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2019年5月18日 (土)

花屋の信用という佛花が散った

 私の町内でも住民の高齢化が進み、町内でお守りしているお地蔵様像のお花のお守りに負担がかかるという話が聞こえてきた。お世話の当番が、花を買いにいくのも負担だという。

 2018年初、それで近所のK花店のEさんに話したら、「毎月、うちでお花を買ってくれれば、私(E)がお花を配達して、お地蔵様の花活けに花を活けてあげる」という話になった。それなら、町内会の費用も増えず、お互いにメリットがある。今まで、お花当番はこの花屋以外でも買ってきているので、K花店にもメリットがある話である。このEさんは、毎年の地蔵盆祭りの時、お花を段取りして供えてくれていた。

 お花を準備して、それを花立に入れるだけをK花店が担当して、そのお花の水やりと廃棄処分だけ、当番の班長さんが行えば、お花を買いに行く手間が省けて、お花当番の班長さんの負荷が減る。そういう段取りを、担当者のEさんと半年ほどかけて、事前打ち合わせをしていた。

 

裏切り

 ところが2018年の春、この話しを正式にK花店に持っていったら、別の店員が出てきて、この話は社長に話さないと受けられないという。後日、社長から断りの電話があった。

社長曰く「お地蔵様のお花の段取りは、特別の信仰心ある人でないと出来ない。うちの店には、そんな人はいないので、この話は受けられない」である。

 では今まで、8月の地蔵盆祭りでお花を活けてくれたK花店のEさんは何なんだ、である。お店の言葉と思っていたEさんと私との約束は、何だったんだ、である。

 

ビジネスの原理原則

 店員はその店の社長の代理として働いている。客もそう信じてモノを買っている。それが店員と社長の意見が違うのなら、客は店員の言う事は信用できなくなる。それでは、お店としてビジネスが成り立たない。

 普通の会社でも、一社員が一歩外に出れば、会社の代表として、仕事の発言をする。相手も会社の代表の言葉として受け止める。それがビジネス社会である。その原則を、K花店は裏切ったのである。

 私は信用を裏切った人と取引をしない。その後、このお店は信用できないとして、私はこのお店と縁を切った。今まで自家の仏壇のお花をこのお店で買っていたが、大規模小売Aでお花を買うことに変更した。お陰で、今までより安く入手している。

 

信用金庫は私の信念

「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。

無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

    Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

     “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 

 この「ビジネス」という言葉は、「人間関係」すなわち「信用」の意に置き直すことができる。また、茶道の「一期一会」にも通ずる言葉である。人との付き合いは大きな財産である、その価値を高めるためには、信用を守ることが最優先だ。そのためには、小さな約束を確実に果たすことが最優先である。なにせ、大きな約束は嫌でも守らざるを得ないはずである。

 私は小さな約束でも、守らない人とは付き合わない。それが信条である。

 己はお地蔵様が見つめる眼に堪えられるだろうか。お地蔵様は、閻魔大王の化身である。お地蔵様の懐には閻魔帳がしまわれている。

039a21501s 松本明慶作 童地蔵

 

2019-05-18   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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