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2017年8月 7日 (月)

磨墨智 620. 神様は上から見ている

 天知る、地知る、汝知る。自分が何をしているかは、天は観ている、己も知っている、地獄の閻魔大王も閻魔帳をつけながら見ておられる。見ている人は観ている。自分の行動を一番、よく知っているのは自分である。その努力の結果は、自ずと決まる。自分を助けるのは自分である。ん年後に閻魔大王様の前で恥ずかしくないようにしよう。

 ん年後の薄れ逝く意識のなかで、95年間の出来事が、走馬灯のように走り逝く。そこに後悔の念を起こすまい。満足した出来事が浮かべば、良い人生だったと満足できる。素晴らしい人生ではなかったかも知れないが、素晴らしい生き方をした、と自分を褒めてあげられるようにしよう。

観字学生菩薩

 図1は2013年9月28日8:55、大垣市立図書館開館前(9時開館) に玄関の前で、時間を惜しんで参考書を広げる中学生の姿である。学期末試験の直前の先週土日は大勢の学生(約50名)が開館前の玄関前で行列を作っていた。160席の学習室が満席であった。しかし今日の28日は3名の学生が待っているだけで、試験が終ったので現金なものである。先週の大混雑が嘘のような1週間後の土曜日朝の風景である。

 この方を「観字学 生菩薩」という。菩薩とは涅槃・真理を求めて修行中の仏の姿である。私は神様になって、菩薩様を上から眺めた気分である。いい姿を見せてもらった。この子達が将来、私の年金の原資である税金を多く納めてくれるはずである。年金菩薩様である。感謝。私も生涯現役で頑張らなくては。

 

図1 図書館開館前 に玄関で参考書を広げる中学生

 

2017-08-07

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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