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2018年8月28日 (火)

「神佛無限会社」の経営診断

 会社とは、有志が集まって世のために働く組織である。有限会社、合名会社、合資会社、株式会社等とあるが、皆さんに幸せを与える神佛が集まった会社は無限会社である。その会社の製品(幸せ)を手に入れるには、正しい対応が必要である。

 

「祈り」を経営分析

 無心の利他の祈りには、冷静に回りが見える力を与える。単なる自分のための祈りには、お賽銭に託した押しつけがまさがある。わずか100円で、あれもこれもは、低価格競争防止法違反である。神様だって、神社の建屋の維持管理、減価償却でお金が必要なのだ。その神社仏閣からご利益があるか無いかは、全て己が作り出す業である。それを神仏に責任を押し付けてはクレーマとなる。

 祈りは運命と願いをつなぐ架け橋である。その架け橋とは自己犠牲の行動である。行動なき祈りは戯言である。行動なき人に幸運が訪れることはない。

 

女神様は丸禿

 幸運の女神には前髪はあるが、後ろ髪はないとされる。だから女神が来たら前髪を掴まないとダメである。しかしそれは俗説である。神様とは人間よりも進化した存在である。禿とは人間が動物的に進化した証である。だから本当の幸運の女神様は丸禿げである。それではかっこ悪いのでかつらをかぶっているに過ぎない(オダ仏教の仮説?)。

 かつらの毛を掴んでも、すぐかつらが取れて幸運の女神様は逃げていく。幸運の女神様を髪だけで掴もうとするから無理が出る。また捉まえられてもいつかは去っていく。それよりも幸運の神様に惚れられるような行動と人格を身につけるべきである。そうすれば、神様からすり寄ってくる。幸運の神様が近寄らないのは、あなたがケチだから。人間はいつもカラ手形、不渡り手形を発行するから、神様もゲンキンなもので、神佛無限会社はゲンキン取引である。

 

約束履行練習

 幸運の神様は信用金庫の頭取が大好きである。神前で「○○しますから〇〇をお願いします」と百万遍誓うことは、自分に対して、小さな約束事を守る練習である。自分に対して約束したことが守れない契約不履行者に、幸運の女神は微笑まない。自分への約束事を愚直に守る人に幸運は訪れる。

 

桐壺天皇の愛

 女性(女神様)は、自分を裏切らない人が好きである。自分へのひたむきな愛情であるからだ。それは願い事そのものである。地上120メートル(地上47階)の天上界から更衣の下界を見ると、それが納得させられる。天皇は更衣の身分の女性を愛してはならない掟がある。更衣とは、天皇の身のお世話はできる身分であるが、寝室には絶対に入れない。寝室に入れるのは女御という身分の女性だけである。それは摂政、関白、大臣、大納言、中納言の三位以上の身分の親の娘だけなのだ。だから更衣の身分で天皇に愛されるのは、まるで地上47階から地上を歩く女性を探して愛するごとき状況である。そういう掟を破る意思がないと、女神との愛は成り立たない。そこに人間ドラマがある。

 世界に冠たる小説『源氏物語』があったから、三島由紀夫は、小説家の筆を折って「盾の会」を作り、肉体を鍛え、自衛隊に突撃して割腹自殺を遂げたとも言われる。三島由紀夫は『源氏物語』を凌駕する作品を創れなかったのが、この事件の原因ではないかと、境野先生は言う。それほどの作品である。そんな素晴らしい作品が1000年も前に日本女性が書いた。日本の誇りである。日本の女性は女神だと境野先生はいう。

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境野勝吾先生の「源氏物語に学ぶ人間学」(全5回)講座が行われている京王プラザホテル47階。そのロビーからの展望。回りは新宿高層ビル群。2018年8月17日

 

報恩感謝

 50歳60歳までは社会や回りの人に支援され、生かしてもらい活動し、生活の糧を得てきた。ここまで来られたのも、皆さんの御恩のお陰である。60歳になれば、今度は回りの人に恩返しをする時である。それが今、不幸であるなら、今まで精進してこなかった証である。常に現実は正しい。全て神様仏様が示す因果応報である。初老を迎えた身で、神社仏閣で自分のためだけに必死にお祈りをする姿は滑稽である。それだけ真剣にお祈りするなら、なぜ今まで必死に生きてこなかったのか。

 神社仏閣は、感謝申告所である。お願い受付場所ではない。そんな不届き者が多いから、初詣で神社が大混雑する。神様がいくら24時間365日体制と言っても、神様だって忙しいのだ。たまには神様の身になって考えよう。それが考えられないようでは、幸せにはなれない。正月のそんな忙しい時に行かなくてもよい体制を作ろう。それが幸せの第一歩。

 

無財の七施

社会からご恩を受けて60歳を迎えたのなら、自分のことでなく、皆さんのことのためにこそ祈るべきだ。それが自分の分際を考えた祈りである。

 ベートーベン曰く「神に頼るとはなんたることか。自分で自分を助けよ。」と。

 60歳過ぎになったら、奪う人から与える人になれ。金が無くとも七施をせよ「無財の七施」(『雑宝蔵経』巻6)とは

 ・ 眼施    目による施し

 ・ 和顔悦色  笑顔による施し

 ・ 言辞施   言葉による施し

 ・ 心施    まごころによる施し

 ・ 身施    体=労働による施し

 ・ 床座施   席を人に譲ることによる施し

 ・ 房舎施   住まいによる施し

 

目の付け所

 目に見えないものに、目を向けないと幸せにはなれない。それが目の付け所。水木しげるさんは、それに目を向けて、妖怪作品を描きつづけて、文化勲章を授与された。水木さんは文化勲章を願って、作品を作ってきたわけではない。妖怪が水木さんを助けたのだ。妖怪も神仏の親戚である。

 

2018-08-28  久志能幾研究所 小田泰仙  

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