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2019年12月30日 (月)

企業の拝金主義化は、日本人の劣化の表れ

 綜合文具首位のコクヨが、文具大手のぺんてるを敵対的買収を仕掛けて、結果として、敵対的買収が失敗した。その過程で、コクヨがぺんてるの従業員に内部情報を漏らすのを唆すような呼びかけをしていると、そのコクヨを非難する文書をぺんてる自社HPに公開するような醜態的事象まで起きている。文人が愛する文具を作るメーカなのに、その喧嘩の様子は野蛮人のように醜態である。まるで金で全てを解決できるかのような風潮である。

 

コクヨの経営方針の綻び

 『致知』の対談記事で、コクヨとは「国の誉れ」から社名を取ったということを覚えていたので、コクヨの敵対的買収の行為に違和感を覚えた。これはコクヨ創業者の気高き志を踏みにじることになる。それは創業家末裔の未熟さを表す恥さらし行為ではないかと感じた。

 コクヨの今回の敵対的買収の仕掛けは、日本の企業が拝金主義、グローバル経済主義に染まった現象である。経営者が、人格と同じ社格のある相手会社の尊厳を平気で踏みにじるまで劣化した象徴的事件だと思う。それがまかり通る世情にいら立ちを覚える。企業の劣化は、会社を経営する経営者の劣化である。それは日本人の人格の劣化の表れだ。

 先人が苦労して作り上げた組織を札束で頬を叩くように、敵対的買収で手に入れる。そんな行動が、グローバル経済主義では正当化されるが、日本では何か違和感がある。会社を創業し、それを継続するのは大変な労苦である。会社には、創業者の志と社会への責任がある。グローバル経済主義の裏技で、敵対的買収で、簡単にその会社を入手するのが流行る世相は異常である。

 

ソフトバンクの例

 ソフトバンクの孫氏は、米国の会社の買収工作で大火傷を負ったようだ。孫子はマネーゲームの興じているようだ。私はソフトバンクの経営方針に疑問を持っていたので、その昔、ツーカーセルラーがソフトバンクに吸収されたとき、私はソフトバンクでなく、auに切り替えた。君子危うきに近寄らず、である。

 

事務用品のメーカ変更

 今まで、私は自宅の事務用品の購入で、お店の推薦でコクヨ製のチューブファイルを揃えていたが、馴染みの文具店店が私に不合理な仕打ちをしたので、そのお店に行くのを止めた。次に変えたお店では、キング製のファイルを推奨されたので、それを買うことになった。結果として、コクヨ製からキング製に変えたことになった。

両社の製品を比較すると、明確にキング製が優れている。つまり経営者が劣化すると、製品も競争力を無くすようようだ。私は、この買収騒動事件を機に、コクヨの製品を完全に止めようと思う。その会社が作る製品は会社の顔と経営者の人格を表すのだ。

 

チューブファイルは創造の道具

 ちなみに今回、自宅書庫にあるA4、B5のチューブファイルの分量を数えてみたら、148冊が存在した。今も増加中である。我ながら呆れた。資料は私の仕事の歴史と知的創造のツールなので、ケチるわけにはいかない。

 ドイツの諺に「整理整頓は、人生の半分である」がある。私は、資料の整理にチューブファイルが欠かせない。持てる情報・資料の整理こそ、創造の源である。創造とは、学会の定義によれば、「過去の経験知識の解体と結合による」という。発明は天才の仕事だが、創造は凡人でも出来るのだ。

 

2019-12-30  久志能幾研究所通信 1439  小田泰仙

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