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2018年8月25日 (土)

人生道を走る三貨車の教え

 仏教の教えに「三貨車」がある。これは仏教とは限らない人生の例えである。三貨車とは、人生を3つの車が走るさまと例えた。人生道を走るとは、前の車に駆動され、自分は真ん中の車に乗り、後ろに荷物を載せて走る生きざまを表している。

 徳ある人は、前の車に経典(人生の指針)を乗せ、それをカーナビとして正しい道を走る。その後ろに自分の遺徳・遺産を載せて走る。

 徳なき人の人生は、前の車に欲望という鬼を乗せ、己はそれに引きずられて暴走させられる。カーナビCPUの暴走である。後ろの台車には、金と女と酒が満載で腐臭をまき散らせている。

 

経営の指針

 名経営者は、駆動車に経営理念を乗せ、己は真ん中に堂々と座って、会社を経営理念に沿って走らせる。後ろの車に自社の製品と社会貢献を乗せる。前車に経営理念があると、何が道に飛び出してきても迷いはない。経営理念に沿ってハンドルを切ればよいからだ。医薬品メーカで、事故が起これば採算度外視しで顧客の命を守る。それが正しい経営のハンドルさばき。

 強欲な経営者は、駆動車に金儲けの御旗を掲げ、己はふんぞり返って、暴走する。後ろの台車には金は満載されているが、通った後はぺんぺん草も生えない。まるで目の前にぶら下がったニンジンをめがけて走る馬のごときである、そのレベルの経営者は、金儲けのために、排ガス不正も車検不正も、金が儲かる方にハンドルを切る。後ろに乗った社員には悲劇である。

 

大垣市の三貨車

 大垣市長は、どういう理念を載せて、どこへ市民を連れていくつもりなのか。前に乗せたものを見ても、名誉欲、利権優先、市長椅子への執着等ばかりで、理念に沿うものが見当たらない。哲学も思想も見当たらない。大垣市長は真ん中の車でふんぞり返り、後部台車には、けばけばしいお祭りの旗を立て、大垣市衰退の嵐の中を、ヒラメの職員が舞い狂い、負の遺産を積み上げている。声なき大垣市民は無視され、大垣駅前商店街は衰退の一途で、商店主は6割がひき殺された。子供たちは、将軍様の自己満足のため炎天下で踊らされている。

 行政の暴走状態は、ドライブレコーダーという市民の目、新聞、マスコミで正確に記録されている。天に目あり、地に耳ありである。

 

自分の三貨車

 自分は何に引きずられて人生道を走っているのか。後ろの荷台に何を乗せているのか、何を載せたいのか。その荷物を死んだあと誰に残すのか。

 間違った駆動車なら、取り替えればよい。全ては己の意思次第である。年に一度くらい、地蔵盆祭りの8月24日に、人生駆動車を車検に出すべきだ。意思さえあれば、駆動車を換えるのは容易である。私の町内では、台風20号の影響で今日の8月25日に地蔵盆祭りに順延された。自然は天の声を声なき経として奏でている。問題があれば、変更すればよい。

 

地蔵菩薩信仰

 前の車次第で、己の人生の行き先が変わる。誰しも来世では地獄には行きたくない。しかし現世でさえも、引っ張られる車次第で地獄を見る。全ては己の責任である。

 お地蔵さんは、この世で、同じ視線で我々を見守り、あの世で子供を助け、生前の己の善行を弁護してくれる。地蔵菩薩は地獄に人事異動(仏事異動?)で赴任されると裁判官の閻魔様に変身される。いわば弁護士と裁判官がお同じ佛様なので、救ってもらえるという地蔵菩薩信仰が生まれた。日本の仏教の話には救いがある。

 

佛の存在

 そもそも地蔵菩薩や地獄の世界を考え出したのは人間である。その己の中に、佛も住めば鬼も住むのを知り、地蔵菩薩という仏さまが生まれた。仏様とは己が理想とする存在である。そういう仏様を生み出した先人に感謝をしよう。あの世に地獄も極楽も仏ない。己の心の中に佛も地獄も存在する。自分の理想とする生き方を仏に見る。智慧ある先人が、人の潜在意識におわします理想を仏の形にしたのが宗教である。

 

最高の愛情表現

 親として、教師として、最高の愛情表現は見守りである。お地蔵さんが道端で見守っていてくれる。お墓で見守ってくれている。あの世で見守ってくれる。親でも教師でも、黙って子供を見守るのが最高の愛情表現である。その象徴がお地蔵さんなのだ。

 

2018-08-25  久志能幾研究所 小田泰仙  

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