磨墨知435-6. 神を目指さない、悟りを求めない
人間が神を目指すのは非合理である。時間の無駄である。神仏はその世界で最高位であって、人間界の最高位ではない。それ故、人間が神になってしまっては、「人ではない」ので「人でなし」となってしまう。人間は欠点があってこそ人間である。その欠点はそのままで良い点を高めると、その欠点が人間味となり、角熟して人間の成長となる。欠点をなくして完全無欠の人間に円熟すると「神」になってしまい、「人でなし」となる。
悟りを開きすぎると、やることなすこと神の如し。やらなくても済んでしまう。それでは何も学べない。成長できない。人間界の楽しみも苦しみも味あわないなら、生きている楽しみがない。まだまだ未熟と思い精進するから成長もあり、その過程で人生の四季を楽しめるもの。人間は死ぬまでが成長である。それが死ななくなってしまったら、気が抜けてしまう。それなら「一万年かけて修行をすればいい、今年は寝てすごそう」となってしまう。
神を目指した宗教法人の社長(教祖)は全て破産している。「この壷を買えば、この水晶玉を買えば、入信すれば、あの世で救われる」と勧誘する宗教法人がまともでないことは常識でわかる。それなのに、なんと騙される人の多いことか。教祖に騙されて絞首刑台に上った人がいる。人は昔から少しも成長していない。まず常識から始めよう。
2018-12-09 久志能幾研究所 小田泰仙
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