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2019年5月

2019年5月15日 (水)

棚経を止めて200万円の節約

 私の家では、年に一度、菩提寺の僧侶に棚経を上げてもらっている。しかしご先祖に血の繋がりのない人が上げるお経より、子孫の私が直接、お経をあげたほうが喜ぶはずではないかとの思いに至った。これも私が癌になって思いついたこと。

 

痛い目

 その昔は、菩提寺の住職に棚経を上げてもらっていた。その住職は、2002年、父の枕経を上げてもらう深夜の緊急時に行き先不明で、私は途方に暮れた。その住職は棚経では私の家への道に迷うわ。時間には1時間も遅刻するわ、その遅刻の罪の意識がないのか、遅刻のお詫びもしないわ、世間話もかみ合わずと、当時から少しおかしいとは思っていた。相手が菩提寺の住職なので、苦情も言うに言えない。

 後日、その住職は、アル中・認知症になり、入院して引退した。今思うと、認知症の為か、その読経は言語不明瞭で、聞くに堪えない部分が多々あった。その後の2016年、ご先祖3名の戒名の間違いが露見して、位牌と墓誌を作り直す羽目になった。100万円以上の損害である。しかし菩提寺からなんの詫びもない。人から、「よく菩提寺を変更せず、我慢したのね」と言われるほどで、変更しても非難される筋ではなかった。しかしお墓と過去帳が人質になっているので、菩提寺の変更は現実的には難しい。

 

結論

 以上の経過からお経は、血のつながりのある自分が、ご先祖のために心を込めてお経をあげるのが、一番、ご先祖が喜ぶはずとの結論になった。職業人の僧侶にお経をあげさせている中、自分が黙って聞いているだけでは、ご先祖も喜ぶまい。他家では、早くお経が終わらないかと、お経には上の空で、しびれを切らしている輩が多いという。それで僧侶はお経を早めに終わるという。なんのための棚経かと思う。

 

改善案

 僧侶に棚経を上げてもらうのを止め、自分で経を上げれば、それで年間5万円(お車代やお供え等の雑費も含む)、10年で50万円、40年間で200万円の節約である。そのお金をご先祖や自分のために使えば、もっと吾が人生に付加価値を出せるはずだ。今でも、私は毎朝、仏壇の前でお経をあげている。

 聞けば、行きつけのお店の人も、お寺からの定期的な読経は止めたという。

 お寺さんも、読経で付加価値を出さないと、檀家(顧客)からそっぽを向かれる。宗教は市場原理が働かない世界であるが、それでも檀家の眼は厳しい。これではお寺離れが進んでも致し方ない。

 

生活VA

 実際問題、癌になるとお金もかかり、無駄なお金を節約せねば、やっていけない。私でも、癌になって、既に半年間で500万円が消えた。生活が大変である。今、生活VAで経費節約のネタを探している。

 

2019-05-15   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月14日 (火)

癌に教えられる

物への執着心が消えた

 モノには精霊が籠っている。それを使わず、閉じ込めて使わないのは、精霊が悲しむことになる。精霊を悲しませて、己は幸せにはなれまい。

 私は癌になり、医師から「余命2年」と宣告された。そうなると、モノへの執着心がなくなった。どうせ来世にはもっていけない。この世で、自分を幸せにしてくれるものだけが、身近にあればよいではないか。物置になっていた自宅二階の一室から、約100kgの不用品を出して、惜しみなく捨てた。着られもしない服が大量にあった。色があせたシャツなど今更着られない。今まで、如何に不要なモノを保管していたかが、呆れるほどである。

 好きな絵も、選択して手放した。死後のモノの行き先も決めた。

 

お金への執着心が消えた

 癌になって、お金の執着心も消えた。死ぬときになって、預金通帳に100万円が多いか少ないかは、大した問題ではない。お金は、自分を幸せにしてくれる道具なのだ。Some moneyと稼ぐ能力があればそれでいいではないか。それを使わず、預金通帳に閉じ込めておくから罰が当たる。そう思うと、お金に最大限のお役目を果して欲しいと思う。もっと自分と他人を喜ばせていきたい。

 

人への執着心が消えた

 極限状態では、付き合ってきた人の真贋が見えてきた。今まで、誠実と思っていた人が、不誠実な人であったことが露見して、興ざめである。去る者は追わず、来る人が福の神である。縁なき衆生は、不義理という雑音を放出している。

 

誰のお陰で

 今、自分があるのは、先祖の親の師の友人の御恩があって、今の自分が生きている。ゆめゆめ自力とは思うまい。それに気が付かされた。

P1070060s   馬場恵峰書

時間への執着心

 余命2年と宣告されると、時間への意識が研ぎ澄まされる。時間に無頓着な人との付き合いは、今まで以上に避けるようになった。今できることは、今しないとできなくなる日が近い。思いついたら、すぐ実行するようになった。それでだめなら、方法転換をすればよいのだ。

 

弱者の眼

 癌の手術後、15キロも体重が減り、食べるに食べれない。悪循環で体力が激減である。歩いても、子供連れの親子に追い抜かれる情けなさである。弱者にならないと見えてこないものがある。如何に今まで自分が強者で、自己中心的に考えて行動した来たかを考えると恥ずかしい。癌になったのは、仏様のご差配であると悟った。今まで、見えてなかった真実に気付かせていただいた。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)

 

本、番組、行事とのご縁

 その本や行事に接して、今後の自分の生き方に糧になるのかを考えてから、選択して接する様になり、無駄なことに時間を無駄遣いすることがなくなった。ある番組を見終わってから、なんとつまらない時間を無駄にしたかに、後悔することが増えた。だからその前に、それを防ぐ智慧が付いた。番組途中でもスイッチを切ることにした。如何に今まで、付加価値が薄い情報に接してきたかにである。時間は命なのだ。

 

2019-05-14   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「新しい風」を吹かせよう

 中島潔画伯のリトグラフ「新しい風」に私は人生を感じて、この絵を購入した。時に大垣まつりの日である。中島潔画伯は、この絵のリトグラフを東日本大震災の被災地の各街に贈ったという。

 絵の右側の子供たちは、過去の不幸(東日本大震災)に対して悲しみを堪えて、亡き人を供養している。その手には「cheer up! Japan」の袋を持っている。中島潔画伯は「がんばれ! 日本」では、おかしいので、「cheer up!  Japan」としたという。

 絵の右側の悲しみの子供達の姿に対して、左側は、子供たちが遠い未来の希望を見つめる姿を表している。それは悲しみを乗り越えて、新しい風を吹かせようとする姿である。

 純真無垢な子供たちは仏様と同じである。子供たちが未来を作ってくれる。自分も素直な気持ちに立ち返り、人生をやり直すつもりで、未来に向かって歩いて生きたい。

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  中島潔画伯作「新しい風」

P1070046s    未来への眼 (部分)  

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  過去の眼(部分)

 

投影

 今回の私の癌罹患は、私にとって東日本大震災に相当する大事件であった。その不幸の状況がこの絵と重なりご縁を感じた。私は、左側の子供達の未来を見つめる目に引かれた。何時までも過去に囚われず、これからの人生に新しい風を吹き込む姿勢に引かれた。

 

清水寺の壁画

 清水寺では、中島潔画伯の襖絵で、広間を飾ってある部屋がある。一度お参りに行きたいと思っている。年に2回しか、公開されないので、清水寺の広報に注意である。

Dsc059431  第一室 襖絵12枚に華やかが天女が踊っている。

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 第二室 「故郷」 故郷の四季 童が踊っている。

 

2019-05-14  久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年5月13日 (月)

癌になって320万円のご褒美

 2019年1月7日の検査で私に癌が見つかり、愛知県がんセンターで手術をした。手術前後より、その主治医より今まで服用していた循環器系の薬(高血圧用)の中止を指示された。高血圧はかなり治っていたが、惰性で、掛かり付けの循環器系のKクリニックより薬を飲まされていた。血液をサラサラにする薬とか整腸剤である。それをやめることが出来て、40年間と仮定して薬代320万円を節約できた。世の中は、塞翁が馬である。

 私は過去20年間以上も降圧剤を飲まされきた。つまり160万円も降圧剤に金を使ってしまったのだ。これはドブに金を捨てるに等しいことであった。

 

薬の費用

 その薬代は、毎月6,788円である。年間81,456円10年間で814,560円である。私の余命は2年(?)であるから、40年間で3,258,240円は、架空の値ではある。しかし、それは私の生きがいで、目標値を40年として、何事もシミュレーションをしている。

 

薬は対処療法で、根本治療でない

 問題は、Kクリニックや以前の医院から出されて飲まされていた薬は、病気の原因を無くす治療薬でなく、対処療法の薬であることである。だから、いくら飲んでも病気は治らない。これは一生続き、永遠に薬を飲み続けなければならない。医師は金儲けとして、患者を「金のなる木」として、手放さない。

 医師は、その病気の根本原因を無くす対策は教えてくれない。食事療法では、医師は金儲けできないからだ。これが現代医療の問題である。日本の医療費が増え続け、40兆円を超えるワケである。40年前の4倍になった。癌患者は2倍に増えた。医師は癌にならない方法を教えてくれない。

 

根本治療を求めて久留米に

 私は、高血圧の根本原因を探るため、真島消化器クリニック(久留米市)に行き、その原因を発見した。私はこの医院に通い(4か月に一度)、真島院長より食事療法を指導され、高血圧を治した。

 薬は基本的に毒である。飲まないことに越したことはない。薬が癌を誘発する原因にもなることがある。高血圧で、降圧剤を飲めば、必要とされる血圧が下がり、免疫酵素が入った血液が全身に回らなくなり、癌を誘発しやすい。長年、私が高血圧の薬(降圧剤)を飲んできたことが、今回の癌の原因の一つと考えている。

 

高血圧も癌も金の成る木

 医師も製薬会社も高血圧が治っては困るのだ。高血圧の薬代は、1兆5449億円の市場なのだ。高血圧患者は2009年約1900万人、2019年には2400 万人に増加である。それにぶら下がって、日々の飯を食っている人が全国で1万5千人以上もいる(推定)。だから医師も製薬会社も高血圧を治す気など、サラサラない。だから高血圧学会は製薬会社と結託して、高血圧の基準値を下げて、高血圧患者を増やし、降圧剤がもっと売れるようにして画策している。

 病気を治すには、自分で立ち上がるしかない。それは癌も同じである。ガンマフィア(癌医療関係者)は、癌患者が無くなっては、困るのだ。日本は、おかしな社会になってしまった。

 

2019-05-13   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月11日 (土)

渡部昇一著『95歳へ!』は、吾が人生の燈台

「白川静の世界」への旅 ――人生の燈台としてあがめて

 私は、白川先生を第二の人生の生き様の模範にしている。ある意味で、人生の航海での燈台のような方と認識している。その薫陶を受けたいと思い、先生の市民大学講座『白川静 文字講話』記録DVDを購入した(126,000円)。

 氏は1999年3月(88歳)から2004年1月(94歳)まで、地元京都の市民大学講座で、「文字講話」を2時間、年4回ペースで全20回開催し、講演内容を『白川静 文字講話』(平凡社全4巻)にまとめられた。続編の希望が相次いだので、新たに4回行なわれた。

 2006年10月初頭に、氏はその著作校正を済ませ入院、同年10月30日、内臓疾患(多臓器不全)により逝去。享年96。(結果として遺著となった)『白川静 続文字講話』は、翌年刊行された。氏は、生涯現役を通された。氏は死の直前まで講演をされ、資料も見ずに古典を紹介されていた。床に伏し、苦しんだ期間、知的活動ができなかった期間は、ほとんどなかった。

 

字源

 私がこのご縁で、気を付けるようになったこと、漢字を見ると、その象形文字として漢字が作られた字源を漢字辞書で調べるようになったこと。その字源を知ると、言葉の奥深さを知るようになった。それで漢字の奥の深さを知ることになった。

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  『白川静 文字講話』記録DVDより

 

2019-05-11   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

書抜き  渡部昇一著『95歳へ!』

  飛鳥新社 2007年 1200円

1.レス・フーリッシュな選択をしよう

 定年を迎える年齢になり、子どもも成人したということは、社会人として課せられた義務の大半から開放されたということです。「賢明さ」より「楽しさ」に重きを置いて「レス・フーリッシュ(愚劣度が多少低い)でいい」という生き方を検討してみてはいかがでしょうか。「過度に賢明であってはならない(ne supra modum sapere)」というラテン語の格言もあります。(p14)

2.95歳まで生きよう   p15

 昨秋、漢字学者の白川静氏が96歳で他界されました。私は、先生が92歳の時に対談をさせていただき、本(『知の愉しみ 知の力』)を出しましたが、その時、先生は矍鑠たるものでした。

 5時間の対談中、休息もとらず、大半を先生が語られました。若輩の私が聞き手、白川先生が話し手という形になったからです。対談を終えて日本料理店に向かう時もスタスタととても90代には思えない足取り。出てきた料理は次々にきれいに召し上りました。そして、デザートの小さな羊羹を半分だけ残されました。

 不思議に思って「先生、それはどういう意味なんですか?」と伺ってみると「ちょっと、糖尿の気があってね」。私も92歳になって、そう言ってみたいものだと思いました。

9.人は何を幸福と感じるか   p55

 人間の内側を満たす重要なものの一つに私は「自分の能力が生かされているか」と言うことがあると思います。

 どんな職であれ、生き生きと働けるということは、その仕事が自分の能力に合っているということでしょう。ですから、男は自分にあった仕事ができていれば幸せだと思います。

10.誰にもやりのこしていることがある

 人間万事塞翁が馬。95歳まで生きるなら、あと30年くらいあります。若い頃に諦めたこと、できなかったこと――それは後悔すべきこと、不幸なことではなく、もしかしたら豊かな晩年のための「貯金」だったかもしれません。(p62)

11.内なる声に耳を澄ませ

 内なる声を聞くには、顕在意識が活動を休止あるいは低下している状態――ウツラウツラしている状態が適しているのです。

 そういう時、「自分がしてみたいことは何だろう」「自分は何をしていれば楽しいだろう」と静かに自問してみるのです。別に思い浮かばなくてもいいや、どうせ寝てしまうのだから――というくらいの軽い気持ちでかまいません。今日思い浮かばなくても、また明日聞いてみればいいのですから――。(p66)

15.「未だ生を知らず」と考えよう

 「学問で成功するのは、頭のよしあしよりも、むしろ心的態度の問題である」

 繰り返しますが、95歳まで生きるなら、今60歳の団塊の世代にはあと35年あります。15歳の少年はこれからかなりの時間を勉強に割かなくてはなりませんが、60歳の人はすでにそれを済ませ、多くの経験を積んできたはずです。15歳の心的態度になったら、大抵のことはできるのではないでしょうか。

 16.本当の自分とは何か   p87

 「病気はあなたの肉体の故障であって、意志の故障ではない。その病気があなたの意志によって呼び寄せられたものならば別だけれども、足が不自由な人は、足が悪いのであって、その人の意志に故障があるのではない。何事かがあなたに起こるたびに、必ずこのように考えよう。そうすれば、どんなことでも決して、あなたに障害を与えないだろう」(ヒルティ『幸福論』)

 エピクテトスは「自分とは何か」という問いの答は「意志」であるという結論に至ります。あくまでも自分の自由になるもの、それは意志である、それ以外は自由にならない、故に意志こそが自分自身であると――。

18.将来のことを考えなくなったら要注意

 志や、何かをしようという意志が希薄になり、漫然と時を過ごすようになってはいけない。それは体力の衰えや物忘れより、ずっと怖ろしいことです。10年後、20年後、30年後を視野に入れているか。そのために何をしようという意志があるか。私は60歳少し前に、それがなくなっていることに気付いて愕然としたのです。

19.高齢でも記憶力は強化できる   p102

 いずれにせよ、私は「記憶力は筋力と同じで、鍛えれば強くなる」ことを体験しました。しかも60代半ばでも、です。

20.人生はたくさん覚えているほど豊かになる   p107

 戦後教育の大きな間違いのひとつは暗記を軽視したことでした。「独創性」とか「個性」といった耳障りのいいキャッチ・フレーズに惑わされて、暗記することの重要性を忘れてしまったのです。

 「独創性」や「個性」は蓄積された記憶から生まれるもので、記憶の絶対量が少ないと何も生まれてきません。数学者として世界に勇名を馳せた文化勲章受章者の岡潔先生は「とにかく十代の頃は反吐が出るほど暗記したほうがいい」とおしゃっていました。

21.記憶こそ人生そのもの

 突き詰めて言えば、人生とは記憶です。もし全ての記憶が失われたら、肉体はその人であっても、人格はその人でなくなります。晩年を生きるにあたって、最も大切なことは記憶力を鍛え、多くの記憶を持ち続けることではないでしょうか。(p115)

23.言語のトレーニングを続けよう

 記憶と言語を論じて明治維新に至りましたが、ことほどさように、人間にとって記憶と言語は重要です。ボケないために(記憶を失わないために)何が必要かと問われたら、私は「言語のトレーニングを怠らないこと」を第一に挙げます。(p124)

26.老いて学べば即ち死して朽ちず   p136

 江戸時代後期の儒学者・佐藤一斎の著書『言志晩録』に「少にして学べば即ち壮にして為すあり。壮にして学べば即ち老いて衰えず。老いて学べば則ち死して朽ちず」という言葉があります。

  一斎の言う「壮にして学ぶ」とは、仕事以外のプラス・アルファを勉強することです。現職の時に頑張って働くのは当然のこと、それは別に何かプラス・アルファの勉強をしていると、「老いて衰えず」になると言っているのです。

28.歩行禅――歩きながら瞑想しよう   p146

 先に紹介した『タイム』の「いかにあなたの精神をシャープにするか」という特集で面白かったのは、「黙想の効果」を取り上げていることでした。ウォール・ストリートの株取引の大物が胡坐をかいて黙想している写真が掲載されており、「こういう黙想を毎日続けていると、部分によっては大脳皮質が厚くなることがあり、その厚くなる部分は決断力、注意力、記憶力に関係している」と書いてありました。

 また、マサチューセッツ・ジェネラル病院のセイラ・ラーザは「加齢ととも薄くなってゆく大脳のその部分の変化は、毎日40分の黙想で遅くすることができるのではないか」と言っています。

 歩きながら、私は過去を憶い起こして懐かしんだり、未来の希望を考えたりします。外気を胸一杯に吸い込みながら歩を進め、自分の内面と向き合うのは、まことに人間らしく、本質的に知的な行為のよう思います。

32.睡眠時間を増やしなさい   166

 西原克成先生は、哺乳類の進化学的見地から重力の大切さを指摘しておられます。人間は1日8時間ぐらい横になって背骨を重力から解放してやると免疫力が高まると言っておられますが、私の実感から言えば、西原説は正しいと思われます。

 私たちが眠たくなるは、メラトニンという脳内ホルモンの働きによるそうです。このホルモンは暗くなると分泌量が増え、明るくなると減少します。つまり太陽の動きに合わせて、人間を眠らせる働きをしていのです。

 そして、子供に対しては成長ホルモンとして働き、老人には老化抑制ホルモンとして働くと言われています。また、最近の研究では、免疫系とも深く関係しており、実験動物にメラトニンを与えるとガン細胞を攻撃するNK細胞の数が増えたり、ウイルスを殺傷する食細胞の破壊力が高まったりすることが報告されています。

 33.授けられたものから恍惚を得よう   p171

 自分に恍惚を感じさせてくれるものは何で、それはどこにあるのか。人生の後半において最も大切なのはそれを発見することかもしれません。

 近代人の心に宿った一つの病癖は「努力すなわち価値である」と思い込んだことです。これはカントの認識論の影響とされるのですが、大きな間違いだと思います。努力の結晶かもしれないけれど、価値のないものもあるし、逆に価値あるものだけれど、努力の結晶ではないものも、この世には多く存在します。

 最もわかりやすい例は生命です。私たちにとって生命は非常に大切なもの、価値あるものですが、それは自分で努力して獲得したもの、あるいは作り上げたものではありません。父母から、あるいは神様から、あるいは天から授けられたものです。その生命の維持に必要な食物も、もともとはみな、自然からの贈り物、授かったものです。

 

2019-05-11   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月10日 (金)

生きる指針  渡部昇一著『95歳へ!』

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  渡部昇一著『95歳へ!』  飛鳥新社 2007年 1200円

  大事な箇所が多く、多くの付箋を貼った愛読書。

[要旨]

 何事かをなす時間は、まだたっぷり残されている。60歳から35年間を設計する、中高年のための実践的幸福論。ボケずに健康で95歳を迎えるため、氏は何人もの矍鑠たる高齢者と対談し、教えていただいたノウハウを氏なりに租借して、この本にそのエッセンスとしてまとめた。

 

読書所感

 本書では老後に焦点を当ててはいるが、世代を超えて人生観・生活の方法の見直しとして多くの示唆があり、私は熟読した。

 渡部昇一師は、60歳の人に95歳を目指して、あと35年間、がんばろうと主張している。しかし個別の内容は、どの世代でも応用できる生き方のヒントや氏の人生観が多くあり、中年だけではなく、全ての世代に伝えるべき良く生きるためのエッセンスである。若い人ほど、人生の計画を立てる上で、早く読むことをお勧めする。

 歳月は人の背後より迫り、無常にも追い抜いていく。誰にでも訪れる死。その死を受け入れ、死までの人生を充実して過ごす術を知ることは大事である。よく生きた人生は、よく働いた日と同じように、安らかな永遠の眠りにつながる。

 95歳まで生きようと思わないと、70歳までも生きられないだろう。蒲柳の質で幼少のころは養護クラスに入れられた渡部師だが、80歳代でも幅広く活躍をされていた。95歳まで生きると言われた師は、残念だが2017年〈平成29年〉4月17日に心不全のため86歳で永眠された。95歳までは時間があったが、最後まで、現役で活躍された師は、『95歳へ!』の内容を実行されていた。

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 渡部昇一先生(当時84歳) 第24回山本七平賞授与式で・帝国ホテル

 私はPHP研究所より招待されて出席した。   2015年11月24日

 

松下幸之助翁の場合

 蒲柳の質の松下幸之助氏は、「20歳までも生きられない」と医者から言われた。しかし本人は「120歳まで生きるんだ」と周囲に言っていた。結果として94歳の天命を全うされた。凡人の我々が、95歳まで生きる目標・職務を見つける努力をするのも、安逸な生活を避ける方法である。

 

白川静氏の場合

 この書で、白川静氏の生きかたを紹介されている。氏は88歳から94歳まで京都の市民大学講座で24回も講義をされている。それの収録DVDが発売されていることを知り、購入した。これを観ると生きる力が湧いてきる。

 

生きるための言語能力

 また、生きるには言語能力の維持の必要性に気づかされ、音読を習慣にすることにした。今まで音読のよいことは理解していたが、よい教材がなく実行できてなかった。この書を読んで思いついたのが、今までに書抜きをした資料である。本一冊を音読すると間延びがして飽きがくるが、自分で選別した図書で、かつその中からの書き抜きなので、興味が持続する。また、何回も音読することで、内容が頭に刻み込まれる。今までは、本を読んでそのときは感銘しても、すぐに忘却の彼方の例が多くあった。なかなか何回も読めないが、抜書き資料なら意外と長続きする。『脳に悪い7つの習慣』の著者林成之教授も、大事なことは何回も頭に叩き込むべきとの説にも合っている。

 

本書との出合いの9年後

 私は、この本には2010年に出会い、熟読してその後の人生の生き方のバイブルの一つにしてきた。しかし2019年初にガンが発見され、医師より余命2年と宣告された。それで当初の95歳まで生きる目標値が少しぼやけてきた。しかし生きていく姿勢は、当初のままである。余命2年とならないように、日々取り組みをしているが、この本はその糧として役立っている。

 

2019-05-10   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月 9日 (木)

大垣市長の知能は幼稚園児並み?

 岐阜新聞に小川敏市長が、市庁舎をロボットに案内され、自慢げに歩くデモ写真が掲載された。やらせで、その後ろを市の職員が拍手で演技している。「平成末期の大垣ド田舎芝居」で恥晒しである。

 小川敏市長は、それが大自慢らしい。それから推察すると、小川敏市長のオツムは、幼稚園児並みのようだと推定される。だって他市ではこんな愚かな話は聞かない。こんな技術は、金を出して市販のロボットを買ってこれば、どの市でも出来るのだ。やっても意味がないから、どの市もこのような愚かなことはしない。他市は賢明である。大垣市が愚かなのだ。

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 「自治体で全国初、案内役にロボット 岐阜・大垣市役所」

  2019.1.15 13:22  産経ニュースより

 

 大垣市が新市庁舎に導入するロボットの知能は、実質的に幼稚園児の知能に劣る。そんなことを大垣市民は望んでいない。私も市民も、そんなレベルのロボットに役所内の案内してもらおうとは思わない。少し質問を変えると、その対応できないロボットを誰が使うのか。認知症の人を案内するならともかく、そんな人は市役所に来ない。

 老人のように足の遅い案内ロボットを市役所に置いて、案内をされて誰が嬉しいのか。

 

血の通ったサービスを

 受付が「その窓口は、この奥の右です」と言われて、その案内が分からないレベルの人は、市役所に来ない。何事も案内嬢に聞いた方が、ロボットよりはるかに早い。市役所の案内なら、案内地図があるではないか。地図を見れば一目瞭然である。血の通った案内嬢がいるではないか。それを無視して、ロボットを導入するのは、市民を馬鹿にしている。それの目的は、IT業者への金のばらまきしかないようだ。小川敏市長には、元気ハツラツ市の運営で前科がある。

 戦艦大和のような大垣新市庁舎を建て、IT化するより、小さな市庁舎で、自宅のパソコンやスマホで市役所に行かなくても、申請や書類の受け渡しができるようにするのが、スマート都市のはずだ。

 わざわざ戦艦ヤマトの市庁舎に市民が出向き、足の遅い幼児並みのロボットに案内されるのが、大垣の未来なら悲惨である。その前提が間違っている。

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小川敏市長の発想

 ロボットのレベルが幼稚園児レベルなので、大垣市民はそれと付き合うには、それのレベルに合わせざるを得ない。大垣市民は幼稚園児レベルの、足の遅いロボットに案内されるより、血の通った人に案内された方が嬉しい。それが分からない大垣市長は、園児の頭脳に劣るかも。小川敏市長は、いかに「上から視線で」大垣市民を見下しているかの証明である。

 大垣新市庁舎に導入するロボットは、市販のロボットを買ってきて、揃えただけの代物である。それをITの最先端と宣伝とはお笑いである。

 

ペッパー君の「糞」闘  (ソフトバンク社の人間ロボット)

 大垣の百貨店ヤナゲンやエディオン、中部国際空港でも、この種の人間ロボットが置かれて「糞」闘しているが、私は、その姿が「臭く」て近寄る気にもならない。私は、そのペッパー君が客から質問されて、働いている姿を見たことがない。ヤナゲンのペッパー君は、この2019年2月15日、契約が終わり解雇されてしまった。

 三好眼科(福山市)でも、玄関にペッパー君がいたが、動いていなかった。

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 ヤナゲンのペッパー君(ヤナゲンのHPより)

 

ペッパー君の再雇用率

 ペッパー君の契約更新率(再雇用率)は、15%を切るようだ。それだけペッパー君は知能が低く、役立たずなのだ。私がペッパー君をいつ見ても、遊んでいた。ペッパー君を導入しようとすると、設備投資として費用が要る。契約期限がこれば、再契約(再雇用)だが、企業の経営者も役に立たないロボットに金を使うわけにはいかず、首にするのが現実である。ペッパー君でさえ、この有様なので、大垣市が導入を計画している普通の市販ロボットなら、余計にお粗末であろう。

 

大垣市役所のロボットIT化のお笑い

 大垣市は、出来合いの市販のロボットを買ってきて揃え、ロボットIT化でございますと、胡麻化す計画である。それで市民税を無駄遣いするつもりのようだ。市長と懇意のIT業者を潤す魂胆のようだ。能力の劣るロボットは、今までよりも、時間と手間がかかり、誰も使わないことになる。それより血の通った市役所の仕事をして欲しい。

 ただでさえ、小川敏市長は市民との会話拒否能力が高いのだ。こんなロボットが導入されたら、市役所の職員は全員、会話拒否となってしまうのではないかと危惧している。

 現実は正しい。今よりレベルが劣るロボットを大垣新市庁舎に導入しようとしているのが、小川敏市長である。小川敏市長は、経営者の眼で市の行政を見ず、業者への金のバラマキで導入しようとしている。小川敏市長は、その点で経営者ではない。福岡市長高島氏の爪の垢を煎じて飲んで欲しい。

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 大垣市役所に導入予定のロボット。だれがこんなロボットに尋ねるのもんか!

 市民を馬鹿にするな。役人の発想が理解できない。

 

 

大垣市役所の未来

 私が通っている「愛知県がんセンター」では、事務員の教育が徹底されていて、少し不案内を質問すると「私がご案内します」と近くでも自ら引率して案内してくれる。病身には感激である。こちらがは「方向だけ教えてくれれば」と質問したのに、恐縮するほどである。大垣市役所と大違いである。

 大垣新市庁舎に上記のロボットが導入されたら、血の通った(美人の)案内嬢が首になり。殺伐たる市庁舎になるだろう。その時は、大垣市民がロボットに合わせて、仕事を頼むようになる。つまり大垣市民がロボットの奴隷のなるのだ。そうしないと大垣市庁舎で、欲しい書類はロボットに頭を下げないと手に入らなくなるのだ。悪夢である。

 そんなロボットに囲まれて、大垣市民は幸せであろうか。

 

大垣のユートピア

 私が夢見るユートピアは、小川敏市長のいない大垣市である。IT化、AI化、と言いながら、人間が劣化していく社会は正しいのだろうか。虐め、凄惨な殺人事件がマスコミを賑わす世相に誰がしたのか。直接会話を拒否して、メールで済ませる世相が、人を幸せにするのだろうか。スマホにかじりついて、ゲームをしてばかりいる子が、大垣の未来を背負ってくれるわけではあるまい。その害毒を流してきた社会を作り出してきたのは、だれなのだ。小川敏市長の政策に大きな疑問を感じる。

 

2019-05-09   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年5月 8日 (水)

走行中のエンジン停止事件

バッテッリ―の電源切断ノブを追加 

 2017年11月に、なじみの街の零細自動車整備屋の助言で、バッテリーの電源切断切り替え部品を付けた。それは、時折、1ヶ月ほど車に乗らないことがあり、その間のバッテリーの放電が気になっていた。と言ってその都度、フロントカバーを開け、バッテリー端子の接続をスパナで取り外すのも面倒であった。その部品は、ノブ(写真の緑部)を回すだけで、バッテリーの接点を簡単にオフにできるとのことで、その装置を追加した。

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 バッテリー部に付けた切断器のノブ(緑)

 

トラブル

 その1年後、愛車の車検が終わって市内を走っていたら、エンジンが音もなく停止した。慌ててエンジンをかけ直すと、かかるのである。それで暫らく走るとまたエンジン停止である。慌ててディーラに車を持ちこんだ。

 点検の結果、バッテリー部に付けたバッテリー電源部の接点が緩んでいた。もしこの事件が高速道路走行時や緊急時に起きていれば、命の危険があった。

 よくよく見れば、その装置のバッテリーとの接触部は、正規部品の接点部品と雲泥の差のチャチな作りであった。保安部品は、純正部品以外は使うべきでないと悟った。

 それよりも、そういうレベルの部品を推奨する自動車整備会社のレベルが問題である。その会社は、部品が売れて儲かれば、客の命が危険に晒されても、知ったことではないのだ。

 またその零細自動車整備屋とは、別の不正事件(車検中の私用車を乗り回し)が露見して、縁を切っていた。やはりブランド(信用)とは大事であると納得して、車の点検を正規のトヨタのディーラに鞍替えをした。整備屋も純正でないとトラブルの元である。

P1120680s  チャチな接点部

自動車の保安部品は純正品だけに

 私は自動車部品メーカの開発部で、自動車部品の開発を担当してきた。その部品が保安部品と言われる部品だと、その品質保証は大変だ。その部品の耐久試験、上下限試験、寒冷地試験、非破壊試験と、その性能試験は厳しい。それに不具合があれば、自動車事故で死亡事故になるかもしれない。そうなれば、殺人罪さえ問われることになる。会社もその責任で倒産の危機になるかもしれない。タカタはその不始末で、倒産した。三菱自動車は、日産に身を売った。だから、自動車の保安部品は、正規の部品以外は使うべきでない。自分と人の命がかかっている。

 

人の危機管理

 あなたの付き合っている人は、純正部品相当の信頼性がありますか? いい加減な信用の人ではないですか? 人との付き合いを考え直そう。それは自分の人生の危機管理である。

 

2019-05-08   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月 7日 (火)

「癌と共生」という戦略

 私は「がん闘病」という表現はしない。ガンは身内の細胞で、ウイルスのように体の外から来たわけではない。そのガン細胞を「闘って殺す」というのは、なにか違和感がある。自分の身内の組織が、自分の生活習慣が悪く、それを教えるために、ガンという逆縁の仏様になっただけだ。己が生活習慣を直して改心すれば、ガンも逆縁を正縁にしてくれると思う。

 ガンは闘って勝てる相手ではない。癌とは天からの使者なのだ。その使者と共生するのが、仏様のご意志である。

 戦略とは、「戦い」を「略する」こと。無駄な戦いを無くして勝利する方策が、戦略である。癌に勝つのではない、負けないようにするのだ。

 

定義

「癌」の字源

 癌は体の悪いモノの集積場なのだ。悪いものが全身に回ると敗血病になってしまう。それを防ぐために、一か所に毒を集める自己防衛機能が癌である。癌とは固い岩のようなものが体の中にできる。漢字の象形文字の意味は、それが食品に原因するとして、「岩」と「品」を含め、それに病の意味の雁垂れをつけて、「癌」という漢字にした。癌の原因は、食生活であると昔の人は知っていた。

 

伝えるべきメッセージ

 今、私がこの病気に罹ったことから学ぶことは何か、皆さんに価値ある情報として伝えることは何かを模索している。最大の伝えたいメッセージは、ガンにならないための情報である。また、ガンになったら、その対処法の情報である。

 

認識

現状を認識

 「忍」とは認識が源である。真実は、自分自身の「心」に「刃」を向けないと見えてこない。それが「忍」である。

P1050659s   馬場恵峰書

体の現状を認識

 本で癌を調べるのと併行して、現在の私の体内の癌の状態がどうなっているかを、血液検査で解明した。愛知県がんセンターの一般的な血液検査ではなく、横浜のハタイ・クリニックに行って、特別の血液検査「がん幹細胞検査」を受けた(4月2日)。その血液は、ギリシャのベンチャー企業に送られて分析された。血液中の癌の有無の調査だけだと20万円だが、その対策までの解析だと、追加で30万円である。計54万円(消費税込み)の血液検査で、価格に目を剥いたが、事前に資料を精査して信用できると判断して、お金を払った。

 その結果は、血液の単位分量内に、6.1個のガンの「細胞」があると分析された。普通の人は、5個以下のガン細胞の分量であるという。確かに、現状のままではガンが再発しやすい恐れがある。今後、その分析で、最適の抗がん剤種類の選定(これは不要になった)と最適の治療方法のサプリメントの選定をしてくれるという。今はその解析結果待ちである。

 この検査は保険がきかないので、高い。しかし世界でここしかないので、支払った。必要な時、使うべき金を使わないと手遅れとなる。失ったお金は稼げば取り戻せる。失った時間は取り戻せない。54万円の決断に後悔はない。

 

ガン手術後の体の状態認識

 2019年2月12日に手術して、3月9日に愛知がんセンターを退院したが、食が進まない。少し食べ過ぎるとすぐ吐いてしまう。食べられるのは、今までの1/4から1/3くらいの分量である。今でも3日に一度の頻度で嘔吐している(5月6日現在)。退院後、体重が15キロも激減した。いまだに下げ止まる傾向がなく、体重の減少が続いている。このため時折、余命2年の宣告が頭をかすめる。

 だから体がだるくて力が入らない。500mを歩くのが辛い。今は寝たり起きたりの生活である。頭と指先だけが元気で、このブログを書いている。我ながら情けない。体力低下が著しい。多分、免疫力低下も著しいのだろう。

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私の手術後の体重変化  15キロの激減(2月12日~5月6日)

 

抗がん剤治療の副作用を認識

 当初、4月10日より、抗がん剤治療を始める予定であったが、船瀬俊介著『あぶない抗がん剤』(共栄書房 2018年)で、抗がん剤治療の副作用とその実態を知った。薬物科の医師は病院の「標準治療」の指針に従って、盲目的にそれを強要する。私は抗がん剤治療を拒否した。それは自己責任で、最悪の場合は死であると覚悟している。

 今まで70年近く生きてきて、経験上で、そう間違った選択ではないと感覚的に感じる。もう十分に生きたではないか、との達観もある。母よりも長生きできそうである。後は野となれ山となれの心境に達した。

 それは一面、正解であったと思う。現状の体力が極端に衰退した状態で、抗がん剤治療をすれば、命が危なかったと思う。人はガンでは死なない。手術、抗がん剤治療、放射線治療で、体の免疫力が極端に低下して、肺炎、感染症に罹り死ぬ場合が80%という。

 

乳がん患者の闘病記で副作用を認識

 先日、26歳のタレントのYさんが乳がんと闘病するドキュメンタリーを見た。彼女は乳がんの摘出手術後、抗がん剤治療を2か月、放射線治療を1か月、ホルモン治療を半年の「標準治療」でガンを「殺す」治療を受けた。その番組で、抗がん剤の副作用の凄惨さを画面で見て怖しくなった。彼女はまだ26歳と若いのに、頭髪が完全に脱毛し、吐き気、倦怠感等に襲われていた。

 つい先日も、余命3ヵ月と宣告された大林亘彦監督が抗がん剤治療を受け、頭の毛が全て抜け、放射線治療を受け、疲れた姿をビデオで見て、陰鬱な気分になった。Yさんと大林監督は、抗がん剤の副作用を我慢しながら抗がん剤治療を受けたのだ。抗がん剤は、ガン組織だけでなく、正常細胞も無差別に攻撃する。それは放射線治療も同じである。彼女の放射線で焼かれた肌が痛々しかった。

 彼女は26歳という若さがあるから耐えられたが、高齢の私には耐えられないと思う。なにか自然の理に合わず、納得できない。この番組で感じたことは、「天は抗がん剤治療が間違っていると言っている」である。

 このがん闘病記で気になった彼女の生活習慣が、彼女の食事である。彼女がパン食の朝食を作って食べている姿が放映されたが、私の調査では、それは間違った食事なのだ。癌になった原因を除かず、今まで通りの生活をすれば、癌は再発する。その点はテレビのスポンサー企業への気兼ねで、避けて通っているようだ。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

5年後の生存率を認識

 私のガンは、ステージⅢb。5年後の生存率が53%である。つまり同じ病状の人が、5年後には半数が死ぬのだ。厳しい現実を認識している。そのために、愛知がんセンターの推奨する「標準治療」では、手術後の抗がん剤が勧められる。私はそれを拒否して、代替治療を模索している。

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 ステージⅢの生存率

 大鵬薬品工業の抗がん剤TS-1のカタログより。TS-1投与群のデータは疑惑あり。

 

日米のガン死の差を認識

 1985年「デヴュタ報告」として、「抗がん剤は無効である」と米国立ガン研究所長のデヴュタ所長が議会証言した。それから米国はガン治療方針を変更した。それから米国ではガン死が減少している。それに対して、日本は急増であるのは対照的である。

 日本では、ガン・マフィアが跋扈している。その首謀者に政府官僚がいる。

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 船瀬俊介著『あぶない抗がん剤』(共栄書房 2018年)より引用

 

原因調査

 医師はガンにならない生活習慣を患者には教えてくれない。医師は、近代西洋医学の抗がん剤や放射線治療等の対処療法しか頭にないようだ。それなら、自分でガンになった原因を特定して、その対策の道を拓くしかない。

 西洋医学は、科学の最先端を走っている。科学とは、物事を細分化して、それを追及する。科学の「科」とは、禾偏に「斗」から構成される。「斗」は秤のことで、精密に測ることを意味する。西洋医学は、その面を細分化しすぎて、本末転倒の事態を招いている。西洋医学の最先端医療で、「癌細胞を殺すことに成功しました。しかし患者も死にました」という悲劇を招いている。走り出した西洋思想は、悲劇であることが判明しても、止まれない。それが西洋思想の悲劇である。

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 馬場恵峰書 2014年

 

対策

 今、私はその死亡率47%の一人に入らないように、ガンの研究をして対策を練っている。自分の命に関することなので、必死である。ガンの調査のために購入したガン関係の本は、40冊を超えた。衆知を集めて、対象を解明し、対処方法を探っている。何事も、まず現状把握しなければ、前に進めない。

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ガンの研究

 無知は対象に壁を作る。そのガンの知識がなければ、医師の指示に盲目的に従うしかない。しかし、幸いなことに私はそれを調査解析する能力と時間がある。ガンを乗り越える治療方法を探索する能力があると思う。

 会社でも問題が起きれば、その原因を解明して、対策を打つ。私は自動車関係の仕事をしてきた。それで、多量のデータ解析をした経験が活きると思う。何故、何故を5回繰り返して、癌ができた真因を明確にしたい。トヨタ生産方式のやり方である。今まで得た知識、経験、知恵を全うしたい。得た知識や経験を血と肉にしないと、今までの努力が無駄になる。

 

本来面目

 己は己の体の組織一つ、自由にはならない。己の組織なのに、その組織が勝手にガンになっていく。己はそれを阻止できない。その癌と共生して生きるしか、なす術がない。それを「認識」して、己を生かす道をさぐっている。

 会社の組織も、社員がいくら頑張っても、日産のゴーン被告にように。ガン組織のような輩が跋扈して、会社を食い物にすることがある。しかしそれは日産の社風が生んだ産物なのだ。それは全て歴代のトップの言動が生み出したものだ。ガン組織のような輩を育てたのは、そういう風土にした会社歴代のトップの責任なのだ。

 それと同じで、己の体のガン組織は、己の長年の生活習慣が生み出した。癌防止と治療には、生活習慣を直すしかない。それは命の再生である。命とは、自分が使える時間量である。その時間を伸ばしたい。今回、私もガンになって多くの学びがあった。それを皆さんに伝えるのが、私の使命と思う。それまでは死ねない。

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  馬場恵峰書 2015年

2019-05-07   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。