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2019年5月

2019年5月21日 (火)

「追悼写真集 河村義子先生」の製作に着手

 河村義子先生が2018年12月25日に亡くなられて、半年が経った。当初、もっと早く追悼写真集を出す予定であったが、私が癌で倒れ、寝込んでしまったので、最近まで取り掛かりができなかった。

 最近、やっとそれに着手する元気が出てきた。まだまだ体力的には回復せず 、まともには動けないが、編集作業ならと少しずつ取り組んでいる。

 

先生とのご縁の始まり

 私は先生が亡くなる5年前にグランドピアノを買い、義子先生からピアノを習い始め、そのご縁で義子先生の演奏活動の写真を撮り始めた。その演奏会の写真数は8,000枚ほどに達した。お弟子さんに聞くと、それ以前の写真は、スマホで撮った写真くらいしかなく、本格的な写真は皆無という。私がプロ用の機材で写真を撮り溜めたのもご縁と思う。

 撮影用カメラも、この5年でCANON7DⅡ、CANON5DⅣ、SONYα9と三代も変わった。α9は、演奏会用の無音シャッターで、暗い舞台でも撮影が可能なカメラである。演奏会を撮影するのでなければ、買わなかったご縁である。

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  馬場恵峰書 人生六詞

 

ご縁

 今にして、一番脂ののった時期の義子先生の活動を撮影出来て、よきご縁であったと思う。遅からず、早からず、義子先生とご縁ができたのは、運命かもしれない。それこそ一期一会である。

 私の癌が見つかったのも、義子先生の死で、何か胸騒ぎがして検診を受けた経緯による。いわば義子先生の霊が教えてくれたと言える。もし検診があと半年遅れていれば、手遅れの恐れもあった。感謝です。

 

人生を完全燃焼

 義子先生もピアノが華やかに盛り上がった時代に、演奏家として活動できた。享年61で、見た目の若さを保ったまま、多くの人から惜しまれて亡くなられたのは、一面では幸せであった。現在は、ピアノ市場は衰退傾向である。義子先生がよぼよぼになって、往年の美しさが色あせてから亡くなられたら、こういう状況にはならなかっただろう。義子先生は、音楽で人のために役立つことを夢見て、人の2倍も3倍もの情熱をかけて、やりたいことをやり切って、命を全うされた。だから弔問客が、通夜と本葬で計1,000人を超えた。ある意味で羨ましい人生であった。私はその最盛期の記録を写真として残せたことを幸せと思う。

 私はその姿を私の母にダブらせて見ている。母は戦後、シベリア抑留から帰国した父と結婚して、裸一貫で、戦後の日本高度成長期を駆け抜けた。市内のある会社の社長から、「お前の母親は、大垣市内の社長を集めても、太刀打ちできる者はいない」と言われるほどの傑物で、その社長から一目を置かれていた。母は高度成長期、頑張ってその成果を手にして、日本経済のバブルがはじけた後、静かに世を去った。やりたいことをやり遂げた後で、幸せな人生であったと思う。

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  馬場恵峰書 人生六詞

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2019-05-21   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月20日 (月)

あれ食えこれ食え 痴呆CM 癌が増え

知足者富

 食べ足りないで早死する人よりも、食べ過ぎて寿命を早める人が多い

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馬場恵峰書

 

 テレビの番組は、CMで、食い物、食べる行為の氾濫である。どんなものも美味そうに食べているタレントばかりが登場する。

 ジャンクフード、スィーツ、清涼飲料水、お酒、ハンバーガー、マーガリン、油、ソーセージ、ラーメン等、全国各地のグルメ紹介、食べ放題特集、大食い番組等の氾濫で、国民が痴呆的にテレビを見てつけられている。まるで洗脳教育で、何かおかしくないのか。

 癌を予防し、肥満、糖尿病、高血圧等の病気にならないためには、食べてはいけない食材ばかりである。テレビ番組制作者は、スポンサー企業の顔色を見て、金儲けのために、そんなことは無視である。

 日本には食料ばかりの話しで、お心肥の話題がない。もっと心を養わないと、日本は衰退の一途である。

 この痴呆的なCM攻撃には自己防衛するしかない。自己防衛できない子供たちを、親は守る義務がある。しかし、その親が堕落しているのが現代日本社会である。自分が癌に罹患して、世の中に発癌性食材の氾濫を見て、その思いを強くした。

 

飽食の罪

 その昔、学校で悪さをすると、罰として水の入ったバケツ2杯(約10kg)を持たされ廊下に立たされた。それが今は、長年の飽食の罰として、肥満になると脂肪の塊(10kg)が身につけさせられる。天からの罰として、バケツの水と同じ重さを持って働かされていると同じである。肥満になれば、高血圧、糖尿病、脳梗塞、ガン、通風等の病気になるのは自然の理である。飽食が万病の元である。その結果、医療費も高騰の一途をたどり、40年前に総額10兆円であった日本の医療費は、現在、40兆円を超えた。医学が発達しても患者は増えている。これは人の食生活が贅沢になり、本能のまま旨いものばかりを求め、心の修養を怠った結果である。その罪悪の履歴(閻魔帳の記録)が体に付いた脂肪の重さで「情報公開」される。誰でも閲覧可能な情報である。見れば分かる。閻魔帳はあの世に無い。今の己の体が、閻魔帳として存在する。

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飽食の連鎖(food slave chain)

 テレビでは連日、グルメの番組、料理番組、行列のできる飲食店の特集、絶品食品の宣伝、スイーツ・ジャンクフードのCMが目に付く。締めくくりとして胃腸薬の宣伝を大々的に展開する。ここに「飽食の連鎖」で食い物の奴隷に成り下がった現代人を垣間見る。食い物を食い物にして、金儲けに走る企業の戦略が透けて見える。

 その結果が、日本の男性の40代~50代で肥満者が30%を超えている。20年前に比べると3割も増加である。肥満は病気である。この結果が、医療費40年間で、3.7倍への肥満化である。現代社会は病気製造の片棒を金儲け主義の企業が担いでいるといえる。更に製薬会社と医療産業まで金儲けで目の色が変わっている。人の命をネタに金を稼ぐのは、吸血鬼ビジネスである。

 最初は崇高な理念で始めた徳田氏の徳州会病院も、2012年に、その娘の堕落で世にそのスキャンダルを晒した。旨いものばかりを食って太った中年太りの姿は醜態そのものである。

 その誘惑に負けた食い意地の履歴が、己の肥満として閻魔帳に記録される。美味しいものには毒がある。それを防ぐのが克己心。何のために生かされた命かを自問しよう。

 

足るを知らず

 満腹したライオンは、目の前をウサギが通っても襲わない。それが自然の摂理である。ライオンでも本能として「足るを知る」のである。ところが現代人は、満腹でもあるだけ食べてしまう。テレビも食べろ食べろとグルメ番組の氾濫である。これでは、人間様も犬畜生にも劣る存在に落ちぶれる。その罰を糖尿病、高血圧、ガン、認知症として受けている。世の中では最高のことしか起こらない。ガンでさえ、己の細胞の「火事」を最小限に防ぐために命が起こす自衛活動である。病気になるのも、みほとけからのメッセージである。それに聞く耳を持たないのが現代人である。

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 痴呆的グルメ番組がオンパレード。それを視聴続ける人が情けない。

 面倒見のよいマスコミでは、胃腸薬の宣伝も怠り無く?

 己の子孫が、後年これを見たら先祖を軽蔑するだろう。

 これこそ河原こじきの仕事である。昔の芸人とは河原こじきのこと。

 

飽食の奴隷

 「足るを知る」を忘れ、自然との共生を忘れ、己の利益だけを追求するグローバル経済主義の影響で、食品メーカが人の健康は無視して少しでも食べさせて売上を高めることに奔走する。飽食と食品CMの氾濫に踊らされている現代から見ると、中世の貴族の食事を笑えない。人間は恵まれ過ぎると不幸になる。

 金持ちになり、美食を漁り、食べ過ぎ、生活習慣病になる。グルメと飽食を追求した結果は、毎日が辛い・・・とまるで悪魔のサイクルである。それなら最初のところを「足るを知る」に変えると、我慢もいらないし、生活習慣病にもかからない。毎日を楽しく過ごし、認知症にも罹らず長生きすることができる。

 現代の医療費の異常な膨張は、天からの警告である。認知症に罹った身内を見て反省しない人間が、同じように認知症の道を歩む。

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 「お心肥」 紙切り師 林家二楽氏作  「サライ」2013年3月号

 「お心肥」は、欲望のまま旨いものばかり食べず、切磋琢磨して知識や技術を身につけ、心を肥やすべしと説く。

 

 『命の器で創る夢の道』より

 

2019-05-20   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年5月19日 (日)

冷や飯を食わされ、命拾い

 1990年、私は主流である事業部署から、非主流の部署に飛ばされた。その原因の一つは、私が上司Uからの縁談の話しを断わり、上司の心証を害したこと。宮仕えは辛いものだ。古い体質の会社の人事とは、上司の露骨な好き嫌いである。結果として、この上司と縁が切れたことで、命を拾うことになる。

 

自己防衛

 この上司Uは、1年下の同僚Dを好き嫌い人事で、欧州の海外担当に飛ばして、死に追いやった過去がある。同僚Dは、純粋な技術畑の人間で、営業には向かない性格である。それが明白なのに、彼は上司Uに、パリに飛ばされた。当時、パリの現地法人は経営的に悲惨な状況となっていた。彼はそこで心労で心身疲弊して、帰国後、病魔に襲われ、50台半ばで帰らぬ人となった。私や仲間は、上司Uが殺したと思っている。私が現地で彼に再会した時、疲れた顔をしていて、愕然とした覚えがある。その時、我々が日本から来ているのに彼は多忙で、一緒に飯を食う時間も段取りできなかった。

 私の母はこの上司に盆暮れの付け届けを欠かさずにしてくれた。だから海外に飛ばされるまでの悲惨な人事異動は免れた。私も多少は智慧があり、表だって上司には逆らわなかった。今にして母に感謝である。

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 馬場恵峰書 2006年

 

冷や飯部署

 その部署は通産省の出先機関(NEDO)の委託研究プロジェクトであった。その仕事の成果は、当社の利益に反映されない。政治的な意味合いを含めての会社の業務である。立場的には、社内出向のような立場である。そのため仕事を現場にお願いしても、現場の人は、その仕事が会社の利益に直接反映されないことを知っているから、露骨に仕事を後回しにされる。回りの目も、今までのカンバン商品の開発を担っていた設計者への目とは、明らかに軽んじた扱いの目に変わていた。私の冷や飯食いの時代が始まった。

 それでも上司が変わると、こうも職場の雰囲気が変わるのかと思うくらいの変化があった。今までがあまりに異常であった。

 

冷や飯という御馳走

 この部署では、社外の一流の会社との交流があり、その面で遅れている当社のレベルをいかにそれらしく見せるかの苦労をしながら、社外の会社の実態を見させてもらった。共同研究会社は、キヤノン、ニコン、横河電気、不二越という一流会社ばかりである。

 キヤノンは、この国のプロジェクトをうまく活用して、社員の育成と技術開発の応用に展開していた。そういう会社の経営例を見せ付けられた。

 経営層がこの国のプロジェクトを軽視した咎は、30年後、キャノン、ニコン等が世界的な企業に発展成長をしたが、当社は吸収合併され、世から消えたことで明らかになった。ここに経営の差の全てが現れていた。

 私の上層部の経営者の口ぶりや当部への扱いを見ると、お荷物の部署に飛ばされたのを悟った。私がこの部署に異動する以前に、当時の上司Mが、「この部署は国とのお付き合いでお荷物だ」と明言していた。あるプロジェクトをお荷物として扱うか、技術開発のご縁にして成長の糧にするかの差で10年後の会社が変わる。正に人生と同じである。その扱いは経営者の責任である。この上司はやり手で、超スピードで役員までかけ上ったが、その後、仕事以外の不祥事で会社を追われた。

 各会社の相互見学会もあり、自社を他社の鏡として観る勉強になった。それに対して、その面の利用が薄い当社であった。一流の他社の設備、研究姿勢、体制を垣間見たことは、後年の経営の勉強になった。

 

国の仕事

 仕事的には、とんでもないレベルを要求される技術開発ではあった。従来の1桁も2桁も違う加工精度が求められ、サブミクロン、表面あらさのレベルがオングストローム、加工時間が数日の世界である。機械を作る前に温度管理がいるクリーンルーム相当の建屋を造ることにもなる。またお役所の関係業務のため、報告書作成ややり方の勝手が分からず、訳の分からない世界であちこち頭をぶつけ、恥をかき、部長に笑われながらの日々であった。社内では絶対に経験できない仕事ではあった。

 

あるはずのない欧州出張が、実現したご縁

 そのご褒美として欧州の大学、研究所への報告出張が降ってわいて来た。本来、部長が出張する予定であった。その前年に、生産技術部のK係長が米国の自動車会社に納入出張中に心臓麻痺で事故死をされていた。そのため、海外出張前の医師の診察が厳しくなり、上司の部長Sがドクターストップで出張不可となり、私にお役が回って来た。

 私は、前年に論文最優秀賞で欧州に出張したので、パスポートはある。時期的に今からパスポートを取る時間はない。英語の素養はある。担当係長として開発内容は熟知している。部内のメンバーではその全てで適任者がいなかった。昔の元上司Uは、私を出張させたくなかったようだが、どうしようもない。

 亡くなられたK係長も私が開発に関係した機械の納入時での事故である。それも北欧の自動車会社での機械の納入実績があって実現した受注での納入業務であった。今にして、不思議な巡り会わせだと思う。これは冷や飯を我慢して頑張ったので、ご褒美で咲いた花だと思う。

 

言志四録からの学び

 この時から28年経って、馬場恵峰師による「言志四録」を出版した。その中に「已むを得ざるに薄りて而る後に諸を外に発する者は、花なり」を発見して、この欧州出張ができたご縁の意味を確認した。冷や飯の時代でも、黙って努力をしてきた精進が、「欧州の報告会出張」という花を咲かせたのだ。

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 馬場恵峰書 「佐藤一斎著「言志四録」五十一選訓集」

 久志能幾研究所刊

 

欧州出張

 欧州での国の研究成果報告会として、パリ大学、英国国立物理研究所、クランクフィールド大学研究所、ベルリン大学、アーヘン工科大学、オランダ国立研究所で、研究成果報告会を経験できたのは、何ものにも代えがたい経験となった。それも「飛ばされた」お陰である。

 英国国立物理研究所では、ニュートンが万有引力の法則を発見したりんごの木の二世が植えられていた。ここは普通では足を踏み入れられない聖地であった。

 

大名旅行

当時「日本は欧米から技術を盗むばかりで世界に貢献していない」というバッシングが盛んであった。通産省の技官から「こせこせした研究成果報告会ではなく、獲得した技術を欧米に教えてやるとの心意気で行け」との指示と、単なる報告出張ではなく、「欧州の文化もゆっくり見て来い」との配慮があった。2週間で4カ国7つの大学・研究所を訪問する余裕の大名旅行をさせて頂いた。これは仏様からのご褒美としか言いようがない。

Photo  英国国立物理研究所でのプレゼン後の記念撮影。私が撮影したので私は写っていない 

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 ニュートンのりんごの木の二世

 左端が著者、右から二人目は団長の井川阪大教授

 

ベルリンの壁崩壊の跡

 1989年11月10日にベルリンの壁が壊され、1990年10月3日に東西ドイツが統一された。その1年後に我々はドイツを訪問した。統一間もない東ドイツに足を踏み入れ、その歴史の風を垣間見るご縁を頂いた。なんとも不思議な歴史的な出会いであった。

 そこで路上の止められていた東ドイツ製の車のレベルの低さを見て、如何に共産主義社会では、技術が進歩せず、停滞するお粗末さを垣間見た。やはり自由な競争がないと、技術も文化も進歩しない。

 

Photo_3   ブランデンブルク門(東ドイツ側より撮影) 

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  20年間時間が止まっていた東ドイツ市街

当社の共産党体制

 それと対比されるのが、当時のわが社であった。当社の役員の世界は、学閥優先で、人格的に劣悪な人間が、役員でのさばっていた。仕事の上の実力での競争がないから、経営がおかしくなっていった。特定の学閥の人間しか偉くなれない。まるで共産党の密室人事である。同じような体質の会社が、現在でも世にはばかり、世間を騒がし、没落していっている。日産、東電、三菱自動車等である。日本経済停滞の元凶である。

 当社は、その弊害で業績が上がらず、多くの社員を死に追いやり、最後は吸収合併されて、消えた。ダーウィンの法則で、市場の変化に対応ができなっかたので淘汰された。それは自然の理であった。同僚のD君は、その犠牲者の一人であった。その他にも、私が一緒に仕事をした仲間が、在職中に20人以上も死んでいる。異常である。私がその毒牙にかからなかったのが、仏様のご配慮と今にして思う。

 

2019-05-19   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2019年5月18日 (土)

花屋の信用という佛花が散った

 私の町内でも住民の高齢化が進み、町内でお守りしているお地蔵様像のお花のお守りに負担がかかるという話が聞こえてきた。お世話の当番が、花を買いにいくのも負担だという。

 2018年初、それで近所のK花店のEさんに話したら、「毎月、うちでお花を買ってくれれば、私(E)がお花を配達して、お地蔵様の花活けに花を活けてあげる」という話になった。それなら、町内会の費用も増えず、お互いにメリットがある。今まで、お花当番はこの花屋以外でも買ってきているので、K花店にもメリットがある話である。このEさんは、毎年の地蔵盆祭りの時、お花を段取りして供えてくれていた。

 お花を準備して、それを花立に入れるだけをK花店が担当して、そのお花の水やりと廃棄処分だけ、当番の班長さんが行えば、お花を買いに行く手間が省けて、お花当番の班長さんの負荷が減る。そういう段取りを、担当者のEさんと半年ほどかけて、事前打ち合わせをしていた。

 

裏切り

 ところが2018年の春、この話しを正式にK花店に持っていったら、別の店員が出てきて、この話は社長に話さないと受けられないという。後日、社長から断りの電話があった。

社長曰く「お地蔵様のお花の段取りは、特別の信仰心ある人でないと出来ない。うちの店には、そんな人はいないので、この話は受けられない」である。

 では今まで、8月の地蔵盆祭りでお花を活けてくれたK花店のEさんは何なんだ、である。お店の言葉と思っていたEさんと私との約束は、何だったんだ、である。

 

ビジネスの原理原則

 店員はその店の社長の代理として働いている。客もそう信じてモノを買っている。それが店員と社長の意見が違うのなら、客は店員の言う事は信用できなくなる。それでは、お店としてビジネスが成り立たない。

 普通の会社でも、一社員が一歩外に出れば、会社の代表として、仕事の発言をする。相手も会社の代表の言葉として受け止める。それがビジネス社会である。その原則を、K花店は裏切ったのである。

 私は信用を裏切った人と取引をしない。その後、このお店は信用できないとして、私はこのお店と縁を切った。今まで自家の仏壇のお花をこのお店で買っていたが、大規模小売Aでお花を買うことに変更した。お陰で、今までより安く入手している。

 

信用金庫は私の信念

「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。

無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

    Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

     “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 

 この「ビジネス」という言葉は、「人間関係」すなわち「信用」の意に置き直すことができる。また、茶道の「一期一会」にも通ずる言葉である。人との付き合いは大きな財産である、その価値を高めるためには、信用を守ることが最優先だ。そのためには、小さな約束を確実に果たすことが最優先である。なにせ、大きな約束は嫌でも守らざるを得ないはずである。

 私は小さな約束でも、守らない人とは付き合わない。それが信条である。

 己はお地蔵様が見つめる眼に堪えられるだろうか。お地蔵様は、閻魔大王の化身である。お地蔵様の懐には閻魔帳がしまわれている。

039a21501s 松本明慶作 童地蔵

 

2019-05-18   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

幽霊にされた顧客の怒り

 私は、岐阜トヨペット大垣北店の不誠実さ、技術のお粗末さに呆れて、別の販売店に乗り換えた。だから5年以上も大垣北店では車検も定期点検も受けていない。それなのに、岐阜トヨペット大垣北店から、車検の案内がまだ来て、不愉快である。車検案内のハガキを見るたび昔の怒りが思い出される。それは、私から時間を奪う悪魔行為となる。二度と岐阜トヨペット大垣北店に行くものかと思っている私は、岐阜トヨペットでは幽霊顧客なのだ

 

ダイレクトメールの裏事情

 そのダイレクトメールは、大垣北店ではなく、岐阜トヨペット本部から送られてくるらしい。つまり、末端の岐阜トヨペット大垣北店が、私がまだ車検・定期点検を受けている顧客として登録してあり、その登録が本部データベースから抹消されていない。要するに、顧客管理が杜撰なのだ。それが杜撰だから、仕事も杜撰であるとの結論に至った。一事が万事である。

 なんらの付加価値を生まない私宛のダイレクトメールは、日本経済の足を引っ張る犯罪である。出す方も、受け取る方も、配達する郵便屋さんも、日本経済にも何の付加価値を生まない。そんな工数があるなら、日本の未来への付加価値を出す取り組みをすべきだ。あるのは岐阜トヨペットの自己満足だけである。

 

ゾンビ営業

 5年間も岐阜トヨペット大垣北店で車検を受けないのに、なぜ来店しなくなったかを、考えず、その対応ができない営業では、先が知れている。2025年、トヨタ車の車種が、全てのチャンネル販売店で売れるようになれば、淘汰されても致し方あるまい。

 うがった見方をすれば、登録を抹消すれば、お店の登録顧客数が減り、社長から営業の活動成績が問われるからだはないか。だから誤魔化しの営業活動なのだ。だから儲からない。ゾンビのような販売店が、その店と縁を切ったはずの客の時間を奪っている。心して販売店を選ばないと、一生ゾンビに取りつかれる。知性のないゾンビは怖しい。

 

ダイレクトメールはリトマス紙

 ダイレクトメール一つで、その会社を診断できる。心して付き合うお店を選ぼう。それは車だけに限らない。私がそのお店の対応に激怒して、行くのを止めた店からも、ダイレクトメールが頻繁に我が家に襲来する。頻繁にそのお店に行っていたのが、急に来店しなくなったのだから、お店はその理由を考えなければいけない。それが考えられないのは、知性なきゾンビ店である。

 

幽霊顧客名簿

 己が「自分株式会社」の社長として、人生営業活動の顧客名簿とは、年賀状送付名簿ではないか。それの中に幽霊名簿の人はいないだろうか。その人は、これからの自分の人生に付加価値を与えてくれる人だろうか?

 

残り時間を意識

 受け取る年賀状の中で、ダイレクトメールのように、表も裏も印刷の年賀状を出す人は、自分の人生に付加価値を与えてはくれまい。それも会社名が入った社用年賀状では、救いがない。年に一回の限られた便りで、両面印刷で済ませる人の人柄が窺える。だから私は、その人とは縁を切るようにしている。

 以前に、松下幸之助経営塾で知り合ったある経営者から、年賀状を受け取った。その年賀状は両面印刷で、会社名の入ったご用達年賀状であった。「年賀」の文字を外せば、まさにダイレクトメールであった。それについて少し苦情を言ったら、翌年は年賀状が来なかった。それでその経営者の薄っぺらさを知った。そういう輩は口先だけは、立派である。

 年賀状の虚礼だけで付き合うのは、癌で余命宣告をされた状況で、自分の残り時間を考えると、とても耐えられない。

 

2019-05-18   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月17日 (金)

「感動」とは動くこと

 芸術、仕事において、「理動」、「知動」はない。あるのは「感動」だけ。人を感動させる仕事をするには、動かないと感動はさせられない。

 

合理的とは

 いくら合理的に考えて行動しても、それは合理的の範囲でしか判断できない。合理的とは、ごく狭い範囲の中でしか考えられない偏った考えである。「理」では、創造はできない。創造は、感動から生まれる。「理」を破壊してこそ、創造はある。芸術は爆発なのだ。芸術は理を超えた存在である。

 

魂の叫び

 人の不幸や喜びに「不感動」では、音楽や芸術で人を感動させる音楽家・芸術家には大成できまい。電話やメールでいくら言っても、情報は伝わるが、魂の叫びは伝わらない。足を使って、わざわざ動いてくれた。だから感動する。芸術家なら、特に心すべしである。感動は魂の叫びである。感動がない芸術家は、感動の音楽を奏でられまい。

 

映画監督の魂の声

 「マイク、拡声器では情報は伝わるが、魂の叫びは伝わらない。(黒澤明映画監督)」 

 黒澤明監督は、ロケ現場でも拡声器を使わず足で動いて、役者のところまで行き直接、指示をした。大林亘彦監督は、余命3ヶ月を宣告されたステージⅣの癌の身でも、それの教えを忠実に守って映画を作っている。

 

あるエピソード

 年初に、懇意にしている音楽家に、病気の件があり、それを前提に飯でも食おうとメールを送った。ところが、それは無視されて、返信はなかった。病気の事情を話して、しばし音楽関係の雑談でもしようと思ったわけである。入院先が、彼の住居の近くだったのも、その理由である。

 私の退院後、彼は知人から私の病気・手術のことを聞いて、慌てて電話をしてきた。私は、とりとめのない話をして、私は電話を切った。

 なぜ、そんなに私の病気が気になるなら、すぐ「動いて」、自宅に見舞いに来ないのか。電車で、わずか1時間の距離である。私ならそうする。口先では何とで言える。それでは相手に、心配している感動は伝わらない。彼が、芸術家として「感動」する心を養わないと、音楽家として大成出来ないのではないかと危惧している。

 

動くとは感動

 ある友人は、私のために、わざわざ伊勢神宮、豊川稲荷に行って、お守りを貰ってきてくれた。それをそれぞれ2回に分けて、自宅に届けてくれた。彼は体調不良の身でありながら、「動いて」くれて、私は感激した。

 彦根の知人は病院にも、自宅にも、計6回も見舞いに来てくれた。感謝、感激である。

 

2019-05-17   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

モノには精霊が宿っている

 ものを入手する時、一度立ち止まって、そのものを入手して、それが自分の一部となって自分の付加価値が上げる力となるだろうか、と考えてみたい。そうすれば、無駄な買い物が無くなり、家がゴミ屋敷になることを防いでくれる。

 

貧乏と富裕

 貧乏人の家は、要らないものばかりであふれている。私の家がそうだった。捨てるという決断ができないから貧乏なのだ。人生では、両方(使用と保存)を選び、廃棄を選べないないので、人生が曖昧になる。金持ちの家は、すっきりして不要なモノがない。それは人生を曖昧にしないからだ。

 昔気質の母は、何でもため込む性格であった。モノのない時代に育った両親の世代は皆、そうであったようだ。それを非難はできない。今はモノが溢れすぎている。だから母が亡くなった時、軽トラックで5台分の不用品を廃却した。廃却にもお金がかかる時代となった。

 今回、私が病気になり、この3月に退院した機に、家に溢れていた不用品を整理、廃却した。それは100㎏に及んだ。着もしない服、使わない昔のPC、家電製品等である。家中がすっきりして、広くなった。

 

不要食品

 それは本当に食べたいモノだろうか。時間が来たから、空腹でもないのに食べてはいないだろうか。味わって食べているだろうか。無意識に食べれば、それは肥満につながる。病気も癌も誘発する。テレビの洗脳教育のCMで、無意識に食べてはいないだろうか。食べ物には命が籠っている。だから、食べ物を食べる時は、感謝して味わって食べるべきだ。そうすれば肥満にはならない。

 

無駄な悪縁

 そういう生活をすれば、時間を無駄に過ごす人との出会い、無価値な行事の参加、無駄な番組の閲覧も無くなるだろう。時間つぶしの痴呆的番組を見ても、何ら、自分の人生価値を上げられない。それらを無くせば、人生から悪縁が無くなる。

 

精霊を窓際族にしない

 モノには精霊が宿っている。モノを買ってしまい込んでは、モノの精霊をいじめること。モノの精霊を窓際族にするのは罪である。モノは使われてこそ、喜ぶ。モノには、それを作った人の汗が籠っている。自分が窓際族に追いやられた経験があるから、その心情がよくわかる。

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 馬場恵峰書 日中文化資料館蔵 2011年

 

2019-05-17   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月16日 (木)

ごきげんよう 人の道なき ケモノ道

 ある知人から、「ごきげんよう」という「お見舞いもどき」のメールを受け取った。この40年間で、私のPCには多くのメールが襲来するが、年下の者から、こんな「上から視線」のメールが来たのは初めである。この人は小学校の教師からも、クレーマーペアレンツとして恐れられているという。

 

人の道

 この人には、私が愛知県がんセンターに入院する前に、病状を話し、遺産の一部の相続者として遺言状まで作成した人である。彼はお見舞いに来ると言っていた。しかし、彼は義理があるのに来なかった。人の道に外れている。

 私が手術後の3ヶ月目に、この「ごきげんよう」のメールが来た。「順調にご回復されていることを信じております。」とあり、人が術後の絶不調で苦しんでいるさなか、その無神経さにカチンときた。

 「絶不調です。手術後3か月で15キロ痩せて、今だ3日に一度の頻度で嘔吐しています。余命2年と宣告されました」と返信したが、それに対してなんの返信もない。普通の人なら、何らかのお見舞いの言葉を返信するのが、人の道だろう。それを考えると呆れた。この件で交際レベルを見直すことにした。

 この人の文面から性格を分析すると、自己中心的な文面である。勝手に決めつけて、相手のことは、全く考えていない。

 私なら「病気お見舞い」、「ご体調はいかがですか」の題名でメールを出す。それよりメールより手紙、直接のお見舞いである。それが人の道。

 

ごきげんよう

小田様

 ご無沙汰しています。お加減はいかがですか? 最前にお電話した折にはあまり具合がよろしくなかったようなのでご連絡差し上げるのを様子見しておりました。術後の経過はいかがでしょう。まだ病院ですか? それとも自宅療養? 順調にご回復されていることを信じております。お加減よかったら連絡ください。

 

「ごきげんよう」の語源

 思いついて「ごきげんよう」の語源を調べた。これは上流社会のお言葉で、ごく一部の上流社会でしか使われていない用語である。下々の私には、縁のない言葉であった。道理でこの60年間、身近で一度も聞いたことがなかった。

 

 ごきげんよう :日本語の挨拶で、出会った時や別れの際に相手の健康状態を伺う意味合いを込めて交わされる。元は京都の宮中で発生した御所ことばで、女官が両陛下に会う際にまず両陛下のご機嫌伺いから始まることから、「お揃いあそばされましてご機嫌よう」という挨拶が行われた。身分によっては「ご機嫌よう」ではなく「ご機嫌さんよう」と、より遜る必要があった。近代以降は主に山の手言葉として使われるようになったが、これは当時皇族や華族・上流階級の女子が多く学んでいた跡見女学校に淵源を発し、一般に広まっていったものといわれる。1950年代頃には、様々な古い言葉遣いがなくなっていく中で、「ご機嫌よう」はまだ旧公家・華族の間で使用されていた。21世紀現在も、学習院女子中・高等科や学習院女子大学、東洋英和女学院、聖心女子大学などの一部の私立学校では挨拶として日常的に用いられている。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

コミュニケーションとは、情報の伝達

 コミュニケーションとは、情報の「伝達」である。コミュニケーションとは、「伝える」だけではない。相手の心に「達して」初めてコミュニケーションが成立する。多くの人は情報を「伝」えるだけで、その心が「達」していない。情報とは情けの報せなのだ。

 同時期にドイツのドレスデントリオのメンバーから、病気見舞いのメールがきた。心温まる文面で泣けてきた。

 「計り知れない河村義子さんを失った後に、小田さんという友を失いたくない」とあった。

 

Dear Mr. Oda-San,

  I heard from M, that you had very bad diagnosis about a lethal illness and you of course were really sad and without great courage. I told Heike and Ulf immediately and we all were deeply touched and upset about these bad news. After Yoshikos immense loss, we don’t want to lose another Japanese friend – if I may be allowed to name you so!

 (中略)She wrote, that now you have a good chance to stay some more years, live and enjoy your life and so we deeply hope to see you next year!

 (中略)From 26th of February till the 5th of March 2020, we are travelling around Nagoya and it would be very nice to have the opportunity to see you again in and after a concert enjoying some food with our dearest friends.

  Best wishes from Heike and Ulf dear Oda-San, we think on you and your health, stay strong and optimistic!!!

For the Dresden Philharmonic String Trio,

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Dsc04341 ドレスデントリオ&河村義子  2018年1月13日

 クインテッサホテル大垣にて

 

2019-05-16   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

火災報知器をリストラ

 10年前に設置した火災報知器が更新時期を迎えて、取り換えた。この際、取付基準を見直して、8ヶから5ヶに設置総数を削減した。各部屋一個の火災報知器設置基準を盲目的に守るのは愚かである。

 当時より、家中をオール電化にして、火災の危険性を削減している。ガスレンジもガス暖房機も廃止した。この歳になると、火の消し忘れ等で、ガスレンジを使うのは危険であると判断した。

 現在、火を使うのは、石油ファンヒーターとお線香だけである。部屋のしきりを取り外し、広く部屋を使うようにした。

 これで、10年間で2万円の節約である。40年間で8万円の節約である。

 自分の頭で、物事の基準を考えないで、他人にその基準を任せることは、財布の口の鍵を相手に渡すこと。そんな愚かなことをしてはならない。

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 左側の天井の火災報知器は今回更新した。

 右側の天井の火災報知器は、今回取り外した。

 左右の2つの部屋は仕切りを無くして、一部屋として使っている。

 

2019-05-16   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月15日 (水)

神楽軕は神話の世界(改定)

 2018年5月12,13日の大垣まつりは、試楽の12日が16万人、本楽の13日が6万人の総計22万人の人出で賑わった。13日は雨になって人出が少なかったが、雨でなければ、総計30万人の人出となったと言われて、残念であった。

 2019年5月11、12日の大垣まつりは、両日とも快晴に恵まれ、史上最高の総計37万人の人出を記録した。

 いつもは閑散としている大垣市内で、その人出の多さに私は驚嘆した。大垣の人口が16万人であるので、どこにそんな人がいたんだと云うくらいの人が集まった。こういう伝統行事を活用して、大垣の活性化につなげて欲しい。

 

三輌軕の歴史

 大垣まつりの13軕の巡航で、神楽軕は先頭を行く大事な軕である。神楽軕は、先頭を行くので別名「いち軕」、「お祓い軕」とも呼ばれる。大垣まつりでは、この神楽軕と大黒軕、恵比寿軕を三輌軕という。

 神楽軕は神明造りの祠に天照大神をお祀りし、進行方法の右側に猿田彦命、左に雨のうずめ女命の天鈿女命をお祀りしている。

 延宝7年(1679)に3代藩主戸田氏西公が、この3輌を八幡神宮に奉納したのが起源である。本町、中町、新町が1年交代で担当する。当番に当たると、その町は2つの軕を受け持つので大変である。昭和20年7月29日の米軍の空襲でこの軕は焼失したが、昭和24年に再建された。

 

町内渡し・組合町渡し・前触れ

 三輌軕は試楽の2日前から出して、氏神様への奉芸と町内渡しを行う。町内渡しは、自町の町内を曳いて廻ること。その後、組合町渡し・前触れを行う。前触れは市内を曳き廻すこと。これが大垣に初夏の訪れを知らせる風物詩となっている。この時、奏でられる曲「帰り軕」は名曲中の名曲である。

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 2018年5月10日 前触れ  大垣市御殿町付近

神楽軕の構成

 三輌軕は棚車で、飾り軕という素朴な造りで、屋形や、からくりを持たない軕である。神楽軕は、車輪が内輪で、前輪は後方にあり、手古棒は八の字にとりつけられている大垣独自の形式の軕である。水引は戸田家の九曜の紋、横幕も軸には本軕とは異なり、赤、黄、青の縦縞模様となっている。

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飾り人形

 神楽軕は神明造りの祠に天照大神をお祀りし、進行方法の右側に猿田彦命、左に天鈿女命をお祀りしている。

 猿田彦命は、瓊瓊杵尊が天孫降臨をする時に先導を務めた国神様である。天鈿女命は、天孫降臨にお供した神様である。高天原の天岩戸の前で神懸かりに躍ったと伝えられている神様である。瓊瓊杵尊は天照大神の孫である。天孫降臨は『日本書紀』の神話である。

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神楽軕の掛け芸

 神楽軕上で舞をする人形は巫女と山伏の2体あり、人形の芯となる長さ1.5m、直径7㎝ほどの竹に、竹で編んだ人形を取り付け、先端に人形の首を取り付ける。左右の肩から50㎝ほどの細い付けを垂らし、それを腕として先端に手を付けてある。

 腕には、腕を操るための1.3mほどの細い竹が取り付けてある。これに衣装を着けたのが神楽の人形である。操作者は、人形の芯となる竹の下端を腹の帯にのせて、腕につながる竹を操って人形を舞わせる。これは「直扱い」と呼ばれ、全国でも珍しい。巫女の重量は9.8キロ、山伏は7.6キロと重量があり、巫女を優雅に舞わせて、山伏は激しく動かしてと、操作者は大変である。それが操作者の誇りでもある。

 青装束の巫女は「市」と呼ばれている。巫女は右手に鈴、左手に扇を持って神神楽を舞う。昔、八幡神社の近くに「いち」という名の美しい娘がいて、祭りで神楽を舞って評判になった。神楽軕で舞う巫女は、その名をとって「市」と呼ぶようになった。

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08dsc05958   2019年5月12日の大垣まつり本楽で  一昨年と少しお顔と服装が違う。

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 2011年5月11日の大垣まつりで   109l4a0011

 2017年5月14日の大垣まつり本楽で 

 

山伏の神楽 

 次に、白装束の山伏が鳥居下の桶を湯桶に見立て、両手に笹を持って激しく神楽を舞う。その舞いに合わせて、山伏が湯ノ花の代わりに紙吹雪を舞わせる。

 湯立て神楽は、煮えたぎる釜の湯を青笹で祓い、その飛沫を氏子に降りかけて穢れを清めるという神事を舞楽とした。

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 太鼓を叩くのも大変    

16dsc05977   奉芸が終わって退場

夜宮

 夜宮では、神楽軕に飾られた提灯に明りが灯り、幻想的である。山伏が散らす紙吹雪が明りに照らされて、夜宮の祭りに華を添える。

17dsc08550 夜宮に出発前で待機中 

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 夜宮の奉芸前に八幡神社に後ろを持ち上げ礼をする神楽軕

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 紙吹雪が提燈の灯に映える

 

裏話

 本来、軕を曳くのは当番の町衆であるが、今は街中に若い衆も少なく、サラリーマンが多いので、仕事を休んでも運営がままならぬ。体力のない今の中年男性が重い山を曳いて一日中歩くと、疲れ果てて次の日は仕事にならないという。軕は起物物だから、遠い町からも来て欲しいとの要請もあり、3キロ以上も離れた町まで軕を曳いて出かけるという。年寄りは、付いて歩くだけでへばってしまう。だから大学の運動部の学生達にお願いして、お祭り前の1週間ほどを専任して、お祭りで軕を曳いてもらう。大垣まつりは大垣市、地元有志の寄付、地元企業・商店からの寄付で成り立っている。町内の涙ぐましい努力で、大垣まつりの伝統を守っている。感謝である。

 他の都市でも、お祭りの運営は同じようだと聞いた。これも少子高齢化の影響である。

 

後日談

 今回は、手術後で体力も衰えているので、私のリハビリを兼ねて撮影した。昨年までは、1日中撮影していたが、今年は2時間ほどで撮影を切り上げた。そのために軽量のSony α6400を購入して構えた。これはα9に較べて、軽量で、それでいてα9と性能は同じである。瞳センサーのお陰で、人形のお顔が鮮明に撮影できた。夜宮の夜景にも強いカメラであることを確認できた。

 

参考文献:浅野準一郎著『大垣まつり』(風媒社)

 

2018-05-22 初稿

2019-05-15 改定

久志能幾研究所通信 小田泰仙  

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