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2020年1月

2020年1月31日 (金)

日本狂セリ。小川敏狂セリ、春画的手法の乱用

 コロナウイルスで世界は大騒ぎをしているのに、日本の対応は異常で、狂ってしまったとしか思えない状況である。

 日本が与党も野党もマスコミも国民も認知症になったかのような対応で狂っている。今は非常事態であるのに、呑気な対応で終始している。

 大垣が没落寸前・経済危機寸前なのに、小川敏の19年に亘る独裁政治が横行して、ますます大垣市が衰退していく。小川敏は、さらに4期連続無投票当選にむけて画策している。清流が流れる大垣に、小川敏の汚川が流れ、無能政治が支配する限り、大垣の発展はない。

 

 大垣の 清水を汚す 汚川かな (百舌鳥)

 

国会の野党質問の狂乱

 国会の29日の参院予算委員会で質問に立った立憲民主党の蓮舫議員は、サクラ問題で文書管理の不備の追求ばかりである。

 蓮舫議員自身の文書管理の二重国籍問題はうやむやにして、サクラ問題追及など、お笑いである。そんな議員を当選させる国民も狂っている。

 蓮舫議員は、サクラは問題にするが、国民の命に影響する近直の大問題のコロナウイルス問題はスルーする。その政治感覚が異常で狂っている。

 国民党の女性議員も多くがサクラ問題に意固地になっていた。もっと重要な問題が山積している今、野党がこの低落では、日本は良くならない。だから与党は安心して、愚劣な政策をやりたい放題である。

 

国賓扱いの狂気

 習近平国家主席を国賓扱いにする対応に、国民の86%が反対している(サンケイの世論調査で)。そういう事態を想定しない愚かな政府である。ウィグル・チベット族への弾圧、臓器摘出、知的財産盗み放題、南シナ海の海洋軍事進出、連日の日本領海・領空侵犯で日本侵略の機会をうかがっている国のドンを国賓にすること自体、自民党は正気の沙汰ではない。

 

増税の狂気

 消費税を10%に上げれば、景気が悪くなるのが自明なのに、財務省の役人の天下り先確保で、増税を強行した。安倍内閣は狂っている。

 

芸人の不倫問題対応でテレビ狂乱

 テレビではある芸人の不倫問題を大々的に報道していた。たまたま今日(2020年1月30日),店に買い物に行ったら、そこの店頭のテレビが芸人の不倫騒動を報道しているのが目に入った。そんなレベルの話をワイドナショーで取り上げる日本のテレビの愚劣さを許容する日本に痴呆化の兆しを見る。それを見ている人が日本に大勢いるのだ。その放送エネルギー(放送、取材、電気代、タレント出演料等)が総て消費者の負担になってくる。その分、日本の経済が劣化する。

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 2020年1月30日 某テレビ番組

 この番組制作費はいかほどか。それが全てスポンサー負担。つまり消費者に行く。

 

新コロナウイルス対応の狂気

 アメリカは中国からの帰国者を米軍基地に一時的に隔離対応をしている。日本は、特別機で帰国させた邦人をそのまま開放である。そううち2人は診察拒否までしている。当人は権利と義務をはき違えている。最近の日本人は周りに配慮する感覚がマヒし、危機管理感覚が狂っている。

 

小川、汚川の狂乱氾濫

 大垣の小川敏は、市長選6選を狙って隠密の事前選挙活動を始めた。6選が実現すれば、連続24年間の独裁政治である。それが如何に民主主義で異常かを小川敏は気が付かない。小川は狂っているとしか思えない。それも姑息な手段を画策して、4期連続で無投票当選にするつもりなのだ。

 

小川敏、子育て自慢の狂乱

 県下一衰退速度が速い大垣市で、県下一の市民負担額の多い新市庁舎を建てて浮かれている。浮かれているときに限ってショックが襲うのだ。

 小川敏は、何も訳の分からない園児を新市庁舎開庁祝いに駆り出して、大垣の広報にまで載せて、新市庁舎建設に浮かれている。新市庁舎建設で、市民一人当りの負担額が、県下一の高さだから、立派になるのは当たり前である。まるで市民からカツアゲした餓鬼が、それを自慢するようなものだ。

 大垣の園児には、立派な大垣市の大人に成長するという使命がある。それをないがしろにしての、お祝いの行事に「子供の代表として」との言葉の魔術をつかい、「賑やかし」で駆り出しを強要されている。それを市民の誰も疑問に思わない。これは教育への冒涜である。

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 広報おおがき 2020年1月15日号

 駆り出された園児はダシに使われている。

   これは小川敏の事前選挙活動ではないのか?

 

 小川敏は、「大垣は子育て日本一を目指す」と言葉の魔術師としてほざくが、その実態は、大垣は県下最低の教育環境である。すべて小川敏市政が食べてしまった。

 なにせ大垣市の児童生徒一人当たりの予算は、県下最低なのだ。なんでそれが子育て日本一を目指すといえるのか。まるでペテン師に近い言動である。

 大垣市の幼稚園、小中学校のエアコン導入率は県下最低レベルであった。なにせ他市が殆ど100%のエアコン導入率であったが、大垣市は2.1%であった。大垣の恥を小川敏が作った。

 大垣市の職員の給与は県下最高であるが、教職員の給与は県下最低である。大垣市の教職員の給与は、岐阜市と比較して、208万円も低い。それで大垣の子供達が他市よりも優秀になるわけがない。

 岐阜市では、市の職員の給与より、教職員の給与が高い。大垣市はその逆である。子育ては、子供が社会に巣立つまでの期間である。幼児だけの期間が子育てではない。小川敏はごく一時期の事だけを、春画的手法で誇張して市民に説明して、市民を騙している。

 小川敏は、毎回、事あるごとに、ごく一部の事を春画的に拡大して、自分の功績みたいに自慢している。狙いは4期連続無投票当選である。その末路は大垣の没落である。

 

大垣市の教育は県下最低レベル

          一人当り予算   児童生徒数 

         千円  大垣100で   人

多治見市    735    158    8,862  

岐阜市     529    114    32,074  

可児市     517    111    8,352   

大垣市     465    100    14,400  

各務ヶ原市   445     96    12,525   

刈谷市(愛知県)918    197    11,120  

 

大垣市・岐阜市の職員給与

      一般職     教育職

大垣市   665.62万円  529.61万円  2016年

岐阜市   639.87万円  738.09万円  2014年

  給与.comより https://kyuuryou.com/city/212016/?nendo=2014

 

大垣市職員の給与は県下最高レベル

大垣市議の年収   942万円 全国115位

大垣市役所職員年収 685万円  全国67位( 全国792市中で上位)

           岐阜県下一位(岐阜市より多い)

岐阜市役所職員年収 672万円 (全国117位)岐阜県下二位

岐阜市民の年収   344万円 全国170位

大垣市民の年収   320万円 全国280位

 

新市庁舎の建設費、大垣市は県下一豪華

      人口  新市庁舎費用  市民一人当たり負担

大垣市   159千人  126億円  79千円(県下一)

岐阜市   406千人  266億円  65千円 

各務ヶ原市 145千人   83億円  57千円

多治見市  107千人   52億円  48千円

 

2020-01-30 久志能幾研究所通信 1466  小田泰仙

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2020年1月29日 (水)

磨墨智453.満足では幸せになれず

   幸福=充足/欲望

    幸せ=人が喜ぶ行為/無償の愛の行為

 

 幸福になるために時間を創ろう。欲望を小さくすれば充足までの時間は短くできる。無償の愛は、人よりも己が幸せになれる。

 「足るを知る」とは禅の言葉である。欲望を大きくするから、器が埋まらない。結果だけを追い求めるから、幸せになれない。

 立って半畳、寝て1畳、飲んで三合、そんなに人は消費できない。必要以上にかき集めても、人には寿命という時間制限がある。だから人は、貯めたお金を全ては使いきれない。またお金を使うのに疲れて不幸せになっていく。お金が集まり過ぎると、猜疑心が大きくなり、不幸になる。

 人が死んだ後に残るは、集めた量ではなく、世間、世に与えた量・質である。

 

満足と幸せの違い

 幸せとは、欲しいものを手に入れて満足することではない。幸せとは、欲しいものを手に入れる過程で、得られる心の充実感である。それはプロセスの中にあり、目的追及の過程に存在する。利他の行動、感謝の気持ちが生まれる行動、目に見ない嬉しさであり、何度でもその効果が持続する。

 満足とは、結果である。結果に満足しても、決して幸せとは言えない。満足は目標達成の時であり、利己欲の達成の時であり、ご褒美の経済的利権の獲得であり、儲かったという気持ちであり、お金のように他人からも見えるものである。それは一度限りの満足である。それを手に入れると、更にそれ以上のものを求め、無間地獄に堕ちていく。

 

 満足  vs  幸せ

 結果      プロセス

 頭が理解    心が充実

 利己      利他

 驕り      感謝

 目に見える   目に見えない

 一度限り    何度でも

 

 カルロス・ゴーンは日産社員2万人の首を切り、系列を切り、人材育成費を切り、社員のリストラの血で染まった123億円を独り占めしても、更にカネを求め続けて墓穴を掘った。

 小川敏は姑息な手段で3期連続無投票当選に持ち込み、5期の市長職を勤めて、大垣市の墓穴を掘っている。大垣市は瀕死の状態である。更に小川敏は4期連続無投票当選を目指して動き出した。大垣市を地獄に落とすつもりである。本人は3億円の手当で極楽天国である。

 

成果主義の天国と地獄

 我々は成果主義に踊らされて、満足のために結果だけを追い求めるから、結果を出して満足しても、決して幸せにはなれなかった。それは各個人の利己と利己の戦いになるから、勝者の1%だけが幸せになり、99%が不幸せになる社会となってしまったからだ。今日の勝者は、明日の敗者にすぐ没落する。

 成果主義評価が浸透すると、見かけの成果を上げるため、安易な目標を掲げて申告する。だから容易に目標は達成できるが、自分の能力は上がらない。自分は忸怩たる気分で幸せとは思えなくなる。そうやって社員全員が、チャレンジしなくなるので、会社は衰退していく。

 日本で最初に成果主義を取り入れた富士通は、その弊害に気が付き、早々に成果主義を止めてしまった。

 

6選を目指す小川敏の満足と不幸せ

 小川敏は5期も大垣市長職を勤めても、幸せでないから、成果を求めて6選を目指すのだろう。求めても求めて切りがないのに。大垣市を良くするのが目的ではなく、6選を目指すのが目的となり、市長の自己宣伝の行事ばかりに力を入れるから、大垣の発展には逆効果である。だから市民税を使って多選を目指すための目立つ行事ばかりとった。大垣市のための結果が出ず、大垣市民が不幸せになっていく。小川敏だけが満足である。それで大垣市は衰退・没落した。

 この19年間の小川敏の無能政治で、地価は半値以下に暴落し、大垣経済は20%も衰退した。駅前商店街は80%が店を閉めた。約8000人の商店従業員が泣いて大垣を去った。人心は倦んだ。市の職員はヒラメになった。小川敏は天狗となって、大垣市職員の給与を県下一に上げたが、こっそりと大垣市教員の給与は最低レベルに落とした。児童生徒の教育環境を県下最低レベルに追い込んだ。

 人には寿命という時間制限がある。それを無能な小川敏だけで6選を独り占めしようとするから、他の市長職に適した人の時間を奪い、大垣の歴史の時間を奪っている。小川敏は、恥も外聞もなく6選への事前選挙工作を始めて「恥知らずの恥は外道」を行っている。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2020-01-29 久志能幾研究所通信 1465  小田泰仙

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藁人形には五寸釘を打たない

 私は万物には精霊が宿っていると信じている。だから私は藁人形には五寸釘を打たない。人を恨めば、倍返しでその咎を受けるだろうと思う。そんな暇があったら、私は反省と学ぶことに時間をかける。人を恨まねばならないような仕打ちをする輩とご縁があったら、その人の分析をして、二度とそういうレベルの人とご縁がないように自己防衛をしている。その人は、悪縁の実相を教えてくれたのだ。そんな悪縁の人と付き合っていると、もっと大事な人とのご縁にかける時間が無くなってしまう。人生時間は有限である。人生二度なしである。私は、五寸釘よりも、ペンの力が大きいと信じて行動している。

 

精神教育

 現代日本社会で、心に病を持つ人が激増したのは、人の心を大事にするよりも、拝金主義・物質主義・刹那主義・利己優先主義が横行して、人の心を傷つけることが平気になったためである。日本の心教育の再建が必用である。

 親が仏壇の前で手を合わせないから、子供が手を合わさず、親が後ろ姿で子供を教えないから、子が目に見えないものに畏敬を覚えなくなる。仏壇のない家の子が不良になる確率は、仏壇・神棚のある家の子よりも大きいという。

 

己が神仏

 元京大総長の平澤興氏は、弟子が仕事で悩んで相談に来た時、「全力を尽くすのは当然だが、さらに神仏に祈ったか?」と問うたという。祈りとは、冷静に自分を見直す機会である。神仏の前で手を合わせて、傲慢になる人はいない。神仏の前では、人は謙虚に冷静になる。そこで自分と冷静に対峙できる。そこに神仏の加護がある。神仏は己の魂に籠る。己こそが神仏である。己が運命を切り開くのだ。神仏は見守っているだけである。

 

モノには精霊が籠っている

 モノには精霊が宿っているので、使われないと悲しむと思う。モノにはこの世のお役目がある。それが使われずに死蔵されと、そのモノに哀れを感じる。そう言っても、現在、私の家で使われず死蔵されている品数が死屍累々である。その多さを見ると、慙愧に堪えない。日々反省である。

 もっと大事なことは、自分の中で、使われずに死蔵されている才能である。出来ないのではなく、使って見なかっただけなのだ。だから何でも挑戦すべきだと思い、毎日新しいことに挑戦している。そこに日々新しい発見がある。

 

心の保護膜

 人の体は、鉄面皮のような面の皮、心臓の剛毛と頭蓋骨でその体を守っている(私の面の皮は薄い?)。しかし仏様も人間創造時の設計ミスで、心に保護膜を付けることをお忘れになった。そのため、たった一言で人の心は大きく傷つけられる。たった一言で勇気付けられる。私は、人間を含めた万物に宿る精霊、心魂は存在すると信じて日々暮らしている。だから口頭での言葉には細心の注意をしている。

 

家の精霊

 今まで、私は大学卒業後、就職で愛知県に移り、計6軒の借家に住んだが、その間、釘一本打ったことがない。釘を柱に打てば、家の木が痛みを感じて悲しむと思うからだ。ご縁があって住まわせてもらっている家で、家の精霊に申し訳ないと思うからだ。その借家で以前に住んでいた人が打ち込んだ多くの釘を見ると、五寸釘が打ち込まれたのを見るようで、その家に住む精霊が不憫になる。

 今は、月に一度、土地の氏神様に、お酒で清めて塩を撒いて、手を合わせて感謝をしている。土地にも精霊が住んでいると信じているからだ。お陰で無事に暮らさせていただいている。

 

命を繋ぐ

 昭和9年から始まった法隆寺の昭和大修理で、「鬼」と称された宮大工の西岡常一は、その修理方法を御用学者が鉄の補強をして木にボルト締めすべきとの提案を強固に反対してそれを阻止した「そんなことをすれば、木が泣きよります」と言って反対した。そこの西洋文化とは一線を画する考えがある。万物に神が宿るとした日本人の職人の心がある。木の精霊を信じる職人がいる。それでこそ千年先に命を繋ぐ仕事が生まれる。

 

自宅リフォーム

 現在、住んでいる自宅も、50年前に両親が苦労をして建てた家なので、10年前から7年がかりでリフォームした。本来、リフォームせず建て替えた方が安かったが、新築とほぼ同じ金額をかけてリフォームをした。両親の想い出と魂が籠っていると思ったからだ。だから私は家の精霊に気を使って、家の柱に釘一本打っていない。両親が建てた家に釘を打つのは、なにか気が引けた。

 だから書画を飾るための釘は、全て大工さんにピクチャーレールを取り付けてもらって対応した。それ以外は締め付けネジのついたフックや、万力等で固定をして家に傷をつけないように、大事に使っている。そういう心配りだから、2002年の燐家の火事の際、もう寸前で延焼しそうになったが、仏様・精霊さんのご加護で延焼にならずに済んだと信じている。家の精霊に感謝である。

 

大垣行政の愚行

 私は理科系、技術者でバリバリの科学技術信奉者である。しかし神仏は信じている。だから神仏をないがしろにする大垣市長の小川敏には怒り心頭である。小川敏は神仏の前で真剣に祈ったことはないだろう。真剣に大垣市民のために祈り、真剣に己れの行動に対峙すれば、今までの愚行は行えないはずだ。大垣が没落することもなかっただろう。政治は結果が全てである。

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   馬場恵峰書

 

2020-01-28 久志能幾研究所通信 1464  小田泰仙

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2020年1月27日 (月)

磨墨智127  正しく狂せり

 「人間は本質的に狂の部分を持っている。狂っているときが一番正常で健全だ」 ギリシャの哲学者セネカ

 狂は純粋なのだ。純粋から成果が出る。革命は狂から発する。狂でないから、妥協、浮気、醒めた目、無責任が己の魂を支配する。純粋に行動する人間に神仏は味方する。

 狂にも、正しい狂と誤った狂がある。

 

江戸城無血開城の狂

 慶応4年(1868年)、山岡鉄舟は幕臣として、清河八郎とともに浪士組を結成。江戸無血開城を決定した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、官軍の駐留する駿府(現在の静岡市)に辿り着き、単身で西郷と面会した。山岡鉄舟は狂して、明治維新の革命の動乱期に、押し寄せる怒涛のような大波を押し除け、江戸城無血開城を実現させ、徳川慶喜の命も助けた。

 西郷隆盛は山岡鉄舟の人間性を「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬと言う人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛した。山岡鉄舟は世のために正しく狂した。

 

カルロス・ゴーンの狂

 ゴーンは金の亡者になり、拝金主義に狂して、日産を支配した。彼は日産の資産を切り売りし、2万人の日産社員の首を切りまくり、前妻を切り、新車開発費を削り、人材育成を削り、ご縁の系列会社を切って、表面的には日産の業績は回復した。その裏で123億円を不正に貯め込んだ。表面的なことしか目に入らない狂ったマスコミは、見事に騙されてゴーンを名経営者として絶賛した。マスコミは拝金主義に染まって狂っている。ゴーンは狂ったのでなく、金に血迷ったのだ。

 聖書に「汝の行動は汝の予言者である。」という言葉がある。当時のゴーンの行動が今を予言していた。当時、多くの人がゴーンの業務改革に疑問を持っていた。それに目をつぶってゴーンを絶賛したマスコミの罪は重い。

 ゴーンは逮捕・保釈中に正常な判断が狂って、よりによって政情不安なレバノンに逃走劇を演じた。ゴーンの不正の捜査が進み、ゴーンのマネーロンダリングの闇が露見しそうになっていた矢先であった。レバノン政府が倒れれば、その身が危ないのに、狂したのでそれが見えなくなった。誤った狂を演じると、バチが当たる。お天道様に恥じない道で狂わないと、人生の正道を踏み外す。

 

ささやかに狂する

 私も人並み以上に「ささやかに狂して」、仕事に狂い、文書道に狂い、テクニカルライティングに狂い、人財育成教育に狂い、飛行機に狂い、写真に狂い、音楽に狂い、仏像彫刻に狂い、高級車に狂って、今の私がある。狂っている時は、純粋な心になるので、私心と妥協が無くなる。つい最高のモノを求めたくなる。だからお金がかかる。

 トヨタ自動車元副社長の大野耐一は「悪いことに使うのでなければ、お金は何とかなるものだ。」と言っている。彼はトヨタの工場への設備投資でそれを実行してトヨタの基礎を築いた。彼はトヨタの再建に狂して、トヨタ生産方式を創り出した。私はその言葉が励みとなった。何事もこだわりを持って事に当たらねば、人並み以上の成果は得られない。人並み以上成果とは、時間創出である。

 

不動心

 「この道より外に我を生かす道なし。此の道をあるく。ただひたすら一本道。」とは、一つの道に狂して、精進することである。

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  馬場恵峰書 2012年

 

2020-01-27 久志能幾研究所通信 1463  小田泰仙

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2020年1月26日 (日)

磨墨智126 自燃(自然)する

 人間は燃える時に佛性を持つ。燃えている人間に邪心はない。燃えれば自然とエネルギーが発散される。エネルギーを発散するほど、エネルギーが集まってくる。その燃えるような熱き情熱が時間と障害の壁を打ち破る。燃える佛性は無限の時間を創造する。偉大な仕事をした人は、人生に燃えて、仕事に燃えて、己に燃えて、その熱き情熱を維持して、夢を実現した。夢の実現とは、時間の創造である。

 醒めた人間は、悪魔の囁きに耳を傾け、悪魔に魂を売る。醒めた人間はその冷たさで、自他に害毒をまき散らす。冷えこそが体への毒なのだ。冷酷な批判で、燃える人を批判する。人を批判する時間があれば、代案を考え、自分が学び、自分の仕事に一刻の時間を費やすべきだ。冷たい人間は、その大事な時間を無為に捨てている。時間は命である。非難誹謗からは熱き夢は生まれない。冷血は全ての夢を殺す毒である。

青春

 熱き燃えるような情熱は青年の心にあり、情熱の炎が消えた冷たき心は死の直前の老人にある。青春とは、心の若さであるとサミュエル・ウルマンは言う。青春とは、心の温度を表す言葉である。

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   馬場恵峰書

 2020-01-26 久志能幾研究所通信 1462  小田泰仙

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魅惑の「二号さん」を手に入れ、天国と地獄を見る

 この2年間ほど魅力的な「二号さん」にハマってしまって、人生道を迷ってしまった。最近、「二号さん」に乗らないときの「お手当の額」の余りの大きさに愕然として、「彼女」と別れる決断をした。「二号」さんには、いい思いをしたが、高い買い物であった。しかし佳き人生の極楽を経験して、人生の勉強になった。買ってはダメなものは、実際に買ってみて痛い目を会わないと、智慧にならない。知っているというだけではダメなのだ。

 

「二号さん」の維持費(年間)

 減価償却費 600,000

 自動車税   88,000

 自動車保険  88,000

 車庫代   264,000

 車検    100,000

 ガソリン  100,000

 予備費   100,000

 年間合計  1,340,000円

 

 これとは別に、本妻(車歴20年の車)の維持費も年間70万円ほどかかる。それプラスである「二号さん」の維持費が多額である。しかし二号さんと別れる時の手切れ金(売却損金額)は、想像以上であった。

 しかし、そんなことを気にするような人は、高級車を買ってはいけないのだ。高級車の所有者の9割が法人(会社経営者)である。個人で高級車を保有している人はごく少ない。会社経営者は、会社の経費で落とせるから、高級車に乗れるのだ。要は税金対策である。中小企業の社長は、会社で儲かった利益を圧縮するために、敢えて高すぎる車を買うのだ。

 

税金対策

 例えば、2000万円のベンツSクラスで、1年乗ると、売却価格は半値になる。高い車程、その値下がり率は大きい。中小企業の社長は、ぼろ儲けした利益を圧縮するために、敢えて高い車を買うので、値下がり率など気にしていない。だから不格好なクラウンでも、新車が出るたびに(税金対策で)買い替えている。だからクラウンが売れている。だから各地のクラウンを扱いうトヨタディーラは強気で、個人客を相手にせず、法人客に力を入れる。

 そのトヨタ系ディーラは、今年の5月からトヨタ系全店で全車種を扱うようになるので、淘汰されるだろう。今まで汗をかかない営業をしてきたので、そのツケが回ってくると思う。私はクラウンを扱っていた店に行くつもりはない。

 

妾と別荘

 岡野工業の岡野雅行社長は親父から「いくら成功しても、妾と別荘は持ってはならない」と教えられたという。「なんで?」と聞いたら「一生、維持はできないから」と。岡野雅行社長は痛くない注射針を開発した。

 妾とイチャイチャして妾に乗っているときは楽しいが、乗らないときの維持費が大変なのだ。そして妾から多額のお小遣いをせびられる。別荘も、たまに行っても、その別荘の草取りで時間を取られ、固定資産税等で金ばかりかかる。両方とも、そのうちやっていけなくなる。

 なにせ中小企業は、1年後の生存率は40%、5年後は15%、10年後は6%、20年後は0.3%、30年後は0.02%である。

 それは社長が、創業当初の志を忘れ、会社の利益を交際費や妾や別荘に身を入れ込むから、会社を維持できなくなるからだ。要は天罰である。

 

高級車は妾と同じ

 妾と同じく金がかかるのは、高級車でも同じである。中古のベンツでも、車検は60万円かかる。部品が少し傷んだだけでも、ディーラは「ベンツ規格ですから」と、どんどん部品を交換してしまう。イタリアの某高級スポーツカーの車両価格は、そんなに高くないが、車検60万円、延長補償費40万円で、合計100万円が車検ごとに消える。知人の社長が嘆いていた。だから個人ではとても所有できない。

 

高級中古車の販売価格

 ベンツやBMWやレクサスは、新車価格に対して2年落ちの中古車価格は新車の60~75%ほどで販売されている。しかしそれを売る場合は、ディーラや中古車業者の手数料が間に入るので、現実には30~50%でしか、引き取ってもらえない。それも高級車ほど、値下率が高い。高い車は、おいそれとは業者も売れないから、不良在庫になってしまう恐れがあり、その分が引き取り価格を安く設定される。買う方も、高いほど税金対策が出来るので、中古車よりも高い新車を買うようだ。

 却って、安い500万円くらいの中古高級車が、経年変化の値下がり率が低く、人気があるので売れ筋となり、お買い得という。

 

高級車製造メーカは太鼓持ち

 中小企業の社長は、本来、儲けた利益を税金として納めないといけないのに、それを馬鹿らしいと、高級車を買って利益を圧縮する。それは本来、税金で国のインフラを整備する金が、娯楽遊行費として消えると同じである。車メーカもそれに便乗して、過剰に高い価格設定にしている。自動車メーカが、いうなれば中小企業の社長からピンハネをしているようだ。だから高級車は過剰に高い。

 

税金は社会インフラの使用料金

 企業は、税金で作った国のインフラ(道路、橋、高速道路、通信網)を利用することで、金儲けをしている。企業が納める税金はそのインフラの使用料金である。それを正しく払わないのは、お天道の道に反している。キセル乗車と同じである。税金は沢山払うほど、社会に貢献しているのだ。それを、高級車を買って払うべき税金をちょろまかす根性では、会社経営がうまく行かなくなるのも、故ある事である。天はよく見ている。

 

極楽の心境

 個人の私が、この高級車を出来心で買っても、九州から中部地区におみえになった馬場場恵峰先生ご夫妻を送迎できたし、自分の病気治療のため、通院用に半年運転して、ずいぶん楽な思いをした。恵峰先生ご夫妻にも喜んでもらえた。今でも奥様からその喜びと感謝を伝えられる。自分も通院でも安全に快適に走れてそのメリットは大であった。今は月に2,3回しか乗らないので、それでお役目が終わったと思い、手放すことにした。私は決断すれば、行動は早い。それで今まで知らなかった「高級車の闇の世界」も知ることが出来た。それで後悔はない。普通では買えないものを買えたのは、良きご縁であり、幸せであった。高級車を手に入れ、天国と地獄を見た。人生、何事も経験である。

 

2020-01-25 久志能幾研究所通信 1461  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月25日 (土)

アウトプットはスピード最優先 「非事勿主義」

 私のアウトプットは文書である。その出力の付加価値を上げるためには、スピードを最優先として処理している。

 私の文書に誤字脱字が多いと指摘する人がいる。過去の仕事仲間では、そういう人は、仕事の出来ない人が多かった。末梢的な事にこだわり、仕事の本質を後回しにする人である。文書を書いて仕事をしていない人たちである。

 

雑誌原稿のチェック体制の例

 私が前職で技術広報誌の編集業務をしていた時(実質的に編集長)、最終原稿を校正者5人ほどで集まって校正するのだが、それでも誤字脱字が見逃されることが多い。人は活字になるとそれが正しいと思い込んで、そのミスが発見されにくい。ましてやPCの画面上ではミスは発見できない。他人でも発見できないのに、本人ではなおさら発見が難しい。

 またその英文原稿を現地人に校正・添削してもらったが、その校正レベルが酷かった。現地人が英文の正しい英語に精通しているわけではない。英文でも、テクニカルライティング的にしかるべき書き方がある。それが印刷だと正しく見えてしまう。

 特にチェック者がいなくて自分だけで作る資料は、そのミスが多い。私もブログにアップする前に印刷して4,5回は紙でチェックをして修正をするのだが、それでも一人だけのチェックではミスを見逃すことが多い。ミスを無くすことにかかる時間は膨大である。

 それよりも、多少のミスを覚悟して、スピードと量で世に問うほうが、結果として良質な仕事が出来る。完全無欠の文書を作成するために、誤字脱字の校正に時間をかければ、その生産量は半分以下になるだろう。それでは仕事が回らない。

 

私の文書作成方針

 私がこだわるのは、文書の論理構成と文書の伝達意図の明確化、分かりやすい文言、スタイル、構成である。如何に早く理解してもらう文書構成にするかに心血を注ぐ。

 他人が私の文書で、誤字脱字を指摘するからには、その意味は通じているので、それをヨシとしたい。意味が反対に取られなければヨシとしたい。私はカネを貰って文書を書いているわけではない。出版する場合とは別である。多少の誤字脱字は愛嬌であるとしている。人は神ではないのだ。早く情報を伝えるのが最優先である。

 

な言葉よりも正しい論理構成

 往々に誤字脱字のない正確な文書は、竹下登元総理のような言語明瞭・意味不明の文体が多い。「誤字脱字のない文書でも、それで何を言いたいのだ」との文書にそれが顕著である。

 それより多少は言い間違いが多い田中角栄元総理の論法が、愛嬌があり、私は好きだ。それで角栄の言いたいことは理解できる。だから田中角栄総理は竹下登総理より多くの仕事をした。

 仕事でも多少のミスを覚悟して、前に進めた方が、多くの仕事と己の成長が出来る。石橋を叩きすぎて、その石橋を壊してはならない。それはお役人の世界である。

 

正確を期して何もしない役人

 だから役人に支配された日本はデフレ経済から脱却できない。間違えないように、指摘をされないようにと、慎重すぎて、役人は仕事をしないからだ。仕事を変えないからだ。そうやって、大垣の役人が何もせず、大垣を衰退させていく。

 

私の決断

 私が物事を決める場合、スピードを優先して決めている。決めて、間違っていることが分かれば、修正すればよいのだ。経営上の最大のミスは、間違った階段に上ったら、メンツで降りて別の階段に行くことをしないことなのだ。間違いは誰でもする。その間違いは早い方がよい。早い方がその軌道修正が楽だのだ。始めなければ、その間違いも気が付かない。命の時間は有限である。その時間を無為に過ごしてはならない。

 

アイデアが大事

 私はブラインドタッチで、頭に思いついたことを、消えないように早くキー入力することに全神経を使ってる。早くタイプするので、タイプミスも多い。当時、オアシスの親指シフトキーボードを使っていた時は、人の2倍の速度で入力をしていた。今は環境の変化で、しぶしぶローマ字入力だが、それでも超スピードで入力である。

 

スピードが優先

 1980年当時、私はローマ字入力、かな入力、親指シフトキーボード入力を入力速度を上げるために習得した。パソコンが出始めた1980年頃、高速キー入力を習得するため、BASIC言語でタイピングソフトも自作して練習に励んだ。全てはスピードを上げるためである。スピードを上げるとタイプミスも多い。そのミスよりも、浮かんだアイデアを大事の育てることを優先して仕事をしてきた。

 

人物鑑定

 それを文書内の枝葉末節である誤字脱字を自慢げに指摘する輩に出会うと哀れに見える。その人が仕事の出来ない人だと分かるからだ。文書を書いたことのない人だと分かるのだ。仕事の優先順位を考えることができない人なのだ。それも私が人物鑑定をするときのデータである。

 

人生はスピードによって決まる

 私は昔からよくいわれる「石橋を叩いて渡る」ということはやらない。石橋だったら叩かずに渡ってしまう。大丈夫だと思ったら時間をかけない。スピードを重んじる。私はスピードによって人生というものは決められると信じている。

 我々には神様から与えられた一定の人生しかない。それゆえ、与えられ、限られた間に、自分の要求をどれだけ満たすかといことが人生最大目標であるかから、それはスピードが絶対必要である。----本田宗一郎談

                 1995.07.22の書き抜き

 

 石橋を叩かずに渡ることによって被るデメリットよりも、人生をスピードアップすることによって得られるメリットのほうがケタ違いに大きい。

城山三郎・他著『本田宗一郎の「人の心を買う術」』(プレジデント社 1991年)

 

2020-01-24 久志能幾研究所通信 1460  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月23日 (木)

狂った大垣教育行政、働き方改善、児童を犠牲

何かおかしくないか?

 大垣市興文小学校の校舎のドアは、朝7時45分にならないと開かない。校舎の門は用務員さんが6時に開いているのに。地域の人は、子供の通学を見守るために、7時から立哨をしているのに。

 寒い朝、登校している児童生徒達は、学校がドアを閉ざしているので、校舎内に入れない。職員室には教師は来ているのだ。子供たちの教育の場として疑問を感じる。

 不登校で学校に行けない子供さえいる現代、学校に早く行きたいと意欲ある子を締め出すのは、なにか違和感を覚える。

 大垣の小学校は、早く学校に来て皆とお話をしたいという子供たちの向上心を拒絶している。それが大垣の教育現場である。何が子育て日本一を目指すというのか。

 私は町内の某母親から、子供が通う小学校の門の開門時間が遅くなって、外で待つ子供がかわいそうだとの声で、2020年1月15日に現地で実体調査をした。

 

学校側の言いわけ

 学校側の説明では、教師の勤務時間の増大の負荷が増えるのを抑えるため、子供たちに早く学校に来ないように指導をしているという。それでも生徒たちはだんだんと早く来るようになったので、7時45分まで校舎のドアを閉ざすようにしたという。この処置は昨年の第二学期(2019年9月)からという。

 朝、校門で生徒を入校の誘導していた先生に確認すると、「今後、もっとその開門時間を遅くする」という。狂気の沙汰である。

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P1070529s  教室に入れず、寒い外で待つ児童達

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 やっとドアが開いて入室 2020年1月15日、07:48

 

学校は街の支援を無視

 街の自治会では、当番で朝7時から、子供たちの通学路で児童の安全を見守っている。この場所から学校まで徒歩で7分である。それなのに学校が校舎の門を閉じて子供の入室を拒絶している。不審者が校舎の前で待っている子供たちを襲ったらどうなるのか。子供たちに付き添った緑のおじさん達は、生徒が校庭に入ったら、後は安全だとして、その場を離れてしまう。

 学校の説明では、子供たちだけで教室に放置すると危険だと言い訳をする。しかし、現状の方がよほど危険である。容易の不審者が近づける。

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 自治会のボランティアが各所の通学路で立哨 朝7時から(2020年1月15日)

 

子供が犠牲

 要は、「先生の働きかた改革」という美名の元で、子供たちが犠牲になっている。これでは、大垣の学校は、「既定の時間になったら教育というコンベアラインが回り出し、「生徒に教育を施す工程」の工場扱いである。それが「子育て日本一」を目指すと口先の魔術師・小川敏が長期独裁政治を行う大垣市の教育の実態である。

 言い換えれば、大垣市が教育への予算を県下最低のレベルに落としているので、先生たち一人当たりの負荷が大きくなり、結果として子供たちに犠牲を強いているのだ。諸悪の根源は、教育費を自分たちのために「食べてしまった」小川敏市政である。

 

口先だけの働きかた改善

質問:本市の「教員の働きかた改善」の具体的な実績と方針は?

回答:大垣教育委員会では平成30年3月に「学校における働きかた改善プラン」を策定して、教員の働きかたを推進している。プランでは、「1か月あたりの時間外勤務を60時間以内、中学校では70時間以内にすること。」を目標として、各学校においては、運動会や宿泊研修などの学校行事の縮減、さまざまな会議の回数・時間の削減、学校閉庁日、ノー残業デーの設定による働きかたの見直しなどの取り組みを進め、勤務状況が改善されてきているところです。」

  答弁は山本譲教育長  令和元年12月大垣市議会での質疑応答で      

 

県下最低の教育費

 大垣市の児童生徒一人当たりの教育費は県下最低レベルである。それでいて市職員の給与は県下一である。大垣新市庁舎の市民一人当たりの負担額も県下一の高さである。

 2018年では、小中学校へのエアコン導入率が、大垣市は2.1%と県下最低であった。他市は100%であるのが殆どであった。要は大垣市の役人が、子供たちへの教育予算を食べてしまったのだ。一事が万事である。

 それなのに、口先の魔術師・小川敏は、「大垣は子育て日本一」を目指すとはほざく。上記のように、常軌を逸した児童の扱いが、大垣市の教育の実態である。子育ては、幼児だけでなく、子供が高校を卒業するまでの期間である。それを小川敏は、ごく幼児期の一時期だけを取り上げて、「子育て日本一を目指す」(日本一になったとは言わない)と宣伝するのは詐欺のような手口である。

 

大垣市の教育は県下最低レベル

          一人当り予算   児童生徒数 

         千円  大垣100で   人

多治見市    735    158    8,862  

岐阜市     529    114    32,074  

可児市     517    111    8,352   

大垣市     465    100    14,400  

各務ヶ原市   445     96    12,525   

刈谷市(愛知県)918    197    11,120  

 

 

 

大垣市職員の給与は県下最高レベル

大垣市議の年収   942万円 全国115位

大垣市役所職員年収 685万円  全国67位( 全国792市中で上位)

           岐阜県下一位(岐阜市より多い)

岐阜市役所職員年収 672万円 (全国117位)岐阜県下二位

岐阜市民の年収   344万円 全国170位

大垣市民の年収   320万円 全国280位

 

 

教員ファーストの大垣市の醜態

 子供を朝に教室に受け入れるのに、人手がなく、教員の負荷が大きいなら、予算をつけて人を増やせばよい。ボランティアでも地域の支援を求めればよい。手はいくらでもある。教育は子供ファーストである。それが教員ファーストで、ドアを閉めておしまい。それが、大垣ではまかり通っている。まるで病気になったから、薬を飲ませるという対処療法を行っている。病気になった原因に目をつぶっているのだ。

 昔は教師が子供のために己が犠牲になっても、子供を育てた。それが聖職者としての教師の姿である。しかし大垣市は子供を犠牲にして、教師や役人がのさばっている。

 

平目の舞いを演じる大垣行政マン

 だから、朝の寒い時に、児童達を校舎から締め出しを食らわして、学校も役所も平然としている。それを行政の誰も疑問に思わない。大垣市の関係者は自分たちの利権だけを大事にしているようだ。汗をかくことを忘れてしまったのだ。教員はその職が、聖職ということを忘れて、教育工場ラインの作業者に落ちぶれている。それは20年弱の小川敏の無能独裁政治で、行政マンの感覚がマヒしているのだ。それが小川敏の腰巾着と揶揄される山本教育長の議会答弁である。

 

世間の目を逸らす姑息な小川敏

 大垣を良くするために、市民の皆さんは、もっと大垣行政に目を向けて欲しい。小川敏はその目くらましとして、何処に行っても新市庁舎の自慢話ばかりである。各地の新年互礼会でも、小川敏はその自慢の挨拶ばかりである。新年の挨拶なら、もっと大事な今後の市政方針の夢を語るべきだ。

 大垣新市庁舎の建設費用は、市民一人当たり県下最高の負担額である。それだけ贅沢をすれば、分不相応の立派な市庁舎も建って当たり前だ。自慢もしたくなるだろう。それは他人から巻き上げた金でモノを買って自慢するガキの挨拶である

 

新市庁舎比較

      人口  新市庁舎費用  市民一人当たり負担

大垣市   159千人  126億円  79千円(県下一)

岐阜市   406千人  266億円  65千円 

各務ヶ原市 145千人   83億円  57千円

多治見市  107千人   52億円  48千円

 

 

2020-01-23 久志能幾研究所通信 1459  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月22日 (水)

「萬燈行」で人生と大垣を照らす

萬燈行

 内外の状況を深思しましょう。このままいけば日本は自滅するしかありません。我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか。我々が何もしなければ、誰かがどうしてくれましょうか。我々がなんとかするしかないのです。

 我々は日本を易えることができます。暗黒を嘆くより一燈になりましょう。我々がまず我々の周囲の暗を照らす一燈になりましょう。手の届く限り、至る処に燈明を供えましょう。一人一燈になれば萬人萬灯です。日本はたちまち明るくなりましょう。これ、我々の萬燈行であります。互いに真剣にこの世直し行を励もうではありませんか。 

                  安岡正篤

 

 以上は日本の敗戦後の荒廃した日本社会を見て、安岡正篤師が記した言葉である。私は時折、B5カードに書いたこの言葉を見て、勇気づけられている。この言葉は私が安岡正篤師の本にあった言葉に感銘して、2005年5月5日にカードに書き写した。昨日、カードを見直していたら、その言葉が目に飛び込んできた。

 

大垣の未来、日本の未来

 このまま小川敏に大垣市政を任せれば、大垣は自滅するしかない。大垣は日本の縮図で、このままいけば日本さえこのままいけば自滅である。日本は世界第3位の経済大国というが、教育は荒廃し、政治は幼稚化し、経済はデフレ化の一途で、マスコミは忖度ばかりでフェイクニュースを垂れ流す。フェイクニュースとまでいかなくても、新聞・テレビ番組を売るために不安を煽る記事が垂れ流されている。企業は拝金主義に邁進して、日本精神の荒廃に拍車をかけている。

 まず大垣を良くしないと日本もよくならない。我々が大垣を照らす一燈になり、少しでも大垣を良くする取り組みをしたい。

 大垣を良くするためにも、その前に自分の家庭・子供の躾を見直そう。ゲーム機やスマホばかりにかじりつている子では、将来の大垣、日本を背負えない。その躾の責任は親である。

 自分の住む街の行政に目を向けないと、行政はやりたい放題で、街が衰退の一途である。無能政治の小川敏大垣市政のように。

 私はその啓蒙活動の一環として、このブログを書いている。

自燈明 

 此の世で、最優先でなさねばならないことは、自分の心を照らす燈明を持つことだ。それが師の言葉であり、背中で示す言葉である。現在がいくら暗くてもよい。己が一燈を掲げて、暗夜の国から光の国を目指して歩めばよい。明けない夜はない。自分の一燈を頼ればよいのだ。

Dsc004751s 馬場恵峰書

 

2020-01-22 久志能幾研究所通信 1458  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月21日 (火)

小川敏、6選に向け猛烈ダッシュ

フライング

 巷の噂では、小川敏は2021年4月の市長選に向けて、組織を動かし始めたという。昨年末に、大垣の高級料亭で大垣財界の寄り合いがあった時、6選への出場を表明して、財界陣の了承を取り付けたという。

 

知能犯

 小川敏は吝嗇と噂された母親から、市長選に出る時「政治は金がかかるから止めて欲しい」と泣いて止められたという。だから彼は、カネのかからない選挙を考え出した。対立候補が活動する前に、現職の強みを生かして最大限の事前選挙活動をして対応した。選挙が公示されたときは、対立候補が手も出せないようにしてしまった。それで今まで3期連続の無投票当選である。小川敏は、民主主義の原則を踏みにじっている。

 

子供を泣かして、ヒラメの舞

 小川敏市政は現在5期目で、満期になれば20年間の長期痴政である。そのため取り巻きはヒラメ状態に陥っている。取り巻きにも、家族もあり生活がかかっているのだ。小川敏に逆らって飛ばされたら、市民の平均年収2倍の市役所職員手当が危うくなるのだ。

 大垣市の職員の給与は、岐阜市を抜いて県下一の高さである。それに比較して、大垣市の児童一人当たりの教育費は、県下最低なので、児童生徒はその待遇に泣いている。2年前のエアコン導入では他市が100%だったのに、大垣市のそれは2.1%しかなかった。その費用を大垣市政が食べてしまったのだ。大垣市は、国に泣きついてその費用を出してもらった。

 

長期独裁政治

 今回もこの姑息な作戦がうまく行けば、4期連続無投票当選である。これでは民意が踏みにじられる。市長6期では24年間の独裁政治となり、腐敗がさらに浸透する恐れがある。北朝鮮の将軍様顔負けである。長期政権で腐敗をしなかった歴史事例はほとんどない。

 

市議会自民党の動き

 最近、大垣市自民党の内部が、市長派と反市長派に分裂したという。利権が絡んで怪しい動きが密かに動き出した。市長派も小川敏が言う事を聞かないなら、すぐ反市長派に転向するぞと暗黙の圧力を小川敏にかけている。それは利権の渦巻く世界である。要は、小川敏が市長として6期目の当選を目指すというのが市会議員の間で知れ渡っている。

 

手口

1 御用新聞をフル活用

 御用新聞社の岐阜新聞社を使って、過剰に行事に出る小川敏の顔写真を、過剰に新聞に載せる。中日新聞と岐阜新聞の西濃欄を比較すると明らかに、岐阜新聞は裏で小川敏とつながっていると推察される。

 

2 寄付がエサの売名行為に

 大垣財界に声をかけ、市に寄付をさせて、僅か数十万円の寄付で功名心をくすぐり(売名行為)、それにかこつけて小川自身の宣伝のツーショットの写真を岐阜新聞に掲載しまくる。大垣財界トップも小川に任せれば、己たちは企業活動でやりたい放題にできるので、都合が良いようだ。それこそ利権にまみれたギブアンドテイクである。こんな低落の大垣財界首脳陣が大垣経済を牛耳っているから、大垣市は衰退した。

 

3 1年以上前からの事前選挙対策

 小川敏は、3期前の市長選挙の1年以上も前からずっと、事前選挙活動を密かに始めていた。手始めに大垣財界の了承を取ってしまう。その企業の組合の支持をも取ってしまう。これで対立候補に対して絶対的優位に立てる。

 

4 表敬訪問を悪用

 大垣市長を表敬訪問する人とツーショット写真を岐阜新聞に頻繁に掲載させる。表敬訪問する人の写真を乗せるのは記事として必要かもしれないが、市長の顔写真は不要である。その公共の報道に不要な写真を、中日新聞は載せないが、岐阜新聞はあえて載せる。小川敏は公共の報道機関を私物化している。

 福岡市は日本一成長している。その福岡市の高島市長は、「表敬訪問は市の発展に寄与しない」として、表敬訪問を受けないという。高島市長はその時間があれば、市の発展のための仕事をするという。自己宣伝ばかりの小川敏と大違いである。要はド田舎の政治屋のやることなのだ。だから大垣市は没落した。

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 2018年5月30日付の岐阜新聞西濃地域欄に、「褒章受章の喜びを語る」の記事が掲載されていた。要は、天皇陛下から拝受した章を報告しに行った表敬訪問である。主役は授章者で、市長は何の功績もない。掲載された写真では、まるで小川敏が褒章受章を拝受したような写真である。正に自己宣伝に使っている。市長の小川敏への表敬訪問の記事はこのレベルばかりである。

 

他市の例

 長崎新聞では、その表敬訪問の写真に長崎市長は写っていない写真を新聞に掲載する。長崎新聞と岐阜新聞社のレベルの差である。

 2020年1月9日、オランダ駐日公使が長崎市長を表敬訪問した記事が長崎新聞に掲載されていたが、オランダ公使の写真だけが掲載されていた。これが岐阜新聞なら、過去の例から見て、必ず小川敏とツーショットの大きな写真になるはずだ。

 他市では、寄付をする人の写真などは掲載しない。ましてや寄付に全く貢献しない市長の写真を載せるのが非常識である。寄付は陰徳であるのに、新聞紙上にしゃしゃり出て、私が寄付しましたと新聞に掲載させるのは、売名行為である。大垣市民として、全国に恥さらしで恥ずかしい。

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オランダ駐日公使が長崎市長を表敬訪問  長崎新聞 2020年1月10日

 

なぜ辞めないか

 小川敏は、19年間の無能政治で大垣市を没落させても、責任も問われず、退職金を含めて5億円も手当てを貰い、濡れ手で粟の豪華な新市庁舎を建設した。市民税である。人口一人当たりの負担では、県下一高い負担の新市庁舎である。それは人口11万人弱の多治見新市庁舎(2024年完成予定)よりも65%も豪華なのだ。新市庁舎の居心地の良い椅子に座れば、その椅子にしがみ付きたくなるのが餓鬼の根性である。乞食と大垣市長を3日やれば、やめられなくなるのだ。

小川敏の成果

 大垣市は、小川敏が市長になってから経済は年率1%で衰退し続け、公示地価が19年連続で下がり続けた。こんな都市はない。結果、大垣市の公示地価は49%に暴落してしまった。大垣駅前商店街は80%がシャッターを下した。

 その大垣市がなぜ、県下一の費用をかけて新市庁舎を建設したのか。

 

新市庁舎比較

      人口  新市庁舎費用  市民一人当たり負担

大垣市   159千人  126億円  79千円(県下一)

岐阜市   406千人  266億円  65千円 

各務ヶ原市 145千人   83億円  57千円

多治見市  107千人   52億円  48千円

 

佛のお裁き

 佛は小川敏に人並み以上の(記憶力だけは秀でた)才能を与えた。それで東大に入る機会を得た。しかしその能力は、大垣市を衰退させ、利己的な利益のために天から与えたのではなかろう。世のためにその能力を使うために与えられたのだ。それに反した20年近い無能政治に、きっと「佛のお裁き」が下るだろう。

 

2020-01-21 久志能幾研究所通信 1457  小田泰仙

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