« 私が「飲むウツ買う」をやめたワケ | メイン | 犬猫より下に扱われる大垣の青少年 »

2018年7月18日 (水)

手に血のりを付けたミッキーマウス

 大垣市政100周年記念行事で、東京ディズニーリゾート(TDL)は、35周年記念で「感謝の気持ちを伝える為」として、ミッキーマウスを始めとするディズニーの仲間のスペシャルパレードを10月7日に開催する。TDLは出演料を請求しないが、その見返りとして、大垣市民税で600万円を負担して警備をせよという。何が「感謝の気持ちを伝えるため」なのだ! お笑いである。これではネズミ小僧根性である。

 ミッキーマウスが、この100年の大垣の発展のために、どんな貢献をしたというのか。大垣市政100周年を祝うのなら、この100年間の大垣の歴史を振り返らねば、ご先祖様に申し訳ない。非道な大垣大空襲を支援したウォルトディズニーをなぜ儲けさせるのか。なぜ大垣市政100年記念行事で、TDLの宣伝金儲けパレードを支援する必要があるのか。なぜその警備費で、市民税600万円を使うのか。

 

パレードは、TDLの単なる営業宣伝活動

 本来なら、営業利益 947億円(2018年3月期)も儲けているTDLの宣伝活動なのだから、参加費として600万円とか1,000万円を大垣市に寄付しろと要求すべきである。947億円も利益を上げているTDLにとって600万円は、0.01%にしか過ぎない端金である。いつから大垣市は、TDLの下請けになったのか。なぜそんなにも親の仇に卑屈なのか。

 

大垣大空襲

 ミッキーマウスの生みの親の米国は、昭和20年7月29日、大垣市に米空軍B29が、90機が飛来して投下焼夷弾約20,000発の無差別爆撃をして、大垣市を焼け野原にした。その被害は、死者50名、負傷者約100名、全半壊戸数約4,900戸、罹災者約30,000人。(当時の人口約56,000人)。国宝大垣城も燃え、市街地の大半は焼失した。都市に対する無差別爆撃は、国際法違反である。

 ミッキーマウスの手は血のりで汚れている。ミッキーマウスの生みの親のウォルトディズニーには、「白人至上主義者」、「人種差別主義者」の批判が付きまとう。ウォルトディズニーは、反日戦意高揚映画で、国からの要請ではなく、ミッキーマウスが操縦してゼロ戦を撃墜するアニメまで製作している。彼は核実験のプロパガンダ映画作成にまで熱を上げていた。

 この空襲で殺されたご先祖が、ミッキーマウスの大垣駅通りのパレードを見れば、草葉の陰で泣くだろう。こんな企画をした役人どもは親不孝者だ、と。

 

大垣空襲での死傷者が少ない理由

 この空襲での死傷者数は他の都市の空襲と比較して極端に少ない。当時は防空法により、空襲を受けた場合は退去せず消火活動にあたることが義務付けられていたが、岐阜空襲の惨状を目の当たりにし「焼夷弾に対して火たたきやバケツリレーで火を消せるわけがない」と考えていた少年兵らが、本来ならば非常線を張って逃げる市民を押し戻して消火を命じる立場にあったにも関わらず、軍紀に反して率先して市民を避難させ、その結果人的被害を激減させていたことが、元少年兵の1人の証言によって明らかとなった。

 

大垣空襲の生き証人

 大垣城の直ぐそばに店を構える石屋の石寅の叔母さん(当時は幼少)は、空襲で我が家と大垣城が燃えていく様をなす術もなく、今は埋め立てられてないお堀に身を隠して、首だけ出して情けない思いで眺めたという証言をしている。

 室村町4丁目地蔵菩薩像は、周りが火の海になり、ナパーム弾を浴びて真っ赤になりながらも、逃げる住民を見守り続けたという。ある自治会役員さんは、その姿を見て涙が止まらなかったという。その痕跡が全身に痛々しい。お地蔵さまは2017年に105年間のお勤めを終わられて世代交代された。

 大悲院禅寺(寺内町)の谷汲観世音菩薩像もナパーム弾を浴びて、偶然横に積んであった薪木が燃え移り真っ赤になったという。その痕跡が今でもわかる。

 戸田公を祀る常盤神社の境内にある獅子と狛犬の石像も、ナパーム弾を浴びており、その痕跡が今でも見える.

1039a2000  室村町4丁目地蔵菩薩像  石寅さんの作   2017年5月引退された

24k8a2719   大悲院禅寺(寺内町)の谷汲観世音菩薩像 石寅さんの作 2018年現在で御健在

34k8a2746  常磐神社の境内  2018年現在で御健在

岐阜空襲の概要

 1945年7月9日午後11時頃、熊野灘から進入したB-29の編隊135機は、午後11時34分(米軍資料による)、空襲を開始して約45分間で、岐阜駅周辺から全市にかけて、岐阜市中心部はほぼ焼け野原となった。使用されたのはE46集束焼夷弾、M47焼夷弾であり、計907.5tが投下された。

 岐阜市中心部に投下された爆弾の量あたりの被害は甚大であった。被災面積は約5km2といわれている。被害状況は諸説あるが、主な資料によると、

 死者:863人(戦災復興誌(建設省))、負傷者:1,059人(約500人~5,000人の資料もあり)、全半壊家屋:20,476戸、罹災者:86,197人

 

プロパガンダ映画の制作

 ミッキーマウスの生みの親のウォルトディズニーは、戦争プロパガンダ映画の熱狂的制作者である。1941年12月8日の太平洋戦争と第二次世界大戦へ参戦したアメリカは、戦時体制への協力を映画産業に対しても要請するが、高度に資本化された映画産業は、当初、利潤追求を優先させて協力的ではなかった。

 しかし、ディズニーは大衆の関心の変化に気が付き、「反ドイツ」の色を薄めた「反ナチス」の形で戦意高揚のプロパガンダ映画を制作した。ディズニーが孤立主義から友邦の援助へ大衆意識が変化したのを見抜いて、統合の象徴としてミッキーを選択させた点や、彼が没した今日でもミッキーマウスは「アメリカの象徴」として自己増殖を続けている旨を指摘する研究者もいる。

 

戦争好きで核兵器大好きのミッキーマウス

 政治家や政府のプロパガンダにより、大衆を説得することは難しい(出典『心理戦争』)。しかし大衆自身が願う形へミッキーを変身させることでディズニーは成功を収め、同時にアメリカ政府を顧客とすることにも成功した。当時のウォルトディズニー社は、興行の失敗で膨大な借金を抱え、さらに欧州への戦争中で映画の輸出もできなくなり、倒産の危機にあったが、プロパガンダ映画の制作により、経営再建に成功した。戦後もディズニーは経営安定のため政府の核実験、原子力開発キャンペーンとして「Friend the Atom(我が友原子力)」という映画を作成するなどプロパガンダに参加している。

 要は、ミッキーマウスの親は、大量殺戮兵器の推進に手を貸したのだ。ウォルトディズニーは、現在の北朝鮮の将軍様と何が違うのだ。

 大戦当時に製作された映画には、ミッキーマウスが戦闘機で日本軍の零戦を撃墜するシーン、アニメ映画「総統の顔」には東條英機を風刺するシーンがあるが、これらは国の要請や強制ではなく、ウォルトが積極的に自ら制作した。

 

太平洋戦争の真因

 太平洋戦争の原因は、米国による日本に対する経済封鎖が真因で、日本は死活問題で、自衛のために立ち上がった戦争である。それはマッカーサー元帥が、帰国後に米国議会で証言している。もともとは、中国を植民地にしてその利権を得ようとしていた米国が、その利権を日本に邪魔されて、その仕返しとしての経済封鎖である。それには、当時のルーズベルト大統領の黄色人種蔑視があった。

 

人種・性差別姿勢

 ウォルトに対する「白人至上主義者」、「人種差別主義者」との批判は、生前も死後も浴びせられ続けた。ウォルトは『南部の唄』では封切りイベントに主演の黒人俳優を出席させなかった。彼は、ミッキーマウスやミニーマウスがアフリカで野蛮で猿のように描かれた黒人を差別的に扱う民族侮辱的な漫画を出版しており、現在も批判の対象となっている。また、彼は生前中、ウォルト・ディズニー社の要所に黒人と女性を雇い入れなかった。彼の制作した作品群のほとんど全てに、様々な民族に対する彼の白人中心視点から成る人種差別、および男尊女卑的な性差別が指摘されている。

 

著作権・商標権

 アメリカ合衆国の著作権法は“(皮肉を込め)ミッキーマウス保護法”とも呼ばれており、「ミッキーマウス」および他の「キャラクター名」や「作品名」も含め一律に「商標」として保護され、半永久的に保持できる。当初50年であったが、ご都合主義でその期間が変更になった米国著作権法である。

 著作権は国ごとに保護期間が違い、日本では1953年以前の映画で団体名義の場合著作権保護期間は公表後50年である。ミッキーマウスが初登場した「蒸気船ウィリー」は保護期間が1989年の前後に終わっていると推定される。

 ウォルト・ディズニー・ジャパン社は「著作権に関する方針や見解は公表しない」方針で、自社のウェブサイトでもキャラクターや作品に対する知的財産権の方針を明確にしていない。

 

ミッキーマウス、ウォルト・ディズニー、大垣大空襲、岐阜空襲の項目は、wikipediaの資料を編集、加筆しました。

 

2018-07-18  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

コメント

コメントを投稿