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2018年12月

2018年12月19日 (水)

主人公の人生

 人生ストーリで、主人公は自分である。自分が主人公でなければ、奴隷の人生である。「主」とは「王」座に座った己を(、)で表した象形文字である。(、)は王座の上に灯る蝋燭の火も象形する文字である。自分を蝋燭の火として燃やして周りを照らす。そういう人生が、主人公の人生である。

 

人生は能舞台

 人生とは、能舞台やバレエの舞台のように、背景は刻々と入れ替わり、己がスポットライトに照らされる時も、暗転するときもある。己の力ではどうしようもない運命の流れである。その中で、自分にできることは、自分の天命、使命を知り、全力を尽くすことしかないのだ。泣いている暇はないのだ。

 

主人公と被害者

 人生は主人公の人生と被害者の人生の二つに分けられる。叩かれ踏み倒されても、心は燃えて立ちあがるのが、主人公の人生である。被害者の人生なら「なんで私だけ」と泣き続ける敗者の人生となってしまう。人生は己のために回っているのではない。そうなら日本だけでも、1億個の自分に都合の良い人生がなければならぬ。

 

天が師

「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己に尽くせ。人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし」と西郷隆盛はいう。彼は沖永良部島の牢獄で、己を島流しにした理不尽な上司を恨まず、「言志四録」を熟読し、心を養成した。それが明治維新の原動力に昇華した。何時の時代も理に合わない上司が、自分の上に来るのが世の常である。だから人を相手にしてはダメなのだ。

私もサラリーマン時代の38年間で、数多くの上司に仕えたが、理に叶う上司は数人しかいない。それ以外は首をかしげざるを得ない上司莫迦リであった。それが人生なのだ。自分は、それを反面教師として学べばよいのだ。いわば上司の失敗事例の展示である。天がその悪い見本を示してくれたと思うことにした。私はそうならない上司を心がけて部下にあたった。

 

太上は天を師とし

其の次は人を師とする

その次は経を師とする

言志四録 志録2

024k8a10812   馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選訓集』より

 

2018-12-19  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年12月18日 (火)

磨墨知xx. 落下防止をする

モノを落とすとは、時間を落とすこと。それを防ぐことが時間を創る。

過去に背広の内側にある名刺入れポケットに入れた名刺ケースを数回落としたことがある。乗り物の座席に座って立ち上がった時に、スルッと落ちるのだ。落ちた場所が座席なので、音がせず、気が付かない。

 その落下防止として、洋服修理屋さんに、内ポケットの蓋を追加してもらった。

 財布も夏はズボンのポケットに入れることが多く、車や電車で立ち上がる時に、財布を落とすことがある。それで財布にクリップ付きの紐でズボンに結び付けて、落下防止をした。

 

人生の落とし物

 人生で慌てていると、大事なものを落とし、人生を台無しにする恐れがある。自分を守ってくれているご先祖様、神仏とのつながりが、人生転落防止の紐である。それは日々の祈りである。祈りは自分とご先祖様、神仏を観えない紐で結んでくれる。一方的なお願いの祈りは論外だが、感謝の祈りは自分を謙虚にして、我を忘れることを防いでくれる。

 

2018-12-18  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

巻頭言 『佐藤一斎著「言志四録」51選集』

人生の歩み、皆縁あって花開き恩あって実を結ぶ今、ここに92歳の初冬末日、此一冊「言志四録」なるもの1133条からなる全訳本の中からわずか51条書き納めた。諸々の仕事の片わら、10日間で終わったが、全く思いもかけぬ1冊出来上がった。行きさつは、後記する。

中国に「菜根譚」あれば、日本に佐藤一斎の「言志四録」あると言う。昭和も天皇退位まで、今日31日で半年となった。「新天皇即位が201951日」報道ある今日、この記を成す不思議さ思い、毎日過剰報道に振り回されることなく、たとえ一刻なりと心静かに先達の英知を学び、心にとどめ置き、大いなる己の人生の歩みの中の貴重な精神文化の栄養に活用されたらと思う。「分を知り然る後に足るを知る」(言志四録42条)とあるは、心とどめる訓言であろう。人生の修養の糧として処世や、教育の心得として活用したらと思う。

  20181031日恵峰記

 

上記はこの1225日に出版予定の馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選集』(小田泰仙編集 久志能幾研究所刊)全64頁 価格2800円の巻頭言です。

本書では、毛筆での記述ですが、このブログではテキストに落としました。

購入希望者は、メールにて小田まで申し込みください。発行部数が少ないため、一般書店には回せませんので、直販です。

今日、最終原稿を印刷所に回しました。今から印刷工程です。

 

2018-12-18  久志能幾研究所 小田泰仙

e-mail :yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年12月17日 (月)

岩村の先賢教育に学ぶ

 2018年12月17日、岩村の佐藤一斎顕彰会会長・鈴木隆一氏に面会して、今回出版する馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選集』の件でご挨拶をした。また今度、揮毫する板書の下打ち合わせとその手配を行ってきた。

 

学校教育

 その時、鈴木隆一氏より岩村での佐藤一斎の学校での教育についてお話を伺った。岩村小学校では、6年生の50数名に対して、佐藤一斎の教えの講義を、鈴木隆一会長が、年間6時間(2時間を3回)を担当されている。素直な年代の小学校生は、水が砂に沁み込むようにその教えを吸収するという。小学校生は、卒業までに、言志四録の名句を30句、暗記するのを努力目標に頑張っているという。日本の未来に少し希望が持てて嬉しかった。

 他にも近隣の山岡中学、岩村中学、恵那南高校でも、先賢講座として、佐藤一斎や下田歌子、三好学の賢人についての講義をしているという。地元の先賢に学ぶのは素晴らしい教育だと思う。

 

「西郷さんの言志録in 岩村」 (岩邑小学校のHPより)

   下記は岩村小学校の佐藤一斎を学ぶ活動である。

 恵那市岩邑小学校では、「ふるさとを愛する子」を育てることを大切にしている。岩村の小学校(恵那市立岩邑小学校)では、佐藤一斎を学ぶ一環として、今年は「西郷さんの言志録in 岩村」をテーマに下記を実施した。

1:ねらい

 子供達が岩村の町のどこに南洲手抄言志録の条文があるかを調べる活動を通して、次の2点をねらう。

(1)西郷隆盛という偉人と一斎先生とのつながりを学習することを通して、佐藤一斎先生の偉大さを実感して、言志四録の条文の理解を深める。

(2)現在、南洲手抄言志録が岩村のどこに掲示されているかの地図がないので、この地図を岩邑小学校の児童の力で創り上げることで、活動の成就感や、地域へ貢献することの達成感を味わわせる。

2:日時

 10月11日(木)8時30分出発~9時05分帰校(小雨決行)

 (朝の会後、8時25分知新門整列完了)(1)項を実施。

3:活動内容

 (1)1年生から6年生までが縦割り10グループごとに分担の場所へ出かけ、情報収集した。南州手抄言志録の句の場所を岩村の町で探しタブレットで写真を撮り、句のある場所をマークする。

(2)6年生が中心となり、集めた情報をどのように活用するかを考える。

(3)岩邑小学校全校児童による「西郷さんの言志録in 岩村」という情報地図を発行し、地域に活用してもらえるようにする。

 

「西郷南洲遺訓」とは

 「言志録」は佐藤一斎(1772~1859)が著した語録である。「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋録」の四書を併せて「言志四録」と総称され、全1133箇条で構成されている。一斎が40余年の歳月を費やして編纂した語録である。なお、「耋(てつ)」は「老いに至る」の意味である。「手抄言志録」は、西郷南洲こと西郷隆盛(1828~1877)がこの「言志四録」から101箇条を選び出して座右の書とした。西郷隆盛は、この書を流島の牢獄で繰り返し読み、自己の精神を鍛えたと言われる。佐藤一斎の「言志四録」なくして、明治維新はならなかったと言われている。

 

 2018-12-17 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月16日 (日)

ゲゲゲの訪問記(4)妖怪勝負 水木しげる妖怪編

 水木しげるロードでは、各お店が趣向を凝らした妖怪雰囲気を作っていて、楽しい雰囲気である。境港市の全店、全員が妖怪パワー全開で観光客を歓迎している。皆、真面目に妖怪に浸っている。楽しいな! 楽しいな! オバケにゃ、学校はない。しかし、商売ケだけは妖怪に取りつかれて旺盛だ。徹底すると、素晴らしい。嫌味がなく、スマートな妖怪たちである。

 

妖怪防犯カメラ

 水木しげるロードでは防犯カメラは目玉おやじである。アーケードが古びていて、昭和の雰囲気で趣がある。ユーモアもあって微笑ましい。

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妖怪酒屋

 妖怪酒屋の看板や徳利やお酒の名前が妖艶である。ゲゲゲさまさまである。飲み過ぎると、悪酔いでゲー、ゲー、ゲである。

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妖怪ATM

 ATМの近くをうろつく妖怪に暗唱番号を聞かれても、教えてはだめなのだ。お堅い銀行さんも、悪乗りで、楽しいな! 楽しいな! ベンチも楽しいな! しかし巷にゃ、オレオレ妖怪、怖いな!

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妖怪饅頭屋さん

 表はおどろおどろしいが、お店の中は、近代的なお饅頭の店舗です。 

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「妖怪食品研究所」の名前は笑わせる。妖怪饅頭や妖怪煎餅を研究しているようだ。当日は残念ながら、お休みで、内部調査はかなわなかった。

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妖菓堂は、秀逸なネイミング

 「目玉のバウム」がおすすめとか。

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妖怪パン屋さん(神戸ベーカリー)

 私は、展示ウィンドウの妖怪パンセットに目が行って、虫が光に誘われたように、お店の中へ引きこまれた。しばしの休憩。暗示にかけられたように「砂掛けばばあパン」を戴いた。美味しかった。中身は漉し餡のパンです。

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妖怪茶屋

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妖怪床屋

 二階の妖怪の人形が愛嬌

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妖怪タクシー

 鬼太郎のマークがまぶしい。

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妖怪郵便局

 ここで投函すると、妖怪の消印を押してくれるとか。

 郵便ポストが懐かしい。

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記念撮影スポットの看板妖怪

 観光客へのサービス精神旺盛な街づくりである。

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妖怪本屋さん

 とても本屋さんとは思えない、風情である。昭和の本屋さんの雰囲気。

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2018-12-15 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年12月14日 (金)

「生き活き教養塾」第一講

 馬場恵峰師は、「生き活き教養塾」をこの12月から1年コースで、開講された。毎月1回、朝10時と夜8時から1時間半の2回の講義で、先生の教室で開催である。これは、恵峰先生がこの10月に岩村に行き、佐藤一斎著『言志四録』の抜粋を揮毫するご縁の出会い、その内容を皆さんに伝えよう発案された。だから後、1年間は死ねないという。その話を恵峰先生から電話で聞いて、2018年12月13日、長崎県大村市に出かけた。鉄路6時間の旅である。

 

開講理由

 「知りたることを教えざるは、借りた金を返さざるが如し。」セミナーや講演会に出て、教えてもらったことや学んだことを人に教えないから、頭でっかちになり、自惚れ、傲慢になり、老化する。教えてもらったら、人に話せ。それが自分に返ってくる。自分だけに留めるから、自惚れになりケチになる。それは、知識泥棒、自惚れである。正しいことを伝えきる人間が人格者である。

 自分だけ分かって、人に伝えきらない人は、卑怯者である。自分さえよければという考え程、人を傷つけるものはない。

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講義のテキスト

 現在、先生は92歳。来年、4月には93歳である。恵峰師は岩村に行って、佐藤一斎から元気をもらったようだ。佐藤一斎は、まだ日本人の心の中に生きている。今回の講義のテキストは馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選集』である。その写真集は12月25日、出版予定です。下記はその講義録である。

 著書は、それを読むだけでは、解釈が難しい。それを説明してくれる道案内人が必要である。それを聞いて、今度は己が人の説かねば、その著書の真意が伝わらない。

 佐藤一斎著『言志四録』久須本文雄全訳注(講談社)は、全913頁の大作であるので、読みこなすのが大変だ。だから良き解説者について学ぶのがよい。私(恵峰師)も、今回、言志四録の抜粋を読み、書に揮毫して、初めて理解できたことが多い。

 

師とは

 太上は天を師とし

 その次は人を師として

 その次は経を師とする   佐藤一斎「言志四録2」

 

 太くて大きいは最上の人、天地自然を先生とする。その次の人は、尊敬する人を師とする。その次の人は、教えを師とする。だから指導者は仏教を知らねばならぬ。

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眼耳鼻舌心意の6つを浄化するのを信仰という。これが般若心経の真意である。それを学ぶのが天を師とすること。

 

生きる道

 死んで墓に毛布を掛けられまい。自分の身近な人に、生きている間に喜びと感動の毛布を掛けるのを慈悲という。それが真心である。

 人の生きる道を教える勉強として、この講座を始めた。人のために学んで欲しい。

 「他山の石に学ぶ」の、他とは、多くの山(産業)のこと。石とは「意思」のこと。人の言うことに耳を傾ける。その日頃の積み重ね(努力)が、人格となる。これを「努力に勝る天才なし」という。

 

目は心の窓

 ものは心が観ている。心がその気にないと、あれども見えず、である。

 心の窓が曇っていると、人を見るとイラっとする。

耳は自分の行動を浄化するための器官である。

 他人様の諫言は、自分を浄化するためにある。

 菜根譚に曰く、耳には痛いことばかり、それが自分の成長になる。

口は消化するための器官

 人に話したことだけが、自分に返ってくる。話さないから、自分の頭に残ない。口は、言葉を消化するため。糧を食べるのではない、他の命を頂くのだ。

足は自分の意思を決定するために使う器官。

  その気になり、その意志がないと、足が動かない。

  生きているうちに持つのが「師」。全員が持っているのが「死」。

手は自己の表現器官。

  書道は字の書き方の勉強ではない。字を通して、明日の人生の豊かさを育成するためにある。書いてまとめることで、新しい発想を得る。その表現を機械(PC)に任せるのが今の時代。それでいいのか。その時代だから、手で書いた手紙が人を感動させる。

 書かなければ、自分のモノにならない。今回、私(恵峰師)は、佐藤一斎「言志四録」を揮毫して、初めて身に染みた。

 

挨拶

 挨拶は礼儀ではない。挨拶は、めぐり逢いの喜びの声であり、感謝の表現なのだ。心の表現が挨拶である。「こんばんは」は体裁だけ。挨拶に心が籠っていなければ、意味がない。めぐり逢いとは、命と命のふれあいである。死人に口なしはその裏の言葉。挨拶が、人の心を引き出す。挨拶は人格の表現である。だから、いい加減な挨拶しかできない人に幸運は巡ってこない。今の子供は挨拶ができない。その原因は、全て家庭教育の悪さにある。親がその大事さを子供に教えていない。親の責任である。

 

自惚れ

 自惚れは持たねばならぬ。しかし、自惚れてはならぬ。自惚れを持つほど勉強せねばダメである。自惚れがないのは、努力していない証拠。うぬぼれた人は、指導者を持たない人である。

 つまらないことに心が動く人は、目標を立ててない人である。目標を立てれば、それに向かって絶えまない努力をすればよい。それが人間の生き方である。

 教育は人が儲かること。するほうは、儲からない。それをケチッてモノを買わない。知識を得ようとしない。そんなケチでは人生が台無しになる。

 モノを作るのは自然が天才である。腐るとは、肥料になること。くさされ、ののしられて、笑われて、それが自分の肥やしとなる。それが成長の肥やし。きれいごとだけでは、成長はない。

 人に話さないから、腐る。人に与える。与えないから、それが毒素になる。

 

大自然の偉大さを知れ

 絹は人間がどんな努力をしても作れない。あの気持ちの悪い蚕があの素晴らしい衣服の原料となる絹を作る。その絹を使って素晴らしい衣服を作るのは、人間の英知である。大自然の神、天照大神を祀る天皇家は、美智子皇后陛下が御自ら蚕を飼ってみえる。天皇陛下は、御自ら稲を植えられる。

 

箸が二本ある意味

 箸の一本はご先祖様、もう一本が私の意味である。ご先祖様と私が、ご飯(現世の糧)を挟み、橋渡し(箸わたし)で私の口にご飯を運ぶ。だから「ハシ」と「ワタシ」の語源である。人はご先祖様があって、今の私がある。

 

生き方の要点

  1. 一念を貫け。それは三千世界に己の念が通じる。不平等をなくせ。人を差別しない。仕事をさせてもらったと感謝せよ。それを、二兎を追い、仕事をさせてもらったのに、その給与が安いとぼやいては、一念を貫いていない。傲慢である。それでは二兎を追っている。一念を思うのを祈りという。
  2. 忘れよ。忘れないから、愚痴になる。恩に着せたら、おしまい。こうしてくれるはずと思わない。それを忘れよ。
  1. 人の長所を見る人が教育者、教養のある人

  人の短所は誰でも指摘できる。しかし凡人には長所が見えない。

  1. 過去の経験を、上手に生かす。

   すべて必然で起きたご縁である。

  1. 怒りを無くそう

    怒ればすべてがうまくいかない。感謝を忘れた人間は長生きできない。

  1. 身内(部下、子供)に人間性を語り続けよ。

マタイ伝に曰く

 恵峰師が若いころ、教会の牧師に下記を説法されて感激したという。

 それは宗派を超越した教えである。恵峰師は、全ての宗派を勉強された。

 1.ずること

    神を信じても仕方がない。人を信じよ、である。

 2.をもつこと

    希望を持って生きよ。

 3.をもつこと

    自分だけのものにしない、である。

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2018-12-14 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月13日 (木)

大垣市が教育軽視である「5つの何故」

何故、小学校エアコン設備率が、岐阜県の大多数の主要都市が100%で、大垣市のそれは論外の2.4%なのか?

→過去18年間に亘り予算を小学校エアコン投資に向けなかった為。

 単純明快な理由である。

何故、年度予算を教育関係に振り向けなかったか?

教育を重要視せず、他に金を使ったから。

 大垣市は岐阜県内で、最裕福な財政である。それが教育に予算を向けなかったのは、教育を重要と思っていなかっただけの単純明快な話しである。 

何故、教育が重要と思わないのか?

 小川敏市長の方針で、教育の優先順位が低かったから。

何故、小川敏市長の方針で、教育の優先順位が低いのか?

 小川市長は教育に関心がなかったから。

何故、小川敏市長は教育に関心がないのか?

 →選挙のテーマにならないから。再選に影響しないから。

  教育は、すぐに成果が上がらないので、後回しにしたから。

自分の業績として、派手に宣伝がしにくく、後回しにしたから。

  金を業者に回すのに、教育関係では額が少なく、後回したから。

それよりも大金が動く新市庁舎やイベントを優先した。

  

結論

こんな市長で大垣の未来はあるのか。

結果の数値が全てを冷酷に表している。小学校エアコン設備率が、岐阜県最低の2.4%であるのは、今日昨日の話ではない。18年間に及ぶ小川市長の教育軽視の実績なのだ。

 

2018-12-13  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知418. The more input, the more output

 人は仕事をして、その報酬として成功報酬(金)か体験報酬(経験)を選ぶことができる。人間なら成功報酬でなく、体験報酬を求めよう。スキルが向上し、業務が短時間でこなせるようになり、それが10年後の時間を創くる。目の前のニンジンに惑わされてはならぬ。己は動物の本能の一兵卒として10年後も働くのか、己の魂のマネージャーとして大きな仕事をしたいのか? 己はどちらを選択するのか? 成功報酬だけを求めていると10年後も貴方は一兵卒のまま。人生はお金ではないのだ。

 貴方が社長なら、右腕として、経験豊かな人と、有名大学を出た人と、何方を選ぶのか。

 

2018-12-13  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月12日 (水)

磨墨知435-3. 親を鞭打とう

 バブル期の育った今の親は、ゆとり教育の弊害で、大人になっていない。日本の未来のため、叱られたことがない親を真剣に叱ろう。それが世の為、人の為のため。大人になっていない親を小人(ことな)という。図書館学習室でそんな親に、3名ほど遭遇した。

 

学習室で勉強妨害する母親

 2013年8月12日、学習室に子供の二人連れの母親が、自分は真ん中に座り、両脇に子供を座らせて勉強をさせている。母親はその合間に家業の伝票処理をしている。小声で子供を教えるのであるが、熱心であるが故に、静寂な学習室では遠くからでもその声が聞こえる。伝票処理で領収書のカーボン紙をビリッと破る甲高い音が、断続的に部屋の隅まで響く。自分がやっている迷惑行為には無頓着である。子供が走って学習室から出入りをするが注意もしない。夏休みで席が逼迫している状態であるが、母親が勉強ではなく仕事をしている。その占領した分、高校生の座る席が無くなる。母親はそんなことには気を回さない。4時間ほどこれが続いたので、さすがに堪忍袋の緒が切れて、私は母親が学習室の外に出た時を見計らって叱りつけた。さすがに驚いて謝りはして、退席した。

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エピソード

 数週間前も同じような母親がいて、回りに迷惑をかけていた。警備員に注意をお願いしたが動かないので、私が注意をした。その経緯があり、今回は警備員を通さずに私が直接動いた。ところがそれを見て図書館職員が飛んできて、私に噛み付いてきた。「母親が涙声になっているではないですか、子供が怯えているではないですか」と。

 問題は、図書館職員が問題の本質を見ず自分の務めを全うせず、問題を起こさないように起こさないように事象を曖昧にしてしまうこと。ここに行政の退廃がある。問題は何か。母親が身勝手なことをして、学習室で真面目に勉強をしている約50名の学生達に迷惑をかけた。母親が子供に、自分のためなら公共の場でも身勝手なことをしてもいいと、背中で教えた、である。

 私が叱ったのにはワケがある。その原因を追究せず、無責任な職員は、母親を泣かせたと私を責める。話が噛み合わないので、私は副館長を呼んでもらって大議論になった。市民の貴重な時間を盗む税金泥棒達である。

 そもそも「子供が怯えている」という言葉使いが拙い。人殺しでもあれば、そんな言葉を使うのも許される。言葉使いで人の教養がわかる。なぜ泣くのか、自分が悪いことが分かっているので、ずるい女は泣いて防衛する。すると私が加害者に立場が逆転する。女は弱いが、母親は子供のためなら泣かない強い存在のはずである。

 またいかに日頃子供が叱られていないかである。我儘放題の躾をされている証明である。まず今の親が叱られた経験が少ないのが真因である。それが現代の若者の悲惨な事件の頻発の原因である。現代は、生意気だからという理由だけで、女子高校生が同級生を皆で殺す時代である。その原因は躾教育を放棄した親の責任である。

 

中年女の厚かましさ

 この話をある社長に話したら「中年女は自分が悪いことが分かっていると泣いてごまかす。それがうまくいかないと、次は色仕掛けで来るので要注意だよ」と教えてくれた。館内レストランの女性に話したら「今の母親は我々のような苦労をしてないので、教育がなっていない。小田さん、もっと叱ってよ」と励まされてしまった。

 

当日談

 2013年8月15日の朝、何時もの散歩コースを回り、濃飛護国神社を回って常盤神社(大垣藩の教育の基礎を築かれた戸田公を祀る)と大垣大神宮に参拝したら、前広場で軍手をはめた掃除の身なりの人から「ありがとうございます」と言われた。この3年間、欠かさず神社の参拝を続けているが今だお礼を言われたことがないので、驚いてどちら様ですかと伺ったら、「私はこの神社の宮司です」とのこと。

 そこでご縁を感じて色々とお話を伺った。この宮司は、いつもは濃飛護国神社の社におられる。この大垣大神宮は明治天皇の直々の御下命で建立されたとか。この3年間、参拝をしているが初めて聞くお話であり、当日が終戦記念日でもあり不思議なご縁を感じた。

 ここで思いついたのは、前述の情けない親や子供の教育の件である。先の大戦で命を御国に捧げた英霊が見れば、「俺たちはこんな情けない国にするために、命を捧げたのではない」、との声が聞こえたような気がする。それが宮司様の陰のお声である。

2  大垣 濃飛護国神社

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4  大垣大神宮

2018-12-12 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知419.『十八史略』や『史記』の世界で考える

 昔も今も人間の本質は変わらない。それを達観して物事を進めよう。知識は増えたが、智慧は2000年前から少しも増えていない。智慧の有効期限は、その人の生きている間だけ。死ねば無に帰す。だから実質的に人間は進歩していない。人の原点は同じである。進歩するには、各人が歴史を学ばなければならない。学ばなければ、現代人も古代人に劣る。時間価値は2000年前とかわらない。歴史こそが、時間と人生を教えてくれる。人は先祖と同じ過ちを、繰り返している。歴史を学ばないものは、歴史に押しつぶされる。

 

チャイナ

 チャイナの本質は古代から変わらない。陸続きの大陸内で、生きていくには、自己主張をしないと外部民族に殺される。チャイナ人の生き方をして生きなければ、チャイナの世界で生きられない。それを見極めて付き合おう。チャイナとは、支那(シナ)の英語読みである。なぜか「支那」というと、かの共産党は、日本には噛みついてくる。それを恐れて、マスコミは「中国」呼びである。欧米諸国はチャイナで統一されている。「中国」とは、世界の中心の国という自惚れが丸出しの自称語である。それを使えば、相手がチャイナを世界で一番偉いことを認めることになる。それがチャイナの本質を一番表している。

 

ヨーロッパ

 ヨーロッパ人も昔と変わらない。民衆を上から視線で眺めるマクロン大統領は特権階級の視線で、大企業優先、富裕層優先の経済政策に余念がない。グローバル経済主義者の代表のマクロン「皇帝」は、欧州の階級社会を守りたいのだ。ヨーロッパと付き合う時は、キリスト教という一神教の世界の人間の考えを考慮して付き合おう。キリスト教徒にとって、異教徒は人間ではないのだ。だから、欧米人は、戦前、植民地獲得戦争に精を出し、アジアやアフリカで現地人に残酷非道なことが平気で出来た。人間と認めていない未開の人間のモノを取るのは、犯罪ではないのだ。その原点は、中世の十字軍の遠征に遡る。十字軍にとって、中東の異教徒は、人間ではないのだ。

 

アメリカ

 アメリカ大陸という新天地を求めて、豊かなヨーロッパから、その落ちこぼれがインディアンの土地に「新天地を求めて」という美しい文句で、逃げ込んだ。アメリカ大陸を発見したコロンブスは、奴隷商人であった。アメリカ人(当時のイギリス人)は、当時、アメリカ原住民のインディアン(当時1000万人いた)を950万人虐殺して、領土を略奪した。現在、インディアンは50万人しか生存していない。入植当時の白人は、インディアンからトウモロコシやジャガイモの栽培方法を教えてもらい、開拓時代の飢えをしのいだ。白人は恩に仇で報いたのだ。しかしその歴史は抹殺されている。アメリカ建国史に、インディアンの歴史はない。欧米人にとって、異教徒は人間でないので、虐殺しても罪悪感さえ覚えない。そのように教会(ローマ法王)から免罪符をもらっている。

 アメリカ人も本質は昔と変わらない。アメリカファーストで、何でも一番でなければならない。それを脅かしたから、その昔、日米戦争となった。今、チャイナがその虎の尾を踏んだので、トランプは怒っているのだ。

 基本的に、拝金主義の欧米人は、心の奥底では、白人以外は人間でないと思っているようだ。日本人が白人なら、決して原爆は広島に落とされなかった。それを認識して、国を守らねば、野獣に殺される。

 

狩猟民族

 欧米人は、基本的に狩猟民族である。狩猟民族にとって、人のモノは俺のモノ、なのだ。取られるほうがアホなのだ。日産のゴーンの手で、日産はルノーに1兆円の配当金+株式利益をかすめ取られた。フランスにとって、植民地管理はお手のものなのだ。狡猾なゴーンはそれに便乗して100億円を超える金を独り占めした。取られた日産がアホなのだ。狩猟民族は、隙あらばと、虎視眈々と敵を狙っている。チャイナとロシアからの年間1000回に及ぶ領空侵犯事件がそれを示唆している。歴史書には経営学が実学として記載されている。

 

2018-12-12 久志能幾研究所 小田泰仙

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