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2017年9月

2017年9月18日 (月)

恵峰師の長生きの秘訣

 下記は、2017年9月14日、恵峰先生宅で書の撮影の合間のお茶席での雑談で仕入れたお話です。

 恵峰師は、月に一度、国立病院で検査を受けるが、現在、師は高血圧でもなく、極めて健康である。耳は昔の事故のため補聴器が必要であるが、頭脳も明晰、目もいい。歯は入れ歯であるが、超健康体である。うらやましい限りである。それにはワケがある。

 

恵峰師の話

 人生で大事なことは、頭とお腹に詰めるものをコントロールすること。それをしないから早く死ぬ。頭に詰めるものを詰めないから、つまらない人間になる。腹に多く詰めるから、腐って病気になる。そのバランスが大事である。

 固定するものは滅す。開は仁なり(開は人の道なり)。(老子)

 

 頭に入れたら、人に教えて頭を空っぽにすること。そうすると、また頭に詰めることができる。出さないから、入れることができない。出さないからノイローゼになる。

 金を沢山、懐に詰めるから病気になる。金を持ったまま死んでいく。金を流さないから病気になる。大体、金が出来ると、みんな国立病院に入院するようだ。私は金を持っていないので、身軽に動くことができ、手で軽々と書を書ける。

 今まで中国に私費で240回行って、一回20万円の旅費としても約5千万円を使った。今、お金は残っていないが、中国に行って民間で大事にしているものを買ってきた。国宝級のモノではなく、庶民が大事にしている文化財を買ってきた。それで家にお金は残っていないが、中国のモノが日中文化資料館に沢山残った。今、そのような作品を買いたくても中国にはモノがない。全て世界に散逸してしまった。中国人が見ても、喉から手を出しても欲しいものが日中文化資料館に沢山あり、中国人が驚嘆している。あくまで中国と国際交流として手に入ったものばかりである。中国人が、「恵峰先生に是非買って欲しい」と言って持ってきたものばかりである。中には、当時数十万のものが、現在は数百万円出しても買えないものも多い。全て人と人とのご縁の賜物である。恵峰師が人と人との間の人様のご縁を大事にしてきた成果である。

 60歳の時、家屋敷を担保にして生命保険をかけて、銀行から1億円を借りて、社会奉仕活動として日中文化資料館を建てた。その借金を24年かけて完済した。84歳の時である。その時はさすがに嬉しく、長男と手を取り合って喜んだ。

 

恵峰師の日常生活

 恵峰師は91歳の現在も、毎日夜遅くまで仕事として書を揮毫しまくっている。中国に行くと、購入した書の材料(軸、冊子、色紙)等を、同行した仲間に一人30キロ分を持たせて、帰国する。それに何を書くかを考えるのが楽しいという。それも後世に残すための書を書くことが多い。儲けるために書くわけではない。100mの巻物軸は、売るために書いたのではない。あくまで後世のお手本として残すために2年を掛けて揮毫された。「源氏物語」千首の色紙を書いた時も、源氏物語発刊千年遠忌があり、思いついて書いただけで、誰からも頼まれたわけではない。「奥の細道全集」も、松尾芭蕉300年遠忌が1995年に巡ってきて、思いついて書いたまでである。それも書いた色紙が、全て違うデザインの色紙である。これはバカにしかできない。おりこうさんなら、絶対にやらないことである。東大を出て合理的な人間には、絶対にできないこと。人間は損得勘定で、理性的にやる限り、人生で出来ることは知れたものと思う。私は、それが仏さまにして師を長生きさせている理由だと思う。

 毎日の仕事の合間に、350坪の敷地の庭を毎日、朝晩30分間づつ、掃除、草取りをされる。だから日中文化資料館の敷地には雑草一本生えていない。定期的に体を動かすのが健康に良いはずである。庭の松や榎の手入れも自分でされる。「私は庭師だ」と自称されるほど。

 食事は小食でゆっくりと咀嚼し、感謝して食べる。いつも私が同席して食べると私が早く食べてしまうので、いつも早すぎると叱られる。お酒は紹興酒を盃一杯に3倍のお湯で薄めて飲まれる。中国に行くと、何も言わなくても相手がそうやってお酒を出してくるとか。

 恵峰師は生きているのではない、ご先祖から生かされているのだ、が口癖である。先生の長生きの秘訣は、書写行であるようだ。書写行が最大のご先祖供養である。今までに1万五千字以上の写経をされた。師でも般若心経を写経するのに、2時間はかかる。師は表装された軸に直接揮毫される。揮毫してから表装するのではない。神業である。

 

2017-09-18

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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「桜田門外ノ変」の検証 (23)龍譚寺、天寧寺

龍譚寺の鳴鶴石碑

 清涼寺に隣接した龍譚寺は、井伊家の菩提寺で、奈良時代行基によって遠江国(現静岡県)井伊谷に開基された、臨済宗妙心寺派の寺院である。石田三成公の供養塔がある。寺院裏山の墓地には、彦根御前とうたわれた井伊直弼の母の墓や、直弼の側室であった里和の文塚など、多くの史跡が残っている。そこに日下部鳴鶴の学問の師である田中芹坡先生を顕彰した碑が建っているので、馬場恵峰先生ご夫妻をご案内した。碑の書は日下部鳴鶴である。この石碑は東北の仙台石である。

 日下部鳴鶴は、中林梧竹、巌谷一六と共に明治の三筆と呼ばれる近代書道の確立者の一人である。馬場恵峰師は、原田観峰師の第一弟子である。原田観峰師は日下部鳴鶴の書をお手本として日本習字を創立した。だから、恵峰師の書は、日下部鳴鶴の書体とそっくりである。私は恵峰師の方が名筆だと思う。私は弟子として恵峰師の書を世に問いたいと写真を撮り、出版の準備をしている。

 

天寧寺の鳴鶴石碑

 その後、天寧寺に行き、馬場恵峰師を日下部鳴鶴の書の墓、碑文に案内した。石黒太郎氏の墓石の彫られた日下部鳴鶴の書体の彫り方を見て、恵峰師はその彫り方の解説をされた。石の彫り方にも高度な技法がある。石黒太郎の墓は無縁の墓として墓地の奥のほうに置かれており、誰も訪ねるものもない。石黒太郎の墓の裏面には勝海舟の弔辞を日下部鳴鶴が書にして彫ってある。この墓石は文化財としても貴重であるが、今は捨てられたように置かれている。恵峰先生が石黒太郎の墓石の裏に彫られた鳴鶴の字体をなでるように慈しまれたのには驚きであった。(碑の詳細はNo12「明治の墓標」を参照)

 

図1 田中芹坡先生顕彰の碑

図2 田中芹坡先生顕彰の碑 部分

図3 大東義徹氏の顕彰の碑  日下部鳴鶴書

図4 大東義徹氏の顕彰の碑  部分

図5 大東義徹氏の顕彰の碑  部分

図6 石黒太郎氏の墓 

      日下部鳴鶴書を愛でるように触れられる恵峰師

図7 石黒太郎氏の墓  日下部鳴鶴書

 

2017-09-18

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食の至福という罠

 清涼飲料水を筆頭に、ファーストフード店で販売される飲料物には大量の砂糖が入っている。それは習慣化して毒として体を蝕む。食品メーカはどんどん消費して儲かるように仕向けている。それにペアとなるスナック菓子は、助長作用で、食べ出したら「止まらない、止められない」である。困ったことのその毒は、大層美味なのである。美味しいものには毒がある、という定理が通用する。

 

 コカ・コーラ 650mℓ           砂糖 65グラム

 リプトン・アイス・ティー590mℓ      砂糖 52グラム

 スターバックス・アイス・フレーバー・テラ 砂糖 28グラム

           低脂肪乳を使って好みのシロップで味付け

     28グラムとは、ドーナツの2.5個分の砂糖である。

「人気ドリンクとお菓子の砂糖含有量を調べてみたら」CNN.co.jp 2014/07/08より

 

 同じように俗世間には美味しいものが満ちている。その周りには蟻のように群がってくる害虫がいる。美味しいものを食べる椅子にしがみ付いて、離れない。その椅子が高いところにあるほど、美味しく悪魔的である。食い散らされて、まき散らされる害毒が多くに人に降りかかる。餓鬼道に堕ちた下達の人には、何を言っても無駄である。

 

飽食の罠

 日本でも食生活やライフスタイルの欧米化に伴い,肥満人口は増加の一途をたどり,今や推計2300万人に達している(男性1300万人,女性1000万人)。特に男性の場合、どの世代でも10年前、20年前より大幅に肥満者割合が増加である。とくに40代から60代の肥満者は30%を超えている。このうちの約半数は病気を持たない“健康な肥満者”である。残りの半分にあたる1100万人は糖尿病や高脂血症、高血圧症、膝関節症などの生活習慣病を合併しており、これが医師の治療を必要とする「肥満症」である。

 工場で生産される加工食品は、塩、脂肪、砂糖が飽食の罠の鍵となる成分である。単に味覚を刺激するだけでなく、食品の魅力を上げて再購買を狙う目的で味付けが研究開発される。多くの研究開発費をかけ、脳に抵抗しがたい魅力を封じ込める味付けがされる。それが健康にいいかどうかは二の次で、売れるかどうかが評価の対象である。製造した食品がどれだけ売れるかが成果主義の評価である。多大な研究開発費を投じた商品は、大量生産をしないと、業界の自転車操業的な体質が保てない。低脂肪、低糖、無糖、という表示にマーケティング、心理作戦に金をかけ、消費者のサイフを狙う。それが別の「毒」を盛ることになる恐れもある。その昔、人工甘味料に発ガン性成分が含まれていたが露見した歴史がある。

 

肥満の害

 肥満は万病の元で、糖尿病、高血圧、ガン等の遠因となっている。病気になると大量の薬の投与となり、医療機関と薬剤関係が儲かり、ますます病気を作ることになる。悪魔のサイクルである。

 薬とは、炎上(患部)場所に消防車が消火のための放水と同じである。火事には確かに効くが、患部以外にも大量に水が浸透して、火事でない部位(健康な部位)も被害を受ける。薬には患部と健康部位の区別が付かない。つまり薬は基本的に毒なのだ。抗がん剤でガンは治りました、患者は死にました、が現実である。薬は、健康な部位も攻撃する。

 

隣家の火事

 それについて昔の火事を思い出した。2005年10月27日、自家の隣のアパートが火事になり、消防署が延焼を防ぐために私の家に大量の放水をした。お陰で延焼は防げたが、大量の水は火事になっていない自家の壁や屋根を破壊した。薬を飲むとは、火事と同じことが、自分の体に中で起こっているのだ。

 

図1 右が火事の火元のアパート、左が自家 

図2 火元の部屋  2005年10月28日撮影

図3 放水で被害にあった自宅の部屋 

図4 放水で被害にあった自家の天井・壁

 

2017-09-18

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大垣の生き血を吸う「元気ハツラツ市」

やり方を変えれば、商店街が活性化する。

今のままでは活性化は無理。

 毎月第一日曜日に駅前の大通りを閉鎖して歩行者天国にして元気ハツラツ市が開催される。今の大垣「元気ハツラツ市」は大垣の活性化を妨げ、大垣駅前商店街を殺している。今は一部の商店主と役人が己の利益誘導でやっている。元気ハツラツ市に来た客は、閉店したお店の多さと街の小汚さを見て、別の日に来ようとは絶対に思わない。元気ハツラツ市を開催すると、一部の店だけ は潤うが、他の多くの大垣商店街のお店は売上半減で、全体の売上高は落ちる。ますます大垣駅前商店街が寂れていく。他の市から出稼ぎにくる露店業者やタレント事務所にお金が落ちる。元気ハツラツ市に呼ぶ昔の売れないタレントに多額の金(市民の税金)を投じて、誰が喜ぶのか分からないのに、多額の税金を無駄使いしている。業者との癒着が疑われる。

 

問題点

地元業者は売上半減

 「元気ハツラツ市」を開催すると、飲食店は2割の売上増だが、一般小売店は売り上げ半減である。元気ハツラツ市に物見遊山で来る他市の人は、飲み食いはするが、一般小売店では買い物などはしない。商店街全体では売り上げ減である。だから元気ハツラツ市のある日は、一般小売店は商売にならないので、多くの店はシャッターを閉めてお休みである。ますます大垣商店街が衰退する。

 

他県の業者が儲かる行事

 遊歩道で出店をするお店は、他市や他県から出稼ぎにくる業者である。利益は大垣市以外に行ってしまう。地元のお店は潤わない。その分、大垣が衰退する。

 売れないタレントを呼ぶのに多額の金(税金)を使って、己の店の売り上げ増の為、画策をしている。税金泥棒である。その陰で、市民や子供たちのための活動で、市からの援助金を1銭ももらえず、企業に基金のお願いをするために走り回っているボランティア活動の文化芸術活動「世界一流の音楽を楽しむ会」の「あしながチケット」活動がある。その基金に、私も5万円を寄付をした。それを思うとトンチンカンな行事に多額の金を使う行政に腹が立つ。他市からくる物見遊山の散歩者のために、昔の名前で出ている歌謡曲の芸人に、大金を投じるなら、未来を背負う子供たちのためにお金を出して欲しいと願う。市のお金の使い方が、退廃的、痴呆的である街頭で繰り広げられるイベントの出し物が、TVバラエティ番組もどきで、痴呆的で幼稚化した内容である。他市の暇な老人達や物見遊山の買い物客のほうが、日本の未来を背負う大垣の子供たちより大事だとの意思表示の行政である。大垣行政の恥さらしである。

 この月1の元気ハツラツ市のために百万円程(推定)を使うようだが、それを計算すると年間1千万円も使っている。年間1千万円もあれば、もっと活性化する方策があるはずだ。それを何の見直しもせず、7年間も税金を垂れ流している。総額7千万円を駅前商店街の活性化のため投資をして、その結果として駅前商店街のお店の閉鎖がどんどん増えて60%に達したブラックユーモアである。もっと賢い使い方があるだろうと、巷の声は叫ぶが、自己満足に酔った市商連の幹部や市の役人は聞く耳を持たない。幹部は7年間も椅子にしがみ付いて、その座を離さない。よほど美味しいものがあるとしか思えない。

 

密室の「元気ハツラツ市」運営会議

 元気ハツラツ市の運営会議には、利害関係者しか参加しない。それも形式だけで形骸化している。会議に出ても改善案の反対意見はつぶされるので、アホらしくて、他地区の商店街の関係者は誰も出ない。大垣駅前には5つの商店街があるが、連携を取らずに、自己満足の幹部だけの運営となっている。

 市の役人も行事をすることが自分の手柄になるので熱心だが、熱心になるだけ、大垣市が衰退していく。名目は、活性化であるが、他市から来た出稼ぎの業者の活性化にはなるが、大垣の生き血を吸って、商店街を殺している。それでもヒラメお役人は親方日の丸で安泰である。商店街は首を吊るしかない。

 

買い物難民

 私は別に元気ハツラツ市の出店には興味がないが、大垣駅前の大通りを閉鎖するので、車で買いものに行けないので、困っている。他の市民も同じである。大垣のメインの大通りを閉鎖してまでやる行事ではない。智慧を出せば、別の方法がある。(下記)

 

元気ハツラツ市のマイナス効果

 元気ハツラツ市に来た他市の人は、大垣駅前商店街の6割の店がシャッターを下ろした有様と小汚い街の姿に呆れて、元気ハツラツ市の日以外は、大垣に来ようとは絶対に思わない。大垣市の失政の宣伝効果にはなる。他山の石である。

 

改善案

 開催場所の変更

  現在は、駅前大通りだけ閉鎖して歩行者天国での運営

   ↓

   ぶらつき街と本町商店街を歩行者天国にする。

  大垣公園で元気ハツラツ市を開催する。

     すぐ側に大垣城と大垣市郷土館があるので観光の誘致になる。

  駅前大通りは、歩道に露店や屋台を出させる。

      大通りの通行はそのままで通行止めにしない。

  現在5つの商店街を協業して運営。(今は独断利己運営)

   

 呼ぶタレントの費用を審議

  税金を使っているのに、密室で役員の個人の趣味で選んでいるので、第三者の審査機関で選定する体制とする。現在は、費用が適正かどうかは、誰にもわからない。業者と癒着の疑惑さえ思い浮かぶ。誰が見ても腐臭が匂う。

 

 元気ハツラツ市の会計の監査が必要

  会計監査が身内だけの自己監査だけだと、東芝の不正のように、他者には分からない。第三者の機関による監査が必要である。

 

以下は2017年9月3日の元気ハツラツ市の風景

図1 他県からの出稼ぎ露店

図2~6 元気ハツラツ市当日でお休みの店が多数

図7 他県からの出稼ぎのタレント

図8 他県からの出稼ぎのタレント

 

2017-09-18

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2017年9月17日 (日)

なぜ写経をするのか

五種法師の修行

 馬場恵峰師の『報恩道書写行集』を知人の住職さんに進呈したら、「本の写経は全て読ませて頂いた。それで馬場恵峰師は、どんな目的で写経をされたのでしょうか?」と言われて答えに窮した。それで2017年9月13日、馬場恵峰先生宅を訪問した時、その疑問を師に問うた。師曰く「写経は、『法華経』の法師功徳品第十九で説かれる読、誦、理、説、書写の「五種法師の修行」の一つである。そのうち書写が一番大事な修行で、それが一番ご先祖供養になる。今の僧侶は、この書写行をしない。」

 

五種法師の修行とは、『法華経』の法師功徳品第十九で説かれる、次の5種の修行である。

 読とは経文を見ながら読むこと。

 誦とは経文を暗誦すること。

 理とは経文を理解すること。

 説とは仏法を他の人に説き伝えること。

 書写とは経文を書き写すこと。

 

五種法師の修行の現代訳では、次の5種の修行をいう。

 受持とは教えや戒律を受けてそれを守ること。

 読とは経典を見て唱えること

 誦とは経典をそらで唱えること

 解説とは仏法を他の人に説き伝えること。

 書写とは経文を書き写すこと。

 

仕事とは祈り

 恵峰師の説明を聞いて、「仕事とは祈り」との言葉を思い出した。仕事を覚えるは、まず仕事の教科書を読み、内容を暗記し、理解して、他人に説明できるまで修得する。それを自分の天命として世のために問う。仕事は生活の糧を稼ぐためと、世の中に奉仕する意味がある。仕事とは「事」に仕える尊い行である。実際に体を動かして行う修行である。

 西洋では労働とは苦役と解釈される。キリスト教では、労働は神がアダムとイブに課した罰としての業である。しかし労働と仕事とを別に考えないと、奴隷の人生となってしまう。西洋人は金ができたらさっさと引退してしまい、浜辺でのんびりと過ごすのが夢という人が多い。それに対して、日本人の価値観は、仕事は死ぬまで現役という人が多い。価値観の相違である。

 仕事は世の中に新しい付加価値を生みだす行である。その仕事は祈りと同じで、書写行と相通じるものがある。ご先祖供養をする前に、現世の衆生に奉仕する。それが仕事である。写経を繰り返すとは、実際に手と体を動かしてご先祖に感謝を捧げる。仕事も同じで体を動かし、その仕事を何度も繰り返し、己の仕事の腕の練度をあげて魂を昇華させる。その仕事も生涯を貫く仕事であって、生涯現役なら最高である。

 

2017-09-17

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地蔵異聞 首刎ね

誰がお地蔵さんの首を刎ねたのか?

 日本は仏教が聖徳太子によって積極的に導入されて以来、宗教戦争のような悲惨な争いが少ない稀有な存在である。聖徳太子は仏教を導入したが現存の日本の神も敬うという姿勢をとってその布教に努めた。それが神仏習合の文化を育てた。それに比べれば、西洋の宗教戦争は排他的で、それゆえ悲惨で残酷であり、長く西洋史に刻み込まれている。その名残が中東の紛争に現れている。西洋の宗教戦争は2,000年間も続く争いである。それに比べれば、日本の宗教戦争は小さな争いではある。

 

全てを受け入れる

 相手の思想を認めず、排他的な考え方を取るから残酷な結果を生む。仏教に思想は、人生の全てを受け入れる、である。それは仏教という範疇にとどまらない素晴らしい考え方である。会社を経営して、己の人生を経営するにおいて、大事にしたい考え方である。西洋人が偉いのではない。たまたま西洋に生まれただけである。その考えで、多くのアジア人が欧州人に虐殺された。エートが偉いのではない。たまたま記憶力が良いという恩恵を神仏から恵まれただけである。それを、俺は偉いのだと、相手を認めないのは、己が一番偉いという思い上がりである。神仏は、その才能を世にために使えというはずである。東大を出た山尾志桜里議員も、豊田真由子議員も、この世で役立つためにその才能を神仏から与えられたはずなのに、何を勘違いしたことやら。頭がいいとは、物事をお利口さんにしか考えられない愚かな頭脳構造である。人生では、バカになって取り組まねば成就しない仕事が数多くある。人間は損得勘定で生きているわけではない。

 

廃仏棄却騒動

 仏教の一番大きな危機は、明治初期に発生した廃仏棄却騒動である。廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈)とは、新政府によって慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発せられた太政官布告(「神仏分離令」「神仏判然令」)、および明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」などの政策によって仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃した。「廃仏」は仏を廃し(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味し、廃仏棄却で神仏分離を押し進めた。

 神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図しなかったが、結果として廃仏毀釈運動となった。神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などが見られた。1871年(明治4年)正月5日付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収した。廃仏棄却では、国宝級の仏像が多く破壊されたが、それがなければ現存するものの2倍もの国宝級仏像が残っていたはずといわれるほどの騒動である。

 それでも全国でその程度の差は大きい。美濃国(岐阜県)の東濃は廃仏棄却が激しかったようだが、同じ濃尾地区でも西濃の大垣では廃仏棄却の痕跡はない。美濃国の苗木藩では、明治初期に徹底した廃仏毀釈が行われ、領内の全ての寺院・仏壇・仏像が破壊され、藩主の菩提寺(雲林寺)も廃され、現在でも葬儀を神道形式で行う家庭が殆どである。一向宗が強い三河や越前ではこれらの処置に反発する一向一揆が見られた以外は、全体としては大きな反抗もなく、わずか2、3年後の明治4年(1871年)頃には終息した。

 

首刎ね

 彦根市の長松院の墓地に安置してある百体ほどのお地蔵さんの首が全て刎ねられている。だれがこんなことをしたのか。長松院だけではなく、彦根中のお寺も同じ状況である。お寺は存続しているので、お地蔵さんだけが被害にあっている。大垣や他の区域ではお地蔵さんの首が落とされた事例や寺院の破壊は見られない。彦根では、墓地にあるお地蔵さんの首だけが被害に遇い、堂内の仏像は壊されなかったようだ。彦根天寧寺には有名な五百羅漢像があるが、それが首を落とされた形跡はない。

 

地方の廃仏棄却

 日本の他の地域では五百羅漢像の首を落とされた事例もある。廃仏棄却の形態は地方でその現れ方の差が大きい。彦根ではある宗派のお寺が潰され神社に知行されたが、そういう例も地方によって差が大きい。どれだけ明治政府に従順であったか、権力に密着していたかでその影響の差が大きいようだ。明治政府の重鎮であった殿様がいる藩の殿様の菩提寺は潰せまい。クソ真面目に廃仏棄却に励んだ藩は、外様で政府に媚を売りたかったかもしれない。明治政府成立に貢献した藩は、大らかに構えていたのかもしれない。大垣藩も彦根藩も明治政府成立の立役者ではある。

 彦根でも、廃仏棄却は進んだが、多くのお寺は潰されなかったが、ある宗派のお寺が集中的に潰されて、現在では墓地しか残っていない。その傾向は彦根だけであるようで、廃仏棄却の地方での温度差はかなり大きい。その檀家が存続できたお寺を妬んで、お地蔵さんの首を刎ねる蛮行に及んだのかもしれない。廃仏棄却にも権力闘争の風が吹いていたようだ。だから弱いものはモノに当たった憂さを晴らすようだ。それでも堂内にある仏像までは手が出せない臆病者であったようだ。当時のお寺は権力と密着していたので、力を持っていたのであろう。

 

図1 首を刎ねられた地蔵菩薩像 (彦根の寺院の墓地)

 

2017-09-17

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大垣を良くする案

 大垣商店街が衰退したのには、衰退したワケがある。手を打たないと寂れる一方である。今のままでは名古屋のベットタウンに成り下がってしまう。現状維持では退歩である。他の市は必死に考えて、手を打っている。何もしないから、衰退して当然の結果となった。大垣は、工業では発達しても、殺風景な街の成り下がりつつある。私は大垣を、歴史遺産のある街として、工業も商業も文化・芸術も発展する街にしたい。

 滋賀県一の観光都市・長浜は、その昔、大垣の繁栄ぶりを視察して街づくりをしたという。他にも、大垣に視察に来た市は多いと聞く。その大垣は長年アグラをかいて、何もしないできた。まるでイソップ童話のウサギと亀の競争である。現在、そのツケがいまわっているだけである。

 皆さんの街は、いかがですか? 他山の石にしてください。

 

ダーウィンの生存法則

 全国の市でも街のシャッター通り化が進んでいる。それは、時代にあった改革をしてこなかっただけの、簡単な理屈である。頭の固い街のボスが、商店街を取り仕切ってきた街は全て衰退している。危機感を持って改革の取り組んだ街が繁栄している。何もしないのが、一番悪い。「なにもしなくてもいいから、改革の邪魔をしないで欲しい」とはトヨタ自動車の奥田社長(当時)の言葉である。何もしないと言われたトヨタを奥田社長は劇的に変革した。それで今のトヨタがある。

 生き残るのは、強い生物ではなく、環境にいち早く適応した生物である。(ダーウィン)

以下の提案は、全国どこの市でも適用できるアイデアだと思う。

 

街づくり

・大垣駅前商店街の駐車場を1時間無料にする

  同じ商圏内に無料の駐車場完備に大規模小売店舗があるのに、有料では、お客が来るはずがない。今時の車社会で、それに対応した街づくりが求められる。

・街づくりのデザインを著名な専門家に依頼する。

  出すものを出さないと良い街にはならない。街のデザインも付加価値である。現在は、毎年、調査費という名目で訳の分からない計画が進められているが、17年間かけて出た結果が、店舗数の60%もの激減なので、やり方が間違っている。それが分からなければ愚かである。それが分かってもらえないので、どうしようもない。現状のままいっても成果が出るとは思えない。業者との癒着が疑われる。癒着とは長期政権の土壌に生えるカビである。

・お洒落なお店を誘致する。

  歴史ある史跡という資産がある大垣市で、しゃれたお店がなく、殺風景なお店しかない。商店街を歩いていて、楽しくない。宝の持ち腐れである。

・商店街の一区画を、飲食喫茶のブロックを作る。(大垣市が誘致)

 全国的に有名なお店を誘致する。座して待っていても、成果は出ない。

  出店には市からの補助金を出す。補助という投資をしなければ、誰も出店はしてくれない。それは呼び水である。呼び込まねば、成果は出ない。現在は、お洒落なお店が皆無に等しく、ひと休みする気になれない殺風景な街に成り下がっている。

・「大垣 道の駅」を作る。

  お土産販売、地元産の野菜、果物の直販店、銘菓販売、郷土料理店を統合したお店を町の中に作る。現在は、大垣に来ても、まとめて購入、飲食、ひと休みできる場所がない。

・目玉のお店を誘致する。

 ドン・キホーテ、ヨドバシカメラ、ビックカメラのような多目的小売店を、商店街の目玉店として誘致する。人が集まれば、その周りのお店も繁盛するようになる。今はその核になるものがない。

・老人でも集まってお茶が飲めるお店を作る。

  今は、良いお店がない。大垣駅前の南側は、老人の買い物難民が溢れている。

・遠方からでも買いに来るような品ぞろえがある専門店を整備する。

・大垣駅前商店街のアーケードを整備する。

  現在は途切れているので、雨の場合は歩く気なれない。それで北側の大規模小売店アピタに行ってしまう。商店街が空洞化して金がないので、大垣市が投資をする。

・大垣スイトピアセンタに喫茶店を誘致する。

  文化施設の大垣スイトピアセンタは、ここの日本百選に選ばれた音楽堂で音楽を楽しんでも、その後にお茶を飲む場所もない不毛地帯である。以前はツチヤ、魚国が食堂を営業していたが、儲からないので、撤退した。周りの環境から、昼間しか営業できないので、儲からない。大垣市が文化の支援として、施設代、電気水道代を負担すれば、入る業者も出て来るのに、施設代等を負担させるから1年以上も空き店舗となって、市民に不便をかけている。減価償却が終った施設なのだから、また文化支援なのだから、無料か補助金を出して飲食業者を誘致するべきである。

 

お祭り・観光

・大垣元気ハツラツ市の運営方法を改善する。

 今は一部の商店主と役人が己の利益誘導でやっている。元気ハツラツ市に来た人は閉店したお店の多さと街の小汚さを見て、別の日に来ようとは絶対に思わない。元気ハツラツ市をすると、一部の店は潤うが、大垣商店街全体の売上高は落ちる。全て出店をする他の市にお金が落ちる。元気ハツラツ市に呼ぶ昔の売れないタレントに50万円もの金(市民の税金)を投じて、誰が喜ぶのか潤うのか。税金の無駄遣い。業者との癒着を疑う。

・東京や大阪に大垣のアンテナショップを運営してPRする。

  外国観光客は、日本観光で大垣を中継宿泊施設として使っているだけ。その資源を活用する手を打たねば、観光客というお宝が逃げていく。

・英文観光パンフレットを市内のホテルに宣伝する。

  旅行代理店が、大垣の観光史跡をあまり知っていないようだ。

・13両の山車を全て展示できる山車博物館を建設する。

  ユネスコ無形文化遺産に登録された大垣まつりの山車を1年で2日しか見せないのはもったいない。観光資源というお宝の持ち腐れ。各山車は大垣まつりの1か月前に各町に返して練習をさせればよい。

 

人の問題

・現在の5つの商店街組合を統率できる人を理事長にする。

  今は各組合がばらばらの状態である。現在の大垣商店街の衰退の最大の原因は「人」。自分のお店を運営していない御仁が理事長では、話にならない。

・文化芸術活動を援助する。

  現在は、行政の長には文化芸術の理解のない人が上にいるので、市民のための芸術活動に補助金を全く出さない。これでは、文化芸術が育たない。文化があって大垣が繁栄する。今はそれに反した政策をしている。しかたがないので、市民がボランティアで頑張っている。昔の小倉満市長は偉かった。今は

・子育て支援と言いながら、駅前の「子育てシエンセンター」に行っても、駐車場代金をしっかりとられる。そんなお金を払うなら、母親はいかない。子育て支援といううたい文句なら、駐車場は無料にすべきである。お役所の仕事は、これを見ても一事が万事で、わずかの金を使って「やっています」と言いたいための見せびらかし。心がこもっていないので、本音が直ぐ露見する政策である。お役人根性丸出しの運営である。

・行政と商店街の意見交換会を定期的にする

  現大垣市長は、これを拒否している。

  これでは、大垣市が良くなるわけがない。

・市長を変える。

 5期20年も同じ市長になるようでは、市民も役所も倦むし、癒着が起きて良いことはない。長期政権が腐敗の土壌になるのは世の常識である。

 1993年には政令市長の4選禁止の地方自治法改正法案が提出されているが、いずれも別の問題点等が指摘され、法制化されるには到っていない。しかし、現在の市政に問題点があるなら、市長を変えるべきだ。長期政権では、ヒラメ役人ばかりが繁殖して、まず改革ができない。あまりに政権が長すぎる。市政なら2期8年があるべき姿である。成果を出してくれれば、それでも許せるが、6割ものお店がシャッターを下ろすまで17年間も放置して、大垣駅前商店街を衰退させて、それでも手を打つ気のない市長では、どうしようもない。大垣市が工業生産で潤っているので、胡坐をかいている。それは大垣市長が有能であった成果ではない。その多くはトヨタ、ホンダ等の乾いた雑巾をさらに絞る血の滲む努力をしている自動車産業やアップル等の電子産業からの注文による恩恵である。

 

2017-09-17

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2017年9月16日 (土)

地蔵異聞  ドラえもん地蔵

 地蔵菩薩尊は生きとし生けるもの、衆生一切を救ってからでないと自分は涅槃寂静しない、とお誓いされて修行されている菩薩である。まるで暗い人生航路を行く大型船の船長のようである。乗員の安全を祈願して、船が難破したときは、乗員が全員下船しないと船長は船から脱出しない。船と運命を共にすることも多い。それが船長の役目でもある。自分を犠牲にしてでも、仏縁の人を救う方はすべて地蔵菩薩である。

 

縁なき衆生

 そのお地蔵様にも唯一救えない衆生がある。それは「今世で縁の無かった者」である。たった一度でも、生前にお地蔵様に手を合わていれば、それを仏縁と為し救ってくださる。しかし、子供にそんなことを言っても理解できないが、ドラえもんには子供がみんな反応する。ドラえもんの頭を撫で、そして自然とドラえもん地蔵に手を合わす。それで仏縁ができる。子供を連れてきた両親、祖母祖父も、全員に仏縁ができる。観音様は三十三の姿に変身して衆生を救う。ドラえもんは地蔵様が変身したお姿である。

 某寺院のドラえもん地蔵では、小学生が自転車で来て手を合わせている姿をよく見るし、お寺の子も学校に行く前に、ドラえもんに「行ってきます!」と挨拶して登校している。微笑ましい姿である。そんな子供は成人しても不良にはなるまい。ドラえもんは「これでいいのだ!」が決まり文句である。恵峰先生もドラえもんのこの言葉が大好きだとおっしゃる。この言葉の意識下には、現状の自分の精進を認め、相手を認め、そこから出発する心が感じられる。多くの仏像の中で、地蔵尊だけが我々と同じ視線か下から我々を見てくださる。上から視線ではなく、地蔵尊は自他を同じ視線で観て、現状を認め高望みせず、悲観せず、見下さず、ひたすら吾が道を歩むことを教えてくださる。

 

知的財産

 このドラえもん地蔵は中国で作られた石像である。一時期、ミッキーマウスやドラえもんの模造石像が大量に日本に入ってきてことがあった。明白な著作権違反品で、公正取引委員会がその石像を置いてある石材店に行政指導をして、廃棄処分を指導した。その処理に困った販売店がお寺に寄進をした一つが、このお寺に安置された経緯のようである。だからこのドラえもん地蔵の裏側にはあるべき小学館の著作権の表示が無い。ご縁でこのお寺に安置されたのも仏縁であろう。営利目的で置いてあるわけではないし、お寺という場所なので、許されると思われているようだ。しかしお寺は公共の場所である。違法な物品を設置は問題がある。空港の税関でも、中国製の贋物ルイビトンのバックは没収である。それが知的財産侵害物に対する法治国家の正しい処置である。このドラえもん地蔵中国製で、知的財産権の違法製品である。こういう事例が、日本の雇用を破壊していく。大きな堤防の決壊も小さな蟻のひと穴からである。

 日本国内にコピー商品を輸入する行為は違法である。関税法69条11項で「輸入してはならない貨物」として「知的財産を侵害した商品」と規定されている。109条にそれ輸入してはならない商品を輸入した罪として「懲役10年以下または罰金1,000万円以下」と規定されている。

 

日本の財産を守る

 知的財産とは、今後の日本が守らねばならない大切な財産である。頭で汗をかいて生み出した知的財産は、肉体的労働からの生産物以上の価値がある。キャラクタービジネスは、矢野経済研究所の調査によると、2013年が2兆3110億円の市場規模である。それに比例した日本の雇用が存在する。それが知的財産権で中国に侵されると、その分の日本のGNP(日本の雇用)が消滅する。サラリーマン労働は8時から17時までのルーチン労働で成し遂げられるが、知的財産は24時間の考え続ける知的労働から生み出される。それをパクリで盗用されるのを見逃しては、日本の衰退の原因となる。

 また知財の盗用問題は、新幹線技術パクリ事件のような問題に発展する。中国は、新幹線の技術をパクり、自国開発だと称して日本と競合して世界の各地に新幹線を売り込み始めた。インドネシア新幹線入札で、日本は受注競争に中国のパクリ技術に負けた。中韓は違法に日本の技術情報を盗み、急速に技術レベルを上げ、日本の市場と日本の雇用を奪っていった。日本が長年頭の汗と苦労の涙をかいて築き上げた知的財産を盗んだからである。知的財産を創造するの大変だが、盗むのは簡単である。知的財産権の保護や技術の盗難防止を軽視した結果が、現在の家電業界の衰退である。何万人というリストラで、多くの家庭が泣き、日本人の雇用が消滅した。知的財産を盗むとは、それで生計を立てている衆生を困窮に追いやること。

 

不偸盗戒

 修証義に曰く「第二不偸盗戒」。道元禅師の教えは、盗むことを禁じている。ドラえもん地蔵がそれを反面狂師として教えているのは皮肉である。たかがドラえもん地蔵、されどドラえもん地蔵の問題である。石屋さんやお寺さんが日本の経済基盤を揺るがす問題をないがしろにしては、道元禅師もお嘆きである。それを見て育った子供の知的財産への不感症さが怖い。これではお寺も衰退する。

 

図1 ドラえもん地蔵

 

2017-09-16

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大垣駅前フェリー 59%沈没

現状把握

 大垣駅前商店街のシャッターを下ろした店舗の現状把握をした。2017年9月2日(金)のお昼過ぎ(13時)に、大垣駅前商店街を一回りして店舗の廃業状況を写真に収めた。

 

廃業店舗比率

 139店舗中、シャッターが下りたお店は68軒で、46%に及ぶ。大規模小売店舗が閉店してマンションになったタマコシやヤナゲンB館の含め、50のテナントがあったと推定して計算すると、59%になる。それも現在、増加中である。

計算では、夜しか開店せず昼間はシャッターを下ろしたお店は、シャッターを下りたお店とした。それでもそれは6軒ほどである。

 

敵前逃亡

 2015年の大垣市長選挙の半年前くらいの時、大垣駅前商店街を訪れた小川市長に商店街の役員が商店街活性化の件を立ち話でお願いしたら、「〇〇さん、空き店舗は、パーキングにすればよろしいがな」といったという。

 その大垣市長選の前に、大垣駅前商店街が意見交換会を提案したら、小川市長から断りの回答があり、「今はその時期ではない」という。いつなら、その時期なのか、である。それが17年間も無為無策に過ごして、68店の店主が、店をたたんだ。商店主が店をたたむとは、倒産である。それは商人として人生の死を意味する。

 小川市長が、駅前商店街の活性化をこの17年間、全く考えていないし、やる気がないので、市長の顔色しか見ていない取り巻きのヒラメ役人は、絶対に手を打たない。下手に手を打つと市長の意向と違うことになり、左遷させられてしまう。事なかれ主義、保身主義が身に付いた役人が何もしないのは、当然の理である。現在の商店街の哀れな姿は、大垣市長が全てを作り出している。この世では最高のことしか起こらない。

 

死屍累々

 近い将来、大垣駅前商店街が駐車場に整備されても、その時は、車を駐車しても周りに買い物をするお店は消滅している。なんのために駐車しに来たのか、お笑いである。ブラックユーモアである。丸暗記で受験戦争を戦って勝ち残ったエリートの老戦士は、創造性が求められるビジネス社会の現代戦では無力であるどころか、害毒を流す老害の存在である。家族、従業員を含め1,000人を超える生活を支えていた大垣駅前商店街の148店舗中、68店舗が「戦死」、「討ち死に」をして、残りも店も、泥舟から逃れるように脱兎のごとく店をたたんでいる。既に撤去されたヤナゲンB館、タマコシの大型店舗のテナント数を含めると、店をたたんだ数は、59.6%に及ぶ。これは人災、政災である。

 

市長の使命

 政治家として、行政の長の最大の役目は、市民の命と財産と生活を守ること。過去には、日頃、口で偉そうなことを言って、大事件の時、右往左往したリーダが日本の政界には多くいた。

 社会党の村山富市首相(当時)は、1995年の阪神・淡路大震災の時、初期出動を妨害して、結果として助かるべき命を多く殺すことになった。社会党の狭義な主義で、米軍がすぐ援助をするというのに、それを拒否した。当初は、自衛隊の出動さえ、躊躇して、自衛隊が動けなかった。首相の指示がないと自衛隊は動けないのだ。

 民主党の菅直人首相(当時)は、2011年の東日本大震災の時、トンチンカンな対応で、救援の初期出動に躓いて、なおかつ己の我儘で福島原発を危機状態に陥れた。人の命より、己のプライドが大事だったのだ。民主党の某高官は、自衛隊を人殺し暴力集団と呼んでいて、自衛隊を侮辱して士気を落とした。左翼の政治家には、そんなレベルの政治家しかいない。それが日本国民の命を守るべき政治家が演じた戯劇である。

 韓国の朴大統領は、2014年韓国フェリー転覆事故では、セウォル号が沈没するというのに、8時間も姿を現さなかった。陣頭指揮をすれば、多くの高校生の命が助かったのに。

 大垣市長は「大垣駅前フリー」が沈没中なのに、17年間も無為無策である。現在の大垣駅前商店街の68名の店主の生活を守れなかった政治家に、大垣に大災害が起きたとき、市民を守れるとはとても思えない。今できないことが、次の事件でできるわけがない。今の対応の姿が、未来のリトマス試験紙である。それは過去の歴史を見ればよい。大垣市長も取り巻きヒラメ役員も、市民の命は眼中にないであろう。今の姿勢を見れば、自明である。今の大垣の姿に、大垣市長の考えの全てが投影されている。

 

大垣の元気ハツラツ市

 活性化といって月1で実施している大垣の元気ハツラツ市でも、飲食店は2割の売上増であるが、一般商店は売上半減であり、全体として大垣商店街は売り上げが落ちている。潤っているのは他市や他県から出店で来ている商人だけである。元気ハツラツ市の当日は、商売にならないので、大垣商店街の多くが当日は店を閉めている。それで、大垣活性化をしていますと豪語しているのはピエロである。他県から来た客も、駅前遊歩道では多くの出店は賑わっているが、地元の多くの店がシャッターを下ろしているのを見て、他の日に来ようとは思うまい。大垣の衰退を晒しているのが、元気ハツラツ市である。名前が皮肉である。

 

図1 大垣駅前通り シャッターを下ろしたお店の地図(赤で表示)

図2~7 大垣駅前商店街の姿(2017年9月8日金曜日 13時)

 

2017-09-16

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2017年9月15日 (金)

佛の智慧

 明治政府が発令した神仏分離令は、仏教の教えを排除することであった。列強諸国に国土を脅かされている時代、新興国家の運営では富国強兵が最優先課題であった。争いを嫌う佛心は、国の方針に合わなかった。それで廃仏棄却・神仏分離の運動になっていく。

 それに危機感を抱いた大垣市南東の鬼門を護る大悲禅院の当時の住職は、智慧を出し京都から玉姫稲荷大明神を招いて、寺院内に玉姫稲荷大明神社を建てた。それで「大明神様がいるお寺を潰せるものなら、潰してみろ」と居直ったようである。お陰で大悲禅院のお地蔵様(安永2年(1773)建立)の首も安泰で、お寺も無事に廃仏棄却の大嵐をやり過ごすことが出来たようだ。

 

戦略

 大嵐に素手で立ち向うのは愚かである。智慧を使えば、人生の荒波はやり過ごせるもの。どんな非常識な権力者、上司にも知恵を使って戦おう。いや、戦うのは愚かである。無益な戦いを省略する「戦略」を練って、知恵を使って人生を戦うのが賢者の流儀である。仏界には、知恵ある佛は数あれど、知識だけの仏さまは存在しない。

 相手が日本の最高学府を出ていても、それは記憶する能力だけが高かっただけで、知恵がある証明にはならない。仏さまはその能力を、世のために使うため授けたはずである。それを何を勘違いしたのか、ちやほやされて己が偉いのだと勘違いをして利己主義に陥りふんぞり返る輩が跋扈している。知識はあっても智慧がない。世の中を明るく「照明」する人とは、知恵のある人である。それの反面教師として、明治時代の政府高官、血迷いのイラ菅、ダマ菅と呼ばれた管直人元首相、フリンセス・山尾志桜里議員、舞踏会の華ではなく罵倒界の鼻柱・豊田真由子議員、頭を下げるのが嫌いな東大出の長の面々の顔を見ればよい。

 

大垣空襲の痕跡

 ここに建つ谷汲山観世音菩薩様も、昭和20年の大垣空襲のナパーム弾の炎を浴びていてその痕跡が痛々しい。室村町四丁目地蔵菩薩尊が去った後、現存する大垣空襲の証人様である。この谷汲山観世音菩薩様も初代藤井寅吉氏の作である。このお寺の庭にある白衣観音菩薩像も石寅さん手配で石田観仙師の作。

 

図1 大悲禅院 谷汲山観世音菩薩

図2 大悲禅院の敷地内にある玉姫稲荷大明神社

図3 白衣観音菩薩

図4 お地蔵様

  安永2年(1773)建立。長くお堂内に安置されていたので傷んでいない。

 

2017-09-15

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