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2018年8月20日 (月)

大村智博士「私の半生記」(6/6)エピソード

サイン会

 講演が終わって拍手で大村博士の退席を待っていたら、大村博士は退席せずに演台の下の机に座ってサインを始めた。司会者が先生の著書『私の履歴書 ストックホルムへの廻り道』(日本経済新聞社刊)を受付で販売しているとのアナウンスがあったので、それで大急ぎで本を購入して、先生にサインをもらうため列に並んだ。無事、先生から本にサインをしていただき、幸せ!

 見ていると折角のサイン会なのに、著書を買ったのは10人もいなかったようだ。それでも大村博士は、子供たちのために優しい目でパンフレット等にサインをされていた。

 こんなよきご縁は滅多にないのに、本代1,600円を惜しんでそれを見逃す人が多いのには、呆れるばかり。大村博士からサインをもらった生徒たちは、今後の励みになったと思う。感謝。

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想定外

 200億円の特許料が入ったのは、大村博士がお金を稼ごうとして研究をしたわけではない。ご縁と少しの才覚の賜物である。自分の研究に熱中したら、結果として世のためのワクチンが発見でき、ノーベル賞が頂けたに過ぎないという。大村博士は、定年後はゆっくりと好きなことをして過ごしたいと思っていたが、ノーベル賞受賞後は、まるで嵐に巻き込まれたようで、現役時代より忙しいという。それが伊藤秀光氏の講演依頼を当初、断った理由のようだ。これは翌日の朝食会で伺った。

トヨタ センチュリーのご縁 

 この講演で大村先生が書をされることを知り、自著の馬場恵峰書『百尺巻頭書作選集』を贈ることを思いついて、先生が宿泊されるホテルに届けた。そこに行く途中で、大村先生がトヨタのセンチュリーから降りて大垣の料亭に入っていく姿に出くわした。後で聞くと、大垣の某企業から県会議員の伊藤秀光氏が運転手付きで借りたとか。私は前職で、そのセンチュリーのエンジン部品(ダンパープーリ)の開発に携わったことがあるので、ご縁を感じて少し嬉しくなった。

 これは2012年12月5日に大垣に行幸された天皇皇后両陛下が乗ってこられた御料車センチュリーと同じタイプである。そのセンチュリーもこの2018年にモデルチェンジされた。

63p1040198 天皇陛下の御料車の後を随行するセンチュリー 2012年12月5日 大垣市

 

ダンパープーリ的な人生

 ダンパープーリとは、エンジンのクランクシャフトの回転振動を減少させる役目を持つ。エンジンの回転を、ダンパープーリを介してポンプを回して、エアコンやパワステを作動させる役目も持つ。

 そのダンパープーリの設計で、センチュリーのダンパープーリの設計は、一般車のそれより難しい。なぜ難しいかと言えば、センチュリーの様に、後ろに座った高貴な方が乗り込まれるまで、ひたすら待って、エンジンを低速でかけたまま、待機している時間が長いためである。高速で回転している時は、ダンパープーリの負荷として条件が良く、振動も少なく、冷却の風も当たり、ダンパープーリの防振ゴムに対して負荷が少ないからだ。ところが待機中では、振動も大きく、冷却空気も少なく、ゴムに対して逆に過酷な条件になる。それがセンチュリーのエンジン用ダンパープーリの設計で難しいところ。 

 

鍛錬

 これはまるで人生の試練のようだ。30年間の鍛錬の時間あっても人生で晴れ舞台は一瞬である。その時間までひたすら過酷な練習、鍛錬をして機会を待つ。それが人生だ。晴れ舞台のほうが楽なのだ。その日のために、ひたすら鍛錬をする。鍛を千日、錬を万日として、己に厳しい修行を課す。

 宮本武蔵著『五輪書』には「鍛錬」の語源として「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす」とある。「鍛」は熱い思いを叩いて形にすること、「錬」は一つの道を練って歩くこと。「鍛」には千日(約3年)を要し、「錬」には万日(約30年)を要する。継続的な努力・精進の大切さを説いた言葉である。この鍛錬の修行を経て、大村先生はノーベル賞を授与された。

 大村博士は、昭和30年に山梨大学でスキーを始め、物事の取り組み方をスキーの横山天皇と呼ばれた先生に学び、30年の鍛錬を経て、昭和60年にヘキスト・ルセル賞(微生物学会)を受賞した。博士のエバーメクチン発見等の業績が国際的に評価された。まさに30年間の鍛錬の成果であった。

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馬場恵峰書 2011年

 

翌日のエピソード

 翌日2018年8月8日、第4回カナデノワコンクールが、大垣市スイトピアセンタの音楽堂で開催された。私はカメラマンとして会場に赴く前、朝食を大村智先生と秘書の鈴木さんとご一緒できるご縁をいただいた。大村先生には、その食事の場で自著の馬場恵峰書『五重塔が照らす智者の言霊』を贈呈した。

 先生はその本を見ながら「これでは金儲けではできませんね。これは趣味の世界ですね」と褒めて(呆れて?)頂いた。『五重塔が照らす智者の言霊』の内容は、現在、ブログで随時連載中です。先生の言葉に勇気づけられて急遽、この本の出版を早めることにした。

 大村智博士とは、馬場恵峰師の現住所が「大村」市で、作成した著書名が「智者」となにか不思議なご縁を感じ、急遽、大村博士に自著を贈呈することを思いついた。また馬場恵峰先生が、山梨の武田信玄公の四天王である馬場春信公の末裔であることもご縁であった。

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  贈呈した自著(全112頁)

 

空振りの涙

 朝食で大村先生から人生のエネルギーをいただき、その後、元気一杯で演奏会会場に向かった。会場で、大村先生とのツーショトの写真を関係者に見せて、エッへんと自慢した。しかし、分野が違うせいか、話がかみ合わず、(へーそうなの、で終わり)大落胆でした(😿)。音楽コンクールの場所では、世界的ピアニストと会食したという話題(?)でないと、自慢できないようだ。皆さん、👀をもっと世界に向けよう。

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2018-08-20  久志能幾研究所 小田泰仙  

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