モノには精霊が宿っている
ものを入手する時、一度立ち止まって、そのものを入手して、それが自分の一部となって自分の付加価値が上げる力となるだろうか、と考えてみたい。そうすれば、無駄な買い物が無くなり、家がゴミ屋敷になることを防いでくれる。
貧乏と富裕
貧乏人の家は、要らないものばかりであふれている。私の家がそうだった。捨てるという決断ができないから貧乏なのだ。人生では、両方(使用と保存)を選び、廃棄を選べないないので、人生が曖昧になる。金持ちの家は、すっきりして不要なモノがない。それは人生を曖昧にしないからだ。
昔気質の母は、何でもため込む性格であった。モノのない時代に育った両親の世代は皆、そうであったようだ。それを非難はできない。今はモノが溢れすぎている。だから母が亡くなった時、軽トラックで5台分の不用品を廃却した。廃却にもお金がかかる時代となった。
今回、私が病気になり、この3月に退院した機に、家に溢れていた不用品を整理、廃却した。それは100㎏に及んだ。着もしない服、使わない昔のPC、家電製品等である。家中がすっきりして、広くなった。
不要食品
それは本当に食べたいモノだろうか。時間が来たから、空腹でもないのに食べてはいないだろうか。味わって食べているだろうか。無意識に食べれば、それは肥満につながる。病気も癌も誘発する。テレビの洗脳教育のCMで、無意識に食べてはいないだろうか。食べ物には命が籠っている。だから、食べ物を食べる時は、感謝して味わって食べるべきだ。そうすれば肥満にはならない。
無駄な悪縁
そういう生活をすれば、時間を無駄に過ごす人との出会い、無価値な行事の参加、無駄な番組の閲覧も無くなるだろう。時間つぶしの痴呆的番組を見ても、何ら、自分の人生価値を上げられない。それらを無くせば、人生から悪縁が無くなる。
精霊を窓際族にしない
モノには精霊が宿っている。モノを買ってしまい込んでは、モノの精霊をいじめること。モノの精霊を窓際族にするのは罪である。モノは使われてこそ、喜ぶ。モノには、それを作った人の汗が籠っている。自分が窓際族に追いやられた経験があるから、その心情がよくわかる。
馬場恵峰書 日中文化資料館蔵 2011年
2019-05-17 久志能幾研究所通信 小田泰仙
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