« 2017年7月 | メイン | 2017年9月 »

2017年8月

2017年8月17日 (木)

人生の「いろは歌」

 鴨長明も『方丈記』(1212年 建暦2年作)で、河の流れを人生に見立てて、世を詠っている。水門川を毎日横目で見ながら歩いていると、自分の人生と重なる。儚く移ろいゆく人生は、危機感をもって生きるべし、である。

 「行く河の流れは絶えずしてしかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは且消え且むすびて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと又格の如し。」『方丈記』

 

人生の秋

 散歩道「ミニ奥の細道」を最初の5年ほどは、チンタラと歩いていたため、人生での思い出が色々と浮かんでは消えていった。しかし最近は、高血圧の治療を目的に、汗ばむほどの速度で大垣の「ミニ奥の細道」を駆け巡るので、頭に浮かんでくる事項が建設的になった。やはり人生は目的を持って精力的に歩かねばならない。

 人生の旅は時間制限があり、いつかは終わりが来る。「いろは歌」は人生の旅を象徴している。いくら栄華を誇っても何時かは散る運命である。『平家物語』からも人生の哀愁が伝わってくる。どちらも同じことを詠っている。その中でどうやって生きていくか、歩き続けても答えは出てこない。「いろは歌」は仏教の経典の中の言葉を元にしたといわれている。

いろは歌

 色は匂へど 散りぬるを・・・諸行無常

 我が世誰ぞ 常ならむ・・・・是生滅法

 有為の奥山 今日越えて・・・生滅滅已

 浅き夢見じ 酔ひもせず・・・寂滅為楽

 

 花はどんなに美しく咲き誇っていても、やがて必ず散ってしまう。この世で永遠に生き続けることができる人がいるのだろうか。全ての人は、現世と別れて一人で死んでいかねばならない。種々の因縁の和合により作られた無常の現世から、今日、目が覚めて抜け出して、この世を夢とは見ず、覚めた目で見つめていく。

 

 「いろは歌」には、色即是空、空即是色の般若心経で言う人生観「この世の栄華栄達も無常である」が込められているようだ。「いろは歌」の解釈はさまざま存在して、確定した解釈はない。だから自分が納得できるように解釈をすればよい。そこに自分の人生が映し出される。

 

There is no facts, only interpretation.

 ニーチェは「目の前に存在するのは事実ではない、どう解釈するかだけだ」と言った。仏教の世界では、その事実があるかどうかも夢うつつの物語だという。その中でどう生きていくか、それが人生の「いろは」として問われる。

 

図1 水門川沿いの「四季の路」

図2 自然に四季があるように、灯台にも四季の風景がある。人生の四季を終え、次の旅立ちの場所は、灯台である。俳聖松尾芭蕉は、「奥の細道」の旅を大垣で結び、式年遷宮の伊勢神宮に参拝をするため、ここ大垣船町の港から舟で桑名に向けて旅立った。旅の終わりは、次の旅への出発(departure)である。

図3 大垣市船町港跡の川辺に立つ芭蕉像。

 

2017-08-17

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

1p1070537

2dsc00348

3img_3046

2017年8月16日 (水)

「桜田門外ノ変」の検証 (10/25)種まき

後世への種蒔き

 1860年1月1日、開国後の長期的視野に基づき、井伊直弼大老はオランダで建造した日本初の洋式軍艦「咸臨丸」を使って、日米修好通商条約の批准使節団を米国へ派遣をした。その使節団には勝海舟や福沢諭吉を随行させた。これは初の日本人だけでの太平洋単独横断でもあった。井伊直弼大老は、日本に開国のDNAを植えつけて天命を全うした。その後、批准使節団の帰国を見ずして、その2ケ月後の3月3日、桜田門外で散る。まるで交尾を終えたカマキリが自らメスに頭から食われて子孫の栄養になるのを助けるがごとくに。後世に託した種は、渡米した福沢諭吉らが、明治時代になって花開かせることになる。米国を視察した勝海舟が、江戸幕府の幕引きに貢献する。井伊直弼大老が残した痕跡が彦根市の天寧寺にある石黒太郎の墓に残されていた。詳細は次回(11/25)で掲載予定。

 全ての生命は子孫にDNAを植えつけて死んでいく。例えば受精した生命体の成長で、手の創成は指と指の間の組織が死ぬことで、新しい手の指が創成される。死は新しい命の芽生えのための一つのプロセスである。死がないと新しい命は生まれない。

 

私の種まき

 定年退職して会社の後進に託したその種まきが、無残な姿を見せつけられるのは悲しいことだ。その姿に、合併後の新会社に受け継がれたDNAが明らかになった。後進の担当者に技術者教育を託したが、もともと教育には熱意がなく頼りない人であった。講師を依頼しても、やる気のない手抜き講義しかしなかった。それは吸収側の会社の教育を重視しないDNAに起因していた。なにせ金にならない事項は、大事なことでも教えないという文化がある前会社である。結果として本来、その部署で担当すべき技術者教育を他部署に押し付けて教育の仕事を放棄してしまい、技術者教育の空白期間が2年程続いた。さすがに新社長の教育重視の指示で復活して、技術者教育が復活した。

 巨大になった組織では、官僚的な縦割り組織となり、その教育が本来もつ意味を考えず、形式的な教育に転落した。教育内容も細部に分割され、この部分は全社組織で、専門分野のこの教育は担当事業部でと、たらい回しとなり、会社として伝えるべきグループ企業としてのDNA教育が消えてしまった。

 

技術者教育の経緯

 私は技術管理部署で2000年から技術者教育を担当して、教育講座を構築して本格的に展開した。2003年から仕入れ先の工場見学会を取り入れ、実際に当社の製品の前工程での生産工程を見学させた。事前準備、事前の会社訪問、事前調査、見学依頼、バスの手配、引率と大変手間のかかる業務であるが、その評価はあまりされない。成果主義第一主義の企業では、やりたくない業務である。2004年からトヨタ産業技術記念館への見学を技術者教育に取り入れた。バスを仕立て、引率者として見学ツアーを継続した。豊田佐吉の生い立ちのビデオ、実物、前職の会社の本社事務所の姿や会社理念の実物の見学である。これらの技術者教育を6年間継続して、新会社になっても続けた。その教育体制が、私が退職したら、崩れてしまっていた。「会社診断◇会社社是」で述べたように、DNA教育の継承を怠った企業の末裔は悲惨である。大企業として全社に展開するため、教育講義がテレビ会議システムの講義形式になった。講義の内容は伝わるが、講師のパッションは伝わらない。私は技術教育講座の運営責任者として、講師の講義を教室の後ろで必ず監視した。熱意のない不真面目な講師は、翌年の講義講師から外した。そこまで私はこだわった。私自身も講座講師として6コマを持って、受講者のレポートは全て添削した。2週間の期間中に、受講生とのメールのやり取りが優に1,000通を超えた。今にして思うと情熱をかけて良くやったと自負したい。

 

伝わったDNA

 幸いなことに、私が残したDNAは、科学工業英語教育(テクニカルライティング)と三次元CADとして残った。私の意図が当時の部下に伝承されて三次元CADが展開されている。それが救いである。担当者として一番手間がかかり、成果主義では評価されない関連仕入先の工場見学講座が消えた。大事な豊田佐吉のDNAを伝えるトヨタ産業技術記念館への見学講座が消えた。技術者に重要な講座であるのに。前職の会社が吸収合併されるのは悲しい。それで大事なDNAの伝承が途絶える。教育を怠った咎が表れるのは、20年後であろう。日産や三菱自動車のようにDNAに復讐される。

 経営者は決断したことだけではなく、決断をしなかったことにも責任を取らねばならない。経営者がするべき決断をしなかったので、前職の会社は時代に乗り遅れ、会社は消滅した。

 命を捧げて開国の決断をした井伊直弼大老は、日本の大事なDNAを後進に託して桜田門外に散った。それが欧米に植民地にされるのを防いだ。それで今の日本の繁栄がある。アジアではタイ以外の諸国が列強の植民地にされた。タイが植民地にされなかったのは、地理的な要因で列強がお互い手を出さなったからで、タイが頑張ったためではない。

 

図1 トヨタ産業技術記念館で豊田佐吉が作った機織り機での実演を見つめる受講生。トヨタ産業技術記念館は、世界最大の動態博物館である。全ての機械が動く状態で展示されている。初回の見学講座である。

図2 トヨタ産業技術記念館に展示されている豊田綱領

図3 当時の織機のライン(実際に稼働している状態を実演)

図4 鍛造工程の実演風景

図5 トヨタ最初のAA型乗用車の開発風景

図6 パートナーロボットのトランペット演奏を見つめる受講生 

 

2017-08-16

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

12004

2img_2557

32004

4img_2584

5img_2587

6img_2607

72年目の佛の目

 広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」は、2003年から米首都近郊のダレス国際空港脇にあるスミソニアン航空宇宙博物館の関連施設に、ピカピカの状態で展示されている。反核運動で知られるアメリカン大のカズニック教授は、共同通信に「20万人の命を奪った飛行機を展示する厚かましい国が他にあるか。抗議のため開館時に一緒に訪れた被爆者の落胆が忘れられない」と語った。長崎に原爆を投下したB29「ボックスカー」は、中西部オハイオ州の博物館で展示されている。(産経ニュース2016-05-22より)

 

戦後の歴史

 戦後72年が経って当事者が殆ど没したにも関わらず、米国ではいまだ白人優位、植民地拡大主義を封じ込めていない。太平洋戦争という歴史の結果に反省がない。トルーマン大統領が、言い訳の為に作った「原爆が戦争終結を早め、米国人を救った」のプロパガンダに米国民は洗脳されたままになっている。多くの女性子供を含め21万人以上を殺した罪の大きさを考えると、戦争責任など考えたくもないのだ。日本の戦争責任がいまだ言われるが、誰が戦争をせざるを得ない状況に追い込んだのか。「こんな私に誰がした?」。戦争になった結果があれば、その原因がある。結果の責任ばかりに話が行き、その真因の責任には誰も言及しない。トヨタ生産方式の「なぜ戦争になった? 何故、何故を5回繰り返す」べきなのだ。それがないから、戦後も世界で紛争が絶えない。真因を突き止め再発防止をしないから、今も巨悪が生き延びて生き血を吸い跋扈している。

 江戸末期、明治時代には、アジアで日本とタイ以外の国が、欧米の植民地にされ、それが戦後解放された事には、マスコミは口を閉ざす。当時の欧米列強も、植民地の犯罪に口を閉ざし、責任を認めない。アジア諸国が平和に暮らしていたのに、列強諸国が強盗のように乗り込んで、植民地にして民衆から搾取をした。英国がインドの植民地統治で、現地人を2,000万人も餓死させた。米国は、植民地のフィリピンで61万人を虐殺した。だれが責任を取ったのか。戦勝国だから、自国民もマスコミも追及しない。

 ドイツ国民が、ユダヤ人にしたホロコースト犯罪をすべてナチスに押し付けて、反省をしないのに似ている。だれがナチス党に選挙で票を入れたのか、ドイツの誰もが口をつぐんでいる。それを、日本を責めることで、自国に火の粉が舞わないようにしている。攻撃は最大の防御である。ドイツは日本の経済での競争相手としての躍進に面白くなく、反目しているのが見え見えである。

 現在の中共の民族虐殺のことに目をつぶり、過去の植民地政策の責任にも背を向け、金儲けのためAIBBに駆け参じる欧州列強の姿が現実である。

 米国、ドイツ等の欧米社会を見ていると、この72年間で全く、人として進化をしていない。あくまで金もうけが先行して政治が動いている。白人以外は人ではないとの考えが、戦前と変わっていない。中国では共産党員以外は人ではない。結果が、貧富の差の拡大である。

 世界最大の覇権国となった米国は、産軍複合体の維持のため、10年に1度は戦争をしなければならない体質となっている。兵器の在庫処分のためである。戦後、米国は、自作自演のトンキン湾事件を機に宣戦布告もせずベトナム戦争に突入する。ありもしない大量殺戮兵器所有を理由として、フセイン政府に宣戦布告もなしに湾岸戦争を始め、フセインを絞首刑にした。その目的は中東の石油の利権確保であった。いくら探しても大量殺戮兵器は見つからなかった。フセインの独裁政治のため何とかバランスの取れていた中東情勢が、この破壊を機に混乱し、現在の中東のテロの横行をもたした状況となっている。

 そんな傍若無人の米国の繁栄も100年を迎え、衰退の時期になったようだ。トランプ、クリントンの下劣な大統領選挙戦を見ると、米国の衰退を肌で感じる。国の繁栄も100年は続かない。それは墓石の寿命と同じである。スペイン・ポルトガル・オランダの世界征服を目指して船出した時代、日の沈まない大英国帝国の植民地拡大時代を経て、各国の繁栄はせいぜい100年であった。

 近隣諸国がぐちゃぐちゃと難癖の言いがかりを吠えてくるが、なにが真実か、なにが正しいのか自分の頭で考えたい。世の中では、まともでない人ほど、声が大きく非常識である。世の中の事象の真偽判別は、単純明快である。泥棒行為をして、声が大きければ、その非常識がまかり通る世界に住んでいる鬼たちとは付き合い方を考えよう。竹島問題、尖閣諸島、シベリア強制抑留、北朝鮮の日本人拉致問題、知的財産横領、靖国参拝問題、…… 冷静に歴史を振り返りたい。

 

強欲主義の跋扈

 仏教の思想では、自分の民族以外を民族抹殺、大量殺戮してでも目的達成という恐ろしい考えはない。ライオンでも満腹になれば、目の前のウサギも無視である。それに対して、白人の仮面を被った死鬼衆には、目的達成のための手段に限度がない。人の財産を総取りして、打ち負かした地の人間を皆殺しにするか、奴隷にする習性は、日本とは異質である。今のパナマ文書問題が象徴しているように、グローバル経済主義教は、欲望が人間の時間的、許容的な限度を天文学的に超えるまでに及ぶ。一人で何兆円もの金を隠してどうするのか。我々は、人類全体を何十回、何百回も皆殺しにできる核兵器を備えるまで行きついた。世界終焉の世界がまじかである。その元となる考えは、物欲からくる総取り思想である。

 現代は、世界の強欲に迎合するマスコミが跋扈する。そのマスコミは、大資本に迎合しないと売り上げが伸びないので、偏向した報道に徹している。そんな思想に染まらないように、自分の頭で考えて、日本の精神文化を広めて、日本は世界に範を示すべきだ。

 

日本精神文化の責任

 お釈迦様は2500年前、自分が生まれ育った国を他国に滅ぼされる憂き目を受けている。その際、お釈迦様は他国の軍を前にして3回、座って止めようとした。しかし、4回目は止めることをせず、他国に攻め滅ぼされた。お釈迦様は、武力に対して、武力ではなく対話と行動で止めようとした。今はその敵国は消滅したが、お釈迦様の思想は生き延びて輝いている。悟りを拓いた人は強い。無力な我々であるが、先祖から受け継いだ日本の非戦という精神文化を、後世に伝えるのが、我々の勤めである。

 

2017-08-16

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2017年8月15日 (火)

インプラント 31(謙虚)

3.31 謙虚であるか

研修終了証を誇示

 一流の人は、決して自分のことを誇示しない。一流かどうかは、世間が評価してくれる。しなくても、それとなく分かる。一流の人は謙虚である。それが本当のプロである。それ故、それを誇示する医院は、要注意であるとの信号となる。それが人を見る目、会社経営を見る目の眼の付け所である。この項目は、医院に限らず人や企業の選択の経営判断にしたい。名刺で、多くの名誉職の肩書きが列挙された人は、信用が置けないのが常識である。名刺とはその人物を表す看板である。名刺をみれば人物が分かる。私は名刺占いを趣味としている。

 私が通った歯科医院では、米国大学でのインプラント研修修了書や大学修了書(多分)等を、待合室の壁に8枚も掲示してあった。この行為は見せびらかしである。小さい字なので、遠くからは読めないので、掲示物の内容は推定である。読めない掲示物は無意味である。この種の研修は1日の研修もあれば、100時間に及ぶ研修もある。小さな文字の英文証明書では、少しはなれた場所に掲示されれば、内容は判別不能である。

 他の医院にもいろいろと通っていたが、こんなに多くの修了書を掲示してある医院は見たことがない。修了書はその研修を受講したとの証明であって、一定の技量を保証するが、一流を証明する証明書ではない。お金を出せば誰でも講習は受講できる。

 

他院の状況

 自分が通っている眼科医は他の眼科医が誉めるくらいの名医であるが、「眼科専門医」との名札が診察室の前に掲示されているだけだ。これは国の認定である。世界的名医である三好輝行先生の眼科にもこの種の表示はない。米国白内障学会コンペでの史上初の2度目のグランプリ受賞は掲示があった。これは名誉なことで広報すべきことだ。

 

2017-08-15

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

 

 

 

 

 

おみくじは一回で

 私は占い好きで、以前は必ず年2回、お宮さんに初詣に出掛けて、それぞれでおみくじを引いていた。一回目は元旦に実家のある大垣の八幡宮大社で、もう一回は、1月初旬の熱田神宮である。でも最近、おみくじを2回引くとは、ご神託に不信感を抱くことと気がついた。とりもなおさず、おみくじの神様を信じていないことに。最初に大吉なら、もう一回出れば間違いないはずと思い、2回目を引いてしまう。最初が凶なら、今度こそは大吉をとの思いで引く。それでは何のためにおみくじを引くのか? まるでポーカ遊びである。最近は、この世に起こることは全て必然だ、と感じている。大吉が出るのも、大凶が出るのも必然だと。

 

過去果、現在果、未来果

 仏教用語に「過去果、現在果、未来果」という三世の言葉がある。今の結果は過去に幾多の連綿とした選択の結果である。今の行動・決断・考えが、未来の結果になるという意味である。おみくじはその結果の象徴です。その現在の状況をどう判断するかが問われているのだ。要は、その出た卦をどう認識するか、だ。

 

 今が好調でおみくじが「大吉」なら、その有り難さを感謝して、反省はないか、確認して進めとのお告げである。おみくじが「大凶」なら、自身の行動を反省する。このままだと大凶になるぞとのお告げ。

 今が不調でおみくじが「大吉」なら、自身の行動を反省して、自信を持って決断前進せよとのお告げなのだ。おみくじが「大凶」なら、神様はお見通しなので、ご指示に従って行動せよとのお告げだ。

 神様も知恵者でいたずら好きです。最初が「大凶」で、もう一回おみくじを引く不届き者には、「大吉」を提示して安心させるかもしれない。そして本人は油断して、危機に陥る。でもそれは失敗の練習をさせて、成功への階段を一段上がる練習をさせるとの神様の深慮遠謀なのだ。神様株式会社は各出先で、品質保証をした商品「おみくじ」を配付している。2回もおみくじを引くのは、神様に不敬もはなはだしい。一回目で出たご神託を謙虚に受け止め、それに対して、この一年、どうするかが神様から問われている。神様は助けてはくれない。見守るだけだ。助けるのは自分自身なのだ。

 

組織としてのおみくじ

 日頃のリーダーの行動に問われる問題です。1回、2回とある事象が起こり、「凶」との信号が出るのだが、それを「吉」との都合のいいデータが出るまで、その信号を棚上げすることがよくある。都合のいいデータが出て、安心して「凶」のデータを忘れる。リーダーとして悪い情報は信じたくないのだ。そしてしばらくしてから組織が危機状態に陥る。まず謙虚に悪いデータを検討し、過剰でもいいから対策を考える。そうすれば、雪印乳業食中毒事件、三菱リコール隠し、タカタのエアバック事件は起こらなかった。

 

裸の王様

 社長の貴方は、良いデータだけを待っていませんか。それでは裸の王様である。そういうリーダーの元には「吉」のデータだけを報告する部下が集まる。そういう風に、部下を日頃の自分の言動で暗黙の教育したのだから。それこそ因果因縁である。そして、記者会見の場で、「凶」の報告が飛び出し、「その話は本当か?」と部下に聞く失態を見せるのだ。食中毒事件での雪印乳業社長のように。裸の王様を笑える人は幸せである。リーダーになれば、多かれ少なかれ、裸の王様になってしまう。そうならないことがいかに難しいか、それに気づくかどうかである。

 我々は、回りから多くの情報を「おみくじ」として受け取っている。それが己に対する上司、部下、同僚のからのお告げなのだ。自分の行動、部下の行動は正しいのか、間違っているのか、相手の些細な語調、しぐさから、それをおみくじ(情報)として、素直に受け取れる人が真のリーダーなのだ。

 

トヨタのおみくじ  前工程は神様  

 トヨタ生産方式の言葉として、「前工程は神様、後工程はお客様」がある。人のことより、自分ができることをお客様(後工程)のために全力を尽くせ、だ。自分の気づかない点を、指摘してくれる方が、神様なのだ。神様に対して、文句をいうのは不遜だ。自分のできることを精一杯する。それがお客様(後工程)に対する貢献となる。貢献に対するご褒美が、会社の利益、個人の給与なのだ。どうせ神様には逆らえない。そうやって、謙虚にカイゼンにカイゼンを重ねて、トヨタは勝ち組みになった。前工程(お客様)の要求が理不尽だ、横暴だ、無理だ、と言っていた会社が、負け組みになっていった。そしてそんな会社は、環境が悪い、時期が悪い、従業員が悪い、いや社長が悪いと、己のことは棚上げして言い訳だけを言う。そして市場から淘汰されていく。

 

天のおみくじ

 ダーウイン曰く「環境変化に対して最も素早く対応できた種だけが生き延びる」。日本にはもっと美しい言葉がある。「落葉一枚天下の秋を知る」。これもおみくじと同じだ。そのように解釈できる人が感性のある人である。環境変化こそが、社会からの「おみくじ」なのだ。神様(前工程)からの一言が「おみくじ」なのである。その一言にビジネスチャンスが埋まっている。その一言やささやきを聞き逃す人に、神様は冷淡である。運命の女神には前髪しかない。「おみくじ」が来ても、運命の女神の前髪を、一回目で掴まないと、通り過ぎた後では遅いのである。女神の後頭部ははげている。

神様代行に昇格

 今年(2003年)から、私は年初のおみくじを1回だけにした。今(2017年)は、おみくじを引かない。その年が「大吉」になるように、何をやるべきか、何を止めるかを年初に決めて、その年を驀進する。神様の代行を務めるつもりで働いている。

 

2017-08-15

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

外の常識は内の非常識

 「足るを知る」、「生きとし生きるものを慈しむ」という仏教の教えは、日本国内だけに通用する。日本外の世界は魑魅魍魎、弱肉強食の世界である。それは昔の植民地強奪競争時代ではなく、現代でもまかり通っている。周辺の国は危機に陥ったときを虎視眈々と狙っている。日本国内の常識とは別に、外の世界は別に価値観で回っていると認識しないと、国が滅びる。非武装中立は机上の空論である。武力を持たない仏教国のチベットは、中共に侵略され国体が破壊され、人口の20%(日本の人口に換算すると2,000万人)が虐殺された。ダマイ・ラマ師は亡命を余儀なくされた。過去70年間で、180以上の国が消滅した。話せば分かる衆生が住む日本にいると、道理が通じない金に飢えた野獣が跋扈する世界を忘れてしまう。時に身を炎に包まれながらも、105年間、目の前に展開する事実を見てきた室村町四丁目地蔵菩薩尊のように、冷酷な世界を冷静に見つめたい。助けると見せかけて、将来の侵略の作戦を密かに練っている外敵がいたし、今も虎視眈々と日本を狙っている鬼がいる

 下記の産経ニュース「湯浅博の世界読解」に考えさせられた。関東大震災(1923年)から20年後、米国は救援時に収集したデータから、1944年から本格化した日本本土空襲作戦の焼夷弾使用を立案した。

 

湯浅博の世界読解:

 2011年3月、東日本大震災の際に米軍はいち早く2万人動員の「トモダチ作戦」を展開した。中国は15人の救援隊を送ってきたが、1週間して帰国した。入れ替わりに軍艦を尖閣諸島に送りつけてきた。

 菅直人内閣の動きにロシアは「日本は御しやすい」と判断した。ロシアの空軍機は、「放射能測定」を理由に日本の領空ぎりぎりを飛び、中国の艦載ヘリは尖閣沖の海自艦に異常接近して、復旧の邪魔をした。

 香港の「東方日報」は地震発生の1週間後、尖閣を奪取すべきだと指摘した。「日本が大災害で混乱しているこの機会が絶好の機会である」と本音を吐いた。

 内紛や天災で国が乱れると、そのスキを突いて敵対勢力がなだれ込むのは国際政治の過酷な現実である。腹に一物ある周辺国は、危機に陥った時の日本の危機管理能力をじっと見ている。それが有事にも直結するからだ。

 関東大震災(1923年)の際、救援の外国勢と裏では虚々実々の駆け引きをしていた。日本海軍は地震発生とともに、国内3つの鎮守府から艦艇が急行した。連合艦隊が東京湾に向かった。このとき黄海にいた米太平洋艦隊も震災4日後に8隻が東京湾入りして、その早さに海軍当局者は度肝を抜かれた。

 米軍の救援部隊の中には情報要員が紛れ込んでいた。驚いたことに、この時の震災と火災の関連調査が、後の日本本土空襲作戦の立案の際、焼夷(しょうい)弾使用の参考にされた(防衛研究所ニュース通算86号)。

 上記は産経ニュース【湯浅博の世界読解:震災の弱みにつけ込む国々 国際政治の過酷な現実 2016/4/25】を編集しました。

 

2017-08-15

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

お金で智慧を買う

 お金を使って手に入れるのは智慧である。そのお金を使えるのが幸せである。お金を使えるのは、健康であることが前提である。その上で、体力も気力も夢もないと使えない。余命1年と宣告された病身では、お金は使えないし使う気にもなれない。お金を使える幸せを大事にしよう。そのうち使えなくなる日がやってくる。

 単にモノを買うのでは、お金を使ったことにならない。それは単に、お金がモノに変わっただけである。価値あるモノを売れば、同じ金額が返ってくる。安いものではそうは行かない。安もの買いの銭失いである。

 美味いものを食っても限度がある。立って半畳、寝て1畳、死ぬまで飲んでも1升、食べて丼1杯である。人間の体では知れたもの。それではお金を使い切れない。食べ過ぎ飲みすぎれば、病気になり、早死にである。

 

経験を買う

 お金を使うとは、体験への出費である。体験で智慧が湧く。それには時間も体力も必要だ。智慧を得うるための出費が、お金を使う行動である。学ぶ費用、師に会うための交通費、受講料、稀少価値の品の購入に智慧を費やす行動、出費が相当する。その過程で智慧を出す訓練が出来る。お金を賢く使うために、受け入れる器を大きくすることだ。貯めるばかりの人生は、小さな器の人生。入ってきたお金を世間に旅ださせて、そのおこぼれをあずかる気持ちで丁度よい。それを自分の所で止めて、貯めるからお金が腐ってくる。お金は生鮮食品である。気持ちよく旅出させてあげれば、お友達をつれて帰ってくる。目先に囚われて、出し渋りをすれば、相手も嫌気がさして去っていく。損をして得を取れである。

 高いものにはワケがある。高いものには創った人の魂がこもっている。お金を使うとは、自分の夢の実現のための投資行動である。20年後を夢見て、今の自分に投資をする。そのためには学びの器を大きくすること。学びに限度はない。学んで成長すれば、器も自然と大きくなる。不健康な器では、何も入らない。

 

智慧の披露

 学んで一杯になった器は、世間に披露しないといけない。日々、その舞台で自分の学んだ智慧が試される。会社での各場面が能舞台であり、仲間が観客である。果物屋の店頭が人生舞台で、来客がご祝儀である。そこでどんな演技をするのか、そこに自分の器に入れてある智慧が試される。商売では、その演技に失敗すると客は二度と来てはくれない。

 智慧は出し惜しみしてはダメである。どうせ持ってはあの世に行けない。智慧は出せば出すほど、自分にご褒美として帰ってくる。智慧を出す能力が磨かれる。

 

人生舞台で被る仮面

 人生では人が仮面を被って人生劇場の役者を演じている。ある人は教師を、ある人は警察官の仮面を被って演じている。その仮面をペルソナという。ペルソナとはラテン語で仮面と言う意味である。この語源でパーソナリティ(個性)と言う言葉が生まれた。個性とは、人が被る仮面のキャラクターである。人はその仮面を見て、その人の役割を期待する。その仮面を被ったら、その役割を演じなければ人の期待を裏切る「裏切り者」である。師の仮面をかぶったら、人よりも多く精進をして、お役に徹して舞台を演じねばならない。泥棒の仮面をかぶったら、真面目に泥棒をしなくてはなるまい。それが反面教師として、世の中に役立つ。ああいうことをしてはいけないのだと世間に教えるのだ。世の中が全て善人ばかりでは、世間の理に合わない。泥棒にも三分の理があるというように、統計解析的にも3σ(99.7%)外が三分である。その中にあって、危機意識を持って対処する。それでこそ、己の善が映える。

 

人生能舞台

 人生の舞台とは、幕が上がっている間だけが舞台ではない。幕が上がるまでの血みどろな練習時間、舞台の段を上がる時の挙動、舞台を下りるときの挙動も全て人生劇場の演技時間である。観客に見せる舞台での演技は、人生の一コマに過ぎない。一刻たりとも気を抜けない。観客は見ていなくても、神様仏様そして内なる己という仏が見つめている。

 一局を舞い、舞台を下りて初めて「人生織物」での横糸の一本が完成する。人生とはその連綿とした行動の積み重ねである。観客が見ている時だけが、舞台ではない。

 お盆に墓参りに行き、ご先祖様にこの1年間で己が舞った人生舞台の報告をする。それが胸を張ってできるかである。お墓参りもできないようでは、人生も終わりである。誰のお陰でこの世に生を受けたのか。手を合わせて、人生舞台でのお役を頂いたことに感謝をしよう。

 

2017-08-15

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

14

2017年8月14日 (月)

原爆投下を見つめた地蔵菩薩尊

 1945年7月29日のB-29爆撃機90機による大垣無差別爆撃で、室村四丁目地蔵菩薩尊が炎に包まれた。5日前の7月24日、東向きに建つ地蔵菩薩尊の目の前640mの場所に、米軍は広島に投下予定の原爆模擬爆弾を投下した。

 私は毎日の散歩の帰路にある大垣の被爆地の慰霊碑に手を合わす。ここに来ると日本の歴史と現代の状況を感じる。犠牲の方のご冥福を祈り「二度と日本がこんな目に遇わせられないように、我が国力を上げるべく貧者の一灯として精進します」と祈っている。この被爆の慰霊碑は、水門川沿いの大垣藩の藩校敬教堂跡に建つ孔子像の南側に、ひっそりと建てられている。昭和20年7月24日、米軍が広島に原爆を落とす前、原爆投下訓練のため、大垣市の県農業会大安支所に模擬原子爆弾を投下した。建屋は一瞬に吹っ飛び、職員は肉飛び骨散して10名が悲惨な最期を遂げた。その慰霊碑の真横に、母校の大垣北高「発祥地の碑」が建っている。その鎮魂の地蔵尊が新町浄園寺に祭られている(昭和51年7月建立)。

 

模擬原爆150回の投下訓練

 模擬原子爆弾は、広島と長崎への原爆投下訓練のため、米軍が作った重量4.5トンの爆弾で、長崎に投下されたプルトニウム原爆と同形で“パンプキン爆弾”である。昭和20年7月20日~8月14日の間、全国各地に約50発が投下され400人以上が犠牲になった。平成3年、愛知県の市民グループが、機密解除された米軍資料からこの事実を発見した。原爆開発のアメリカの現場では、日本で実験する前に、100回もその投下実験を繰り返して、完成に近づけていた。緻密な大量殺戮計画である。ナチス以上に緻密である。

 

広島と長崎への原爆投下は爆発実験

 原爆は、日本人が白人なら絶対に落とされなかった。国際法上でも原爆投下はジェノサイド(皆殺し)であり、その後ろめたさが故、米国の戦後の支援がある。ジェノサイドを認めたくないがため、米国内では下手にこの問題を掘り起こすと旧軍人会からヒステリーじみた感情で袋叩きにされる。1997年、エノラゲイ展を企画したスミソニアン博物館長は、辞任に追い込まれた。その経緯を米国スミソニアン博物館で目の当たりにした(1997年夏)。原爆開発は、巨額の政府予算に目が眩んだ拝金主義の鬼子であった。

 原爆の効果を検証するため、戦略爆撃から除外されていた広島と長崎に、米軍は二種類の原爆を投下した。ウラン型とプルトニウム型の原爆を比較するためである。米エネルギー省の出版物中では、広島と長崎への原爆投下は「爆発実験」の項に分類されている。

 

原爆開発の目的は金儲け

 この原爆開発の真の目的は、金儲けである。今のグロ-バル経済主義(拝金主義)を生んだ鬼子の親でもある。モルガン、デュポン、GEがこの原爆開発を担当して、ウラン型原爆は先に完成していた。プルトニウム型原爆の完成を待って、2つの原爆を爆発実験として投下した。万全を期すため、訓練として米国で100発、日本に模擬原子爆弾を50発も投下した。戦争を早期に終結する目的なら、プルトニウム型原爆の完成を待つ必要もなく、2種類もの原爆の爆発実験をする必要もなく、50発もの日本での投下訓練も不要である。当時、日本は戦争続行には資源が枯渇して、遅くとも昭和20年11月には降伏することが明白であり、それは日米両政府の周知の事実であった。原爆投下に反対であったルーズベルト大統領は、巨悪の都合に合わせるが如く、直前に愛人宅で怪死した。その死の状況は不自然である。

 

科学という呪縛

 原爆開発の科学者達は、徹底して情報が管理された。自分の研究以外は、何をしているのか全く分からないように、グローブスは科学者に与える情報を遮断させた。科学者は、自分に与えられたテーマだけを追い求めた。それが全体の中で、どんな意味を持つかは、聞いてはならない事項となった。科学者は自分のテーマに没頭して成果を出した。気が付くと、自分の手が女性子供の殺戮で血まみれになっていたことに、戦後、気が付くのであった。

 科学とは細部にどんどん分類していく学問である。全体像がどうなっているかは、問われない。今の現代の学問が抱える問題である。東洋の思想はそれを統合して考えるスタイルである。

 

出されなかった大統領の原爆投下命令

 そして後任の操り人形であるトルーマン大統領が、原爆投下の直接の原爆投下命令を出さないのに、軍部と政治の葛藤の合間のはざまで、いつの間にか原爆投下が実現した。ルーズベルト大統領の突然の死去で、大統領になったトルーマンは原爆開発の詳細は知らされていなかった。急遽、原爆計画責任者のグローブスから説明を受けたが、具体的な指示は何もしなかった。グローブスはそれで大統領から承認されたして、原爆開発を進めた。「準備が出来次第、順次、日本に原爆を投下せよ」と現場に指示を出した。トルーマン大統領は、ヤルタ会談からの帰路の船上で、広島原爆投下を報告され、自分が決断したとしてラジオ放送をせざるを得なかった。完全なる軍部の操り人形であった。1発目の広島は、軍事都市であるとの虚偽の報告書で、第一目標地にされた。その軍部の機械的なスケジュールに乗って、大統領の命令なしに原爆は広島に投下された。当初の第一目標地は京都であった。知日派の文官が強固に反対して、それが広島に変わった。自ら決断していない8月6日の原爆投下の結果に、狼狽えている間に、3日後の8月9日、2発目の原爆が長崎に落とされた。やっと目が覚めたトルーマン大統領が、以後の原爆投下中止命令を出した。そうでなければ、「準備出来次第、原爆を日本に落とせと」の原爆計画責任者のグローブスの軍事命令で、17発の原爆が投下の用意がされつつあった。トルーマン大統領が、正式に原爆投下を指示した書類は存在しない。それは米国を代表する7名の歴史学者が調査をして証言している。

 

軍部の成果主義

 トルーマンは、「原爆投下は軍事施設に限る」と日記に書いているが、原爆開発責任者のグローブスは、その逆に原爆の効果が最大になる都市を探していた。彼には女性子供が殺戮されることは、眼中になく、あくまで原爆の効果が最大になる場所が選定理由であった。広島は5キロ四方の先に山がそびえ、原爆の効果が最大になるから京都に代わって選ばれた。最初は京都が第一目標地で、軍部は5回も上申をしたが、政府に拒否されて、広島になった経緯がある。それも広島が軍事都市であると報告書をねつ造しての決定である。その頃になって、やっとトルーマン大統領は軍部の暴走に気が付いて、軍部を牽制しはじめたが、動き出したプロジェクトは大統領でも止めれなかった。組織の暴走の恐ろしさである。将来、ナチスを上回る無差別殺戮の責任を問われることを恐れたトルーマン大統領は、原爆が戦争を早期に終わらせ、米国人、日本人の命を救ったという嘘の「神話」を作りだし広報して、自分の道義的責任を放棄した。それを何千回も自分に言い聞かせて、1972年12月26日、27年間の「悪魔の神話」を胸に秘めて生涯を閉じた。自分で自分に洗脳教育をして、その罪を逃れたのだ。そうでもして自分を騙さないと、悪魔の己に慄いて、生きてはおられまい。その最大の被害者は米国人である。それがあるから、戦後、原爆水爆の開発が国民の意図に反して、人類を何度でも皆殺しにできる量の原爆が生産され続けた。産軍複合体に逆らったケネディ大統領は暗殺された。それ以来、歴代大統領は軍にモノが言えなくなった。米国の不幸である。

 

成果主義の強迫観念

 原爆計画責任者のグローブスが上司の許可を得ないまま原爆投下を急いだのは、単に22億ドルもの巨額の費用をかけたのに、その効果を実証しないと、戦後、その責任が問われると恐れたためである。だからその効果が最大になる都市を狙い、女性子供がいようが、彼にはそんなことは眼中になかった。その理由だけで、原爆投下の昭和20年だけでも、21万人が死亡した。成果主義による効果の金メダルである。(2017年放映 NHK広島製作 「原爆投下 知られざる作戦を追う」より作成)

 

だれが儲けたか

 原爆や原子力関係の商売は儲かる。それは福島第一原発事故の報道で明らかになった。原爆開発には日本の国家予算の3倍の金が使われた。その金は何所につぎ込まれ、誰が潤ったのか。金に目が眩むと人は死鬼衆になるのか。金儲けのためには、民族抹殺などは厭わないアーリア人のDNA が脈々と続いていた。彼らにとって、非白人は人間ではないと認識し、残虐の限りを尽くすることは歴史が示している。民族皆殺しなどの業は日本人には無縁の世界であるが、そんな鬼が身近に存在することを認識しないのでは身の破滅である。歴史に学ばない民族は滅ぶ。それを認識して人生を歩むべきである。きれいごとばかりでは殺される。日本の外側は鬼の住む世界である。

 

血のりのついたコンピュータ

 スミソニアン航空宇宙博物館にあるFAT MANのパネル説明は、素っ気無い。

「“My God,it worked. この開発が政府、大学、科学者、民間企業の総合力で遂行され、この開発のために膨大な計算がされ、その必要からコンピュータが開発された。そしてこの原爆はメキシコで実験され、長崎に投下され7万人の犠牲者を出した。第2次世界大戦はこの原爆とコンピュータの2つのブレークスルーを生み出した」

コンピュータとは原爆開発のために開発された血糊がついた武器でもある。

 

米軍の無差別空襲

 米軍による無差別空襲は、戦争法違反であり、死鬼衆としての非戦闘員皆殺し作戦である。日本人が非白人であるがゆえ、米軍が行った非道である。米軍による日本本土空襲は、1944年(昭和19年)末頃から熾烈となり、最終的には無差別爆撃(絨毯爆撃)として行われた。空襲は1945年(昭和20年)8月15日の終戦当日まで続き、全国(内地)で200以上の都市が被災し、死傷者数は各説あり100万とするものもある。被災人口は970万人に及んだ。被災面積は約1億9,100万坪(約6万4,000ヘクタール)で、内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災した。その他、多くの国宝・重要文化財が焼失した。

 都市部に対しては3月10日の東京大空襲を初めに夜間に低高度(高度2000m程度)から焼夷弾を集中投下する無差別爆撃を開始した。焼夷弾空襲は耐火性の低い日本の家屋に対して高い威力を発揮し、なかでも東京大空襲では市民10万人が殺された。それも周辺を火の海にして逃げ道を塞いでから、中心部に焼夷弾を落とした死鬼衆である。

 

人殺しに勲一等旭日大綬章

 カーチス・ルメイは、原爆投下(広島・長崎)などは戦争犯罪ではないかと主張されるが、米国が戦勝国であるため裁かれたことはない。無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイ自身が「もし米国が戦争に負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と語っているとも言われる。1964年12月7日、彼は日本の航空自衛隊育成の功として勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。勲一等は天皇が直接手渡す親綬が通例であるが、昭和天皇は親綬を拒否された。

 

パナマ文書を見届けて

 室村町四丁目地蔵菩薩尊の閉眼法要の10日後の2015年4月3日、パナマ文書が報道され149件の文書とともに発表された。パナマ文書で富裕層の租税回避が公開され世界中の政治問題となってきた。これの問題点は、全世界のGDP総額5,000兆円のなかで、富裕層の脱税行為として2,400兆円ものお金が租税回避地に隠匿されたことである。武器の死の商人の金集め、グローバル経済教の名目で、特権階級が集めたカネは世界GDP総額の半分近くに達する。富裕層が払うべき税金も払わないため、貧富の差が拡大していく。グローバル経済教とは、以前の植民地政策が金儲けを前面に出して、金儲けは良いことだと経典に刷り込んだ新興宗教である。このグローバル経済教は、仏教の「利他の心」とは対極の「利己主義」の教えである。グローバル経済教の布教の結果、貧困の拡大、貧富の格差拡大、金儲けだけの不健康な添加物まみれの食物の氾濫、戦争の拡大、難民問題が頻出している。心眼を開いて事実を観つめたい。何が真因なのかと。

 その事実が公表されたことに安堵するが如く、翌々日の4月5日、室村町四丁目地蔵菩薩尊は静かに室村町を去っていった。天網恢恢疎にして漏らさず。室村四丁目地蔵菩薩尊や「被爆地の碑」は、人間の強欲に起因する禍の歴史を教えてくれた。その証人のお役目は、大垣大悲禅院の谷汲観音菩薩に引き継がれた。

 

図1 被爆の碑と大垣北校発祥の地記念碑、向うに敬教堂跡と孔子像

図2、3 被爆の碑

図4 エノラ・ゲイ号展(スミソニアン博物館 1997年筆者撮影)

図5 リトルボーイ 広島に投下した原爆

図6 ファトマン 長崎に投下した原爆  1994年筆者撮影

 

2017-08-14

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

1p1050864

2img_3834

3p1080142

4b293_2

5

6

大垣空襲の生き証佛

 105年間、地域を見守って頂いた室村町四丁目地蔵菩薩尊像は、石寅の初代藤井寅吉氏が彫り上げた。当時45歳である。図1の写真は地蔵尊が彫られた明治43年の前年の情景を現している。右後方に国宝の大垣城が写っている。貴重な写真である。米軍の無差別空襲がなければ、国宝の大垣城も燃えることはなかった。戦争は人間を死鬼衆に変える。戦争の原因は、全て人間の欲から生まれる。

 当時はまだ若かった石寅の叔母さんが、「大垣空襲当時、お堀(当時はまだお堀があった)の壁から首を出して、目の前で自分の家が燃えていくのをなす術もなく見ていて、情けなかった」と回想されていた。非戦闘員や庶民の家屋に焼夷弾を落とし、非戦闘員を殺し、家屋を焼き尽くすのは戦争犯罪である。戦勝国のアメリカが、その罪の問われることはなかった。戦争になれば、戦争犯罪の区別などの綺麗ごとなどは知ったことではない状況に陥る。そういう歴史を見据えて、今後の日本の歩むべき道を考えたい。サヨクの妄言に迷わされては国が滅ぶ。

 

谷汲山観世音菩薩像

 室村町四丁目地蔵菩薩像が「引退」されて、大垣空襲の生き証人(生き佛?)は、大垣市内では、大悲禅寺の谷汲山観世音菩薩像だけになってしまった。あとは常盤神社の神殿前の狛犬と獅子だけである。寂しい限りである。歴史の証拠は我々人類の戒めとして保存せねばならないと思う。大悲禅寺は大垣城の鬼門の方角の護り寺である。

 2017年8月14日、改めて谷汲山観世音菩薩像を撮影した。谷汲山観世音様のお顔を望遠レンズで、遠方より水平に近い角度で撮影して詳細に見てみた。いつもの下から見上げて拝顔する時とは、印象の違う優しい素朴なお顔が現れた。初代藤井寅吉氏の心が表れているようだ。室村町四丁目地蔵菩薩尊のお顔と相通ずる趣がある。お体に焼夷弾の跡が残り痛々しい。大正15年建立で、御歳91歳、寅年生れである。石寅の初代藤井寅吉氏(寅年生)の製作である。

 

図1 明治42年当時の石寅

  左から2人目、初代藤井寅吉(慶応2年生(1866))、

  右から5人目、二代目藤井寅吉(藤井惣兵衛 明治35年生)

  右後ろに国宝の大垣城(昭和20年の大垣空襲で焼失)が写っている貴重な写真。

  その横は濃飛護国神社

図2 106年後の石寅で図1の写真と同じ方向から撮影

図3 大悲禅院(大垣市寺内町)

図4 大悲禅院の谷汲山観世音像 (下から見上げて)

図5 大悲禅院の谷汲山観世音像 (望遠レンズで)

  CANON 100-400mm f4.5 IS Ⅱ

  お体に焼夷弾の跡が残り痛々しい。

  大正15年建立石寅の初代藤井寅吉氏(寅年生)の製作。

  2017年8月14日撮影

 

2017-08-14

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

1p1080150

2

34k8a2712

44k8a2713

54k8a2726

2017年8月13日 (日)

インプラント 30(逃げる)

3.30 三十六計逃げるにしかず

  経営判断としてダメだと断定したら、速やかに撤退するのが鉄則である。織田信長は逃げ足の速いこと神風の如しであった。それができたからこそ、命を永らえ天下を統一できた。それを決断できなかった戦国の武将(国の経営者)は、国を失い、命のなくしている。松下幸之助翁はコンピュータ創成期に、大型コンピュータの市場から撤退をした。日立も富士通もその後、多くの企業が敗退した市場である。当時散々に非難されたが、後からは正しい決断であったと賞賛をされた。現代の経営者は、正しい撤退決断ができず、被害を増やし、赤字を増やしている例が多い。最近の日本には、中国からの撤退ができない経営者が多い。学習能力がないのか、金儲けに血迷っているのか。市場への参入や、企業の規模を大きくするのは容易である。しかし、撤退や規模の縮小には、難しさが伴う。それを決断できる経営者は少ない。

 インプラント手術の危険性を認知し、手術2時間前にキャンセルして、早々に、死神が住むインプラント総本山から遁走した。逃げること脱兎の如し。決断が間違っていたかもしれないが、直前に決断した自分を自分が誉めてあげたい。

 

エピソード

 関ヶ原の戦い(1600年)のとき、大垣城が石田三成の西軍本拠地であったため、徳川家康が率いる東軍に包囲された。その時大垣城内にいた石田三成の家来山田去暦の娘「おあむ」(当時16歳前後)が、落城寸前に、城の堀をたらいに乗って密かに大垣城を脱出して戦火を逃れた。その歴史伝承に由来する「たらい舟川下り」行事が、2003年から行われている。

 この伝承にあやかり、自分もたらい舟に乗舟してその脱出の感触を体験した。去年は単なるもの珍しさで乗舟しただけであった。昨年は学生アルバイトが舟頭であったが、今年の舟頭さんは、朝日電気の取締役会長さん(75歳)であった。お宮の氏子代表や高校のOB会の総幹事も勤めてみえるとか、東京で執り行われた守屋多々志画伯(大垣出身の文化勲章受賞画家)の葬儀にも地元から参列した4人のうちの一人であるとの話しまで舟上でしていただき、ご縁の不思議さを感じた。将来、社会奉仕でたらい舟舟頭になるのも一興である。

 

図1 たらい舟川下り   2012年11月4日 09:16

図2 上の石垣は築城当時のままの大垣城の石垣

   上の建物は大垣市役所

 

2017-08-13

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

1

2