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2019年4月30日 (火)

平成最高の写真は、天皇皇后両陛下の大垣行幸啓(1/3)

 私にとって平成の最高の想い出写真は、平成天皇の大垣行幸啓の時の写真ある。2012年12月5日、天皇皇后両陛下が21年ぶりに、大垣に行幸啓された。当初、岐阜国体の後の訪問予定が、台風19号の影響で中止になっていた。天皇陛下はそれを覚えておられ、京都で明治天皇の100年の祭事をされた後、帰京途中でのご訪問が決まった。

 

大垣に行幸啓

 沿道には大勢の市民が出迎えて、何処にそんなに人がいたのかの大騒動であった。大垣市の人口は16万人余、静かな中核都市で、昼間は街中をそんなに人は歩いていない。ところが市民28,000人のお出迎えと物々しい警備の警察官1,000人の出現である。両陛下はスイトピアセンターの学習館で昼食をされて、以前に叙勲をされた方などとお会いになり、その足で「奥の細道結びの地記念館」を見学された。皇后陛下が「奥の細道」の史料に興味を示され、そのための訪問であった。

 記念館では塩村耕教授が大垣と松尾芭蕉の関わりなどを説明し、皇后陛下は奥の細道の写本に興味を示され、季語に日本の良さが表れる俳句の魅力のお言葉を述べられた。

 

最初で最後の写真

 平成天皇は、全国をくまなく2回、巡幸されているというが、この30年間で、私には最初で最後の拝顔の機会であった。それでカメラを携えて沿道に並んで、旗を持ちお迎えをした。10時より15時までの5時間を要したが、寒風の下、二度、3mの至近距離でお顔を拝顔できたのは、幸運であった。特に皇后陛下の気品には、圧倒された。まるで観音様の趣でした。まさに日本国の父と母であると改めて実感した。早々にA3サイズにプリントして額に入れて自宅玄関に飾った。

 

ベストショットは1枚のみ

 お出迎えとお見送りの二箇所で、約百枚の写真を撮影した。警備の警察官の説明では、お迎えの人達の前は低速で走るとのことであったが、撮影にとっては結構早い速度であり、デジカメTZ30では、1回しかベスト撮影ができなかった。急遽、家にとって帰り、連写毎秒8コマの一眼レフEOS 7Dを持ってきた。しかしお見送り撮影時では、場所的に逆光で、構図的にもピント的にもよい写真が取れなくて、結局、最初の1枚のみがベストショットの写真となった。その一枚も、自分がシャッターを押したのではなく、仏様が勝手にシャッターを押して下さったとしか思えない出来栄えであった。

 ご縁を感じて、購入したばかりのレーザカラープリンタで、A3サイズにプリントしてご縁のあった皆さんに配布した(約30枚)。

 

写真の意味

・両陛下が車窓の中に入っている。撮影時が0.05秒でもずれていたら、車のセンターピラーが邪魔してどちらかの陛下のお顔が隠れてしまう。

・両陛下が程よい明るさで、逆光でなく柔光の中に写っておられる。

・右下の旗も意図せずに写っていて、日の丸も欠けていない。

・皇宮警察の白バイもベストの位置である。御料車とラップしていない。

・車の位置もベストである。(車の全景が入ると御料車の写真となる)

・菊の御紋章の旗もベストである。

・背景に3本の楠木(大垣市の象徴の木である)の配置もベスト。

撮影する時は、無我夢中で周りには気が回らなかった。

1

お出迎え時の注意を説明する警官

 説明の警官が、沿道に10m間隔で配置されている。

 10分間ほどの頻度で、下記の注意事項を繰り返し説明する。

  1. 御料車通過時は、前に出ない・押さない
  2. 御料車を追いかけて一緒に走らない、
  3. 旗の振り方は上品に小ぶりに(横の人に迷惑にならないように)、
  4. Z車が通過するまでその場を動かない(怪我防止)

 天皇皇后両陛下が行幸啓される地では、このような対応がされている。

25  ご到着5分前通報車

33  ご到着3分前通報車

41  ご到着1分前通報車

5 先導の皇宮警察白バイと先導車

6p1040192

 スイトピアセンター・学習館の西側にて 

7

 次ショットでは後姿しか撮れない

81  報道関係者バス1号

92  報道関係者バス2号

10_3  随走車

10_2

 Z車が通過まで解散禁止

撮影場所の選択のご縁

 本来、スイトピアセンター学習館前の歩道から両陛下が降車される所を撮影したかったが、2時間前には人垣ができており、やむなく学習館西側の道路に移動をした。それが結果として幸いした。当初の場所は、逆光になりうまく撮影できない。移動した場所は順光となり、幸いであった。また場所的にも8階建の学習館の日陰となり、ライティングとしても柔らかな配光で、両陛下のお顔がうっすらと浮かび上がる厳かな雰囲気となった。これも仏様のご配慮であろう。毎日の散歩と学習館隣接の図書館学習室へ毎日通っているお陰で、撮影地点の地理に明るいのが幸いした。

 

後日談

 写真の出来が良かったせいか、この御真影を贈呈した知人から、「奥の細道むすびの地記念館」に提供して掲示してはどうかとの意見があり、早々に記念館の窓口に行き、写真を提供した。後日、自宅に責任者からお礼の言葉と共に展示スペースの関係で展示できない旨の断りの電話があった。展示スペースの言い訳は、明らかな方便であることが分かった。記念館の壁一面に今回の行幸啓のお写真が、36枚展示されていた。スペースの問題ではない。

 今回のイベントでは、市の職員かプロの写真家が、天皇皇后両陛下の写真を撮るお役目が決まっていたようだ。そこに素人が撮った写真が提供されては困るのだ。いくら良い写真でも。市の撮影担当者と展示写真の選択をした担当者も、立場がなくなる。彼らも生活がかかっている。

 面子を重んじ柔軟性に欠けるお役所仕事ぶりが、大垣駅の駅前通りのシャッター通り化防止の取り組み等の遅々とした現状や、行政指導で行うべき日本経済活性化のネックになっている。

 

本記事は、2017年8月26日に掲載した「天皇皇后両陛下の行幸啓」の改訂版です。

今回、「自分の人生と言う本」のカテゴリーを追加しました。

 

2019-04-30   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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