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2018年7月

2018年7月22日 (日)

親の死からの学び

 昨日の2018年7月21日、父の17回忌、母の27回忌の法要を彦根の菩提寺で行った。最近の都会では、親の法要は、7回忌迄くらいで、後の法事を行わないご時世である。それなのに親の27回忌法要を行えるは、ありがたいことだと思う。親を偲ぶ法要は、子としての義務だと思う。法要を行うことで、親のご恩を思い出し、自分のこれからの生き方に光を与えてこそ、故人が喜ぶ法要だと思う。

 

鱗介の族は水を虚と為し、水の実たるを知らず

  佐藤一斎 言志四録 後六53

 現代訳:人間という奴輩は、空気があることを意識もせず、感謝もせず、金儲けに熱中して走り回っている。今自分が有るのは、親、ご先祖があってのこと。それを忘れて大きな顔をしているのは、最大の親不孝である。

 

法要でのご利益

 日頃、疎遠になっている親せきと顔を合わせ、近況報告をしあって、自分の立ち位置を確認する。まだまだやれる自分を確認することは、うれしいことだ。

 前回の法要の時に顔を出していた親せきが、死亡や加齢で出られなくあり、一人、一人と姿を消していく様は、寂しい限りである。人生の有限を教えてくれる行事でもある。

 この酷暑の中、3時間も車を飛ばして彦根まで来てくれる親戚に感謝である。

 

ボケの目覚め

 連日の酷暑のせいでの疲れか、加齢によるボケか、認知症か、お供えをお店に取りに行くのを忘れて、高速道路に乗ってしまった。それに気が付いても高速道路上なので逆走もできず、結局、次のインタチェンジで降りて23キロもの回り道をして、40分ほど遅れてお寺に到着した。余裕をもって出たので、法要開始時刻には間に合ったが、私が法要の主催者なので、失態ではある。大きな行事を運営することは、己の事務処理能力の現状把握ができる。今日の法要は1敗1勝であった。まだまだやれる自分と己の老いの発見である。

 

親の背中の教え

 人は何のために故人の法要を行うのか。そういうことを、両親から背中で教えてもらっていないと、その意味を考えることもないようだ。私は両親から、法要をして当たり前、仏壇に手を合わせて当たり前として育ったので、法要をすることに何の疑問も感じない。

 そうでない親戚を見ると、本人は認識していないようだが、人として最大の不幸せを見る。残念ではあるが、その親戚とは距離を置かざるを得ない。さらに悲劇なのは、それに相手は気が付かないのだ。

 

ご先祖を軽視の世代

 しかし最近、「今後、両親の法要をする気はありません」と7回忌以降の法要なしをお寺さんに宣告する遠戚を見ると、考えてしまう。法要はおろか、お墓参りも数十年、ご無沙汰のようでは先祖を思う心は、その子供に伝わるまい。その子供の子も同じである。

 そういう輩が世にはびこるから、「誰でもよかった」という無差別殺人事件が起きるのだ。ご先祖からの脈々とした血のつながりを見れば、人殺しなどできるわけがない。人殺しを犯した人の家には、仏壇・神棚はないものだ。

 

親の歳までは生きる

 若いころは体の弱かった自分が、現在は健康で、母の歳まで生きてこられたことに感謝である。それを実感するのが法要である。同期の仲間はすでに2割が他界している。親孝行として、せめて親の歳までは生きたいと思う。できれば親の50回忌を勤めてあげたい。92歳で現役の馬場恵峰先生を模範とするとまんざら、実現性がないではない。死んでもいいから(?)、健康管理ファートで生きている。

 

酷暑

 当日の酷暑で、本堂でのお経が終わり、お墓の前でのお勤めでは、酷暑の日差しでクラクラしそうであった。お寺さんが、ここで皆さんに倒れてもらっては困ると、短時間でお経を切り上げ、無事に法要が終了した。聞けば、お墓の前でのお経上げ時、倒れる人も出ているとか。酷暑の日本で法要にも影響が出ている。異常な暑さである。

 

両親の最期の教え

 法要からの教えは、両親の死因からの生き方である。両親と同じ生活習慣を持っている己は、両親と同じ病気にかかる確率が高い。それを教えてくれるのが親の死である。それを再度、法要で認識させられる。親は、「貴方も何時かは死ぬのだよ。せめて私と同じ病気では死なないで。私の死から学んでくれ」が親の最期の教えであった。

 

父の死からの学び

 父は85歳で初期の胃ガンになり、胃の全摘手術を受けて、胃ガンは完治したが、その1年後、肝臓にガンが転移して世を去った。そのことを法事のたびに考える。父は85歳の高齢なので、本来ならガンの進行も遅く、他への転移の確率も小さかったはずだ。父はシベリア抑留を生き延びた体である。

 父は高血圧の薬と睡眠薬を常用していた。私も20年来の高血圧で、その対策を模索していた時、真島消化器クリニックの真島先生の説に出会い、機械設計者として、油圧回路設計もした経験から納得した。つまり血管内部にプラークが溜まり、必要上で血圧が上がっている。それを降圧剤で下げると、血の栄養素と免疫機能がある白血球の循環に障害となるとの説である。体の自律神経は、必要だから血圧を上げているのだ。高血圧の根本原因を放置して、現象としての高血圧を下げる対処療法をするから、別の病気が出てくるのだ。ストンと納得できる説であった。

 それから、血圧が上がる原因である血管内プラークの低減として食事療法に取り組んで、2年弱で降圧剤の服用をやめることができた。父親の死からの学んだ最大の教えである。

 

2018-07-22  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月20日 (金)

大垣市行政、オウム真理狂症候群を発病

 昨日2018年7月19日、町内のヤブ用があり大垣市役所東別館に行ったが、思いついて本館に寄って見た。そこにあってはならない垂幕「祝 世界記録達成!!」がまだ掲示されたままになっていた。1か月前の617日に、日大三島高校でギネス記録が更新されたのに、まだ過去の記録の垂れ幕が、自慢げに、未練たらしく掲示されている。大垣行政はオウム真理狂症候群を発病した。

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オウム真理狂症候群とは

 民間信仰として世にはばかる名声、虚名、古ブランドを盲信して、ありがたい教えとして受け入れること。虚名がばれても、世間体の手前、やめるわけにはいかなくなった状態を表す。世に跋扈する民間信仰を盲信して「オウム返し」に反応するので鸚鵡真理狂症候群と書く。

 

ギネス狂記録とは

 わずか2週間で記録が更新される世界記録は価値がない。なにせ、その記録達成の過程に汗も知恵も涙もない。前回の記録人数より、人を多く確保できれば、世界記録は確実に達成できるシステムである。その記録更新のために税金を使って取り組むのは背信的、狂信的行為である。アーんと相手に食べさせるのに、失敗など1%もない。なにせ大垣市役所の部長職まで全員駆り出しての愚行である。世にいう世界記録とは、別次元の記録である。

 

オウムとギネスの差

 だから簡単に「世界記録」が更新できる。儲かるのはギネス社とコバンザメ会社だけだ。大垣市はギネス社に騙されたのだ。もしくは、騙されたふりをして、大金を使い、裏金を作ったのかも。使用用途が非公開だから、市民には分からない。なぜ非公開なの?

 ギネス社の「世界記録を取ると有名になって町おこしができます。貴方にはギネス世界記録®保持者の称号を差し上げます」とオウム真理教勧誘句「入信すれば貴方だけ超能力が獲得できます。貴方は特別扱いで尊大師の称号を与えます」と何が違うのか。どちらも儲かるのは、教団だけである。どちらも眉唾ものの御利益を謳い、どちらの称号にも価値がない。それを信じた信徒が馬鹿である。

 

5S 整理整頓清掃清潔躾け

 用の終わったものは速やかに撤去(整理整頓)する。トヨタは5Sを徹底して、世界一になった。大垣市は5Sを無視して落ちこぼれた。大垣市は、いつまで過去のギネス挑戦記録に囚われているのか。

 東大を出たのは40年前の過去の話である。価値観が大変革しているこの時代、記憶力と学歴だけでは、現代の政治経済は回せない。その記憶力も判断力も加齢とともに衰えている。それに囚われる政治をするから、大垣市は衰退の一途である。周りの都市がリニア景気に沸く名古屋に牽引されて公示地価が高騰しているのに、大垣市は置いてきぼりである。だから不潔な大垣行政の不透明さが際立つ。

 

ギネス商法

 2週間後に日大三島高校によるギネス記録更新が明白なのに、知らん顔をして大垣のギネス挑戦記録に立ち会うギネス公認職員も、厚顔無比である。狩猟民族のギネス社はしたたかである。狩猟民族の考えでは、騙されるほうが馬鹿なのだ。ギネス社に営業センスと良心があれば、2週間後の日大三島高校のギネス挑戦申請を半年待たせるとかの営業良心や配慮があってもしかるべきだ。大垣市はあほなカモだから、まんまとギネス教団に金を巻き上げられた。

 表彰式で、浮かれて痴呆的な表情の大垣市長を横目に、冷酷な眼のスマし顔で眺めているギネス公認立会人の顔は見ものである。当然、彼女は2週間後に予定された日大三島高校のギネス挑戦を知っている。それが99%成功することも知っている。ギネス社は平成元禄大垣猿芝居の興行師でもある。

 この興行費900万円は市民税なのだ。どう計算しても、その大半が使途不明金となって消えている。誰が「饅頭」を食べたのだ。市長にはその内容を正しく公開する義務がある。なぜ、大垣市長は、使途不明金の公開から逃げまくっているのか?

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 なぜ次のギネス挑戦が2週間後に設定されたのか。ギネス挑戦には、英国からの公式認定人の立ち合いが必要である。それでビジネスクラス、グリーン車での交通費とホテル代が請求される。その費用約50万円と推定される。それが2週間の間隔なら、公式認定人が日本に宿泊して飛行機代を節約、ダブル請求できるからと推定される。それなら2週間分のホテル代を払ってもペイできる。報道写真で見ると、三島のギネス立会人と大垣とは違うようだから、もっと高度な細工をしているようだ。

 

マスコミの弱み

 マスコミも「アーんとして、水まんじゅうギネス記録 大成功」、「ギネス世界記録®保持者になれたなんて夢みたい」との参加者の喜びの声を誇大報道で展開した手前、実はわずか2週間後に簡単に三島高校で記録が破られましたとは、地元では新記録の報道はできまい。だから、中日新聞三島地方版でのギネス挑戦成功の報道はあっても、中日新聞西濃版には、そんな報道は掲載されない。中日新聞は、地方が違うから報道しなかったと、言い訳をするのだろう。そうしないと、大垣市広報課に睨まれてしまう。中日新聞は忖度に忙しいのだ。

 知らぬはかわいそうな大垣市民ばかり。年配の大垣市民に聞いても、大垣市政に関心がないから、水まんじゅうギネス記録も知らない人が多かった。だから大垣市もマスコミもやりたい放題である。その会計報告は、非公開なのだ。行政はおいしい水饅頭をいただいた。それの追求報道を中日新聞は絶対にしない。

 

ギネス真理教狂騒曲

 全マスコミが、あーんと口を開けて水饅頭、コロッケ、おにぎりを食べる様を、お祭り騒ぎで報道する。それと、オウム真理教が超能力の宣伝をするのに、マスメディアをフル活用したプロパガンダと何が違うのか。テレビから流れていた「オウム♪  オウム♪  アサハラショーコー♪」の宣伝音楽が、今でも耳に残る。

 当時、麻原教祖の超能力を多くのマスコミが報道するが、私には、それに疑問を呈したマスコミの記憶がほとんどない。現在の世界記録達成を「ギネス♪ ギネス♪ 世界記録♪」と絶賛するマスメディアの大合唱と何が違うのか。ギネス挑戦記録を報道するマスコミは多いが、報道しないマスコミは少ないのが現実である。つまりこの20年、マスコミは学んでいない。むしろフェイクニュースを垂れ流して劣化している。読者は正直だ。だから新聞購読数の減少が止まらない。マスコミはギネス真理教の信徒なのか。

 その新聞購読者は、疑問を思わないように洗脳教育をされている。そんな新聞社に、1年間で5万円、10年で50万円、40年間で合計200万円をお布施として差し出すのだ。

 

教団の禁止事項

 オウム真理教がモデルとした某新興宗教団体は、「教祖より授けられた経典とか宝塔を捨てると地獄に堕ちるぞ」とその教団の書籍(教祖のゴーストライター作)で脅している。私は一時、その教祖の本にはまり、それを見つめることで、その手口が見えてきた。多数の書籍は、ゴーストライターがいなければ、執筆が物理的、時間的に不可能である。それは私が本を出版して経験的に分かった。

 世界記録の垂れ幕を、後生大事に大垣市役所のロビーに掲示している行為は、教祖から授かった「ご宝塔」を崇めている宗教信徒と同じである。正常人が見れば、あほかいな、である。大垣市役所職員は、オウム真理教のヘッドギアに縛られた信徒と同じである。お役人の世界は、ヒラメに徹しないとポアされる。ギネス世界記録®を捨てると地獄に堕ちる(左遷)と恐れているようだ。民間企業が、会社に貢献した利益で人事評価されるのとは違い、お役所は、いかに上司に従うかで評価される。これが日本の最高学府を卒業した教祖に引導されている大垣市の行政の実態なのだ。西濃の地方紙もギネス教団に洗脳されているのだ。

 

ご利益

 この宗教を信じると、市民税を行事で使い放題になるご利益がある。その会計報告も領収書も不要である。自分たちに都合の良い条例を作り、会計報告は非公開としたためだ。だから美味しすぎてやめられない。その論理が現代民主主義の社会でおかしいことに、東大出の大垣市長が理解できないのだ。それが鸚鵡真理狂症候群の病状である。これこそ「世末」である。

 この組織の行動は、宗教と組織と役人の世界、詐欺にかかる人間心理学の研究データが得られる宝庫である。これを研究対象として得られるご利益とは、人としての生き方の反面教師の教えである。

 

涅槃

 我々は、左脳で考えた言葉として、世界記録、東大出、市制100周年記念、大垣さん、元気ハツラツ市、ご利益、等を理解している。しかし、これらの事項を右能の感性として考えて、全自然、全宇宙、悠久の歴史から見て、どういう意味があるのか。99年と100年と何が違うのか。神話の世界から続く歴史の中に身を置くとき、それは意味をなさない名詞なのだ。全ては空であり無なのだ。無とは色なのだ。それが般若心経の教えなのだ。もっと全世界・全宇宙の一員としての己を見つめることが必要だ。それに気が付けば、もっと大人になれる。色に拘る現大垣市長は小人(ことな)である。

 己は全宇宙の一部であると認識する境遇が涅槃である。涅槃の境地になれば、食べ物を粗末にするギネス記録獲得狂騒曲の愚劣さ、金遣いの荒い市制百年記念事業狂騒曲の痴行の数々、間違った政策に固執する大垣行政の愚かさが見えてくる。

 ご先祖様は「お天道様が見ている」を信じて、間違った道を歩まなかった。それこそが先人が残した智慧である。世には人智の及ばない存在がある。

 

2018-07-20  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月19日 (木)

犬猫より下に扱われる大垣の青少年

 大垣市政100年事業で、平成30年度「市民運動5つの目標」(この文書の末尾に記載)が公開された。私は、そのあまりの愚劣さに呆れた。これは大垣市の恥を全国に晒している。この「市民運動5つの目標」公開から導かれる大垣行政の結論を3つにまとめる。

 

結論1

 この「市民運動5つの目標」の文言より、この目標の大垣市民像を一言で描くと、「モノ・電気・支払いをケチり、交通安全旗を神仏のお守りとして、青少年よりも樹木を大事に、青少年よりも大事な犬猫を躾け、犬猫の排泄物を始末して美しく、ついでに青少年の育成にも努力をしましょう」である。

 これは努力目標であるから、目標が成就しなくても、何の責任も問われない。誰も責任を取らない。それなら、目標を作る意味がない。言語明瞭、定義曖昧である。

 

結論2

 文書「市民運動5つの目標」は、全く推敲がされていない。この言葉に魂が籠っていない。市民運動の目標の言葉として、あまりにお粗末な文書構成である。言葉で大垣市民を侮辱している。文書は、何度も磨き、砥ぐという推敲を重ねなければ、人の心を切り開く文書にはならない。目標として全市に提示する文書は、簡潔に、美しく、韻を踏んでリズム感ある文体に仕上げるべきだ。

 それに対してこの文書は、あまりに拙すぎ、日本語の持つ美しさをぶち壊している。くどくどした文章で、リズム感もなく、長いだけ。まるで大垣市長の演説のようである。だだ思いつくまま喋ればよい、書けばよいとした文体となっている。文書伝達効率が最悪で、多くの人の時間を奪い、大垣の経済発展の阻害となっている。これは行政の全てに通じており、一事が万事である。

 

結論3

 「市民運動5つの目標」は不要である。岐阜県内主要都市21市中で、過半の12市が「市民運動の目標」の制定がない。つまり常識がある過半の12市は、「市民運動の目標」設定を無価値と認定して、制定しなかった。なぜならその上位方針の「市民の誓い」等の市政理念があるからだ。他市は、「市民運動の目標」がなく、これにかかる貴重な時間、資源、人の無駄を無くしているので素晴らしい。

 

世の常識とは

 物事には順番がある。言うにも掟がある。何時の時代も一番大事な事項は、一番最初に据えるのが大原則である。葬儀でも、焼香順番を間違えると、大騒動になる。一番大事な人が最初に焼香をするのだ。一番最後に焼香する者は、一番縁の薄い人である。祝辞でも、国会議員の祝辞が最初である。市会議員のそれを最初にしては、司会者の首が飛ぶ。それを守らない人は常識が疑われ、馬鹿にされ、嘲笑される。

 この大垣市「市民運動5つの目標」の項目順番に、大垣市の根本的な人間性欠如が見える。このレベルの能力で行政を履行しても、大垣市は良くならない。

 

問題点1

 なぜ、第4項「犬・猫は正しく飼い、排泄物は飼い主が責任をもって始末をしよう」が、第5項「青少年を励まし育てよう」より先に記載があるのか。大垣市は、大垣の青少年の育成より、犬・猫の飼育が大切だと宣言している。大垣の未来を背負う青年を馬鹿にするな、と言いたい。

 

問題点2

 なぜ、第5項「明るい青少年都市をつくりましょう」が、末尾に置かれるのか。大垣市は、青少年の事は一番軽視しているという意思表示である。

 

問題点3

 なぜ、5つの項目で、環境(省エネ)、環境(安全)、環境(緑化)、環境(美化)、教育(青少年、家庭)という順番なのか。なぜ環境ばかりなのか。第1項から第4項までは、環境の目標で、行政の仕事である。安全なまちづくりは、行政の仕事で、お金がかかる。昨年の市民の安全を脅かす基幹道路、室村町アンダーパスの水没事故、ドローン墜落人身事故、全て大垣市政の問題で、市民では解決できない。その目標達成を大垣市民に押し付けるな、である。

 「資源ごみの回収を推進しましょう」といいながら、市民が汗水たらして集めた労苦に対して、市民の省資源活動でゴミが減り、その報奨金が余っているのに、その回収報奨金をなぜ3割もカットするのか。それでいて、愚劣な大垣市政100年記念行事に3億円余も大判振舞いの浪費している。なおかつ、大半が使途不明で疑惑が氾濫である。疑惑が氾濫しない、美しい行政環境を作って欲しい。

 

市長の血迷い

 2018年7月15日の第89回都市対抗野球大会の始球式で、この36度を超える酷暑の中、小川敏市長がご老体に鞭打って、厚い服装をまとい芭蕉の姿に扮して奮闘していた。そんなことでは歴代市長のように、お命を縮めますぞ。数日後に至近距離でそのお姿を見たが、お疲れが出たようで動作が緩慢で鈍かった。そんな始球式は、ピチピチの「ミス大垣(水の都おおがき親善大使)」に任せた方が、皆さんは大喜びである。都市対抗野球大会の場では、大垣市長の登場は歓迎されない。大垣市長は、もっと市民が喜ぶことを考えて欲しい。そんなことに精力を使うなら、その分の精力を大垣市民の環境向上の政策のために使って欲しい。

 

問題点4

 なぜ省エネが、全5項目中で、一番大事なのか。青少年の人づくりの事より、省エネ、省資源が大事なのか。青少年の育成より、犬・猫の方が大事なのか。青少年より樹木が大切なのか。大垣市政100周年で、一番、金、エネルギーの無駄使いをしているのは小川敏大垣行政である。水まんじゅうギネス挑戦、大垣さん大集合、ミッキーマウスのパレード等々、金と人と資源の無駄遣いばかり。

 

問題点5

 なぜ大垣市の公共トイレが日本一汚いのか。大垣市行政のあんたに「まちを美しくしましょう」なんかは、言われたくない。まず行政が金と人を投入して、大垣市を美しくすべきである。市民に言うのは、それからだ。まず大垣市長が範を示して欲しい。

 大垣市内の観光看板、モニュメント、街路灯等が保守がされず、錆だらけ、鳥の糞だらけ、ペンキが剥げ放題である。市民に市街の美化のお説教を垂れるより、先に大垣市が範を示して欲しい。

 

問題点6

 この平成30年度「市民運動5つの目標」が、誰の責任で作成され、誰の責任で承認され、誰のために公開されたかが、全く不明である。大垣市の作成なのか、連合の作成なのか、自治会の作成なのか、さっぱり分からない。ネットで調べると2013年には、この「市民運動5つの目標」は存在したようだ。しかし歴代の自治会長に聞いても、そんな項目を議論したことも承認を求められたこともないという。無責任体制の極みである。この作成にもお金がかかっている。

 

問題点7

 岐阜県の他市の例を見ても、大垣市の「市民運動5つの目標」は異端を放っている。まるで価値がない異様さを放っている。

 

問題点8

 目標なのだから、「〇〇しましょう」ではなく、削減、節約、推進、禁止、等の動詞の体言止めの表現にしないと、力のない無責任な言い方である。目標なのだから、具体的な目標数値がないと、掛け声倒れである。まず実行されない。

 

問題点9

 「明るい青少年都市をつくりましょう」などと、高齢化の波が押し寄せている現実を無視した評語である。お役所のお作文である。どうやって作るのか。

 

対象の資料

大垣市推進事業 平成30年度「市民運動5つの目標」阜県第二の都市)

1 資源やエネルギーを大切にしましょう

 〇電気、ガソリン、水道は、節約して使おう。

 〇資源ごみの回収を推進しましょう。

2 安全・安心のまちづくりをしましょう

 〇家族ぐるみで交通安全を話し合い、交通事故から子どもや老人を守ろう。

 〇毎月1日・15日及び交通安全運動期間中は交通安全旗を掲げ、まちぐるみで交通事故を防ごう。

 〇明るく住みよい犯罪のないまちにしよう。

3 緑のまちをつくりましょう

 〇樹木をいたわり、みんなで大切に育てよう。

 〇花いっぱいで明るいまち、心豊かな環境をつくろう。

4 まちを美しくしましょう

 〇ごみのポイ捨てはやめましょう。

 〇犬・猫は正しく飼い、排泄物は飼い主が責任をもって始末をしよう。

 〇自分たちの住むまちです。自分たちで美しく清掃しよう。

5 明るい青少年都市をつくりましょう

 〇みんなで声かけ合って青少年を励まし育てよう。

 〇毎月第3日曜日は家庭の日です。明るく心豊かな家庭づくりに努力しよう。

※ 目標を実現するため、各種事業を実施している

 

岐阜市 推進事業(岐阜県第一の都市)

「もてなしの心運動」の推進。「心の通う連帯とまちづくり」をめざし、もてなしのこころに満ちたまちづくりを推進(さわやかマナーキャンペーン等)、年1回「もてなしの心」セミナー(講演等)を開催。

 

各務原市 (岐阜県第三の都市)

 市との協業推進事業なし。「市民運動の目標」なし。

 

下記は「市民運動の目標」で検索してネットで見つけた資料。

添付ファイル 岐阜県内自治会活動内容一覧

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2018-07-19  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月18日 (水)

手に血のりを付けたミッキーマウス

 大垣市政100周年記念行事で、東京ディズニーリゾート(TDL)は、35周年記念で「感謝の気持ちを伝える為」として、ミッキーマウスを始めとするディズニーの仲間のスペシャルパレードを10月7日に開催する。TDLは出演料を請求しないが、その見返りとして、大垣市民税で600万円を負担して警備をせよという。何が「感謝の気持ちを伝えるため」なのだ! お笑いである。これではネズミ小僧根性である。

 ミッキーマウスが、この100年の大垣の発展のために、どんな貢献をしたというのか。大垣市政100周年を祝うのなら、この100年間の大垣の歴史を振り返らねば、ご先祖様に申し訳ない。非道な大垣大空襲を支援したウォルトディズニーをなぜ儲けさせるのか。なぜ大垣市政100年記念行事で、TDLの宣伝金儲けパレードを支援する必要があるのか。なぜその警備費で、市民税600万円を使うのか。

 

パレードは、TDLの単なる営業宣伝活動

 本来なら、営業利益 947億円(2018年3月期)も儲けているTDLの宣伝活動なのだから、参加費として600万円とか1,000万円を大垣市に寄付しろと要求すべきである。947億円も利益を上げているTDLにとって600万円は、0.01%にしか過ぎない端金である。いつから大垣市は、TDLの下請けになったのか。なぜそんなにも親の仇に卑屈なのか。

 

大垣大空襲

 ミッキーマウスの生みの親の米国は、昭和20年7月29日、大垣市に米空軍B29が、90機が飛来して投下焼夷弾約20,000発の無差別爆撃をして、大垣市を焼け野原にした。その被害は、死者50名、負傷者約100名、全半壊戸数約4,900戸、罹災者約30,000人。(当時の人口約56,000人)。国宝大垣城も燃え、市街地の大半は焼失した。都市に対する無差別爆撃は、国際法違反である。

 ミッキーマウスの手は血のりで汚れている。ミッキーマウスの生みの親のウォルトディズニーには、「白人至上主義者」、「人種差別主義者」の批判が付きまとう。ウォルトディズニーは、反日戦意高揚映画で、国からの要請ではなく、ミッキーマウスが操縦してゼロ戦を撃墜するアニメまで製作している。彼は核実験のプロパガンダ映画作成にまで熱を上げていた。

 この空襲で殺されたご先祖が、ミッキーマウスの大垣駅通りのパレードを見れば、草葉の陰で泣くだろう。こんな企画をした役人どもは親不孝者だ、と。

 

大垣空襲での死傷者が少ない理由

 この空襲での死傷者数は他の都市の空襲と比較して極端に少ない。当時は防空法により、空襲を受けた場合は退去せず消火活動にあたることが義務付けられていたが、岐阜空襲の惨状を目の当たりにし「焼夷弾に対して火たたきやバケツリレーで火を消せるわけがない」と考えていた少年兵らが、本来ならば非常線を張って逃げる市民を押し戻して消火を命じる立場にあったにも関わらず、軍紀に反して率先して市民を避難させ、その結果人的被害を激減させていたことが、元少年兵の1人の証言によって明らかとなった。

 

大垣空襲の生き証人

 大垣城の直ぐそばに店を構える石屋の石寅の叔母さん(当時は幼少)は、空襲で我が家と大垣城が燃えていく様をなす術もなく、今は埋め立てられてないお堀に身を隠して、首だけ出して情けない思いで眺めたという証言をしている。

 室村町4丁目地蔵菩薩像は、周りが火の海になり、ナパーム弾を浴びて真っ赤になりながらも、逃げる住民を見守り続けたという。ある自治会役員さんは、その姿を見て涙が止まらなかったという。その痕跡が全身に痛々しい。お地蔵さまは2017年に105年間のお勤めを終わられて世代交代された。

 大悲院禅寺(寺内町)の谷汲観世音菩薩像もナパーム弾を浴びて、偶然横に積んであった薪木が燃え移り真っ赤になったという。その痕跡が今でもわかる。

 戸田公を祀る常盤神社の境内にある獅子と狛犬の石像も、ナパーム弾を浴びており、その痕跡が今でも見える.

1039a2000  室村町4丁目地蔵菩薩像  石寅さんの作   2017年5月引退された

24k8a2719   大悲院禅寺(寺内町)の谷汲観世音菩薩像 石寅さんの作 2018年現在で御健在

34k8a2746  常磐神社の境内  2018年現在で御健在

岐阜空襲の概要

 1945年7月9日午後11時頃、熊野灘から進入したB-29の編隊135機は、午後11時34分(米軍資料による)、空襲を開始して約45分間で、岐阜駅周辺から全市にかけて、岐阜市中心部はほぼ焼け野原となった。使用されたのはE46集束焼夷弾、M47焼夷弾であり、計907.5tが投下された。

 岐阜市中心部に投下された爆弾の量あたりの被害は甚大であった。被災面積は約5km2といわれている。被害状況は諸説あるが、主な資料によると、

 死者:863人(戦災復興誌(建設省))、負傷者:1,059人(約500人~5,000人の資料もあり)、全半壊家屋:20,476戸、罹災者:86,197人

 

プロパガンダ映画の制作

 ミッキーマウスの生みの親のウォルトディズニーは、戦争プロパガンダ映画の熱狂的制作者である。1941年12月8日の太平洋戦争と第二次世界大戦へ参戦したアメリカは、戦時体制への協力を映画産業に対しても要請するが、高度に資本化された映画産業は、当初、利潤追求を優先させて協力的ではなかった。

 しかし、ディズニーは大衆の関心の変化に気が付き、「反ドイツ」の色を薄めた「反ナチス」の形で戦意高揚のプロパガンダ映画を制作した。ディズニーが孤立主義から友邦の援助へ大衆意識が変化したのを見抜いて、統合の象徴としてミッキーを選択させた点や、彼が没した今日でもミッキーマウスは「アメリカの象徴」として自己増殖を続けている旨を指摘する研究者もいる。

 

戦争好きで核兵器大好きのミッキーマウス

 政治家や政府のプロパガンダにより、大衆を説得することは難しい(出典『心理戦争』)。しかし大衆自身が願う形へミッキーを変身させることでディズニーは成功を収め、同時にアメリカ政府を顧客とすることにも成功した。当時のウォルトディズニー社は、興行の失敗で膨大な借金を抱え、さらに欧州への戦争中で映画の輸出もできなくなり、倒産の危機にあったが、プロパガンダ映画の制作により、経営再建に成功した。戦後もディズニーは経営安定のため政府の核実験、原子力開発キャンペーンとして「Friend the Atom(我が友原子力)」という映画を作成するなどプロパガンダに参加している。

 要は、ミッキーマウスの親は、大量殺戮兵器の推進に手を貸したのだ。ウォルトディズニーは、現在の北朝鮮の将軍様と何が違うのだ。

 大戦当時に製作された映画には、ミッキーマウスが戦闘機で日本軍の零戦を撃墜するシーン、アニメ映画「総統の顔」には東條英機を風刺するシーンがあるが、これらは国の要請や強制ではなく、ウォルトが積極的に自ら制作した。

 

太平洋戦争の真因

 太平洋戦争の原因は、米国による日本に対する経済封鎖が真因で、日本は死活問題で、自衛のために立ち上がった戦争である。それはマッカーサー元帥が、帰国後に米国議会で証言している。もともとは、中国を植民地にしてその利権を得ようとしていた米国が、その利権を日本に邪魔されて、その仕返しとしての経済封鎖である。それには、当時のルーズベルト大統領の黄色人種蔑視があった。

 

人種・性差別姿勢

 ウォルトに対する「白人至上主義者」、「人種差別主義者」との批判は、生前も死後も浴びせられ続けた。ウォルトは『南部の唄』では封切りイベントに主演の黒人俳優を出席させなかった。彼は、ミッキーマウスやミニーマウスがアフリカで野蛮で猿のように描かれた黒人を差別的に扱う民族侮辱的な漫画を出版しており、現在も批判の対象となっている。また、彼は生前中、ウォルト・ディズニー社の要所に黒人と女性を雇い入れなかった。彼の制作した作品群のほとんど全てに、様々な民族に対する彼の白人中心視点から成る人種差別、および男尊女卑的な性差別が指摘されている。

 

著作権・商標権

 アメリカ合衆国の著作権法は“(皮肉を込め)ミッキーマウス保護法”とも呼ばれており、「ミッキーマウス」および他の「キャラクター名」や「作品名」も含め一律に「商標」として保護され、半永久的に保持できる。当初50年であったが、ご都合主義でその期間が変更になった米国著作権法である。

 著作権は国ごとに保護期間が違い、日本では1953年以前の映画で団体名義の場合著作権保護期間は公表後50年である。ミッキーマウスが初登場した「蒸気船ウィリー」は保護期間が1989年の前後に終わっていると推定される。

 ウォルト・ディズニー・ジャパン社は「著作権に関する方針や見解は公表しない」方針で、自社のウェブサイトでもキャラクターや作品に対する知的財産権の方針を明確にしていない。

 

ミッキーマウス、ウォルト・ディズニー、大垣大空襲、岐阜空襲の項目は、wikipediaの資料を編集、加筆しました。

 

2018-07-18  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月17日 (火)

私が「飲むウツ買う」をやめたワケ

薬を飲むのをヤメ

 私は高血圧症で、20年来、降圧剤を飲み続けていて、最近は医師からもらう薬代が、月に1万円を超えるまでに、赤ちょうちんの飲み代より多くなってきた。それが、今回、治療の効果が出て薬を飲まなくても済むようになったのだ。

 今日、2018年7月17日、午前中でも36度もある酷暑の中、かかりつけの病院に行ってきたが、行くだけで病気になりそうな気温であった。それでも医師と最近の血圧データと投薬の状態資料を見せながら相談して、20年来飲んでいた高血圧症治療薬の降圧剤の服用を、中止とすることができた。これは嬉しい限りである。一般的に降圧剤は、飲み始めると死ぬまで飲み続けるといわれている。この詳細は後段で述べる。

 

鬱病にされるのをヤメ

 宮使えで中間管理職は辛い立場である。上と下からの突き上げで、部下よりも管理職本人が鬱病にかかることが多い。

 「鬱」とは、木に葉が鬱蒼と茂り過ぎた状態を表す漢字である。その木が支えられる許容を超えた葉っぱが、木に茂りすぎた状態を表す。要は、その人の能力以上の仕事を抱えて、頭がオーバーヒートした状態を鬱病という。治療は簡単である。かかった負荷を減らせばよいのだ。それを現代医学は、薬で治療しようとするから、さらに悪化して自殺などになってしまう。薬の投与は、金儲け主義の製薬メーカーの陰謀である。鬱病は薬では治らない。病院に行けば、全員、鬱病と診断される。医師もそのほうが楽なのだ。

 その昔、私も鬱症状になったことがある。医師にかかれば鬱病と診断されるのは確実であった。私の部下に鬱病に罹った人が多くいたので、管理職としての立場で鬱病の研究をしていた。鬱病は、投薬では治らずかえって悪くなることを知っていた。なにせ開発部隊の管理職は、開発部隊よりも管理部署なら楽だろうと、その管理職が鬱病になるまで追い込んだ若人を私の部署に異動させて来るのだ。

 だから私が職場で追い詰められて鬱症状になったとき、医者にかからず自分で治した。それで今の自分がある。

2p1090240   うつ病を研究した時の書籍

 

高く買っていたのをヤメ

 私は定年後、大垣に帰郷して、大垣の風光明媚な環境に目覚めて、小川敏大垣市長を高く買っていたが、最近になって、大垣を衰退させた諸悪の根源は大垣市長自身だと分かり、大垣市長を高く買っていたのをやめた。詳細はカテゴリー「大垣を良くする階」を参照ください。

3p1000841   住吉燈台  大垣市

 

高血圧症という現象

 高血圧症は病気ではない。そのまま放置すると、深刻な病気になるよとの体が発する警告である。降圧剤で血圧を下げても、根本治療にはならない。それは対処療法である。むしろ体には悪影響を与える。血管が異常になり、血圧を上げないと正常に血を全身に送れなくなったので、心臓のポンプとしての機能で流体の圧力を上げているに過ぎない。それを降圧剤で下げると、血液に含まれる栄養素と免疫酵素が細胞の末端まで送られず、ガンや認知症の発病となってしまう。

 

私の治療対策

 私は、降圧剤を飲まなくてもよい状態に戻す根本的治療を探していた。ご縁があって2016年10月14日に久留米の真島消化器クリニックの真島康雄先生に巡り合い、それから先生の指導で根本治療に取り組みだして、紆余曲折はあったが、1年半の取り組みで、降圧剤の服用を中止できた。

真島消化器クリニック http://majimaclinic22.webmedipr.jp/

 1p1080429   真島消化器クリニック 2016年10月14日

高血圧の原因を知らなければ、治療はできない。一般的な医師は診察をして、パソコン画面を睨んで、「管理職としてのストレスでしょう、太りすぎです、加齢現象です、薬を出しておきます」で終わりである。その間、せいぜい数分間である。どうしたら高血圧を治せるかの指導はしてくれない。せいぜい「体重を落とせ」である。

 

高血圧症の原因

 高血圧の原因は、血管内部に蓄積したプラーク(脂肪の粕)が血管内部の内径を狭めて血流の流れを阻害しているためである。血管が実質的に細くなっているから、血を送る圧力を上げないと血液を正常に送れないので、自律神経の作用で血圧を上げているに過ぎない。それを降圧剤で下げるから副作用が出るのだ。私の記憶では、40年前は、病気の原因にガンも認知症も話題にも上らなかった。

 

高血圧症の治療

 まず、現状把握として、全身の血管にたまったプラークの状態を調べなければならない。そのため、全身8か所の血管のプラーク層の厚み測定がある。それは現在、真島消化器クリニックでしか実施していない。普通の病院では採算があわないのだ。そのうえで予防処置としてこれ以上、血管内部にプラークが蓄積しないように正しい食事療法の指導がある。その上で、たまったプラークを減らす治療を指導される。

 

治療の結果

 その治療と指導を真島消化器クリニックで受けて、1年半の取り組みを経て、今回、降圧剤の服用を中止できたのだ。そのために私は岐阜県から、福岡県久留米市まで、4か月に一度の頻度で、診察に出かけている。交通費が勿体ないではない、死んでもいいから(?)健康管理である。健康管理は己の責任、生死は神仏の管轄である。

 真島院長の診察は、一人30分である。真島先生は採算を度外視して、血管プラークの削減を使命として戦っている。まるで古武士の雰囲気である。海外からも診察にくる患者も多いと乗ったタクシーの運ちゃんは言う。初診の予約では、半年待ちである。こういう先生とご縁ができたのはありがたい。

 

大垣市は高血圧症

 大垣市は、お上から流れる悪性の汚泥のカスが大垣市行政のパイプに蓄積して、様々な病状が出ている。言い換えれば脂ぎった汚濁した資金が流れているのだ。市政100年記念行事で、3億円余を散財しても、それが適正でないのが明確でも、行政の仕組み上では、誰も止められない。裏金があると思われても、使用明細も領収書も非公開と条例で自ら定めているので、部外者は誰も監査ができない。大垣行政の自律神経を、市長、行政、市議会、マスコミが故意に麻痺させている。市議会もマスコミも一蓮托生で、誰もそれを阻止しない。だから行政マンは獲得した予算を使い放題である。想定される事態は、突然死である。怖ろしい大垣都市伝説は生きている?

 

2018-07-17  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

2018年7月16日 (月)

こんな「大垣」さんに誰がした?

 大垣市は、市政100年奇念行事で、全国の「大垣」姓の人に5万円をばらまく愚行「全国の大垣さん大集合!!」を計画している。予算1,000万円である。また大垣市行政の恥を全国に晒すことになる。

 大垣市の広報で曰く:「全国の大垣さん大集合として、市制100周年を記念して10月に開催する「記念式典」、「おおがき大パレード」等に参加していただける「大垣」姓の方を募集します。大垣さん、あなたの申込みをお待ちしております!」

 

何故、「大垣」さんだけ?

 なぜ、大垣市長は、大垣に縁もゆかりも無い「大垣」さんに優しく、大垣のために汗と涙を流している大垣市民に冷たいのか。足が地についていない空虚な政策ばかりで、お遊びの行事になっていないか。100周年記念行事の目的は何か。なぜ、こじつけで何が何でも100個の行事をねん出する愚行をするのか。

 私は、大垣の過去も現在も未来にも何の貢献もしない人に、祝って欲しくない。自身が米寿や白寿を迎えたのなら、御恩とご縁のあった人に祝って欲しい。自分に全く無関係の人に、金をバラ撒いてまでして祝って欲しくなんかない。

おいしい行事

 どこの馬の骨か分からない人に、かつ大垣市100年の行政に何の貢献も税金も払っていない人に、大垣の草一本抜いていない人に、単に姓が「大垣」であるだけで市民税5万円、総額1,000万円をばらまく愚行である。

 なぜその金を大垣の発展に貢献した人に使わないのか。

 行政マンにとって、こんなにおいしい行事はない。お上(市長)が決めた行事であるので、お金は使い放題である。予算総額1,000万円で、100人の「大垣」さんに500万円を使っても、残りの500万円は裏金として使える。なにせ大垣の特別条例で、使用用途は公開しなくてもよいのだ。小川敏大垣市長は、平成30年6月11日の市議会で、岡田まさあき市会議員の一般質問に対して、議会で厚かましく「条例で非公開」と答弁したのだ。

 

「全国の大垣さん大集合!!」予算推定(一人当たり)

  交通費    2万円(最大)

  宿泊費    1万円

  宴会費用   1万円

  市内観光   5千円

  パレード費用 5千円

    合計    5万円

 

総費用は5万円×100人=500万円。残りの500万円はどこへ?

 

調整業務不要の美味

 この行事が、行政マンにとって美味しいことは、普通の行事では関係者・関係部署との調整で、意見を聞き、その調整で大変だが、この行事は大垣市が一方的に決めて実行すればよいので、涎が出てしょうがないのだ。全国9,500人の「大垣」さんからの回答を待つだけなのだ。何の苦労もない。「大垣」姓さんを集めて、前夜に大宴会をして、市内を観光で案内して、翌日、パレードをするだけである。

 

声なき善良な大垣市民が哀れ

 大垣市のために黙々と汗を流す声なき善良な市民には、市民税を取り立てられるだけで、何の「お情け」もない。大垣市の草一本さえ抜いたことのない人に、血税の市民税をばらまく大垣市長の思考回路が理解できない。

 日頃、節約、節約と言って、必要な治水行政や産業振興施策さえ放置して、文化芸術関係の予算は勿論、必要な予算を無駄な金として水道の蛇口を閉めているが如き小川敏大垣市長である。しかし、頭のおかしいとしか言えない「水まんじゅうギネス挑戦」や、恥さらしとしか言えない「全国の大垣さん大集合!!」には、金の糸目を付けずばら撒くようだ。大垣市長のお金の使い方の論理構成が理解不能である。大垣市長が信条としているお金の使い方のトピックセンテンスは何か?

 

大垣市長の使命

 大垣市長の最大の使命は、市民の幸せ作りと未来の大垣市の発展のための種を植えることである。市長の役目は、市民税を最大限の効率で、市民の幸せと利益のために還元することだ。その幸せのネタである市民税を、大垣市に何の貢献もしていない人に、回して散財してしまう。市長としての使命放棄である。市民に対する裏切り行為である。忖度に余念のない地元紙は何も言わない。

 

世の中の常識

 全国の知人に、もしあなたの姓が「大垣」なら、参加しますかと問うたら、全員Noであった。自分が選んだ友人・知人がまともな人ばかりであったので安堵した。もしyesと答えたら、私の人物の選定能力が疑われる。

 

人相鑑定

 当日、パレード中の「大垣」さんの顔写真をアップで撮って、一人ひとり人相鑑定をしようかと楽しみにしている。どういう性格の人が、応募してきたかが大変興味がある。

 私は、その昔、人生で悩んでいた折、占いと人相鑑定、手相鑑定にも熱を入れて研究した。その結界、普通の占いは当たらないことを統計的に確認したが、人相と手相は、よく当たる。これは経験則からの知見だからだ。

 添付ファイルは、「全国の大垣さん大集合!!」募集パンフレット

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2018-07-16  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月15日 (日)

人体は神仏の集合体

人体という宇宙

 宇宙としての我が人体は、37兆個の細胞がひたすら己の命を生き永らせるため、自分が寝ている間も呼吸をし、心臓を動かし血液を体内の全長10万km(地球2周半)にも及ぶ毛細血管網に血を送り続けている。肺が休みなく空気を吸い酸素を血液に取り込んでくれている。

 

己こそが神仏

 己が世をはかなんで首を吊って、紐が首に食い込み意識が朦朧としてゆくときでも、「一秒でも長く生きてくれよ」と体の全細胞37兆個が一丸となって生命維持のために働いている。その働きは80年の長きにわたり1日も途切れることは無い。その働きを神佛と言わずして何が神佛であるか。

 産業革命以降のたかだか200年ほどの科学技術の発達に人類は驕っている。科学技術は未だに細胞一つをも創りだす事ができない。その神ごとき細胞が37兆個も集まった己の体に神仏の小宇宙がある。そこに神秘性の有り難さを感じないのではバチが当たる。

 

人間教

 己の体に佛や神が宿る。神佛に手を合わせる前に、その神聖なる己の体に手を合わて、それを授けていただいた「なにもの」かに感謝すべきである。日々に頂く食事は神佛へのお供えである。自分の仕事や掃除とは、神仏へのご奉仕である。自宅は神殿である。モノには精霊が籠もっている。己の体や身の回りの道具、時間を大事に使うことが人間教の修行である。周りの人にも神仏が宿る。人は家々で独自の宗派を構えている。豊田さんはトヨタ教、本多さんならホンダ教、私はお陀仏教である。

 

病気の原因

 病気とは、その37兆の細胞を過労、過食、毒物(酒、煙草、過剰糖質、添加物、防腐剤)、不合理な生活で、苛め抜いた結果である。堕落した生活は己の細胞への殺傷行為である。病気とは自然の摂理に反した生活を送ったが故の「理」にあった結果である。

 それなのに、医師から余命宣告をされて「なんで私だけが!」では己の体を司る神仏への冒涜である。己の生活の過ちを、病気というメッセージで教えて頂いたのだから、自然の摂理に合うように修正するのが信仰生活である。突然死にならないだけ、神佛は親切なのである。突然死になるまでには、数多くのメッセージを体は発している。体の異状は神仏の声である。

 

組織は細胞の集合体

 企業も数多くの従業員の集合体である。一人ひとりが神佛のごとき様で会社を動かしている。理に合った経営をすれば、繫栄する組織体となり、その反対は経営不振・倒産・死である。自然の摂理が見事に表われている。

 一人だけ過労死するが如くに働いても、組織全体としては、異常をきたす。それは、まるで暴走するガン細胞のようである。異常な状態の陰では、異常な利益を貪る細胞も生まれる。

 

縁という人生の細胞

 縁も神佛のメッセージがある。縁という一つの宇宙細胞が集って、その人の人生を創る。自然の摂理にあった生きかたをすれば、理にあったご縁が舞いこむ。それが縁起である。その逆も真である。それを仏教では因果応報という。一つのご縁に神佛の啓示がある。そのご縁に接することができたことにも合掌したい。

 

我が宇宙

「宇はこれ対待の役にして宙はこれ流行の易なり。宇宙は我が心にほかならず」 佐藤一斎 言志四録 後録20

 現代訳:宇宙は限りなく大きい。宙は限りなく長い時の流れ。共にとても見極められない。心にも宇も宙も感じられる。つまり宇宙とは、我が心である。

 

感謝

 私は、2015年のご先祖探しとお墓造りを通じて、「人の体は神佛の集合体」であると悟った。過去帳から分かっているだけだが、1734年に没したご先祖からの延々とした血の繋がりがあって、今の私がある。65年間に親類縁者・ご先祖・縁のあった多くの仲間の生死を俯瞰して見えてきた真理である。そんな摩訶不思議な神のような体を、この世に「一時貸出品」として貸与してくれた両親やご先祖に感謝をして生きていきたい。

 

神仏の警告

 大垣市長が12代も連続して現職のまま死亡するのは、死亡する原因がある。それを解明するのが、現職の市長の最大の役目である。それを祟りなどとしているから、問題がなくならない。問題究明なくして、大垣の未来はない。今まで通りに、体をいじめて市長職を務めるから、大垣市長の現役死が続き、大垣市が衰退する。神仏が、あるものを変えよと言っている。

Photo   馬場恵峰書  2015年

2018-07-15  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月14日 (土)

恐ろしい大垣都市伝説(7/7)市長の死因

 私は神仏を信じているが、神仏を考えずに、理性的・論理的に考えれば、大垣市長の現職死は当然であると思う。けっして濃飛護国神社の祟りとか、怒りではない。市民のために働いている市長に、ご先祖が祟りをするわけがない。

 この8年間、小川敏大垣市長の働き方をみて、歴代の大垣市長の働き方を推察すれば、大垣市長が連続現職死をするのは確率的に当然であると思う。要は、働き過ぎなのだ。大垣市長は、大垣市政に命をかけたのだ。それを医学的、経営的、歴史的に検証する。

 

1.医学的検証

事例1

 2018年7月1日の元気ハツラツ市の当日、真夏を思わせる32度を超える熱い日中に、小川市長は、スーツ姿で大垣駅前大通りを「社会を明るくする運動」のメンバーと一緒にパレードをしたと聞いた。私はその後に駅前商店街に出かけて、1時間程、アーケード街の日陰で身軽な服装で写真を撮っていたが、帰宅したら疲労困憊で、思わず横になったら寝てしまった。私と同世代の大垣市長には、当日のスーツ姿のパレードはキツイお仕事であったと推察した。

 

事例2

 大垣市長は、休日の土日ごとに行事があり、早朝から準備をして、その行事に出て挨拶をしなければならない。全国で、熱中症で1042人が搬送され、5人が死亡した7月14日、38度の炎天下の日にも、いくら屋内といっても、スーツ姿で雛壇に座ってかしこまっていなければならぬ。市民に賞状授与もせねばならぬ。それがやりがいがあり、情熱を傾けられる仕事だとは思えない。愚劣な議会対応もせねばならぬ。付加価値の生まない答弁をしなければならぬ。

 大垣市長には休みがないのだ。厳寒年初の消防出初式では、半日も出ずっぱりで消防団員と一緒に行進して、また子供達の鼓笛隊の演奏の礼を受けねばならぬ、また立ちっぱなしで全市の消防団行進・50数台の消防車の行進の栄誉礼を受けねばならぬ。その後、文化ホールで消防団関係者の表彰式である。こんな過酷な勤務状態では、現職死も当然である。それを5期も続けるのは自殺行為である。こんな状況では、大垣の長期未来戦略を考えることもままならぬと思う。付き合いの行事の挨拶は、部下に任せるべきだ。

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 大垣市消防団出初式 2011年1月9日

 

事例3

 元気ハツラツ市では、幼児向けのアンパンマンショーで、大規模小売店のアピタが出演料の一部を負担してくれるというので、義理として顔を出さねばならぬ。横から見れば、なんとアホなことに時間をつぶしていることかと。市民として、もっと大事なことに時間を割いてほしい。多忙な市長なら、緩急をつけて、本当に必要な行事だけに出ればよいものを、と思う。

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 2018年5月6日 元気ハツラツ市 アンパンマンショー

 

 組織の長として、そんな仕事は部下に振ればよいのだ。市長の一番大事な仕事は、大垣の未来の戦略を練り、布石を打つことである。それなのに、市の行事を全て、己が担当しようと思うから、過労死となってしまう。歴代の大垣市長の死因は、行事の多さと責任感過剰から来る過労に起因する病気だと推察した。大垣市長にこそ、働き方改革が必要である。そうやって時間を創出して、大垣市の未来を考える為に心血を注いでほしい。

 

2.経営的な検証

 部下に任せるという経営思考が欠如

 大垣市の友好都市であるシュトゥットガル市(人口65万人)では、市長は5人いて、仕事を分担している。第一の市長は選挙で選ばれ、後の4人の市長は行政が選ぶ。小倉満市長が懇意であった第五市長は、文化・スポーツ分野の担当である。ある人が、文化の関係でシュトゥットガルト市を表敬訪問したら、第五市長が自ら車を運転して迎えに来てくれたという。大垣市と大違いである。

 その昔の大垣市政では、副市長と教育長が、市長代理で各行事に出て挨拶をしていたという。今の小川市長が出しゃばりすぎなのか、副市長と教育長が怠慢なのか。小川市長は、大垣市の都市伝説(市長の現職死)を守るために自殺願望なのか。

 「何を悩んでいるのや、仲間は大勢いるぞ、仲間を信じて仕事を任せればよいのだ。」とは、大仏師松本明慶先生の岩田明彩師への温かい励ましの言葉である。

 

3.市民の民度も市長現役死の一因

 大垣市の行事で、大垣市長が来て挨拶しないと、納得できないという昔の古い考えの御仁が多いようだ。それが大垣市長の命を縮めている。

 大垣市は、市長が行事に全て出ないといけない伝統を作っている。しかしその場での小川敏市長の話は長いだけで、何が言いたいかさっぱりわからない。ビシットした要点の言葉がなく、話が長いだけなのだ。秘書室が作った原稿は、市長は、自分が東大出だとの意識があるようで、秘書室を見下して、ほとんど原稿を見ずに勝手に喋っている。だからとりとめがなく、話が長いのだ。だから疲れるのだ。

 小川敏市長は、テクニカルライティングを学んでいない。文章の論理構成とは何かを学んでいない。私のテクニカルライティングの師である篠田義明教授は、現在、東京大学院大学で、日本語の論理構成を教えておられる。篠田義明教授は国会議員にも、日本語のテクニカルライティングを教えてみえる。小川敏氏は、1974年卒だからその講義を聞いていない。だから話が論理的でない。

 それを市民や市会議員が指摘できなないのだ。それを認識できず、行事に必ず市長の臨席を望むのは、民度が低いのだ。

 東京都の石原慎太郎元知事を見てごらん。週に3日しか登庁しなかったと、今頃になって週刊誌が書き立てている。それで石原東京都政が回っていた。大垣市も、各行事に大垣市長の「ご臨席」は不要である。その方が、行事が早く終わって、行政の効率化ができる。大垣市長にこそ、働き方改善が必要である。

 

4.歴史的見地から

 司馬遼太郎の歴史小説を読むと、なぜこの人が、ここで死ぬのかという歴史の場面が多く出てくる。その死は歴史的に必然であったと考えるのが、正しい歴史の見方のようである。その人の歴史的役割が終わると、サムシンググレートが命を召すようだ。歴代の大垣市長も、同じように未来への布石を打って、去っていったようだ。今の市長は、まだそのお役目が済んでいないようだ。何もやっていない?

 

市長稼業 vs 大垣市の経営

 市長稼業は易しい。行政マンの敷いたレールに乗って担がれたお神輿に乗っていれば、任期という時間は過ぎていく。しかし市長稼業と大垣市の経営とは別モノである。行政マンはお役人として当たり障りのない行事を運営することに徹している。減点主義で、ミスはしないよううにお役所的仕事をこなす。

 大垣市民のためになり、大垣市の未来のためになり、大垣市民・企業に利益をもたらすのが行政としての経営である。そうでなければ、市民として大垣市に住む価値がない。経営とは難しい仕事なのだ。会社経営でも、社長には簡単になれるが、経営者になるのは難しい。

 

経営とは

 経営の「経」とは、縦糸として過去から現代、未来につながるの歴史の糸と現代の世相の横糸が織りなす布を織る機械を表わす。

 「営(營)」とは夜の陣中にめぐらすかがり火の意で、宮は部屋の多きい家屋の意である。「営」は周囲にかがり火を巡らせた陣屋の意味を表す。だからその陣屋(大垣市)が繁栄していなければ、正しい経営をしていないのだ。

 小川敏市政は、大垣市を正しく経営しているのか? 大垣駅前通りの以前は活気があった火が消えているではないか。一見、大垣市の人口が増えているように錯覚するが、合併した町村の人口を除けば、実質的に人口は減っている。産業もこの5年間でマイナス5%の衰退である。近隣他市の公示路面価は上がっているが、大垣市は実質的に下落である。小川敏市長が大垣市を正しく経営していないためである。

 

2018-07-09  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月13日 (金)

恐ろしい大垣都市伝説(6/7)徘徊観自罪菩薩

第13代 小川 敏   平成13年4月23日就任  在任中

 

両極端の反面教師

 2001年に小倉満市長の死去の後、第13代小川敏市長が、小倉市長が残したハコモノ行政の過剰推進で積みあがった財政赤字の削減に取り組んだ。しかし、またその小川敏行政が極端過ぎて、水道の蛇口を閉めすぎるがごとく、大垣を衰退させた大きな要因となってしまった。経営者は投資と抑制のバランスを考えて、長期ビジョンを持って大垣経済の舵取りをしなければならぬ。小倉市長と小川市長に両極端の反面教師を見る。

 

菩薩とは

 菩薩とは、如来に成るべく、衆生を導きながら修行の道を歩いている仏様である。多くの過ちを犯しながら、表を見せ裏を見せながら、逝く人生である。その姿を衆生に見せて、反面教師の役を担われるのが徘徊観自罪菩薩である。両極端の方策の間を右往左往と俳諧しながら歩く。しかし自ら犯す罪は、如来のような高い智慧の見識がないと観えない。まるで小倉満前市長、小川敏現市長のようである。いくら頑張ってもあと40年は生きられない。いずれは仏様になる身ではあるが、今は人間界をさ迷う一衆生である。

 

死刑囚

 2018年7月6日、オウム真理教の死刑囚の多くは、最期は悔い改めて刑場に消えた。中川智正元死刑囚は、「長い間、お世話になりました」と支援者の会長に別れを告げた。彼らは、新興宗教の極端な思想の恐ろしさを教えてくれた仏様である。

 私は、1980年頃、仕事に悩み、人生に悩み、オウム真理教教祖がその布教活動の手本にしたという某新興宗教にハマりかけたことがある。その教祖さえも、オウム真理教の広報手法のパクリ行為に呆れたという。私は、その教組の本を読んで共感して、桶狭間の近くの小高い丘の上にある教団支部施設で教祖の法話を直接聞くため訪問した。そこの教団職員が、訪れた信徒でもない私に対して「お帰りなさい」であり、そこで最初に違和感を覚えた。その教祖の法話を聞いて、それで目が覚めた。教祖の説法の論理がおかしいのだ。説法の基本は、「〇〇すると地獄に堕ちるぞ、△△しないと地獄に堕ちるぞ」である「そのためには寄進をすればよい。本来なら、自らお寺に来て奉仕活動をすればよいが、忙しい皆さんはそれが難しいから、それに相当する額の寄進をすればよい」である。理路整然としているが、その前提条件がおかしい。それで私はその教団から距離を置き、未来の地獄の淵から生還した。その教祖もあれから40年程が経ち、週刊誌広告欄に登場する姿に老いを感じる。宗教法人の維持管理・経営も大変である。

 

死刑宣告

 我々は、生まれた時に死刑宣告を受けている。限られた人生で、何を行うか、何を行わないか、何のために生きるか、を問われている。生の時間は有限なのだ。自分の人生の真の敵は、怖れと慢心で傲慢になりがちな己の心なのだ。

 お釈迦様は、あの世が有るとも無いとも、何もおっしゃらず、旅立たれた。ただ「死ぬまで精進せよ」とだけ言い残された。今に残る仏教の言い伝えは、弟子の伝聞である。

 

裏金工作

 小川敏市長は、小倉満市長が残した100億円とかいう負債を減らすために、「奥の細道結びの地記念館」建設費を公称40億円としながら、実質的に20億円しか使わなかった。残りの20億円は負債返済の裏金としたという。これは小川敏市長自らが自治会長達に、大垣市の財政の苦しさとして話したことである。だから「奥の細道結びの地記念館」が安っぽいのだ。下衆の勘ぐりで、他にも同じような不正があるのではと邪推してしまう。なぜ正々堂々と公表しないのか。変な細工をすれば、そこで不正が発生する要因となる。ただでさえ、疑惑に満ちた市の行事予算の使い方である。

 大垣財政が苦しいといいながら、小川敏市長は豪華な大垣新市庁舎建設を進め、大垣市政100周年記念行事で愚劣な行事に3億円余の散財と、やることが支離滅裂である。節約王として名を馳せた小川敏市長は今いずこ?

 そのように裏で仕事を動かす事例が、今年2018年1月に発覚した彦根市役所耐震工事での不正である。大垣市は、市の事業内容は、執行中の行政予算は公表しないという条例を作っている。これでは行政はやりたい放題である。これこそ汚職の温床である。

 

血を見る経験

 小川敏氏が大垣市長に就任した平成13年(2001年)は、私が前職で生産技術開発部隊から技術開発センターの技術企画部に移り、会社の業務改革に取り組んだ時期である。総論賛成、各論反対の多くの抵抗勢力の反撃にあい、頓挫して涙の多くの学びを得た。抵抗勢力曰く、「まず隣の課からやってくれ、その後から私の課はやるから」である。

 「世界的規模のIT企業でさえ、多額のIT投資の受注獲得のため、汚い手を使うことを目のあたりにした。そういう経験を経て、今の私があると感謝している。汗をかき、涙を流し、血を見ないと人は成長しない。

 

英霊に感謝の祈り

 私は2010年、大垣に帰郷後の5年間程、ほぼ毎日、雨の日も雪の日も風の日も「四季の路」の約5kmを散歩して、その帰り道に、濃飛護国神社に寄って参拝して、大垣・日本の為に命を捧げた英霊に感謝の祈りを捧げていた。私は約2年間で、俳聖松尾芭蕉が「奥の細道」で歩いた2400㎞と同じ距離を踏破した。

 その途中の2014年7月28日、眼の手術を受けた翌日、シベリア抑留慰霊碑「恒久平和の碑」のダモイの会名簿に、偶然、父の名を発見して厳粛な気持ちになった。現在、日本と大垣が平和に暮らせるのも、先人の国と郷土の為に命を捧げた英霊の戦いがあってのことだ。

 現在は、脊柱管狭窄症で腰を痛めたので、散歩は中断しているが、機会があれば参拝をして、大垣の英霊に感謝を申し上げている。

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 濃飛護国神社 2013‎‎1‎‎4‎日 0‏‎9:12

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 恒久平和の碑 2015‎年‎1‎月‎2‎日 0‏‎8:04

 

サムシンググレート

 大垣市長が1947年の初代から12代連続して、現職のまま死亡するのはただ事ではない。大垣市行政には、根本的な問題があるか、人智では計り知れない力が及んでいるようだ。その人智では計り知れない存在を、村上和雄筑波大学名誉教授は、サムシンググレートという名で定義している。人の命が生まれるのは、1億円の宝くじが1億回連続で当たるくらいの奇跡だと村上和雄先生は説く。その人の命を生まれさせる力がサムシンググレートである。

 

神佛の戒め

 この世で起こることは偶然ではなく、必然である。1回は偶然でも、それが二回以上続けは、必然の理由が存在する。人間の浅智慧では、それは分からない。神仏・大自然の前で、人は無力である。無力であると悟ることが、宗教の教えである。得たものは無、有るものも無、それが般若心経に書かれた神髄である。ただ頂いた命を大切に生かすのが、サムシンググレートからの教えであり、佛の教えである。

 

現代人の傲慢さ

 それに対して現代人はあまりの傲慢である。世界最高峰の山を登頂したくらいで、「人が自然を征服した」などと言う傲慢さがある。水まんじゅうギネス挑戦で、たかが1500組余で、世界記録だと自慢して大騒ぎをする姿勢に傲慢さがある。だから神仏が、2週間後に世界記録消滅の鉄槌をくだした。人が大自然やご先祖、隣人への感謝を忘れ、傲慢になった時、何ものかが人に牙を剥く。

 

大垣市の治水怠慢

 神仏、サムシンググレートは人間の怠慢に対して、鉄槌を下すことがある。水害の多くは、行政の治水の怠慢からくる災害である。いつ何時、この2018年7月に西日本を襲った豪雨災害に、大垣市も襲われるやも知れぬ。まだ昨年2017年10月に大垣市を襲った超大型の台風21号での水害の爪痕が記憶に生々しい。台風に伴う大雨で、降水量は325ミリ(上石津町下山)を観測して、荒崎、静里地区など、大谷川や水門川周辺地域などへの浸水被害や、アンダーパスの水没事故が発生した(小川市政は、「道路の通行規制が発生した」との表現で治水怠慢を誤魔化した)。家屋被害は床上浸水4棟、床下浸水168棟、浸水(非住家)29棟、一部破損4棟である。

 その「なにものか」とは、神であり佛であり、サムシンググレートと呼ばれる存在なのだ。これだけ科学技術が進歩しても、人間は細胞一つさえ作り出せないのだ。謙虚さを忘れ、暴走する現小川敏大垣市政に、神をも畏れぬ傲慢さを垣間見る。

 

2018-07-13  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年7月12日 (木)

恐ろしい大垣都市伝説(5/7)ウィーンのご縁

文化面の功績

 小倉満市長は文化芸術にも理解があり、ドイツのシュトゥットガルト市との友好都市として交流を深め、日本の百選に選ばれている大垣市の音楽堂建設やベーゼンドルファーのピアノ導入にも尽力された。小倉市長はシュトゥットガルト市の第五市長と特別の交流があり、両市のスポーツ交流にも尽力された。

 1987年には、小倉市長は、ウィーンの楽友協会資料館館長のビーバー・オットー博士を大垣に招いて、ウィーンとの音楽交流をされた。それは戸田伯爵夫人極子さんとブラームスとのご縁から始まる物語である。詳細は、当ブログのカテゴリー「m_大垣からウィーンへ架ける六段」に掲載中です。

 私はそのご縁で、2017年4月、ウィーンに出かけ、楽友協会資料館館長のビーバー・オットー氏に表敬訪問をさせて頂いた。近い将来、この関係の本を出版予定です。なかなか進まず焦ってはいます。

 

折角のご縁をぶち壊し

 1987年に小倉満市長が作ったウィーンとの音楽を通しての友好関係を、小川敏市長は放置し、結果としてぶち壊したことになる。そのご縁は、大垣藩最後の藩主である戸田共氏公の戸田極子伯爵夫人が作ってくれたご縁である。戸田共氏公は明治天皇の意向を得て、時の明治政府が抱えた欧米との不平等条約解消の為、ウィーンで外交官として奮闘していた。戸田極子伯爵夫人が、日本文化の広報のため、ウィーン公邸での夜会で琴を弾いて外交活動を陰で支える奮闘していた。その夜会に出席していたブラームスが、その琴の音色に耳を傾け、その時の資料が発見させたご縁で、楽友協会のビーバー・オットー博士が大垣を訪問された。ビーバー・オットー博士と大宮真琴教授が、この歴史資料の発見に尽力されためである。

 楽友協会は、毎年、ニューイヤーコンサートが開催されるウィーンの音楽の殿堂である。その時はプレミアがついて、そのチケットは10万円でも手に入らない。

 人は付き合う人を見れば、その人の人格がわかる。いわば上流階級の楽友協会と付き合うか、下流階級のギネスと付き合うかで、おおよそその人のレベルが断定できる。

 

戸田極子伯爵夫人が草葉の陰で泣いている

 なぜ折角の大垣市政百年行事で、3億円余も散財するのに、ウィーンの楽友協会とのコラボレーションがないのか。なぜその行事の目玉が、爬虫類の脳を刺激する「水まんじゅうギネス挑戦」なのか。戸田共氏公と戸田極子伯爵夫人が草葉の陰で、泣いている。

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54p037scan0039 挨拶される小倉満大垣市長(当時)1987年5月2日

 「ウィーンと大垣をつなぐ音楽のかけ橋」(大垣市刊)より

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 ビーバー・オットー博士 近影  楽友協会にて  2017年4月24日 

 私とのツーショットの写真で、私の姿はカットしました。

56p1000812  ウィーン楽友協会  2017年4月24日

ご縁の伝承

 私は前職では技術者として、得た技術、技術ノウハウは後進に伝えるように、文書や図面で残すようにしてきた。

 「自分のしてきた事を、いつか人に伝えれなかったら、何もしてこなかったと同じである」 アーウィン・シュレジンガー 

 私も先人の文書、書籍、図面から多くを学び、それを発展させて技術開発をすることができた。ゼロからでは、進歩に制限がある。これは技術だけでなく、全ての分野に通じる話だと思う。政治も経済も文化・芸術も同じである。先人が切り開いた境界、環境、歴史、ご縁を伝承してこそ、効率的な技術、文化、遺産、伝統、ご縁の伝承があると思う。

 大垣藩最後の藩主戸田氏共公が築いた大垣の文化・教育思想、ウィーンで築いた日本文化伝承の遺産、先代の市長が築いたウィーンとの友好関係、それを無に帰するのは、歴史の財産を破壊する犯罪行為である。それでは後進はゼロから始めなければならぬ。

 市長職には、先代が築いた業績、ご縁の伝承がある。それを全て否定して、自分の新しいことをやるのは、いかにもカッコいいが、多くの先人の財産を捨てることになる。変えてはならないものがある。変えなければならないものがある。その取捨選択のレベルで市長の能力が問われる。小川敏現大垣市長は、小倉満前市長のすべてを否定しているようだ。それでは文化は育たない。だから下品な食い物競争での世界記録を目指す爬虫類の行いになってしまうのだ。

 

ベーゼンドルファー工場を見学

 その時のご縁で、小倉市長は大垣の音楽堂を建設し、そこにベーゼンドルファーのピアノ・インペリアル280を導入された。音楽堂は日本の百選にも選ばれている名ホールである。

 私は、2017年4月にウィーンを訪問した折、ベーゼンドルファー本社を訪問してピアノの工場見学と、試弾をさせてもらった。ベーゼンドルファーのピアノを設置したホールを持つのが夢で、叶わぬ大きな夢を持って生きるのは長生きの秘訣です。

57p1010031  ベーゼンドルファー本社

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 本社隣接のショールーム

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 ベーゼンドルファーの試弾室

 

命を削る酒

 小倉市長は、酒好きであって、酒の量が多すぎて病気になられたようだ。人情に厚い市長ともなれば宴会も多かろう。大垣市長として多忙で酒でそのストレスを紛らわせたのかも。付き合いも大変である。それが命を縮めたようだ。

 2017年11月10日、第37回霊山顕彰会岐阜県支部の研修旅行として、東福寺と旧三井家下賀鴨別邸、京都霊山墓地、霊山歴史館を訪れるバスツアーに行ってきた。その時、故小倉満市長の奥様も参加されたので、ご一緒させて頂いた。これもご縁であった。

 詳細はブログのカテゴリー「o_大垣の歴史」内の「第37回 霊山顕彰会研修旅行」を参照ください。

 

2018-07-09  久志能幾研究所 小田泰仙  

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