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2019年11月 8日 (金)

終活 御本尊の佛事異動

 2019年11月6日、大切に保管していた前の御本尊の仏像を、松本工房に預けた。来年2月にお炊き上げして頂く。2015年、仏壇に納めていた仏像の御本尊様を、今の明慶先生作の御本尊の仏像に変えた時、そのままお炊きあげもどうか思ったが、2015年まで当家を20年間守っていただいた仏様なので、押し入れの奥にしまっておいた。

 今回、私が大病を患い、今後のことを考え、前の御本尊様をお炊き上げにしていただくことにした。何時までも、そのままというわけにもいかない。生あるもの何時かは滅する。それがこの世の掟である。私の死後、御本尊様が不敬に取り扱われるのも本意ではない。これは、その前にやるべき終活の一つである。明慶先生作の御本尊は菩提寺に納佛するように遺言書を作成した。

 

新旧比較

 今回、松本工房に預けるため、しまってあった前の御本尊と明慶先生作の新しい仏像(釈迦如来像)を再度比較する機会を得た。前の仏像は、母が亡くなり、父が仏壇を買ったときに同時に購入した。父はかなりお金を出したと言うが、今回、2つの比較をすると、明慶先生作の仏像と格段の差があることを(当たり前を)再確認した。値段が1桁違うはずなので、やはり安いモノにはワケがある。高いモノにもワケがある。

 仏壇に納める御本尊の仏像は、通常は2mくらいの距離から、また暗い仏壇の中に鎮座する御本尊様だから、その詳細をじっくりとは眺めていないものだ。今回、写真に撮りじっくりと眺めてその詳細が判明した。

 

旧の仏像は

 お顔に締まりがない。

 目の彩色も緻密さがない。

 材質は不明である。金の塗装であるので生地の部分が分からない。

 本体の下にホゾがなく、台座に接着されている。

 光背の作りが貧弱

 台座の模様細工も貧弱

 光背の取り付けも簡単なはめ込み構造。

 華盤の化粧なし。

 台座の彫刻が荒い。黒塗装で胡麻化している。

 

明慶先生の仏像は

 お顔も威厳がある。

 岩田明彩師による目入れは、前とは比較できないくらい緻密。 

 材質は白檀製で塗装なし。

 本体の下にはホゾで固定されている。 

 光背の細工が緻密。透かし彫りである。

 光背は台座に凹部を彫り、そこに差し込まれる構造。

 光背も白檀製。だから緻密な細工が出来る。

 華盤の化粧つき

 台座の彫刻が緻密。台座も白檀製である。

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 松本明慶大仏師作 釈迦如来像 白檀 2015年

 御精魂の入魂儀式前のお姿

 

内なる御本尊

 自分の中には御本尊様なる主人公が存在する。その主人公が我儘な己と相談しながら、表の行動を支配している。その主人公とは、別名で潜在意識といい、人の行動の9割を支配している。人の行動に現れるのは、氷山の一角なのだ。そのご本尊様の品格が、己の行動に出る。そのもう一人の御本尊様の人格を上げないと、人格が高まらない。内なる御本尊の「人格」を磨くのは人である。最高の人格は最高の人格でしか磨けない。低い人格の人で磨かれた人は、それ相応の低いレベルである。だからこそ己を磨いてくれる師は、選ばなければならない。

 その師が身近にいなければ、他山の石から学べばよい。人は人から学ぶ。「俺には関係ない」と縁を取りに行かないから、人格が磨かれない。興味があれば、東京でも九州でも、ローマでもウィーンにでも飛ぶべきだ。私はそうしている。己は内なる御本尊様を左遷という人事異動(佛事異動)させていないか、反省したい。

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 馬場恵峰書

 

追記

 昨日、2019年11月7日は、東京で正倉院展を見学、その後、プレジデント社の経営塾に参加した。その後、懇親会もあり、病み上がりの身にはハードスケジュールで、結果として体調も崩し深夜に帰宅したので、ブログをお休みしました。恐縮です。

2019-11-07 久志能幾研究所通信 No.1392  小田泰仙

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