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2018年7月14日 (土)

恐ろしい大垣都市伝説(7/7)市長の死因

 私は神仏を信じているが、神仏を考えずに、理性的・論理的に考えれば、大垣市長の現職死は当然であると思う。けっして濃飛護国神社の祟りとか、怒りではない。市民のために働いている市長に、ご先祖が祟りをするわけがない。

 この8年間、小川敏大垣市長の働き方をみて、歴代の大垣市長の働き方を推察すれば、大垣市長が連続現職死をするのは確率的に当然であると思う。要は、働き過ぎなのだ。大垣市長は、大垣市政に命をかけたのだ。それを医学的、経営的、歴史的に検証する。

 

1.医学的検証

事例1

 2018年7月1日の元気ハツラツ市の当日、真夏を思わせる32度を超える熱い日中に、小川市長は、スーツ姿で大垣駅前大通りを「社会を明るくする運動」のメンバーと一緒にパレードをしたと聞いた。私はその後に駅前商店街に出かけて、1時間程、アーケード街の日陰で身軽な服装で写真を撮っていたが、帰宅したら疲労困憊で、思わず横になったら寝てしまった。私と同世代の大垣市長には、当日のスーツ姿のパレードはキツイお仕事であったと推察した。

 

事例2

 大垣市長は、休日の土日ごとに行事があり、早朝から準備をして、その行事に出て挨拶をしなければならない。全国で、熱中症で1042人が搬送され、5人が死亡した7月14日、38度の炎天下の日にも、いくら屋内といっても、スーツ姿で雛壇に座ってかしこまっていなければならぬ。市民に賞状授与もせねばならぬ。それがやりがいがあり、情熱を傾けられる仕事だとは思えない。愚劣な議会対応もせねばならぬ。付加価値の生まない答弁をしなければならぬ。

 大垣市長には休みがないのだ。厳寒年初の消防出初式では、半日も出ずっぱりで消防団員と一緒に行進して、また子供達の鼓笛隊の演奏の礼を受けねばならぬ、また立ちっぱなしで全市の消防団行進・50数台の消防車の行進の栄誉礼を受けねばならぬ。その後、文化ホールで消防団関係者の表彰式である。こんな過酷な勤務状態では、現職死も当然である。それを5期も続けるのは自殺行為である。こんな状況では、大垣の長期未来戦略を考えることもままならぬと思う。付き合いの行事の挨拶は、部下に任せるべきだ。

71dsc02061 表彰状授与 7月14日

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 大垣市消防団出初式 2011年1月9日

 

事例3

 元気ハツラツ市では、幼児向けのアンパンマンショーで、大規模小売店のアピタが出演料の一部を負担してくれるというので、義理として顔を出さねばならぬ。横から見れば、なんとアホなことに時間をつぶしていることかと。市民として、もっと大事なことに時間を割いてほしい。多忙な市長なら、緩急をつけて、本当に必要な行事だけに出ればよいものを、と思う。

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 2018年5月6日 元気ハツラツ市 アンパンマンショー

 

 組織の長として、そんな仕事は部下に振ればよいのだ。市長の一番大事な仕事は、大垣の未来の戦略を練り、布石を打つことである。それなのに、市の行事を全て、己が担当しようと思うから、過労死となってしまう。歴代の大垣市長の死因は、行事の多さと責任感過剰から来る過労に起因する病気だと推察した。大垣市長にこそ、働き方改革が必要である。そうやって時間を創出して、大垣市の未来を考える為に心血を注いでほしい。

 

2.経営的な検証

 部下に任せるという経営思考が欠如

 大垣市の友好都市であるシュトゥットガル市(人口65万人)では、市長は5人いて、仕事を分担している。第一の市長は選挙で選ばれ、後の4人の市長は行政が選ぶ。小倉満市長が懇意であった第五市長は、文化・スポーツ分野の担当である。ある人が、文化の関係でシュトゥットガルト市を表敬訪問したら、第五市長が自ら車を運転して迎えに来てくれたという。大垣市と大違いである。

 その昔の大垣市政では、副市長と教育長が、市長代理で各行事に出て挨拶をしていたという。今の小川市長が出しゃばりすぎなのか、副市長と教育長が怠慢なのか。小川市長は、大垣市の都市伝説(市長の現職死)を守るために自殺願望なのか。

 「何を悩んでいるのや、仲間は大勢いるぞ、仲間を信じて仕事を任せればよいのだ。」とは、大仏師松本明慶先生の岩田明彩師への温かい励ましの言葉である。

 

3.市民の民度も市長現役死の一因

 大垣市の行事で、大垣市長が来て挨拶しないと、納得できないという昔の古い考えの御仁が多いようだ。それが大垣市長の命を縮めている。

 大垣市は、市長が行事に全て出ないといけない伝統を作っている。しかしその場での小川敏市長の話は長いだけで、何が言いたいかさっぱりわからない。ビシットした要点の言葉がなく、話が長いだけなのだ。秘書室が作った原稿は、市長は、自分が東大出だとの意識があるようで、秘書室を見下して、ほとんど原稿を見ずに勝手に喋っている。だからとりとめがなく、話が長いのだ。だから疲れるのだ。

 小川敏市長は、テクニカルライティングを学んでいない。文章の論理構成とは何かを学んでいない。私のテクニカルライティングの師である篠田義明教授は、現在、東京大学院大学で、日本語の論理構成を教えておられる。篠田義明教授は国会議員にも、日本語のテクニカルライティングを教えてみえる。小川敏氏は、1974年卒だからその講義を聞いていない。だから話が論理的でない。

 それを市民や市会議員が指摘できなないのだ。それを認識できず、行事に必ず市長の臨席を望むのは、民度が低いのだ。

 東京都の石原慎太郎元知事を見てごらん。週に3日しか登庁しなかったと、今頃になって週刊誌が書き立てている。それで石原東京都政が回っていた。大垣市も、各行事に大垣市長の「ご臨席」は不要である。その方が、行事が早く終わって、行政の効率化ができる。大垣市長にこそ、働き方改善が必要である。

 

4.歴史的見地から

 司馬遼太郎の歴史小説を読むと、なぜこの人が、ここで死ぬのかという歴史の場面が多く出てくる。その死は歴史的に必然であったと考えるのが、正しい歴史の見方のようである。その人の歴史的役割が終わると、サムシンググレートが命を召すようだ。歴代の大垣市長も、同じように未来への布石を打って、去っていったようだ。今の市長は、まだそのお役目が済んでいないようだ。何もやっていない?

 

市長稼業 vs 大垣市の経営

 市長稼業は易しい。行政マンの敷いたレールに乗って担がれたお神輿に乗っていれば、任期という時間は過ぎていく。しかし市長稼業と大垣市の経営とは別モノである。行政マンはお役人として当たり障りのない行事を運営することに徹している。減点主義で、ミスはしないよううにお役所的仕事をこなす。

 大垣市民のためになり、大垣市の未来のためになり、大垣市民・企業に利益をもたらすのが行政としての経営である。そうでなければ、市民として大垣市に住む価値がない。経営とは難しい仕事なのだ。会社経営でも、社長には簡単になれるが、経営者になるのは難しい。

 

経営とは

 経営の「経」とは、縦糸として過去から現代、未来につながるの歴史の糸と現代の世相の横糸が織りなす布を織る機械を表わす。

 「営(營)」とは夜の陣中にめぐらすかがり火の意で、宮は部屋の多きい家屋の意である。「営」は周囲にかがり火を巡らせた陣屋の意味を表す。だからその陣屋(大垣市)が繁栄していなければ、正しい経営をしていないのだ。

 小川敏市政は、大垣市を正しく経営しているのか? 大垣駅前通りの以前は活気があった火が消えているではないか。一見、大垣市の人口が増えているように錯覚するが、合併した町村の人口を除けば、実質的に人口は減っている。産業もこの5年間でマイナス5%の衰退である。近隣他市の公示路面価は上がっているが、大垣市は実質的に下落である。小川敏市長が大垣市を正しく経営していないためである。

 

2018-07-09  久志能幾研究所 小田泰仙  

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