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2019年5月11日 (土)

書抜き  渡部昇一著『95歳へ!』

  飛鳥新社 2007年 1200円

1.レス・フーリッシュな選択をしよう

 定年を迎える年齢になり、子どもも成人したということは、社会人として課せられた義務の大半から開放されたということです。「賢明さ」より「楽しさ」に重きを置いて「レス・フーリッシュ(愚劣度が多少低い)でいい」という生き方を検討してみてはいかがでしょうか。「過度に賢明であってはならない(ne supra modum sapere)」というラテン語の格言もあります。(p14)

2.95歳まで生きよう   p15

 昨秋、漢字学者の白川静氏が96歳で他界されました。私は、先生が92歳の時に対談をさせていただき、本(『知の愉しみ 知の力』)を出しましたが、その時、先生は矍鑠たるものでした。

 5時間の対談中、休息もとらず、大半を先生が語られました。若輩の私が聞き手、白川先生が話し手という形になったからです。対談を終えて日本料理店に向かう時もスタスタととても90代には思えない足取り。出てきた料理は次々にきれいに召し上りました。そして、デザートの小さな羊羹を半分だけ残されました。

 不思議に思って「先生、それはどういう意味なんですか?」と伺ってみると「ちょっと、糖尿の気があってね」。私も92歳になって、そう言ってみたいものだと思いました。

9.人は何を幸福と感じるか   p55

 人間の内側を満たす重要なものの一つに私は「自分の能力が生かされているか」と言うことがあると思います。

 どんな職であれ、生き生きと働けるということは、その仕事が自分の能力に合っているということでしょう。ですから、男は自分にあった仕事ができていれば幸せだと思います。

10.誰にもやりのこしていることがある

 人間万事塞翁が馬。95歳まで生きるなら、あと30年くらいあります。若い頃に諦めたこと、できなかったこと――それは後悔すべきこと、不幸なことではなく、もしかしたら豊かな晩年のための「貯金」だったかもしれません。(p62)

11.内なる声に耳を澄ませ

 内なる声を聞くには、顕在意識が活動を休止あるいは低下している状態――ウツラウツラしている状態が適しているのです。

 そういう時、「自分がしてみたいことは何だろう」「自分は何をしていれば楽しいだろう」と静かに自問してみるのです。別に思い浮かばなくてもいいや、どうせ寝てしまうのだから――というくらいの軽い気持ちでかまいません。今日思い浮かばなくても、また明日聞いてみればいいのですから――。(p66)

15.「未だ生を知らず」と考えよう

 「学問で成功するのは、頭のよしあしよりも、むしろ心的態度の問題である」

 繰り返しますが、95歳まで生きるなら、今60歳の団塊の世代にはあと35年あります。15歳の少年はこれからかなりの時間を勉強に割かなくてはなりませんが、60歳の人はすでにそれを済ませ、多くの経験を積んできたはずです。15歳の心的態度になったら、大抵のことはできるのではないでしょうか。

 16.本当の自分とは何か   p87

 「病気はあなたの肉体の故障であって、意志の故障ではない。その病気があなたの意志によって呼び寄せられたものならば別だけれども、足が不自由な人は、足が悪いのであって、その人の意志に故障があるのではない。何事かがあなたに起こるたびに、必ずこのように考えよう。そうすれば、どんなことでも決して、あなたに障害を与えないだろう」(ヒルティ『幸福論』)

 エピクテトスは「自分とは何か」という問いの答は「意志」であるという結論に至ります。あくまでも自分の自由になるもの、それは意志である、それ以外は自由にならない、故に意志こそが自分自身であると――。

18.将来のことを考えなくなったら要注意

 志や、何かをしようという意志が希薄になり、漫然と時を過ごすようになってはいけない。それは体力の衰えや物忘れより、ずっと怖ろしいことです。10年後、20年後、30年後を視野に入れているか。そのために何をしようという意志があるか。私は60歳少し前に、それがなくなっていることに気付いて愕然としたのです。

19.高齢でも記憶力は強化できる   p102

 いずれにせよ、私は「記憶力は筋力と同じで、鍛えれば強くなる」ことを体験しました。しかも60代半ばでも、です。

20.人生はたくさん覚えているほど豊かになる   p107

 戦後教育の大きな間違いのひとつは暗記を軽視したことでした。「独創性」とか「個性」といった耳障りのいいキャッチ・フレーズに惑わされて、暗記することの重要性を忘れてしまったのです。

 「独創性」や「個性」は蓄積された記憶から生まれるもので、記憶の絶対量が少ないと何も生まれてきません。数学者として世界に勇名を馳せた文化勲章受章者の岡潔先生は「とにかく十代の頃は反吐が出るほど暗記したほうがいい」とおしゃっていました。

21.記憶こそ人生そのもの

 突き詰めて言えば、人生とは記憶です。もし全ての記憶が失われたら、肉体はその人であっても、人格はその人でなくなります。晩年を生きるにあたって、最も大切なことは記憶力を鍛え、多くの記憶を持ち続けることではないでしょうか。(p115)

23.言語のトレーニングを続けよう

 記憶と言語を論じて明治維新に至りましたが、ことほどさように、人間にとって記憶と言語は重要です。ボケないために(記憶を失わないために)何が必要かと問われたら、私は「言語のトレーニングを怠らないこと」を第一に挙げます。(p124)

26.老いて学べば即ち死して朽ちず   p136

 江戸時代後期の儒学者・佐藤一斎の著書『言志晩録』に「少にして学べば即ち壮にして為すあり。壮にして学べば即ち老いて衰えず。老いて学べば則ち死して朽ちず」という言葉があります。

  一斎の言う「壮にして学ぶ」とは、仕事以外のプラス・アルファを勉強することです。現職の時に頑張って働くのは当然のこと、それは別に何かプラス・アルファの勉強をしていると、「老いて衰えず」になると言っているのです。

28.歩行禅――歩きながら瞑想しよう   p146

 先に紹介した『タイム』の「いかにあなたの精神をシャープにするか」という特集で面白かったのは、「黙想の効果」を取り上げていることでした。ウォール・ストリートの株取引の大物が胡坐をかいて黙想している写真が掲載されており、「こういう黙想を毎日続けていると、部分によっては大脳皮質が厚くなることがあり、その厚くなる部分は決断力、注意力、記憶力に関係している」と書いてありました。

 また、マサチューセッツ・ジェネラル病院のセイラ・ラーザは「加齢ととも薄くなってゆく大脳のその部分の変化は、毎日40分の黙想で遅くすることができるのではないか」と言っています。

 歩きながら、私は過去を憶い起こして懐かしんだり、未来の希望を考えたりします。外気を胸一杯に吸い込みながら歩を進め、自分の内面と向き合うのは、まことに人間らしく、本質的に知的な行為のよう思います。

32.睡眠時間を増やしなさい   166

 西原克成先生は、哺乳類の進化学的見地から重力の大切さを指摘しておられます。人間は1日8時間ぐらい横になって背骨を重力から解放してやると免疫力が高まると言っておられますが、私の実感から言えば、西原説は正しいと思われます。

 私たちが眠たくなるは、メラトニンという脳内ホルモンの働きによるそうです。このホルモンは暗くなると分泌量が増え、明るくなると減少します。つまり太陽の動きに合わせて、人間を眠らせる働きをしていのです。

 そして、子供に対しては成長ホルモンとして働き、老人には老化抑制ホルモンとして働くと言われています。また、最近の研究では、免疫系とも深く関係しており、実験動物にメラトニンを与えるとガン細胞を攻撃するNK細胞の数が増えたり、ウイルスを殺傷する食細胞の破壊力が高まったりすることが報告されています。

 33.授けられたものから恍惚を得よう   p171

 自分に恍惚を感じさせてくれるものは何で、それはどこにあるのか。人生の後半において最も大切なのはそれを発見することかもしれません。

 近代人の心に宿った一つの病癖は「努力すなわち価値である」と思い込んだことです。これはカントの認識論の影響とされるのですが、大きな間違いだと思います。努力の結晶かもしれないけれど、価値のないものもあるし、逆に価値あるものだけれど、努力の結晶ではないものも、この世には多く存在します。

 最もわかりやすい例は生命です。私たちにとって生命は非常に大切なもの、価値あるものですが、それは自分で努力して獲得したもの、あるいは作り上げたものではありません。父母から、あるいは神様から、あるいは天から授けられたものです。その生命の維持に必要な食物も、もともとはみな、自然からの贈り物、授かったものです。

 

2019-05-11   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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