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2018年12月

2018年12月11日 (火)

ソフトバンクの経営に違和感

 その昔、ボーダーフォンの携帯を契約していた。その後、TUKAがソフトバンクに身売りをするというので、携帯をauに変えた。選択肢にソフトバンクもあったが、それは避けた。理由は、当時、ソフトバンクの孫氏の経営のやり方に何か違和感を覚えていたからである。それよりも京セラの稲盛和夫さんの方が信頼できると、KDDIの系列のauに変えた。

 

天網恢恢疎にして漏らさず

 最近のソフトバンクの動向を見ていると、携帯をauに変えて、正解であった思う。何か違和感を覚えることは、本能が危険だと教えているのだと思う。会社は経営者次第である。日産ゴーン事件がいい例である。今のソフトバンクの中国、中東との派手な事件を見るとき、選択が正しかったと思う。それから見て、今の大垣市の社長は大丈夫? 天地自然の経は、その人に見合った事件しか起こらないことを教えてくれている。

 

太上は天を師とし

その次は人を師として

その次は経を師とする

   佐藤一斎「言志四録2」

 

2018-12-11   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

磨墨知435-7. 待っている間も勉強しよう

何所でもドア、どこでも学習室。

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 大垣市図書館前で開館を待つ高校生  2012年9月30日08:52

 

 上写真は図書館の学習室で勉強するため、9時の開館前に、寸時を惜しんで図書館玄関前の広場で参考書を広げて勉強をしながら、開館を待つ高校生の姿である。感銘を受けて、思わずカメラを向けた。

 勉強に励む姿勢が、世の中の道にあるドアを開ける鍵となる。そのドアを開けるのは本人の意思と精進の真摯さである。どんなドアでも真摯さが神の鍵穴と合致しないと開かない。この子達が日本の将来を担ってくれる。日本の未来の時間を創ってくれる。私の年金を支えて(?)くれる。感謝。

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2018-12-11 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

♪大垣は終わっちまっただ・・♪

大餓鬼は死んでしまっただ・・♪ 

大垣の未来は終わっちまっただ・・♪ 

オラは首を吊るだ・・♪ 

利権はうめいし姉ちゃんはきれい・・♪

 大垣市の小川敏行政は、市政100周年記念行事「おおがき未来フェスティバル」に、たった2日間で1億1千万円を浪費した。市制100周年記念行事の総額3億4千万円の1/3を、たった2日で浪費したのだ。それも大垣の未来には、何の貢献もしない展示やドサまわり芸人の見せかけのイベント、子供だましの遊びイベントに、である。そんなことしかできない大垣市行政の未来は終わっている。私は首を吊るしかない。大餓鬼は死んじまった。

 

誰が儲けたのか?

 その行事では、業者が儲けただけである。常識として、業者と行政担当者の癒着を疑わないのでは、認知症である。なにせその会計はマル秘で非公開である。市民にはさっぱり予算の適不適の判断ができない。「未来フェスティバル」などド田舎の大垣では、初めての行事で、合い見積もりもなく、業者の言い値であると推定される。昨年末のドローン墜落人身事故の責任を業者に押し付けて、ドロンを決めこんだ大垣行政だから、まともであるはずがない。予算の使用用途がマル秘だから、岡田まさあき議員だけが「議員市政報告」で問題提起しているだけなので、他の議員は市長とグルで動いているとしか思えない。なぜ他の市会議員は声を上げないのか。

 

各行事の疑問

 なんで、単にデカいだけの3D映像の映写会が、大垣の未来になるのか。何が日本初なのか。一時流行した家の3Dテレビは死んでいるのに、なにが3D×3Dなのか。3Dの意味は何か。色眼鏡をかけて見て、それがどうしたのだ。それが全く分からない。それを見て、どういうメリットがあるのか。それを見て、なんで大垣の未来が作れるのか。単に金を使うために、行事をやっているだけではないか。業者が儲かるだけではないか。

 なんで恐竜ロボットが、大垣に未来のためになるのか。

 なんでカブト虫型巨大ロボットや未来カー、ミニバイクの体験が、大垣に未来のためになるのか。金さえ出せば、何処でも体験できるではないか。

 なんで対戦型ロボットの操縦が、未来の大垣を作るのか。子供に悪い影響を与えるではないか。要は人殺しのゲームである。

 なんで格闘技ロボットの操作が、大垣の未来をつくるのか。単に子供の情操教育を破壊しているだけである。殺し合いの体験である。だから子供がスマホでゲームばかりして、勉強せず馬鹿になる練習をしているのだ。

 なんで未来の玩具体験で、新感覚の遊びをすることが、子供のためになるのか。ゲーム依存症の子供を作るだけではないか。

 なんで村田製作所のチアガールロボットの演技ショーが大垣の未来を作るのか。単にメーカの宣伝ではないのか。それを見て、大垣の子供は何を得るのか。

 なんでロボット製作教室があるのか、そんなに重要と思うなら学校の授業に取り入れろ。

 なんでインモーションが、大垣の未来を作るのか。単なる2輪の移動手段である。客寄せの遊びだけだ。仰々しすぎて、大垣に未来とは関係ない。

 なんで「エリックさんの英語ショー」が、大垣の未来を作るのか。

 なんで単なる芸人のショーの公開録音が、大垣の未来を作るのか。

 「ワンワンと遊ぼうショー」が、なんで大垣の未来を創るのか。なんで税金を使うのか。

 なんでドサまわりの芸人ショーが、大垣の未来を創るのか。

 なんで「ドラえもんショー」が大垣の未来を創るのか。

 なんで、未来博に中学生や高校生の音楽部を駆り出すのか。未来博と趣旨と合わないではないか。

 なんでFM岐阜の芸人の番組が未来博と関係するのか。どこが未来なのだ。

 なんでフリーマーケットが未来を作るのだ。ド田舎の昔物語である。

 なんで幼稚園児に「よさこい」を躍らせて、大垣の未来が作れるのだ。子供の休みの日を奪うな。子供にも人権がある。

 なんでこんな行事に市民税が使われるのか。小川敏市長は、日産ゴーンのように市民の金を私物化しているとしか、思えない。

 

市民無視

 このイベントは、大垣市の中心部から遠いソフトピアジャパンで開催されたから(大垣駅からタクシーで2千円要)車のない市民は見学に行けない。だから、かなり限定された人しか、行けなかった。行けば、周辺は大渋滞であった。それでなんで大垣の未来を創る行事なのか。死骸(市外)から電車で来た人は、お呼びでないだ。死骸の人に見せるのは恥ずかしいのだ。

 

大餓鬼大本営発表

 大餓鬼大本営発表で、2日間で30万人が集まったというが、大嘘である。30万人と言えば、大垣の人口の2倍である。一日に15万人が陸の孤島のソフトピアジャパンの周りに、物理的に集まれるわけがない。駐車場がない、バスがない、足がない。当日の現場の写真を見ても、30万人も集まったなど、大嘘もいいとこである。その根拠を示して欲しい。

 30万人集まったと広報するなら、何故、会計報告を大本営でしないのか。

 

お金の有効活用

 そんな金があれば、税金を安くしろと言いたい。エアコン設備率2.4%と県下最低レベルの小学校のエアコンを早く入れろと言いたい。

 イベント総額の3億円4千万円とは、大垣市の65,000世帯で、一世帯当たり、5千円の負担である。そんな金食い虫の行事など、市民は望んでいない。その分のプレミアム商品券を配ったほうが、大垣市の商店街の活性化になるではないか。今は特定の業者と利権者が潤うだけだと下衆の勘繰りをせざるを得ない。これでは、益々大垣市は寂れていく。うつけの小川敏氏を市長に戴いた大垣市の不幸である。

 

汚職の疑い

 大垣市の飲み屋街では、市制100周年記念行事が開催されるようになって、今まで見なかった大垣市役所の人間たちが頻繁に飲み屋街をうろつくようになったという噂を聞いた。行事の予算をピンハネしているのではと噂をされている。そんな噂を立てられること自体、大垣市の没落の証しである。私は、近い時期に、市制100周年記念行事予算の汚職が発覚して、逮捕者が出るものと予想している。

 

市民の抵抗活動の勧め

 大垣市民も、フランスのようにデモをして市民の意思を表明するべきだろ。そうでもしないと、行政は動かない。まず手始めに、大垣市が一方的に強要してくる寄付金活動に、協力しないことから始めよう。何しろ、その会計報告もまともにされていないので、寄付金を出すだけ馬鹿らしい。本来、行政が市民税でやるべき事業を、寄付金で押し付けてくるのがおかしい。緑の羽の事業も市民税内でやることである。それを寄付でするから、ますます行政が怠慢体質になる。役人の節約意識が希薄になる。赤い羽根運動も基本的に憲法違反である。小川敏市長が、日本赤十字社大垣支部長なので、自分の見栄でノルマとして寄付金額を各家庭に割り当て、各自治体に押し付けているだけである。私は、寄付金を直接被災地の役場に送っている。途中でピンハネされ、その金の一部が使途不明金になり、一部がご苦労さん会に使われるのは、我慢できない。

 

大垣市の挽歌

 その抵抗をしなければ、大垣市民は死んだも同然。私は「オラは死んじまっただ♪ オラは死んじまっただ♪ 天国に行っただ♪」の酔っぱらいの負け犬歌は歌いたくない。何時になったら、小川敏氏は酔いからさめるのだ? 大垣市民は白けている。

 

2018-12-11 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月10日 (月)

磨墨知435-2.甘やかされた子供が、日本を滅ぼす

 甘やかされて叱られない子供は我儘一杯に育つ。子供のときはそれでも良いが、大人になったとき、厳しいしっぺい返しを社会から受ける。

 甘いもの、清涼飲料水、ポテトチップス等のファーストフードを食べたいだけ食べて育つと肥満体になる。当然、糖尿病等の成人病も併発する。また自制心も育たない。まともな会社は、面接試験でそんな人間は分かるので、採用しない。外見を見ればその人の人格や能力はわかる。そんな子は正規社員にもなれない。性格虚弱・病気持ちの若者が現代社会を生き抜くには、あまりに厳しい世の中である。行き先はフリーターか犯罪か自殺である。

 その全ての責任は、甘やかして育てた親である。子供の未来の時間が抹殺される。それを極甘殺人という。子供が間違った道に進まないように性格を躾するのが、親の責任である。それを放棄した責任は重い。

 女優の三田佳子の次男が、覚せい剤に手を出した事例が典型である。彼は、40歳にもなって再犯を繰り返し、罪の意識が希薄である。それでも親は目が覚めない。親の義務を果たさない彼女が、なんで良妻賢母の仮面を被るのか。

 

脳の発達

 子供の脳は3歳までに65%、6歳までに80%が完成する。その間に親の教育(躾)ができていないと、動物同然の生き物に育つ。その昔、インドで狼に育てられた狼少女が発見された。彼女は若くして死んだが、死ぬまでその狼の習性は消えなかった。それと同じである。躾がないと自制心も自立心もない。食べたいものは食べ放題、躾や清掃清潔等の価値観が形成されない。親は子供を人間に躾をする義務を持つ。躾をしない親は、子供の未来を抹殺していると同じで、殺人者である。

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エピソード

 2013年8月12日、私が大垣文化センター内のレストランで食事中、私の真後ろでイスをバタンと倒した子供がいた。こちらに被害はないのだが謝りもしないので、躾として注意をしたら、お祖母さんと思われる女性に泣きながら抱きつきにいった。普通の口調で注意しただけだが、お祖母が子供をあやしながら「この子はこれでも小学2年生なのです。親が甘やかして叱らないから、いつもこんな風なんです」と申し訳なさそうに謝る。子供に謝るように諭すのだが、子供は泣いて祖母に抱きついているだけ。

 子供の体格は、小学6年生並みの肥満体である。外見から判断すると、甘いもの、清涼飲料水、ポテトチップス等のファーストフードを食べたいだけ食べているようである。しかし頭は正直に小学2年生である。これではこの子の将来は終っている。これが現代の子供の姿なのだと愕然とした。この子達が成長して、私の年金の基礎となる税金を納めるはず。それが危ないと危惧を抱いた。逆に老人が働いて、今の子供を養わねばならぬのかも。

 

2018-12-10 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知435-1. 子供を鞭打とう

 教育とは無償の修養行為である。訓練は餌で釣る経済行為である。教育の対象は、人間であるが、訓練は動物が対象である。金儲けで人間が対象になるが、教育と訓練の言葉が最近は混同されている。

 教育とは経験豊かな老(大人)が子を鞭打つと書いて、「教」である。「育」とは母から子が生まれる様をあらわさした象形文字である。

 愛を込めて育成する心が、その子の将来の時間を輝かせる。豊かな未来の時間を創造してくれる。甘やかされて育った今の親と子供が今の日本をダメにしている。

 体罰を暴力と誤解する風潮が日本をダメにしている。叱ったらパワハラという風潮もおかしな考えである。叱ると怒るのを混同している。

 自分が学んだことや教えてもらったことを後進に伝えないのは、借金をして返さないのと同じである。(福沢諭吉)

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2018-12-10 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月 9日 (日)

磨墨知435-7. 妖怪を目指せ

 妖怪にも悪の妖怪もいれば、善の妖怪もいる。人間社会と同じである。自分がどんな妖怪に取りつかれているかを見極めるのが、悟りである。己の心のレベルによって取りつく妖怪が異なる。取りついた妖怪を見れば、己の魂のレベルがわかる。妖怪は全てを知っている。

 己の心のうちには、鬼も住めば、佛も住む。それが人間である。すべて心に支配された世界である。良き妖怪が済むように精進をしよう。「あいつは妖怪だ」と言われれば、その世界でトップなのだ。人が神になるのは難しいが、妖怪になるのは可能だ。凡人の我々は、妖怪を目指して、欠点もあるがその世界でピカ一になるように精進すべきである。そのお手本が、水木しげるさんの生き方である。学校の優等生が、全てではないのだ。

 

強欲な妖怪

 ゴーンのような強欲で傲怨な妖怪に取りつかれと、日産ゴーン事件になる。西洋の特権階級は、グルーバル経済主義という拝金妖怪に取りつかれている。それが暴走して、植民地強奪戦争、そして第二次世界大戦が勃興した。

 当時、アメリカの資本主義妖怪が、植民地強奪競争で、中国で美味しい餌を食べようとしていた。それを邪魔したのが日本で、それを排除するため、ルーズベルトが起こした戦争が日米戦争である。それは、植民地強奪戦争のなれの果てであった。ハルノートは日本への戦争宣告である。資源のない日本は経済封鎖されれば、企業は左前になり、日本中に失業者が溢れて日本は破産するところであった。日本は自衛のために立ち上がって、真珠湾攻撃をした。アメリカは日本が最初に手を出すように仕組んだのだ。戦後、マッカーサが米国議会で「日本の戦争は自衛のためであった」と証言 している。日本のマスコミは、この件にダンマリを決め込んで報道しない。

 植民地政策が本能のようなフランスは、戦後50年を経て、日産をルノーの植民地にした。この19年間でルノーは「配当金+株式利益」で1兆円を超える金を日産から強奪した。今でも拝金妖怪は、虎視眈々と日本を狙っている。その特権階級ばかり優遇するマクロンの政策に反対して、パリで暴動が起きている。グルーバル経済主義社会では、1%の特権階級が、99%の富を独占する。それをさらに優遇する政策をマクロンが推進するので、フランスの民衆が怒ったのだ。それが今回のパリ暴動である。

 フランスは、観光地で華やかであるが、早朝にパリの街を歩くと、アフリカ系移民の労働者がゴミ集めや街路の掃除で働いている。昼間は観光客の目には触れない。欧州の階級制度では、一生それがつづくのだろう。それを私は1992年頃に見たが、それから事態は悪くなっているようだ。

 

悟りの妖怪

 水木しげるさんは、戦争中、ラバウルのジャングルで迷い、ぬり壁に取りつかれて、命を助けられた。それはご先祖のお守りであった。潜在意識が危険を察知したのだ。それをぬり壁という。

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 「ぬり壁」水木しげる絵  エディション54/330

 この絵は、水木さんの反戦と意思の固さの象徴である。

 

水木さんは、「死神」に取りつかれて93歳の天寿を全うした。水木しげるさんの創作した「死神」は、地獄界の業績が一番悪い妖怪なのだ。地獄界の死神の業績とは、善なる人を死なせること。水木さんは「死神」を大事にしたので、天寿を全うした。水木さんの「死神」は人を食うよりスイカが大好きなのだ。血の滴るビフテキでないので、それでは死神力はつくまい。

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 「死神」

 

 「ネズミ男」のぐうたらに生きる姿勢を目指して、「締め切り妖怪」に苛まれるのを防ぐため一線を引いて、身を守ったのだ。「ネズミ男」は水木しげるさんの理想の姿なのだ。しかし現実は、水木しげるさん程、真摯に働いた人はいない。己と日本人への皮肉である。水木さんは最初に「貧乏神」に攻められたが、人気が出ると、今度は「締め切り妖怪」に攻められて、死にそうになってしまった。手塚治虫さんは、原稿の締め切り妖怪に60歳で殺された。若すぎる死である。何のために生きているのかを、考えたい。

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 「ネズミ男」

 

 「ねこ娘」の妖怪は、普段はおとなしい女の子であるが、ネズミや魚を見ると、たちまち目が吊り上がり、牙をむき出し化け猫に変身する。本能に正直な子である。

 拝金主義者も、普段はクラッシック音楽を愛で、オペラ、バレーを楽しむが、金の匂いがすると、目が吊り上がり、(合法的に)人を虐げて、殺めても金を強奪しようとする。拝金主義者の妖怪社長が経営する会社の因果で、日本ではうつ病が蔓延し、自殺者が年間3万人も出ることが10年以上も続いている。これは妖怪現象である。これは日本社会を溶解させる。この妖怪は撃退しよう。

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  「ねこ娘」

 

2018-12-09 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知435-6. 神を目指さない、悟りを求めない

 人間が神を目指すのは非合理である。時間の無駄である。神仏はその世界で最高位であって、人間界の最高位ではない。それ故、人間が神になってしまっては、「人ではない」ので「人でなし」となってしまう。人間は欠点があってこそ人間である。その欠点はそのままで良い点を高めると、その欠点が人間味となり、角熟して人間の成長となる。欠点をなくして完全無欠の人間に円熟すると「神」になってしまい、「人でなし」となる。

 悟りを開きすぎると、やることなすこと神の如し。やらなくても済んでしまう。それでは何も学べない。成長できない。人間界の楽しみも苦しみも味あわないなら、生きている楽しみがない。まだまだ未熟と思い精進するから成長もあり、その過程で人生の四季を楽しめるもの。人間は死ぬまでが成長である。それが死ななくなってしまったら、気が抜けてしまう。それなら「一万年かけて修行をすればいい、今年は寝てすごそう」となってしまう。

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 神を目指した宗教法人の社長(教祖)は全て破産している。「この壷を買えば、この水晶玉を買えば、入信すれば、あの世で救われる」と勧誘する宗教法人がまともでないことは常識でわかる。それなのに、なんと騙される人の多いことか。教祖に騙されて絞首刑台に上った人がいる。人は昔から少しも成長していない。まず常識から始めよう。

 

2018-12-09 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

ゲゲゲの訪問記(3)水木しげるロード

 水木しげるロードを中心に、米子駅から境港市にかけて177体の妖怪のモニュメントが飾られている。その一つ一つのクオリティが高く、鑑賞に堪える「妖怪」作品である。

 

妖怪の造形デザインの難しさ

 妖怪は架空の存在なので、それを実物のモニュメントにする場合は、高度なデザイン性が求められる。妖怪だからと、いくら異様な形態にしても、バランスが崩れると、崩れかたがお笑いになってしまう。そうならないようにするデザインが難しいのだ。水木しげるさんの妖怪は、子供を驚かすのが目的ではなく、楽しませるのが目的なのだ。水木しげるさんは、妖怪に愛情を込めて創造している。だから水木さんは今だかって「妖怪」を殺したことがない。戦争体験をした水木さんは、妖怪といえども殺すのは嫌なのだ。これの下地があるから水木さんの妖怪は人気があるのだろう。だから水木さんは妖怪に守られて93歳の長寿を全うした。それも現役で、だ。

 

見えないものへの敬意

 見えないものにも敬意を払う。人間が目で見て確認できる範囲はしれている。それを悟った人が、謙虚になり、人の限界を知り、此の世でモノをなす。ゴーンのように金に執着して、100億近い金を集めても、どんなことを世に残せるのか。人生は金ではないのだ。金に執着した人間は、金に潰される。陰徳に費やしたことは、天が福をもたらす。

 

仏師の感性

 松本明慶師は、師の彫る布袋さんや大黒さんの造形で、例えば布袋さんが、実際に立ち上がったら、その足で体重を支えられる足の太さやバランスまで考えて仏像の形を決める。布袋さんも大黒さんも架空の人物である。架空であるだけに、その造形の彫刻は難しい。明治の著名な某仏師の作った彫刻作品は、それが考慮されていなくて首をかしげる作品が多いとか。その高名な仏師は、実際に現存する対象物の彫刻は、素晴らしい仕上がりであるが、架空の動物や仏様の彫刻は、バランスが破綻している例が多い。

 今回、水木しげるロードの妖怪作品をそういう目で観察して、クオリティが高いと感じた。妖怪でありながら、それでいて恐くないし、愛嬌があるのだ。見ていて楽しい。

 

妖怪像の寄贈で町おこし

 今回、わざわざ遠路6時間もかけて境港市に出かけ、作品を確認した目的は、その妖怪での町おこしの状況確認である。そのモニュメントの多くが寄付で建立されていること。その形態は、宮川大助の寄贈、個人名の寄付、会社の寄付とさまざまであるが、それが境港市の町おこしになっている。寄付者は妖怪を寄付したと誇らしげに自慢になるし、知人を誘って境港市に来れば、町おこしに貢献できるのだ。素晴らしいアイディアである。これを是非、応用したい。

 

大垣市の「寄付金飲み込み妖怪」

 今の大垣市は盛んに市制100周年記念で各企業に寄付を強要しているようだ。寄付をすれば、ご褒美で、岐阜新聞、中日新聞の西濃欄に掲載されるように裏で手を回しているとしか思えない記事が多い。そんな過少な寄付金額で、なんで新聞に掲載されるの?と疑問を感じることが多々ある。個人でも、もっと多額の寄付をしている事例が多くある。行政との利権がないので、大垣市が便宜を図らず、新聞に掲載されないのだと私は見ている。小川市長に媚びを売らせるのでは、まるで乞食行政である。その市制100周年記念行事も、無意味で、会計不明瞭な行事ばかりが目に付く。

 そんな使途不明金の疑惑がつきまとう寄付より、境港市の妖怪モニュメントの具体的な寄付のほうが、妖怪が町おこしの効果が目に見えて遥かによい。大垣市の寄付は、寄付金を食べる妖怪だらけのようで、お金が消えてしまう。少しも大垣市の活性化になっていない。大垣市には「寄付金飲み込み妖怪」が跋扈している。

 

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 「ねこ娘」の妖怪は、普段はおとなしい娘であるが、ネズミや魚を見ると、たちまち目が吊り上がり、牙をむき出し化け猫に変身する。

 

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2018-12-08 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月 7日 (金)

磨墨知435-5. 成長しよう

 成長しないと、見えないものがある。高い視点からでないと見えない世界がある。見えない世界に、時間のダイヤモンドが埋まっている。時間のダイヤモンドの中に、自分の未来が光っている。小人(ことな)にはそれが見えない。

 

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大樹深根

 いくら背伸びをしても、人格と言う大樹の根が深くないと、大風を受けると倒れてしまう。ラワンの木のように、大きくなると自分の体重の重荷で倒れてしまっては情けない。自分の根を深くしよう。成長するためにはそれが必要だ。それが時間創造の基本。

 何も咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ。

 この句は、どこかで見つけて、当時、通っていた名古屋駅前毎日新聞社ビルの文化センターの書道教室の加藤梅香先生に書いてもらった書道のお手本である。今はそのビルもなく、ミッドランドスクウェアビルになっている。もう40年前の話しであるが、このお手本は今も大事にしている。この言葉は、三洋電機を創業した後藤清一氏の言葉であることは、最近知った。言葉も大きな「師」である。

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   加藤梅香先生書

 

2018-12-07 久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知435-4. 成長しないと友を失う

 私が定年になった時、長年の友も定年を迎え、時間ができて親交を深める時間が増えたが故、40年来の友と別れることになった。原因は相手と話が合わなくなったためである。以前は遠方でもあり、たまに会うだけの付き合いであったので問題が露見しなかった。しかし、定年後、近くに住み、長時間付き合うようになり、相手のレベルに違和感を覚える機会が増えた。人は年相応に成長する。それは人によって成長度合いが異なるのだが、そのギャップが大きくなりすぎると、会うのが辛くなる。友とは自分を成長させてくれる時間の塊である。その時間価値がずれると逆に重荷となる。

 

定年離婚

 この事件で最近の熟年離婚問題に思いをはせてしまった。夫は仕事一筋にわき目もふらず定年を迎えた。交友関係も会社だけで、意外と狭い範囲である。その間、時間があり交友関係で見聞を広めてきて人間的に成長している妻から定年離婚を申し出られる事例が増えたという。その状況が理解できるような気がした。

 有名大学の学部長までして、定年後、私大の学長に転籍された先生でも、定年後に自分の居場所がないとぼやかれた。定年で、家にいよとして気が付けば、家は今まで奥さんが、御主人の留守の時、自分の居場所を確保しており、先生は家での自分の居場所がないというぼやきである。

 

定年後の居場所

 それはどの家庭でも起こりがちである。それでは、今まで自分の成長のための勉強時間が取れたのかと思うと、疑問である。学部長や学長は、研究ではなく、人事や諸般雑事で忙殺される。それで人間として成長があるのだろうか。学校の校長先生や警察署長が一番、認知症になりやすいという。気は遣うが、頭は使わないのだ。それでは、人間として成長していないのだろう。

 

成長しない咎

 故渡部昇一師もその著書で、長年の友でも、使うお金で釣り合いが取れなくなると、付き合うのに障害となると書いている。一緒に食事をするにも、お店の格の選定で意見が微妙に相違して、ずれが生じて誘いづらくなったという。お金の使い方は、人間の成長が影として現われる。

 政党も国民の意識の成長と共に歩まないと、2013年参議院選挙での社民党のように消える運命に押し流される。国も成長しないと衰退する。

 人は年相応に、人格、教養、資産を高めないと、長年の友を失うことになる。長年、時間をかけて培った友という人生の資産を失いたくないもの。そのためには人並みに成長しなくてはならない。

 

時代の先行

 万物は流転成長している。自分は成長しているだろうか? 時間は自分をどんどん追い抜いていく。成長が止まったとき、自分の時間も止まる。友が、妻が、会社が、時代が、自分に離縁状を突きつける。時代に自分が追い抜い抜かれると、下記のていらく…..

 起きたけど 寝るまで特に 用もなし

人生経営は自転車操業。走り続けないと倒れてしまう。

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2018-12-07 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。