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2017年8月 7日 (月)

磨墨智 73. 勉強とは種まき

 今の勉強の果実は、10年後にしか収穫できない。勉強を続ければ、10年後には、豊かな時間を収穫できる。蒔かぬ種は、芽を出さない。芽が出れば花が咲く。人生とは、坂の上に置かれたボールのような状態である。勉強しなければ、成長しなければ、下落あるのみだ。人生で現状維持はない。現状維持は下落である。一度坂を転がり出したら、地獄に堕ちるまで止まらない。実社会では回りが勤勉に向上しているのから、学ばなければ相対的に下落となる。社会では、落ちぶれた人間は相手にされない。

 

投機と投資

 訓練と学びの関係は、投機と投資に似ている。直ぐに金儲けができるのは投機である。訓練とは、動物を報償や餌で釣って思うようにする投機行為と同じである。それは10年後、消えてなくなる。それに対して投資は教育と同じで、無償の行為である。投資の回収は10年後である。それは一生の宝となる。

 

学びの悩み

 私も仕事上の悩みから、自ら求めて多くの研修を受けてきた。その直接の研修費用の累計金額は500万円ではきかない。しかし多くの研修を受けて、逆に落ち込むことも多かった。研修でコテンパンに酷評されて、目一杯落ち込むのである。その落ち込みからの回復に、数カ月から1年もかかるときもあった。また受けた研修内容が、少しも実務で役立たないのである。仕事の悩みが全く解決しないのである。研修を受けて、テンションが上がれば、部下が引いてしまう。研修で受けた内容を話すと、周りから浮いてしまう。突っ走って、後ろを振り向くと、部下は誰もいない。周りからは変な宗教に入ったかのように、色眼鏡で見られてしまう。ミシガン大学に自費で行っても、回りからは全く無視される。科学工業英語1級に合格しても実務では、全く使う機会がない部署に異動になる。会社が吸収合併されれば、今まで役員会で承認された研修が頭ごなしに否定される。

 

費用

 研修にかけた上記の費用は、直接費用だけであるが、学習に費やした時間をお金に換算すると膨大になる。企業として考えると、人件費として1時間1万円の費用がかかる。そう計算しないと、企業として成り立たない。1日8時間、365日を資格取得の受験勉強に当てると、時間コスト1万円の計算で、1年間で2,920万円の己に対する投資となる。それを数年続けたのなら、合否は別にして、学んだことが自負となる。それが学びの財産である。

 

資格とは単なる入門証

 たとえ資格を取っても、それはその分野の入門許可証をもらったに過ぎない。その道で、資格を取らずに数十年も修行をしているプロから見れば、ヒヨコである。その資格がなくても、実務で資格者以上に稼いでいる人も多い。資格を取ればそれで終わりと思っている輩が多い。若造が記憶力だけを頼りに資格を取っても、実務者には勝てまい。その資格試験も、多すぎる受験者を落とすための試験であることが多い。落とすために、ひっかけ問題が多い。そうしないと、落とすのが目的の試験問題作成官が、上司から怒られてしまう、失業してしまう。受験生が増えるにつけて、そんなひっかけ試験問題が多くせざるを得ないようだ。そうなると段々とその学問の本質から離れていく。学問は実務を多くこなさないと、本質はつかめまい。資格は飾りである。

 

悩みからの解脱

 その悩みから解脱したのは還暦後である。多くの研修を受けてきて良かった、その効果があったと思えたのは、10年後であった。学んだ当初は、何か掴みどころが感じられないが、10年も飽きずに続けると、それが血となり肉となっているのを実感する。どんな学びも、その効果が出るのは10年後と覚悟して学ばないと、挫折をしてしまう。挫折では、やったことが無駄になる。それが還暦を迎えて悟ったことだ。それを無駄にせず、学び続けてよかったと、今にして思う。私は団塊の世代の最後の年代である。多くいた同期の仲間が、いつの間にか回りから消えていた。多くの仲間は、不本意な仕事に回されたり、辞めたり、出向させられていった。私は最後まで会社に残れて、意図通りの仕事が出来て幸せであった。それは学び続けたためだと思う。

10年前の種が花咲いている今

10年後に花咲く種を植える今

 

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-07

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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