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2018年8月

2018年8月21日 (火)

オウム真理教の広報部長と同じ手法

 行政はサービス業である。それも人の命を預かる尊い仕事である。それを言われてからやるなら、素人にも政治はできる。それは、職務怠慢、無能である。

 地方行政の事象を報道するには、報せる道がある。それが行政に忖度するようでは、「道」から外れた外道と言える。岐阜新聞も中日新聞も、オウム真理教広報部長の上祐元被告と同じ手法で報道している。

 

 

経緯

 2018年6月11日の大垣市議会一般質問で、岡田まさあき議員が小学校エアコン導入に関する質問をした。小川敏市長は木で鼻をくくったような回答で「検討します」として回答を濁し、6月29日までの国への来年度エアコン助成金申請をしなかった。つまり3週間後に、来年度のエアコン導入なしを決定した。

 その舌の根が乾かないうちの8月10日になって、自民クラブからの突き上げを食らって小川敏市長が「私もエアコン設置の必要は感じている。できれば来年度内に設置を完了したい」というのは、支離滅裂である。

 

経営はスピード

 スピードこそが経営の成否を決める大きな要因である。2018年7月17日に豊田市の小学校生徒が熱中症で死亡してから、豊田市は翌日の7月18日に、エアコン設備の早出しを決めた。しかし、小川敏大垣市長は、事件の24日後の8月10日に、自民クラブ13名と市民運動の嘆願書で突き上げを食らって、しぶしぶやる声明を出した。それも「設置を完了したい」と希望的声明だけである。豊田市の翌日対応と対比するのが恥ずかしい。人の命を預かる市の経営者として失格である。その嘆願書がなければ、小川敏市長は6年後までやらないつもりであった。

 

トップとしての信念

 小川敏市長は、2018年6月11日の大垣市議会で、エアコンの来年度の導入もせず、平成36年度まで設置しない、と決断したのだから、信念を通してやらないで欲しい。言行一致を守るのが政治家だ。人の意見でふらふらするのは政治家失格である。小川敏市長は、8月7日に大村智先生の講演を絶賛した。その感銘したという「実践躬行」と全く反対のことをやっている。

 大垣市制100年記念事業を名目に、エアコン導入より先に市民税3億円の無駄遣いをしたいという信念があれば、それをやればよい。

 

言うだけ番長

 大垣市はスローガンで「未来に羽ばたく大垣」と謳いながら、未来を背負う子供たちの命に係わることを、人から言われないと対応できないなんて、「子育て日本一を目指す」などどの面を下げて言うのか。

 

小川敏市長の深層心理学

 小川敏大垣市長は、8月10日に「記録的猛暑にエアコン設置の必要は感じている。できれば来年度内に設置を完了したい」と述べたという。

 何故、来年度内で、なぜ「夏まで」でないのか?

   内閣の菅官房長官は、夏までに整備するように援助すると言っているではないか。

 なぜ「完了したい」、「完了する」と断定しないのか?

 「したい」と希望的観測を言っただけなので、実現されなくても責任は問われない。

 「できれば」とは、出来なければやらないという意思表示である。不退転の決意ではない。小川敏市長は逃げの言葉を使っている。つまりやる気はないのだ。

 

新聞社の忖度

 なぜ岐阜新聞は、大垣市がエアコン設備率で県下最低の2.1%で、全国でも最低レベルであることを報道しないのか。まるで将軍様向けのよいしょ記事である。岐阜新聞も中日新聞も、なぜ自民クラブが要望書を出した背景を掘り下げないのか。エアコン設備率100%の岐阜市など他の多くの市は、嘆願書など出す必要がない。それには両紙とも全く触れていない。その因果関係が報道されていなければ、読む価値のない記事である。いかに岐阜新聞とも中日新聞が大垣市に忖度して記事を書いているかが、字裏から透けて見える。

 

将軍様のお情け通達

 岐阜新聞か中日新聞しか購読していない人は、この記事を読めば大垣市将軍様が人民にお情けを与えてくれると涙を流して喜ぶだろう。全国平均で小学校の40%のエアコン設備率に対して、大垣市のそれは2.1%と全国最低レベルである。そのことは、全く報道しない。それを将軍様が「設備したい」と言ったと賞賛まがいの報道である。これは北朝鮮の政府報道と何が違うのか。行政お抱え新聞としては大成功の記事である。

 

オウム真理教広報部長の手法と酷似

 岐阜新聞も中日新聞も、大垣市政に都合の悪いことは書かず、単に数値だけを記載。その数値がどれだけ悪いかは一切書かない。なぜそうなったかも書かない。それは、1994年、オウム真理教の広報部長上祐史浩(当時)が、自分たちの都合の良いことだけをワイドショー番組で喚いて、都合の悪いことは言わない手法と酷似している。上祐史浩元被は、それをディベートの手法というが、己の都合の悪いことは言わないので、ディベートの論理ではない。

 私のテクニカルライティングの師である篠田義明早稲田大学教授は、その上祐史浩広報部長(当時)が受講生であったという因縁がある。それで、その上祐史浩広報部長(当時)の論法がディベートとではないと教えて頂いた。当時、篠田教授には、オウム真理教から脅迫があり、命の危険があったので先生には警察の警備が付いた。

 

ビジネス文書として落第

 岐阜新聞も中日新聞も、大垣市小学校エアコン率が全体でどういう位置づけかは書かない。上祐史浩の手法と同じである。オウムの洗脳教育手法を新聞紙で行っていると同じである。こんなレベルの報告書をビジネス社会で上司に出せば、即左遷である。岐阜新聞、中日新聞の記者は大垣市民を洗脳教育している。

 キヤノンの御手洗社長は、数字から物語を語れなければ社員失格という。記者は、大垣市小学校エアコン率2.1%という数字からどういう物語を書くのか。それが全くない。子供たちが泣いているのだ。岐阜新聞も中日新聞も、どちらの記者も、小川市長に目隠しされて子供の泣く姿が目に入らない。

 

情報とは

 大垣市小学校にエアコン導入が遅れた原因、責任、経緯は一切報道しない。そんな情報もない記事をもらっても読者は嬉しくない。共産恐怖政治の国家では、将軍様の批判記事ご法度である。その「将軍様万歳」の記事と何が違うのか。岐阜新聞も中日新聞も大垣市政の批判記事は一切許されないようだ。なにせ私は見たことがない。

 他の大手新聞は、消えゆく地方都市・大垣のエアコン実施など記事にもしない。記事にする価値がないのだろう。それが世の中の評価である。大垣のことなど報道する価値がないから、無視である。

 情報とは「情けの知らせ」である。小川敏市長は「やりたい」というだけで、「やる」とは言っていないのだ。900万円の「偽ネス毒水饅頭食いあい」は得意げに実施したが、子供の命に影響のあるエアコンは「来年度内にやりたい」との希望的観測表示である。そんな曖昧な情報など、何の役にも立たない。それは「情けない知らせ」である。

 

岐阜新聞と中日新聞が守るべきもの

 岐阜新聞も中日新聞も、「児童・生徒の命を守る」よりも大垣市・将軍様のご機嫌を損じないようにすることが最優先なのだ。その点の忖度の文章表現の技は、見事で芸術の極みと言ってよい。岐阜新聞にはその2.1%の表示さえない。その記事の中で生徒の命の件には全く言及がない。

 

報道とは

 報道とは報せる「道」なのだ。なぜそれが起こり、だれがどういう対応をしたのか。それはどこに原因があるのか。再発防止をするためには、どうすべきか。それを報道しなくては、マスコミの道に反している。

 起きたことの事象、原因、対策を報せるのが「報道」の責任である。仏教でいう因果応報を知らせるのが報道機関の務めである。大垣市の言うままを伝達するなら、それは大垣市の「広報」で、市民のための「報道」ではない。偏らず、正しく事象を見ないと、正しい報道はできない。

 今の岐阜新聞も中日新聞も、偏向して忖度に明け暮れている。読者はそれに着目しなければ、小川市長がやりたい放題で、大垣の衰退が止まらない。

 

岐阜新聞の記事

https://www.gifu-np.co.jp/news/20180811/20180811-64914.html

中日新聞は2018年8月11日の西濃版で

 

2018-08-21  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月20日 (月)

大村智博士「私の半生記」(6/6)エピソード

サイン会

 講演が終わって拍手で大村博士の退席を待っていたら、大村博士は退席せずに演台の下の机に座ってサインを始めた。司会者が先生の著書『私の履歴書 ストックホルムへの廻り道』(日本経済新聞社刊)を受付で販売しているとのアナウンスがあったので、それで大急ぎで本を購入して、先生にサインをもらうため列に並んだ。無事、先生から本にサインをしていただき、幸せ!

 見ていると折角のサイン会なのに、著書を買ったのは10人もいなかったようだ。それでも大村博士は、子供たちのために優しい目でパンフレット等にサインをされていた。

 こんなよきご縁は滅多にないのに、本代1,600円を惜しんでそれを見逃す人が多いのには、呆れるばかり。大村博士からサインをもらった生徒たちは、今後の励みになったと思う。感謝。

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想定外

 200億円の特許料が入ったのは、大村博士がお金を稼ごうとして研究をしたわけではない。ご縁と少しの才覚の賜物である。自分の研究に熱中したら、結果として世のためのワクチンが発見でき、ノーベル賞が頂けたに過ぎないという。大村博士は、定年後はゆっくりと好きなことをして過ごしたいと思っていたが、ノーベル賞受賞後は、まるで嵐に巻き込まれたようで、現役時代より忙しいという。それが伊藤秀光氏の講演依頼を当初、断った理由のようだ。これは翌日の朝食会で伺った。

トヨタ センチュリーのご縁 

 この講演で大村先生が書をされることを知り、自著の馬場恵峰書『百尺巻頭書作選集』を贈ることを思いついて、先生が宿泊されるホテルに届けた。そこに行く途中で、大村先生がトヨタのセンチュリーから降りて大垣の料亭に入っていく姿に出くわした。後で聞くと、大垣の某企業から県会議員の伊藤秀光氏が運転手付きで借りたとか。私は前職で、そのセンチュリーのエンジン部品(ダンパープーリ)の開発に携わったことがあるので、ご縁を感じて少し嬉しくなった。

 これは2012年12月5日に大垣に行幸された天皇皇后両陛下が乗ってこられた御料車センチュリーと同じタイプである。そのセンチュリーもこの2018年にモデルチェンジされた。

63p1040198 天皇陛下の御料車の後を随行するセンチュリー 2012年12月5日 大垣市

 

ダンパープーリ的な人生

 ダンパープーリとは、エンジンのクランクシャフトの回転振動を減少させる役目を持つ。エンジンの回転を、ダンパープーリを介してポンプを回して、エアコンやパワステを作動させる役目も持つ。

 そのダンパープーリの設計で、センチュリーのダンパープーリの設計は、一般車のそれより難しい。なぜ難しいかと言えば、センチュリーの様に、後ろに座った高貴な方が乗り込まれるまで、ひたすら待って、エンジンを低速でかけたまま、待機している時間が長いためである。高速で回転している時は、ダンパープーリの負荷として条件が良く、振動も少なく、冷却の風も当たり、ダンパープーリの防振ゴムに対して負荷が少ないからだ。ところが待機中では、振動も大きく、冷却空気も少なく、ゴムに対して逆に過酷な条件になる。それがセンチュリーのエンジン用ダンパープーリの設計で難しいところ。 

 

鍛錬

 これはまるで人生の試練のようだ。30年間の鍛錬の時間あっても人生で晴れ舞台は一瞬である。その時間までひたすら過酷な練習、鍛錬をして機会を待つ。それが人生だ。晴れ舞台のほうが楽なのだ。その日のために、ひたすら鍛錬をする。鍛を千日、錬を万日として、己に厳しい修行を課す。

 宮本武蔵著『五輪書』には「鍛錬」の語源として「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす」とある。「鍛」は熱い思いを叩いて形にすること、「錬」は一つの道を練って歩くこと。「鍛」には千日(約3年)を要し、「錬」には万日(約30年)を要する。継続的な努力・精進の大切さを説いた言葉である。この鍛錬の修行を経て、大村先生はノーベル賞を授与された。

 大村博士は、昭和30年に山梨大学でスキーを始め、物事の取り組み方をスキーの横山天皇と呼ばれた先生に学び、30年の鍛錬を経て、昭和60年にヘキスト・ルセル賞(微生物学会)を受賞した。博士のエバーメクチン発見等の業績が国際的に評価された。まさに30年間の鍛錬の成果であった。

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馬場恵峰書 2011年

 

翌日のエピソード

 翌日2018年8月8日、第4回カナデノワコンクールが、大垣市スイトピアセンタの音楽堂で開催された。私はカメラマンとして会場に赴く前、朝食を大村智先生と秘書の鈴木さんとご一緒できるご縁をいただいた。大村先生には、その食事の場で自著の馬場恵峰書『五重塔が照らす智者の言霊』を贈呈した。

 先生はその本を見ながら「これでは金儲けではできませんね。これは趣味の世界ですね」と褒めて(呆れて?)頂いた。『五重塔が照らす智者の言霊』の内容は、現在、ブログで随時連載中です。先生の言葉に勇気づけられて急遽、この本の出版を早めることにした。

 大村智博士とは、馬場恵峰師の現住所が「大村」市で、作成した著書名が「智者」となにか不思議なご縁を感じ、急遽、大村博士に自著を贈呈することを思いついた。また馬場恵峰先生が、山梨の武田信玄公の四天王である馬場春信公の末裔であることもご縁であった。

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  贈呈した自著(全112頁)

 

空振りの涙

 朝食で大村先生から人生のエネルギーをいただき、その後、元気一杯で演奏会会場に向かった。会場で、大村先生とのツーショトの写真を関係者に見せて、エッへんと自慢した。しかし、分野が違うせいか、話がかみ合わず、(へーそうなの、で終わり)大落胆でした(😿)。音楽コンクールの場所では、世界的ピアニストと会食したという話題(?)でないと、自慢できないようだ。皆さん、👀をもっと世界に向けよう。

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2018-08-20  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月19日 (日)

大村智博士「私の半生記」(5/6)研究を経営

 経営とは、過去から受け継いだDNA・資産と現在持てる資産の全てを持てる全智慧を使って利益を創り、現在と未来に伝承する人が行う尊い佛行である。

 単なる金儲けは経営ではない。利益(りやく)とは、仏教用語で、仏菩薩などが衆生など他に対して与えた恵みである。この言葉から派生して、現在の利益(りえき)の言葉となった。

 以上は、私(小田)が考えた定義である。それを大村先生は忠実に実行されている。

 

経とは

 経とは、横糸と縦糸を紡ぐ機織り機の象形文字である。縦糸という歴史の時間の流れを、横糸という今の時代の「色」に合わせて布(製品)を織る。それが経営である。

 

営とは

 営とは夜の陣中に廻らすかがり火の意味である。宮は「部屋の多い家屋の意味を表す。周囲にかがり火を廻らした陣中を意味する。会社や組織は、多くの部署を持ち、営業活動をしている。経営とはその営みを表す。

 

過去の資産とは、組織の持つDNAとは

 北里柴三郎の学問研究の目的は、「全ての学問研究の目的は、学者の単一な道楽ではない。研究の結果はなるべく適切に実地に応用して国利民福を増進することにある」(結核予防協会演説 1917)と述べているように、北里研究所のDNA はこの宣言にある。それこそ縦糸の過去の資源であり、持てる資産である。未来への投資とは、後進への投資である。

 

大村博士の故郷が生んだ経営者の言葉

 「金がないから、何もできないという人間は、金があっても、何もできない人間である。」(小林一三(1873~1957) 山梨県生まれ 東京電灯・東宝を経営、宝塚歌劇団を創始)

 

 大村博士は、北里研究所で研究を経営するとは、研究のアイデアを生み出し、その実現のために資金を投入、人材育成、得られた成果を社会還元という4つが大事だ、と考えた。

 

アイデア

 アイデアは、世界の一流の研究者たちとのセミナーを500回も開催して北里研究所の研究者たちを啓蒙していた。この項と人材育成は、前項の「教育への情熱」にその詳細を述べた。大村先生は、経営者として人材育成にあたっていた。現在の日本企業の経営がパッとしないのは、欧米に比較して人材に投資していないためである。日本の経営者は口では教育は大事というが、金の使い方を見ると嘘ばかり。私の前職の会社も、それが一因で消えた。

 

アイデア実現

 アイデアの実現のためは、資金があってもそれをうまく回さないと実現できない。それが経営である。経営とは人・モノ・金・時間の運営である。

 大村博士は、北里研究所の経営が倒産の危機に瀕していることに気が付いて、その経営に大村先生は没頭することになる。自分から手を上げて副所長に就任する。自分から役職に手を挙げたのは、後にも先にもこの時だけであった。北里研究所を経営分析してで、負債が大きく倒産寸前であることを発見して、それを分かりやすく皆さんに説明して理解を得たという。

 大村先生は、自分の研究よりも、北里研究所の再建が最重要と考えたのだ。北里研究所は日本の宝である。そのために、後に引かない決意として大学教授を辞めて、副所長として経営に選任することにして、周囲を驚かした。給与はドーンと下がったという。

 元山梨大学学長の安達禎氏からは「何事も千畳敷のど真ん中でやれ」と教えられたという。

 

社会還元

 特許料で研究する学者はいるが、病院まで建てたのは、大村先生が初めてであろう。これも経営がうまくいったためで、金だけあっても病院は建たない。経営がうまくいって440床の病院が建設できた。それには社会還元するという理想があったからだ。

 現在の日本の企業が不振なのは、金を貯めるばかりで社員に還元せず、投資を行っていないためである。日本の社員の生産性が低いと言うが、単に給与が安いにすぎない。給与が安いと、計算上で付加価値額が低くなる。

 

大村博士の経営の勉強

 大村先生は、経営について独学で猛勉強をしたが、それだけでは良くわからないので、日本女子経済短期大学の井上隆司先生について、月に1回のペースで食事をしながら教えてもらったという。

 

自分を経営する

 人生では、会社経営よりも自分株式会社の経営が一番難しい。人生経営とは、自分が持つ資源を最大限に使って、自分の人生を全うすること。それが経営なのだ。自分の持てる資産を使い切らず、人生を終える人がなんと多きことか。

51p1040034  馬場恵峰書

2018-08-19  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月18日 (土)

大村智博士「私の半生記」(4/6)教育への情熱

自身の育成

 大村先生は、山梨県の農家に生まれ、風光明媚な場所で幼年期をすごされた。詩人の大岡信氏は「眺望は人を養う」と説いている。幸せな環境で育ってよかったという。また神を敬い、ご先祖を崇める精神も根付いている風土に育ったのも良かった。

 大村先生は、子供のころ、両親が農家を継がせるつもりのため農作業に厳しい時期を過ごした。小さい体でそれをこなすのは大変だったという。ノーベル賞学者のコンラート・ローレンツが「子供の時に肉体的に辛い経験を与えないと、大人になって人間的に不幸だ」と言っている。厳しい農作業のおかげで、体力も精神力も鍛えられて幸せだったという。

 「子供を不幸にするために一番簡単な方法は、いつでも、何でも、手に入るようにしてやることだ。」とフランスの思想家ルソーが言う。そういう点でも、素直に親から言われたことに従ったのがよかったようだ。

 

教師としての支援

 大村先生が夜間の定時制高校で教えていた時の話。夜間で学ぶ生徒は、仕事との両立が大変で、35人が入学しても卒業時は20人、15人と減ってしまう。それを大村先生は「とにかくこのクラス皆で卒業しよう」と絶えず声をかけて、結果として33名で卒業させた。この数値は、今までの黒田高校で一番とか。大村先生の熱意が生徒の通じたのだ。だから今でも卒業生と交流があるという。

 

若手の育成、一流の空気に触れる

 大村博士は教授になってから、若手を教育するのに、世界でトップクラスの講師を招いて北里ミクロビアル・ケミストリー・セミナーを30年間で500回も開催した。自身がスキーで山梨の国体選手にまでなり、何回も優勝までしたので、トップになるにはトップクラスの空気に触れないと、超一流になれないと感じていたからだ。米国に留学して、一流の学者たちと交流しないと、研究が一流にならないことを肌で感じていたからだ。

 

人の育成

 科学技術は大進歩を遂げたが、心の問題が置いてきぼりとなっている、と大村先生は悩まれて、人の教育には人一倍の情熱を傾けられた。大村先生は、学生の心の教育と心のヒーリングの一環として、北里病院内に絵を飾ったり、音楽会を開催されたり、美術館を作ったり、絵を購入・寄付と社会に貢献をされた。

 「芸術を楽しむことにより、情緒が高められたり、品性が陶治される。」(哲史)として、大村博士は、芸術に触れる環境を学生のために作ってきた。大村博士は、教育には特に力を入れて学生の学びの場には本物の絵を飾って、芸術に触れる環境を作った。本物という世界で一流の芸術に触れさせた。

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42p1110267_2 学生の学ぶ場に絵が飾られている。(講演スライドより)

 

大垣との比較

 大垣の音楽関係のボランティア活動では、「世界で一流の音楽を楽しむ会」で、世界で一流の音楽家を招いて、子供たちに「足ながチケット」を無料で贈って、音楽会に招待している。子供たちに超一流の音楽を触れさせて、子供の音楽への情操教育の一環としたいためだ。有志が大垣市内の企業に協賛金をお願いするため走り回って、この会を運営している。

 2017年9月29日は世界のトップチェリストのTIMM をドイツから招いて、その音楽会に120人の子供たちを大垣音の楽堂に招待した。今年2018年9月17日は、世界的ピアニスト、サラ・ビュクナーの演奏で、同じく子供たちを120名招待する演奏会が計画されている。私はそのカメラマン役で忙しい。サラ・ビュクナーのコンサートがこの前の9月に、京都で5回連続で開催されるので、事前調査で私は大忙しである。

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 2017年9月29日 TIMMを招聘して「足長コンサート」。子供達120名を招待。

45dsc08858 サラ・ディビスのコンサート 2018年5月29日 多治見市でのコンサートで

  私の事前調査、撮影  

 

大垣市政の芸術への冷淡さ

 小川市長は、こういう芸術教育活動や子供の教育環境向上には金を出し渋る。それでいて愚劣な大垣市制100周年記念行事には3億円余も散財である。それも会計報告もなしに。根本の問題は、小川敏市長には芸術への理解がないから。そしてわずか2週間の命の愚行「水まんじゅうギネス記録」に血税900万円もかける。何が「子育て日本一を目指す」なのか、お笑いである。

 子供たちには、芸術に触れさせる教育が必要なのだ。小川市長はそれがわからない。だからギネス毒水饅頭を食べて、痴呆的に笑い転げる様を晒す。

 

大村博士の意向

 大村博士は、伊藤秀光氏が大垣講演を頼んでもなかなか受けなかったという。伊藤氏が山梨の倫理法人会を通して、やっと講演会を引き受けて頂いたという。その時、大村博士は、子供達に話をするなら、という条件で引き受けられた。それで今回、約100名の生徒達を招待しての講演会である。座席も会場の中央部を生徒達のために空けて用意をした。

 

小川敏大垣市長の血迷い?

 何を血迷ったか、大垣倫理法人会の顧問である小川敏市長が、講演前に祝辞を述べた。その時間わずか1分24秒。時間が短かすぎて、その話には内容がなかった。司会者が「多くの祝辞を頂いていますが、大村先生の講演時間を多く取りたいので割愛します」とした。それに割込ませたのは、小川敏市長への忖度である。聴衆は市長の挨拶を聞くために来たのではない。

 

人生の経済ロス

 市長の話は、たった1分24秒間で、単に自分が3回も全国市長会で話を聞いて感動したという自慢話であった。その挨拶で、市長紹介を含めて約2分間を無駄にした。一人1分100円の時間コストとして、400人の聴衆で合計80,000円のロスである。無駄な挨拶はないほうが良い。挨拶である以上は、付加価値を生まないと意味がない。それは講演会の情熱を削ぎ、大きいロスとなった。

 

倫理に反する

 倫理とは人としてあるべき姿の追求である。道徳の追求である。市長の割り込み挨拶はその道から外れている。講演会の市長挨拶は、売名行為である。顧問という立場なら、身内の行事に祝辞を口上は倫理に反している。顧問という立場なら、他の役員のように脇に座るべきである。それを生徒達が座るエリアのど真ん中に座った。会場中央部は、大村博士の意向で子供達のために空けていた。

 私は、小川敏氏が倫理法人会の顧問であることを今回初めて知った。今まで、市長がこの会の講演会に参加したことを見たことがなかった。

 

大村先生は実践躬行、小川市長は言うだけ番長

 大村博士は教育、芸術、実践、縁の大事さを講演会で説かれた。それを「実践躬行」という信条で表現された。小川市長は、その話を過去に3回も聞き、「今までで一番感動した講話」と持ち上げた。

 しかし小川敏市長は、大村先生の説かれる実践躬行を理解できないようだ。大垣市政では節約ばかりで、大垣の子供への教育をないがしろにして、芸術にも理解がなく、実践がなく、ご縁を大事にしない。未来を背負う子供の教育に、もっと力を入れて欲しいが、私の願いである。

 

小川敏氏の精神分析と学び

 小川敏氏を精神分析すると、自己顕示欲が強いので、行事では何か言わなくては収まらない。人の話を聞かず、自尊心だけは高いので、間違ってもその修正をしない。その演説をぶった分だけ、聴衆の時間の無駄。大垣の不幸である。

 今回の大村博士の講演を聞いて、実践の人と言うだけの大垣市長との差を見ることができた。今の状況では大垣市の子供に科学技術の心は育たない。子供の育成には、トップの姿勢が一番大事なのだ。それを大村博士の講演で学んだ。

 

小学校エアコンの事例

 大垣市議会の自民クラブと市民運動での陳情書からの突き上げで、県下最低の周回遅れで、2018年8月10日、大垣市長はやっと小学校にエアコン導入計画を声明した。大垣市長は、人から言われないと実行しない。小川市長の言動は、実践躬行と大きな乖離がある。大村博士の講演から何を学んだのか。これでは子供達は「未来に羽ばたく大垣」に貢献できまい。

当に心を以て字無きの書を読むべし。乃ち洞して自得する有らん。

 字面に捉われず心眼を開いて社会の実相を読め、必ず自らに資する何ものかが見えてくるであろう。(佐藤一斎 言志四録  後録138)

 

2018-08-18  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月17日 (金)

大村智博士講演「私の半生記」(3/6)ご縁

学校は出たけれど

 大村先生が卒業の1958年は、不況の真っ只中で就職口がなく、何とか東京都の夜間定時制高校の教師になった。その競争率は30倍の難関であった。その学校では、中小企業に勤めている子が、仕事のため夜に遅刻しながらも学校に通ってくる。ある試験の日、遅れてきた学生が、まだ手に油汚れがある手で試験問題に取り組んでいる姿を見て、大村先生は、自分の怠慢さを反省して、大学院で再度勉強をしようと決心された。そんなご縁を作ってくれた夜間定時制高校の学生達である。

 

路頭に迷う

 山梨大学で研究生活を送っていた時、東京理科大学で助教授の口があるというので、山梨大学の助手を辞めたら、東京理科大学の助教授が予定通り転出できなくなり、その口が無くなってしまった。しまったと思っても後の祭りで、先生には大失敗であった。そうしているうち、北里研究所で新卒の募集があるというので、採用試験を受けることにした。大学を卒業して7年がたっていたが、何とか2名の枠に入ることができたという。それが無ければ、細菌学の研究には入らなかったかもしれない。そうすればノーベル賞にも縁がなかっただろう。何が幸いするやら。ご縁の不思議さである。

 

人生の分かれ道

 1971年、大村先生は米国ウエストレーヤン大学に、客員研究教授として留学する。その留学先の選定に当たり、5カ所に手紙を書き、留学先を検討した。結果として提示された中で一番年間給与が安く、給与が他の半額程度のウエストレーヤン大学を選ぶことになる。その理由を、大村先生は、電報ですぐ応じてくれたし、先に米国旅行の時、「大人物だな」との印象を受けて人間的な魅力を感じたと思ったのが、決め手となった。「給与が低い分、何か別にいいことがあるのではないか」とも思ったという。妻が「給与が一番いいところにしましょう」と言うのに従わずに決めた。

 それが将来の大村先生の進路に影響することになる。正に運命の分かれ道であった。大村先生は目先の利益に囚われず、素直なご縁を選んだ。

 

大村先生の廻り道

 大村博士が、ご縁を大切にするという姿勢で、結果として、夜間の定時制高校の先生や、山梨大学で助手の研究生活をして、人生の回り道というべき道を歩まれながら、同期よりも7年も遅れて新卒として北里研究所に入所して、技師補から出発して、今の研究成果を上げられたのは、奇跡のような経緯である。

 北里研究所への入社試験合格もはたから見れば、奇跡のような出来事であった。なにせ大学卒業後、7年目での就職試験である。世に出る人は、なにか神仏のご加護があるように感じる。

 

阿弥陀仏のご加護

 大村智先生の御尊父は、地元の願成寺の阿弥陀三尊像を守った功徳がある。地元の願成寺は武田氏の祖・武田信義公の菩提寺である。武田信義公から16代目が武田信玄である。

 その寺が明治時代の廃仏毀釈の影響ですっかり寂れてしまい、尊父が青年時代に、檀家総代や村の長老たちが寺の運営費をねん出するため、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来像と脇尊の観世音菩薩像、勢至菩薩像)の売却を決めてしまったという。この仏像は平安時代末期の作で、ヒノキ材寄せ木造りの貴重な作品である。尊父はそれを聞いて、尊父が中心になり、村の青年たちで売却反対運動をして、それが功を奏して仏像は寺に残ることになった。その仏像は1939年には国宝に指定された。尊父が最も自慢にしている出来事という。

 その後、大村先生の慶事の折などは、尊父は「阿弥陀さんのおかげだ」とよく言っていたという。大村先生は、尊父の影響で歴史好きになり、そこにロマンを感じるようになったという。

31img_4413   馬場恵峰書 2012年

 

2018-08-17  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月16日 (木)

大村智博士講演「私の半生記」(2/6) 座右銘

人真似はしない

事例1 スキーで攻める

 大村先生は山梨大学時代、スキーに熱中して、指導の横山隆策先生(横山天皇、伝説のスキーヤーと呼ばれた方)から薫陶をうけた。当時、新潟にいた横山先生は、当時の最強の北海道のチームからいろいろと教えてもらうのだが、なかなか勝てる様にならない。それで「北海道の真似をするのはやめよう」と決断して独自の練習方法に切り替え、みんなで話し合い、工夫を重ねることで、勝てるようになったという。スキーは力があれば勝てるわけではない。頭を使わないと勝てない。

 その結果として大村先生は、多くのスキー大会で優勝をされている。同時に、大学の単位も同級生の中では一番多く取られている。

 これは研究や全ての分野にも通じることで、まずレベルの高い人たちの中に入らないとダメである。その上で、真似事だけでは絶対にダメで、独自の方法を取り入れて、初めて相手を超えられる。後に大村先生が研究室を主宰するようになってからは、自分のコピー人間は作らないように心がけたという。

 

事例2 ゴルフを攻める

 大村先生は、北里大学の教授になったころ、仕事のやりすぎで体調を崩し、医師からパチンコでもゴルフでもして気を休めなさいと指示された。大学教授なのでパチンコというわけにもいかず、ゴルフを始められた。素晴らしいのは5年でシングルのハンディになるという目標を立てられたこと。

 普通の人は練習をしてコースに出て腕を上げるのだが、大村先生は、事前の練習はしない。その代わりコースに出た後に、必ず当日の反省をしながら練習をされた。それで目標通り、ハンディ18でスタートして、5年後にハンディ5の腕になった。これは参考になる秘伝である。人と同じことをやっていては、進歩がない。大村先生の取り組みは理詰めである。

 

座右の銘「実践躬行」

 言うだけでは誰も信用しない。大村博士は実行が大事だと「実践躬行」を座右の銘にされている。「実践躬行」とは、理論や信条などを、自身の力で実際に踏み行うこと。「躬」は自ら、自分での意。

 当時、北里研究所は倒産寸前の財務状態であったという。それで北里研究所の経営を立て直すため、大村博士は手を上げて、副所長に立候補して、教授職を捨てて、背水の陣で、自分を追い込んで経営に没頭された。しかし副所長になると教授職より給与が下がるのだ。それをあえて、経営学、財務を独学で学んで、経営者として北里研究所の経営にあたり、経営を正常化させた。大村博士は単なる学者ではなく、名経営者である。

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 講演会でのスライドで

 

座右の銘「一期一会」と師

 大村博士は師の大事さを、母親と道元禅師の言葉を引用されて説明された。教えを受けた人、支援を頂いた人とのご縁を大事にする姿勢「一期一会」が、科学技術の発展に不可欠という。

 大村博士は、祖母の影響を強く受けているという。祖母からは「人の振り見て我が振り直せ」「情けは人のためならず、巡りめぐって己がため」が一番大切だと繰り返し教えられたという。

 大村博士の母親は小学校の教師で、母からも多くを学んだという。「教師の資格は自分自身が進歩していること。」(母(文子)の日記帳より)と並みの母親ではない。

「正師を得ざれば、学ばざるに如かず」曹洞宗開祖 道元禅師「学道用心集」

 大村博士は、今ある自分は、師との出会いとその導きだと回顧されている。その師との出会いを一期一会で大事にされて、今の実績を作られた。

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 馬場恵峰書 私の自宅で

 

三年かけても師を探せ

 それと同じことを、私は馬場恵峰先生に揮毫していただいた「3年かけても師を探せ」で感じている。私が自分の半生を振り返ると、テクニカルライティングで、日本の第一人者・篠田義明先生に出会い学び、そのご縁で世界的権威のスチブンソン教授、マセイズ教授(ミシガン大学)に直接、教鞭を頂いたことは、何事にも代えがたいこと。おかげで思うことが思うように書ける技(テクニカルライティング)を手に入れた。同じレベルの教鞭を後藤悦夫先生にもいただいた。これもご縁がご縁を呼んだ例である。

 私は55歳に馬場恵峰先生に出会い、人生を考える道を教えていただいている。

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 馬場恵峰書

 

不動心

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 講演会でのスライドで

 私は大村先生の講演スライドで先生の実家に掛けられた書を見て、少し嬉しくなった。「不動心」の書は清水公照(東大寺別当)、「生きる」松原泰道師の書である。私の師の馬場恵峰師と同じ傾向の書を掲げておられからだ。

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 馬場恵峰書

 2018-08-16  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月15日 (水)

大村智博士講演「私の半生記」(1/6)

 2018年8月7日、大垣市のソフトピアジャパンにて大村智先生の講演会が開催された。約400人弱の聴衆が聞き入った。招待された生徒・学生も約100名が熱心に聴講した。

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大村博士の「生きる心得」

 大村智先生は、講演の最後に先生の「生きる心得」を公開された。その心得の中心に趣味を位置づけた。それを生かすためには、健康であらねばならぬ、それを通じて社会貢献(研究開発)をしたい、趣味こそ一期一会で得られるご縁である。つまり健康管理・一期一会・研究推進の3つのバランスの中で生きるが、大村先生の生きる心得であるという。

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 大村先生の生きる心得を考えると、私は、その中心を「好続」としたい。それに取り組んで、「好きで一生続けられるもの」である。それは仕事でも研究でも、芸術でも何でもよい。大村先生はそれを趣味と名付けた。私は趣味では、軽い気がして、すこし抵抗がある。それを想うと、福沢諭吉翁の「世の中で一番」という言葉に通じる。やはり日本人には、生きるとは仕事をすることと思う。よく聴けば、大村先生の趣味は研究のようである。

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 馬場恵峰書

 

ワクチンで世界に貢献

 アフリカを中心に世界36か国で、オンコセルカ症が蔓延し、世界で1億2千万人を超える人たちが感染の危機にさらされている。1987年当時、その病気での失明患者は77万人も達していた。アフリカでは、この病気で一家に一人くらいの失明者がいて、アフリカが貧困から抜け出せない一因となっていた。それが、大村博士が開発したワクチン・イベルメクチンで劇的にオンコセルカ症を撲滅できた。

 大村博士が開発したイベルメクチンは、米メルクと北里研究所からの無償提供により、年間2億3千万人に投与されている。これまでの総合計額では4千億円と概算されている。ワクチンは無償だが、ビルゲイツが、ワクチンの配布の費用を支援した。それでビルゲイツとご縁ができたという。人への投与は無償でしたが、家畜へのワクチン販売で稼いだ。この功績で大村博士はノーベル賞が授与された。

 

特許契約で経営者の才覚を発揮

 米メルク社から、大村博士が開発したイベルメクチンの特許全ての権利を3億円で買い取るという提案がされた。北里研究所の担当理事も3億円をもらうべきと意見であった。3億円あれば、先生の定年までの研究費はすべて賄える。しかし大村博士は強固に反対し、売り上げに応じた特許料支払いの契約にされた。結果として当初の提示された3億円が、20年間で200億円の特許料収入となり、北里病院の建設等で多大の成果が上がった。特許収入で研究をする学者は多いが、病院まで建てた学者は、大村先生くらいだという。

 敵もさるもの。欧米の企業は、すぐ相手の足元を見て騙そうとする。騙されるほうが馬鹿なのだ。そうとは先生は言わなかったが、これは私の意見です。さすが智慧のある先生である。

 オンコセルカ症に対する開発ワクチン・イベルメクチンは、20年間、メルク社の売り上げ1位の商品になった。今までの売上総額が3兆円を超え、その特許収入が200億円を超えている。

 

2018-08-15  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月14日 (火)

狭き薄氷の道を走る

人生道を走るとは、左の地獄谷、右の炎の地獄、陰に鬼が潜む魑魅魍魎の狭き道を、白氷を踏むが如く我慢して慎重に走る修行である。

 

堤防上道路の死亡事故

 2018年8月10日、運転者講習センターで自動車免許更新を受けた。その安全運転講話の中で、堤防上道路の走行を避けよとの注意があった。

 岐阜県全体では死亡事故が減っているのに、岐阜三大河川の堤防上の道路での死亡事故が増えている。それは正面衝突事故での死亡事故だ。堤防上の道路のため、左側は堤防下の断崖、右側はセンタラインだけの区切り。対向車線の車も左側は堤防下の断崖で同じ状況である。ハンドル操作を少し間違えれば、センタラインを超えて、対向車線の車と正面衝突か崖下に転落である。それは即死亡事故につながる。だから警察は、堤防上道路のスピード違反取締、白バイの巡回等で、取り締まりを強化している。知人に聞いても、白バイが頻繁に目に付くとか。

 

人生道での暴走

 それは人生道でも同じ。金儲けや欲望に身を任せて暴走すると、地獄が口を開けて待っている。少し誘惑に負けて道を誤ると、地獄に真っ逆さま。中央の白氷の道を滑らず、焦らず、人の矩を守り慎重に進め、である。

 

認知症患者と遭遇

 私が白いカッターシャツ姿で運転者更新センターに行ったため、待合室で待っていた初老の人から事務職員と間違えられて質問を受けた。曰く「私には免許証が二枚あるが、どうしたらよいか?」。

 それをよくよく見たら、5年前に失効して2つの穴が開けられた旧の免許証であった。その人はその認識ができなかった。なおかつ、その人は70歳以上で9時半からの受付である。それが8時に待合室に来て待っていた。どう見ても、認知症の疑いがある。そんな危ない人が運転している時代である。

 認知症患者が、高速道路での逆走、堤防上道路のハンドル操作ミスで、正面衝突してくる時代である。そういう危ない危険性のある道は、避けるのが安全運転での基本である。

 

老いの落胆

 私は講習を聞いて泣けた。70歳以上の免許更新者は、運転免許更新センターに来る前に、自動車学校で3時間の講習・実車講習、認知症試験が必要と法律が改正された。今回、私は優良運転手で、30分間の講習だけで、運転免許が更新できた。しかし私も5年後の免許更新では、いくら無事故無違反でも、自動車学校で講習と認知症試験を受けねばならぬ。

 現在92歳の馬場恵峰先生は、95歳まで運転免許が保証されたとかで、呆れるばかりの元気さである。それにあやかって、私も頑張ろうと思う。励みになる師を持つことは良いことだ。

 

危険性の検証走行

 私もほんの20年ほど前までは、三河から大垣の実家に帰る時、桑名と大垣間を通行するのに、この堤防上の道路を頻繁に走っていた。内緒の話だが、当然スピード超過での走行である。30キロほどの区間であるが、その間、信号機が5基くらいしかなく、見通しもよく、快適に飛ばせるのである。

 免許更新の2日後、2018年8月12日、20年ぶりにその危険性の検証のためこの堤防上道路を走って、その恐ろしさを再確認した。堤防上の道路は狭く、左右に逃げ道がなく、それでも皆さんがそろって飛ばしている。一部の区間は、センタラインもない。大型のトラックとの高速でのすれ違い時はヒヤッとする。

 自分の命を守るためには、危険な道は走らない、これが鉄則である。今は幽霊のような認知症患者が、道路上をさ迷っている。それは人生道上でも同じ。目を見開いて、より安全な道を選択して走るべし。

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 揖斐川堤防上の道路

 

地獄へのお誘い

 その昔の27年前、母が倒れてから、週に2,3度の頻度で母を見舞うため、この堤防上の道路を深夜、高速で走行して大垣市民病院に通った。その途上で、少しハンドルを横に切れば楽に死ねるのにと思ったことが度々ある。地獄はあの世にはない、この世が地獄なのだ。その思いを踏み止まらせてくれるのは、親への感謝であった。自分の命を全うするのが、最大の親孝行である。

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  馬場恵峰書

 

2018-08-14  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月13日 (月)

リンゴ🍎を見て我がふり直せ

隣誤を見て我がふり直せ

美味しいリンゴには毒がある

 今までiPadを写真の閲覧専用に快適に使っていたが、訣別する決断をした。確かにiPadだけの世界なら快適なのだが、Windows PCとのデータの連携では、イライラが極度に高じて、訣別の顛末となった。私はiPadをNECのノートPC(タブレットにもなる。SSD版)に切り替えた。快適である。

 

iPadと別れた理由

頑固さ

 最近、iPadに写真データを転送するのに、手間が増えた。私が所有するカメラ機種の種類が増え、データ容量も増えたためである。iPadの能力・機能がそれに追いついてこない。写真はまだしも、ビデオデータは変換しなければ使えない。さらに大きな問題は、iPadの設計思想が頑固で融通性がないのだ。

 

課金の問題

 iPad を1年ほど使って、クラウドメモリー容量が足りなくなり、「クラウドの容量が足りません。容量を増やしてください」との警告が頻繁に出るようになった。私はクラウドメモリーを実質的に使っていないのに、一方的に、「バックアップのクラウド容量が足りません、増やしてください」である。それにはお金がかかる。一度だけの出費なら許せるが、毎月、永遠に使用料を払わねばならぬ。アップルはクラウドの使用料の課金で、金を稼ぐ商売である。私はiPad内臓メモリでやりくりしているので、クラウドの課金の余分のお金を使いたくない。

 しかしiPad ではUSB経由の外付けHDが使えない。アップルはクラウドを使用させて、使用料を払えである。

 

ディレクトリの分類方法の意見の相違

 写真を自分の考え方で分類をしたいが、iPadのディレクトリの管理では、私のおもう通りに行かず、勝手に並べ替えをされてしまう。イライラである。

 

性能の問題

 iPad の128G内臓メモリ機種でも、使用メモリが90Gを超えると動きが不安定になる。それは他社のWindowsノートパソコンでも同じようであるが、Windows PCは拡張できるので、対策は可能だ。しかしiPadは拡張ができない。外付けの汎用的なUSB ハードディスクが使えないので、クラウドを使えと強制される。私は基本的にクラウドを使いたくない。アップルは、クラウドを使わして、その課金で稼ぐ商売である。

 

共通性の問題

 独自世界というのは、他との協調を拒否する。iPadに入れて編集したデータは、クラウド経由でないと取り出せない。写真データも勝手に変換され、Windows PCに戻せない。

 

会社の理念の有無の問題

 アップルは、大企業になり傲慢になっている。アップルは、日本の中小企業が独自開発した技術を他社に横流して、部品を安くする手口をとっている。値引きを強要、リベート要求で下請けいじめをしている。その根本原因は、アップルには経営理念がないからだ。経営理念はなく、自分のビジョン(欲望)達成のためには、人を押しのけてでも、ビジョン実現のためには手段を選ばずという傲慢さを垣間見る。理念とは、欲望を制御する錦の御旗なのだ。企業に経営理念がないと、社員は野獣となる。確かに頭脳を集約すれば、世界一にはなれる。その事例をオウム真理教の暴走が示してくれた。頭脳だけで、本当に人が幸せになれるのか。アップルは、道具を開発、販売して金もうけで世界一になったに過ぎない。

 スティーブ・ジョブズは技術開発の面では天才で、かつ禅や東洋思想に理解があり、金儲けばかりの人間ではないのだが、会社に経営理念を作らなかったのが、最大の失敗である。世のためにという経営理念があれば、そんなに早く世を去らなくてもすんだのにと残念に思う。

 

何のために技術開発か

 アップルが作ったスマホにかじりついてフェイスブックやゲームに洗脳され、iPodで音楽を聞くため、オウム真理教徒がヘッドギアを被る様にイヤホンで洗脳されて、じっくりと考える時間を奪われた。それで人は本当に幸せになったのか。

 

下請けいじめ

 特許侵害、技術の横流し被害を受けた日本の島野製作所は、アップルの横暴に業を煮やして100億円の損害賠償の訴訟を起こした。アップルも、CEOが技術の求道者のジョブズから調達担当で辣腕を振るったティム・クックに変わってから横暴な企業に変貌したのが原因だ。アップルは、独自の世界で囲い込みをしている。協力会社も消耗品扱いで、会社を共の発展させる協業の仲間とは思っていないようだ。何のために会社は存在するのか。

 

理系と文系

 アップルPCは芸術家に多く愛用されている。しかし芸術家と同じように事務処理は苦手のようだ。事務処理はマイクロソフトPCが優れている。アップルは文系で、マイクロソフトは理系なのだ。私は理系の人間である。私は、理系の人間である前に、信義を重んじる人間でありたい。それが訣別の決め手であった。

 

隣誤の教え

 たかがアップルの金儲けビジョン(欲望)に振り回されることはない。製品には企業、創業者の理念や思想が反映される。経営理念が間違っている企業の製品とは、距離を置きたい。

 アップルにはその経営理念がない。いくら売り上げが莫大で、世界最大の資産価値の企業でも、それが人の道の反した行動をするなら、その製品は使いたくない。その企業のトップの思想は、製品、売り方、行政等の全てに現れる。同じような例は、フォルクスワーゲンの排ガス不正にも見られる。

 「人のふり見てわが身を直せ」と古人は言う。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」も人の道の教えである。隣の国のアップル(隣誤)は、グローバル経済主義教・拝金主義教に侵され、人の道を誤っていることを教えてくれる。いくらIT業界を制覇した企業でも、金儲け一本道を歩む輩とは縁を切りたい。

 

ご先祖様が目を剥く

 スティーブ・ジョブズは『テクノロジーを介して何百万人もの人の生活を変える』-improve the lives of millions of people through technology-とのビジョンで、アップルを大きくした。『必要なのは共通のビジョン、それを提供するのがリーダーシップだ。』-What they need is common vision and that is what leadership is.(1984年)-としてジョブズは社員を鼓舞して、新しい技術を開発して、世に広めて大成功した。

 しかし、それが本当に世のためになったのだろうか。ポケモンGOで巷をさ迷っている輩や、電車内でスマホのゲームに熱中している若者を見ると、とてもそうは思えない。技術開発に没頭して、原爆という鬼子を産みだした技術者の陰をアップルに見る。

 久々にお盆で此岸に帰ってきたご先祖様は、護国神社の周りをポケモンGOで幽霊のように徘徊する若者を見て、彼岸と此岸の区別がつかない世に目を丸くしている。毒リンゴを食べて夢遊病のようになったお姫様を助ける王子様の出現を待ちたい。美味しいリンゴには毒がある。

 

2018-08-13  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月12日 (日)

第五段 生

生とは天からの授かりもの。生あるもの死は必然である。五段の「生」から四段、三段とカウントダウンをして第一段の「死」に向かう。カウントダウンの音が聞こえる中、我々は何を為すべきか。何を残すべきか

Photo_3  馬場恵峰書 五重塔の前面の和歌

 

生あるものの証し

 生あるものと、そうでないものの違いは何か。それは実践の有無である。実践できなかったら、それは生の状態ではなく、生き永らえているだけで、死を待っていると同じである。生きている以上は、生きて活動せねば、命を恵んでくれたご先祖に申し訳ない。

 病気、事故、祟りは、ご先祖の霊魂が子孫を想い、早く気づいて欲しいとのメッセージである。ご先祖が、かわいい子孫を虐めるわけがない。霊魂は自分では実行できないので、病気や事故で、早く気づいてほしい、己の代わりに実行して欲しいとメッセージを出している。己に降りかかる吉凶の現象を、ご先祖(神仏)のメッセージとして考えるのが、宗教である。宗教とは、己の宗家の元なる教えである。それは畜生にはできない人間だけの尊い祈りである。

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己を殺す死神

 できなかったのではない。やらなかったのだ。己の内なる守り神がやれると言っているのに、内なるもう一人の己が反対しただけだ。その一人の己とは、人生を殺す死神である。やることをやらないと、神仏は容赦なく、その人からやる能力を奪ってしまう。やらないと、できない理由が次から次と出てきて、できないという思い込みの洗脳教育を己に課す。それで一人の認知症患者が生まれる。己の死である。己の内なる死神に殺されたのだ。やらないという「選択」をしたのだ。誰のせいでもない。

 まず一歩を踏み出そう。千里の道も一歩から。それが「為せば成る 為さねばならぬ 成らぬ業を 成らぬと捨てる 人のはかなき」だ。

 

生きているから焦る

 下記は馬場恵峰書で、「せ」の踊るような優美な字体に一目ぼれで入手した。生きているから「焦る」のだ。どうせ、いつかは死ぬ運命。焦らず、一歩一歩、生きた証を残すことで、千里の道を歩いていきたい。余命40年(?)の残り少ない人生を大事に生きていきたい。

 漢字「焦」の上部は、多くの小鳥が集まった状態を表す象形文字である。その小鳥を下から火で炙るの意味である。小鳥とは己の雑多な欲望である。それを全て満たしたいと思うから、焦るのだ。

 希望を持ち実践するから、生きている。何もせず、棚ぼたを待つだけなら「死」も同然である。だからオダ仏教の教祖は焦って忙しい。

 

「南無阿オダ仏」

 私のオダ仏教のご真言は「南無阿オダ仏」である。真言宗の真言「南無阿弥陀仏」の「南無」とは梵語の音訳で、敬礼の意味で、帰依します、全てをお任せします、の意味である。「阿」は接頭語で敬称。「弥陀仏」は西方浄土の仏さまの名前である。

 私の真言「南無阿オダ仏」とは、自分の内なる声に従って行動します、である。豊田さんなら「南無阿豊田仏」である。自分の内なる仏を信じなくて、誰を信じるのか。変な新興宗教に走るから、人生を誤る。人生で迷っても、内なる声に耳を傾ければ、ご先祖様が、黙って導いてくださる。自分とは、この世でご先祖を代表して生きている存在である。自分はご先祖の希望を実践する執行役員である。そう自覚できれば、認知症などに罹っている暇はない。

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2018-08-12  久志能幾研究所 小田泰仙  

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