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2019年5月

2019年5月26日 (日)

冒険家が作る付加価値とは何か?

仏様は、売名行為、拝金行為、世間に反する行為を、決して喜ばない。その罰は当たるはずだ。

 

経営とは

90歳でエベレスト挑戦とか、冒険家の秘境への挑戦がよく話題となる。それでどういう付加価値を社会に提供するのか。単に興本位で、下衆の暇つぶしの事ではないのか。冒険家とは価値なき冒険でしか、世間に話題を提供できない劣った能力の持ち主である。もっとやることがあるだろう。それをありがたがり、経営者セミナーに講師で呼ぶ主催者も、愚かである。そんな経営者団体のメンバーが、経営をうまくできるはずがない。

 

卒寿の価値

90歳になったのだから、もっと社会の為になる事に時間を使って欲しい。そんれは年寄り冷や水の愚劣である。秘境は、秘境のままそっとしておいて欲しい。それを煽るマスコミも堕落している。マスコミは拝金主義の餓鬼道に堕ちた。

 

気ちがい沙汰

高地の断崖絶壁からスキーで滑り降りて、それが社会にどういう付加価値を生み出すのか。冬の積雪の高地を登山して、どういう付加価値が生まれるのか。それは人類にとって緊急性ある挑戦でもあるまい。

その費用は、多くの企業の寄付に頼っている。その寄付は社会に対して投資の価値があるのか。それに命を掛ける価値があるのか。単なる売名行為ではないのか。そのお金をもっと付加価値の出るプロジェクトに投資して欲しい。

時として遭難して、その救援費用に税金が使われる。その冒険は自己責任なのだから、とやるせない思いである。

 なにも焦って未開の地を開発しなくても、時間がこれば、技術が発達して誰でも行けるようになる。それで「自然を征服した」などの言葉を吐くのは、人間の傲慢である。痴呆者の冒険など、所詮は遊びの世界だ。

 

暴拳華が破壊する人間の付加価値

隣国の人道的犯罪に目を背け、真実を報道しないマスコミには、社会的な存在価値はない。隣国に行けば、24時間以内に臓器移植のドナーが見つかるという。それは軍隊で蹂躙した北方の住民を強制収容所に隔離して、拷問殺略して、その生体から臓器を取り出しているから、ドナーが豊富にあるのだ。それをマスコミは報道しない。それはドイツのナチのユダヤ人虐殺の犯罪に匹敵する。

チベットでは、住民の20%が虐殺された。人口1億人の日本に換算すると、2千万人が虐殺されたと同じである。

だからトランプ大統領は、人権蹂躙の問題、知的財産の泥棒の件と軍拡の覇権問題で、かの国を敵として、経済戦争を始めた。トランプ大統領が正常で、トランプ大大統を気ちがい扱いしている日本のマスコミの方が狂っている。だから、先の米国大統領選挙前に、フェイクニュースばかり流して、トランプの当選を見通せなかった。マスコミはその使命を放棄した証である。事実を知っていて、あえて報道しないマスコミは、存在価値がない。

今回の消費税の増税で、マスコミは課税の対象外となっている。利己主義に走り、政府を慮って、真実を報道しないマスコミに付加価値はない。

 

医師が破壊する仁術の付加価値

 抗がん剤の副作用を知っていて、それを勧める医師は、社会にどんな付加価値を出しているのか。却って、患者を苦しめ、寿命を短くしている。

 意味なき放射線治療をするのは、仕事をすることになるのか。1985年の米国議会で、放射線治療と抗がん剤は、ガンの治療にはならないと米国ガン研究所の所長が証言している。

 CTを必要以上に使えば、年間許容放射線以上の放射線を浴びることになる。頻繁にCT検査をする医師に命の付加価値はあるのか。

 高血圧で、降圧剤だけを処方して、根本治療には口を閉ざす医師は、社会のどんな付加価値をだしているのか。それは患者を金儲けの手段としていること。

 高血圧の基準値を変えて、高血圧患者増加と降圧剤の売り上げ増をもくろむ高血圧学会の存在付加価値はなにか。

 

暴拳家が破壊する付加価値

 テレビが国民に暴力をふるっている。 

テレビで大食いを演じるタレントは、どんな付加価値を作っているのか。日本の文化の美徳を破壊していないか。品性ある人は、人前で大食いなどしませんぞ。タレントは足るを知るという価値を破壊している。

 グルメを宣伝するタレントは、餓鬼道に堕ちている。

 テレビゲーム市場の拡大を景気拡大とみなす日本経済新聞社は、日本社会にマイナスの付加価値を与えている。ゲームは若者の精神を破壊している。ゲームは人殺しを平気でする精神を養っている。

 テレビで、ファーストフード、清涼飲料水、酒類の宣伝に血道をあげて、スポンサーに媚びるテレビ局は、社会に付加価値を与えていない。日本人の癌の増加の一因である。

 テレビで、痴呆番組、殺人事件のドラマの制作に血道をあげるディレクターは社会に害の付加価値を与えている。人は一番多く見たことに影響される。だから凄惨な殺人事件が起きる。

 日本の財政赤字に嘘報道、増税の必要性の嘘報道をするマスコミに価値はあるのか。こんな状況だから、景気が回復しない。

 

己の仕事の価値

 自分のやっている仕事は、社会に対して、どういう付加価値があるのか、考えたい。仕事をするとは、皆さんのためになることをすること。真冬の高地からスキーで滑り降りても、クソの役にも立たない。報道すべきことを、あえて報道しないとは、報道という仕事をしていない事。仕事とは、「事」に「仕える」と書く。その「事」は世のために役立つのか? 自省してみたい。

 

2019-05-26  久志能幾研究所通信 小田泰仙

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目にもスイートスポットがある

 仏師の彩色師が佛様の目を描くときは、彫られた目の頂点を探し、佛師が意図して彫った目の位置を探し出して目の位置決めをする。「どんぴしゃに目の位置が決まると、佛様がニコッとするのが分かる」と岩田明彩師はいう。それが目のスイートスポットである。目の位置が決まればあとは佛様と対話をしながら、佛様の表情にあう最適な目に仕上げていく。それが彩色師の仕事である。

 

決めどころ

 テニスのラケットでボールを打つときも、ボールがテニスラケットのスウィートスポットに当たると、極めて気持ちがよい打撃感が手に伝わる。どんな仕事でも決め所がある。それがうまく決まると、仕事の醍醐味を味わえる。仕事が楽しくなる。仕事の魂と己の魂の邂逅である。そんな出逢いを得るには魂の修行が必要だ。真摯な仕事への取り組みがないと出逢えないご縁である。そんなときは、自分が仕事の鬼となっている。己が鬼にならなければ、仕事の新しい目は探せない。鬼とは己の魂の叫びである。

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2tonnbo    高野山納佛 増長天 松本明慶大仏師作、岩田明彩師目入れ(2014年)

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4  高野山納佛 広目天 松本明慶大仏師作、岩田明彩師目入れ(2014年)


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  虚空蔵菩薩座像、桧 5寸 明慶先生作、岩田明彩師目入れ(2014年)


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 聖観音菩薩像、楠 1尺 明慶先生作、岩田明彩師目入れ(2011年)

 

2019-05-25   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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2019年5月25日 (土)

「命の目」を創造

どんな仕事も一人では出来ない。多くの人の手を介して一つのプロジェクトが完成する。その時、己が担当する部分が全体でどういう位置づけにあるかを理解しないと、付加価値のある仕事は生み出せない。またその仕事が歴史のなかで、伝統を受け継ぎ、それに新たな付加価値を創造していく。新しい取り組みをして伝統を変えていくから伝統が継続する。現状維持だけの伝統技能は廃れていく。その伝統継承の一部を自分が担っているという意識があるかないかで、そこに賭ける命の重みが変わる。

 

目の付加価値

今回、四天王の広目天と増長天(2014年に高野山に納佛)を足元で支える邪鬼の目にも、松本明慶先生と岩田彩色師が創り出した付加価値がある。平成の邪鬼の目には、江戸時代の邪鬼にはない新しい「命の目」が創造されている。命がある目は、何かを観るものに語っている。

その道を極めないと「新しい目」は開眼しない。開眼しない限り、目の前に宝の山があっても見えない。今までの人生という旅で、数多くのご縁の宝を見過ごしてきたのかと思うと、後悔の山である。これからは「命ある目」で巡り来るご縁と接したい。

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    開眼作業中の岩田明彩師

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0_4    高野山に納佛した広目天と増長天を支える邪鬼(松本明慶大佛師作)2014

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2019-05-25   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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成長の原則

 現在は、デフレで景気が悪い。だから国民の給与が下がり、車が買えず、若い人が結婚できず、子供が生まれない。日本では子供の数が減り続けている。

 

高度成長期

 しかし私が就職して会社生活を始めた1970年代から1992年のバブル崩壊までは、日本の子供の数は増えていた。それは政府が公共投資をして、企業が設備の投資し、人に教育投資で金を使って経済成長を図ったからだ。景気は良くなり、給与も上がり、皆は車を買って、結婚して、子供が増えた。好循環である。だから日本は高度経済成長を達成できた。

 

バブル後のデフレ

 バブル崩壊後、緊縮財政で、政府は金を使わなくなった。公共投資は激減した。企業は、全ての面で金をケチるようになった。教育投資もしなくなった。仕事も派遣社員を増やし、正社員を減らし、給与は上がらなくなった。悪魔のサイクルで、景気が悪くなり、国民は給与が減り、車を買わなくなった。買えなくなったのだ。若い人は、車も買えず、結婚もできず、子供も生まれない。

 政府は経済政策を間違えたのだ。デフレ時代は、緊縮財政が間違いなのだ。今回、またデフレの時代に増税という間違いを犯そうとしている。安倍総理は、外交は及第点だが、経済政策は落第点である。

 

大垣市経済

 それは大垣行政の責任者・小川敏市長も同罪である。ケチケチで生きた金を使わないから、大垣市経済が衰退し、大垣駅前商店街が壊滅状態の幽霊通りになったのだ。大垣市の文化芸術が衰退したのだ。他市はリニア景気で沸き、地価が上がっているが、大垣市の地価は下がっている。現実の姿が正しい。

 小川敏市長は、大垣市経済活性化に何の効果もない新市庁舎の建設に、「活性化」だと大嘘を言って血道をあげている。

記憶力はいいが、智慧のない小川敏市長は、現実が見えないようだ。だから20年近くも同じ過ちを犯し続けている。だから大垣市は衰退の一途である。

 

成長の原則

 自分の生活でも、金を貯めるばかりで、金を使わなければ、自分は成長できず、金を稼げなくなる。それと同じである。成長したければ、自分に投資をしなければならぬ。それは国も企業も同じである。

 お金をもっと使おう。自分を成長させることにお金を使えば、お金がお友達を連れて、帰ってきてくれる。その使い方を利己的に使い間違えると、堕落する。

 

2019-05-25   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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磨墨智417. 人を育てる

 自分の代役を育てるほど、自分の時間が豊かになることはない。理想は自分を乗り越えて自分以上に成長してくれること。そういう想いで、私は自分教育と部下教育を重視して会社生活を送ってきた。私が技術管理部の課長となってからは、技術者教育体制も整備した。問題はそれに応えてくれる部下も「上司」も少なかったこと。だから私を育ててくれた会社は市場から消えた。

 勝負の世界でも、師匠を乗り越え、師匠を打ち負かすことが恩返しなのだ。

 私が70歳を前にして思うことは、持てる智慧、知識は来世に持って行けないという焦りである。それを後世に伝えたい。せめて文書で後世に残したいと、文筆活動をしている。

 

義子先生の後継者

 河村義子先生は、残された5年という時間を意識して、後を受け継ぐ後継者を育て来た。「世界で一流の音楽を聞く会」、カナデノワコンクール、子と音、等の音楽プロジェクトを立ち上げ、それを運営してくれる人を育てて、それを見届けてからこの世を去っていった。「人を育てる」とは、素晴らしい遺産である。

 

2019-05-25   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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2019年5月24日 (金)

日本赤十字社からキャシュバック

 日本赤十字社への寄付金は、小川敏大垣市長名(大垣支部長)で、大垣市が半強制的に自治会を通じて集金している。ところが、その集金した金額の7%が、日本赤十字社大垣支部から、集金した団体の各自治会連合会に、「ご褒美」としてキャッシュバックされる。その用途は自治会連合会上部で使われて、そのお金は全体の中で埋没して、使途不明金の一部になってしまうようである。自治会の住民のほとんどは、その事実を知らない。本来の寄付の善意が勝手に曲げられている。寄付を出す住民は、そんな使われ方を想定していない。寄付をしたのだから、全額、活動に使っていると思っている。

 

違法行為

また善意の寄付で成り立っている日本赤十字社の寄付に、なぜノルマの目標金額があるのか。大垣市より、各自治会に、半強制的に寄付の割り当てが来る。小川敏大垣支部長は、大垣市としての寄付金額の目標値を掲示して各自治会に指示をしている。各家庭も自治会の班長が集めにこれば、世間体で出さないわけにはいかない。

私が所属する自治会で、この寄付に対する賛否のアンケートが取られ、その結果は、半数以上がこの半強制寄付の反対であった。しかし、班長が集金にこれば、世間体でいやいや出すようだ。

これは最高裁で、違憲という判決が出ている。それを大垣市は無視して、集金している。違法行為である。

 

会計不明瞭

 なぜ、寄付金の使用用途で、全体の22%も運営経費として、使われるのか。寄付金の2割のピンハネはアコギである。その内訳は公表されない。その割合も年々、その割合が増えているようだ。

義援金を日本赤十字社に送っても、一律義援金から20%が天引きされて、被災地に送られる。その内訳は公開されない。

私は、それを聞いてから、東日本大震災の時、直接、被災地の山田町役場に義援金を贈った。その用途は、山田町のHPで使用用途が公開される。

 

本来の組織

 本来、日本赤十字社は戦後の一時的な組織であったはずが、何時の間にか、恒久的組織となっている。本来、この日本赤十字社の活動は国が税金で、国の組織として運営しなければならない内容である。それを寄付で賄うのが異常である。

 箔をつけるためか、皇后陛下が名誉総裁として日本赤十字社の総会が執り行われる。皇后陛下が出席されれば、その対応の経費が膨大に膨れあがる。本来の援助に使うお金が減ってしまう。本末転倒ではないのか。

悪い噂

 大きな災害が起こると、日本赤十字社本社のある街の飲み屋街が異常に賑わうという噂がある。それを暴露・追及した某週刊誌は、圧力がかかったようで第二弾の追求記事が立ち消えになった。なにかやりきれない思いである。

 

2019-05-24   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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癌の最先端医療特集番組の愚

 癌の最先端医療情報の番組は多いが、最先端の癌予防医療の特集は、聞いたことがない。対処療法を広報するより、癌がこれだけ広がった真因を探って対策の番組を放映すべきなのだ。

 癌特集番組は、癌になった真因を避け、凄腕の医師、名医のいる病院の紹介である。癌特集をする一方で、グルメ番組、大食い大会、料理番組、食品のコマーシャルを放映している。テレビ局には、スポンサー企業への気兼ねがあるのだろう。

 特集番組では、癌患者の手術後の生活までを追って撮影しているが、ジャンクフード、ファーストフード、清涼飲料水、油、外食等のがんを誘発する食品は食べ放題の生活をそのまま放映している。食材メーカが大手スポンサーのテレビが、食い物に関して洗脳教育をしている。そのテレビが癌の原因である。癌にならないためには、まず元を絶たなきゃダメなのだ。まず自己防衛でテレビを消す。その番組の裏を考えよう。それは医療機関の宣伝では? 

 

2019-05-24   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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2019年5月23日 (木)

「感動」とは動くこと(改定)

 芸術、仕事において、「理動」、「知動」はない。あるのは「感動」だけ。人を感動させる仕事をするには、動かないと感動はさせられない。

 

合理的とは

 いくら合理的に考えて行動しても、それは合理的の範囲でしか判断できない。合理的とは、ごく狭い範囲の中でしか考えられない偏った考えである。「理」では、創造はできない。創造は、感動から生まれる。「理」を破壊してこそ、創造はある。芸術は爆発なのだ。芸術は理を超えた存在である。

 

魂の叫び

 人の不幸や喜びに「不感動」では、音楽や芸術で人を感動させる音楽家・芸術家には大成できまい。電話やメールでいくら言っても、情報は伝わるが、魂の叫びは伝わらない。足を使って、わざわざ動いてくれた。だから感動する。芸術家なら、特に心すべしである。感動は魂の叫びである。感動がない芸術家は、感動の音楽を奏でられまい。

 

映画監督の魂の声

 「マイク、拡声器では情報は伝わるが、魂の叫びは伝わらない。(黒澤明映画監督)」 

 黒沢明監督は、ロケ現場でも拡声器を使わず足で動いて、役者のところまで行き直接、指示をした。大林亘彦監督は、余命3ヶ月を宣告されたステージⅣの癌の身でも、それの教えを忠実に守って映画を作っている。

 

航跡

 船が港から出ていくと、船の後の波の航跡が続く。大きな船であるほど、航跡は長く続く。人が去っても、その想い出がいつまでも心に残る。言葉で美辞麗句を並べても、それはすぐ忘れられてしまう。その人が、「動いて」感動を与えてくれたことは、長く心に残る。動かなければ、相手の心に響かない。

 冷酷無比で残酷な織田信長の心を動かしたのは、サルと呼び捨てされていた木下藤吉郎が信長の草履を懐で温めたからだ。

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 馬場恵峰書 「佐藤一斎著「言志四録」五十一選訓集」

 久志能幾研究所刊

 

あるエピソード

 年初に、懇意にしている音楽家に、病気の件があり、それを前提に飯でも食おうとメールを送った。ところが、それは無視されて、返信はなかった。病気の事情を話して、しばし音楽関係の雑談でもしようと思ったわけである。入院先が、彼の住居の近くだったのも、その理由である。

 私の退院後、彼は知人から私の病気・手術のことを聞いて、慌てて電話をしてきた。私は、とりとめのない話をして、電話を切った。

 なぜ、そんなに私の病気が気になるなら、すぐ「動いて」、自宅に見舞いに来ないのか。電車で、わずか1時間の距離である。私ならそうする。口先では何とで言える。それでは相手に、心配している感動は伝わらない。彼が、芸術家として「感動」する心を養わないと、音楽家として大成出来ないのではないかと危惧している。

  

動くとは感動

 ある友人は、私のために、わざわざ伊勢神宮、豊川稲荷に行って、お守りを貰ってきてくれてた。それをそれぞれ2回、自宅に届けてくれた。彼は体調不良の身でありながら、「動いて」くれて、私は感激した。

 彦根の知人は病院にも、自宅にも、計6回も見舞いに来てくれた。感謝、感激である。

 

2019-05-23   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

心配なことは、必ず起きる

自宅駐車場の危機管理

 私が、自宅の駐車場に車の出し入れする時、毎回、駐車場隅のブロックとの距離がなく、車の前部のセンサーが毎回鳴っていた。毎度のことで、何時も無事通過していたので、注意が散漫になっていた。2019年4月22日、体調が悪かったせいもあり、車の前バンパーを駐車場隅のブロックにこすってしまった。何回も車の出し入れをした来たのに情けない話である。

 本来、車の衝突防止センサーが頻繁に鳴っているので、もっと前に対策を打つべきであった。今まで偶然にも無事であったので、対策が疎かで、不感症になっていた。本能で、そのままではヤバいと思っていて、そのまま放置するから事件が起きる。心配なことは、必ず起きる、危機管理の原則である。

 

応急対策と恒久対策

 その対策として、翌日、出っぱていたブロックを削除した。車は修理に出した。ブロックの削除工事に40,000円、バンパー修理に44,000円である。暗号名「霊柩車」の修理代は高い! 高くても実施するのが、危機管理である。

 事故の対策は、応急処置(バンパーの修理)と根本対策(ブロック部の切除対策)である。応急処置だけして、根本対策をしないから、また事故を起こす。なにごとも、根本対策の再発防止が大切である。

心配な人・危ない人

 日頃、何か危ないと思うとか、違和感を感じる人には、近づかないことだ。危ないと思われること自体、何か異常な警報である。自分の潜在意識がその危険性を教えてくれている。虐め事件や不愉快な事件、不正事件に巻き込まれるやも知れぬ。君子危うきに近寄らず。

 その社長は〇〇塾の仲間であったが、零細自動車整備屋の経営者で、ご縁として車検を頼んだら、私の車を車検の間、乗り回わされ、ガソリンが空になって帰ってきた。その悪行はドライブレコーダに記録されていて、それが露見した。それ以降、この業者と縁を切った。この業者の社長は、私の家を訪問する度、違う外車に乗ってきた。今思うと、客から預かった車を乗り回していたのだ。その車のナンバーの多くは「0001」であった。

 

危機管理

 病気でも、自分で何かおかしいと思ったら、すぐに精密検査である。私も癌が発見される前に、体に違和感があり医師に訴えたが、まともに取ってもらえなかった。その時、危機管理として自分で検査を受けるべきであったと、今でも後悔している。医師だってわからないのだ。一番、自分の体の異変に気が付くのは、己である。

 

根本対策

 病気でも、手術は応急処置である。しかし根本対策は、生活習慣(食事、運動、睡眠等)の改善である。手術だけして安心して生活習慣を変えないから、病気が再発する。医師も対処療法ばかりで、病気になった原因を教えない。今、私は病気の再発防止で、生活習慣を改善している。

 

2019-05-23   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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2019年5月22日 (水)

地蔵菩薩が持つ大きな器を目指して

 お地蔵様は、正式には地蔵菩薩という偉い方である。地蔵菩薩は、釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となるため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救うお役目の仏とされる。現世では、お地蔵様として子供の守り神として祭られている。地獄に出張したときは、お役目として閻魔大王の役も務めるとされる。

 菩薩とは仏教において成仏を求める(如来を目指す)修行者のことを指す。菩薩は修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くことで、庶民の信仰の対象にもなっている。

 

地獄論

 地獄は、天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の六道で最悪の所である。地獄に堕ちるのは、生前中に善を積まなかった不心得者で、多くの積善を心がけた方は、閤魔大王に呼び出され閤魔帳を覗いて判決を受けることもなく浄土に赴かれる。

 地獄に堕ちてしまえば、救いようがない。地獄の向かう亡者を裟婆と地獄の境界で「地獄の十王」が亡者の生存中の業の履歴が記された閤魔帳と照合して、どの地獄に送るかを評定して判決する。その裁判で被告の弁護をするのが地蔵菩薩である。

 

裁判員裁判制度の愚

 先人が考えた地獄論は、現代の裁判員裁判制度に比べれば、はるかに人間的で救いがある。最近の裁判員裁判制度での死刑判決の多さが異常である。その死刑判決のお役目を一般市民に押し付ける制度はいかがなものか。死刑を判決せざるを得ない一般市民には地獄である。死刑の投票を裁判員制度の裁判官としてしたら、一生トラウマとして残ってしまうだろう。

 

裁判官と弁護人が同一

 十王の中の裁判長が「闇魔大王」であり、闇魔大王は地蔵菩薩の化身であると言われる所以である。それ故、判決を下す裁判長と被告の弁護人が同一人物となるので、無罪が期待され、もう一度裟婆に戻れる可能性があることから地蔵菩薩信仰が生まれたといわれる。この信仰は民衆の地獄に対する恐怖観念が貴賎を問わずあったことも一因とされる。

 

先人の智慧

 こういう仏の組織体系を創造する先人の智慧には驚嘆する。今の新興宗教教祖の浅智慧では、足元にも及ばない。仏教の体系図は、会社組織の概念の創作と同じである。日本の地獄絵は、8世紀ごろに東大寺の線刻画に登場している。地獄は全て人間が作り出したものだが、その恐怖心をうまく活用して道徳心を子供に植えつけたのは智慧者である。私も幼いころ、祖母から地獄絵をお寺で見せられて、恐怖心を味わった思い出がある。

 

新興宗教団体のお笑い

 地獄論ができて1300年も経って、今の新興宗教界で、「脱会すると地獄に堕ちるぞ」と脅す教団があるのが、お笑いである。地獄に堕ちるには、それ相応の罪を犯さないとその資格が無い。原始宗教では、それが詳細に決まっている。原始宗教は、今よりも緻密である。現代新興宗教の教義は、金儲けに迷って、ガサツな体系となっている。それを信じる方は、もっと愚かである。

 

祈りの器

 仏像は、皆さんの祈りを受け止める小さな器である。拝むにしろお願いするにしろ、空気の前では手を合わせづらいもの。その祈る対象を具現化した一つの例がお地蔵様の像である。私は毎朝の散歩道の途中にある地蔵菩薩像の前で、「子供たちを守っていただきありがとうございます。守っていただいた子供たちを私もお守りします」と手を合わせている。

 

器が写す鏡 = 己は地蔵菩薩

 その地蔵菩薩の姿を思いめぐらせば、それは己の心が鏡に投影された姿ではないかとの思いに至った。人は自分の世界観の中でしか物事を考え出せない。先人が考えだした地蔵菩薩とは、人間の姿の反映である。己の心には厳しい裁判官の姿もあれば、相手の罪を弁護してあげる優しい心もある。その内なる心の面が、時に応じて葛藤して百面相のように変化する。すべて己の心の迷いがなす業である。それを如何に仏の心の眼で世の中を観るかで、成仏の程度がわかる。地蔵菩薩はその両方の清濁を併せ持つ。自分もそんな大きな器になりたいと思い精進している。

 子供たちが日本の未来を背負ってくれる。地蔵菩薩はその守り佛である。子供を害する大人へは、己が地蔵菩薩になりきって、厳しい裁判官の眼で、接するのが年長者の義務である。

039a21501s  松本明慶先生作 童地蔵菩薩像  高さ13センチ

 

 この子は、東京の展示会にお友達の200人と一緒に上京した。その中からお見合いをして、この子に決めて大垣の自宅に来てもらった。200体のお地蔵さんは、同じように見えても微妙に一人ひとり違い、この子と決めるのに苦労をした。(2013年10月)

 松本華明さんのお話しでは、年々この童地蔵菩薩像の作りにこだわりが出て、明慶さんも日々レベル向上だそうです。

 

 『命の器で創る夢の道』

2019-05-22   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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