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2017年8月

2017年8月10日 (木)

仕事とは何か 創造とは何か 

 遊びと仕事の違いで、一番大きな差は、その付加価値の有無である。佛像に付加価値を生み出すために佛師は命をかける。それに対して、遊びは、仕事の疲れを取る役目でしかない。その付加価値でも、今までにないものを創り出すのは、命をかけた真剣勝負と同じである。

 

創造とは

 創という文字の偏である「倉」には、傷という意味がある。つくりの「リ」(りっとう)は、文字通り刀のことである。つまり「創」という字は、刀傷を表している。刀傷というのは、戦闘状態のときに敵方に切られてできる。刀傷だから、深く切られれば死ぬことになるが、浅く切られた傷ならば、時代劇の一場面のように、焼酎を吹き掛け、晒をまいて「死んでたまるか!」と気合を入れれば傷跡に肉が噴き、直っていく。そしてその新しい肉と皮膚は、以前に増して強固なものになってくる。これこそが人間の生命力であり、創造の「創」につながる。

 

真正面から切られる勇気

 平穏無事なことからは、創造は生れない。ビジネスで言えば、傷を受けるとは失敗することを意味する。おおむね人は失敗を恐れて刀を避けようとする。うまく避けられることもあろうが、大抵の場合は刀を避けようとして妙なところに傷を受けるものである。正面から対峙せず、逃げてしまったために脇腹を突かれたりもする。また自分が避けたがために、他の人間が傷を受けることにもなる。 真正面から切られる勇気を持つことである。傷を恐れてはならない。傷を負ったとしても、それは必ず再生できる。そして再生されたものは、今までよりもきっと強固なものになる。「創造」とはゼロからのスタートとは限らない。今あるものを進化させ、新たらしいものに生れ変わらせることが創造である。現状維持に創造はない。

 傷つかなければ進歩もない   No pain, no gain.

 

2017-08-10

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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磨墨智 23.フーワーユー (改定)

上記は私が前職の時、よく周りの人の言っていたジョークです。

“Who were you? ”ではなく「不和 are you?」なのです。

「こんなにまで遅くまで会社にいて、貴方の家庭は家庭不和ですか?」

「家庭を省みず、自分の体を無理させてまで働くあなたは誰?」

「あなたは何のために働いているの?」

 

 この意味を直ぐに理解できる人は頭がいい、もしくは後ろめたいので、すぐ真意を理解してくれる。家庭不和の状態では、家族の幸せの時間は創出できないのだ。遅くまで会社で働いているのは、時間の使い方が下手なだけだ。家族を思う気持ちが少ないだけだ。仕事も家庭も両方大事なのだ。両立させてこそ、初めて時間創出がマスターできたと言える。

 

運命の流れ

 遠戚の叔母の子息が常務に昇進したのだが、その子息に大腸ポリープが見つかった。町医者では対応できないほど大きさの為、日赤病院で削除手術を受けた。その組織を調べたら大腸がんと診断された。それを聞いて、健康に関する私がまとめた資料を叔母に送った。私が8年ほど前に大腸ポリープで手術をした折、大腸ガンになる恐怖から、その病後の対策で、各種の本を読み漁り、それの要点をまとめた資料である。それに沿って健康管理を行って、現在は大腸ポリープに関しては健康である。その資料を叔母に郵送して、息子さんに渡して欲しいと託した。1週間ほどして、その感想を聞いたら、まだその資料を息子さんに渡していないという。今、息子は常務に昇進したばかりで忙しく、それどころではないので、渡せなかったという。命にかかわることなので、急いで送ったのに、この有様で、息子にしてその親ありである。人生の優先順位を間違えている。なんのために働いているのか、それを教えるのが親の勤めである。命を犠牲にしてまで働いて、どうするのかである。運命の糸の縺れ、他人には強制もできず、如何とも致し方ないことを悟った。病気になるのは、病気になるような躾と環境で育ったためである。親と嫁が、子息の運命の流れを変えるべき責務があると思うのだが……。私の家のお墓を改建したとき、お墓の開眼法要でその子息にも声をかけたが、出席はなかった。その時に会っていれば、面識ができたので、連絡もつくのだが、それが叶わない。運命はご先祖様が握っていることを悟った次第である。

 

健康になる要点

 下記は自分が大腸がんになる恐怖心から、健康に関する図書を読み漁りまとめた資料の要約である。その詳細は、健康関係の図書一覧で参照ください。

  1. 水を1日に1リットルを飲む。
  2. 体を冷やさない。お風呂に毎日、10分間入る。
  3. 睡眠を十分にとる。部屋を真っ暗にして眠る。
  4. 食べるより出すことが大事。
  5. ファーストフードを食べない。
  6. 洋風の食事から、和風の食事に。
  7. 乳製品、肉類を少なく。

 下記の健康関係図書一覧は、知人に送付した書き抜きの資料です。各資料A4で3~10頁ほど。著作権の関係で、ブログでは公開できませんが、興味があれば個別で相談に乗ります。メールで連絡ください。

 

健康関係の図書一覧

1.『メイ牛山のもっと長寿の食卓』メイ牛山著

  情報センター出版局 2002年 1400円

【要旨】メイ牛山91歳8か月。現役の美容家が実践する、「イキイキ・楽しく・美しく長生きする」秘訣集。今日食べたモノが、明日のきれい・元気の素になる。長寿の食卓を実践する生活レシピを満載。食事の大事さが、91歳の現役という事実で実証される。生きるとは、食べること。今の体は、過去の食生活の結果です。(2010/03/29 小田)

 

2.『酵素で腸年齢が若くなる!』鶴見隆史著 2008年 青春出版社 1400円

【要旨】全身のリンパ組織の80%が集中する腸を、若返らせるのは酵素である。人間の体の免疫システムの要は腸内環境で、腸内環境が悪化すれば、老化がはじまり、健康を損ねる原因になる。その腸内環境を左右するのが、「酵素」で、酵素を毎日の食事で多く摂り、体内酵素をムダづかいしない生活姿勢が、いつまでも若くて元気に生きられるポイントである。酵素と腸は密接な関係にある。酵素食のレシピとファスティングによって、若返りと健康を作る。(2010/2/7 小田)

 

3.『病気にならない生き方1~3』 新谷弘実著   サンマーク出版

2010/01/10  小田

 

4.『10歳若返る心身活性法』樋口芳朗著  徳間書店 1983年 680円

【まえがき】自分にあったものを、断固継続せよ! 健康法についての情報は世にあふれています。ここで、骨身に徹して自分に言い聞かせなければならないのは、本当に大事なことは、情報を集めたり、ちょっぴりやってみるなどということではなく、洪水のような情報の中から、長続きしそうで、自分にあったものを選択し、一たん決めたら断固してある期間継続することなのです。この本では、自分がやってみて本当に確かめたもの、とくに還暦の身で、毎日実行している健康法を主として述べました。極端に各論的ですが、健康法などというものは具体的でなければ無意味であると割り切りました。(2010/07/04  小田)

5.『なぜ「粗食」が体にいいのか』帯津良一・幕内秀夫著  

三笠書房 2004年  ¥560  2010/06/23 小田

 

6.『温泉に入ると病気にならない』松田忠徳著 PHP選書 2010年 760円

【要旨】なぜ日本人は昔から温泉が好きなのか?―近年、予防医学の立場から、病気にならないために体温を上げろと指摘する声が高まっている。では、塩素づけの水道水を沸かした家庭の風呂やシャワーで事は足りるのか。それよりも、還元力のある“生きたお湯”につかったほうが安全。体も温まりやすく冷めにくい。日本人にとって温泉は、くつろぎの場であるとともに、免疫力を高めるもっとも身近な健康管理の場だったのだ。病院に行かなくてもいい健康な心身はホンモノの温泉で十分。その活用術を温泉教授が伝授。(e-hon HPより)(2010/5/3 小田)

 

7.『体温を上げると健康になる』齋藤真嗣著 サンマーク出版 2009年1400円

【要旨】「体温が1度下がると免疫力は30%低下する」と著者は警鐘を鳴らす。米国・EU・日本で認定されたアンチエイジングの専門医が教える体温アップ健康法。最近、平熱が36度以下という、いわゆる低体温の人が増えている。その影響で様々な病気が発生している。その対策として、1日1回、体温を1度上げることを推奨し、体温を恒常的に上げていくことで健康な体を手に入れることができる「体温アップ健康法」を提唱している。「病気の人は健康に、体調のすぐれない人は元気に、健康な人はより美しくなる」と。(2010/03/06 小田)

 

8.『腸の健康革命』 新谷弘実著 日本医療企画 (2005年) 1524

【要旨】胃腸内視鏡の第一人者が、「出すことは食べることよりもっと大事である」ことを説く。腸内に老廃物、毒素、異常発酵物をため込んだり、硫化水素、活性酸素等の有毒物質を発生させないためには、食べたものを12~24時間以内に出してしまうのが理想です。(2010/02/14 小田)

 

9.『病気にならない人は知っている』ケビィン・ドルドー著 幻冬舎2006年1,470円

【要旨】ハンバーガーを食べるな!日焼け止めは塗るな!水道水は飲むな!歯磨き粉は使うな!牛乳は飲むな!電子レンジは使うな!風邪薬・抗生物質をのむな!ダイエット食品を食べるな!ひとつやめれば体調がよくなり、全部やめれば長寿になる。(2010/06/12 小田)

【おすすめコメント】添加物まみれの食品や土壌汚染が、私たちの体を蝕む。医学界や製薬業界、食品業界が明かさない、健康に生きるためにしてはいけないことを解説した全米900万部のベストセラー日本上陸。(e-hon HP)

 

10.石原結實著      

①『体を温めると病気は必ず治る』三笠書房 2003

②『おなかのすく人はなぜ病気にならないのか』プレジデント社 2006    

③『病気は自分で見つけ自分で治す!』KKベストセラーズ 2006 

④『老化は体の乾燥が原因だった!』三笠書房」 2007    

⑤『50歳からの病気にならない食べ方・生き方』海竜社 2009

⑥『病気にならない生活のすすめ』渡部昇一・石原結實著 PHP文庫 2006

【要旨】病気は、体の低体温化、食べ過ぎ、運動不足、によって起こる。

低体温化を防ぐため身体を温めることが大事です。身体の中心のお腹を温めることが大事で、腹巻はその手段として最高。入浴は体温を上げる大きな手段。また発熱作用は自然治癒の手段である。食べるより出すほうが大事である。動物は病気になると食べない。断食は排せつ機能を高める手段としてメスのいらない手術とも言われる。運動は基礎代謝力を上げ、身体を温める。(2010/04/11 小田)

 

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-10

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メール:yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年8月 9日 (水)

「桜田門外ノ変」の検証 (9/25)前後裁断

(7)危機管理の基本遵守  

 当日の朝、途中で襲撃があることを知らせる投げ文が井伊直弼の元に届けられた。しかし、彼は護衛を増やせとも、側近にもそのことさえ伝えなかった。なぜ、警護の人間に伝えなかったのかの疑問がある。幕府のきまりで護衛の数が決まっていた。幕府のトップがそのきまりを破るわけにはいかなかった。また彼は武芸に自信があり、まさか首を取られるとは思わなかったのだろう。

 しかし大名が理由はともあれ、首を取られるという失態をすると、御家とり潰しとなる決まりがある。そうなれば家臣たちが路頭に迷うこととなる。そんな危険を考えなかったのは、トップとして危機管理意識が希薄であった。

 敢えて、水戸藩の関係者に自分を襲撃させれば、水戸藩をつぶせる口実ができると思ったのかもしれない。自分の身を危険に晒せても、お国のためになるならそれも良いとの考えがよぎったかもしれない。あるいは、米国との通商条約を結び、反対勢力をある程度押さえたので、自分の役割は終わったとの達観があったのか。彼は死に場所を求めていたのかもしれない。彼は、人殺しの嫌いな人間である。この時代、お殿様が家臣を手打ちにする事件はざらにある。しかし、井伊直弼は家臣を手打ちにしたことはない。これは当時の風習からいくと希有なことである。その井伊直弼公が、安政の大獄では鬼となった。私憤では人を殺さなかったが、公憤では赤鬼となった。安政の大獄での処刑者数、処分者数は、徳川幕府始まって以来の規模である。それへの自虐があったのか。

 

前後裁断

 雨の予報があれば、傘の準備をするものだ。経営の神様の松下幸之助は、経営の極意として、「雨が降ったら傘をさす」と言っている。つまり当り前のことを当り前にしろと言っている。危機管理上、経営の基本として、井伊大老は危機管理の基本を、古い慣習や制度に囚われて遵守できなかった。そこに彼の保守派としての限界があった。もしくは、彼は死に場死を求めたのかもしれない。明治維新となり、西南戦争を終えた久保利通卿も、全く無防備な状況で襲撃され暗殺されている。暗殺の恐れは十分に予見されていたが、彼も特別な護衛をつけなかった。これも自ら死に場所を求めたとしか解釈のしようがない。両巨頭とも、独裁的な権力で国を思うが故に、騒動元を断固たる決意で押さえて幾多の血を流した。その後冷たさが、無意識に働いたのかもしれない。彼は禅の修行を積んで、悟りの境地として、全てを天命として行動をしていたようだ。襲撃を受け死ぬのも天命、業務改革を推進するのも天命だと悟っていたのでないかと思う。

 彼は「ただまさに今なすことをなせ」との禅の思想で行動していた。組織として自分を護衛する藩士達がいる。自分の使命は幕府の業務改革遂行で、自分の身を守ることではない。それは部下を信用して任せるべきである。彦根藩の赤備えの勇猛さは、武田軍団の血を受け継いでいる。そんな優秀な藩士達に余計な情報を与えなくても、対処してくれるはず。そうでなかったら、自分の指導が悪かった。それで自分が死ぬなら、それも天命だと。自分の死が、日本の将来への礎となるなら、それもよい。そんな考えがあったに違いない。彼は生死を超越した位置で、日本の未来を考えていたはずである。

 

2017-08-09

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磨墨智 528.いい日旅立ち

 いい日でなくても、まず旅立ちをして「旅立った日」をいい日にしよう思ったったら、すぐに動こう。そうすれば、その日がいい日になる。計画と実行を速やかにする。仏滅、先負等の人が少ない日に旅たちをして、スピードを上げよう。

 

日々是好日

 今いる自分を最大限に生かしていこう。その心が、一日一日をかけがいのないものにする。毎日が大切でよい日。(馬場恵峰)

 

百花香至為唯開

 何の為にという問いを捨てて、いただいた命を無心に生きる。まずそこから始める事。(馬場恵峰)

 『時間創出1001の磨墨智』より

2017-08-09

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1. 仏心大器に命を懸ける

 先日、松本明慶先生が総白檀の不動明王坐像(八丈大仏・約5m)を制作する過程を記録した『仏心大器』(NHK 2013年再放送)を見て感銘を受けた。その記録は、仕事とは何か、人生とは何か、を考えさせられた内容であった。明慶先生の手による目の彫りの工程で、図面も下書きもなしに、眼をノミで彫りにいく様は神業としか思えない。神業でも人間としての迷いを持ちながらの彫りの工程である。またそこにもドラマがあった「今日の自分は最高の自分ではないかもしれない」と、自分を超える自分に遭うため、日を改め、時を待つ姿がそこにあった。彩色師の長谷川智彩師が、不動明王座像の目に瞳を描き入れる時、不動明王座像を見つめる彼女の眼には凄みがあった。

 今まで不動明王像には、なにか近寄りがたいものを感じていた。しかしその眼差しは、怒りで慈悲を表していることを教えられた。その静かな怒りは上品なのである。その両方を表現するために、全神経を集中させている明慶師と長谷川智彩師の姿に感動である。

『仏心大器』(NHKオンデマンドでご覧ください。著作権の関係で画像が掲載できません。「不動明王座像 広島厳島 大願寺」で画像検索ください。

  大佛の寿命は千年、人の寿命はせいぜい百年である。それゆえ千年の間、人の評価に耐える大佛を作るために、佛師は命をかけて刀を入れる。松本明慶先生は、(技のレベルを上げるため、ミケランジェロが第二の師匠になるかもしれないが「それを学べるなら命に代えてもいい。(今回のピエタ見学を)絶対に無駄にはしません」とまで言いきる(NHKBSプレミアム 松本明慶ミケランジェロの街で仏を刻む『旅のチカラ』2013年)。人生の中で、一番多くの時間を費やすのが仕事である。人生において、命を賭けられる仕事に出逢えるのは、人生冥利に尽きる。それも生涯現役で働けられれば最高である。仕事は生活の糧を得る手段だけではない。

 

佛像彫刻の基本

「佛像彫刻をすると、皆さんはすぐお顔を彫りたがる。たとえば佛像彫刻で佛様の鼻を彫ろうと思ったら、まず回りを彫らないといけない。直接鼻を彫って高くしようと思ってもうまくいかない。周りを彫ると自然と、鼻が浮かび上がってくる。耳を彫る場合でも、周りを彫れば耳ができてくる。彫りたい箇所を直接攻めるのではなく、周りから彫っていく。口元を掘る場合も同じだ。これは根回し、段取りの仕事である。

松本工房の佛像は、概略のデザインを師匠が行い、細部は弟子が彫っていく。基本のお顔は師匠がすべて仕上げる。木の材料には、節や傷が必ずあるのでそれを避けて、材料取りのデザインを師匠が行う。これが難しい」(小久保館長)

  仕事でも避けなければならない難所、ポイントがある。それを見極めて、弟子に細部を任せていく。人生も仕事も同じだと納得した。佛様のお計らいで、いい話を聞かせてもらった。求めるモノを直接攻めても相手は逃げていく。周りから、そして自分の内面を充実させて取り組むのが人生の正道である。これからの人生の旅を歩くヒントを得た。

 

芸術に必要な総合力 ―― 仕事も同じ

 「佛像を彫るには彫刻の技量だけでは不十分で、仏教の知識、人体の知識等の総合知識力もないと、人に感動を与える本物は彫れない。なぜなら、佛様や布袋様などは架空の存在である。それを形にするには仏教の知識、人体の知識等の総合力が必要であるからである。時には密教の経典の知識も必要となる。

 高名な某彫刻家がいて、実在する(モデルのある)動物や人物では優れた作品を残している。しかし、架空の存在である大黒天や七福人の彫刻は形がなっていない。それは彼の彫刻の技術は卓越していても、基盤となる総合知識がないからだ。たとえば、彼の作った布袋さんの顔には品と知性がない。これではこの布袋さんに相談しに行く気が起こらない。また座っているこの像は、もし立ったらこの足の太さでは、体を支えきれない不自然な構成となっている」(松本明慶師)

 

 2つの写真集で作品を見比べると、その高名な彫刻家の布袋さんのお顔と松本明慶師の彫ったお顔には大きな差がある。その昔、人相学をかじったことがあり、その知識からみれば、その違いはすぐ理解できた。その昔、私はCNC研削盤の開発でNCソフト開発に携わった。その経験から、会計学のソフト開発でも、単にプログラミングの技量だけがあっても、使い物になるソフトはできない。会計学のソフト開発には会計学の知識と実務での総合知識が求めらる。それと同じことが、佛像彫刻の世界を始め、全ての仕事でこの基本は当てはまると、松本明慶師のお話を聞いて再確認した。

 

佛像の知識

・観音様の左手に持った蓮華の花の蕾が一枚だけ開きかかっている。これは悟りを開くこを象徴している。

・台座の上部にある葉形状のお皿は回転方向に波をうち、半径方向でも波を打たせて彫ってある。これには高度な彫刻技量が必要である。

・首の飾り、御頭から腕にふり下がる布を含め本体は一本彫りでできている。

首の飾りを彫るだけでも1週間はかかる。

・胸の飾りは、観音様の胸の上の空間を一本彫りで形作る。

・観音様の手は普通の人間より長い。人を救い包み込みために長いのです。

・西洋の彫刻は8頭身だが、佛像は10頭身である。

・佛像の身丈は白毫から足までの高さをいう。

 

日本の佛像彫刻伝統

 最近は安い労働力を武器に中国、東南アジア製の佛像が出回ってきていて、日本佛像彫刻界の脅威となっている。その大半は部品を別体で作っている。それに対して日本の本物は、本尊一本彫りである。各部の継ぎ足し修正は、佛師の恥である。これは西洋の大理石の彫刻でも言える。全て一体の大理石から彫られている。西洋でも修正のため部分の継ぎ足しをすると軽蔑される。

 観音様の見えない後ろ側の御頭の髪も、一本ずつ髪があるがごとく克明に彫刻してあった。松本明慶師は「松本工房の技術は世界一だ」と自負されていた。実物の技量と仏教の知識に裏づけられた彫像のありかたに納得させられ、心が洗われ、眼の保養になった。800年前の運慶・快慶の技術が、口伝により脈々と伝承されている。欧州の彫刻文化とは、一味もふた味も違う日本の佛像彫刻伝統に誇りを感じた。

 

人間技の素晴らしさ

 私は、前職の近直では情報システム関係、IT関係、三次元CAD関係、NC金型加工関係の開発業務を担当した。その前の工作機械関係のときは通産省の外部団体超先端加工システムプロジェクトの委託研究に従事して、エキシマレーザ用のセラミックミラーを研磨する5次元研削加工機を設計した。それですぐに悟ったのは、5次元加工機でこの佛像をNC加工することは不可能だ、である。展示してある佛像には、手の細かい細工をしても加工が困難な部位が無数にあり、物理的に5次元加工機の刃具を干渉させずに加工はできない。しかし、人の神業にして初めて可能なのだ。英語と日本語を少し学んだ経験から、自動翻訳がコンピュータでは無理(大雑把な訳は可能)なのと合い通じるものを感じた。人間の技と頭脳は、いくらコンピュータや機械が進化しても、次元の違う神秘的な素晴らしさがある。

 

明慶先生の言葉

私は歳のせいで視力が落ちて細かいところはよく見えない。

しかし、彫刻の時は、彫る場所の1点に集中させてそこを見るから見える。

周りまで全て見ようとするから見えないのだ

佛像は人の喜怒哀楽の心を受け止めてくれる器である。

大仏は人の心を受け止めてくれる大きな器である

佛師は美しい佛像を作る責務がある

人の寿命は80年、佛像(大佛)の寿命は1000年

時間に追われて焦るのは、自分が弱いからだ

 「佛像とは何か」を40年間余考えながら彫り続け、千年後まで残る作品を手がけている松本明慶先生の言葉には重みと凄みがある。

 

2017-08-09

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2017年8月 8日 (火)

室村町四丁目地蔵菩薩尊の閉眼法要

 2016年3月24日10時、室村町四丁目地蔵菩薩像(明治43年(1910)建立)の改建のため閉眼法要が行われた。昨年、このお地蔵さんを守っていた大倉さんが亡くなられた。その遺族の大倉家と山田家が、戦火も浴び風雪にも耐えて傷んだお地蔵さんを全面的再建として寄進していただけることになった。

 

室村町四丁目地蔵尊建立の経緯

 明治43年は日韓併合があり、その前年に伊藤博文元首相が暗殺され、世情が不安定で不幸な事件も数多くあった時代である。その年に鐘紡が、社員と地区の平安と幸福を祈願してこの地蔵菩薩像を建立した。当時は地区の公民館(同志館)前の広い境内に、この地蔵菩薩像が安置されていた。

 この地蔵菩薩像の功徳は、室村町を襲った大垣空襲に顕われた。昭和20年(1945年)7月29日夜半、米軍B-29爆撃機90機による無差別殺戮爆撃で、100ポンド焼夷弾3,000発、4ポンド焼夷弾17,000発が投下され、罹災戸数は市街地の約6割にも及ぶ4,900戸、罹災人口30,000人、死者50人、重軽傷者100余人の惨事となり大垣市街地の大半は焼失した。大垣城(国宝)や(大垣別院)開闡寺なども焼失し、建物等は僅かに大垣駅などが残ったに過ぎない。室村町も火の海の灼熱地獄となり、地蔵菩薩像の土台石垣と御身体が真赤になりながらも(焼夷弾の油を浴びて)、立ち続けてこの地域を見守り続けたという。火災から逃げまどう中で、灼熱の炎で真赤になっても立ち続けるお地蔵様のお姿が眼に写りこみ上げてくるものがあったと元自治会役員(当時9歳)が回想する(歴代自治会役員の証言、『通史編近現代』大垣市編による)。

 その時の炎で焼かれた痕跡が残り、石衣も一部が剥がれ落ちて痛々しい。戦後から今まで、この地蔵菩薩像は、本地域在住者の幸福と安全を祈願し、町内を通学で歩む児童・生徒の健やかな成長と交通安全を願い、優しいお顔で見守っていて頂いていた。

 

地蔵菩薩像の生老病死

 お地蔵さんの像にも命があり生老病死がある。105年が経過し、戦災で傷んだお体を晒したままにするのは忍びない。お体は仮に姿で、そのご精魂は不滅であり、新しいお体にご精魂が移るのが自然である。戦争の証人が消えるのは残念だが、お地蔵様のことを思えばそのほうが良い。それは今回のお墓の改建で認識した智慧で、更に今回の地蔵菩薩像の改建でその思いを新たにした。当初、地蔵尊に屋根を付ける案も見積もったが、建屋としての法規制もあり、借地の件や建築許可等の問題で足踏みとなっていた。今回、お地蔵さんが傷んだ真因を考える機会となった。

 

地蔵尊を再撮影

 今回の閉眼法要を機に、地蔵尊の写真を撮り直した。それを見てこの数年での石の劣化が顕著であることに気がついた。今回、書の撮影のために購入したCCDフルサイズの一眼レフに100~400mmF4.5、70~200mmF2.8望遠レンズを装着して、強い陰影がつかないように天候を見ながら撮影したため、今まであまり気にならなかったひび割れの酷さが、写真上で鮮明に浮かび上がった。お地蔵さんの首の前掛けを取り替えたため、前掛けで隠れていた傷みと変色状況が目に付いた。それは50年前のナパーム弾の痕跡であろう。地蔵尊は戦争の残酷さの証人として存在しておられた。その証を通り過ぎる人たちが気づかないのに、寂しさを感じていたはずだ。

 お地蔵さんの後姿も含めて熟視して、改めて戦争の禍を感じた。戦争になった真因を見極めないと、平和惚けの空論反戦論者になってしまう。EUに押し寄せる難民の問題も、植民地政策、グローバル経済主義の展開で中東・アフリカの人民を搾取した咎が、ブラーメンのように欧州に返ってきているだけである。だれが戦争で儲けているかの真因を見極めないと、問題は解決しない。

  2017年8月7日「磨墨智 435b.ことな親を鞭打て」の最後で記載したお地蔵さんは、上記の地蔵尊のことです。

 図1 2013年6月撮影               

図2 2016年4月3日撮影

図3 背面の衣の傷みがはなはだしい。また焼け焦げた跡が生々しい。

図4 地蔵菩薩尊の横を通学路とする児童達

   雨の日も風の日も児童約200名の通学を見守る(2013年6月)

図5、6 閉眼法要 2016年3月24日10時

 

2017-08-08

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兵どもが夢の跡

 2010年に帰郷した大垣で、遊歩道「ミニ奥の細道(四季の路)」を毎日歩いていると、会社勤め当時のビジネス戦争が思い出される。その記憶が、東北の地で詠んだ芭蕉の句と重なりあう。過去を振り返ると、なんと愚かな戦いをしたことかと。

 「夏草や 兵どもが 夢の跡」 芭蕉 (岩手県平泉町)、

 「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 芭蕉(山形県・立石寺)

  そんな仕事上でのチャンバラも、今は昔である。蝉が地上に出て、騒々しい鳴き声を響かせるのも1週間である。長い人生を思えば、人の絶頂期の数年などは、蝉が鳴く期間と同じである。どんなに騒々しく働き、栄達を極めても、10年もたてば会社から消える。一緒に一時期を戦い、ゴマすり戦争に敗れ飛ばされ、過労死や病死した戦友を思うと、哀愁を感じる。芭蕉も戦国時代に思いをはせた。

 その戦場であった会社さえ、グローバル経済競争時代に巻き込まれ、同じグループ会社と合併を余儀なくされ消滅した。グローバル競争時代にあっては、年商5千億円の自動車部品メーカは、中小零細企業なのだ。それでは生き延びられないと親会社からの指示で戦略的合併をさせられた。うたい文句は対等合併であったが、実質的に吸収合併で、吸収された方は、悲哀を味わうことになった。会社の寿命も60年である。いくら花形産業としてもてはやされても、それは10年も続かない。いつかは衰退産業となり消えるのが運命である。諸行無常である。会社生活の38年間、私は何と闘ってきたのか、人生道の第4コーナを回りながら考えている。

 これから自分が戦うのは、後から静かに迫ってくる「自分の老い」である。その戦いも何時かは終わる。それも全員が負け戦である。「人生は旅である」と芭蕉は詠う。「四季の路」を6年間に渡り歩き続け、秋の落ち葉を踏みしめながら感じる「老い」の実感である。

 旅に病んで 夢は枯野を駆け巡る  芭蕉

 

図1 「四季の路」の秋  2011年11月6日 日曜日  07:58

 

2017-08-08

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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インプラント 26(6S)

3.26 6Sでの判断

 私がかかった歯科医院に限定ではあるが、私の目から見て6Sがなっていない。表面的には綺麗ではあるが、裏は不潔で不衛生である。儲かっているから、立派な建屋が建てられて、見た目は美しいが、掃除がおろそかになっている。その原因は医院経営が儲かるインプラント手術に依存して、慢心で経営が甘くなっているからだと判断した。そんな医院に身を任せてもいいのか、である。友人にこの医院を見せたら「これは美容室の建屋ではないか」との外観の評価であった。つまり見た目は美しい。しかし、見えない内部は汚れている。

 

往診車の汚れ

 医院の前に往診車(8ナンバーの中古車で、市場推定価格100万円)が駐車してあり、その運転席のセンターボックスに、ストローが挿したままのコーヒーカップが、10日以上も置かれていた。往診車の内部を上から覗き観ると、汚れた診察台、汚れた排水口まわり、シミのついたままの床、錆びの浮かんだ機器の台と支柱、床に無造作に放置された固定ベルト等が、目にとまった。普通の視線高さからでは内部が見えないように曇りガラスで防衛されていた。次の日に内部を見ると、運転席の下にコンビニの膨れたゴミ袋、医院の清潔であるべき白いスリッパがひっくり返って放置されていた。1週間以上も運転席ダッシュボードに某大学講師の名刺が置かれていた。清潔であるべき往診車が不潔であった。またその往診車の回りやその駐車場には、タバコの吸殻やコンビのビニール袋が何日も掃除もせず放置されていた。

 

街の掃除活動

 市内の「四季の路」遊歩道沿いの会社、銀行や医院では、毎朝、社員が全員で自分の会社以外の周辺の道路の掃除をしている。自分の街の遊歩道と自社を守ろうとの意識が感じられて、市民として誇りに思う。近くの眼科医院でも、朝は受付の方や看護婦さんが道の周りの掃除をしている。広報を兼ねてか、社名の入った制服で、四季の路の掃除を大勢でしている会社もある。たとえ広報活動としての掃除でも、良い活動である。

 それに対して毎朝、この歯科医院の近くを通るのだが、従業員の掃除の現場を見たことがない。この歯科医院は6Sが全くされていないと断定した。そんな歯科医院に、大事な歯の手術を任せていのか、である。答えは明白である。

 

 6Sとは:「5S」とは企業経営理論の専門用語で、整理・整頓・清掃・清潔・躾の頭文字である。「6S」とはトヨタグループの用語で、整理・整頓・清掃・清潔・躾・シッカリの頭文字である「整理整頓は仕事ではないが、責務である」(神戸健二著『キャノン式稼ぐ社員の仕事術』成美堂出版)

 

図1 新大橋近くの某金融機関前  2011年6月14日 08:13

図2 四季の路沿いの某電気会社前  2012年11月5日 07:30

 

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410a. 時間を観る目を養え

 時間は観ることができる。時間とは命である。命を持った人間の行動を観察すれば、時間の使い方の真贋が分かる。時間の使い方の真贋を見極めるよき目を持っていても、自分の行動がそのようにできるかどうかは別である。しかし、意識して真贋を見る訓練をしていれば、人様よりも、良き時間の使い方はできるはずだ。骨董屋の小僧は、ご主人から常に本物の骨董品だけを見せられて、真贋の見分けの修行をするという。時間の使い方の本物を探して修行をしよう。いつかは時間の使い方の名人になれるはず。そのサンプルは人の顔である。

 

作品に出る時間の顔

 松本明慶大仏師は、師である野崎宗慶老師から「作品を観る目を養え」と教えられたという。自分の技術よりもほんの少し観る目を進めること、目が少し腕より良いくらいが丁度よいということである。

 自分達は、自分の人生という命(作品)を彫っている仏師である。素材から多くの部分を削り取らないと、作品が仕上らない。削り取る過程で痛みも歓びもあり、人生の創作の苦労を体験する。削り残しが多い人生とは、未完の人生である。自分の人生レベルより少し進んだ目で、自他を観察して、よりよき時間を駆使して人生を完成させるのが、人間に生まれた責務である。自分の後ろにはご先祖様の期待がある。

 

作品としての顔相

 同じ50年を生きて、苦労の有無が顔に出る。苦労をした人の顔が、そうでない人と同じ顔であるはずがない。男の顔は履歴書である。今、ネット上や雑誌、新聞、事業報告書、広告等から、成功者、経営者、政治家、犯罪者の顔写真を収集して顔相の研究をしている。その顔を見比べると、その顔にその人が、その仕事に費やした時間が見える。その経営者も、小さな会社、大きな会社にはそれ相応の顔があり、金融業や電力、ベンチチャー企業、製造業毎に、その仕事が匂う顔がある。そこに人生の時間を感じる。本物の経営をしてきたか、そうでないかは顔が伝えている。詐欺まがいの計画倒産をした経営者には、相応の顔が事業報告書の掲載されていることを発見した。 

 

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「桜田門外ノ変」の検証 (8/25)最新技術

(6)最新技術、情報の収集

 最初のたった一発の銃弾が井伊直弼の腰を貫き、致命傷に近い傷を与えた。そのため、彼はなんの抵抗もできず、駕籠から引きずり出され首を落とされる。彼は埋木舎で、世に出る前の期間、武芸に励み居合術で免許皆伝である。彼は並の大名とは違い、文武兼備の才人である。いざとなれば、彼自身も防戦に戦えば、護衛の数や彦根藩士の護衛の精鋭ぶりから言っても、簡単には暗殺は成功するはずが無い。そんな安易な考えがあったのであろう。

 当日は大雪であった。そのため、刀の錆防止で、護衛側の藩士の刀は刀袋で封印されていた。それも防御側の反撃に、時間遅れが出た原因の一つである。直接の襲撃の警告がなくても、その備えをするのが、危機管理である。襲撃の危険は十分に分かっていた。

 

「武田家の赤備え」から「井伊家の赤備え」へ

 最初に日本で鉄砲を使って戦いをしたのは、織田軍と武田軍の長篠の戦い(天正3年、1575年)である。勇猛で鳴る武田軍団は、織田軍のハイテクの鉄砲隊の前に惨敗する。井伊藩の初代井伊長政は、関ヶ原の戦いで多大の軍功を上げる。徳川家康は、井伊長政に武田家の軍色である赤の使用を許し、甲冑、指し物、倉に至るまで全部赤い色を使用した。井伊藩は「井伊家の赤備え」として恐れられた。ハイテクの鉄砲に破れた武田軍団の軍カラーの赤が、歴史の皮肉でもある。赤備えの井伊家は、鉄砲の前では、武田軍と同じ運命をたどった。

 せめて、駕籠に防弾の備えがあれば、状況は大きく変わったであろうが、人の手で担ぐ籠では、物理的に無理である。長篠の戦いで織田信長が鉄砲を使ったのは、桜田門外の変の286年前の話である。敵にハイテクで攻めて来るなら、防ぐ方も当然その備えが必要である。しかし公人である幕府のトップで、武道の達人として、臆病な姿勢も見せられず、そこに運命の皮肉を感じる。精神論的な戦いに対する姿勢が、この事件の根本にある。それは徳川幕府の開祖の徳川家康が戦乱の世の再来を嫌い、前例の無いことは認めないという幕府基本方針からして、物事の進歩を禁ずる方針が根底にある以上は、いたしかたないのかもしれない。いわば組織の疲労破壊である。幕府は倒れるべくして倒れた。それは自己会改革を怠ったためである。それを家康が暗黙に禁止をした。

 

己の敵は己

 しかし、どんなに固く守って、外からも内からも危機は忍び寄る。守りの天才の徳川家康もそこまでは思い至らなかった。昨日の勝者は今日の敗者になる。守るためには変わらなければならない。トヨタ自動車の奥田碩会長(1995~1999年社長、1999~2006年会長)は業界トップの座に安住せず、「トヨタの敵はトヨタである。打倒トヨタをスローガンに社内に檄を飛ばしている。現在好調のトヨタは、「たまたま今がよいだけで、10年後は分からない」として、危機感をもって業務改革を進めていた。

 

会社の業務改革

 トヨタの方針に影響されて、前職の会社でも業務改革が進められた。私も担当責任者として、業務のIT化がなかなか進まない現状に悩み、役員会に「IT業務改革点検」を提案して認められた。事務局として事業部全部署の点検を事務局として回る機会を得た。私は事務局として各部を点検に回って、現状を変えることへの抵抗は、非常に大きいのを再確認した。敵は外ではなく、身内である。総論賛成、各論賛成で悩まされた。「敵」の部長曰く「その改革案は素晴らしい、まず他の部署からやって欲しい」である。(2003年頃)

 

私の業務改革

 当時の私の最大の悩みは、図面の三次元化推進であった。技術管理部門の課長として、その推進を任されたが、技術部門やその後工程は、従来の二次元図面に固執して三次元化がなかなか進まなかった。親会社の方針で、三次元化を進めないと仕事がなくなるとの「脅迫」でなんとか進めていた。17年が経った目で検証すると、当時の技術レベルでは、自動車会社での三次元化と、部品メーカの三次元化には、個別に対応するの正しいと思う。部品メーカとして全部一律に、図面を三次元化していては儲からない。その工程ごとに最適な図面のあり方がある。強引に三次元化を進めて儲かるのは、自動車メーカとCADメーカである。

 技術部の部長は、「二次元図面から三次元形状が頭の中に描けられないのでは、設計者ではない」との持論があり、設計部門での展開が障害となっていた。それは20年間、図面を引いてきた設計者として、私も思っている持論であった。立場上、三次元化を推進させねばならぬ立場で、それも言えず苦しかった。そんな悩みの中、山本周五郎著『ながい坂』の言葉が励みとなった。

 「人はときによって」と宗厳寺の老師が穏やかに云った、「――いつも自分の好むようには生きられない、ときには自分の望ましくないことにも全力を尽くさなければならないことがあるもんだ」(1-p130)

 

17年後の姿

 現在は、CADの性能も上がり、操作性も向上し、後工程にも三次元化の認識が広り、生産準備工程のツールとして一般化してきたようだ。当時の伝教者としての三次元化推進隊長としての当時の苦労が夢の様である。当時の部下から「当時の小田課長さんの頑張りがあったからこそ、今の三次元化の展開ができた」と言ってもらえて嬉しかった。一般的に伝教者の運命は悲惨である。当時も同業他社のIT部門の責任者が、心労で倒れていた。自分がそうでなかっただけ、幸せと思わねばなるまい。

 

井伊直弼公の先見性

 私の悩みは些細なものであったが、日本の政治のトップとして幕府業務改革に取り組んだ井伊直弼大老の悩みは、そんなレベルではなかったはずだ。ご心労を御察し申し上げます。時に、外交面(条約締結、開国)、内政(後任将軍選定、安政の大獄)で大筋の仕事も終わり、桜田門外の変での井伊直弼公の対応を見ると、直弼公は死に場所を求めていたのかもしれない。井伊直弼公の命をかけた伝教者としてのお役目を全うしたがために、今の日本の繁栄がある。頑強に鎖国を続けた隣国が、国の滅亡の憂き目にあったのは、歴史の冷酷さの証しである。国の改革を避けた清国は、桜田門外の変の34年後、日本に日清戦争(1894)で負けた。そして欧米列強による半植民地化が進み、清王朝は1912年に滅んだ。そして動乱の時代を迎えた。

 

2017-08-08

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