力とは

  自然の理を理解して経営する力

  自分の資源を最大限生かす力

  回りの人の持つ資源を、最大限に生かせる力

  周りの人を気遣う力

  困難に立ち向かう力

  恥をかく力(自惚れが強いと恥をかかないため黙っている)

  自ら考え、自ら発信し、自ら行動し、反省する力

  知識ではなく、智慧を活用する力

  夢見る力(夢のない人は人間ではない)

  AIには出来ない道徳、倫理観、慈悲を持つ力

  何の為に働くかを理解する力

  生まれてきた意味を考え、自分の使命を果たす力

 

 これと真逆の経営をしているのが小川敏の大垣市政である。「狂った政治」を18年間も続けた。だから大垣市は衰退した。

 自分の体の経営も同じである。これに反した「狂った生活」を送れば病気になる。日本人の半分が癌になるのは、使命感を忘れ、拝金主義、利己主義の「狂った生活」をしているため。つまり日本人に人間力が低下しているためである。

 心を整えれば、己の体は自分自身のモノではなく、世のために尽くすためにあることに気が付く。己が生まれた理由とその使命に気が付くはずだ。そうすれば、仏様のご加護で病気にならない。世のために何かを残そうという気になる。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)よ

 

以上は横田塾(2019年11月7日、11月10日、プレジデント社主催)でのネッツトヨタ南国の横田英毅相談役の講義、馬場恵峰先生の「言志四録」講義(2019年1月~12月)、南雲吉則先生の講義をヒントに作成しました。 

 

2019-12-27 久志能幾研究所通信 1436  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月27日 (金)

人生で最大の金儲け方法

 人生で最大の金儲けとは、病気にならない生活を送ること。病気になると金がかかる。下手をすると、人生最大のお宝の「命」を失う。何物にも代えがたいお宝を失う。

 医師から余命宣告をされて「金はいくらかかってもいいから、命を助けてくれ」と泣きついてもなす術がない。世界一の金持ちであったアップル創業者、スティーブ・ジョブズでさえ膵臓ガンのため56歳で命を落としている。癌に対して、お金は無力である。

 癌患者に1年間の延命効果のある500万円という薬も登場している。癌は金のかかる病気である。それの治療費をゼロにするのが人生最大の金儲けである。

 癌は他人ごとではないのだ。日本人の二人に一人は癌になり、3人に一人は癌で死ぬのだ。人生最大のお宝は自分の命なのだ。

 

癌の原因と対策

 癌の原因は、狂った生活、狂った食事、狂った医療、狂った精神文化である。要は不摂生で己の体をいじめたのだ。いじめられた体の細胞が反乱を起こして、癌になった。原因が分かれば対策は容易である。手術、抗がん剤、放射線治療等は対処療法で、後追いの金のかかる対策である。癌予防で不節制を止めれば、金もかからず、治療費もかからず大儲けである。

 

癌になった場合の治療費用(1年目の費用)

 肺がん  266万円

 胃がん  236万円

 大腸がん 307万円

 肝臓がん  58万円

 乳がん  214万円

各がんの内訳で、再発防止抗がん剤治療費が92~200万円も含まれる。

 『プレジデント』「がん解明、9つの真実」2013年6月17日号より

 

私の癌治療費

 私の場合、愛知県がんセンターで手術後の標準治療である抗がん剤治療を拒否した。その代替治療として、別病院でビタミンCの点滴投与と併用治療を週1~2回、6か月間、一回43,000 円~37,000円の治療を受けた。その費用は抗がん剤治療と同等かそれ以上である。これは保険がきかないので高額である。

 私の癌の治療費総額では、プレジデント社の試算の費用くらいのお金が消えた。それ以外に電動ベッドや羽毛布団等の自宅環境整備でかなりの金が消えた。それがなければ、大層なお金が貯金できたはずであった。

 その金額を稼ごうと思うと大変だ。だから病気にならないのが、人生最大の金儲けである。失ったお金以上に、治療のために失った時間が膨大である。ビタミンC剤の点滴では、一回当たり2~3時間も病院のベッドに拘束される。その間、何も出来ない時間である。じっと点滴ボトルから落ちる点滴を眺めて時間を過ごす。癌になったという人生の悔いを感じるばかりである。

P1130022s ビタミンC剤の点滴 2019年8月22日

 

反省と再発防止

 癌になった原因を、今までの狂った生活、狂った食事、狂った精神状態であると推定して、私は生活の全てを変えた。お陰で健康的な、人間的な生活に戻ることができた。癌は仏様からの諭しのメッセージなのだ。今のままの生活なら、早く死ぬところを、仏様からの「病気」という啓示で、生活の間違いに気付かせてもらって、延命できたのだ。間違いは人間だから誰でもする。問題は、その啓示をどう受け止めるかである。

 

対処療法よりも再発防止を

 もう一つの大きな問題は、癌を治療する医師がその原因を追究せず、対処療法で患者の治療にあたることである。私は、南雲クリニックの南雲吉則先生、真島消化器クリニックの真島康雄先生の指導でガン再発防止治療に取り組んでいる。お二人とも、病気の真因を探って、病気予防を指導してくれる。基本は食事療法である。病気になって名医に治してもらうより、病気にならない防止策が重要である。それが人生の最大の金儲けである。

 

 

防火対策

 2005年に自宅の隣が火事になった。当家も延焼しそうになり危なかったが、消防署が放水して延焼を食い止めてくれた。延焼防止のための放水で家の中が酷い状態になった。

 だから火事を消すよりも、火事にならないようにするのが、最大の防火対策であり、それが危機管理である。病気はそれと同じである。

 抗がん剤投与は、火事になった場所に水をかけるようなものだ。抗がん剤は患部以外に正常な細胞も、同時に痛めつける。延焼を食い止めるための放水は、まだ火のついていない家屋を破壊する。この記憶が頭の隅にあり、抗がん剤治療を拒否した。

Img_2091s  隣アパートの火事 2005年10月28日

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 自宅内の延焼防止で放水による被害

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2019-12-26 久志能幾研究所通信 1435  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月26日 (木)

人生の賞味期限、毎日が賞味期限

 どんな食品でも、どんな生物でも、どんな工業製品でも、どんな生き方でも、賞味期限というのがある。食品では、製造後、味が保証された賞味期限というのがある。家電製品でも補修部品の保管期限はせいぜい10年である。だから家電製品の賞味期限は10年である。

 人間なら若い時しか、記憶力に頼ったペーパー試験で良い成績は残せない。私も還暦後、記憶力がモノを言う国家資格に挑戦したが、記憶力が旺盛な若い人たちに負けてしまった。記憶力は若い時だけの賞味期限である。還暦後では、私の記憶力は賞味期限切れであった。

 人間として仕事をする労働者としての賞味期限は、せいぜい60歳までである。だから求人広告でも、年齢制限があり、60歳以上の再雇用は限定される。世の常として体力・知力が正常に働けるのが還暦までが自然の理である。

 

小川敏の賞味期限

 現在69歳の小川敏は、市長としての賞味期限は切れている。だから市長として痴呆的な行動が目につくようになった。それが自分で分からないのは、認知症の一歩前のようだ。情報を知識として覚えているだけで、智慧がないから痴呆的な行政が顕著になってきた。世の常識として、市長6選に向けて宣言するなど、正気の沙汰ではない。小川敏は、市長の立場で、それを意識せず、お役所のお山の大将として、ルーチンワークだけで時間を無為無策に過ごしたから、脳が賞味期限切れとなり、出す政策が間違いばかりで、結果として大垣を衰退させた。大垣が勝手に衰退したのではない。小川敏が衰退させたのだ。

 

人生は闘いの日々

 人間は毎日が賞味期限との闘いである。毎日が勉強の機会なのだ。燃えるような恋は若い時しかできない。体力に任せての徹夜の連続も、若い時だけが可能で、体力にも賞味期限がある。私も若い時は、体力に任せて徹夜もやり、寝ずに連続40時間以上のトラブル処理の労働もしたが、今はとてもじゃないが、そんな激務では体がもたない。

 いくら才能があっても、20歳の若人の瞬発力に、中年のアスリートでも負ける。中年のアスリートはオリンピック選手として賞味期限が切れたのだ。しかし、今からはコーチとしての活躍の世界が広がっている。

 わき目も振らず勉学に打ち込めるのも若い時だけである。歳をとると目の前に誘惑の魅力ある事象が目白押しである。人として修行のような勉学期間の賞味期限が切れたのだ。

 人間には春夏秋冬、その時々の賞味期限があり、それに合わせた人生設計が必用だ。それを考えないから、人間として早く賞味期限切れとなり、生きる意味を失い、早く死ぬ。

 

成績一番の末路

 小学校、中学校、高校、大学で常に成績で一番を取り、松下電器に就職してエライさんにまで上り詰めた人がいた。しかして年になり会社を離れたら直ぐ病気になり、世間から遠ざかった生活になった。そして間もなく、国立病院に入り、亡くなられた。組織の流れに身を任せて、自分で自分の人生を設計してこなかった人の末路である。いくら頭がよくても、智慧がなかったのだ。己の人生の成長戦略がなく、組織を離れ自分の時間が出来た時は、人生の賞味期限が切れてしまったのだ。長崎の馬場恵峰先生の知人である。

 

毎日が真剣勝負、毎日が賞味期限

 今日という日の賞味期限は、その日限りである。己が生まれて何歳何日というこの日は、二度と巡ってこない。毎日が賞味期限との闘いの真剣勝負である。日々、人は賞味期限切れ(死)に向かって時間がカウントダウンしている。毎日、良いことを考え、よいことを実行すれば、日々好日なのだ。無為無策に時間をすごすと、日々悪日となる。

 

「無職」という職業

 馬場恵峰先生は「無職」という職業を選択したので、日々やることがあり過ぎて忙しくて仕方がないという。金に縛られた職業なら、その与えられた仕事を期日までに済ませれば、後は暇である。しかし「無職」では、その制約がなく、やることがどんどん浮かんできて、忙しいという。それはボケ防止には良いことのようだ。馬場恵峰先生は93歳の現在も矍鑠としてみえる。書道家として現役である。私もそういう師を持つと、おちおち死んでなんかおられない。

 「人生二度なし、生涯現役」宣言は、有効期限なしのゴールドの人生運転免許証である。

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2019-12-25 久志能幾研究所通信 1434  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月24日 (火)

極秘、厚顔、小川敏、市長選出馬を表明

 風の噂によると、先日、大垣市内の高級料亭で大垣財界の寄り合いがあり、そこで大垣市長の小川敏が、次回の大垣市長に第6期目も市長をやりたいと表明して、大垣財界の了承をとりつけたという。

 小川敏は、これから市の行事には最大限の顔出しと、御用新聞に顔を頻繁に掲載させて事前選挙活動に入るようだ。

 それを認めるようなレベルの大垣財界のトップ達が、大垣経済を牛耳っているから、大垣は衰退した。大垣財界のトップ達は利権しか考えていないようだ。財界のトップは24年間の長期政権が大垣にどんな悪影響を与えるかは考えないのだ。彼らは自分達の利権が守られれば、誰が市長になってもよいのだ。

 

4期連続の無投票当選?

 最悪の場合、小川敏は4期連続で、無投票選挙で、6期目の大垣市長となる。前回の連続3回の無投票選挙時は、小川敏は今回と同じように1年以上前に、大垣財界に根回しをして、選挙が公示された時は、立候補予定者には手遅れで、対立候補がでられないようにしてしまった。

 次回の大垣市長選は2021年3月である。それに対して小川敏は極秘で選挙活動を始めたのだ。

 

若手の芽を奪う

 老獪な小川敏が出場する意向を財界に宣言すれば、意欲ある若手の機会を奪ってしまうことになる。

 それは、大垣市民の民意ではなかろう。

 前回の連続3回の無投票当選のように、次回も無投票選挙にでもなれば、市民の信任投票の機会を奪うことになる。

 

何故、今の時期か?

 1年4か月前に市長選6選出馬を宣言すれば、財界首脳陣は、今までの利権が変わらず温存されることを望み、トップが社内をまとめてくれる。選挙が公示されたときは、社内の準備は終わっている。

 なぜそれをコソコソと高級料亭の宴会の席で発表するのか。よほでやましい気持ちがあるのだだろう。その出場宣言は、大垣市民にはマル秘である。

 

大垣市の異常さ

 小川敏が市長になって18年経つ。それで16万人都市大垣の基幹の1キロほどの大垣駅前商店街に、コンビニと書店が一軒もない街に落ちぶれてしまった。コンビニは大垣駅ビル内にはあるが、大垣駅前商店街の1キロの街並みにはない。それだけ人通りがないので、コンビニの商売が成り立たないのだ。

 大垣駅ビルが今春に改装され、改装前にはあった三省堂書店が消えた。大垣駅、大垣駅前商店街1キロの道中には、文化の象徴の書店も一件もない。

 だからどの街の繁華街にもあるマクドナルドもスタバも牛丼屋もcoco一番のカレー屋もない。中堅都市として、他市にあって、その有るべきお店がないのは没落の象徴である。情けない街になってしまった。

 それでいておバカな殿様用ふんぞり返り場所の新市庁舎だけは岐阜新市庁舎より5割も豪華なつくりなのだ。庶民の住む大垣駅前商店街は築50年以上の古いビルばかりになっている。

 そういう街に小川敏が落ちぶれさしたのだ。それがいかに異常かを財界の老人たちは気が付いていない。大垣財界長老達は自分達の利権の維持に忙しいようだ。

 

疑惑

 日産のゴーン被告が19年間も権力に執着したのは、美味しいものがあったからだ。小川敏もよほど美味しいものがあると考えるのが、見識ある人の見方である。なにせ行政の行事予算の使用用途で、会計報告がマル秘扱いにできる条令を作ってしまった小川敏である。大学で法学部を出た人間のやることではない。常軌を逸している。歴史上で長期政権が腐敗しなかった例は皆無に近い。

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大垣市民が全国の笑いもの

 痴的な市長に6選、24年間の行政をなすがままに許す大垣市民を全国の有識者は笑っている。それを阻止する市民運動はないのか。立候補する気概ある人はいないのか、である。

 

経営とは

 経営とは縦糸(歴史)と横糸(世情)をもてる智慧で結び、己が使える資源を最大限に活用する営みである。「経」には道という意味もある。

 小川敏妖怪は、大垣の歴史をないがしろにして、現代の大垣政治をめちゃめちゃにした。その反面教師の妖怪役を、小川敏は演じてくれた。彼は権力欲に取りつかれれた妖怪なのだ。誤選妖怪として、大垣の名を全国に知らしめてくれた。

 

大垣の民主主義

 「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」(英国の元首相ウィンストン・チャーチルの言葉)

 小川敏は、その市民の声を無投票選挙に持ち込んで、民主主義を破壊した妖怪なのだ。大垣市民の世論の多数が健全な判断で多選を反対しているのを妖怪の力で封じてしまったのだ。。恐ろしい妖怪である。

 

小川敏は我が命の恩人

 小川敏が市長の座に居座って痴的満杯の行事を披露するから、私のブログに尽きないネタを提供してくれる。私はその批判とその対策案の検討をブログに書く執筆活動に忙しく、ない頭を酷使するので、おちおち死んでなんかおられない。彼は私に延命の糧を提供してくれる恩人(?)なのだ。

 小川敏は市長職として公費を使って、公職の時間内に大垣を没落させた。私は無職であるので、無限の時間を使って彼の行動を考察できる。批判のブログも義憤から書いているから、忙しく仕方がない。醒めた目で観ると、彼のように神輿に乗って公金を浪費する人間が痴呆に見える。彼にはそんなに時間は残されていないのにと哀れに思う。

 

2019-12-24 久志能幾研究所通信 1433  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月23日 (月)

己の道は手のうちに

己を拝め

 キリスト教で「天にまします我らの神よ」と祈っても、仏教で「南無阿弥陀仏」と手を合わせても、神も仏も己を助けてはくれない。ただ見守っているだけである。己を助けるのは己である。己が人生の運命を握っているのに、それの努力をしないで、「神も仏もないないのか」と運命を嘆いても、それはお門違いである。

 人は自分を拝む勉強をしない。自分が行動を起こさなければ、人生は変わらない。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

背中を観よ

 自分の背中を観よ。しかし己は己の背中は見えないし、観たことはない。己を支えてくれるのは背中である。

 仏様が与えてくれた機会を他人の為に、人のために話をしなければ、自分は幸せになれない。いいことを、良いことは人に話さねばならない。黙っている人こそ、くせ者である。保身者である。

 人がしないから、させてもらっている。自分が幸せを作っていくのだ。実力の裏が教養である。早く勉強した人が、早く実力をつける。

 自らが人生の暗夜を自らの灯で灯せ。だからお釈迦様は「自灯明」を説かれた。

 

実践あるのみ

 夢ばかり見て、手本ばかりを見て、書を書くからうまく書けない。自分で考えて書けば、うまくなる。人の真似をするな。自分で考えて書け、覚えて書け、である。

 習字をするからうまくならない。作品を書きなさい。下手でもいいから高い紙に丁寧に書きなさい。そうすれば残るし、うまくなる。安い半紙に練習字を書くから上手くならない。

 だから書道を仕事に当てはめて考えるなら、師の行動を真似するな、自分で考えろ、考えて行動しろ。師の行動は、師の人格の表れである。それを真似しても意味がない。自分で考えて、自分の人格が現われる行動をすべきである。それが学びの成果である。それでこそ師を乗り越えられる。

 

我以外皆師

 書の教室に来ても、自分だけ先生から添削をしてもらったら、後は知らんふりでは成長できない。他のお弟子さんが先生から添削を受けている状況を見て学べ。それが「我以外皆師」である。人生二度なしで、一生勉強である。

 字書き恥かきで、実際に恥をかいて体験しないと成長できない。恥をかくことを避けるのは、自分が可愛くて、自分を守り過ぎである。それは自惚れである。これでは成長できない。

 これは全ての道(武道、芸道、学道)で、いくら秘伝書でノウハウを伝えても、血の滲む鍛錬を繰り返さないと名人にはなれない。ノウハウをいくら読んでも、実体験しないと意味がない。それが難しい。今はノウハウ書がオンパレードであるが、それでは薄っぺらな道しか得られない。それは本当の勉強していないことである。

 

厳師の教え

 自分を厳し指導してくれる師が運命を拓く。だからこそ「3年かけて師を探せ」である。真剣に叱ってくれる師が本物の師である。師たるものは自分に厳しく学びを忘れてはならない。

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 馬場恵峰書

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 馬場恵峰師 2019年12月12日、‏‎20:23(夜の部の講義)

馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」をテキストに講義中

 

若手エリートの末路

 私の前職の会社でも、私が主任の時、私の部署に入社してきたエリートと目された二人の若手がちやほやされ、泥臭い汗を流してきた私を追い抜いていった。そして会社より博士号を取るために大学に派遣された。しかしその一人は、数年後、処遇を不満として会社に泥をかける様に去って行った。もう一人は、引き上げてくれる役員が力を無くすと、閑職に追いやられた。それで精神の病になり、今は鳴かず飛ばすの状態となった。泥臭い汗をかかなかった咎であると思う。「若くして高座に上った」咎である。エリート意識で、命を上司に任せて、自ら人生の灯を掲げなかった咎である。自ら己を拝まなかったのは人間として怠慢である。拝まないから反省がない。

 そんな不合理な学閥優先の人事が横行した前職の会社は市場から消えた。仏様は良く観ておられると思った。「天網恢恢疎にして漏らさず」を実感した。

 

小川敏の末路

 小川敏はド田舎の大垣市で、東大卒というブランドが効き、偶然、市長職になれて、それを20年弱の長きに務めることになった。しかし頭がよくても智慧がなく、過去に地道な雑巾がけの修行をしなかったため、恥さらしな行事をしても恥とも思わない人間に落ちぶれた。結果として18年間で大垣市は衰退した。大垣の公示地価は半分以下に暴落した。大垣の顔である大垣駅前商店街は80%が店を閉めた。大垣市の児童生徒の教育環境を県下で最低レベルに堕とした。

 一番大事な教育をないがしろにしたのは、大罪である。大垣市の未来は大垣市長の手の内にあるのに、それを蔑ろにした。その職位にあって、やるべきことをやらないのを、仏教では、「悪人」という。

 

以上は2019年12月12日、「生き活き教養塾」で馬場恵峰先生が講義した内容を元に記述しました。

 

2019-12-23 久志能幾研究所通信 1432  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月22日 (日)

童謡「夕焼け小焼け」は人生哲学

 童謡「夕焼け小焼けは」人生哲学の唄である。馬場恵峰先生が旧第五高等学校(現熊本大学)で心理学の教授から、その意味を教えられたという。時に太平洋戦争開戦の直前である。

 

夕焼け小焼けで日が暮れて

山のお寺の鐘が鳴る

お手々つないで皆帰ろう

烏と一緒に帰りましょう

子供が帰った 後からは

まるい大きな お月さま

小鳥が夢を 見るころは

空にはきらきら 金の星

  中村雨虹作詞、草川信作曲、大正8年に発表 

 

歌詞の意味

夕焼け小焼けで日が暮れて♪

 平穏な人生を送った人も波乱万丈の人も何時かは人生の幕が下りる。

 己もいつしか年老い、人生が暮れようとしている。

山のお寺の鐘が鳴る♪

 己の葬式で導師が叩く鐘の音で、参列者が己のために合掌する。

お手々つないで皆帰ろう♪

 どんな人も必ず死ぬ。皆で一緒に浄土に還るのだ。

 遅いか早いかである。死ねば皆、佛である。

 その差の年月は、長い人間の歴史上では誤差範囲である。

カラスと一緒に帰りましょう♪

 頭の黒い人間でも一緒に浄土に還っていく。 

 雀でも白鳥でもなく、一緒に帰っていくのは黒いカラスなのだ。

 黒い喪服を着たカラスなのだ。悪いことをしたカラスでも一緒に浄土にいくのだ。

 

 宗教学者の山折哲雄氏は、「夕焼け小焼け」の歌詞の背景には、『般若心経』の真言があるとしている。般若心経の最後の部分は「ぎゃーてい ぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわか」である。その意味は、「いきましょう。ゆきましょう。囚われなき悟りの世界へ人々と共に行きましょう。」である。

 

子供が帰った 後からは♪

まるい大きな お月さま♪

小鳥が夢を 見るころは♪

空にはきらきら 金の星♪

 夢の中で、自分の金のような人生目標が空に輝いている。

 死ぬまでにその目標に向かって少しでも実現したい。

 皆が眠った(死の)後は、丸い大きなお月様(佛様)が皆を見守っている。

 だから安心して眠りなさい。

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 馬場恵峰書

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 馬場恵峰先生 2019年12月12日、11:07

  

「夕焼け小焼け」の教え

 私は馬場恵峰先生の解説を聞いて、初めてこの童謡の意味を知った。だからこそ、眠る前に精一杯の精進をして自分の夢を実現させたい。それでこそ金の星の夢を抱いた人間である。私は今年、大病をして死期への時間意識に目覚めた。しかし今回、先生の解説を聞いて夢を実現させる勇気が湧いてきた。人は必ず死ぬ。その見極めをして、決断すべきを決断して、見切りをつけなければ、死の間際に悔いが残る。やらない悔いよりもやって失敗した悔いの方がよい。背水の陣の決意を持って、何事も実行すれば成功する。先生の講義に感謝です。

 

上記は2019年12月12日、「生き活き教養塾」で馬場恵峰先生が講義した内容を元に記述しました。

 

2019-12-22 久志能幾研究所通信 1431  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。