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2017年8月

2017年8月 7日 (月)

磨墨智 73. 勉強とは種まき

 今の勉強の果実は、10年後にしか収穫できない。勉強を続ければ、10年後には、豊かな時間を収穫できる。蒔かぬ種は、芽を出さない。芽が出れば花が咲く。人生とは、坂の上に置かれたボールのような状態である。勉強しなければ、成長しなければ、下落あるのみだ。人生で現状維持はない。現状維持は下落である。一度坂を転がり出したら、地獄に堕ちるまで止まらない。実社会では回りが勤勉に向上しているのから、学ばなければ相対的に下落となる。社会では、落ちぶれた人間は相手にされない。

 

投機と投資

 訓練と学びの関係は、投機と投資に似ている。直ぐに金儲けができるのは投機である。訓練とは、動物を報償や餌で釣って思うようにする投機行為と同じである。それは10年後、消えてなくなる。それに対して投資は教育と同じで、無償の行為である。投資の回収は10年後である。それは一生の宝となる。

 

学びの悩み

 私も仕事上の悩みから、自ら求めて多くの研修を受けてきた。その直接の研修費用の累計金額は500万円ではきかない。しかし多くの研修を受けて、逆に落ち込むことも多かった。研修でコテンパンに酷評されて、目一杯落ち込むのである。その落ち込みからの回復に、数カ月から1年もかかるときもあった。また受けた研修内容が、少しも実務で役立たないのである。仕事の悩みが全く解決しないのである。研修を受けて、テンションが上がれば、部下が引いてしまう。研修で受けた内容を話すと、周りから浮いてしまう。突っ走って、後ろを振り向くと、部下は誰もいない。周りからは変な宗教に入ったかのように、色眼鏡で見られてしまう。ミシガン大学に自費で行っても、回りからは全く無視される。科学工業英語1級に合格しても実務では、全く使う機会がない部署に異動になる。会社が吸収合併されれば、今まで役員会で承認された研修が頭ごなしに否定される。

 

費用

 研修にかけた上記の費用は、直接費用だけであるが、学習に費やした時間をお金に換算すると膨大になる。企業として考えると、人件費として1時間1万円の費用がかかる。そう計算しないと、企業として成り立たない。1日8時間、365日を資格取得の受験勉強に当てると、時間コスト1万円の計算で、1年間で2,920万円の己に対する投資となる。それを数年続けたのなら、合否は別にして、学んだことが自負となる。それが学びの財産である。

 

資格とは単なる入門証

 たとえ資格を取っても、それはその分野の入門許可証をもらったに過ぎない。その道で、資格を取らずに数十年も修行をしているプロから見れば、ヒヨコである。その資格がなくても、実務で資格者以上に稼いでいる人も多い。資格を取ればそれで終わりと思っている輩が多い。若造が記憶力だけを頼りに資格を取っても、実務者には勝てまい。その資格試験も、多すぎる受験者を落とすための試験であることが多い。落とすために、ひっかけ問題が多い。そうしないと、落とすのが目的の試験問題作成官が、上司から怒られてしまう、失業してしまう。受験生が増えるにつけて、そんなひっかけ試験問題が多くせざるを得ないようだ。そうなると段々とその学問の本質から離れていく。学問は実務を多くこなさないと、本質はつかめまい。資格は飾りである。

 

悩みからの解脱

 その悩みから解脱したのは還暦後である。多くの研修を受けてきて良かった、その効果があったと思えたのは、10年後であった。学んだ当初は、何か掴みどころが感じられないが、10年も飽きずに続けると、それが血となり肉となっているのを実感する。どんな学びも、その効果が出るのは10年後と覚悟して学ばないと、挫折をしてしまう。挫折では、やったことが無駄になる。それが還暦を迎えて悟ったことだ。それを無駄にせず、学び続けてよかったと、今にして思う。私は団塊の世代の最後の年代である。多くいた同期の仲間が、いつの間にか回りから消えていた。多くの仲間は、不本意な仕事に回されたり、辞めたり、出向させられていった。私は最後まで会社に残れて、意図通りの仕事が出来て幸せであった。それは学び続けたためだと思う。

10年前の種が花咲いている今

10年後に花咲く種を植える今

 

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-07

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磨墨智 620. 神様は上から見ている

 天知る、地知る、汝知る。自分が何をしているかは、天は観ている、己も知っている、地獄の閻魔大王も閻魔帳をつけながら見ておられる。見ている人は観ている。自分の行動を一番、よく知っているのは自分である。その努力の結果は、自ずと決まる。自分を助けるのは自分である。ん年後に閻魔大王様の前で恥ずかしくないようにしよう。

 ん年後の薄れ逝く意識のなかで、95年間の出来事が、走馬灯のように走り逝く。そこに後悔の念を起こすまい。満足した出来事が浮かべば、良い人生だったと満足できる。素晴らしい人生ではなかったかも知れないが、素晴らしい生き方をした、と自分を褒めてあげられるようにしよう。

観字学生菩薩

 図1は2013年9月28日8:55、大垣市立図書館開館前(9時開館) に玄関の前で、時間を惜しんで参考書を広げる中学生の姿である。学期末試験の直前の先週土日は大勢の学生(約50名)が開館前の玄関前で行列を作っていた。160席の学習室が満席であった。しかし今日の28日は3名の学生が待っているだけで、試験が終ったので現金なものである。先週の大混雑が嘘のような1週間後の土曜日朝の風景である。

 この方を「観字学 生菩薩」という。菩薩とは涅槃・真理を求めて修行中の仏の姿である。私は神様になって、菩薩様を上から眺めた気分である。いい姿を見せてもらった。この子達が将来、私の年金の原資である税金を多く納めてくれるはずである。年金菩薩様である。感謝。私も生涯現役で頑張らなくては。

 

図1 図書館開館前 に玄関で参考書を広げる中学生

 

2017-08-07

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「桜田門外ノ変」の検証 (7/25)護衛

(5)護衛のリーダーの位置 ――

 襲撃隊が計画どおり、単筒の発砲を合図に列の先頭に切り込むと列は乱れ、予想通り井伊直弼の駕籠の周りに大多数の護衛はいなくなった。これは護衛隊のリーダーに、危機管理意識が薄かったことを示している。この場合の護衛のリーダーの役目は、常に全体に目をやって、どこが問題かを観察しなければならない。

 これは示唆に富んだリーダーのノウハウである。戦闘機の編隊の隊長(リーダー)は組織の全員の状態が、常に見渡せる状態に位置する。戦闘機での編成でも、最初に先頭を切って敵に突っ込んでいくのはリーダーの役目ではない。それは単なる突撃隊の軍曹の役目である。戦闘編隊での真のリーダーは、全機が見渡せる編隊の斜め上に位置して、全機の状態を見ている。それでこそ何かあれば、自らが助けに突っ込んでいける。

 

私の失敗

 昔は私も勘違いをしていて、先頭に立つことがリーダーの役目だと思っていた。あるプロジェクトで、信念をもって先頭に立って突き進んでいくのだが、ふと後を振り返ると、部下達は誰もついて来ていないことを発見して愕然とすることが多々あった。それでは組織はうまく統率できない。リーダーの役目は常に冷静に全体を見渡し、状況の変化に合わせて的確な指示、対応をすることにある。そういう意味で、課長職は難しい立場だ。実務者であり、統率者でもある。

 トヨタ系の某会社の管理職から弁理士事務所として独立した人から聞いた話である。「元の職場(その某会社)では、課長職は実務は全くしない。じっと部下の観察をして、その悪いところを指導する」という。「だから貴方の会社(私の前職)は発展しないのだ」と言われた。一理はある指摘であった。リーダーの位置づけは、会社の規模と考え方で変わるが、リーダーの位置づけの認識が異なっていた。当時の課長職の私は、実務者としても走り回っていた。50年前は、その会社は私の前職の会社よりも格下と見なされていたが、現在ははるか格上の会社に変貌している。その会社を格下と見なしていた己の会社は消滅した。

 

大雪への備え

 また当日は、数十年ぶりの大雪であった。そのため、護衛の武士たちは刀に雪がかかるの防ぐ束袋を付けいた。その束袋を取りはずす一瞬の間に、護衛の武士たちは切られてしまった。接近戦での刀での勝負は一瞬で決まる。大老への種劇など今だかってなかったので、危機意識が希薄になっていた。それを襲撃側は突いてきた。

 季節外れの突然の大雪で、極寒の中、護衛の武士たちは、襲撃にあっても体がすぐには動かなかった。それに対して、大雪でも予め体を温めて、待ち伏せをしていた襲撃側には、万全の体制で襲い掛かることができた。護衛のリーダーが、その役目を全うしても、井伊直弼公の死は避けられなかった。仏さまがそう仕組んだとしか思えない状況である。

 図1 「桜田門外の変」時の供揃図 『彦根市市史』より

 

2017-08-07

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磨墨智 435b.ことな親を鞭打て

 バブル期の育った今の親は、ゆとり教育の弊害もあり大人になっていない。叱られたことがない親を真剣に叱ろう。それが世の為、人の為、日本の将来のためになる。大人になっていない親を小人(ことな)という。大垣市立図書館の学習室でそんな親を、2013年の夏に3名ほど見た。

 2013年8月12日、学習室で子供二人連れの母親が、自分は真ん中に座り、両脇に子供を座らせて勉強をさせていた。母親はその合間に、家業の伝票処理をしている。小声で子供を教えるが、熱心であるが故に、その声は静寂な学習室では遠くからでも聞こえて迷惑行為になっていた。伝票処理で領収書のカーボン紙をビリッと破る甲高い音が、断続的に部屋の隅まで響く。己のやっている迷惑行為には無頓着である。己の子が走って学習室から出入りをするが、己の伝票処理に忙しく注意もしない。夏休みで、席が逼迫している状態であるが、母親が勉強ではなく、金儲けをしている。その占領した分、高校生の座る席が無くなる。母親はそんなことには気が回らない。4時間ほどこれが続いたので、さすがに堪忍袋の緒が切れて、私は、母親が学習室の外に出たときを見計らって叱りつけた。さすがに驚いて謝りはして退席することになった。

 

図書館員と大喧嘩

 数週間前のときも同じような母親がいて、回りに迷惑をかけていたので、警備員に注意をお願いしたが、動いてくれないので、やむなく私が注意をした。その経緯があり、今回は警備員を通さずに私が動いた。ところがそれを見て若い太った図書館職員が飛んできて、私に噛み付いてきた。「母親が涙声になっているではないですか、子供が怯えているではないですか」と。

 問題は、図書館職員が問題の本質を見ず、自分の務めも果たさず、問題を起こさないように(自分に火の粉が被らないように)、事象を押さえ込む姿勢である。ここに行政の退廃がある。問題は何か。私が叱ったのには訳がある。「母親が身勝手なことをして、学習室で静かに勉強している約50名の学生達に迷惑をかけた。母親が子供に、己の為なら公共の場でも身勝手なことをしてもいいと、背中で教えた」である。その真因を追究せず、無責任な肥満体の職員は、母親を泣かせたと私を責める。話が噛み合わないので、大喧嘩のような議論になった。私は副館長を呼んでもらったが、その副館長も来ただけで黙って見ているだけであった。市民の貴重な時間を盗む税金泥棒達である。肥満体とは、自己管理ができていない表示である。本来の図書館学習室の管理ができていない。無責任である。

 そもそも「子供が怯えている」という言葉使いが拙い。人殺しでもあれば、そんな言葉を使うのも許される。言葉使い一つでその人の教養がわかる。なぜ泣くのか、自分が悪いことが分かっているので、ずるい女は泣いて防衛する。すると私が加害者に立場が逆転する。女は弱いが、母親は強いはずである。またいかに日頃子供が叱られていないかである。我儘放題の躾をされている証しである。今の親は、叱られた経験が少ないのが原因である。それが現代の若者の悲惨な事件の頻発の原因である。現代は、生意気だからという理由だけで、女子高校生が同級生をみんなで殺してしまう時代である。その真因は、躾教育を放棄した親の責任である。

 この話をある社長に話したら、「中年女は、自分が悪いことが分かっていると泣いてごまかす。それがうまくいかないと、次は色仕掛けで来るので要注意だよ」と教えてくれた。館内レストランの方に話したら、「今の母親は、我々のような苦労をしてないので、教育がなっていない。小田さん、もっと叱ってよ」と励まされてしまった。以前に、泣いて職務をごまかした恥知らずな外務大臣がいた。小泉首相も「女には涙という武器がある」と閉口していたのを思い出した。

 

当日談

 本原稿を2013年8月15日の朝、何故か4時に目が覚めて、2時間ほどで書き上がってしまった。その後、何時もの散歩コースを回り、濃飛護国神社を回って常盤神社(大垣藩の教育の基礎を築かれた戸田公を祀る)と大垣大神宮に参拝した。その前広場で軍手をはめた掃除の身なりの人から「ありがとうございます」と言われた。この3年間、欠かさず神社の参拝を続けているが、お礼を言われたことがないので、驚いてどちら様ですかと伺ったら、「私はこの神社の宮司です」とのこと。ご縁を感じて色々とお話を伺った。この宮司は、いつもは濃飛護国神社の社におられる。この大垣大神宮は、明治天皇の直々の御下命で建立されたとか。この3年間、参拝をしているが初めて聞くお話であり、当日が終戦記念日でもあり不思議なご縁を感じた。

 ここで思いついたのは、前述の情けない親や子供の教育の件である。先の大戦で命を御国に捧げた英霊が見れば、「俺たちはこんな情けない国にするために、命を捧げたのではない」との声が聞こえたような気がする。それが宮司様の陰のお声である。その足で、予約をしておいた献花を求め(私は今月が町内のお地蔵様の月当番)、お地蔵菩薩様を何時ものようにお世話をさせて頂いた。別項の資料は、ご縁でお地蔵菩薩様の説明パネルの文面作成を依頼されて、作成した原案である。ご縁が繋がっている。

 

図1~3 濃飛護国神社

図4 大垣大神宮

 

2017-08-07

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2017年8月 6日 (日)

磨墨智 435a.子供を鞭打とう

子供を甘やかし育てるとは、わが子を死に追いやる

 教育とは無償の行為である。訓練は餌で釣る経済行為である。愛を込めて育成する心が、その子の将来の時間を輝かせる。豊かな未来の時間を創造してくれる。甘やかされて育った今の親と子供が、今の日本をダメにしている。甘やかされて叱られない子供は、我儘一杯に育つ。子供のときはそれでも良いが、大人になったとき、厳しいしっぺい返しを社会から受ける。甘いもの、清涼飲料水、ポテトチップス等のファーストフードを食べたいだけ食べて育つと肥満体になる。当然、糖尿病等の成人病も併発する。また自制心も育たない。そんな学生を大企業が採用するはずがない。外見を見ればその人の人格や能力はわかる。そんな子は正規社員にもなれない。性格虚弱・病気持ちの若者が現代社会を生き抜くには、あまりに厳しい世の中である。行き先はフリーターか犯罪か自殺である。全ては親が甘やかした責任である。子供の未来の時間が抹殺される。それを蜂蜜殺人という。子供が間違った道に進まないように性格を躾するのが、親の責任である。それを放棄した責任は重い。

 

脳の発達

 子供の脳は3歳までに65%、6歳までに80%が完成する。その間に親の教育(躾)ができていないと、動物同然の生き物に育つ。その昔、インドで狼に育てられた狼少女が発見されたが、程度問題の差で、同じである。躾がないと自制心も自立心もない。食べたいものは食べ放題、躾や清掃清潔等の価値観が形成されない。親は子供を人間に躾をする義務を持つ。躾をしない親は、子供の将来を抹殺していると同じで、殺人者である。

 

エピソード

 2013年8月12日、大垣市学習館内のレストランで食事をしていたら、真後ろでイスをバタンと倒した子供がいた。こちらに被害はないのだが謝りもしないので、躾として注意をしたら、お祖母さんと思われる女性に、泣きながら抱きつきにいった。普通の口調で注意しただけだが、お祖母が子供をあやしながら「この子はこれでも小学2年生なのです。親が甘やかして叱らないから、いつもこんな風なんです」と申し訳なさそうに謝る。子供に謝るように諭すのだが、子供は泣いて祖母に抱きついているだけ。体格は小学6年生並みの肥満体である。外見から判断すると、甘いもの、清涼飲料水、ポテトチップス等のファーストフードを食べたいだけ食べているようである。頭は正直に小学2年生である。これではこの子の将来は終っている。これが現代の子供の姿なのだと愕然とした。この子達が成長して私の年金の基礎となる税金を納めるはず。それが危ないのだ!

 図1 教育とは

図2 価値観教育とは

 

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磨墨智 324.自分の評価価値を知ろう

約束時間への遅刻は自分への評価の逆数指数

人は潜在意識で行動し、それが約束時間に現れる。

  自分の時間を大事にする以上、他人との約束時間、特に待ち合わせ時間を守るのも、間接的に大きな節約であろう。人さまの時間を尊重しない人間に、自分の時間の大切さが分かるはずがない。曰く「遅刻は最大の拒否表現」。私は、人の評価にこの待ち合わせ時間の正確さで、判断している。その人の持つ人格、人生思想、自分への評価(自分がどの程度大事に思われているか)等なかなかに、相関係数の高い指標である。

  あと40年しか生きられない?残り少ない人生で 、付き合う人物を選別することは、己の人生密度を高めてくれる。時間にルーズな人からは、将来大きな時間泥棒的な被害を受けるはずだ。またこのことの、自分へのけじめとして、待ち合わせでは、時間に遅れない段取りをする。電車で行く場合は必ず、1本早い電車にする。そうすれば一つ乗り遅れても慌てなくて済む。現地で時間があれば、することはいくらでもある。私は待ち合わせ場所を、なるべく本屋ですることにしている。ここは早く行っても、待ちぼうけを食っても、時間を有効に使える場所だ。また人を待たせると、どうしても受け身になりがちだ。人生では自分の主体性が大事。私は、人を待たせるより、待つほうが性にあっている。

 

出入り禁止

 ある知人が会いたいというので、時間を指定した。相手の都合により指定時間より1時間早い時間で約束時間が決った。そのため図書館から帰宅する時間を1時間早めて帰宅した。ところがその約束時間になって、相手から電話がかかってきて、「今から1時間後に行っていいですか」という。当日は大した用事でもない話であった。そつなく話をして別れた。その知人とは交際を絶った。

 

--- 15分前の余裕 ---

「私の生涯の成功のすべては、他人より15分早く行動したことにある。」

 19世紀初頭、ナポレオンのフランス艦隊をトラファルガー沖で壊滅させたイギリスの名将ネルソン提督の言葉

 

2017-08-06

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「桜田門外ノ変」の検証 (6/25)

(4)危機管理マニュアルの整備

 ― 暗殺計画シナリオ 

暗殺計画は、シナリオ通りにはなかなかうまくいかない。しかし、防御の方はシナリオがなかった。だから、緻密なシナリオがあるほうが勝ちである。この場合、水戸藩の志士達の襲撃隊には詳細な計画書があった。護衛する側には、何ごともなくて当たり前の世界である。いかに無事に済ませるかが問われる。 襲撃側はわずかな隙を狙ってせめてくる。そこに防御の難しさがある。

 

女子寮の警備

 父はオーミケンシの警備の仕事をしていた。当時のオーミケンシの工場の従業員は大部分が若い女子である。工場内には女子寮があり、工場の塀には上側が鉄条網になっていた。それでも変態者が、よく乗り越えて侵入してきたという。変態者は、警備員の巡回時間を知っていて、それを避けて塀を乗り越えてやってくるという。数人の警備態勢で、深夜、広大な敷地全部には監視の目が行き届かない。

 

最高権力者の暗殺

 井伊直弼公の籠の行列に、直訴状を掲げて飛び込んできた男を、護衛の武士も直ぐには排除できなかった。その男が直訴状を掲げながら平伏して、隠し持った単筒で、至近距離から井伊直弼公の籠に向けて弾を撃った。それが致命傷となった。その単筒の音を合図に、水戸藩士が井伊直弼公の籠に襲いかっかった。現時点で考えても、これを防ぐ手段は思い至らない。そういう運命であったと考えるしかない。あの警備万全であったはずのケネディ大統領の車パレード中の暗殺劇も、当時としては防ぎようがなかった。確信犯に対しての防御は、不可能に近い。ましてや、相手は死を覚悟しての犯行である。それも、方向が違うが、国を憂い殿様に忠義を誓い、命を投げ出した志士達である。

 

体制の疲労破壊

 また300年続いた幕藩体制で、時の最高権力者の大老を襲撃するという行為が、想定されなかった。時代が音もなく変わりつつある中、その体制を守る側は無力である。その防御態勢のしきたり(幕府の規則で警備の人数まで規定される)を破れば、幕藩体制を自ら壊すこととなる。幕府のしきたりが、自らの首を絞める結果となっていた。体制の疲労破壊である。井伊直弼公は改革者であるが、幕府のしきたりは破らない。彼も改革をそこまでは手を付けられなかった。

 

2017-08-06

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インプラント 25(立場を代えて)

3.25 立場を代えて観る

 自分が歯科医なら、インプラントを患者に勧めるか?

 これは経営者の価値観の問題である。拝金主義で、医院の利益を考えるならば、インプラントを勧めるであろう。患者のことを思い、良心があるならば、現状では安全性に不安があるので、勧めないのであろう。いくら儲かるといっても、将来の訴訟されるリスクを考えると、経営上でインプラントは恐ろしい麻薬のようだ。私が歯科医ならば、インプラントは絶対に患者には勧めない。

歯科医の付加価値

 歯科医院は、全国にコンビニエンスストアの1.6倍の数が存在する。「1996年に歯科医療費が2兆5千億円に達してから、歯科医療費は抑制され続けてきた。一方で歯科医が増えたため、「保険診療だけでは経営が成り立たない」と嘆く歯科医が増えた(厚生省資料)。つまり歯科医療は過当競争状態にある。歯科医師の平均年収は582万円で、医師の1,141万円に遠く及ばない(週刊ダイヤモンド2012/2/11号)。そこに「麻薬のような」インプラント治療が登場し、多くの歯科医が飛びついた。その状況で、利益率の高いインプラントの魅力は、極めて大きい。付加価値のある経営が求められているが、インプラントが患者に真の付加価値があるのかが、問題である。

 

トヨタ生産システムでは、まず顧客から出発して、各工程で、「この工程は顧客に対してどのような付加価値を生み出しているか」と問いかける。

   ジェフリー・K・ライカー著『ザ・トヨタウェイ』p54

 自然の摂理でみれば、インプラントを無条件に勧める歯科医は今後、淘汰されるだろう。それが市場の原理である。顧客の目は正直で厳しい。自然の摂理はもっと冷酷である。

 

2017-08-06

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2017年8月 5日 (土)

カテゴリー「書天王が描く世界」を追加

 「文以拙進道拙以成」とは、文章でも技巧を凝らしうまく見せるのではなく、道はうまく立ち振る舞おうとしないことで成就する、との意味だと菜根譚で洪自誠は言う。それは人生でも言える。世渡り上手のテクニックでうまく人生を泳ぐのではなく、正しい方法で愚直に正しい道を歩くのが、人生道だと思う。お墓に入るとき、ご先祖様に会っても「ただ今還りました」と胸を張って言えるように、恥ずかしくない人生を送りたいと思う。勤勉とは自分に対する修行なのだ。

  半世紀前に聞いたご先祖の話がずっと頭の隅にあり、2015年3月3日に両親の法事をした機に叔母の北尾自孝の死去が判明して、それから、北尾家の墓のお守りの引き受け、家系図つくり、北尾道仙探し、300年前のご先祖のお墓の改建に到る旅物語に発展した。その連綿としたご縁の不思議さに手を合わせている。

 

2017-08-05

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722.「鰻掴み理論」の結論は禁酒

お酒は時間と命を削る鉋

 食べ物は胃、腸で消化されるが、酒は薬物を分解する工程の肝臓でしか、分解できないので、世界保健機構(WHO)は薬物として定義している。だから宴会とは薬物パーティである。私は原則、禁酒をしています。「薬物」としてのお酒は、頭の回転を乱し、時間を削る鉋である。そんな薬物に対して、いかに自制するかが時間創造である。そもそも肝臓は、アルコールを9~12mℓ/H時しか処理できない。大人の適量は、日にビール大瓶1本(633 mℓ).日本酒で1~2本、ウイスキーで1~2杯というが、この分量では3時間も「薬物酩酊状態」に陥る。薬物酩酊状態では時間創造は不可能である。

 だから、お酒の適量はせいぜいワイン一杯(アルコール度12%)、ビール350 mℓ ( 同5%)、日本酒(同15%)半合である。宴会で禁酒をする場合は、「私は酒が飲めません」と言うか、「私は酒を飲みません(will)」と宣言するかで、意味は違う。あくまでも自分の意志(will)を明確に宣言すべきである。

「時間は最もユニークにして、かつ乏しい資源である。これをうまく活用できないものは、他のどの資源も活用することはできない。」ピーター・ドラッガー

 

鰻掴みの理論

 胃の内面の壁は、ウナギの外皮の状態に似ている。胃は自分の消化液で自身の胃壁の消化を防ぐため,表面にぬるぬるした保護膜で覆われている。それはウナギの外皮に酷似している。手では掴みにくいウナギを扱うため,手に塩を付けるか、アルコールでウナギの外皮を拭くと、容易にウナギを掴める。これと同じ状況が、塩けの多い食品を食べたり,つまみ無しに酒だけ飲んでいる時に、胃の壁に起きている。塩けの多い食品やアルコール単品で胃に入ると、胃の保護粘膜が除去され、自身の胃液で胃が傷められる。この刺激が長年続くと、胃ガンとなる。従来日本人のガンで胃ガンがトップであったのは、濃い味噌汁や漬物に代表される塩辛い食品が原因であった。試験として、純粋アルコールを細胞に注射すると、細胞が萎縮するのが観察される。アルコールを飲む場合は、事前にコーンポコタージュや牛乳を飲んで、胃壁を保護するのが欧米の家庭の知恵である。

 2001年初春,父が胃ガンの初期と診断され,その縁で上記「鰻の外皮理論」を後藤悦夫先生から教えられた。知恵は人生の危機に対して予防の杖を与えてくれる。無知は人生に壁を作り、破滅の道に導く。

 

赤ワインの勧め

 中国首都医科大学名誉教授の佐藤富雄氏は、そのお酒の中でも、赤ワインを別格として勧めている。これはあくまで薬としての話である。

 酒は「毒にも薬にも」なると評されるが、どんな理由であれお酒は体にとって「薬物」である。薬物を分解するプロセスでしか、お酒は分解できないという宿命をもっているので、世界保健機構(WHO)ではあくまでも薬物として定義づけている。それゆえ肝臓には薬物代謝として確実に負担をかけることになる。  

 だだし、そのお酒のなかでも、赤ワインだけは薬理効果がある。赤ワインの原料となるブドウの木は、直下型で地下十数メートルまで根を張っていて、その根は地下水を汲み上げている。一方、日本酒やビールの原料となる米や麦の根は、わずかの長さしかない。それでも表土のところからミネラルをはじめとする栄養分を吸収し、穀物としての成分を作っている。しかしブドウの木は10年くらいかけて途中の奥深く根を延ばし、地下水を汲み上げているのだから、果実に蓄積されるミネラルは米麦の比ではない。

 ワインは、地下水から吸収する栄養分で育てた果汁だけで、発酵させていく。しかし、日本酒はお米を蒸してそれを麹にして、さらに水を加えて発酵させている。ビールも原料が違うだけで、基本的製法は似たりよったり。こうしてワイン以外のほとんどのお酒は原料である穀物に水を加えて醸造している。だから加水せず、脱皮をしない赤ワインはまさに「純天然」である。

    (佐藤富雄著『「積極人間」は早死にする』中経出版(1997))

 赤ワインは、鉄分が多く、昔は貧血の薬として使われたくらい血液を補う働きがあり、血行を良くする働きがある。赤ワインは日本薬局方(医薬品の品質に関する国の法令)に収録されている薬です。「血液中の善玉コレステロールLDLに、活性酸素が結びつくと、善玉コレステロールの酸化LDLに変化する。赤ワインはこのLDLが酸化しにくくする作用がある(国立健康・栄養研究所 板倉弘重部長が1995年5月の日本栄養・食料学会で発表)。白ワインはブドウの実だけを搾って作られるが、赤ワインは、ブドウの皮も一緒につぶして作られる。この皮の渋みの成分はポリフェノール類の化学物質で、これが熟成して活性酸素を取り除く薬効が出ると推定される。(『壮快』1995年8月号)

 

J型曲線のピットフォール(落とし穴)

 お酒は脳を不健康にする。そんな研究結果が最近英国のオックスフォード大学から出ました。適量でも長期間継続的に飲酒していた人は、全く飲まない人やほぼ飲まない人に比べて、脳に異常が出てくることがわかったのです。記憶を司る海馬という脳の大切な部位が、お酒を飲むとその飲酒量に相関して萎縮していたのです。すなわち、お酒を飲めば飲むほど記憶力が低下するリスクが高くなるのです。

飲酒と健康についての昔の疫学研究はJ型曲線を示していました。アルコールの消費量を横軸にし、健康アウトカムを縦軸にしたグラフでの結果です。健康アウトカムとして心筋梗塞と脳梗塞をとると、全く飲まない人に比べて、適量の飲酒者は、それらの病気になりにくいという結果を示していました。そのグラフの形がJ型だったのです。

しかしながらこれらの疫学研究にはピットフォールがありました。原因と結果が逆転していたのです。体力が弱って病気の人はお酒も飲めなくなりますね。そのような人々も含めてグラフにするともともと病気の人が非飲酒者群に含まれてしまうことになります。

このような原因と結果が逆転してしまうような現象を取り除いて分析してみるとJ型の形は消失し、正の相関を示す直線となったのです。すなわち少量の飲酒でも心筋梗塞や脳梗塞になりやすくなるということが判明しました。お酒はまた、クモ膜下出血や脳出血のリスクでもあります。

メルマガ『ドクター徳田安春の最新健康医学』より

http://www.mag2.com/m/0001657727.html?l=aqy09907be

 

 私は医師でないので、正誤は論じられません。私が得た情報を公開します。判断は各自にお任せします。

酒は人類の敵である。聖者曰く「汝の敵を愛せよ」

 

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-05

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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