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2019年5月23日 (木)

「感動」とは動くこと(改定)

 芸術、仕事において、「理動」、「知動」はない。あるのは「感動」だけ。人を感動させる仕事をするには、動かないと感動はさせられない。

 

合理的とは

 いくら合理的に考えて行動しても、それは合理的の範囲でしか判断できない。合理的とは、ごく狭い範囲の中でしか考えられない偏った考えである。「理」では、創造はできない。創造は、感動から生まれる。「理」を破壊してこそ、創造はある。芸術は爆発なのだ。芸術は理を超えた存在である。

 

魂の叫び

 人の不幸や喜びに「不感動」では、音楽や芸術で人を感動させる音楽家・芸術家には大成できまい。電話やメールでいくら言っても、情報は伝わるが、魂の叫びは伝わらない。足を使って、わざわざ動いてくれた。だから感動する。芸術家なら、特に心すべしである。感動は魂の叫びである。感動がない芸術家は、感動の音楽を奏でられまい。

 

映画監督の魂の声

 「マイク、拡声器では情報は伝わるが、魂の叫びは伝わらない。(黒澤明映画監督)」 

 黒沢明監督は、ロケ現場でも拡声器を使わず足で動いて、役者のところまで行き直接、指示をした。大林亘彦監督は、余命3ヶ月を宣告されたステージⅣの癌の身でも、それの教えを忠実に守って映画を作っている。

 

航跡

 船が港から出ていくと、船の後の波の航跡が続く。大きな船であるほど、航跡は長く続く。人が去っても、その想い出がいつまでも心に残る。言葉で美辞麗句を並べても、それはすぐ忘れられてしまう。その人が、「動いて」感動を与えてくれたことは、長く心に残る。動かなければ、相手の心に響かない。

 冷酷無比で残酷な織田信長の心を動かしたのは、サルと呼び捨てされていた木下藤吉郎が信長の草履を懐で温めたからだ。

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 馬場恵峰書 「佐藤一斎著「言志四録」五十一選訓集」

 久志能幾研究所刊

 

あるエピソード

 年初に、懇意にしている音楽家に、病気の件があり、それを前提に飯でも食おうとメールを送った。ところが、それは無視されて、返信はなかった。病気の事情を話して、しばし音楽関係の雑談でもしようと思ったわけである。入院先が、彼の住居の近くだったのも、その理由である。

 私の退院後、彼は知人から私の病気・手術のことを聞いて、慌てて電話をしてきた。私は、とりとめのない話をして、電話を切った。

 なぜ、そんなに私の病気が気になるなら、すぐ「動いて」、自宅に見舞いに来ないのか。電車で、わずか1時間の距離である。私ならそうする。口先では何とで言える。それでは相手に、心配している感動は伝わらない。彼が、芸術家として「感動」する心を養わないと、音楽家として大成出来ないのではないかと危惧している。

  

動くとは感動

 ある友人は、私のために、わざわざ伊勢神宮、豊川稲荷に行って、お守りを貰ってきてくれてた。それをそれぞれ2回、自宅に届けてくれた。彼は体調不良の身でありながら、「動いて」くれて、私は感激した。

 彦根の知人は病院にも、自宅にも、計6回も見舞いに来てくれた。感謝、感激である。

 

2019-05-23   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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