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2019年5月

2019年5月 6日 (月)

小川敏市長が、路上で80歳の老女と大喧嘩

 2019年5月5日、令和元年最初の大垣・元気ハツラツ市が開催された。そのオープニングで、小川敏市長が猿芝居の大喧嘩を披露した。

 大垣駅前商店街にお店を持つ80歳近い老店主の女性が、歩いてきた大垣市長を捉まえて、

「なんで、道路中央の露店出店者の営業を、商店街のアーケードの下の歩道でやらせないのか。そうすれば、客も露店出店者にも既存の商店にも顔を出せる。空き店舗の前で露店出店者が営業すれば、露店出店者も客も炎天下の暑さをしのげるのに、それが商売上で、一石二鳥ではないか。もう、あんたなんかに投票しない」と。

それを聞いて、小川敏市長は、

「そんなこと、俺は知らん」と言ったので、大喧嘩になったという。それで彼の化けの皮が剥がれた。

 10年近くも元気ハツラツ市の開催を主導したのは、小川敏大垣市長である。それを「そんなこと知らん」とは、市長失格の呆れた言動である。この一件で、小川敏氏は市民の声を聴く耳を持たない市長であることが露見した。

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Dsc05347  元気ハツラツ市 道路中央の露店は賑わい  2019年5月5日

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  元気ハツラツ市で道路中央の露店は賑わい  2018年3月4日

Dsc01397_2 元気ハツラツ市で閑散たる歩道側     2018年3月4日

歩道側に露店を設営すればよい。アーケード下なので暑さも凌げる  

 

害毒を流す元気ハツラツ市

 元気ハツラツ市は、もう10年近く開催されている。その弊害で、大垣駅前商店街は衰退の一途である。もう61%の店がシャッターを下ろした。なにせ元気ハツラツ市で儲かるのは、市外から来た露天商だけである。

 元気ハツラツ市では大通りの駅前道路が封鎖されるので、商店街のお店の荷物の出し入れで、車も使えない。道路封鎖では、商売の妨害が著しい。露店出店者は、大垣駅前大通りのど真ん中に店を出して営業している。

 大垣駅前商店街から一歩路地に入った飲食店は、車で客が来れないので、商売が全く成り立たない。元気ハツラツ市を止めて欲しいと泣いている。

 

堪忍袋の緒が切れて

 元気ハツラツ市に来る客の多くは、露店出店者に流れ、その両脇の商店街の歩道は、誰も歩いていない状況が長年、続いている。これでは、商店街が衰退するはずである。それに商店街の店主の老女が堪忍袋の緒が切れて、小川敏市長にかみついたのだ。

 こんなことは、その気があれば誰でも気が付くこと。それを毎回来ている大垣市の職員が気付いて、改善せねば税金泥棒である。どこに目を付けているのだ。実行委員長でも、そういう目で観なければ、実行委員長失格である。

 

すべて利権がらみ

 大垣駅前商店街の大手一部の商店は、大垣市に商品を納入しているので、「それは大垣市の発展のためになる」として、表向きは反対しない。全て利権が絡んでいる。しかし、元気ハツラツ市の弊害が大きく、発展どころか、実際にこの10年で、商店の61%が店を閉めた。元気ハツラツ市は、大垣衰退の元凶である。

 

商店街組合理事長・実行委員長の闇

 大垣商店街振興組合の理事長の小倉氏は、大垣駅前商店街にお店がないのに、理事長で居座っている。辞める気は毛頭ないようだ。なにせ彼は三役・役員の推薦で理事長になったのだ。よほで美味しいものがあるようだ。理事長は、この元気ハツラツ市の開催の元凶である。

 その三役・理事長の選任の仕組みは、密室での関係者だけの話し合いで決まる。その決定には、一般の組合員は関与できない。東京なら、全組合員の投票であるが、大垣市の商店街組合は、封建社会なので、下々の組合員は関与できないしくみとなっている。

 元気ハツラツ市の実行委員長は、1年交代で、その役をやることが決まっていた。しかし今の松本実行委員長は8年間、その座にしがみ付いて、その座を離さない。よほど美味しいものがあるようだ。今まで、会計報告もない。市の職員も絡んでいるから、なあなあで汚職まがいことがあると思わざるを得ない。

 今度、その実行委員長の役を公益法人化するという噂がある。よほど裏で儲かることをやっているとしか、思えない。永久に松本氏が元気ハツラツ市の利権を抱え込むことになる。誰も口を出せなくなる。

 松本氏は、1年ほど前、夜間に暴漢に襲われ、大けがを負った。犯人は不明である。包帯を巻いた姿が商店街でよく見られた。闇の世界とのトラブルがあったようだと大垣駅前商店街では噂されている。

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    実行委員長の松本氏 2017‎年‎10‎月‎1‎日‏‎

 

 今、大垣市民と心ある大垣商店街の店主達は、なす術もなく泣いている。岐阜新聞も中日新聞も、御用新聞と巷では言われているので、そんなことには、取材もしない。当然記事にもしない。両紙は、小川敏市長と癒着していると思われても不思議ではない。大垣市民として、情けない思いである。

 

2019-05-06   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年5月 5日 (日)

吸血鬼が日本上空を舞う

悪魔のサイクル

 日本の劣化が止らない。アメリカ、中国、アジア諸国は成長しているが、日本は相対的に衰退である。日本人の給与は下がる一方である。少子化も止まらない。若い人の給与が下がって、結婚もできず子供が産めない。子供の数が増えたのは東京だけで、他はすべて減少である。若者が増えず、老人ばかり増えて、年金、介護費用、医療費がうなぎのぼりである。日本社会は悪魔のサイクルに陥っている。

 一億総中流化は昔の高度成長期のお話しだ。今は若い人が車も買えない。企業も目先の金儲けに忙しく、基礎研究を放置し、技術論文数も増えず、中国や新興諸国に負けている。それでいて、日本だけがガン死が急増である。それに政府は手を打たない。政府の官僚も利権に目が眩み劣化したのだ。

 

悪魔のサイクルの原因

 その原因は、若い人の生き血を吸う吸血鬼が繁殖してきたからだ。吸血鬼とは、拝金主義者、利己的官僚、国のことを思わない官僚・役人、成果主義・グローバル経済主義の経営者・中間管理職である。

 

衰退の原因 = 吸血鬼の繁殖

 現在の日本企業が衰退した原因は、社員への教育投資を怠ったためである。1992年、バブル経済が崩壊し、経営者は未来の投資を放棄した。教育を放棄した現場責任者は、未来のある若人の生き血を吸って、自分達の成果にしていた。これを吸血鬼という。これでは会社の未来は暗いし、この弊害はボディーブローで効いてくる。気づいたときは手遅れである。だから日本経済は、バブル崩壊以降、成長なき27年間が流れた。成長するには、教育に投資をしなければならない。

 

昔の人事部の教育 

 私が入社した高度成長期の1973年は、会社も教育が充実していた。入社時、人事部主催の入社時の導入教育以外に、職場配属されて約2週間の技術部での受け入れ教育があった。当時は教育部もあり、人材に育成に力が入っていた。時は流れて、現在(2005年)は人事部に人材育成グループがあるだけである。それは2019年でも変わらない。

 

新人技術者教育を担当

 2000年、私は部品企画部に異動になり、技術部門の新人技術者教育として、約2週間のカリキュラムを組み、新人教育システムを立ち上げた。6年間、その教育を継続した。私も9講座を受け持ち、教壇の先頭に立った。その一つが「修身」であった。ビジネス文書の書き方(テクニカルライティング)にも力を入れた。2006年の合併後も2年間はそれを継続した。

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初級技術講座カリキュラム(青部が私の担当)

開講式、オリエンテーション 

ビジネス文章の書き方       

IT時代のナレッジと自己研鑽        

製図規格  (選択講座)   

安全作業の基本    

**技術概論 ポンプ及び流体理論     

**技術概論 ギヤ・バルブ  

**技術概論、設計技術   配管・**

**技術概論 電磁弁・その他バルブ   

3D-CAD教育  (選択講座)       

3D-CAD教育  (選択講座)       

3D-CAD教育  (選択講座)       

2D-CAD教育  (選択講座)       

2D-CAD教育  (選択講座)       

配管プログラム     (選択講座)      

2D-CAD教育  (選択講座)       

3D-CAD教育  (選択講座)       

3D-CAD解析教育  (選択講座)   

3D-CAD解析教育  (選択講座)   

**J技術概論    

**技術概論/車両駆動システム動向   

営業活動の概要    

危機管理の基本(情報、機密管理、安全)        

電子メールの書き方

修身(仕事の論理)

**技術概論 メカ概論     

**技術概論 モータ(メカ) 

ECUの基礎(ハード)

ECUの基礎(ソフト)

**・**概論    

**部品評価試験の基礎     

ギヤ 設計技術    

ポンプ設計技術    

ポンプ評価試験    

ギヤ 評価試験    

計測管理・精密測定法       

原価の知識        

語学(英語)の勉強方法     

技術者の文書作法・演習・添削        

特許の知識 (駆動関係)    

VE・VAの知識 (駆動関係)       

自動車部品事業部の概要と歴史        

調達のしくみ      

「当社の生産のしくみ」と「部品表」  

品質の話

トライボロジーの基礎       

車両駆動システム動向       

特許の知識1     

特許の知識2     

特許の知識3     

特許の知識4     

特許の知識5     

修了式・役員講話 

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 「修身」の講義 2004年  講師は著者

 

崩壊

 しかし私がその職を離れた後、後任のT室長はその新人教育システムを破壊した。彼は教育に極めて不熱心で、自分が楽をするため、その教育プログラムが多すぎるとして、K事業所の研修センタでの泊り込み研修をやめ、テレビ会議システムで講義をすませ、講座数も激減させた。現在は技術管理部署としては、半日の担当だけの受け入れ教育に激減させ、あとは全社のテレビ会議システムの技術教育プログラムに乗っかり、新人教育を放棄した。

 

テレビ会議システムでの講義の弊害

 講義や講演のビデオでは、テーマの裏にあるパッション(情熱)は、受講生に届かない。ナレッジはビデオでも伝えられるが、パッションは直接相手と対峙しないと届かない。人はナレッジだけでは動かない。それにパッションが加わると、大きな力となり、人に考えるきっかけと行動する力を与える。

 

成果主義の弊害

 我々の世代は、先輩が新人のために、汗をかいて手取り足取りで教えてくれていた。ところが成果主義、成果主義が浸透し、部下に教えると、自分の時間を無くなるし、自分の職が脅かされるとして、教えなくなる傾向が増えた。

 特に日産では、ゴーンの経営方針で、激烈な成果主義が浸透し、部下に教えると、自分の職位が脅かされる危険を感じて、部下を教えなくなっていった。昔の日産の風土が無くなったとОBが嘆いていた。それが日産衰退の原因であった。 

 個人の最適化で、私の後任のT室長は、自分は楽をして、全体不最適化の体制としてしまった。これを経営用語で「合成の誤謬」という。そういうことをうまくやる人間が偉くなっている。なにせ教育に力を入れても管理課の室長として、手間ばかりかかり、出世には邪魔と考えるからである。

 

グローバル経済主義・成果主義という病

 欧米のグローバル化とは、他人に面倒な仕事を押し付け、自分は楽をして成果だけ貪るシステムである。教育とは、自分の世代には決して成果とはならない損な役回りの仕事である。私はその損な役割をお役目として受け入れていた。誰かがやらないと、未来の会社が回らない。不幸なことに、直ぐには問題が顕在化しないので、それですんでしまう。成果主義では、教育の成果は次世代なので、やった教育者は、決して評価されない。だから誰もやらない。そういう悪循環で、私が32年間勤めた会社は左前になってゆき、2005年に吸収合併され、消えた。

 

吸血鬼経済

 今の教育を放棄した技術管理部の責任者は、未来の若人の生血を吸って、自分達の成果にしているのと同じである。これを吸血鬼という。これでは会社の未来は暗いし、若人に申し訳がない。この弊害はボディーブローで効いてくる。気づいたときは手遅れである。

 私が会社の技術広報誌の編集責任者として原稿を集めていたが、基幹の事業部の技術部からの原稿が全く出てこない。今までの体制がそれを生んでいると思う。それが一因となり前任者は長期休職に逃避した。このため私が編集責任者にさせられた。これが、成果主義での技術開発での結果である。

 

人に投資をしない日本企業

 この現象は日本がグローバル化の波に表れ、人に教育投資をしない。それが全企業に及んでいる。そこに日本の不況の一因がある。教育に金をかけている企業は伸びている。

 肝心の投資を海外(中国、アジア)に投資をして、日本への投資を削減すれば、ブラーメンのようにその経済力が日本に及んでくる。ますます日本は衰退していく。それが分からない経営者が、日本企業を経営している。世も末である。

 

ご神託の愚

 毎年の会社経営方針で経営者は、「教育は大事である」と御託を述べる。しかし不況のとき、真っ先に削減となるのが教育訓練費である。この40年間、その傾向は変わっていない。私は管理部門の長としてずっと泣きを見てきた。

 それは日本の企業が、1992年のバブル経済崩壊以後に取った経営方針なのだ。バブル崩壊までの高度成長期は、教育費は増えていた。だから日本は成長した。

 バブルがはじけ、日本経済はデフレになり、成長できなくなった。人の投資をしなくなったので、成長できないだけなのだ。この当たり前のことが、わからないアホな経営者が経営するから、日本企業の成長が止ったのだ。それが原因で私を育ててくれた会社は消滅した。

1    日本経済新聞 2013年4月10日

2

    日本経済新聞   2017年12月17日

 

日本政府の怠慢

 日本の教育への公的支出は6年連続で、先進国中で最下位である。途上国等含めても123位と異常な下位にある。(2015年)

 政府が教育に投資をしない。先進国で、一人当たりの公的教育費は、日本が最低である。いくらアベノミクスで経済政策を進めても、子供への教育投資を科学技術の予算を増やさないので、景気が回復しないのだ。未来もないのだ。それはヤベえミックスである。

 日本の官僚は、未来に子供に投資をせず、抗がん剤の認可や添加物の認可で自分の保身のため、天下り先等に心を奪われている。それでいて日本の未来をつぶす増税に血眼になっている。国の未来のために働く義のある役人が減ったのだ。厚生省のデータ改ざん問題は、その体質が露見した事件である。それは子供への教育が貧困になったため、その教育環境下で育った役人が堕落したのだ。悪循環である。

 

衰退の責任

 こういうみじめな日本にしたのは、下劣な議員に投票した国民にもある。戦後教育が貧困であったので、国民自身が劣化したのだ。それで民主党の言葉に騙されて、民主党が政権を執ったら、益々日本は衰退した。今、安倍政権はそのしりぬぐいをしている。選挙では、教育に力を入れる人に、日本の未来に投資する人に投票しよう。

 

自分への教育投資

 会社はどうでもいい。国もどうでもいい。自分に自分で教育投資をすることだ。それが、変革の時代を負けないで生き延びる手段である。一人一人が目覚めて、一燈を灯して歩く。それが万燈になれば、日本は再生する。私はそう信じて自己投資を続けている。今でも自分への教育投資に年間100万円は使っている。今日は子供の日だ。日本の子供の未来のために精進をしよう。

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  馬場恵峰書 岩村に寄贈    寄贈者 弘前市 新戸部八州男氏

 

2019-05-05   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年5月 4日 (土)

「霊柩車」を購入

 2018年3月6日、私は暗号コード名「霊柩車」を購入した。「霊柩車」とは、「人生の中で最後に乗る、一番豪華なクルマ」と定義した車のことである。人には「霊柩車を買った」と吹聴して煙に巻いて楽しんでいる。私の真面目な日頃の言動のせいか、本気で信じてくれる人が多くて(?)時折、慌てて言い訳をしている。人徳でしょうか。

 最近は、霊柩車も地味な黒のベンツ車が多いが、昔はキンキラ金の霊柩車が多かった。今は本物のキンキラ金の霊柩車は人気なく、市場で余っていて中古で100万円もあれば買えるようだ。アジアでは、日本の霊柩車は、「動く寺院」として人気があるという。

P10609351 水木しげる「幽霊電車(霊柩車)」 ed.622/800    2018年入手

   鬼太郎は、悪人を瞬時に地獄に送り届けることが出来るのです。

 

車を運転できる余命

 私も人生の最終期に近づき、最後に買う車の選定で、良い車を買おうと決心した。私も次回の運転免許更新時では、70歳以上になり、チーチーパッパの認知症試験と実技試験を自動車学校で事前に受講しなければならぬ。それが済まないと、運転免許更新所に行けない。70歳以上の免許更新は、法律改正で厳しくなった。また自分の体調を考えると、体力や、目の能力でいつまでも車を運転できるわけではない。残された時間を、有意義に安全に快適に運転するために、高級車が選択肢に入ってきた。

 

シガラミを振り切って

 だからどうせ人生で最後に買う車なら、「高くて一番良い車」である。宮仕えなら、回りや上司への気兼ねがあったが、退職後なら、何の気兼ねもいらない。近所の気兼ねもいらない。今まで、なんという多くのしがらみに縛られていたのか、に思い至った。

 当初、ニュークラウンも候補に挙がったが、岐阜トヨタ大垣店に見切りをつけ、「霊柩車」である霊草主恵琉得主を買った。

 実際の霊柩車では、本人は寝たまま運ばれるが、私が買った「霊柩車」はオーナズカーとして、自分で運転して極楽(?)に行く。それは高級車と呼ばれるカテゴリーの車である。それも最高の車種でフル装備である。高いモノにはワケがある。なにしろ、運転していても、周りが気にしているようで、私の近くには寄ってこない。だから安全運転で快適にとばせるのだ。私でも、ベンツ等の高級車には、車間距離をいつも以上に空ける。それが人情だ。

 高級車は安全装備も完璧である。これではなかなか死ねない? 人生最後の車としては、良い車である。良き思いをしている。

 

小川敏大垣市長の霊柩車

 小川市長は、トヨタ・マジェスタ2台を公用車として使っている。小川敏市長は、その後部座席にふんぞり返って、寝ているようだ。だから、後ドアの窓ガラスはスモークが張ってあり、内部は見えない。まるで霊柩車のようだ。

 天皇皇后が国民の父母と例えられるため、その御料車の後席は、国民から見られるように、オープンである。

 大垣市長は、市民の父ともいえる存在であるが、小川敏市長は、市民との会話を拒否するがごとく窓を閉めて、内部が見えないように霊柩車に乗っている。やましい心があると隠したくなるのだ。失政を恥じて、顔を隠していると推察している。市民に顔向けできなくなったら、市長もおしまいである。国民から慕われる天皇陛下と大違いである。

 名古屋の河村市長は、公用車を廃止して、自分の軽自動車で走り回っている。贅沢で、税金無駄遣いの大垣市長と大違いである。小川敏市長は、節約節約というが、実体は、節約とかけ離れた政治をしている。

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 後部ドアの窓にスモークを張った小川敏市長の公用車

6  後部座席がオープンの御料車

老人よ、大死を抱け

 お金は使ってなんぼである。お金はあの世に持って行けない。私も高級車を買って、日本経済活性化のささやかなお手伝いができたようだ。今の景気が悪いのは、老人が金を貯め込んで使わないからだ。老人が、今の消費の5%でも使う金を増やせば、景気は回復する。お金を使えば、幸せが感じられる。預金通帳を眺めても、幸せにはなれない。

 老人よ、大金を抱いて、金を使え。贅沢は敵ではなく、素敵だ

 今まで頑張ってきたのだ、ここで自分にご褒美をあげよう。

 お金を使いたくても、使えなくなる日が近い。

 「欲しがりません、死ぬまでは」は死語にしたい。

 

後日談

 この高級車「霊柩車」には、2018年10月、馬場恵峰先生ご夫妻を乗せて、彦根と関ヶ原合戦場跡と大垣を案内することができたのが幸せであった。この車を買ったのは、昨年であるが、2019年1月7日にガンが発見され2月12日に手術をした。今にして、「霊柩車」を買っておいてよかったと思っている。今なら、手術前後のドタバタで、とても買える状況ではない。この車を買ってなければ、馬場恵峰先生ご夫妻に良い思いをさせて頂く機会もなかっただろう。

 また水木しげるの「幽霊電車(霊柩車)」も絶版で、もう手に入らない。水木プロが、水木しげるさんの全ての絵の販売を、2018年10月31日をもって終了した。これを買えたのもご縁で、めぐり合わせである。

 今回の唯一の悔いは、河村義子先生を乗せて、退院祝いの食事会に行けなかったこと。

 今回、つくづくと「春風秋雨」を実感した。「霊柩車」は人生に華をそえる一輪の花である。自分の人生を芸術作品として創っていきたいと思っている。

P10609341 馬場恵峰書

 

2019-05-04   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月 3日 (金)

車販売店から買うのは人、車ではない

 ディーラーの営業マンから買うのは、車ではない。信用である。

 岐阜トヨタ大垣店に行くと、来店する車のナンバーが登録してあって、フロントの係が、来店した車のナンバーを照合して、顧客を割り出し席に着くと、担当営業マンが出てくる。これは、ネッツトヨタ南国の真似である。しかし、ネッツトヨタ南国の猿真似をしても、レベルが低いと、すぐ化けの皮がはがれる。

 

表面的な真似ではダメ

 2017年、今の車を18年も乗ったので、そろそろ更新の検討として、クラウンが候補に挙がった。しかし、前のモデルは顔が好みではなかった。と言って、事前に発表されたニュークラウンの顔もイマイチであった。その営業主任とは、何度も打ち合わせをしていた。

P10400121  名古屋モーターショウでのニュークラウン 2017年11月26日

 新車のニュークラウンが発売されても、その営業主任から連絡はなかった。「新型クラウンが発売されたら連絡します」と言っていたのに。しばらくたってから、岐阜トヨタ大垣店に冷やかしで顔を出した。たままた、その担当営業主任は不在であったので、別の営業マンが対応してくれた。しかし、後で担当の営業主任からの電話等のフォローがあってしかるべきなのだが、それがなかった。それでその営業主任の化けの皮がはがれた。

 もともと高齢で知識が豊富な客に、若い主任クラスの営業マンを対応させるのが間違っている。話が合わないのだ。私には子供と話しているようで、不快であった。客は別に車の話しをしに行くわけではない。車の知識は、専門誌を読んで、営業マン以上の知識がある場合もある。客は営業マンと話して、今後の対応の信用度を探っているのだ。少なくとも私はそうしている。

 

クラウンの顧客層

 クラウンの顧客は法人客が多い。個人客にクラウンが売れなくても、法人が定期的に買ってくれる。だから岐阜トヨタの営業マンは、個人客を大事にしていないようだ。「クラウンは黙っていても売れるので、売ってやる」という態度のようだ。その営業主任の姿勢から、話がかみ合わないと前から薄々感じてはいた。

 19年前の当時、車の更新で、マークⅡかクレスタかの選択で迷っていたが、愛知トヨペット三河店の営業マンが、「マークⅡは名車ですから、売れているのですよ。(値引きは難しい)」と「売ってやる」との鼻持ちならぬ態度が垣間見えたので、ビスタ店でのクレスタの購入を決めた。ディーラーからは、車を買うのではない、人を買うのだ。

 

営業マンとの付き合い

 今の車は30年以上も前に付き合いのある三河地区ビスタ店の課長から買ったが、30年たっても、今でも、付き合いがある。転勤があると、必ずその連絡をくれる。今は住まいが遠方なので。商売の件では縁がないが、車の相談には電話でのってもらっている。今回の病気の折もお見舞いに来てくれた。そういう信頼関係が持てるのが、営業マンの価値である。

 

フロントマンの裏切り

 岐阜トヨペット大垣北店のあるフロントマンと親しくなって、助言に従ってかなりの買い物もした。ヘッドライト部一式の交換までした。それがある日、転勤になり岐阜市のお店に行ってしまった。転勤は別に問題がないが、今までの付き合いレベルの常識として、電話か手紙の挨拶があってしかるべきだった。私には裏切り行為と受け止めた。 

 そのお店で、車検時、窒素を入れたタイヤに、普通の空気を入れられ、その謝罪も後始末も弁償もなかった。タイヤには、窒素が入っている表示があったのに、サービスマンは知らなかったようだ。技術のレベルが低いのだ。仕方がないので、自費で、オートバックスで窒素を入れなおした。怒り心頭である。

 私は岐阜トヨペット大垣北店とは縁を切った。人の信用を裏切ったことが許せなかった。

Img_30781  ヘッドライト部を交換  2011年1月7日  高かったのです。

全車種併売時代の存在価値

 トヨタ自動車は、2020年代前半から2025年にかけて、4つのトヨタブランドの国内販売系列を一本化する。それぞれの看板は残し、「クラウン」や「カローラ」などチャネルごとの専売車種を廃止し、国内販売店約5000店全店で全車種を併売する体制にする。

 そうなると、各販売店の付加価値が問われる時代となる。「売ってやる」との殿様商売の店は淘汰されるだろう。喜ばしいことだ。それで本当の商売が開花する。

 

モノは人から買う、お店からではない

 それは車の購入に限らない。私がモノを買う時は、指名した店員からしか買わない。私は「負けろ」とは、決して言わない。私は常連客なので、相手が勝手に、最大の値引き率を適用してくれる。

 

2019-05-03   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

ガン利権に悪魔が取りつき、日本のガンを増大

死のビジネス

 昔は50人に一人のがん患者が、最近は日本人の2人に一人がガンになる時代である。だから、テレビでガン特集番組が多い。しかし不思議なことに、何故ガンになったかの視点の番組が一つもない。なぜかそれを避けて、ガンを治す先端医療、新治療方法や抗がん剤治療の闘病生活の美談の話しばかりなのか。ガンになった原因を追究すると、テレビ局のスポンサーの商品に焦点を当てねばならず、テレビ局が利権者から非難をされる。いくら対処療法を追及しても、その真因の原因を探らねば、ガンは治せないし、なくせない。

 

発ガンの要因

 ハム等の加工肉は発ガン性物質である

 牛乳も発ガン性物質である。

 酒も発ガン性物質である

 スィーツも発ガン性物質である。

 糖分の取り過ぎもガンを誘発する。

 油分も間接的にガンを誘発する。

 添加物、抗生物質、防腐剤、農薬もガンの要因である。

 日本では厚生省の陰謀で、添加物等が野放しである。

 グルメ番組は、食への感謝の念を忘れさせる。

 それがガンを誘発する。

 食べ過ぎも大きな発ガン要因である。

 抗がん剤治療、放射線治療も発癌性の要因である。

 テレビは人を痴呆症にする。ガンより怖しい病気である。

 テレビの前に座って、運動不足になるのも発癌性の要因。

 

ガン・マフィア(ガン利権者)の存在

 ガン・マフィアは、ガン患者が増えれば儲かる。それが簡単に治ってもらっては、儲けが少なくなるので困るのだ。それは我々への呪いである。その呪いは止めれない止まらない。ガン・マフィアとは、医療関係者、製薬関係者、食品関係者、マスコミ、官僚等である。

 私は年初にガンが発見され、その対応で、この半年間だけで、入院費、電動ベッド等で約500万円の金が消えた。ガンになれば金がかかる。命のかかわることだから、金をかけざるを得ない。それがガン・マフィアの付け目である。

 

ガン・マフィアの利権エリア

 健康保険組合連合会の医療費総額(3兆3307億円)のうち、11.2%はガンが占めており、年々、シェアが増大している。がんの種別に見ると、乳がんが最も多く、次いで大腸がん、肺がんの順となっている。また、がんの種別に1入院当たり医療費を推計すると、男性では甲状腺がん(56万7061円)、女性では乳がん(56万8627円)が最も高い。

 ガンは日本の死因第1位を独走で、医療費に占める割合も高い。がん医療費のシェアは、2014年度→15年度→16年度と増大している。健康保険組合連合会の医療費の比率から換算すれば、日本の総医療費42兆円中の4兆円以上が、ガン・マフィアの管轄エリアである。そこに大きな利権がある。美味しい利権である。一度獲得した利権は手放せない。だからガン患者が増えていく。

Photo   船瀬俊介著『あぶない抗がん剤』(共栄書房 2018年)より引用

ガン・マフィアの圧力

 上記のガンの発生原因を番組で表に出すと、テレビのスポンサー企業には都合が悪い。テレビ放送の認可担当の役人にも都合が悪い。そうなればディレクターはすぐ首である。拝金主義に染まった日本人が、日本人をガンで殺している。隠れたガン・マフィアが、日本社会を支配しているようだ。だから日本は世界先進国の中で、一番ガン患者が多く、増加している。それなのに、日本政府は手を打たない。ガン医療には金をかけるが、ガンにならないために政策には、手を打たないのだ。なにせガン治療には、大きな利権があるのだ。官僚には己の天下り先が一番大事なのだ。

 微力な我々は、自分の体は、自分で守るしかない。そのため、ガンの知識、ガンになる要素を学ぶ必要がある。

2019-05-03   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月 2日 (木)

毒を盛るのが好きな医者

 薬は基本的に毒である。薬を投与する場合は、短期間に対処療法的に使うべきだ。それを根本治療をせず、惰性的に薬を出す医師は、「毒を盛るのが好きな医者」である。なにせ患者を生かさず殺さずに、拘束することができる。患者は、医師にとって「金のなる木」になる。そういう医師は避けるべきである。病気になったら、医師の選択が一番重要である。

 

高血圧に悩む

 私は長年、高血圧で降圧剤の薬を飲んできた。それは対処療法の薬で、高血圧の原因を無くす薬ではなかった。高血圧の原因は、長年の悪食の弊害で、血管内部にへばりついたプラークと呼ばれるコレステロールのカスであった。その粕は、食事慮法で減らすことができて、血圧が下がり、降圧剤が不要となった。私は長年、飲んできた降圧剤もガンになった遠因ではないかと疑っている。

 そこに至る経過を下記に示す。

 

会社時代の産業医

 45歳ころから、高血圧を指摘され、会社の医院の指導で薬を飲み始めた。産業医は、「中間管理職として会社ではストレスが多いので、退職すれば血圧が下がりますよ」、とずっと降圧剤「アムロジン」を出し続けた。これで会社では15年近く、降圧剤を飲むことになった。

産業医から高血圧を治す指導はなかった。

 

クリスチャンの医者

 退職後、2011年、大垣のある人の紹介で、Wクリニックの門を叩いた。その医師はクリスチャンなので信用できるという話であった。ところが、問診をして血圧を測り、「血圧が高いようですから、もう一種類の薬を追加しましょう。体重を減らして血圧を下げるのは大変ですよ」と言い、私が体重減の取り組みを全く無視して降圧剤の薬を追加した。薬を減らそうと努力していた私は、怒りと呆れで、この医院に行くのを止めた。

 当然、高血圧を治す指導はない。 

 

消化器系の医

 その後、某消化器内科で降圧剤の処方を受けていた。途中で『週刊現代』の記事で、アムロジンの副作用が大きいことを知り、「コニール錠」に変更してもらった。何故、患者がこんなことを心配せねばならぬか、との疑問がおきた。その後、医院を循環器系の専門医院に変えることにした。

この医院でも高血圧を治す指導はない。

 

K循環器系クリニック

 その医院は循環器系の医院なので、某消化器内科とは違う相応の検査はしてくれた。しかし、根本の治療方法はしてくれなかった。今までと同じ薬の投与である。心房細動があるとのことで、血をサラサラにする薬「イグザレルト錠」が追加となった。

この医院でも高血圧を治す指導はない。

 

真島消化器クリニック(久留米)

 ネットで高血圧の原因を究明していて、真島消化器クリニックのHPを見付けて、その理屈に納得して、受診することにした。しかし、予約は半年待ちとのこと。全国、世界からも患者がくるようだ。しかし予約のキャンセルが出て、3か月後に受診ができた。

 真島消化器クリニックのHP http://majimaclinic22.webmedipr.jp/

 ここの診察は、超音波で全身の血管8か所のプラークの厚みの検査である。その後、説明と食事の指導がなされる。医師は薬を出さない。私は、食事指導を守って、4か月に一度の頻度で、久留米に通った。そのお陰で、2年で成果が出て、高血圧の薬を飲まなくてすむようになった。

 

愛知県がんセンター

 2019年2月にガンの手術を受け、愛知県がんセンターの医師から、手術中に心臓の心電図をモニターしたが、異常がないので、血液をサラサラにする薬「イグザレルト錠」は飲む必要はないと診断された。

 この病院の最大の問題は、医師からガンになった原因の調査と再発防止の指導はなかった。あったのは、抗がん剤治療の勧めである。それは拒否した。

 

某循環器系クリニック

 退院後、今までかかりつけの某循環器系クリニックの医師に、そのことを話すと、「ではあとの整腸剤を出しましょうか」と言うので、それも断った。医師は残念そうに「では、何かあったら、また来てください」と。医師はなんとか患者を薬で医院に縛り付けておきたいようだ。患者が治って医師の元を去るのが辛いつらいのだ(病院経営的に)。

 

塞翁が馬

 私にはガンという災難にはあったが、これで循環器系の医師の考えが分かり、それとは縁が切れることになった。塞翁が馬である。血管のプラーク厚みの検査の為、真島消化器クリニックには、定期検査として通う計画である。

  

高血圧マフィアの世界

 現在、高血圧患者は、1,010万8,000人である。前年より104万人増加という。(厚生労働省「平成26年患者調査の概況」)

 つまり日本では10人に一人が高血圧症である。それも年々増加している。私の治療経歴から分かったことは、医師に高血圧を治す気がなく、大事な金の卵を生む鶏として、高血圧患者を高血圧のままに「維持」している。医師も病院経営として、病院の維持と看護婦を養わねばならぬ。製薬メーカも、降圧剤は、大事な金を稼ぐ源である。患者は飼育されるカモなのだ。医師も製薬メーカも口裏を合わせて、高血圧は降圧剤と洗脳教育をしている。泣きを見るのは患者である。私の高血圧の薬代は、月に1万円に近かった。

  今まで私は、月に8,000円程の降圧剤の薬品代を支払っていた。真島消化器クリニックでは、4か月に一回の検査代3,000円だけである。降圧剤の治療費が、医療関係を潤しているのだ。高血圧患者は、1,010万8,000人である。儲かるはずだ。医院は、その利権は手放せまい。

人生訓

 病気を治すには、その真因を探らねば治らない。病気を治す努力より、医師の選択の方が重要である。

 人生では、何事も努力よりも、選択の方が重要である。間違った面でいくら努力をしても報われない。それはオウム真理教事件が教えてくれた。宗教も病気も悪い師に取りつかれると、絞首台行きか病死である。正しい師に付かねば、人生の幸せはない。

 

2019-05-02   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月 1日 (水)

天皇皇后両陛下の大垣行幸啓(3/3)

御料車がトヨタへ変更

 歴史上で「もし」があれば、今回の御料車は日産車かロールスロイス製であったかもしれない。

 従来は日産車が御料車であったが、ルノーの外国資本が入ったため、2004年に御料車も日産製からトヨタ車に変更になり、今回の写真撮影のご縁となった。

 表面的には、2004年、日産が宮内庁に当時の御料車の日産・プリンスロイヤルの経年劣化が進んだ上、部品の調達が困難等を理由に用途廃止を申し入れ、引退が決まった。その裏では、ゴーンの非情なコストカット政策があったのだろう。本来なら、御料車の採用は名誉なことである。部品調達など、どうでもできるのに、だ。

 御料車の採用メーカという名誉な行幸を自分で放り出した日産は、表むきはゴーンの手腕で業績回復したように見えるが、内面的には坂を転がるように衰退していく。

 

日産との薄縁

 1933年にダット社を買収した日産の鮎川義介氏は、車で金を儲けるため、一千万円を持って渡米して、図面、中古の工作機械、生産技術の全てを輸入し、アメリカの技術者をも連れて帰り、車の生産を始めた。

 彼の師は明治の元勲・井上馨である。鮎川は、井上馨の姪を母として生まれた。井上馨は日本に産業を興すことを鮎川に諭し、鮎川義介に技術の世界に進むこと勧めた。鮎川は、帝国大学を卒業後、米国で鋳物職人として働き、技術を取得した。その経験を活かして、井上の支援を受けて、技術を知った実業家として、日本で最初に鋳物産業を興した。それが現在の日立金属株式会社である。その技術は米国から導入した。日産の祖先の会社である。その初めは米国の技術の導入である。

 

日産の思想

 自分で作らないで、安易に技術は他から借りてくるという思想が、後の経営までルノーから導入するという失態を招いた。なんで、自分で自分の会社の経営を立て直すという発想ができないのか。自分が病気になったら、その原因を追究して、自分で治さないと、再建屋(ゴーン)に食い物にされる。

 

トヨタの思想

 豊田喜一郎氏の車でお国に尽くすため、技術は全て自社で創るという志とは対照的である。トヨタはトヨタ生産方式を作り出し、世界のトヨタに成長した。そして半世紀が経って、その志の差が、日産がルノーに乗っ取られる差取り(悟り)を得る結果になる。

日産の病状

 日産には労働組合の塩路天皇というガン細胞が長く居座っていた。自動車評論家の徳大寺有恒は塩路を「日産の足を引っ張れるだけ引っ張った」と批判している。日産の広報室課長の経験がある川勝宣昭(元日本電産取締役)は、「生産現場の人事権、管理権を握り、日産の経営を壟断。生産性の低下を招き、コスト競争力でトヨタに大きく水を空けられるに至った元凶」と批判している。塩路は、2013年2月1日、食道がんにより死去した。86歳没。

 日産の労働組合と経営層との争いは、トヨタの労使協調路線と対照的である。日産は、そいうガン組織を生む日産の体質を自分達で治せなかった。それで外部の経営者(ゴーン)を招くことに落ちぶれた。それが、日産の今日を招いた。

 

日産の衰退

 その結果が、1999年3月に日産のCEОに就任したゴーンは、主力車であった「青い鳥(ブルーバード)」を籠から放った(2001年製造中止)。ゴーンは、日産が蓄えてきた信用と財産を切り売りし、短期で利益が出たように見せかけ、自社のみが儲かる体制つくりに専念することになる。そして二人で育てた「愛」の「スカイライン」はメタボ化して、昔の熱烈な「愛」は冷めてしまった。30年前、ケンとメリーのスカイラインには、私も憧れの車であった。そこには開発者である桜井眞一郎リーダーの情熱があった。

 

ゴーンに付け入られた日産

 ルノーの拝金主義経営に染まった日産からは、情熱は消え、魅力的な車が生まれなくなった。それでいて日産のゴーン社長の年俸は10億円に迫り、平均役員報酬は1億円を超え、トヨタのそれの数倍もある。それに対して一般社員の平均給与は、トヨタよりも低い。ゴーン氏はそれを「恥じることはない」と恥さらしな言葉を豪語する。何かおかしい。(2014年当時の私の思い)

 そのおかしさが2018年末にゴーン被告が逮捕され、その不正が白日の下に晒され、私の疑問が氷解した。

 

ゴーンのリバイバルプランは「抗がん剤治療」

 ゴーンが打った手は、ガン患者に抗がん剤を投与するようなものであった。ゴーンの打った手は、人員整理、資産売却、下請けの切り捨てである。抗がん剤のように、一時的に効果が出るが、患者(会社)の体力を殺ぎ、開発力を下げ、モチベーションと愛社精神を破壊して、会社を衰退させる。儲かったのは、製薬会社のように、ゴーンだけである。後は死屍累々であった。

 

グローバル経済主義

 一部の人だけが富を独占して幸せになり(本当に幸せかどうかは別にして)、99%の人が不幸になる社会を、我々は本当に目指してきたのだろうか。この構図は共産中国の党幹部だけが、富を独占している姿に似ている。グローバル経済主義=拝金主義社会である。

 豊田佐吉翁・豊田喜一郎の顔と鮎川社長・ゴーン社長の顔を比較すると、人相学的に後者の顔は下品で人徳に薄いように見える。特にゴーンの顔は強欲の野獣的に見える。私の見方が偏っているのだろうか。ゴーン社長の言葉も人相も傲慢であるように見える。人格は顔に凝縮される。

Photo_4  豊田佐吉翁

Photo_5  豊田喜一郎創業者

Photo_6  鮎川義介創業者

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 世界経済フォーラム2008で講演を行うカルロス・ゴーン

 Wikipediaより

トヨタ自動車の志

 そのトヨタ自動車が今あるのは、明治時代初期に豊田佐吉翁が自動織機の発明に没頭し、豊田式自動織機の特許の売却資金で、新事業への展開したことにある。

 豊田佐吉翁は、トヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎氏に、「俺は織機で御国に尽くした。お前は自動車で御国に尽くせ」と言い残した。企業・産業を起こすものは、志が必要である。単なる金儲けが目的では、目指す次元に差がでる。御国(公共)に尽くすためには、材料、設計、工作機械、生産技術の全てを自前で国産化しないと、当初の理念が達成できないとの考えから、車作り、人作り、会社のしくみ作りを始めた。そこに今のトヨタ自動車の礎がある。

Aa トヨタ初の純国産乗用車トヨダAA型     1936年

Photo_7 日産初の乗用車ダットサン12型      1933年

100年後の差

 国の産業の発展を目的に全て自分達の手で開発したことから、トヨタ生産方式、カンバン方式、現地現物といった日本のモノづくりの原点、手法が生まれてきた。実際に手を汚し、苦労をしないとモノつくりの技は手に入らない。日産からはそんな開発の苦労話から生まれたノウハウの伝承は聞こえてこない。企業DNAの影響の恐ろしさは、50年後、100年後に影響する。

 二つの初代乗用車を並べてみると、技術は未熟ながら純日本文化の繊細な造りこみをした車と、欧米式のがさつな車つくりの差が一目瞭然である。それが今回のゴーンのスキャンダルで明らかになった。ゴーンが日産の脇の甘さにスキを見付けて、食らいついたのだ。

ボルボのDNA

 写真の右はVOLVO初代の車。角ばった1927年のデザインは、その後のVOLVO車を象徴する。会社のDNAは遺伝するのがよく分かる。左は、私が担当した研削盤が研削するクランクシャフトを搭載したVOLVO740。

Photo_8 1985年のVOLVO出張時に、現地担当者から贈られたVOLVO車の模型。

 

『自分の人生という本』p106より

 

2019-05-01   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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天皇皇后両陛下の大垣行幸啓(2/3)

新型センチュリーとのご縁

 天皇陛下が乗られた御料車は、トヨタの新型センチュリーである。1995年頃、私はこの車のダンパープーリの開発のため、トヨタ自動車の開発部と開発担当課長として、打ち合わせをした。たまたま1995年頃の2年間、私はダンパープーリの開発担当の課長であった。当時、私の勤務する会社はトヨタ車の50%のダンパープーリを生産していた。

 センチュリーのようなVIPを乗せる車は、走行時間より待機時間の方が時間は長い。エンジンは低速回転時の振動が大きいので、そのためダンパープーリにも相応の耐久性が求められる特殊な仕様になっていた。

 

当社とダンパープーリのご縁

 当社がダンパープーリ等の自動車部品の生産を始めたのは、昭和27年(1952年)冨田取締役(当時)が、工作機械事業だけでは経営が安定しないとの洞見で、経営の二本柱として自動車部品事業に参入のため、一人奮闘した経緯にある。当時、その新規事業は、冨田取締役以外の全役員が反対した新事業であった。それがなければ、今回の写真もご縁がなかった。当社は昭和16年(1941年)、トヨタ自動車から分離独立して創業された。

 昭和27年は私が満2歳の年である。父の転勤の関係で、彦根市より大垣市に転居して1年目である。また冨田社長は、私の入社時の社長である。冨田社長は昭和45年(1970年)から昭和50年(1975年)まで社長を務められ、その後会長として昭和56年(1971年)まで勤められた。私の入社後、8年間がご縁のあった時期である。

 平成2年(1990年)12月、冨田環最高顧問(当時)の葬儀では、お手伝いをさせて頂くご縁があった。関係ある各部で各1名の幹部が、葬儀のお手伝いに参上した。

Photo

冨田環社長(当時) 「人格は顔に表れる」を実感  

Photo_2   参考 エンジンの構成図   イメージ図(ホンダの取説より)

冨田家とのご縁     

 冨田家は岡崎市の名家で、世界的なシンセサイザー奏者の冨田勲氏もこの家系である。私は若いころヤマハジャズクラブでのスタッフ活動で内田病院の内田修院長先生にお世話になった。先生は、日本のジャズ界の父とかドクター・ジャズと呼ばれている。その奥様が冨田家の親戚であった。内田先生宅での集まりで夜遅くなると、奥様に内田病院の病室に案内していただき、泊めていただいた。

Photo_3  内田先生と私(奥側) 演奏会後の打上会で(1978年ごろ)

 

2019-05-01   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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