« 仕事の意味 | メイン | 脳梗塞・心筋梗塞・高血圧の真因 »

2018年7月25日 (水)

仕事の報酬とは

 仕事の報酬は仕事である。お金ではない。お金は次の仕事のための支度金である。仕事での逆の報酬とは、左遷、窓際族、失業である。良い仕事をすれば、もっとレベルの高い仕事が回ってくる。出来が悪ければ、仕事が絶たれる。天の裁きは単純明快である。天網恢恢疎にして漏らさず、である。仕事で腕を上げて、さらに良い仕事をこなす。お金は後から追いかけてくる。そのお金があなたを追い抜いていくことはない。仕事でお金をひっぱって行くのだ。その逆の意識で、お金に引っ張られるから、ろくでもない人生になる。それを汚職という。

 豊かになれないのは、仕事ではなく作業をしているからだ。業を作っているからだ。

 

己の右腕

 そのために、人より多く仕事をすること。多くの人と縁を作ること。人より多くの失敗をすること。貴方が社長なら、右腕を選ぶのに、経験が多い人と、経験が少ない人と、どちらを選ぶか。答えは自明である。

 

お金と命を引き換え

 お金に引っ張られて銀行員の給与に目が眩み、バブル期に銀行に就職した学生は多い。しかし、50歳までに支店長になれなければ外に出されてしまう。当時、泥臭い製造業に就職した私は、マスコミから流れてくる華やか銀行マンが羨ましかった。しかし銀行マンは支店長になっても上からのノルマに死に物狂いである「お前の代わりはいくでもいる。ノルマ達成のため死ぬまで働け」と上司から言われたのは地元金融機関の元支店長である。その支店長で構成されるOB会の平均寿命は70歳弱という。日本の男性平均寿命より10年も短い。銀行マンはストレスでお金の代償として命を削っていたのだ。当時、それがわかっていれば、銀行に行っただろうか。 

 

成長モデル

 仕事をする目的は、己のスキルの向上と魂の浄化である。仕事という燃料を燃やして、魂を昇華させて、後世に残る遺作を作る。器としての己の体は、何時か土に還る。それが人の定めである。その燃料は、技術でも、芸術、スポーツ、政治、経済、宗教でも、それが世のためになるなら何でもよい。

Photo

生きるとは仕事をすること

 生きるとは、仕事をすることだ。仕事をさせてもらうのが最大の報酬だ。その仕事がない人生は惨めである。定年で「辞めたけど、やることなくて徘徊す」では、生きながら社会から抹消されている。老いても、やることがあっても、それが社会に役立つことでありたい。

 仕事をする楽しみが褒賞である。仕事の疲れは、仕事で取るのが原則である。脳は疲れない。ただ同じ仕事ばかりでは飽きるので、気分転換で別の仕事に取り掛かればよい。

 

お陀仏教

 私は「真孝宗教(怪しい新興宗教ではない)」のオダ仏教を提唱している。オダ仏教の教祖の私に貢ぐのも仕事である(笑)。私は、貢がせたお金を社会に還元すればよいのだから。皆さんも自分の宗教教団を創ればよい。己が教祖となって、信徒は己ひとりで頑張ればよい。

 故人に付ける戒名の院号とは、来世で故人が修行するために建てられた寺院の名前である。故人に対して、その寺院で修行をしてくださいと付けるのが院号である。

 だから私の戒名を「御陀仏院精進居士」としようかと思案中である(?)。「放浪院徘徊居士」と言われるようでは、人生は終わりである。

 

通行手形

 仕事から得られるお金は、現世を歩く通行手形なのだ。通行手形は1通あれば十分である。それを何枚も強欲に集めるから、利他少欲の教えに反して、世に迷うのだ。

 私のお寺の仮想通貨であるオダットコインは、あの世にはもっていけない。仕事をすればするほど、文章を書けば書くほど、仕事能力が向上し、文章能力が上がるように、お金も使えば使うほど、多くの失敗をして、貴重な経験が積めて、ご縁ができ、結果として智慧がつき、お金のほうからすり寄ってきて、幸せになれる。

 

死の商売

 お金が無ければ、借金をしてそれを踏み倒せばよいのだ(?)。大資本の銀行さんも、そのリスクを含めた金利設定なので、心配ない。借金も貯金も共に、あの世に持って行けない。

 私の友人は、銀行に騙されてアパートを建て、死ぬまででも返せない1億円を超える借金を背負ってしまい、金利支払いに追われて嘆いている。返しても返しても借金の元がちっとも減らないと嘆いている。奥さんはやけくそでスマホゲームにのめり込んで、月3万円もゲーム代を散財する。それを私にぼやく友人はもっとみじめだ。なにか仕組まれた罠のようだ。だから私は彼に、踏み倒し(?)を勧めている。

 世にいう相続税対策でアパート建設を勧めるのは、詐欺である。儲かるのは銀行と建設会社と保険会社だけである。アパートを建てる側は、火の車に乗せられるのだ。銀行から金を借りる時、家屋敷を担保に取られ、生命保険に入らされるので、銀行は絶対に損をしない。人口減のこの時代、アパート経営は大変だ。銀行が言うようにはアパート経営で儲からない。銀行は貸すだけで、あとは知ったことではないのだ。

 それなら、弱者の庶民は、居直って踏み倒せばよい。借りたほうが強いのだ。人から恨まれる仕事をしている銀行の業務とは、仕事ではない。仕事とは人々に喜ばれなくては、仕事とは言えない。銀行とは「死後と」商いをしている死の商人である。

 

お足の足止めでエコノミークラス症候群

 お金を貯めて使わないから、停滞して腐敗する。貯めすぎると使うが大変で、そのために過労死になってしまう。使わないから魂の浄化ができない。お酒のアルコール消毒ではダメなのだ。お金と水は流さないと腐ってくる。人生の目的は、お金を貯めることではない。お金は、単なる道具でお足なのだ。その足を動かさないから、お足のエコノミークラス症候群に罹ってしまう。

 人生の要点は、幸せを人に与えること、それが五右衛門風呂の定理で、回りまわって自分が幸せになれるのだ。人は何時か、必ずお陀仏となるのだから。

 

支払手形

 仕事の報酬は、神仏が発行する約束手形なのだ。その支払い日付は10年後でる。神仏は、己がどれだけ我慢できるかを試されている。焦って入手すると手形割引されて、大幅に目減りする。それが仏滅。お金持ちが支払いをせっつかないように、自分の人生の「極楽金庫」を信用すれば、焦ってその報酬を請求しなくてもよい。そうすれば神様が10年後に利息を付けて倍返しをされる。

 

2018-07-25  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

コメント

コメントを投稿