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2019年12月26日 (木)

人生の賞味期限、毎日が賞味期限

 どんな食品でも、どんな生物でも、どんな工業製品でも、どんな生き方でも、賞味期限というのがある。食品では、製造後、味が保証された賞味期限というのがある。家電製品でも補修部品の保管期限はせいぜい10年である。だから家電製品の賞味期限は10年である。

 人間なら若い時しか、記憶力に頼ったペーパー試験で良い成績は残せない。私も還暦後、記憶力がモノを言う国家資格に挑戦したが、記憶力が旺盛な若い人たちに負けてしまった。記憶力は若い時だけの賞味期限である。還暦後では、私の記憶力は賞味期限切れであった。

 人間として仕事をする労働者としての賞味期限は、せいぜい60歳までである。だから求人広告でも、年齢制限があり、60歳以上の再雇用は限定される。世の常として体力・知力が正常に働けるのが還暦までが自然の理である。

 

小川敏の賞味期限

 現在69歳の小川敏は、市長としての賞味期限は切れている。だから市長として痴呆的な行動が目につくようになった。それが自分で分からないのは、認知症の一歩前のようだ。情報を知識として覚えているだけで、智慧がないから痴呆的な行政が顕著になってきた。世の常識として、市長6選に向けて宣言するなど、正気の沙汰ではない。小川敏は、市長の立場で、それを意識せず、お役所のお山の大将として、ルーチンワークだけで時間を無為無策に過ごしたから、脳が賞味期限切れとなり、出す政策が間違いばかりで、結果として大垣を衰退させた。大垣が勝手に衰退したのではない。小川敏が衰退させたのだ。

 

人生は闘いの日々

 人間は毎日が賞味期限との闘いである。毎日が勉強の機会なのだ。燃えるような恋は若い時しかできない。体力に任せての徹夜の連続も、若い時だけが可能で、体力にも賞味期限がある。私も若い時は、体力に任せて徹夜もやり、寝ずに連続40時間以上のトラブル処理の労働もしたが、今はとてもじゃないが、そんな激務では体がもたない。

 いくら才能があっても、20歳の若人の瞬発力に、中年のアスリートでも負ける。中年のアスリートはオリンピック選手として賞味期限が切れたのだ。しかし、今からはコーチとしての活躍の世界が広がっている。

 わき目も振らず勉学に打ち込めるのも若い時だけである。歳をとると目の前に誘惑の魅力ある事象が目白押しである。人として修行のような勉学期間の賞味期限が切れたのだ。

 人間には春夏秋冬、その時々の賞味期限があり、それに合わせた人生設計が必用だ。それを考えないから、人間として早く賞味期限切れとなり、生きる意味を失い、早く死ぬ。

 

成績一番の末路

 小学校、中学校、高校、大学で常に成績で一番を取り、松下電器に就職してエライさんにまで上り詰めた人がいた。しかして年になり会社を離れたら直ぐ病気になり、世間から遠ざかった生活になった。そして間もなく、国立病院に入り、亡くなられた。組織の流れに身を任せて、自分で自分の人生を設計してこなかった人の末路である。いくら頭がよくても、智慧がなかったのだ。己の人生の成長戦略がなく、組織を離れ自分の時間が出来た時は、人生の賞味期限が切れてしまったのだ。長崎の馬場恵峰先生の知人である。

 

毎日が真剣勝負、毎日が賞味期限

 今日という日の賞味期限は、その日限りである。己が生まれて何歳何日というこの日は、二度と巡ってこない。毎日が賞味期限との闘いの真剣勝負である。日々、人は賞味期限切れ(死)に向かって時間がカウントダウンしている。毎日、良いことを考え、よいことを実行すれば、日々好日なのだ。無為無策に時間をすごすと、日々悪日となる。

 

「無職」という職業

 馬場恵峰先生は「無職」という職業を選択したので、日々やることがあり過ぎて忙しくて仕方がないという。金に縛られた職業なら、その与えられた仕事を期日までに済ませれば、後は暇である。しかし「無職」では、その制約がなく、やることがどんどん浮かんできて、忙しいという。それはボケ防止には良いことのようだ。馬場恵峰先生は93歳の現在も矍鑠としてみえる。書道家として現役である。私もそういう師を持つと、おちおち死んでなんかおられない。

 「人生二度なし、生涯現役」宣言は、有効期限なしのゴールドの人生運転免許証である。

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2019-12-25 久志能幾研究所通信 1434  小田泰仙

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