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2018年8月

2018年8月31日 (金)

大垣市が奏でる妖怪経営

人生経営でのデュエット 

 カナデノワコンクールで、ピアノのデュエット演奏だからと言って、二人が同格はなく、どちらかがリードを取らないと、メリハリがなくなる。それは演奏する二人の姿に現れる。組織とは2人いれば、成立する集合体である。組織である以上、どちらかが決定権を持たねばならぬ。

 家庭という組織なら、お母ちゃんが社長である(笑)。なにせその組織に一番多くの時間を費やして、家庭に一番目を光らせているのは母親だからだ。お父ちゃんは、外の組織で社長として稼ぐのに忙しい。定年後、ふと家庭を顧みると、お父ちゃんの居場所はない。それで定年離婚が成立する。父親は、家庭に目を向ける時間があまりに少なかった咎である。

 分野別の事業部で、責任を分担したほうが、家庭がうまくいく。それでも、常時、互いに目を向けないと協奏が成り立たない。このカナデノワコンクールは、お互いの協調によって、曲を奏でることが評価される。二人で作り出す演奏である。出しゃばらず、引きすぎず、二人で最高の音を創造する技量が問われる。そのためには、リーダーの役割が大きい。

 あなた(夫)は家庭の責任者として、奥さんのリードに従っていますか? 家庭では「稼いでの輪」の演奏を「奏での和」にして、夫婦で頑張らなくてはならぬ。

 

未来食い妖怪

 大垣の未来を創るという仕事は、行政と実務者の市民とのデュエトなのだ。勝手に行政が、金を使いたいだけの行事のやりたいことばかりするから、不協和音を発して大垣市は衰退していく。

 現在、大垣市制100周年記念行事として、水まんじゅうギネス挑戦、大相撲大垣場所、お宝探偵団、NHKのど自慢大会、大垣さん大集合、ディズニーパレード、等が実施、計画されている。これらを実施しても、大垣の未来のためには、何の種まきにもならない。業者だけが潤い、税金の無駄遣いである。

 なぜか大垣市はこういう音楽活動の文化行事にお金を出さない。大垣市長が芸術に無理解であるためである。ノーベル賞受賞者の大村智先生はカナデノワコンクールの前日の大垣市の講演会で、哲史と山本周五郎の言葉を引用された。

「芸術を楽しむことによって、情緒が高められたり、品性が陶治される(哲史)」

「すべて芸術は人の心をたのしませ、清くし、高めるために役立つべきもの(山本周五郎)」

 大村智先生は、北里研究所病院での芸術作品の活用で、教育にフル活用されている事例を紹介された。

 この場に小川敏市長も同席して、挨拶で大村先生の講演に感銘を受けたと吹聴していたが、実際の行動が大村智先生とは逆で呆れる。小川敏市長がその座にあるのが大垣の不幸である。

 

マル秘口無し妖怪が跋扈

 カナデノワコンクールは、ボランティア活動で、子供達の未来のための投資である。こういう文化の行事に、大垣市はビタ一文金を出さない。大垣市制100周年記念事業の愚劣な行事には3億円余もバラマキである。なおかつそのお金には腐臭が感じられる。なにせ使用用途と会計報告はマル秘なのだ。哲史が言うように、それから見ると確かに大垣市長の品性は高くない。

 今年のカナデノワコンクルールの参加者がかなり減った。日程が悪かった点もあるが、基本的に市の援助がなく、ボランティア活動として運営している点が最大のネックであろう。なんで「水まんじゅうギネス挑戦」が市の全面資金投入で、未来の子供たちの情操教育のイベントが市民だけの寄付に依存した活動なのか。

 

計値ケチ妖怪の尻尾

 小川敏大垣市長は、派手なことには顔を出し、出しゃばるが、地道な保守、教育、文化、環境整備には「節約」とかで金をケチる(計値)。1000人収容能力のソフトピアジャパン大ホールの貴賓席の椅子がハゲハゲなのだ。たまたま目にした大垣市長の貴賓席の背もたれが、ぼろぼろ。まるで大垣市長がしっぽを出したのを象徴するようだ。一事が万事である。人の育成や建屋の保守とは地道な仕事である。それには小川市長はまるで関心がない。己の自己満足と大垣の子供の教育を値踏みの天秤にかけ、教育を捨てたのだ。それをケチという。

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 大村博士の講演会 大垣ソフトピアジャパンの大ホール

 左は小川敏大垣市長、右は伊藤秀光県会議員

 貴賓席なのにボロボロの椅子  2018年8月7日

 

園児を食い物にするムシムシ妖怪

 5月15日と7月18日に文科省から生徒の熱中症対策の注意喚起があるにも関わらず、大垣市長命令で、8月4日の芭蕉楽市で、炎天下36度の高温のなか、「みつづかこども園」の園児を無帽で踊らせて肌に火傷を負わせる冷酷さである。9月1日にも芭蕉楽市で「木の花保育園」の園児が、踊らされる予定である。たまたま台風の影響で気温が下がる予想(8月31日現在)で、雨の予想でもあるが、本来なら8月4日と同じ灼熱の36度の炎天下である。小川敏市長には、文部科学省の通達など知ったことではないのだ。小川敏市長は、文科省との協奏も無視無視妖怪なのだ。小川市長よ、お願いだから、園児を食い物にしないくれ!

 

ブログ「36度の灼熱地獄で園児を踊らせる「鬼の小川市長」」(2018-08-24) 

添付資料 文科省通達(2018年5月15日)11__1.jpgをダウンロード 12__2.jpgをダウンロード

 

妖怪の世界へようこそ

 大垣市駅前商店街の中央のモニュメントも錆びさび、街路灯も錆びさび、芭蕉の案内看板もハゲハゲ、大垣駅前商店街はシャッター通り化して、人通りのない幽霊通りのテーマパークになるばかり。保守保全に金をケチる市長が君臨すると、大垣市は幽霊都市の墓場のようになるばかり。行政とは、お祭りやイベントの派手なことばかりでなく、日頃の当たり前のことを、市民の目の届かない身だしなみ(保守保全)をする総合演奏が政治なのだ。イベントで甘い汁を吸っている妖怪が跋扈という霊気を大垣市役所に感じる。

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3p1050019  大垣駅前商店街の中央のモニュメント サビサビ 2018‎年‎5‎月‎3‎日、‏‎13:35

   これは一つ目一本足妖怪のモニュメント?    回りが無人で不気味

   街並みの紫の垂れ幕が、暗い雰囲気を醸し出し不気味(センスが悪い)

4p1040093  大垣駅前商店街の中央の街路灯 サビサビ

 街路灯サビサビ妖怪

5p1040085  剥げて読めない芭蕉の句の看板    のっぺらぼう幽霊看板

6p1040075  死期の道の看板 鳥の糞だらけ

7p1040997 人影のない無い大垣駅前商店街中心地  幽霊通り

  右は大垣市商店街組合の事務所   2018‎年‎5‎月‎3‎日(祝日)‏‎12:41

社会との協奏でなく、妖怪との狂演

 墓場から生まれたという設定の墓場鬼太郎は、登場当初、性格が暗くて、さっぱり売れず、水木しげるさんは餓死寸前まで追い込まれていた。それでも好きな絵を描いているので苦にならなかったようだ。それを『週刊少年漫画マガジン』で、鬼太郎の性格を明るく愉快な妖怪漫画の主人公に変えたら、人気を呼んで、今度は締め切り妖怪、注文妖怪に攻めまくられ、寝る時間もない売れっ子漫画家になってしまった。漫画の世界でも、読者の心と協奏できる作品でないと、自己満足だけの漫画になってしまう。それを鬼太郎は教えてくれた。

 大垣行政は、ギネス毒水まんじゅう、大垣さん大集合、と小川敏氏だけが自己満足で、市民がそっぽを向いている金食い妖怪の行事ばかりに熱を上げている。小川敏市長は、業者の方にばかり目を向けて、市民には背を向けているから、大垣市は墓場として衰退していく。小川敏市長は、大垣市の死神である。

 不幸中の幸いで子供の死亡事故にはならなかったが、2017年の大垣ドローン墜落人身事故も大垣行政の責任である。大垣市の責任者は責任を業者に押し付けて、厚顔無比妖怪はドローんとトンずらした。その総責任者は小川敏市長である。

 市民との協奏がなければ、いくら大垣市制100周年記念行事に金を使っても金切り音の狂奏となる。

 

大垣の未来協奏

 大垣市の未来のために、行政と市民が奏でる活動が、大垣の未来を創る。悲しいことだが、行政の指揮者・小川敏市長が市民とは遊離して、行政だけが勝手に自己満足の毒奏を強行して、暴走している。あぶく銭の金切り音がやかましい行政毒奏である。

 

2018-08-31  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月30日 (木)

音楽♪協奏 ~カナデノワコンクール

活力エネルギーを頂く

 2018年8月8日、第4回カナデノワコンクールが、大垣市の音楽堂で開催された。当日の朝は、朝食を2015年生理部門ノーベル賞受賞の大村智先生とご一緒できて、人生のエネルギーを一杯いただき、演奏会会場に向かった。会場でそれを関係者に自慢したが、分野が違うせいか、話がかみ合わず、(へーそうなの、で終わり)少々落胆でした。音楽コンクールの場所では、世界的ピアニストと会食したという話題でないと(?)、自慢できないようだ。皆さん、目をもっと世界に向けよう。

 

カナデノワでの協奏

 カナデノワの演奏コンクールでは、ペアで音楽を協奏する技が問われる。小さい子供から、高校生、大学生まで協演を聴いて撮影した。歌の部門では、二人で踊りながら歌ったり、先生の伴奏に合わせて歌うなど、そのハーモニーの表現はさまざまである。

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子供とのデュエットを眼で奏でる

 ピアノの先生がリードをして、小さい子とデュエットをする姿は微笑ましい。子供と先生のデュエット演奏では、やさしく子供を見守りながら演奏する先生の姿に安心して、二人の演奏を観ていられる。先生は、子供の音量、ペースに合わせて弾かないと破綻する。子供の弾く音量・音質に合わせて叩く鍵盤も加減をして音も出さねば、デュエットの意味がなくなる。主役は子供なのだ。先生が子供を見つめる目が美しい。

 同世代の仲間とピアノを弾くよりも難しかろう。子供も先生を全面的に信頼しての演奏であるが、そんなことを考えている余裕はないかもしれない。それが人生だ。師は黙って見守ってくれている。

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写真から音が観える

 世の物事は陰陽、プラスマイナス、白黒である。デュエットの演奏でも、一人が高音部をもう一人が低音部の鍵盤を担当する。当然、弾き方も違う。それが横から見ていて、400mmの望遠レンズ越しに写る二人の姿のハーモニーが美しい。それから演奏の実力がわかる。写真に撮られる二人の姿の美しいペアが入賞していた。新しい発見である。

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ピアノの相性

 ピアノデュエットでは、一台のピアノの低音部、高音部を二人で担当して弾く場合と、2台のピアノで協奏する方式がある。今回、最後の二組が2台のピアノで協奏をした。それで驚いたのが、スタインウェイとベーゼンドルファーのピアノの協奏となったこと。設備的にスタインウェイのピアノを2台も持っているホールは皆無に近い。必然的に今あるピアノで協奏しようとすると、音楽堂のようにスタインウェイとベーゼンドルファーのメーカの異なる2台となる。しかし音色の違うピアノであるが、違和感なくその協奏が聞けて拍子抜けをした。

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ベーゼンドルファーの憧れ?

 演奏が終わって、審査時間の合間に、舞台上のベーゼドルファーのピアノを触れる時間を事務局が作ってくれた。驚いたのは、小さい子供たちがベーゼンドルファーのピアノにワーッと群がったこと。ピアノを習っていると、ベーゼンドルファーのピアノはよく知っているようだ。今回、残念だが2台あるピアノで、ベーゼンドルファーのピアノを選択した参加者はゼロであった。全員、スタインウェイのピアノを選択した。ベーゼンドルファーのピアノは、鍵盤が97鍵あるモデル290インぺリアで、横幅が普通の88鍵のピアノとは微妙に違うため、コンクールではミスタッチが怖ろしいらしく、選択が敬遠される。また音の出方が微妙に遅れるので、弾き方に習熟が求められる。

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表彰式

124k8a0426   笑顔がステキ

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ハードワーク

 朝10時から撮影を始めて、終わったのが17時である。途中の休憩はあるが、撮影に7時間を拘束され、カメラ4台を使い、約530枚の写真を撮影した。チカれた、が実感である。

 普通の演奏会では、リハーサルだけの撮影が多く、その時間は約2時間である。しかしこのコンクールでは、延べ54人の参加者がデュエットで順次登場するので、その撮影で全員の演奏姿をファインダー越しに捉え、デュエットの二人の息の合った瞬間を、画像として切り取る。その瞬間を待つのが大変だ。全てのコンクールが終わった後、疲労困憊であった。肉体的にはシャッターボタンを押すだけなのだが、終わって家に帰り少し横になったら、そのまま寝てしまった。

 

お詫び

 肖像権の関係で諸般の事情が発生して、今回は一部の写真にマスクをいたしました。後日、マスクの無い写真を掲載予定です。

 

2018-08-30  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月29日 (水)

「ぬり壁妖怪」との遭遇

 2018年8月24日、ヤナゲン大垣本店での水木しげる版画展で「ぬり壁と狩人」を「幽霊電車」と同時に購入した。

 8月26日、友人が突然訪ねてきたとき、縁を感じて一緒にこの「水木しげる版画展」を再度見に行って、気になっていたもう一枚を購入した。どうも「買え買え」という妖怪の声に取りつかれたようだ。

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「ぬり壁」とのご縁

 その絵の説明に「夜の海岸やひとけのない道、森の中などで突然現れて人を驚かせる。押しても引いてもびくともしない。大きさを自由に変える。」、効能として、「意思が強くなる」とある。とある。これは水木しげるさんの反戦思想の代表作で、意志の固さの象徴の絵だと聞いて、購入を決めた。

 水木しげるさんは第二次世界大戦のラバウルでの戦闘で、左手を失う大けがをする。その時、上官はなぜ死ななかったのだと罵倒したという。それで水木さんの反戦思想が芽生えたのだろう。

 この絵は、どんなことあっても、自分を守るために立ち塞ぐ大きく防御壁を表している。理不尽なものへの抵抗でもある。それに立ち向かう水木さん自身を象徴している。そんな「ぬり壁」の妖怪に守られて、水木さんは戦後を生きた。

 人は壁に守られて生活している。他の理不尽な攻撃に対して、守ってくれるのは自分の内なる「壁」である。壁は黙って敵の攻撃を防いでくれる。そこに水木さんは妖怪の霊気を感じた。その壁はシャイで無口である。しかし意思は固く己を守ってくれる。たまにいたずらで人を驚かせるのは愛嬌である。

 

水木さんが「ぬり壁」と遭遇

 「ぬり壁」は福岡県の海沿いに出没すると言われる。壁の姿をした妖怪である。夜道を歩く者の前に突然立ちはだかり、行く手を遮る悪戯をする。

 第二次世界大戦で、戦場に駆り出された若い水木さんは、「ぬり壁」に出会って命拾いをした。当時、水木さんの部隊はラバウルにて敵軍に襲われ、水木さんは仲間とはぐれて、一人森の中を逃げ回っていた。すると目の前に突然巨大な壁が立ち塞がった。それはコールタールで塗られたような平らの壁で、触ると指が入る柔らかさであった。ハッと気付けば四方がその壁に囲まれており、身動きができなかった。水木さんは、なす術もなく、いつしか疲労困憊で眠ってしまった。明るくなり目覚めた時には、その壁は消えていた。しかも、水木さんが寝りこんだ場所の目前は断崖絶壁で、そのまま進めば命がなかった。水木さんは見えない妖怪に見守られて救われたのだと感じた。帰国後、文献を読んで、あの時に遭遇したのは「ぬり壁」だったと確信した。

 

自分の「ぬり壁」経験

 自分の人生で、何か形のない壁にさえぎられて、前に進めず忸怩たる思いで退散したことは多い。後日、それを振り返ると、そのまま進むと悲惨な状況になることが予想され、そのまま進まなくてよかったと思うことが度々ある。それはご先祖様が形なき「ぬり壁」となって守ってくれたのだと今にして思う。

 大自然の中でごく一部として生かされている自分は、見えないものへの畏敬を疎かにしない生き方をしたい。それを水木さんの「ぬり壁と狩人」が教えてくれた。感謝。

 

2018-08-29  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月28日 (火)

「神佛無限会社」の経営診断

 会社とは、有志が集まって世のために働く組織である。有限会社、合名会社、合資会社、株式会社等とあるが、皆さんに幸せを与える神佛が集まった会社は無限会社である。その会社の製品(幸せ)を手に入れるには、正しい対応が必要である。

 

「祈り」を経営分析

 無心の利他の祈りには、冷静に回りが見える力を与える。単なる自分のための祈りには、お賽銭に託した押しつけがまさがある。わずか100円で、あれもこれもは、低価格競争防止法違反である。神様だって、神社の建屋の維持管理、減価償却でお金が必要なのだ。その神社仏閣からご利益があるか無いかは、全て己が作り出す業である。それを神仏に責任を押し付けてはクレーマとなる。

 祈りは運命と願いをつなぐ架け橋である。その架け橋とは自己犠牲の行動である。行動なき祈りは戯言である。行動なき人に幸運が訪れることはない。

 

女神様は丸禿

 幸運の女神には前髪はあるが、後ろ髪はないとされる。だから女神が来たら前髪を掴まないとダメである。しかしそれは俗説である。神様とは人間よりも進化した存在である。禿とは人間が動物的に進化した証である。だから本当の幸運の女神様は丸禿げである。それではかっこ悪いのでかつらをかぶっているに過ぎない(オダ仏教の仮説?)。

 かつらの毛を掴んでも、すぐかつらが取れて幸運の女神様は逃げていく。幸運の女神様を髪だけで掴もうとするから無理が出る。また捉まえられてもいつかは去っていく。それよりも幸運の神様に惚れられるような行動と人格を身につけるべきである。そうすれば、神様からすり寄ってくる。幸運の神様が近寄らないのは、あなたがケチだから。人間はいつもカラ手形、不渡り手形を発行するから、神様もゲンキンなもので、神佛無限会社はゲンキン取引である。

 

約束履行練習

 幸運の神様は信用金庫の頭取が大好きである。神前で「○○しますから〇〇をお願いします」と百万遍誓うことは、自分に対して、小さな約束事を守る練習である。自分に対して約束したことが守れない契約不履行者に、幸運の女神は微笑まない。自分への約束事を愚直に守る人に幸運は訪れる。

 

桐壺天皇の愛

 女性(女神様)は、自分を裏切らない人が好きである。自分へのひたむきな愛情であるからだ。それは願い事そのものである。地上120メートル(地上47階)の天上界から更衣の下界を見ると、それが納得させられる。天皇は更衣の身分の女性を愛してはならない掟がある。更衣とは、天皇の身のお世話はできる身分であるが、寝室には絶対に入れない。寝室に入れるのは女御という身分の女性だけである。それは摂政、関白、大臣、大納言、中納言の三位以上の身分の親の娘だけなのだ。だから更衣の身分で天皇に愛されるのは、まるで地上47階から地上を歩く女性を探して愛するごとき状況である。そういう掟を破る意思がないと、女神との愛は成り立たない。そこに人間ドラマがある。

 世界に冠たる小説『源氏物語』があったから、三島由紀夫は、小説家の筆を折って「盾の会」を作り、肉体を鍛え、自衛隊に突撃して割腹自殺を遂げたとも言われる。三島由紀夫は『源氏物語』を凌駕する作品を創れなかったのが、この事件の原因ではないかと、境野先生は言う。それほどの作品である。そんな素晴らしい作品が1000年も前に日本女性が書いた。日本の誇りである。日本の女性は女神だと境野先生はいう。

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境野勝吾先生の「源氏物語に学ぶ人間学」(全5回)講座が行われている京王プラザホテル47階。そのロビーからの展望。回りは新宿高層ビル群。2018年8月17日

 

報恩感謝

 50歳60歳までは社会や回りの人に支援され、生かしてもらい活動し、生活の糧を得てきた。ここまで来られたのも、皆さんの御恩のお陰である。60歳になれば、今度は回りの人に恩返しをする時である。それが今、不幸であるなら、今まで精進してこなかった証である。常に現実は正しい。全て神様仏様が示す因果応報である。初老を迎えた身で、神社仏閣で自分のためだけに必死にお祈りをする姿は滑稽である。それだけ真剣にお祈りするなら、なぜ今まで必死に生きてこなかったのか。

 神社仏閣は、感謝申告所である。お願い受付場所ではない。そんな不届き者が多いから、初詣で神社が大混雑する。神様がいくら24時間365日体制と言っても、神様だって忙しいのだ。たまには神様の身になって考えよう。それが考えられないようでは、幸せにはなれない。正月のそんな忙しい時に行かなくてもよい体制を作ろう。それが幸せの第一歩。

 

無財の七施

社会からご恩を受けて60歳を迎えたのなら、自分のことでなく、皆さんのことのためにこそ祈るべきだ。それが自分の分際を考えた祈りである。

 ベートーベン曰く「神に頼るとはなんたることか。自分で自分を助けよ。」と。

 60歳過ぎになったら、奪う人から与える人になれ。金が無くとも七施をせよ「無財の七施」(『雑宝蔵経』巻6)とは

 ・ 眼施    目による施し

 ・ 和顔悦色  笑顔による施し

 ・ 言辞施   言葉による施し

 ・ 心施    まごころによる施し

 ・ 身施    体=労働による施し

 ・ 床座施   席を人に譲ることによる施し

 ・ 房舎施   住まいによる施し

 

目の付け所

 目に見えないものに、目を向けないと幸せにはなれない。それが目の付け所。水木しげるさんは、それに目を向けて、妖怪作品を描きつづけて、文化勲章を授与された。水木さんは文化勲章を願って、作品を作ってきたわけではない。妖怪が水木さんを助けたのだ。妖怪も神仏の親戚である。

 

2018-08-28  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月27日 (月)

心に刃を向けよ

 人生とは、我儘な己の「心」に「刃」を向けて、「これでいいか、これでいいか」と問いかけ続ける己との戦いである。人生の最大の敵は己なのだ。それが自忍である。「忍」の字から「認」の字が生まれた。人生の最大の敵は、怠惰な己である。自認とは、己の怠惰な心を認めること。自忍がなければ、単なるケダモノ、良くて極楽とんぼである。

 

他人に刃を向けて

 今は、その刃を放り投げ、目先の餌につられて自堕落に過ごす政治家が多いから、世が悪くなる。その刃を他人に向ける輩が多いから、殺伐たる世相になる。フェイクニュースという武器を使って、人を傷つける輩も増えた。アメリカでは銃の乱射事件の頻発である。それでは世界は幸せになれない。

 その根本原因は、心の教育が疎かになっているからだ。自制心、自律心、自尊心、自励心、利他の心の育成が疎かになっている証である。2018年8月7日の大垣で、大村智博士は、講演会「私の半生記」で、その危惧を話された

 

心にグサッと

 要は、心にグサッと来ないと目が覚めない。それが人間の愚かさである。ケダモノが心にグサッと来て目が覚めたという話は聞いたことがない。グサッときたら、人間である証である。芸術の美に接してハッとすることも自認である。

 だから師も言っても仕方のない弟子には、グサッと刺す言葉を投げない。私も部下を持っていた時代、見込みのある部下しか叱らなかった。それが社会なのだ。

 

人間の正しい生き方

 人間として正しい生き方とは、生きる道標の経典、戒め、経営理念を前の車に乗せて、後ろの台車にやり遂げるべき仕事、経営を乗せて走る。後の台車に金、女、博打、酒、強欲、利権を乗せてはならぬ。3番目の車の荷台を見れば、その人の人生がわかる。3番目の荷台を見なくても、1番目の車の上を見れば、その人が分かる。

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 やりたいことだけをやるなら、ケダモノである。意に添わなくても、やるべきことをやるのが人間である。人間の「間」の字は、門の真ん中に太陽が顔を出すような人を象徴する。太陽のような行動をとるのが人間である。食べ物にしか興味がなければ、ケダモノである。

 

㊙慢体

 裏金、酒、たばこ、ギャンブル、女に溺れるのは、自分で自分を制御できないからだ。だからケダモノである。我々は豚や牛ではないのだ。人間として生きるべきだ。でもそれは個人だけの問題で、些細な事象である。

 政治家が、名誉欲、権力欲、覇権欲、利権等に取りつかれるのは、心が㊙慢体になるからのだ。それによる民衆への被害は甚大である。これは昔から政治家が取りつかれる病気で、世界中を地獄に落として来た。それは、今も続いている。己の傲慢さ、欲望、我儘を美しいスローガンで隠して民衆を騙している。その本心はマル秘なのだ。

 

大垣市の㊙慢体

 大垣市長としてやるべきことは何か、何をやってはいけないのか。大垣市という三貨車を運転するのに、何を一番目の車に乗せるか。小川敏大垣市長は、その選択を間違っているから、大垣市が衰退していく。その間違った「大垣中心市街地活性化政策」を掲げて失敗して、さらにそのPDCAを回さないまま、性懲りもなく間違った「大垣未来ビジョン」を一番目の車に掲げるから、大垣市は衰退に向かって一直線である。岐阜県の他市は、リニア景気で成長しているのだ。それは駅前の地価の推移を見入れば一目瞭然である。

 東大を出たという驕りがあるから、目の前の失敗に目を背け、誰の意見も聞かない。老いの醜態である。65歳以上の人は15%が認知症であるとの統計データがある。68歳の小川敏市長は、日ごろの姿から見ると認知症ではないかと疑わざるを得ない行動が目につく。高学歴者だから、認知症にならないわけではない。警察署長や校長先生は、気を使うが頭をあまり使わないので、退官後、認知症になりやすいという。

 行政には、市長を神輿に担ぎ上げ、うまい汁を吸っている人が、いるのかもしれない。市長が神輿に祭り上げられると、あまり頭を使わなくなるようだ。操る方には、市長は認知症のほうが都合良いようだ。

 

大垣市の三貨車

 小川市長は7月1日の炎天下にしゃしゃり出て、スーツ姿での「社会を明るくする運動」の大垣駅前通りのパレード行進や、8月7日のわずか1分24秒の大村博士紹介の自慢演説は、認知症ごとき症状である。大垣市長が出る必然性もないし、誰も喜ばない。それで何の付加価値も生まれない。かえって市民には迷惑である。それよりも、その時間を実の市政に専念して欲しいが市民の願いである。それがわからないようでは、認知症の初期症状である。大垣市長は三貨車の1番目の指南車に、間違った指針を乗せているので暴走している。

 小川敏市長は大垣市政100年目の節目1年間で、記念行事の名目で、3億円余の娯楽遊行費を使う迷走である。それが未来の大垣のために何の意味があるのか。ギネス毒饅頭食い合い900万円、大垣さん大集合で1000万円、TDL パレード600万円等のどんちゃん騒ぎをして何が残るのか、そのお金があれば100年後の大垣のために種を植えてほしい。

 

2018-08-27  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月26日 (日)

霊柩車を購入

 2018年8月24日、ヤナゲン大垣本店で開催されている水木しげる氏の版画展(22日~27日)に出かけた。そこで、何か惹かれるものがあり、霊柩車の絵を購入した。 

 妖怪も神様・佛様の親戚である。人生の最期を飾る車には、相応の車にしたい。そんな夢をかなえてくれる(?)水木しげる画の霊柩車「幽霊電車」である。なぜか引かれて買ってしまった。この絵の謳い文句が「ご先祖様が守ってくれる、鬼太郎は生者を地獄に送ることができる」とある。今日の24日は町内地蔵盆祭りであるが、台風20号の影響で明日25日に順延、3日後の27日には自宅で棚経を住職さんにあげてもらう。そんなお地蔵様とご先祖様のご縁を感じた日でもあった。

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越前和紙のリトグラフ

 この絵の原画は、緻密な点描画で、緻密なスキャンをしてデジタルの加工をして、越前和紙にエプソンの超精密プリンタで再現した880部限定のリトグラフである。越前和紙は硬く精密プリントに適している。それに対して美濃和紙は掛け軸の絵に適している。普通の版画では再現できない緻密さに感心した。数万円と安かった。水木さんは本の印税で稼いでいるので、この種の絵は原価に近いとか。この大きさだと、普通なら10万円はする。これが水木さんの版画展の最後だと、そそのかされてつい財布の紐が緩んでしまった。絵との出会いもご縁である。デザインが気に入ったし、キャッチコピーも納得である。額もイタリア製でお洒落である。

 

大人の夢

 乗るならこういう夢ある立派な(?)霊柩車に乗って逝きたいもの。大人にも変な夢がある。死にざまにこだわりがあるとは、生きざまにもこだわりがある。

 この絵を持って帰ろうとしたら、この納期は1か月後だという。この絵は売れているので、この実物の絵は次の会場に持っていくのだと。私はこれを「暫らく霊柩車とは縁がないよ」とのご先祖のメッセージとして受け止めた。それでご先祖様の為にも、一日でも長くこの世で貢献したいという気になった。感謝。

 

2018-08-26  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月25日 (土)

人生道を走る三貨車の教え

 仏教の教えに「三貨車」がある。これは仏教とは限らない人生の例えである。三貨車とは、人生を3つの車が走るさまと例えた。人生道を走るとは、前の車に駆動され、自分は真ん中の車に乗り、後ろに荷物を載せて走る生きざまを表している。

 徳ある人は、前の車に経典(人生の指針)を乗せ、それをカーナビとして正しい道を走る。その後ろに自分の遺徳・遺産を載せて走る。

 徳なき人の人生は、前の車に欲望という鬼を乗せ、己はそれに引きずられて暴走させられる。カーナビCPUの暴走である。後ろの台車には、金と女と酒が満載で腐臭をまき散らせている。

 

経営の指針

 名経営者は、駆動車に経営理念を乗せ、己は真ん中に堂々と座って、会社を経営理念に沿って走らせる。後ろの車に自社の製品と社会貢献を乗せる。前車に経営理念があると、何が道に飛び出してきても迷いはない。経営理念に沿ってハンドルを切ればよいからだ。医薬品メーカで、事故が起これば採算度外視しで顧客の命を守る。それが正しい経営のハンドルさばき。

 強欲な経営者は、駆動車に金儲けの御旗を掲げ、己はふんぞり返って、暴走する。後ろの台車には金は満載されているが、通った後はぺんぺん草も生えない。まるで目の前にぶら下がったニンジンをめがけて走る馬のごときである、そのレベルの経営者は、金儲けのために、排ガス不正も車検不正も、金が儲かる方にハンドルを切る。後ろに乗った社員には悲劇である。

 

大垣市の三貨車

 大垣市長は、どういう理念を載せて、どこへ市民を連れていくつもりなのか。前に乗せたものを見ても、名誉欲、利権優先、市長椅子への執着等ばかりで、理念に沿うものが見当たらない。哲学も思想も見当たらない。大垣市長は真ん中の車でふんぞり返り、後部台車には、けばけばしいお祭りの旗を立て、大垣市衰退の嵐の中を、ヒラメの職員が舞い狂い、負の遺産を積み上げている。声なき大垣市民は無視され、大垣駅前商店街は衰退の一途で、商店主は6割がひき殺された。子供たちは、将軍様の自己満足のため炎天下で踊らされている。

 行政の暴走状態は、ドライブレコーダーという市民の目、新聞、マスコミで正確に記録されている。天に目あり、地に耳ありである。

 

自分の三貨車

 自分は何に引きずられて人生道を走っているのか。後ろの荷台に何を乗せているのか、何を載せたいのか。その荷物を死んだあと誰に残すのか。

 間違った駆動車なら、取り替えればよい。全ては己の意思次第である。年に一度くらい、地蔵盆祭りの8月24日に、人生駆動車を車検に出すべきだ。意思さえあれば、駆動車を換えるのは容易である。私の町内では、台風20号の影響で今日の8月25日に地蔵盆祭りに順延された。自然は天の声を声なき経として奏でている。問題があれば、変更すればよい。

 

地蔵菩薩信仰

 前の車次第で、己の人生の行き先が変わる。誰しも来世では地獄には行きたくない。しかし現世でさえも、引っ張られる車次第で地獄を見る。全ては己の責任である。

 お地蔵さんは、この世で、同じ視線で我々を見守り、あの世で子供を助け、生前の己の善行を弁護してくれる。地蔵菩薩は地獄に人事異動(仏事異動?)で赴任されると裁判官の閻魔様に変身される。いわば弁護士と裁判官がお同じ佛様なので、救ってもらえるという地蔵菩薩信仰が生まれた。日本の仏教の話には救いがある。

 

佛の存在

 そもそも地蔵菩薩や地獄の世界を考え出したのは人間である。その己の中に、佛も住めば鬼も住むのを知り、地蔵菩薩という仏さまが生まれた。仏様とは己が理想とする存在である。そういう仏様を生み出した先人に感謝をしよう。あの世に地獄も極楽も仏ない。己の心の中に佛も地獄も存在する。自分の理想とする生き方を仏に見る。智慧ある先人が、人の潜在意識におわします理想を仏の形にしたのが宗教である。

 

最高の愛情表現

 親として、教師として、最高の愛情表現は見守りである。お地蔵さんが道端で見守っていてくれる。お墓で見守ってくれている。あの世で見守ってくれる。親でも教師でも、黙って子供を見守るのが最高の愛情表現である。その象徴がお地蔵さんなのだ。

 

2018-08-25  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月24日 (金)

詐欺師を目指して精進

Googleギフト(iPad Air2)に当選

 最近、立て続けにホップアップ画面「Google ユーザのあなた、おめでとうございます!」という通知が表示されて、「Googleギフト(iPad Air2)に当選した」というGoogle当選ページが表示される事例に遭遇した。今朝で3回目である。

 私は、最初の画面で疑問を感じ画面を遮断した。しかし画面を閉じたくても、その閉じるのクリックが効かず、困って最後は強制電源断で対処した。メールでも「50万円が当選しました」等のハッキリと偽情報と分かるのもあるが、これは手が込んでいる。

 よく見ると、まずアドレスがgoogle ではない。またGoogleのマークが少しおかしい。日付が「8月216月24」と異様である。詐欺の常套手段で、人数制限と締め切り制限で攻めてくる。

Google  当選を知らせる画面

ネット情報

 ネットで調べると、この件に関して多くの注意喚起情報が出ている。上の嘘情報を信じて進むと、個人情報・クレジットカード・メールアドレス・パスワードなどの情報を入力する画面に続いていくようだ。皆さんもご注意あれ。

 

詐欺師の確率計算

 そもそも景品法で、買った金額の何倍までと、景品額には上限の制限がある。それが一銭も出していないし、応募もしていないのに、当選なんておかしい。そう思わないと、また詐欺にあう。仏教の因果応報の教えに反している。

 多くの人は疑問を感じて画面を閉じるから良いが、確率的に1万人に一人でも詐欺に引っかかれば、それで詐欺師は損益計算上でペイする。詐欺側は、そういう確率計算をして詐欺を行っている。ご用心、ご用心。世の中、そんなうまい話があるわけがない。

 

詐欺師になろう

 世には、常識で考えれば詐欺だと分かるのに、欲に囚われるとそれが見えなくなる人がいる。人は、「貴方だけが幸せになれる」、「貴方は特別扱いです」とコチョコチョとされると簡単にオチル。だから、やるなら詐欺師にひっかかるより、ひっかける方に回れば、簡単に人が釣れる。だから自分の夢をぶち上げて、皆さんを巻き込んで新事業を立ち上げるのも、挑戦し甲斐がある事業である。

 人から見れば、自分の夢は詐欺まがいである。日本一になるんだと、何千回も言って、永守重信社長はちっぽけな町工場の日本電産を1兆円企業に成長させた。ホンダの創業者・本田宗一郎はミカン箱に乗って、社員の前で未来の夢を語り世界一のバイクを作った。悪い例では、オウム真理教の教祖は、頭の良い若者達を騙して絞首刑の階段に登らせた。

 

なるなら偉大な詐欺師になろう

 嘘みたいな夢でも、それを100万回言えば、それが本当になる。一番疑り深い己を騙して、自分の夢を実現しよう。それには人を騙す緻密な工夫がいる。夢の実現の最大の障害は、固定観念でカチンカチンになった己の頭なのだ。それを打破し、実現の為に智慧を絞る精進が、夢を実現させてくれる。そんなことを示唆してくれた詐欺広告でした。猛毒でも、微量なら、精力剤として使える。毒を食らうなら、毒を作る側になろう。モノを作ることで、智慧がつく。

 

2018-08-24  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月23日 (木)

タイヤの窒素ガスは佛様の霊気

 20年ほど前より、自車のタイヤに窒素ガスを入れている。レーシングカーのタイヤには窒素ガスが入れられている。それを入れる目的は、安全性向上、時間節約、性能向上である。

 

微差力

 この効果はわずかであるが、そのわずかの積み重ねが、人生の仕事量の蓄積の差となる。人より2倍の力の差は不要である。僅差の積み重ねが、人生を豊かにする。それには頭を使い、良い道具を選べばよい。意思を持って時間を生み出せば、佛様が援助してくれる。佛様だって、援助する相手に時間を創るがなければ、如何ともしがたい。まず佛様が己を援助しやすい体制を作ろう。

 

気とは

 時間を創る「気」になろう。「気」は、旧字では「氣」と書く。「米」は米粒のような小さいものの意味で、音符の「气」は湧き上がる蒸気の意味である。つまり霊気、水蒸気の意味である。その気にならないと、何事も成就しない。窒素ガスにはご先祖の霊気がこもっている。

 

安全性向上・性能向上

 窒素は酸素に比べて天然ゴムを透過しにくいため、空気圧が減りにくい。窒素の天然ゴムのガス透過率は0.3、酸素のそれは0.8で、2倍以上の差がある。このため、低圧のまま走行する危険性を減らし、適正な空気圧を長く保持できる。これにより、バーストを防ぎ、タイヤ内圧を一定にして、走行性能低下を防止する。

 窒素ガスは、酸素よりも酸化を抑えて、タイヤ内部のゴムやライナー、バルブ部の酸化、腐食を防ぐことができる。また、タイヤの消耗を安定化して、偏摩耗を防止できてタイヤを長寿命化する。

 

時間節約

 以上により、月に一度のタイヤ空気圧の測定・管理が不要で、その分の時間節約ができる。私の運転状況で、窒素ガスの点検と補充は法定点検の1年間ぐらいは、不要である。私は、法定点検の時に、タイヤの空気圧の点検・補充をお店に依頼している。

 効果は、5 分×12回×100円=6,000 円/年で、1年一回の2000円の窒素ガス補充費用としても、年間で4,000 円の節約である。一分100円の時間コストとして。

 残り少ない人生時間の40年(?)のうちで、年に1時間も節約できるメリットは何物にも代えがたく大きい。時間は命なのだ。死んでもいいから(?)時間を稼ぎたい。

 

費用 

 一度の窒素ガス充てんで、費用は約2,000円である。それは時間節約の為の投資金額である。

 

 車検を受けるなら、窒素ガスの補充設備があるお店を選択すべきである。以前、お店の選択を間違えて、窒素ガスの補充設備のないトヨペット店に車検を依頼して、痛い目にあった。それ以来、そのお店とは縁を切った。

 

2018-08-23  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月22日 (水)

車販売店の観相占い(お店診断)

 人相を見れば、その人の人格がわかるように、お店の面構えをみれば、そのお店の経営状態が診断できる。車を買うとは、お店を買うこと。自分を買うこと。

 

事後処理

 私の車は、窒素ガスが入ったタイヤなのに、車検の時、普通の空気を補充したのが大垣北トヨペット店である。私の車のタイヤには、窒素が入っていることを示すマークが入っていた。そのお店の整備マンはそれを知らなかった。そのお店には窒素を入れる設備もない。なおかつその後始末もしてくれなかった。怒り心頭であるが、これでは言っても無駄だと思い、自分で別のトヨタ店に行き、自己負担で窒素を補充し直した。その後、大垣北トヨペット店には、二度と行かない。それ以降の車検を別の系列のトヨタ店に変えた。

 

殿様商法

 その昔、三河でトヨタマークⅡかクレスタかチェイサーを買おうかと、選定でお店を回り、トヨペット店とビスタ店、チェイサー店を回った。そのトヨペット店は殿様商売の有様で、営業マンの態度がデカかった。「マークⅡはベストセラーで売れているんですよ」と。営業マンのでかい態度から、売ってやるという姿勢が鼻につき、不愉快になった。それと値引きが少なかったので、私はビスタ店でクレスタを購入した。

 

再発防止

 そのビスタ店で自車のある部分の修理を依頼した。その時、一緒に別に項目の修理を依頼した。車の修理を終わった状態で、確認したら、その最初の大事な方の項目が修理されていなかった。指摘すると、整備マンは勘違いで忘れており、慌ててすぐ修理しますといったが、たかが2項目の修理で、その一番大事な項目の修理を忘れるなんて、と怒り心頭で、「もう頼まない」と怒鳴りつけてお店を後にした。そのレベルでは、お店への技術レベルの疑惑と往復時間と待つ時間が勿体ないと判断したのだ。

その1時間後、店長と担当者が自宅に詫びに飛んで来た。訳を話したら、後日、再発防止として、修理のチェック表を導入するとのこと。怒りを鎮めて、そのお店とは長い付き合いとなった。トヨタ生産方式として、再発防止をする会社は信用できる。それができるお店は少ない。

 

良いセダンがない

 18年間乗っている自車を買い替えようと、トヨタ店を回った。カローラ店ではカムリも検討したが、聞けばハイブリッド仕様車しかない。なおかつカムリはFF車である。私はハイブリッド車が好きでないし、FR車が欲しいので、それは諦めた。ハイブリッド車は、確かに燃費は良いが、私は遠出をあまりせず、燃費は気にしない。ハイブリッド車は、機構が複雑である。重いし、その分、故障と修理費がかかる。機械はシンプルが良い。だからハイブリッド車は選択枠から除外している。

 私はセダンが好きだが、よいセダンがない。マークχも検討したが、モデルが無くなるという噂である。サイも検討したが、FFで、しかもこれも無くなる噂がある。

 販売店はトヨタに対して、ユーザの声を伝えるべきだ。セダンが売れないのは、その声が届いていない。

 

お約束すっぽかし

 今度(2017年当時)、新しいクラウンが出るというので、トヨタ店に行き、検討をしていた。当時(2017年)、次の出る予定の新クラウンの情報をネットで見ていて、その顔の自己主張がごつすぎて気に入らず、迷っていた。

 営業マンは「実車を見ればイメージが変わりますよ。新車が出たら必ず案内をします」と言っていたが、新車が発売(2018年7月)されても、その連絡がない。クラウンは社用車のニーズが多く、個人客に売らなくても勝手に売れてしまう車である。私みたいに個人客で、前期高齢者で、買うかどうか曖昧な客は、重要視しないようだ。それでお店の姿勢がわかった。客はお店をシビヤに観察していることを忘れないように。

 

客と営業マンの対応

 私の担当営業マンは、若い主任クラスであった。その年代の営業マンでは、私のレベルに役不足である。会話内容をこちらが選ばないといけない。相手を見て、それに見合った営業マンを対応させないと、売れる車も売れない。それでお店の姿勢もレベルもわかる。営業マンの知的レベル・話題レベルの向上が必要だ。

 聞けば、最近の営業マンは企業回りもしないようだ。車以外に話題をできるかが、営業力である。その切磋琢磨を怠っているようだ。

 名古屋のネッツトヨタ店では、営業マンに、車の販売とは直接関係ない教育を定期的にしているという。有名講師を招いて講話を聴かせているとか工場見学に行くとか。だから儲かっているようだ。

 

テレビが喚く

 トヨタ店、カローラ店、ネッツ店、トヨペット店の多くのお店で、テレビが一人で喚いている。広い店内で、誰もテレビを見ていないのに、大型テレビが鎮座して、くだらないワイドショーを放映したままにしている。椅子に座ると見たくもない番組が目の前に飛び込んで来て、目障りである。テレビの音も耳障りである。だれがそんな番組を見るために車販売店に行くのか。その電気代や設備費が、回りまわって客に押し付けられる。お店の雰囲気で、お店の姿勢がわかる。私はそんな店には行かない。

 

一時間車検

 三河地方では当たり前の一時間車検が、大垣地区では普及していない。一時間車検にすれば、代車も不要で、客もお店にいく二度手間が無くなる。お店も儲かる。大垣のディーラは時間の大切さを理解していないようだ。これでは儲からない。大垣の意識革命と時間の効率化が、大垣市の発展に不可欠である。

 

毒物提供

 車販売店に行くと、必ずコーヒ等の飲み物と一緒に菓子類が提供される。それが砂糖やマーガリン、ショートニング、植物油の添加物(毒物)の入った美味しいスウィーツである。しかし世の常識として、美味しものには毒がある。それは長期的に体に悪い影響を与える。ショートニングやマーガリンは欧米では禁止制限があるが、日本の菓子類には無制限である。私は食べないが、それ含んだ菓子を出すかどうかでお店の姿勢がわかる。なおかつその分の菓子代がお店の経費に上乗せされ、車の値段が上がる。

 

お店の展示雑誌コーナ

 お店で雑誌コーナを見れば、その店のレベルがわかる。ゴシップ満載の週刊誌を置いているお店には、つい足も遠のく。知り合いのネッツトヨタ店の店長さんは、店長自らが雑誌を選定して、下品な雑誌は置かないと言っていた。それでお店の雰囲気が変わる。

 あるホンダ系列のお店は、その雑誌の選定・展示が下品であった。その社長との面会の約束もすっぽかされ、その人格も疑問視されたので、縁を絶った。一事が万事で、雑誌コーナを見るだけで、その社長の人格がわかる。

 

トイレ

 お店の評価では、トイレを見れば一目瞭然である。これはどの業種でもいえること。きれいで清潔なトイレのお店は、全体が気持ちがよい雰囲気である。

 

お店の宣伝ニュース誌

 冷やかしでレクサス店を回った。あるお店では、そのニュース広報誌にクラシックコンサートや料理教室、陶芸教室等の話題が掲載されていた。さすがレクサス店だと感心した。

 ある別系列のレクサス店では、その紙面の冒頭に、営業マンの顔写真付きで紹介記事があり、私は1児のパパで、趣味はなんだかんだ、である。レクサスを買う人間が、営業マンの趣味など知ったことではあるまい。その紙面の下半分にお店で提供するスウィーツの紹介である。これでお店の経営方針が垣間見える。これは営業企画の失敗である。客が営業マンの趣味相談やスウィーツ目的で、お店に来るわけがない。そんな情報を求めて紙面など見ない。

 そのお店には待合室に立派な応接室があり、大型テレビが、鎮座して喚いていた。私はご免こうむりたく、その場を退散した。レクサスを買うレベルの人が、そんな環境で不愉快にならないのかしら。

 

系列の崩壊

 トヨタも、トヨタ車でありながら、系列が違うとその車が買えない。そんなおかしな商売が続くわけがない。トヨタの業務改革のスピードは速い。これからは系列の垣根がなくなり、どの店でも同じ車が買えるようになるはずだ。その時に、お店の営業力が問われる。店長の経営能力の差が問われる。

 営業マンは車の知識だけあれば、車が売れる時代は終わった。それは車に限らない。ネットで買えば済むのは、ごく一部の商品だけだ。ものを買うとは、その営業マンを買うのだ。高くても、営業マンの人格を買って、商品を手に入れる。それが理解できないディーラが多くて、困ったものだと泣く私が悪いのか、そうでないかは近未来にわかる。そういうレベルのディーラは淘汰されるだろう。

 

延命処理

 私が新車を買う目的は、最新の安全装置の追加である。しかしその装置は後付けではできず、それを買うと、「おまけで」新車が付いてきてしまう。困っている。

 だから18年間乗っている今のクレスタを延命処理に取り組んでいる。聞けば、大事に乗れば、60万キロ、100万キロは乗れるとか。長崎でタクシーに乗ると、平気で70万キロのクラウンにあたる。

 それで自車に衝突防止装置としてイスラエル製のカメラを追加した。なかなかの優れもので、お値段も優れもの(?)、20万円ほどかかったが、性能に満足している。それで一件でも事故が減れば安いもの。そういう装置の販売を考えて欲しい。この装置は地元では買えず、豊田市の会社に取り付けに行った。

 

2018-08-22  久志能幾研究所 小田泰仙  

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