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2017年8月14日 (月)

原爆投下を見つめた地蔵菩薩尊

 1945年7月29日のB-29爆撃機90機による大垣無差別爆撃で、室村四丁目地蔵菩薩尊が炎に包まれた。5日前の7月24日、東向きに建つ地蔵菩薩尊の目の前640mの場所に、米軍は広島に投下予定の原爆模擬爆弾を投下した。

 私は毎日の散歩の帰路にある大垣の被爆地の慰霊碑に手を合わす。ここに来ると日本の歴史と現代の状況を感じる。犠牲の方のご冥福を祈り「二度と日本がこんな目に遇わせられないように、我が国力を上げるべく貧者の一灯として精進します」と祈っている。この被爆の慰霊碑は、水門川沿いの大垣藩の藩校敬教堂跡に建つ孔子像の南側に、ひっそりと建てられている。昭和20年7月24日、米軍が広島に原爆を落とす前、原爆投下訓練のため、大垣市の県農業会大安支所に模擬原子爆弾を投下した。建屋は一瞬に吹っ飛び、職員は肉飛び骨散して10名が悲惨な最期を遂げた。その慰霊碑の真横に、母校の大垣北高「発祥地の碑」が建っている。その鎮魂の地蔵尊が新町浄園寺に祭られている(昭和51年7月建立)。

 

模擬原爆150回の投下訓練

 模擬原子爆弾は、広島と長崎への原爆投下訓練のため、米軍が作った重量4.5トンの爆弾で、長崎に投下されたプルトニウム原爆と同形で“パンプキン爆弾”である。昭和20年7月20日~8月14日の間、全国各地に約50発が投下され400人以上が犠牲になった。平成3年、愛知県の市民グループが、機密解除された米軍資料からこの事実を発見した。原爆開発のアメリカの現場では、日本で実験する前に、100回もその投下実験を繰り返して、完成に近づけていた。緻密な大量殺戮計画である。ナチス以上に緻密である。

 

広島と長崎への原爆投下は爆発実験

 原爆は、日本人が白人なら絶対に落とされなかった。国際法上でも原爆投下はジェノサイド(皆殺し)であり、その後ろめたさが故、米国の戦後の支援がある。ジェノサイドを認めたくないがため、米国内では下手にこの問題を掘り起こすと旧軍人会からヒステリーじみた感情で袋叩きにされる。1997年、エノラゲイ展を企画したスミソニアン博物館長は、辞任に追い込まれた。その経緯を米国スミソニアン博物館で目の当たりにした(1997年夏)。原爆開発は、巨額の政府予算に目が眩んだ拝金主義の鬼子であった。

 原爆の効果を検証するため、戦略爆撃から除外されていた広島と長崎に、米軍は二種類の原爆を投下した。ウラン型とプルトニウム型の原爆を比較するためである。米エネルギー省の出版物中では、広島と長崎への原爆投下は「爆発実験」の項に分類されている。

 

原爆開発の目的は金儲け

 この原爆開発の真の目的は、金儲けである。今のグロ-バル経済主義(拝金主義)を生んだ鬼子の親でもある。モルガン、デュポン、GEがこの原爆開発を担当して、ウラン型原爆は先に完成していた。プルトニウム型原爆の完成を待って、2つの原爆を爆発実験として投下した。万全を期すため、訓練として米国で100発、日本に模擬原子爆弾を50発も投下した。戦争を早期に終結する目的なら、プルトニウム型原爆の完成を待つ必要もなく、2種類もの原爆の爆発実験をする必要もなく、50発もの日本での投下訓練も不要である。当時、日本は戦争続行には資源が枯渇して、遅くとも昭和20年11月には降伏することが明白であり、それは日米両政府の周知の事実であった。原爆投下に反対であったルーズベルト大統領は、巨悪の都合に合わせるが如く、直前に愛人宅で怪死した。その死の状況は不自然である。

 

科学という呪縛

 原爆開発の科学者達は、徹底して情報が管理された。自分の研究以外は、何をしているのか全く分からないように、グローブスは科学者に与える情報を遮断させた。科学者は、自分に与えられたテーマだけを追い求めた。それが全体の中で、どんな意味を持つかは、聞いてはならない事項となった。科学者は自分のテーマに没頭して成果を出した。気が付くと、自分の手が女性子供の殺戮で血まみれになっていたことに、戦後、気が付くのであった。

 科学とは細部にどんどん分類していく学問である。全体像がどうなっているかは、問われない。今の現代の学問が抱える問題である。東洋の思想はそれを統合して考えるスタイルである。

 

出されなかった大統領の原爆投下命令

 そして後任の操り人形であるトルーマン大統領が、原爆投下の直接の原爆投下命令を出さないのに、軍部と政治の葛藤の合間のはざまで、いつの間にか原爆投下が実現した。ルーズベルト大統領の突然の死去で、大統領になったトルーマンは原爆開発の詳細は知らされていなかった。急遽、原爆計画責任者のグローブスから説明を受けたが、具体的な指示は何もしなかった。グローブスはそれで大統領から承認されたして、原爆開発を進めた。「準備が出来次第、順次、日本に原爆を投下せよ」と現場に指示を出した。トルーマン大統領は、ヤルタ会談からの帰路の船上で、広島原爆投下を報告され、自分が決断したとしてラジオ放送をせざるを得なかった。完全なる軍部の操り人形であった。1発目の広島は、軍事都市であるとの虚偽の報告書で、第一目標地にされた。その軍部の機械的なスケジュールに乗って、大統領の命令なしに原爆は広島に投下された。当初の第一目標地は京都であった。知日派の文官が強固に反対して、それが広島に変わった。自ら決断していない8月6日の原爆投下の結果に、狼狽えている間に、3日後の8月9日、2発目の原爆が長崎に落とされた。やっと目が覚めたトルーマン大統領が、以後の原爆投下中止命令を出した。そうでなければ、「準備出来次第、原爆を日本に落とせと」の原爆計画責任者のグローブスの軍事命令で、17発の原爆が投下の用意がされつつあった。トルーマン大統領が、正式に原爆投下を指示した書類は存在しない。それは米国を代表する7名の歴史学者が調査をして証言している。

 

軍部の成果主義

 トルーマンは、「原爆投下は軍事施設に限る」と日記に書いているが、原爆開発責任者のグローブスは、その逆に原爆の効果が最大になる都市を探していた。彼には女性子供が殺戮されることは、眼中になく、あくまで原爆の効果が最大になる場所が選定理由であった。広島は5キロ四方の先に山がそびえ、原爆の効果が最大になるから京都に代わって選ばれた。最初は京都が第一目標地で、軍部は5回も上申をしたが、政府に拒否されて、広島になった経緯がある。それも広島が軍事都市であると報告書をねつ造しての決定である。その頃になって、やっとトルーマン大統領は軍部の暴走に気が付いて、軍部を牽制しはじめたが、動き出したプロジェクトは大統領でも止めれなかった。組織の暴走の恐ろしさである。将来、ナチスを上回る無差別殺戮の責任を問われることを恐れたトルーマン大統領は、原爆が戦争を早期に終わらせ、米国人、日本人の命を救ったという嘘の「神話」を作りだし広報して、自分の道義的責任を放棄した。それを何千回も自分に言い聞かせて、1972年12月26日、27年間の「悪魔の神話」を胸に秘めて生涯を閉じた。自分で自分に洗脳教育をして、その罪を逃れたのだ。そうでもして自分を騙さないと、悪魔の己に慄いて、生きてはおられまい。その最大の被害者は米国人である。それがあるから、戦後、原爆水爆の開発が国民の意図に反して、人類を何度でも皆殺しにできる量の原爆が生産され続けた。産軍複合体に逆らったケネディ大統領は暗殺された。それ以来、歴代大統領は軍にモノが言えなくなった。米国の不幸である。

 

成果主義の強迫観念

 原爆計画責任者のグローブスが上司の許可を得ないまま原爆投下を急いだのは、単に22億ドルもの巨額の費用をかけたのに、その効果を実証しないと、戦後、その責任が問われると恐れたためである。だからその効果が最大になる都市を狙い、女性子供がいようが、彼にはそんなことは眼中になかった。その理由だけで、原爆投下の昭和20年だけでも、21万人が死亡した。成果主義による効果の金メダルである。(2017年放映 NHK広島製作 「原爆投下 知られざる作戦を追う」より作成)

 

だれが儲けたか

 原爆や原子力関係の商売は儲かる。それは福島第一原発事故の報道で明らかになった。原爆開発には日本の国家予算の3倍の金が使われた。その金は何所につぎ込まれ、誰が潤ったのか。金に目が眩むと人は死鬼衆になるのか。金儲けのためには、民族抹殺などは厭わないアーリア人のDNA が脈々と続いていた。彼らにとって、非白人は人間ではないと認識し、残虐の限りを尽くすることは歴史が示している。民族皆殺しなどの業は日本人には無縁の世界であるが、そんな鬼が身近に存在することを認識しないのでは身の破滅である。歴史に学ばない民族は滅ぶ。それを認識して人生を歩むべきである。きれいごとばかりでは殺される。日本の外側は鬼の住む世界である。

 

血のりのついたコンピュータ

 スミソニアン航空宇宙博物館にあるFAT MANのパネル説明は、素っ気無い。

「“My God,it worked. この開発が政府、大学、科学者、民間企業の総合力で遂行され、この開発のために膨大な計算がされ、その必要からコンピュータが開発された。そしてこの原爆はメキシコで実験され、長崎に投下され7万人の犠牲者を出した。第2次世界大戦はこの原爆とコンピュータの2つのブレークスルーを生み出した」

コンピュータとは原爆開発のために開発された血糊がついた武器でもある。

 

米軍の無差別空襲

 米軍による無差別空襲は、戦争法違反であり、死鬼衆としての非戦闘員皆殺し作戦である。日本人が非白人であるがゆえ、米軍が行った非道である。米軍による日本本土空襲は、1944年(昭和19年)末頃から熾烈となり、最終的には無差別爆撃(絨毯爆撃)として行われた。空襲は1945年(昭和20年)8月15日の終戦当日まで続き、全国(内地)で200以上の都市が被災し、死傷者数は各説あり100万とするものもある。被災人口は970万人に及んだ。被災面積は約1億9,100万坪(約6万4,000ヘクタール)で、内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災した。その他、多くの国宝・重要文化財が焼失した。

 都市部に対しては3月10日の東京大空襲を初めに夜間に低高度(高度2000m程度)から焼夷弾を集中投下する無差別爆撃を開始した。焼夷弾空襲は耐火性の低い日本の家屋に対して高い威力を発揮し、なかでも東京大空襲では市民10万人が殺された。それも周辺を火の海にして逃げ道を塞いでから、中心部に焼夷弾を落とした死鬼衆である。

 

人殺しに勲一等旭日大綬章

 カーチス・ルメイは、原爆投下(広島・長崎)などは戦争犯罪ではないかと主張されるが、米国が戦勝国であるため裁かれたことはない。無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイ自身が「もし米国が戦争に負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と語っているとも言われる。1964年12月7日、彼は日本の航空自衛隊育成の功として勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。勲一等は天皇が直接手渡す親綬が通例であるが、昭和天皇は親綬を拒否された。

 

パナマ文書を見届けて

 室村町四丁目地蔵菩薩尊の閉眼法要の10日後の2015年4月3日、パナマ文書が報道され149件の文書とともに発表された。パナマ文書で富裕層の租税回避が公開され世界中の政治問題となってきた。これの問題点は、全世界のGDP総額5,000兆円のなかで、富裕層の脱税行為として2,400兆円ものお金が租税回避地に隠匿されたことである。武器の死の商人の金集め、グローバル経済教の名目で、特権階級が集めたカネは世界GDP総額の半分近くに達する。富裕層が払うべき税金も払わないため、貧富の差が拡大していく。グローバル経済教とは、以前の植民地政策が金儲けを前面に出して、金儲けは良いことだと経典に刷り込んだ新興宗教である。このグローバル経済教は、仏教の「利他の心」とは対極の「利己主義」の教えである。グローバル経済教の布教の結果、貧困の拡大、貧富の格差拡大、金儲けだけの不健康な添加物まみれの食物の氾濫、戦争の拡大、難民問題が頻出している。心眼を開いて事実を観つめたい。何が真因なのかと。

 その事実が公表されたことに安堵するが如く、翌々日の4月5日、室村町四丁目地蔵菩薩尊は静かに室村町を去っていった。天網恢恢疎にして漏らさず。室村四丁目地蔵菩薩尊や「被爆地の碑」は、人間の強欲に起因する禍の歴史を教えてくれた。その証人のお役目は、大垣大悲禅院の谷汲観音菩薩に引き継がれた。

 

図1 被爆の碑と大垣北校発祥の地記念碑、向うに敬教堂跡と孔子像

図2、3 被爆の碑

図4 エノラ・ゲイ号展(スミソニアン博物館 1997年筆者撮影)

図5 リトルボーイ 広島に投下した原爆

図6 ファトマン 長崎に投下した原爆  1994年筆者撮影

 

2017-08-14

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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