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2017年8月 8日 (火)

兵どもが夢の跡

 2010年に帰郷した大垣で、遊歩道「ミニ奥の細道(四季の路)」を毎日歩いていると、会社勤め当時のビジネス戦争が思い出される。その記憶が、東北の地で詠んだ芭蕉の句と重なりあう。過去を振り返ると、なんと愚かな戦いをしたことかと。

 「夏草や 兵どもが 夢の跡」 芭蕉 (岩手県平泉町)、

 「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 芭蕉(山形県・立石寺)

  そんな仕事上でのチャンバラも、今は昔である。蝉が地上に出て、騒々しい鳴き声を響かせるのも1週間である。長い人生を思えば、人の絶頂期の数年などは、蝉が鳴く期間と同じである。どんなに騒々しく働き、栄達を極めても、10年もたてば会社から消える。一緒に一時期を戦い、ゴマすり戦争に敗れ飛ばされ、過労死や病死した戦友を思うと、哀愁を感じる。芭蕉も戦国時代に思いをはせた。

 その戦場であった会社さえ、グローバル経済競争時代に巻き込まれ、同じグループ会社と合併を余儀なくされ消滅した。グローバル競争時代にあっては、年商5千億円の自動車部品メーカは、中小零細企業なのだ。それでは生き延びられないと親会社からの指示で戦略的合併をさせられた。うたい文句は対等合併であったが、実質的に吸収合併で、吸収された方は、悲哀を味わうことになった。会社の寿命も60年である。いくら花形産業としてもてはやされても、それは10年も続かない。いつかは衰退産業となり消えるのが運命である。諸行無常である。会社生活の38年間、私は何と闘ってきたのか、人生道の第4コーナを回りながら考えている。

 これから自分が戦うのは、後から静かに迫ってくる「自分の老い」である。その戦いも何時かは終わる。それも全員が負け戦である。「人生は旅である」と芭蕉は詠う。「四季の路」を6年間に渡り歩き続け、秋の落ち葉を踏みしめながら感じる「老い」の実感である。

 旅に病んで 夢は枯野を駆け巡る  芭蕉

 

図1 「四季の路」の秋  2011年11月6日 日曜日  07:58

 

2017-08-08

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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