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2018年7月

2018年7月31日 (火)

大垣の子供たちの未来は悲惨(3/5)火葬場より弱し

危機管理の扱い

 大垣市には危機管理室そのものがない。刈谷市は、危機管理室が上から2番目に位置する重要な部署として設置されている。それに対して大垣市は新市庁舎建設関係の部署は上位に位置して、危機管理に関する部署はずっとズットもっと後で、葬祭場管理の部署よりも後回しに扱われている。だから大垣市は市民の安全・生死に関することへの危機意識が皆無なのだ。

 組織の方向性は、組織図を見れば、組織のトップの考え方からよく見える。そこに、組織の長の思考の深層心理がわかる。大垣市長は、新市庁舎建設が最優先なのだ。市民の命は後回しなのだ。

Photo 大垣市行政機構図

 

大垣市の危機管理のお粗末さ

 だから2017年11月4日の大垣ドローン墜落人身事故を起こしても平気なのだ。大垣市に責任があるのに、責任を業者に押し付けて、ドローンするのだ。室村町・林町アンダーパスが水没しても、危機意識もなく業者任せで、担当者が現地に来ないのだ。毎月の元気ハツラツ市で、子供たちに危険がある設備を放置しているのだ。

 大垣市行政は、大垣駅前商店街が市政の失敗で瀕死状態にいなっても、商店主たちが苦しんでいても、知ったことではないのだ。だから市外の業者が儲かり、地元の商店街が寂れる方策の元気ハツラツ市を続けている。大垣市は行政で決してPDCAを回さない。その事実は、小川市長には経営の基本が理解できず、大垣市経営の能力がないことを意味する。

 

豊田市の対応

 豊田市の小学生が学校の屋外授業に出かけて熱中症で亡くなった。豊田市は、それを受けてエアコン導入時期を前出しすると決めた。それに対して大垣市行政は、そういう情報を得ても無為無策無動で、子供たちのために誰も動いていない。本来、危機管理の担当者が、問題意識を持って動かなければその存在意味がない。その危機意識も危機管理室も大垣市にはないのだ。

 

大阪市長の決断

 小中学校のエアコン設置には、大阪・吉村洋文市長が「四の五の言わずにやれっちゅうの。」と英断をした。大阪市では、橋下僕の時代で、市内全小中430校の普通教室にクーラー設置した。要は予算付けの優先順位の問題である。一票をもたない子供を優先できるかである。予算をつける市長や議員、職員はクーラーの効いた部屋で仕事してる、とその吉村洋文市長ツイッターで広言している。それに対して、市民の声は「子供を大切にしない国に先は無いよ…」と称賛の声である。問答無用、即、導入をした大阪市長の決断が素晴らしい。

 

大垣市長の優柔不断

 それに対して、小川市長は議会の質問に対して「検討します」の一点張りで、うにゃむにゃの回答に終始した。結局、大垣市長は平成30年度のエアコン予算を却下した。その実施計画の開始は6年後である。

 気象庁は、今年の酷暑を「命の危険がある暑さ」だと警告をだした。大垣市長や市議会議員、市の職員はエアコン完備の部屋で執務している。子供たちのことを考える気さえもない。小川敏市長は、新市庁舎建設で頭がいっぱいで、子供達には気が回らない。

 市会議員達も一蓮托生で結託してエアコン導入の案件を無視している。その動議さえ議論に上がらない。岡田まさあき議員の一般質問に誰も賛同しない。子供は選挙権がないから、市会議員も無視するのだ。市会議員は地域の利権代表なのだ。エアコン導入では美味しいものがないのだ。大垣市議会議員は、公益を考えず動いている。それだけ大垣市は封建時代の意識のままなのだ。

 

リーダの責任

 リーダの仕事で一番大きな仕事は決断である。リーダには決断したことだけでなく、決断をしなかったことにも責任を問われる。

 

状況の変化

 この50年で日本の温度の上昇は顕著である。「昔はエアコンなどなかった」という精神論ではダメなのだ。環境と状況が変わったのだ。

 気象庁が2018年6月に公表した「ヒートアイランド監視報告2017」によると、過去100年間で日本の気温は着実に上がり、東京の年間平均気温は3.2度上昇したとある。

 精神論をぶつ輩が高度経済成長で、治水・治山を疎かにして、森を削り、山をハゲタカにして、河川の整備を疎かにして、都市をコンクリートで埋めて、地球をめちゃめちゃにした結果なのだ。都市はヒートアイランド現象で、熱くなったのだ。

 小川市長に必要なのは、市長の座への執着愛ではなく、現実を見る眼と子供たちへの愛なのだ。

4img_6420   馬場恵峰書

2018-07-31  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月30日 (月)

大垣の子供たちの未来は悲惨(2/5)不動明王

不動明王の教え

 現在、松本明慶先生は、最大規模の不動明王坐像を造仏中である。その完成時期が東京オリンピックの影響で、遅延しそうである。造仏を依頼されたお寺さんが不動明王坐像を納めるお堂を新築しようとしたら、東京オリンピック関連建設の影響で、設資材が高騰して、予定の建設費よりも5割増しの金額になるからだ。それが数億円規模の増加なので、とても檀家さんに寄進をお願いできず、その延期を検討されている。

 

岐建の疑惑

 大垣市は、東京オリンピックで資材が高騰することが分かっていて、125億円の大垣新市庁舎の建設を強引に進めている。その建設時期を少し延期するだけで、小学校のエアコン設置費の数十億円は軽く浮くはずだ。それは松本明慶大仏師の不動明王の造仏が教えてくれた。

 大垣市長は、「新市庁舎の建設費は、東京オリンピックの影響なしに建設できる」と言っているが、経済学の常識として、資材価格が上がるのだから建設原価が上がるのは必然である。どこかで手を抜かないと、建設会社が左前になってしてしまう。大垣市長の常識は、世間の非常識である。

 だから同時期に岐建が請け負った彦根市役所の耐震補強工事は、2018年1月に手抜き不正が露見して、彦根副市長が辞任に追い込まれた。その疑惑に満ちた岐建が大垣新市庁舎を建設している。会社の利益確保の経営上で、手抜きをしないほうが、おかしいと思うのが常識である。

 

お祭りで無駄遣い

 小川市政は、財政健全化と謳いながら、大垣市制100周年記念行事では痴呆的な行事に3億円余も散財している。その使途不明金の疑惑が山積である。なにせ、自分達で「使用用途は非公開」との条令を作って大威張りである。だから、子供達の命に影響するエアコン設置には、頭が回らない、回す気もない。行政の使命を忘れた役人の存在は罪悪である。子供の未来を考えない官吏は、この世に不要である。それが天の定めである。

 

トヨタの考え方

 トヨタ生産方式を作ったトヨタ自動車元副社長の大野耐一氏は「悪いことに使うのは別だが、良いことへの投資なら、お金は何とでもなる」として、トヨタ自動車の省人化の設備投資には金をつぎ込んで、三河のトヨタを世界のトヨタにした「人で生産性を上げてはならぬ。機械で生産性を上げよ」の思想である。

 大垣市長は、旧日本軍の精神論で「エアコンなしで学習の効果を上げよ」とぶち上げている。大垣の恥である。敵(他市の子供達)は、快適な環境で勉学に励んでいる。今日でも遅いのに、それが6年後にエアコン設置の工事が開始なんて、正気の沙汰ではない。小川市長は狂っている。「命の危険がある」と気象庁が警告した極暑の環境下で、子供達の命を危険に晒して、何が「子育て日本一」なのか。

 

大垣債

 金がないなら、「小学校エアコン設備の大垣債」を発行して金を作ればよい。後から返済すればよいだけだ。予算があるないの話しではなく、大垣市長の決断があるかないかだけの問題である。これは子供達の命に影響する緊急事態である。

 

不動明王への祈願

 不動明王とは、拝む人の煩悩を右手に持った剣で断ち切り、迷える衆生を左手の羂索で救い上げてくれる佛様である。その顔は怒りに満ちた形相だが、目は慈しみのまなざしで拝む人を包んでいる。怒りで自分を叱ってくれる佛様である。だから世にはお不動さん信仰が絶えない。

 不動明王は、大日如来の化身である。大日如来を社長とすると、不動明王は、その社長代行とも言える存在である。その身体は醜い青黒い色で表現される像容が多い。これはどぶ泥の色ともいわれ、煩悩の泥の中において衆生を済度される。頭には蓮の華の座をいただき、髪は中国の様式で辮髪である。背に迦楼羅焔を背負い、貪・瞋・癡を許さんとする憤怒の相で、岩を組み合わせた瑟瑟座に座して「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿が一般的である。

 

今川順夫会長と不動明王のご縁

 丸順の今川順夫会長は、大垣市南頬町で工場を建設していた昭和32年の冬のある夜、枕もとの立った仏様の導きで、谷汲山華厳寺の滝のそばに立っておられたお不動さんとご縁ができた。今川氏は、そのお不動さんのためにお社を建てるという功徳をされた。その時、和尚さんの話で、お不動さんがお礼として願い事をかなえてあげるという。それで今川氏は、創業間もない頃で、「会社の発展と社員の幸せを」を祈願されたという。その後、丸順は関連会社を含めて4000人の会社に成長した。これは今川順夫著『私の手がつづる 事業独立 創操の記録』(岐阜新聞社刊)に述べられた記録である。

Photo 岐阜新聞社刊 2012年

祈るとは、人生の品質管理活動

 今川氏は創業以来、毎日、欠かさず神棚・仏壇に手を合わせておられる。手を合わせて祈るとは、毎日、自分の日々の行いを反省し、冷静に自分と対峙して、目標を神仏に誓い、その進捗状況を報告するということだ。自分で決めた目標に、自分で自分に鞭打って励む、である。つまり神仏を社長として、自分株式会社でPDCAを回しているといえる。これは人生の品質管理活動である。だから、神仏にお祈りする人は成功する。

 

佛様が治してくれる

 三好眼科の三好輝行先生は、松本明慶仏像彫刻美術館福山分室に、大きな不動明王を鎮座させている。不動明王は、迷える衆生を救う仏様である。現在、三好先生は、世界歴代2位の白内障手術数の実績を積み上げておられる。三好先生が手術後に患者にかける言葉が「手術は大成功です。後は佛様が治してくれます」である。私は手術室で先生の手術を見学したおりに、この言葉を聞いて感激した。これも佛様からの恩恵であろう。私が三好先生とご縁ができたことによるご縁である。

2p1020368 不動明王座像 松本明慶大仏師作 三好輝行先生蔵(福山市 三好眼科)

 

小川市長の煩悩

 無力な大垣市民は、小川敏市長の迷える煩悩が、不動明王の宝剣で断ち切られることを願うしかない。何を血迷って、小川市長は、大垣市長の激務の座に20年間もしがみつくつもりなのか。第三者から見れば、小川市長は、貪・瞋・癡で狂って命を削っているとしか思えない。小川市長が信仰心に厚いとは思えない。小川市長に神仏に手を合わせるという心があれば、護国神社前での水まんじゅうギネス狂宴などはできまい。

 その弊害で、大垣市役所が「怠」や「平目」の舞う瘤隅場(りゅうぐうじょう)として、利権の渦が巻いている。だから大垣は、衰退した。その恥が大垣駅前商店街のシャッター通り化として顕在化している。天網恢恢疎にして漏らさず、である。いくら小川敏大垣市長が長期政権の権勢を誇っても、大日如来の遣わす不動明王が、宝剣で玉手箱を叩き壊せば、煙となって消える運命である。せめて子供たちを巻き添えにしないで欲しい。

 

2018-07-30  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月29日 (日)

大垣の子供たちの未来は悲惨(1/5)寓話

大垣に住むのを止めよう。子供の為に。子供の命に危険あり。

大垣の子供の未来の収入は、他市よりも低いと予想される。

 

「大垣丸フェリー」の迷走

 大垣の子供達を熱気のこもる暑い船底に押し込めた頭でっかちの「大垣丸フェリー」は、名古屋駅前のリニア新幹線景気からは無縁で、市街地活性化政策の失敗で地価は下落、百年お祭りへの乱痴気騒ぎで財政放漫化、安全無視でドローン墜落人身事故を起こし、治水放置で自然災害の直撃を受けて、信用の失墜・沈没寸前である。

 「大垣丸」フェリーの甲板上では、小川敏船長以下が市会議員たち・大垣財界陣と100年祭の宴でどんちゃん騒ぎ、水饅頭を食べ放題、市民税を使途用途非公開で使い放題。甚大被害扱いの暴暑災害なのに、船底船室の子供たちはエアコンなしの室温34度の船底に放置され、ぐったり。

 その7月17日の暑い中、大垣市長は、エアコンの効いた東京ドームでの都市対抗野球始球式のため芭蕉姿に扮して大垣市を脱出した。なぜ一企業の宣伝のために東京に出張が必要か。税金である。

 子供相手では票にならないから、市会議員達は声を上げず、手を出さない。大垣市の広報を担当する地元地方紙も、忖度で忙しく何も報道しない。小川敏船長は、「安全ですから、船底の教室から動かないでください。現在検討中です」と議会でアナウンスするだけ。

 大垣市の小学校のエアコン設置のスタートは6年後である。冷暖房完備の125億円の豪華大垣新市庁舎は2年後の完成に向けて計画通り進行中。

 小川敏大垣市長は、韓国のフェリー「セウォル号」沈没事故で対処した(放置した)朴槿恵大統領(当時)・高校生を見殺しにして逃げた船長と何が違うのか。

 

大垣市の対応

 今月、「保育園・幼稚園・認定こども園・幼稚園・小学校・中学校のエアコン及び洋式便器の設置100%を実現する会」から、署名のお願い書が2回も回ってきた。2018年6月3日の大垣市議会一般質問で岡田まさあき市会議員が、大垣市の小学校エアコン普及率の低さを追及していた。しかし小川市長は、蛙の面に水のように、のらりくらりと「検討します」と答弁して逃げまくっていた。平成30年度大垣市予算でも、6月13日の文部科学省の補助金申請期限までに、大垣市はエアコン補助金の申請をしなかった。今年度のエアコン導入の目は消えた。しかし小川敏市政は、市制百周年記念行事では大盤振る舞いである。

 

大垣市の惨状

 大垣市の小学校のエアコン普及率は、2.1%で県下最低水準である。その整備のスタートは6年後の平成36年である。今の市政ではそれさえ眉唾ものである。今後、夏の気温の上昇は、年々ひどくなると予想され、気象庁は「命の危険がある暑さ」とまで警告をだした。それに対して、大垣市は危機意識もなく、無為無策である。大垣市は「子育て日本一を目指す」、「子育てなら大垣市」との大嘘を公言している。大垣の水まんじゅうはうまいが、大垣市は子育てがまずい。

 市民に残された手は、市長リコールしかない。子供の命を守れ。

 

資料  岐阜県の空調(冷房)設備状況

 小学校          21市

 岐阜市   100%

 各務原市  100%

 関市    100%

 可児市   100%

 瑞穂市   100%

 海津市   100% 

 本巣市   100%

 美濃加茂市 98.6%

 羽島市   65.8%

 土岐市   19.2% 

 郡上市   8.2%

 山県市   2.9%

 大垣市  2.1%

 恵那市   1.5%

 高山市   0.4%

 多治見市  0%

 中津川市  0%

 下呂市   0%

 瑞浪市   0%

 飛騨市   0%

 ※飛騨地区は暖房を重点に置いている。 H29年4月1日現在

「保育園・幼稚園・認定こども園・幼稚園・小学校・中学校のエアコン及び洋式便器の設置100%を実現する会」の資料より

 

2018-07-27  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月28日 (土)

0.2歩先を観て、半歩遅れて歩く

 2018年7月26日、近所のピアノの先生の勧めで、本巣市宗慶の「美術の森」で開催されている「神山恵子水墨画展」(7月21日~8月5日)を鑑賞した。犬も歩けば棒にあたる。棒こそがご縁である。縁が向こうから来るのではない、歩いて縁を作りにいくのだ。

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 右端の床の間の水墨画「心躍る忠太郎太鼓」は国際文化ガバレッジ賞を受賞

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芸術の創造に接する幸せ

 この展示会では、神山恵子さんが日本の風景を実際見て感じて写生して水墨で描いた作品30点余が展示されている。神山恵子さんは自称、年金生活の主婦として、水墨画に取り組んでおられる。世には取り組みたくても、生活上で出来ない人がいる。夫の理解のない人がいる。健康でないと取り組めない。才能がないと取り組めない。水墨画等の芸術の創作活動に取り組めるのは幸せなのだ。

 この種の趣味はほとんど持ち出しである。夫の援助がないとやっていけない。聞けば1枚の絵の制作に3日から1週間ほどかかるという。専用のアトリエでなく、台所の片隅で作品を仕上げる。そのほうが落ち着くとか。このような個展を開くには、その額縁の準備が大変だという。その資金も大変だ。それで販売価格から計算すると、額代にかなりの部分が消えてしまう。

 神山恵子さんは、二人の師について水墨画を始めて10年で、展覧会で多く入選するほどの力量となられた。これは才能だと思う。芸術の世界はいくら努力をしても、超えられない壁がある。私も還暦を過ぎてからピアノを始めて、超えられない高い壁を感じるこの頃だ。

 師が変わって、作風が変わっていく部分の変わらない部分があるという。指導しても変わらないところは、師も諦めて、それが神山さんの個性だとされている。どんな道でも師の影響は大きい。

 

神山恵子さんの略歴

 2001年  50代後半、岐阜水墨画画人会展を見て心揺さぶられ、水墨画家柴山蒼月師に師事する

 2014年 「水墨画」誌上で9点が佳作入選

 2014年 荒井克典師に師事

 2015年 第20回全国公募総合水墨画展 優秀賞

 2016年 第33回墨神会全国公募展 横浜市教育委員会賞

 2017年 第34回 同上      国際文化ガバレッジ賞

 

庵」一枚購入

 この展覧会を見て一枚の水墨画を購入した。その水墨画は、背景の樹木や葉っぱのぼかしが素晴らしく、庵の風情が際立っている。水墨画の特徴がよく出た作品である。ご縁を感じて、この絵の購入を決めた。

 水墨画の粋は、焦点の明確化とその他のものを消すことにある。描かないから、焦点を合わせた対象が浮かび上がってくる。写真の如く描き過ぎてしまうと、焦点がぼけてしまう。その兼ね合いが難しい。他の作品で、あまりにリアルに描きすぎて、焦点がぼけてしまった作品もあった。

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即身成仏

 こんな静寂な林の中の庵で、世俗の煩わしさを絶ち、食を絶って即身成仏になることを夢見るのも人生の一コマである。人の最終目標は仏になること。餓死は眠るが如く逝けるという。飽食では、病魔に襲われて苦しんでの成仏となる。

 極東戦争裁判で、唯一の文官で死刑になった廣田弘毅元首相の母は、死期が迫っているとき、オランダに駐在している息子の弘毅に一目会いたいと願うが、息子が帰国できないと分かると、自ら食を絶って眠るように亡くなったという。それが廣田弘毅のその後の生き方に影を落としたようだ。母は生きたのであって、生き永らえたのではない。強烈な生への表れである。意味もなく生き永らえたくないとの意思表示である。生きる以上は己の意思で生を全うしたい。

 

現代の生死

 人は裸で生まれて、裸で死んでいく。死ぬときは一人である。ほんの百年ほど前は、そういう生活が当たり前であった。今の世は、贅沢すぎるのだ。ありがたいことだとも、感じなくなるほど贅沢なのだ。飽食の挙句、病魔に侵されベッドに縛り付けられ、管を何本も体に入れられ、死なないように生かされている。贅沢から地獄への転落である。本人は不幸、家族は地獄、医療関係者だけが儲かる。国民は健康保険費高騰で不幸。何かおかしい。私の母が脳梗塞で倒れた時、約4か月間、意識なくベッドに横たわっていた。家族には地獄である。母の使われない筋肉が弛緩して、意識が戻っても、とても立ち上がれまいと分かる状態に体が衰退していた。

 

この世の地獄と光

 母は現代医療の限界を見せてくれた。母を見舞って、街にでると、何故自分達だけが地獄の苦しみを味わうのかとの思いに襲われた。地獄はあの世にはない、この世にあるのだ。それを作り出しているのは、我々の生きざまなのだ。それをお釈迦様は生老病死として、誰も避けられない苦しみとして教えられた。現代は血迷った狂人が、死刑になりたいと無関係の人を殺める事件が頻発する。地獄の様だ。

 地獄との出会いもご縁である。だから平穏無事な日々が、いかに極楽に近いかを悟らせてくれる。それでこの絵で何か引き付けられるものを感じて、購入を決めた。良い額も使用している。お買い得であると思う。絵との出会いもご縁である。いくら良い絵でも、その時の自分の心が共鳴しないと、手が出せない。お金の問題ではない。

 

名画とは

 私の名画の定義は、人目が無ければ盗んで自宅に飾りたくなる気持ちを起こさせるのが名画である。私は世界の美術館の70館ほどを訪問したが、海外の美術館では、残念ながら、私の定義の「名画」にはお目にかかれなかった。幸いなことに、そのため盗む機会がなく、逮捕されなかった(?)。いくらうん億円の絵でも、その美術館ご自慢の名画でも、盗んで自宅の「ウサギ小屋」に飾るには、大きすぎ、仰々し過ぎ、ゴテゴテし過ぎている。特に昔の名画は暗い作品が多く自宅に飾りたいとは思わない。そういう点で、水墨画は、欧米の油絵とは別世界の産物で、精神的な香りがする手ごろな作品である。

 

時代の波に翻弄される愚かさ

 今日2018年7月26日、オウム真理教の死刑囚6名が刑を執行された。彼らは最先端の新興宗教の大波に乗り、溺れたのだ。生きるとは何かを、自分の頭で考えず、現世の苦しみから逃れるため、現世から隔絶した教祖の教えに盲従した。

 我々は彼らを批判できない。「グローバル経済真理教株式会社」で、品質偽装、産地偽装、会計偽装、過労死職場を社長に命令されている幹部とオウム真理教の信徒と何が違うのか。上司から指示されたら、宮仕えの身で逆らえるのか。逆らって解雇されたら家族が路頭に迷う。そういう立場になったら私も拒否できるかは自信がない。オウム真理教信徒と同じ過程で、東電、タカタ、三菱自動車、東芝、電通のように、人の命を殺める不祥事が頻発している。すべては利他少欲を忘れて餓鬼道の堕ちた衆生の末路である。集めるほど、茂るほど、人は本質から遠ざかっていく。葉っぱが茂り過ぎた状態を鬱という。「足るを知る」を忘れたのだ。

 

人より0.2歩先を観て、半歩遅れて歩く

 人はなぜ絵を描くのか。人はなぜ音楽を奏でるのか。なぜ彫刻をし、文学を作り、エッセイを書くのか。己の内なる世界から湧き出してくるものを、何かに形として表現をしたいと思うのは自然であろう。

 ゴッホも金儲けの目的で絵を描いていたのではあるまい。天才であるが故、時代よりも1歩を先走り過ぎていた。それで世間から狂人と呼ばれて、貧困のうちに死んだ。天才の芸術家の多くが、不遇のうちに死んでいる。その芸術家の死後に時代が、その芸術家の思想にやっと追いついて評価されるのだ。

 天才は世の中より1歩先を行き、狂人といわれる。偉人は半歩先を歩き、事業で成功する。凡人の私は、半歩も先を行くのは難しいので、人より0.2歩先を観るように心がけている。半歩先を見るのは至難の業だが、0.2歩先なら、勉強すれば見ることは可能だ。0.2歩でも先は先である。

 しかし歩くのは半歩後でよい。自分で考えず、人と同じように世間に引っ張られて歩くのでは、社会の波に翻弄され、挙句に溺れて沈没する。その流行が正しいかどうか確認してから、世間から半歩遅れて歩いても、何の支障もない。私はスマホもやらず、フェースブックもやらず、LINEもやらず、グルメにも走らず、テレビも見ず、本に囲まれて生活をしている。しかし情報収集とご縁の獲得にはお金をかけている。

 

2018-07-28  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月27日 (金)

磨墨智572. なぜ?なぜ?と5回言おう

トヨタ生産方式

 トヨタでは問題が起きれば、何故?なぜ?を5回繰り返して真因を探る。その場しのぎの対処療法からは真の解決はない。現状肯定からは創造はない。問題点の真因を見つけないと、時間は作れない。なぜ5回なの? 何回でも「なぜ?」と言おう。そこから時間創出のアイデアが出てくる。

 私の高血圧症、網膜静脈閉塞症も、「何故?なぜ?」で解決した。真島消化器クリニックの真島康雄院長は、バラの栽培を通して、人も自然の一部だと悟り、何故なぜを何回も繰り返して、高血圧の真因を突き止めた。

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 昔は話題にならなかった認知症がなぜ増えたのか。今日2018年7月27日の日経に「某薬品メーカで認知症薬に進展」との記事があった。現在65歳以上は15%が認知症である。後追いの対処療法の薬の宣伝ばかりで、なぜ認知症が増えたかの原因追求がないのか。なぜ、なぜ? 

 昔はガンでの死亡者数がそんなに多くなかったのに、何故、現在、男性の60%がガン死まで増加したのか。医療が発達して、ガン治療は進んでいるのに、何故ガンにならない研究が進まないのか。なぜ、なぜ? 1990年は401,941人、2010年は805,236人のガン罹患者数の推移である(国立がん研究センターがん情報サービスより)。なぜ20年でがん患者が2倍に増えるのか。なぜそれを誰も追求しないのか。なぜ、なぜ?

 なぜ、大垣市の小学校のエアコン設置が県下最低の2.1%で、何故その整備が6年後なのか。気象庁から「命の危険ある」と宣言された殺人的暑さが続く緊急事態なのに。

 なぜ大垣市制百年行事で使う3億円余の一部を小学校エアコン投資に回せないのか? 子供の命より、大垣市長の椅子が大事なのか。それでいて、なぜ大垣市は「子育て日本一を目指す」などとホザくのか。

 なぜ大垣市政100年記念行事の会計報告がマル秘なのか。なぜ市民税を使う公金なのに市民に公開できないのか? 公開すると使途不明金が露見するから? なぜ、何故?

 このオリンピックで建設資材が高騰している中、なぜ不急の新市庁舎は、遅延もなく驀進しているのか。なぜ、なぜ?

 

 真因を突き止めず、対処療養で済ませるから、無駄な金と無駄な時間が浪費される。素直な眼で物事を観れば、真因が浮かび上がる。

 

2018-07-27  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月26日 (木)

脳梗塞・心筋梗塞・高血圧の真因

 私は高血圧症で、それが遠因と推定される網膜静脈閉塞症になり、視力が低下した。その原因を機械エンジニアの視点で考えて、真島院長(真島消化器クリニック)が唱える理論に納得した。それでこの1年半ほど、4か月に一度の頻度で真島先生の治療を受けている。そのお陰で、網膜静脈閉塞症もよくなり、高血圧症も小康状態になり、降圧剤の服用を止めることができた。7月に診察を受けた時、真島先生著の血管の病状の解説本が出版されたのを知り購入した。それを紹介する。

 私は、真島院長がバラの栽培を通して自然現象を観察し、人間も自然の一部だとして、トヨタ生産方式のなぜなぜを何回も繰り返して、10年間の研究でこの成果を得たことに感銘を受けた。何事も真因を突き止めないと、問題は解決しない。

 

要約『脳梗塞・心筋梗塞・高血圧は油が原因』

 真島康雄著   幻冬舎 1100円+税 2018年刊 新書版 全239頁  

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 動脈硬化とは、その漢字から、動脈がかたくなった状態だと思われ思われるかもしれませんが(p28)、動脈硬化とは、血管壁の内側に超微粒子の脂肪滴が堆積し、血管が肥厚した状態です。血管壁が内側に厚くなるために血管内腔が狭くなり、血流が悪くなり、酷い場合は、血流が途絶えてしまったりします。(p73)

 (血管内プラークは、)川底をイメージしてください。物理の法則に従えば、川底の砂のように、比重が重い超微粒子の脂肪滴ほど血管壁のなかへ堆積しやすい。(p77)

 脂肪滴というのは「油(油脂)」のことです。台所で料理や洗い物をするとき、シンクに油をたくさん流すと、やがて排水管の内側に油汚れがへばりつきます。それと似た状態が血管にも起こっているわけです。(p81)

 甘い物の食べ過ぎ、お酒の飲み過ぎは、血管内皮細胞間隔を広げます。そのため血液中の超微粒子の脂肪滴だけでなく、それよりもサイズの大きい中小の脂肪滴まで入り込むため、プラークがどんどん形成される。(p86)

 動脈硬化はあっても静脈硬化はない。微粒子の脂肪滴が血液の高水圧(正常血圧)流に擦られ、次々と正常な血管内膜・中膜へ溜まり、これがプラーク(動脈硬化)となります。静脈は動脈より桁違いに血圧が低いので、静脈プラークが形成されないのです。(p86)

 こうした過程において、(血液がプラークに阻害されて正常に送られず)組織が低酸素状態のなると肩こりやこむら返りが生じたり、さまざまなガンが発生したりすることも。(p90)

 脳梗塞は「脳血管のある場所にプラークの一部が頸動脈から剥がれて飛んできて脳梗塞になる」という仮説よりも、「ある部分の脳動脈にプラークが堆積し、その部分において脳動脈が狭くなり、その部分で血液が流れなくなって脳梗塞になる」と考える方が自然です。(p167)

 2001年発表の日本の疫学調査で「ハム、ソーセージ、レバー、揚げ物が好きな女性は肺がんになりやすい」という結果が得られている。油いためで、キッチンで調理する人の気管支も油まみれになります。私は女性の肺がんの一部は、キッチンで揮発した食用油を頻繁に吸い込むために起こっているのだと考えます。戦前の日本には、そもそも油を使った料理の習慣がありませんでした。そのお陰だと思うのですが、戦後しばらくは認知症も稀で、脳梗塞、心筋梗塞も少なかったのです。(p215)

 

私の家族の病歴

母の死

 母は高血圧で、それが原因で脳溢血となり、手術で一時は回復したが、その後、脳梗塞を発症して、4か月ほど意識のないまま、69歳で亡くなった。これは真島先生の理論でいう血管内壁のプラーク堆積が原因で、脳梗塞になったと推定される。母は肥満体で美味しいものを食べていた。

 

父の死

 父は85歳で初期の胃ガンになり、胃の全摘手術を受けて、胃ガンは完治したが、その1年後、肝臓にガンが転移して世を去った。父は高血圧の薬と睡眠薬を常用していた。つまり血管内部にプラークが溜まり、必要上で血圧が上がっていた。それを降圧剤で下げると、血の栄養素と免疫機能がある白血球の循環に障害となる。体の自律神経は、必要だから血圧を上げている。高血圧の真因を放置して、現象の高血圧を下げる対処療法なので、ガンを発症したと推定した。

 両親は私に、己の死をもって病魔を防ぐ術を教えてくれた。合掌。

 

私の病気、死の前兆

 自分の体の不調(高血圧症、肥満、心房細動、網膜静脈閉塞症、記憶力低下)は、40年間来の食生活の乱れで、血管内壁に堆積したプラークが真因であると推定した。それで真島先生の指導で、油の多い料理、菓子類、肉類、乳製品、酒類を避ける食事療法に取り組んだ。

 私の身の回りには油、糖分、添加物だらけの美味なる食品が激安で氾濫している。しかしその食品には、遅延性の毒が盛られている。それはフードトラップ(食品に仕掛けられた至福の罠)である。

 

降圧剤の弊害

 高血圧症の場合、一般的に降圧剤が処方される。しかし高血圧症は、血管内部が狭くなり、血が全身に回らないので、自律神経の機能で心臓のポンプ作用を上げているに過ぎない。降圧剤で血圧を下げると、必要な血が全身各部や脳に回らなくなると、認知症、ガンの発症率も高くなると推定した。血液には免疫酵素が含まれており、種々の病気の発症を防いでいる。その血流が、降圧剤で妨げられれば、病気にもなる。それが、自然の理である。基本的に薬は毒である。

 

真島消化器クリニックでの治療

 私は4ケ月に一度、真島消化器クリニックで診察を受けている。この医院では、看護婦からの事前問診が20分(初診)、真島院長によるエコー検査が20分、資料説明が10分、エコー検査の写真8枚と食事療法の資料40頁を渡される。全身8か所の血管のプラーク厚みを測定する医院は全国で、ここだけである。診察は予約が必要です。私の時は半年待ちでした。

 真島消化器クリニックでは8カ所の血管エコー検査を行うのが、そのうちの3カ所分の検査には保険請求ができず、時間もかかり、かなりの実質収入減となるという。それでも真島院長は、使命感で血管内プラークに起因する病気の撲滅に取り組んでおられる。金儲け主義では、これはできない。

 

真島消化器クリニック

真島康雄院長 福岡県久留米市野中町1483-4 TEL:0942-33-5006)

http://majimaclinic22.webmedipr.jp/

  血管プラークに関する研究情報が随時更新して公開されている。

 

2018-07-26  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年7月25日 (水)

仕事の報酬とは

 仕事の報酬は仕事である。お金ではない。お金は次の仕事のための支度金である。仕事での逆の報酬とは、左遷、窓際族、失業である。良い仕事をすれば、もっとレベルの高い仕事が回ってくる。出来が悪ければ、仕事が絶たれる。天の裁きは単純明快である。天網恢恢疎にして漏らさず、である。仕事で腕を上げて、さらに良い仕事をこなす。お金は後から追いかけてくる。そのお金があなたを追い抜いていくことはない。仕事でお金をひっぱって行くのだ。その逆の意識で、お金に引っ張られるから、ろくでもない人生になる。それを汚職という。

 豊かになれないのは、仕事ではなく作業をしているからだ。業を作っているからだ。

 

己の右腕

 そのために、人より多く仕事をすること。多くの人と縁を作ること。人より多くの失敗をすること。貴方が社長なら、右腕を選ぶのに、経験が多い人と、経験が少ない人と、どちらを選ぶか。答えは自明である。

 

お金と命を引き換え

 お金に引っ張られて銀行員の給与に目が眩み、バブル期に銀行に就職した学生は多い。しかし、50歳までに支店長になれなければ外に出されてしまう。当時、泥臭い製造業に就職した私は、マスコミから流れてくる華やか銀行マンが羨ましかった。しかし銀行マンは支店長になっても上からのノルマに死に物狂いである「お前の代わりはいくでもいる。ノルマ達成のため死ぬまで働け」と上司から言われたのは地元金融機関の元支店長である。その支店長で構成されるOB会の平均寿命は70歳弱という。日本の男性平均寿命より10年も短い。銀行マンはストレスでお金の代償として命を削っていたのだ。当時、それがわかっていれば、銀行に行っただろうか。 

 

成長モデル

 仕事をする目的は、己のスキルの向上と魂の浄化である。仕事という燃料を燃やして、魂を昇華させて、後世に残る遺作を作る。器としての己の体は、何時か土に還る。それが人の定めである。その燃料は、技術でも、芸術、スポーツ、政治、経済、宗教でも、それが世のためになるなら何でもよい。

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生きるとは仕事をすること

 生きるとは、仕事をすることだ。仕事をさせてもらうのが最大の報酬だ。その仕事がない人生は惨めである。定年で「辞めたけど、やることなくて徘徊す」では、生きながら社会から抹消されている。老いても、やることがあっても、それが社会に役立つことでありたい。

 仕事をする楽しみが褒賞である。仕事の疲れは、仕事で取るのが原則である。脳は疲れない。ただ同じ仕事ばかりでは飽きるので、気分転換で別の仕事に取り掛かればよい。

 

お陀仏教

 私は「真孝宗教(怪しい新興宗教ではない)」のオダ仏教を提唱している。オダ仏教の教祖の私に貢ぐのも仕事である(笑)。私は、貢がせたお金を社会に還元すればよいのだから。皆さんも自分の宗教教団を創ればよい。己が教祖となって、信徒は己ひとりで頑張ればよい。

 故人に付ける戒名の院号とは、来世で故人が修行するために建てられた寺院の名前である。故人に対して、その寺院で修行をしてくださいと付けるのが院号である。

 だから私の戒名を「御陀仏院精進居士」としようかと思案中である(?)。「放浪院徘徊居士」と言われるようでは、人生は終わりである。

 

通行手形

 仕事から得られるお金は、現世を歩く通行手形なのだ。通行手形は1通あれば十分である。それを何枚も強欲に集めるから、利他少欲の教えに反して、世に迷うのだ。

 私のお寺の仮想通貨であるオダットコインは、あの世にはもっていけない。仕事をすればするほど、文章を書けば書くほど、仕事能力が向上し、文章能力が上がるように、お金も使えば使うほど、多くの失敗をして、貴重な経験が積めて、ご縁ができ、結果として智慧がつき、お金のほうからすり寄ってきて、幸せになれる。

 

死の商売

 お金が無ければ、借金をしてそれを踏み倒せばよいのだ(?)。大資本の銀行さんも、そのリスクを含めた金利設定なので、心配ない。借金も貯金も共に、あの世に持って行けない。

 私の友人は、銀行に騙されてアパートを建て、死ぬまででも返せない1億円を超える借金を背負ってしまい、金利支払いに追われて嘆いている。返しても返しても借金の元がちっとも減らないと嘆いている。奥さんはやけくそでスマホゲームにのめり込んで、月3万円もゲーム代を散財する。それを私にぼやく友人はもっとみじめだ。なにか仕組まれた罠のようだ。だから私は彼に、踏み倒し(?)を勧めている。

 世にいう相続税対策でアパート建設を勧めるのは、詐欺である。儲かるのは銀行と建設会社と保険会社だけである。アパートを建てる側は、火の車に乗せられるのだ。銀行から金を借りる時、家屋敷を担保に取られ、生命保険に入らされるので、銀行は絶対に損をしない。人口減のこの時代、アパート経営は大変だ。銀行が言うようにはアパート経営で儲からない。銀行は貸すだけで、あとは知ったことではないのだ。

 それなら、弱者の庶民は、居直って踏み倒せばよい。借りたほうが強いのだ。人から恨まれる仕事をしている銀行の業務とは、仕事ではない。仕事とは人々に喜ばれなくては、仕事とは言えない。銀行とは「死後と」商いをしている死の商人である。

 

お足の足止めでエコノミークラス症候群

 お金を貯めて使わないから、停滞して腐敗する。貯めすぎると使うが大変で、そのために過労死になってしまう。使わないから魂の浄化ができない。お酒のアルコール消毒ではダメなのだ。お金と水は流さないと腐ってくる。人生の目的は、お金を貯めることではない。お金は、単なる道具でお足なのだ。その足を動かさないから、お足のエコノミークラス症候群に罹ってしまう。

 人生の要点は、幸せを人に与えること、それが五右衛門風呂の定理で、回りまわって自分が幸せになれるのだ。人は何時か、必ずお陀仏となるのだから。

 

支払手形

 仕事の報酬は、神仏が発行する約束手形なのだ。その支払い日付は10年後でる。神仏は、己がどれだけ我慢できるかを試されている。焦って入手すると手形割引されて、大幅に目減りする。それが仏滅。お金持ちが支払いをせっつかないように、自分の人生の「極楽金庫」を信用すれば、焦ってその報酬を請求しなくてもよい。そうすれば神様が10年後に利息を付けて倍返しをされる。

 

2018-07-25  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年7月24日 (火)

仕事の意味

 仕事とは、仕事を通して自分の能力・魂を磨くことに意味がある。仕事をするとは世のために価値を作り出すこと。その価値とは人に喜びを与えること。自分が生きていることを確認できるのは、仕事しているときだ。

 「自分」という言葉は、社会全体の中の「自らの分」を表す禅語である。己の存在が、全体の中の一部であるから、利他として社会に奉仕する。それが仕事である。その反対が利己、利己主義である。利己のためにやるのは作業である。自分の利己主義としてやるから「業」を作るのだ。

 その仕事が、人に命令されてやっているだけなら、また生きる為だけにやるなら、奴隷・動物と同じ次元である。それは生きているのでなく、生きながらえているのだ。

 価値なき仕事を盲目的にさせられ、それに従うのは、奴隷と同じである。拒否できない高校生をそんな作業に従事させるのは、シベリア流刑地の看守と同じである。この現代社会で、それを命令すること自体、犯罪である。

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無視

 2018年7月22日、大垣球場で開催された高校野球岐阜大会の折、大規模小売店アピタの駐車場で、駐車禁止の看板を掲示して、一日中、その監視をさせている行為は、仕事ではない。高校生の能力向上にも、魂を磨くことにもならない。駐車場入り口で、当番の高校生の横を通る野球観戦者の家族達は、完全に高校生を無視して、高校生の魂は絶望のどん底に落ちる。

 

真夏の怪談

 座っている高校生を横目で見る人はまだ、ましである。立哨の高校生が駐禁看板の横にいることさえ、気が付かず通り過ぎていく人が大部分である。まるで目のない白い仮面を被った亡霊が、高校生の前を次々と通り過ぎてゆく様である。真夏の炎天下の怪談である。駐車場入り口で座る高校生は、8000人も通り過ぎる観客の中で一人孤独を味わう。それが炎天下で7時間も続く。見ていて、その残酷さに背筋が寒くなる。

 その「仕事」をしても誰も喜ばない。何の価値も生まない。なにせ駐車禁止と掲示しても、だから何処に駐車すればよいか、教えられないのだ。大垣市が観客用の駐車場を建設・整備していないのだ。だから人から見ればお笑いだが、本人には地獄である。だからこれは仕事ではなく、拷問である。

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自分がその立場なら

 もし自分がその立哨の立場になったら、どうしただろう。もし部員に立哨を指名する監督の立場ならどうしただろう。自分が己の会社で、そんなレベルの仕事を部下たちにしていないか、自問したい。

 野球部員は50名から100名はいるだろう。その中から、彼はそういう選別をされたのだ。そうなった原因を反省したい。どこまで行っても、一番以外は、ビリである。自分が活躍できる世界を見つけるように、精進するしかない。そんなブラックな世界から身を引くのが最善だ。

 

アインシュタインの言葉

 1922年、アインシュタインが来日して京都大学の学生たちと対談したとき、一人の学生が、「人間は何のために生きているのですか」と質問した。アインシュタインはびっくりしたような顔をして「他人を喜ばせるためです。そんなこともわからないんですか」と答えた。

 

生きるとは仕事

 生きるとは、仕事をすることだ。何もすることがない生活は惨めだ。定年後、「起きたけど、寝るまで特にやることなし」では人間でないのだ。老いても、やることがあっても、それが社会に役立つことであっていたい。

 その仕事が一生涯を貫く仕事であれば一番幸せである。仕事をするから楽しいのであって、仕事の疲れは、仕事が癒してくれる。そうでなければ、それは作業であって、仕事ではない。作業とは、「業」を作ること。業を産めば、疲れるのは当たり前。仕事とは、「事」に仕えること。上司に仕えることではない。「事」に仕えると思えば、上司は単なる仕事の「おくり人」である。

 

人とは

 社会とは人から成り立っている。「人」の文字は、お互い支えあって立っている様を表した象形文字である。「人間」とは、人と人との間で往来しながら生きている存在である。その通行手形が、仕事である。その通行手形を価値あるものにした人が大事にされる。

 

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2018-07-24  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年7月23日 (月)

仕事の目的

 仕事とは、生きる目的と生きる糧の獲得である。松本明慶先生曰く「私は、みほとけを謹刻することによってのみ生かされている」。

 アウシュビッツやシベリアの極限状態では、生きる目的を持った者だけが生き延びた。生き延びるとは、ご先祖から頂いた命を全うすること。私の父もシベリア抑留から生き延びて帰国した。それで今の私の生がある。零下30度の極寒労働地、極貧の食事、劣悪な極酷の労働条件。朝,目を覚ますと若い戦友が隣のベッドで冷たくなっている。半分の戦友がシベリアの土に消えた。アウシュビッツでは20人に一人しか生き延びられなかった(致死率95%)。シベリア抑留開始の初期は、ロシア側の準備不足があり、致死率は80%にも達した。最終的には10%の致死率である。しかしその極限条件下でも生き延びた人達がいる。下記はドイツ強制収容所から生還し、その体験を記した『夜と霧』の著者(心理学者)、ヴィクトル・E・フランクルがとった行動である。

 

◇ 働ける体であるように見せる

  働ける状態でなければ、自動的にガス室行き

  常に若く見えるように、立ったり歩いたりする時は背筋をピッと延ばしていた。若く見えるように髭を毎日剃った。 最後のパン一切れを人に与えても、ガラスの破片で髭を剃ってもらった。

◇ 病気にならない     病気になれば、自動的にガス室行き

◇ 常に未来を信じる

   近い将来、講演会で自分が演説している姿を思い浮かべた。

◇ 収容所での苦しみは意味があると認識

   無意味だとすると生きることの価値が無くなる

◇ 愛する人との魂での会話

◇ 感動を失わない      

     沈みゆく太陽の夕焼けの風景に感動

◇ ユーモアを失わない

   自分を見失わない魂の武器

 

現代のアウシュビッツ

 現代は、飽食と痴呆的な環境(グルメブーム、痴呆的テレビ、ゲーム)が何者かから押し付けられ、その結果、それに起因する病気、社会風潮が蔓延し、遅延性の毒として脳と社会を蝕んでいる。それで、現在、65歳以上の15%が認知症となっている。認知症とは、実質的な死である。その人が、その人でなくなってしまう脳死なのだ。日本の現代人が、生きる目的と仕事を放棄した結果である。それで誰がその生き血を吸っているのか。

 そして日本人の精神の荒廃、脳死を表すかのように、前頁記載のシベイア戦没者慰霊の「恒久平和の碑」の説明銘板に落書きがされている。父親が関係した碑であるため怒りが湧き起こる。それを放置している小川敏市長にも怒りが起こる。小川敏市長は、今川順夫会長に「大垣市として大事に後世への遺産として伝える」と約束したのに、それの約束を反故にしている。小川敏市長は、その碑の前で、水まんじゅうギネス挑戦の痴行に舞い上がっていた。

 この落書きがだれの仕業か不明だが、つい左翼を思い浮かべる。左翼は何でも国のために戦ったことさえも侮辱する。我々の先祖を侮辱しては、国は栄えない。そうなれば国に寄生した左翼も滅びることが分からないようだ。

1 恒久平和の碑の説明パネルの落書き

 

現代の流刑

 どんな仕事にも意味がある。それの基本は、人を喜ばせることだ。世のためになること為すことだ。その喜ばせる第一の人間が己である。その喜びが無い仕事は、やっていて虚しく、虚脱感に襲われる。それを強制する人間は、シベリア流刑地の看守レベルでしかない。

 高校生が大規模小売店アピアタの駐車場入口で、岐阜地区高校野球観戦の車の駐禁の看板を立て見張っていても、誰か駐車を遠慮するわけでもなく、高校生は相手に注意する権限もなく、アピタも駐車禁止を望んでなく、誰からも感謝されず、皆から無視されて、炎天下でただ座っているだけ。まったく意味のない仕事を囚人のようにさせられている。そこから何の付加価値も生まれない。

 それはシベリア流刑囚が、墓穴を掘らされ、それを埋めて、またそれを掘り起こすという刑罰としての労働と何が違うのか。

 まだ駐車する人が文句を言うならともかく、「無視」なのだ。愛の反対は憎悪でなく無視なのだ。それが一番厳しい対応なのだ。高校生がかわいそうだ。なぜ市会議員も声を上げないのだ。

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 アピタ駐車場入り口で見張りの高校生 2018年7月22日、09:43

 当日の最高気温37度で、9時から17時までの苦役

   気象庁は7月23日に開いた緊急記者会見で、連日の猛暑を「命の危険がある暑さ。」と発表した。

 

駐車場が無い野球球場で無意味な見張り

 8000人を収納する大垣北公園球場で、市のHPには「当施設の駐車場は台数に限りがあります。大会等のご利用及び観戦の場合は、公共交通機関などのご利用をお勧めいたします。」とあり、つまり今の車社会の時代に、実質的に駐車場がないのだ。これでは、他市から来た観客に、駐車場を問われて、見張りの高校生たちも答えようがないのだ。それで、駐車禁止の見張りなど、拷問である。

 高野連も大垣市も、シベリア流刑囚に対すると同じレベルの拷問を前途ある高校生に与えている。人はどんな苦しいことでも、意味があれば耐えられる。この仕事は全く意味がない。これで大垣の未来を背負う若人が育つわけがない。一事が万事で、行政の建前と本音が乖離して、被害の矛先は社会で一番弱者に向かう。これも小川敏長期政権の無為無策から来た弊害である。

 

現代社会の洪水対策とは

 現代の高度経済社会の血流というべき車の交通循環で、その車の氾濫という洪水への治水(駐車場整備、道路整備)を放置しているのが小川敏大垣市政である。この小川市政17年間で、車の治水に対して何をしたのか。お城(新市庁舎)さえ作れば、防災対策だというのは、古代思考である。

 

2018-07-23  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年7月22日 (日)

高野連のパワハラ、黒幕は大垣市

 2018年7月22日、全国高等学校野球選手権岐阜大会2018年準々決勝戦が大垣市北公園野球場で開催された。大垣球場は、家族連れの観客で大混雑である。球場周辺は車の大渋滞である。その陰で、堂々と高野連が高校生にパワハラを実行していた。

 この酷暑を、今日の新聞の表題では「災害」と表現していた。この災害ともいえるこの極暑の中、駐車場の入り口で、高校生にただ駐禁の看板の横で座らせているだけの作業を強制するのは、拷問でパワハラである。

 作業にしろ、仕事にしろ、それで付加価値を生まなければ、やっても何の意味もない。その疲労度は極限になる。その高校生が野球部に入ったのは、野球をやりたくて入部したのだ。自分が出場できなくても、せめて先輩やライバル校の野球プレーを見るために入部した。そのプレーを見たいのに、炎天下、ただアピタに駐禁との注意看板の横で座っているだけなど、拷問でパワハラそのものである。

 私が目にしたのはアピタ駐車場の周辺だけだから、球場西入り口、日大大垣高校の校庭、他の駐車場を考えると20人から30人もの高校生が、この球場近辺で駆り出されているようだ。

1p1050217 アピタ駐車場北側の徳洲会病院前 2018年7月22日、10:10

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アピタ駐車場西側入り口 2018年7月22日、10:21

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看板の横に座っているだけで、見ていて気の毒 2018年7月22日、10:10

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球場の南入口に4人の高校生が朝の9時から17時まで駐車場の監視で座らされている。 2018年7月22日、10:18

大垣行政の怠慢

 大垣市の都市計画がデタラメなのだ。駅の北側の一等地に駐車場も整備せず、1961年に建設した運動競技場、野球場の周辺設備を放置した。なおかつ以前はあった駐車スペースに幼稚園を建設して駐車場をつぶした。

 野球場ができた当時は、大垣市も繊維産業が盛んで、その周辺は近江絹糸や鐘紡の工場が栄えていた。その当時は大垣駅の北側周辺が工場地帯であった。それが、時代の変遷で、近江絹糸工場が撤退し、アピタが進出してきて、徳洲会病院ができ、近江絹糸工場跡に高級住宅地ができてと、環境が大変化した。それにも関わらず、大垣行政は、道路も正規に拡張せず(中途半端な拡張)、この場所には不適な野球場、総合競技場を放置したままにした。ただでさえ少ない駐車スペースを、小川敏市制は、ここに幼稚園を建設して、貴重な駐車場をつぶした。

 またこの地域の道路のキャパシティが小さいので、いつも大渋滞である。経済の血流と言うべき道路行政が古代の思考のままなのだ。

 

あるべき姿

 本来、大勢の人が車で集まる施設の野球場は、大垣市郊外に駐車場を完備して建設すべきである。郊外には場所はある。上石津にならもっと広大な土地がある。60年前の市民が徒歩や自転車で移動していた時代とは違うのだ。そのインフラ整備を小川敏市制は放置した。大規模小売店、総合運動場、野球場を設置してあるのに、それに対応した道路を造らなかった。駐車場を設置しなかった。

 大垣市の郊外なら土地は余裕があり、そこに運動施設を造らず、大垣駅周辺に住宅地、大規模小売店、運動施設を作るという間違った政策をとり続けた。

 その結果が、高校生にまったく意味のない駐車場警告の見張り看板係をさせる顛末となった。その仕掛け人の黒幕は大垣行政なのだ。なにが子育て日本一、教育の町大垣なのか。

 

アピタの見解

 アピタの駐車場の駐車場係の人に確認したら、「アピタとして、どんな人もお客様で、野球観戦後、観戦前と買い物をしてくれので、駐車禁止にはできない。買い物客と観戦者の区別も困難」という。だから単に、高野連が、アピタに忖度して、駐車場入り口に高校生を立たせているだけなのだ。まったく意味がない門番である。

 だから高校野球観戦の皆さんがアピタに駐車しても、皆さん堂々と大垣球場の方に水筒や日傘をもって楽しそうに行く。横の看板をもって座っている高校生など、目に入らないようだ。

 担当の高校生は、試合開始の10時前から、試合終了の5時近くまで、一番熱いさなかの炎天下に座らされている。可哀そうで、大人の高野連の対応が情けない。

 周りの道は車で大渋滞だし、アピタに買い物をしたくても、野球観戦の車で満杯で駐車もまあならぬ。

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アピタの周辺道路。狭い道で、大渋滞。 2018年7月22日、10:16

 

流刑囚の刑罰

 高校生が駐車の禁止の看板を立てて、横に見張っていても、誰か駐車を遠慮するわけでもなく、高校生に注意する権限があるわけでもなく、アピタが駐車禁止を望んでいるわけでもなく、誰かが感謝してくれるわけでもなく、全員から全く無視されて、炎天下でただ座っているだけ。まったく意味のない仕事をさせられている。

 シベリア流刑囚が、墓穴を掘らされ、それを埋めて、またそれを掘り起こすという無意味な労働という刑罰を何度もさせられていた歴史を思い出した。高野連も大垣市も、シベリア流刑囚に対すると同じレベルの拷問を前途ある高校生に与えているのだ。人はどんな苦しいことでも、意味があれば耐えられる。この仕事は全く意味がない。親が野球をやっていると信じて、子供を送り出しているのに、親への裏切り行為である。大垣市長や教育長は、教育の全責任者として、この事実を認識をしているのか。

 高野連は、高校生にパワハラを行っている。その黒幕は大垣市である。大垣市の教育委員会は何をしているか。大垣市の小中学校のエアコン設備率は、2.1%と県下最低である。口先では、子育て日本一をめざしているとほざいているが、その子供に対する本音は、押して知るべしである。

 

高野連の対応

 野球場の入場料に高野連は500円も徴収しているのに、タダで高校生を使って警備をさせる。なぜ数百万円もある入場収入から、警備員を雇って駐車場管理ができないのか。警備員の費用もせいぜい、入場収入の1割もかかるまい。その入場収入をだれが食べてしまうのか。

 せめて大垣市北公園球場で試合をやるのでなく、長良川球場で試合をやればよいではないか。

 大垣市北公園野球場では、正規の駐車場がどこかの案内すらない。なにせネットの広報情報でも駐車場の案内さえないのだ。門番の高校生でも、市外から来た人をどこに案内するか、知らないのだ。お笑いである。

 

高校野球という聖域

 高校野球は、高野連、朝日新聞、NHK、文部科学省の管轄なので、聖域として誰も問題点の指摘をできないようだ。なぜこの酷暑の中、夏に野球をやらねばならないのか。時期をずらせばよいではないか。なぜ一日中、電気を垂れ流して野球を放映するのか、もっと日本の国の存亡にかかわる大事な情報が放映されないようになっていないのか。この高校野球という化け物は狂っている。だれにも止められない。止ねられないのは狂っている証拠である。その一端の現象が、大垣アピタの駐車場に強制される高校生門番の愚行である。人権侵害、未成年虐待である。高校生は声を上げれないのだ。選挙権もないのだ。大人はやりたい放題である。

 

酷暑の中での野球の暴力

 2018年7月9日、甲子園球場の全国高校野球選手権大会で、35度を超える中、熱中症や日射病で救護室に行った観客は8日に61人、9日に42人になった

 2018年19日午前11時20分ごろ、熊本市のリブワーク藤崎台球場で観戦の生徒ら22人が熱中症とみられる症状を訴えて、手当てを受け病院に搬送された。熊本市ではこの日、午前9時の時点で気温が30度を超え、同11時には33.8度であった。

 大垣市の7月22日の最高温度は37度であった。その中で、拒否できない高校生に強制的な駐車場監視役をさせるのは、人権侵害で、暴力的傷害行為である。何がスポーツ教育での人格形成なのか。聖域である高野連という教団は、スポーツこそ神聖と、なんでも鸚鵡返しに言う思考停止の鸚鵡真理狂団と何が違うのか。

 

高野連という名の聖域宗教団体

 現在の学校教育員会からは、暑さで行事が中止とかのメールが生徒に良く入ってくるようだ。しかし、高校野球は聖域とかで、そんな中止連絡は来ないようだ。聖域という驕りが、傍若無人の行動になるようだ。オウム真理教のように。オウム真理教も当初は、宗教の聖域として警察も手が出せなかった。警察は、事件が起きないと動けないのだ。現在の行政も、生徒が倒れるとか死亡事故が起きないと動かない。情けない有様である。

 高校野球で大垣の子供達が命の危険に晒されている。それでなぜ、行政が動けないのか。今年の発表した「大垣市未来ビジョン」では「『子育てなら大垣市』のイメージが浸透している」と大嘘が書かれている。今日のアピタの駐車場係を見て、それを再確認した。

 

2018-07-22  久志能幾研究所 小田泰仙  

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