大村智博士講演「私の半生記」(2/6) 座右銘
人真似はしない
事例1 スキーで攻める
大村先生は山梨大学時代、スキーに熱中して、指導の横山隆策先生(横山天皇、伝説のスキーヤーと呼ばれた方)から薫陶をうけた。当時、新潟にいた横山先生は、当時の最強の北海道のチームからいろいろと教えてもらうのだが、なかなか勝てる様にならない。それで「北海道の真似をするのはやめよう」と決断して独自の練習方法に切り替え、みんなで話し合い、工夫を重ねることで、勝てるようになったという。スキーは力があれば勝てるわけではない。頭を使わないと勝てない。
その結果として大村先生は、多くのスキー大会で優勝をされている。同時に、大学の単位も同級生の中では一番多く取られている。
これは研究や全ての分野にも通じることで、まずレベルの高い人たちの中に入らないとダメである。その上で、真似事だけでは絶対にダメで、独自の方法を取り入れて、初めて相手を超えられる。後に大村先生が研究室を主宰するようになってからは、自分のコピー人間は作らないように心がけたという。
事例2 ゴルフを攻める
大村先生は、北里大学の教授になったころ、仕事のやりすぎで体調を崩し、医師からパチンコでもゴルフでもして気を休めなさいと指示された。大学教授なのでパチンコというわけにもいかず、ゴルフを始められた。素晴らしいのは5年でシングルのハンディになるという目標を立てられたこと。
普通の人は練習をしてコースに出て腕を上げるのだが、大村先生は、事前の練習はしない。その代わりコースに出た後に、必ず当日の反省をしながら練習をされた。それで目標通り、ハンディ18でスタートして、5年後にハンディ5の腕になった。これは参考になる秘伝である。人と同じことをやっていては、進歩がない。大村先生の取り組みは理詰めである。
座右の銘「実践躬行」
言うだけでは誰も信用しない。大村博士は実行が大事だと「実践躬行」を座右の銘にされている。「実践躬行」とは、理論や信条などを、自身の力で実際に踏み行うこと。「躬」は自ら、自分での意。
当時、北里研究所は倒産寸前の財務状態であったという。それで北里研究所の経営を立て直すため、大村博士は手を上げて、副所長に立候補して、教授職を捨てて、背水の陣で、自分を追い込んで経営に没頭された。しかし副所長になると教授職より給与が下がるのだ。それをあえて、経営学、財務を独学で学んで、経営者として北里研究所の経営にあたり、経営を正常化させた。大村博士は単なる学者ではなく、名経営者である。
講演会でのスライドで
座右の銘「一期一会」と師
大村博士は師の大事さを、母親と道元禅師の言葉を引用されて説明された。教えを受けた人、支援を頂いた人とのご縁を大事にする姿勢「一期一会」が、科学技術の発展に不可欠という。
大村博士は、祖母の影響を強く受けているという。祖母からは「人の振り見て我が振り直せ」「情けは人のためならず、巡りめぐって己がため」が一番大切だと繰り返し教えられたという。
大村博士の母親は小学校の教師で、母からも多くを学んだという。「教師の資格は自分自身が進歩していること。」(母(文子)の日記帳より)と並みの母親ではない。
「正師を得ざれば、学ばざるに如かず」曹洞宗開祖 道元禅師「学道用心集」
大村博士は、今ある自分は、師との出会いとその導きだと回顧されている。その師との出会いを一期一会で大事にされて、今の実績を作られた。
馬場恵峰書 私の自宅で
三年かけても師を探せ
それと同じことを、私は馬場恵峰先生に揮毫していただいた「3年かけても師を探せ」で感じている。私が自分の半生を振り返ると、テクニカルライティングで、日本の第一人者・篠田義明先生に出会い学び、そのご縁で世界的権威のスチブンソン教授、マセイズ教授(ミシガン大学)に直接、教鞭を頂いたことは、何事にも代えがたいこと。おかげで思うことが思うように書ける技(テクニカルライティング)を手に入れた。同じレベルの教鞭を後藤悦夫先生にもいただいた。これもご縁がご縁を呼んだ例である。
私は55歳に馬場恵峰先生に出会い、人生を考える道を教えていただいている。
馬場恵峰書
不動心
講演会でのスライドで
私は大村先生の講演スライドで先生の実家に掛けられた書を見て、少し嬉しくなった。「不動心」の書は清水公照(東大寺別当)、「生きる」松原泰道師の書である。私の師の馬場恵峰師と同じ傾向の書を掲げておられからだ。
馬場恵峰書
2018-08-16 久志能幾研究所 小田泰仙
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