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2018年8月21日 (火)

オウム真理教の広報部長と同じ手法

 行政はサービス業である。それも人の命を預かる尊い仕事である。それを言われてからやるなら、素人にも政治はできる。それは、職務怠慢、無能である。

 地方行政の事象を報道するには、報せる道がある。それが行政に忖度するようでは、「道」から外れた外道と言える。岐阜新聞も中日新聞も、オウム真理教広報部長の上祐元被告と同じ手法で報道している。

 

 

経緯

 2018年6月11日の大垣市議会一般質問で、岡田まさあき議員が小学校エアコン導入に関する質問をした。小川敏市長は木で鼻をくくったような回答で「検討します」として回答を濁し、6月29日までの国への来年度エアコン助成金申請をしなかった。つまり3週間後に、来年度のエアコン導入なしを決定した。

 その舌の根が乾かないうちの8月10日になって、自民クラブからの突き上げを食らって小川敏市長が「私もエアコン設置の必要は感じている。できれば来年度内に設置を完了したい」というのは、支離滅裂である。

 

経営はスピード

 スピードこそが経営の成否を決める大きな要因である。2018年7月17日に豊田市の小学校生徒が熱中症で死亡してから、豊田市は翌日の7月18日に、エアコン設備の早出しを決めた。しかし、小川敏大垣市長は、事件の24日後の8月10日に、自民クラブ13名と市民運動の嘆願書で突き上げを食らって、しぶしぶやる声明を出した。それも「設置を完了したい」と希望的声明だけである。豊田市の翌日対応と対比するのが恥ずかしい。人の命を預かる市の経営者として失格である。その嘆願書がなければ、小川敏市長は6年後までやらないつもりであった。

 

トップとしての信念

 小川敏市長は、2018年6月11日の大垣市議会で、エアコンの来年度の導入もせず、平成36年度まで設置しない、と決断したのだから、信念を通してやらないで欲しい。言行一致を守るのが政治家だ。人の意見でふらふらするのは政治家失格である。小川敏市長は、8月7日に大村智先生の講演を絶賛した。その感銘したという「実践躬行」と全く反対のことをやっている。

 大垣市制100年記念事業を名目に、エアコン導入より先に市民税3億円の無駄遣いをしたいという信念があれば、それをやればよい。

 

言うだけ番長

 大垣市はスローガンで「未来に羽ばたく大垣」と謳いながら、未来を背負う子供たちの命に係わることを、人から言われないと対応できないなんて、「子育て日本一を目指す」などどの面を下げて言うのか。

 

小川敏市長の深層心理学

 小川敏大垣市長は、8月10日に「記録的猛暑にエアコン設置の必要は感じている。できれば来年度内に設置を完了したい」と述べたという。

 何故、来年度内で、なぜ「夏まで」でないのか?

   内閣の菅官房長官は、夏までに整備するように援助すると言っているではないか。

 なぜ「完了したい」、「完了する」と断定しないのか?

 「したい」と希望的観測を言っただけなので、実現されなくても責任は問われない。

 「できれば」とは、出来なければやらないという意思表示である。不退転の決意ではない。小川敏市長は逃げの言葉を使っている。つまりやる気はないのだ。

 

新聞社の忖度

 なぜ岐阜新聞は、大垣市がエアコン設備率で県下最低の2.1%で、全国でも最低レベルであることを報道しないのか。まるで将軍様向けのよいしょ記事である。岐阜新聞も中日新聞も、なぜ自民クラブが要望書を出した背景を掘り下げないのか。エアコン設備率100%の岐阜市など他の多くの市は、嘆願書など出す必要がない。それには両紙とも全く触れていない。その因果関係が報道されていなければ、読む価値のない記事である。いかに岐阜新聞とも中日新聞が大垣市に忖度して記事を書いているかが、字裏から透けて見える。

 

将軍様のお情け通達

 岐阜新聞か中日新聞しか購読していない人は、この記事を読めば大垣市将軍様が人民にお情けを与えてくれると涙を流して喜ぶだろう。全国平均で小学校の40%のエアコン設備率に対して、大垣市のそれは2.1%と全国最低レベルである。そのことは、全く報道しない。それを将軍様が「設備したい」と言ったと賞賛まがいの報道である。これは北朝鮮の政府報道と何が違うのか。行政お抱え新聞としては大成功の記事である。

 

オウム真理教広報部長の手法と酷似

 岐阜新聞も中日新聞も、大垣市政に都合の悪いことは書かず、単に数値だけを記載。その数値がどれだけ悪いかは一切書かない。なぜそうなったかも書かない。それは、1994年、オウム真理教の広報部長上祐史浩(当時)が、自分たちの都合の良いことだけをワイドショー番組で喚いて、都合の悪いことは言わない手法と酷似している。上祐史浩元被は、それをディベートの手法というが、己の都合の悪いことは言わないので、ディベートの論理ではない。

 私のテクニカルライティングの師である篠田義明早稲田大学教授は、その上祐史浩広報部長(当時)が受講生であったという因縁がある。それで、その上祐史浩広報部長(当時)の論法がディベートとではないと教えて頂いた。当時、篠田教授には、オウム真理教から脅迫があり、命の危険があったので先生には警察の警備が付いた。

 

ビジネス文書として落第

 岐阜新聞も中日新聞も、大垣市小学校エアコン率が全体でどういう位置づけかは書かない。上祐史浩の手法と同じである。オウムの洗脳教育手法を新聞紙で行っていると同じである。こんなレベルの報告書をビジネス社会で上司に出せば、即左遷である。岐阜新聞、中日新聞の記者は大垣市民を洗脳教育している。

 キヤノンの御手洗社長は、数字から物語を語れなければ社員失格という。記者は、大垣市小学校エアコン率2.1%という数字からどういう物語を書くのか。それが全くない。子供たちが泣いているのだ。岐阜新聞も中日新聞も、どちらの記者も、小川市長に目隠しされて子供の泣く姿が目に入らない。

 

情報とは

 大垣市小学校にエアコン導入が遅れた原因、責任、経緯は一切報道しない。そんな情報もない記事をもらっても読者は嬉しくない。共産恐怖政治の国家では、将軍様の批判記事ご法度である。その「将軍様万歳」の記事と何が違うのか。岐阜新聞も中日新聞も大垣市政の批判記事は一切許されないようだ。なにせ私は見たことがない。

 他の大手新聞は、消えゆく地方都市・大垣のエアコン実施など記事にもしない。記事にする価値がないのだろう。それが世の中の評価である。大垣のことなど報道する価値がないから、無視である。

 情報とは「情けの知らせ」である。小川敏市長は「やりたい」というだけで、「やる」とは言っていないのだ。900万円の「偽ネス毒水饅頭食いあい」は得意げに実施したが、子供の命に影響のあるエアコンは「来年度内にやりたい」との希望的観測表示である。そんな曖昧な情報など、何の役にも立たない。それは「情けない知らせ」である。

 

岐阜新聞と中日新聞が守るべきもの

 岐阜新聞も中日新聞も、「児童・生徒の命を守る」よりも大垣市・将軍様のご機嫌を損じないようにすることが最優先なのだ。その点の忖度の文章表現の技は、見事で芸術の極みと言ってよい。岐阜新聞にはその2.1%の表示さえない。その記事の中で生徒の命の件には全く言及がない。

 

報道とは

 報道とは報せる「道」なのだ。なぜそれが起こり、だれがどういう対応をしたのか。それはどこに原因があるのか。再発防止をするためには、どうすべきか。それを報道しなくては、マスコミの道に反している。

 起きたことの事象、原因、対策を報せるのが「報道」の責任である。仏教でいう因果応報を知らせるのが報道機関の務めである。大垣市の言うままを伝達するなら、それは大垣市の「広報」で、市民のための「報道」ではない。偏らず、正しく事象を見ないと、正しい報道はできない。

 今の岐阜新聞も中日新聞も、偏向して忖度に明け暮れている。読者はそれに着目しなければ、小川市長がやりたい放題で、大垣の衰退が止まらない。

 

岐阜新聞の記事

https://www.gifu-np.co.jp/news/20180811/20180811-64914.html

中日新聞は2018年8月11日の西濃版で

 

2018-08-21  久志能幾研究所 小田泰仙  

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