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2019年5月 1日 (水)

天皇皇后両陛下の大垣行幸啓(2/3)

新型センチュリーとのご縁

 天皇陛下が乗られた御料車は、トヨタの新型センチュリーである。1995年頃、私はこの車のダンパープーリの開発のため、トヨタ自動車の開発部と開発担当課長として、打ち合わせをした。たまたま1995年頃の2年間、私はダンパープーリの開発担当の課長であった。当時、私の勤務する会社はトヨタ車の50%のダンパープーリを生産していた。

 センチュリーのようなVIPを乗せる車は、走行時間より待機時間の方が時間は長い。エンジンは低速回転時の振動が大きいので、そのためダンパープーリにも相応の耐久性が求められる特殊な仕様になっていた。

 

当社とダンパープーリのご縁

 当社がダンパープーリ等の自動車部品の生産を始めたのは、昭和27年(1952年)冨田取締役(当時)が、工作機械事業だけでは経営が安定しないとの洞見で、経営の二本柱として自動車部品事業に参入のため、一人奮闘した経緯にある。当時、その新規事業は、冨田取締役以外の全役員が反対した新事業であった。それがなければ、今回の写真もご縁がなかった。当社は昭和16年(1941年)、トヨタ自動車から分離独立して創業された。

 昭和27年は私が満2歳の年である。父の転勤の関係で、彦根市より大垣市に転居して1年目である。また冨田社長は、私の入社時の社長である。冨田社長は昭和45年(1970年)から昭和50年(1975年)まで社長を務められ、その後会長として昭和56年(1971年)まで勤められた。私の入社後、8年間がご縁のあった時期である。

 平成2年(1990年)12月、冨田環最高顧問(当時)の葬儀では、お手伝いをさせて頂くご縁があった。関係ある各部で各1名の幹部が、葬儀のお手伝いに参上した。

Photo

冨田環社長(当時) 「人格は顔に表れる」を実感  

Photo_2   参考 エンジンの構成図   イメージ図(ホンダの取説より)

冨田家とのご縁     

 冨田家は岡崎市の名家で、世界的なシンセサイザー奏者の冨田勲氏もこの家系である。私は若いころヤマハジャズクラブでのスタッフ活動で内田病院の内田修院長先生にお世話になった。先生は、日本のジャズ界の父とかドクター・ジャズと呼ばれている。その奥様が冨田家の親戚であった。内田先生宅での集まりで夜遅くなると、奥様に内田病院の病室に案内していただき、泊めていただいた。

Photo_3  内田先生と私(奥側) 演奏会後の打上会で(1978年ごろ)

 

2019-05-01   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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