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2017年8月 7日 (月)

磨墨智 435b.ことな親を鞭打て

 バブル期の育った今の親は、ゆとり教育の弊害もあり大人になっていない。叱られたことがない親を真剣に叱ろう。それが世の為、人の為、日本の将来のためになる。大人になっていない親を小人(ことな)という。大垣市立図書館の学習室でそんな親を、2013年の夏に3名ほど見た。

 2013年8月12日、学習室で子供二人連れの母親が、自分は真ん中に座り、両脇に子供を座らせて勉強をさせていた。母親はその合間に、家業の伝票処理をしている。小声で子供を教えるが、熱心であるが故に、その声は静寂な学習室では遠くからでも聞こえて迷惑行為になっていた。伝票処理で領収書のカーボン紙をビリッと破る甲高い音が、断続的に部屋の隅まで響く。己のやっている迷惑行為には無頓着である。己の子が走って学習室から出入りをするが、己の伝票処理に忙しく注意もしない。夏休みで、席が逼迫している状態であるが、母親が勉強ではなく、金儲けをしている。その占領した分、高校生の座る席が無くなる。母親はそんなことには気が回らない。4時間ほどこれが続いたので、さすがに堪忍袋の緒が切れて、私は、母親が学習室の外に出たときを見計らって叱りつけた。さすがに驚いて謝りはして退席することになった。

 

図書館員と大喧嘩

 数週間前のときも同じような母親がいて、回りに迷惑をかけていたので、警備員に注意をお願いしたが、動いてくれないので、やむなく私が注意をした。その経緯があり、今回は警備員を通さずに私が動いた。ところがそれを見て若い太った図書館職員が飛んできて、私に噛み付いてきた。「母親が涙声になっているではないですか、子供が怯えているではないですか」と。

 問題は、図書館職員が問題の本質を見ず、自分の務めも果たさず、問題を起こさないように(自分に火の粉が被らないように)、事象を押さえ込む姿勢である。ここに行政の退廃がある。問題は何か。私が叱ったのには訳がある。「母親が身勝手なことをして、学習室で静かに勉強している約50名の学生達に迷惑をかけた。母親が子供に、己の為なら公共の場でも身勝手なことをしてもいいと、背中で教えた」である。その真因を追究せず、無責任な肥満体の職員は、母親を泣かせたと私を責める。話が噛み合わないので、大喧嘩のような議論になった。私は副館長を呼んでもらったが、その副館長も来ただけで黙って見ているだけであった。市民の貴重な時間を盗む税金泥棒達である。肥満体とは、自己管理ができていない表示である。本来の図書館学習室の管理ができていない。無責任である。

 そもそも「子供が怯えている」という言葉使いが拙い。人殺しでもあれば、そんな言葉を使うのも許される。言葉使い一つでその人の教養がわかる。なぜ泣くのか、自分が悪いことが分かっているので、ずるい女は泣いて防衛する。すると私が加害者に立場が逆転する。女は弱いが、母親は強いはずである。またいかに日頃子供が叱られていないかである。我儘放題の躾をされている証しである。今の親は、叱られた経験が少ないのが原因である。それが現代の若者の悲惨な事件の頻発の原因である。現代は、生意気だからという理由だけで、女子高校生が同級生をみんなで殺してしまう時代である。その真因は、躾教育を放棄した親の責任である。

 この話をある社長に話したら、「中年女は、自分が悪いことが分かっていると泣いてごまかす。それがうまくいかないと、次は色仕掛けで来るので要注意だよ」と教えてくれた。館内レストランの方に話したら、「今の母親は、我々のような苦労をしてないので、教育がなっていない。小田さん、もっと叱ってよ」と励まされてしまった。以前に、泣いて職務をごまかした恥知らずな外務大臣がいた。小泉首相も「女には涙という武器がある」と閉口していたのを思い出した。

 

当日談

 本原稿を2013年8月15日の朝、何故か4時に目が覚めて、2時間ほどで書き上がってしまった。その後、何時もの散歩コースを回り、濃飛護国神社を回って常盤神社(大垣藩の教育の基礎を築かれた戸田公を祀る)と大垣大神宮に参拝した。その前広場で軍手をはめた掃除の身なりの人から「ありがとうございます」と言われた。この3年間、欠かさず神社の参拝を続けているが、お礼を言われたことがないので、驚いてどちら様ですかと伺ったら、「私はこの神社の宮司です」とのこと。ご縁を感じて色々とお話を伺った。この宮司は、いつもは濃飛護国神社の社におられる。この大垣大神宮は、明治天皇の直々の御下命で建立されたとか。この3年間、参拝をしているが初めて聞くお話であり、当日が終戦記念日でもあり不思議なご縁を感じた。

 ここで思いついたのは、前述の情けない親や子供の教育の件である。先の大戦で命を御国に捧げた英霊が見れば、「俺たちはこんな情けない国にするために、命を捧げたのではない」との声が聞こえたような気がする。それが宮司様の陰のお声である。その足で、予約をしておいた献花を求め(私は今月が町内のお地蔵様の月当番)、お地蔵菩薩様を何時ものようにお世話をさせて頂いた。別項の資料は、ご縁でお地蔵菩薩様の説明パネルの文面作成を依頼されて、作成した原案である。ご縁が繋がっている。

 

図1~3 濃飛護国神社

図4 大垣大神宮

 

2017-08-07

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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