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2019年11月 9日 (土)

53年後の浦島太郎物語と閻魔様物語

善男善女の仏様の集会 中学の同窓会

 2019年11月9日の今日、53年ぶりの中学校の卒業同窓会をあり、参加した。どの顔を見てもその面影がなく、「貴方はどなたでしたっけ?」ばかりである。3年前にも同窓会があり、皆と会っているのだが、私に認知症の気があるのか、全く3年前の記憶がない。情けない思いである。

 これは浦島太郎と竜宮城お姫様の53年後の出会いである。善男善女の出会いである。中学卒業後、53年後に玉手箱を空けたら、皆同時に歳をとり、よきジジババになって再会したのだ。

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4無し同窓会

 今回の同窓会は、K幹事が、「カラオケなし、出し物なし、恩師出席なし、二次会なし」を強固に主張してくれて、拘った4無しの同窓会にしてくれた。恩師を呼ばなかったのは、恩師が出ると、どうしても気を使わないといけないので、会話がぎこちなくなるとの判断であった。ただただ皆でお喋りを3時間するという方針で、実に気持ちのよい同窓会であった。いままで参加した同窓会、ОB会とは格段に差のある同窓会になった。

企画の大切さ

 何ごとも計画、志、目的でそのプロジェクトの全てが決まる。今までは、幹事が皆さんに喜んでもらおうと、色んな企画をするのだが、それは自己満足で終わっている。実際に顧客の立場で考えたら、その反対のことをしている場合が多い。

 学校の丸暗記の試験だけはできた市長の小川敏の都市行政で、大垣は没落した。自己満足の計画であった。知識はあっても、智慧がないための結果である。計画、企画には知恵が必要なのだ。

 自分は何のためにそのプロジェクトの企画をしているか、顧客の立場で考えているのかを自省すべきである。

 同窓会なら、数十年ぶりに会った仲間なのだから、じっくりとお喋りをしたい。それを下手な聞きたくもない他人のカラオケの大声で、仲間との会話が邪魔されるのは本末転倒なのだ。カラオケを歌って自己満足している輩のレベルが低いのだ。イベントの出し物に引き込まれるのは、昔の仲間との会話に身が入っていないのだ。

幼馴染の記憶 

 I君は、私といつも模型屋に行ったというが、私の記憶が全くない。後で思い出したことは、中学校ではなく、小学校での幼馴染であった。当時、父の会社の廃止されたプールのコンクリート壁で、一緒に戦争ごっこをしたことを思い出した。

 今、写真をやっている女性と写真づくりの話題で意気投合して、楽しい時間を過ごせた。

 

生涯現役の教え

ほどんどの人が現役引退で、仕事を継続している仲間は少なかった。その中でも、子供、病気、盆栽、姑の悪口、等の話しがなかったのは良かった。

 私の所属したクラス仲間は、11名が参加して10クラス中で最大の参加者数であったが、亡くなられた仲間が9名もいて、それも最大の数となった。実に2割が亡くなっている。仏様に生かされている幸せを感じた。

 私は93歳の馬場恵峰先生の後姿を追い続けて、生涯現役を目指してきた甲斐があった。色々と皆と話し合って比較してみると、私の行動力が飛びぬけていた。良き師を目標に持つことは、長生きの秘訣である。長生きしても体が動き、現役でないと、意味がない。

 

市長の批判

 余談で、小川敏市長の批判がでると、大盛り上がりである。小川敏市長の政策が間違っている証明である。同級生のみんなが同じ感想を持っていることが確認できたのは、収穫であった。これは今回の同窓会のおまけの話しである。

 

閻魔様の代理

 72人の仏様が、今まで生きてきた己の生きざまが正しかったかどうかを教えてくれた。正しくはなかったかもしれないが、間違った生き方ではなかったことだけは分かった。それだけでも大収穫である。

 今年、私は癌が発見されて手術をしたが、死なずに生還できた。皆と会えた。こんな僥倖はない。感謝である。人生の折り返しで、同窓生の仲間が閻魔様の代理で、その審判をしてくれた。

 同学年の450名中、参加者は72名。生きていて、参加したくとも参加できない人もいる。病気で参加できない人もいる。諸般の事情で参加できない人もいる。閻魔様が、参加を許してくれなかったのだ。それを参加できた幸せを感じるべきだろう。同窓会のご縁がきても、参加の意思と閻魔様の許可がないと参加はできないのだ。ここでの再確認は、健康でご縁がなければ、同窓会に参加もできないこと。人生の基本的なルールである。

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 馬場恵峰書

 

2019-11-09 久志能幾研究所通信 No.1393  小田泰仙

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