「桜田門外ノ変」の検証 (6/25)
(4)危機管理マニュアルの整備
― 暗殺計画シナリオ
暗殺計画は、シナリオ通りにはなかなかうまくいかない。しかし、防御の方はシナリオがなかった。だから、緻密なシナリオがあるほうが勝ちである。この場合、水戸藩の志士達の襲撃隊には詳細な計画書があった。護衛する側には、何ごともなくて当たり前の世界である。いかに無事に済ませるかが問われる。 襲撃側はわずかな隙を狙ってせめてくる。そこに防御の難しさがある。
女子寮の警備
父はオーミケンシの警備の仕事をしていた。当時のオーミケンシの工場の従業員は大部分が若い女子である。工場内には女子寮があり、工場の塀には上側が鉄条網になっていた。それでも変態者が、よく乗り越えて侵入してきたという。変態者は、警備員の巡回時間を知っていて、それを避けて塀を乗り越えてやってくるという。数人の警備態勢で、深夜、広大な敷地全部には監視の目が行き届かない。
最高権力者の暗殺
井伊直弼公の籠の行列に、直訴状を掲げて飛び込んできた男を、護衛の武士も直ぐには排除できなかった。その男が直訴状を掲げながら平伏して、隠し持った単筒で、至近距離から井伊直弼公の籠に向けて弾を撃った。それが致命傷となった。その単筒の音を合図に、水戸藩士が井伊直弼公の籠に襲いかっかった。現時点で考えても、これを防ぐ手段は思い至らない。そういう運命であったと考えるしかない。あの警備万全であったはずのケネディ大統領の車パレード中の暗殺劇も、当時としては防ぎようがなかった。確信犯に対しての防御は、不可能に近い。ましてや、相手は死を覚悟しての犯行である。それも、方向が違うが、国を憂い殿様に忠義を誓い、命を投げ出した志士達である。
体制の疲労破壊
また300年続いた幕藩体制で、時の最高権力者の大老を襲撃するという行為が、想定されなかった。時代が音もなく変わりつつある中、その体制を守る側は無力である。その防御態勢のしきたり(幕府の規則で警備の人数まで規定される)を破れば、幕藩体制を自ら壊すこととなる。幕府のしきたりが、自らの首を絞める結果となっていた。体制の疲労破壊である。井伊直弼公は改革者であるが、幕府のしきたりは破らない。彼も改革をそこまでは手を付けられなかった。
2017-08-06
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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