磨墨知435-3. 親を鞭打とう
バブル期の育った今の親は、ゆとり教育の弊害で、大人になっていない。日本の未来のため、叱られたことがない親を真剣に叱ろう。それが世の為、人の為のため。大人になっていない親を小人(ことな)という。図書館学習室でそんな親に、3名ほど遭遇した。
学習室で勉強妨害する母親
2013年8月12日、学習室に子供の二人連れの母親が、自分は真ん中に座り、両脇に子供を座らせて勉強をさせている。母親はその合間に家業の伝票処理をしている。小声で子供を教えるのであるが、熱心であるが故に、静寂な学習室では遠くからでもその声が聞こえる。伝票処理で領収書のカーボン紙をビリッと破る甲高い音が、断続的に部屋の隅まで響く。自分がやっている迷惑行為には無頓着である。子供が走って学習室から出入りをするが注意もしない。夏休みで席が逼迫している状態であるが、母親が勉強ではなく仕事をしている。その占領した分、高校生の座る席が無くなる。母親はそんなことには気を回さない。4時間ほどこれが続いたので、さすがに堪忍袋の緒が切れて、私は母親が学習室の外に出た時を見計らって叱りつけた。さすがに驚いて謝りはして、退席した。
エピソード
数週間前も同じような母親がいて、回りに迷惑をかけていた。警備員に注意をお願いしたが動かないので、私が注意をした。その経緯があり、今回は警備員を通さずに私が直接動いた。ところがそれを見て図書館職員が飛んできて、私に噛み付いてきた。「母親が涙声になっているではないですか、子供が怯えているではないですか」と。
問題は、図書館職員が問題の本質を見ず自分の務めを全うせず、問題を起こさないように起こさないように事象を曖昧にしてしまうこと。ここに行政の退廃がある。問題は何か。母親が身勝手なことをして、学習室で真面目に勉強をしている約50名の学生達に迷惑をかけた。母親が子供に、自分のためなら公共の場でも身勝手なことをしてもいいと、背中で教えた、である。
私が叱ったのにはワケがある。その原因を追究せず、無責任な職員は、母親を泣かせたと私を責める。話が噛み合わないので、私は副館長を呼んでもらって大議論になった。市民の貴重な時間を盗む税金泥棒達である。
そもそも「子供が怯えている」という言葉使いが拙い。人殺しでもあれば、そんな言葉を使うのも許される。言葉使いで人の教養がわかる。なぜ泣くのか、自分が悪いことが分かっているので、ずるい女は泣いて防衛する。すると私が加害者に立場が逆転する。女は弱いが、母親は子供のためなら泣かない強い存在のはずである。
またいかに日頃子供が叱られていないかである。我儘放題の躾をされている証明である。まず今の親が叱られた経験が少ないのが真因である。それが現代の若者の悲惨な事件の頻発の原因である。現代は、生意気だからという理由だけで、女子高校生が同級生を皆で殺す時代である。その原因は躾教育を放棄した親の責任である。
中年女の厚かましさ
この話をある社長に話したら、「中年女は自分が悪いことが分かっていると泣いてごまかす。それがうまくいかないと、次は色仕掛けで来るので要注意だよ」と教えてくれた。館内レストランの女性に話したら、「今の母親は我々のような苦労をしてないので、教育がなっていない。小田さん、もっと叱ってよ」と励まされてしまった。
当日談
2013年8月15日の朝、何時もの散歩コースを回り、濃飛護国神社を回って常盤神社(大垣藩の教育の基礎を築かれた戸田公を祀る)と大垣大神宮に参拝したら、前広場で軍手をはめた掃除の身なりの人から「ありがとうございます」と言われた。この3年間、欠かさず神社の参拝を続けているが今だお礼を言われたことがないので、驚いてどちら様ですかと伺ったら、「私はこの神社の宮司です」とのこと。
そこでご縁を感じて色々とお話を伺った。この宮司は、いつもは濃飛護国神社の社におられる。この大垣大神宮は明治天皇の直々の御下命で建立されたとか。この3年間、参拝をしているが初めて聞くお話であり、当日が終戦記念日でもあり不思議なご縁を感じた。
ここで思いついたのは、前述の情けない親や子供の教育の件である。先の大戦で命を御国に捧げた英霊が見れば、「俺たちはこんな情けない国にするために、命を捧げたのではない」、との声が聞こえたような気がする。それが宮司様の陰のお声である。
2018-12-12 久志能幾研究所 小田泰仙
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