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2018年7月22日 (日)

親の死からの学び

 昨日の2018年7月21日、父の17回忌、母の27回忌の法要を彦根の菩提寺で行った。最近の都会では、親の法要は、7回忌迄くらいで、後の法事を行わないご時世である。それなのに親の27回忌法要を行えるは、ありがたいことだと思う。親を偲ぶ法要は、子としての義務だと思う。法要を行うことで、親のご恩を思い出し、自分のこれからの生き方に光を与えてこそ、故人が喜ぶ法要だと思う。

 

鱗介の族は水を虚と為し、水の実たるを知らず

  佐藤一斎 言志四録 後六53

 現代訳:人間という奴輩は、空気があることを意識もせず、感謝もせず、金儲けに熱中して走り回っている。今自分が有るのは、親、ご先祖があってのこと。それを忘れて大きな顔をしているのは、最大の親不孝である。

 

法要でのご利益

 日頃、疎遠になっている親せきと顔を合わせ、近況報告をしあって、自分の立ち位置を確認する。まだまだやれる自分を確認することは、うれしいことだ。

 前回の法要の時に顔を出していた親せきが、死亡や加齢で出られなくあり、一人、一人と姿を消していく様は、寂しい限りである。人生の有限を教えてくれる行事でもある。

 この酷暑の中、3時間も車を飛ばして彦根まで来てくれる親戚に感謝である。

 

ボケの目覚め

 連日の酷暑のせいでの疲れか、加齢によるボケか、認知症か、お供えをお店に取りに行くのを忘れて、高速道路に乗ってしまった。それに気が付いても高速道路上なので逆走もできず、結局、次のインタチェンジで降りて23キロもの回り道をして、40分ほど遅れてお寺に到着した。余裕をもって出たので、法要開始時刻には間に合ったが、私が法要の主催者なので、失態ではある。大きな行事を運営することは、己の事務処理能力の現状把握ができる。今日の法要は1敗1勝であった。まだまだやれる自分と己の老いの発見である。

 

親の背中の教え

 人は何のために故人の法要を行うのか。そういうことを、両親から背中で教えてもらっていないと、その意味を考えることもないようだ。私は両親から、法要をして当たり前、仏壇に手を合わせて当たり前として育ったので、法要をすることに何の疑問も感じない。

 そうでない親戚を見ると、本人は認識していないようだが、人として最大の不幸せを見る。残念ではあるが、その親戚とは距離を置かざるを得ない。さらに悲劇なのは、それに相手は気が付かないのだ。

 

ご先祖を軽視の世代

 しかし最近、「今後、両親の法要をする気はありません」と7回忌以降の法要なしをお寺さんに宣告する遠戚を見ると、考えてしまう。法要はおろか、お墓参りも数十年、ご無沙汰のようでは先祖を思う心は、その子供に伝わるまい。その子供の子も同じである。

 そういう輩が世にはびこるから、「誰でもよかった」という無差別殺人事件が起きるのだ。ご先祖からの脈々とした血のつながりを見れば、人殺しなどできるわけがない。人殺しを犯した人の家には、仏壇・神棚はないものだ。

 

親の歳までは生きる

 若いころは体の弱かった自分が、現在は健康で、母の歳まで生きてこられたことに感謝である。それを実感するのが法要である。同期の仲間はすでに2割が他界している。親孝行として、せめて親の歳までは生きたいと思う。できれば親の50回忌を勤めてあげたい。92歳で現役の馬場恵峰先生を模範とするとまんざら、実現性がないではない。死んでもいいから(?)、健康管理ファートで生きている。

 

酷暑

 当日の酷暑で、本堂でのお経が終わり、お墓の前でのお勤めでは、酷暑の日差しでクラクラしそうであった。お寺さんが、ここで皆さんに倒れてもらっては困ると、短時間でお経を切り上げ、無事に法要が終了した。聞けば、お墓の前でのお経上げ時、倒れる人も出ているとか。酷暑の日本で法要にも影響が出ている。異常な暑さである。

 

両親の最期の教え

 法要からの教えは、両親の死因からの生き方である。両親と同じ生活習慣を持っている己は、両親と同じ病気にかかる確率が高い。それを教えてくれるのが親の死である。それを再度、法要で認識させられる。親は、「貴方も何時かは死ぬのだよ。せめて私と同じ病気では死なないで。私の死から学んでくれ」が親の最期の教えであった。

 

父の死からの学び

 父は85歳で初期の胃ガンになり、胃の全摘手術を受けて、胃ガンは完治したが、その1年後、肝臓にガンが転移して世を去った。そのことを法事のたびに考える。父は85歳の高齢なので、本来ならガンの進行も遅く、他への転移の確率も小さかったはずだ。父はシベリア抑留を生き延びた体である。

 父は高血圧の薬と睡眠薬を常用していた。私も20年来の高血圧で、その対策を模索していた時、真島消化器クリニックの真島先生の説に出会い、機械設計者として、油圧回路設計もした経験から納得した。つまり血管内部にプラークが溜まり、必要上で血圧が上がっている。それを降圧剤で下げると、血の栄養素と免疫機能がある白血球の循環に障害となるとの説である。体の自律神経は、必要だから血圧を上げているのだ。高血圧の根本原因を放置して、現象としての高血圧を下げる対処療法をするから、別の病気が出てくるのだ。ストンと納得できる説であった。

 それから、血圧が上がる原因である血管内プラークの低減として食事療法に取り組んで、2年弱で降圧剤の服用をやめることができた。父親の死からの学んだ最大の教えである。

 

2018-07-22  久志能幾研究所 小田泰仙  

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