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2017年7月

2017年7月 7日 (金)

ヤマハ掛川本社 ピアノ工場見学

 技術者(自動車部品開発者、工作機械開発者、生産技術開発者、人材育成担当者)としてピアノ製造工程に興味があり、その見学をお願いして、2013年12月17日、名古屋の販売課長の小川さんの案内で掛川の本社工場を見学した。普通は10名位のグループで見学ツアーを組むのだが、たまたま当日の見学者は私だけという幸運に恵まれた。工場案内者の西郷さんに各工程を案内して頂いた。

 ショールームには、明治天皇がお買い上げされ、練習もされたという1903年製造のピアノの音色を真横で聞かせていただいた。案内の西郷さんがスケールを弾いた。ピアノが「ご高齢」で完全な調律ができない状態とのことで、スケールを弾いただけで曲は弾かれなかった。それでも明治天皇が弾かれた音色と思いを馳せると何か感じるものがある。弾くことを勧められたが、畏れ多く辞退した。今思うと少し残念であった。このピアノは大阪の博覧会に出品され1等賞を獲得し、天皇家がお買い上げになった。その後、民間に払い下げられ、幾多のご縁を経て、ヤマハ本社に戻ったという。現在、近代化産業遺産として登録されている歴史の証人である。

 20世紀最大のピアニストと称されたロシアのスヴャトスラフ・テオフィーロヴィチ・リヒテルが来日時、演奏会で使ったコンサートピアノの前で記念撮影をした。早く弾けるようになりたいもの。しかし、この時も今も私はまだリヒテルの偉大さが理解できていない。なにせレコードを聴いていないので評価をしようがない。今まではジャズ一本槍で、まだクラッシックに疎く、興味を持ち始めたったばかりで、その面の知識が疎い。

ショールーム全体の雰囲気は素晴らしい。

 惜しむらくは、創業者の紹介パネルの英文である。学校英語の書き方で、世界の音楽家や著名人が見学に訪れるヤマハの看板ショールームのパネルとしてお粗末である。テクニカルライティングにこだわりのある私から見て、ビジネスとしての正しい簡潔な英語になっていないのが残念である。英語ができるのと、世界に通用するビジネス英文を書けるのとは、全く別の世界である。外国なら子供でも英語ができる。しかしその英語は、ビジネス社会では通用しない。それは日本語でも同じである。またルビが振ってある日本語であるが、小さい子を対象としたのは分かるが、ピアノを弾くようなレベルの高い子を対象にしているはずで、ルビは不要ではないか。これを読む大多数の人には、ルビはうっとうしい。

 この時点(2013年12月)では、猫足のピアノを発注したばかりで、納期は半年先であった。2014年4月1日の消費税8%アップ前に、おりこうさんな猫足のピアノは、3月末に滑り込みセーフで日暮れの夕刻、猫足でソーッと自宅にやってきた。

 

図1 明治天皇ご愛用のピアノ

図2 説明書

図3 最初のオルガン

図4 日本楽器製造株式の表示のあるピアノ

図5 昭和初期のピアノ

図6 小室哲哉のスペシャルEXPOピアノ

図7 リヒテルが使ったピアノ

図8 リヒテルのピアノの前で

図9 ヤマハ創業者 山葉寅楠の説明パネル

図9 ヤマハショールーム

 

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久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

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ピアノ騒音殺人事件 3/9

ピアノからエレクトーンへ、40年経ってグランドピアノへ

 私は学生時代からジャズに興味がありLPレコード収集やジャズ喫茶めぐりをしていた。特にジャズピアノに魅入らせられて、自分でも弾きたいと思うようになり、手始めにエレクトーンを検討した。ところが会社に入社して2年目の1974年、神奈川県平塚市の県営団地で、ピアノ騒音殺人事件が起きた。子供2人を含む一家3人が刺殺された。このため騒音の点で、ヘッドフォンで聞けるエレクトーンの選択は必然となった。最初は普通の初心者用エレクトーン(25万円程)を購入し、その後に、コンボオルガンYC-45D(定価80万円を中古で30万円ほど)を手に入れた。

 しかしジャズの32音符が並ぶ楽譜を見て、とても凡人にはこなせるものでないことを悟りもし、ヤマハ・エレクトーン教室に3年も通ってもモノにもならず、教室でもレッスンの仲間にも付いていけなくなり、「身を引いた」。それよりも仕事が忙しくなり、レッスンどころではなくなったのが真因であった。今思うと、仕事に生きがいを感じて、仕事に没頭できたのは幸せであった。そうでない仲間も数多く見てきた。

 ヤマハ・エレクトーン教室に入って驚いたのは、10人くらいの教室で、男性は私一人であったこと。全く想定外で焦ったが、一度決めたことを覆すのは不本意であり、意を決して、そのまま教室に通った。色気に惑い?その気になってアタックをした女性もいないわけではないが、こういう状況ではうまくいかないのが常のようだ。

 当時、本当は生ピアノが欲しかったのだが、アパート住まいでは、夢の夢であった。それが40年経って、我が家に実現して我ながら驚いている。それもアップライトではなく、グランドピアノが買えた。完全な防音室にも改築した。総額1千万円の出費で、三度の飯にも事欠くような貧乏?にはなったが(ダイエットのため)、心が豊かになり、ピアノを練習する時間的余裕もできた。著名なピアニスト河村義子先生から個人レッスンを受けるご縁も授かった。やはり夢は追い続けるものだ。

 

図4 ヤマハ コンボオルガン YC-45D (ヤマハHPより)

 

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娘に残す智慧の舌、息子に与える勤労の香

 

娘に残す味覚

 姫路のある眼科医から聞いた娘に残す遺産の話である。彼は、娘の舌を正しく育てることで遺産としたという。変なものは食べさせず、良い物だけを食べさせているという。良いものを食べさせるのはお金がかかる。その真意は、娘の舌の味覚の育成である。舌の記憶は、万巻の書を読んでも身に付かない。ただ体験あるのみである。それは智慧の世界である。

娘は将来他家にお嫁に行く。嫁いだ先の家の姑の料理を作るとき、変な味覚に染まった舌だと、姑さんに好かれる料理が作れない。結果として姑に嫌われて、不幸な嫁生活となる。良いものを食べさせるのは、それを防ぐためで、それが娘の幸せにつながる。いくら財産を持って嫁に行っても、相手の家風の料理に合わず、姑に嫌われれば不幸である。だから正しい味覚の舌を娘に残すのが最大に遺産である。それは健全な料理を生み、結果として長寿となる。化学調味料や砂糖漬けで味付けされた食品、ファーストフード、フミレス、スナック菓子等の味に馴染んだ舌では、姑さんの気に入られるはずがない。

その反対の極致は、隣国財閥の娘、ナッツリターン姫である。その姫は舌どころか腐臭も感知しない鼻を親から遺産として受け継いだ。

息子に与える人徳

 同じことが息子にも言える。大抵の場合、息子は将来、宮仕えする身である。美しく正しく躾をされた子供は、素直な性格に育ち、嫌われるような性格にはならない。その素直な性格が最大の遺産である。将来の上司に嫌われては、出世もおぼつかない。自分も部下を持って感じたことは、煮ても焼いても、箸に棒もかからない性格の部下など、面倒を見たくもない、である。部下の親の顔を見てみたいと何度思ったことか。当然、本人の査定も辛くなる。こんなテイラクでは親から多大な遺産をもらっても、人生の幸福はありえない。

 朱に交われば赤くなる。自分の性格を形作るのは師、友人の交友関係である。その交友関係の人間で、変な匂いのある人と付き合うと、変な臭いが染み付く。そんな危険な臭いが付くのを防ぐのが必要だ。そんな人たちとの付き合いを避ける方法は、親が背中で模範を示すべきだ。

 佳き香を焚くとなんともいえぬ佳き匂いが漂う。その人がそこに存在するとその場が和む。息子はそんな存在の人になって欲しいと親が思い、そのように育てるのが無形に財産である。

 香木の白檀の香りはお釈迦様の香りとされ、お釈迦様が歩いてみえると、その香りで1里先からでも分かると言われる。そんな高尚な香りまでは望まないが、せめて人様にさわやかな雰囲気を放つ人に育てたい。回りの人へ悪臭を撒き散らすような存在では、息子の将来の出世は夢の夢。佳き香りを染み込ませた性格が、子供への価値ある遺産となる。

開眼法要の引き出物、白檀のお線香

 私の自家のお墓の開眼法要での引き出物に、松本明慶工房の白檀のお線香を選定した。松本明慶工房で佛像を彫った時に出る削り屑で作られたお線香である。お釈迦様は35歳で悟りを開かれた。お釈迦様が歩いてこられると、1里先からよい匂いがしてきてお釈迦様が来られるのが分かったという。インドでは白檀は佛が宿る木として尊重されており、最高の香木とされている。白檀はお釈迦様の香木とされている。

総白檀の佛像とのご縁

 松本明慶師は高さ5mの木造大佛・不動明王を総白檀で製作され、厳島大願寺に納佛された。その製作過程は、NHKドキュメント「仏心大器(平成の仏師・大仏に挑む」(2006年)をオンデマンドで閲覧ください。私はこのドキュメントに魅せられて、何度もこのビデオを見て松本明慶大佛師のファンになった。この大きさの大佛を総白檀で造佛するのは1,400年の大佛造り歴史の中で初めてである。白檀は佛の宿る木とも言われ、鋼鉄のように硬い香木である。それ故彫刻には最高の木である。佛像という伝統工芸の制限多き世界での新技法の開発は、創造性そのものである。その過程で多くの工夫が盛り込まれ、汗と涙の苦労が窺える。

 総白檀の大佛製作には大量の白檀の材木が必要である。白檀は輸出制限のある木で、大量の白檀の木の入手にはインド政府の許可が必要だが、それがなかなか許可されなかった。担当部署にいくら説明してもその利用法が理解されないため、許可が下りない。インド政府曰く、「ラジブ・ガンジー首相を荼毘に附すために使った白檀の総量が4トンである。それなのに23トンもの白檀をよこせとは何事か」である。松本明慶先生は、その必要性を説明するため、白檀で製作する大佛と同じ構成で、紅松(ロシア産)で実物大の雛形大佛を作成して、白檀の木を無駄には使わないことをインド政府に実物で説明して理解を得た。

 

 白檀の産出国はインド、インドネシア、オーストラリアなど。太平洋諸島に広く分布するが、ニュージーランド、ハワイ、フィジーなどの白檀は香りが少なく、香木としての利用は少ない。インドのマイソール地方で産する白檀が最も高品質とされ、老山白檀という別称で呼ばれる。雌雄異株で周りに植物がないと生育しないので栽培は大変困難で、年々入手が難しくなっている。インド政府により伐採制限・輸出規制が掛けられている。

 

私が両親からもらった遺産

 母からは生きていく智慧と人の道であった。母は戦後、裸一貫で、父と共に働き、私に物心両面で多くのものを残してくれた。それは表面的なもので、その背景にある智慧と法要や付き合いでの人の道が最大の遺産であった。今は、母よりも私の人を見る眼が厳しすぎて困っているが、それでもそれが己の戒めとなって、まっすぐな道を歩む道標となっている。

 父からの遺産は、母と同じであるが、勤勉さであった。父は正月三が日に家にいたためしがない。仕事である。父は普通の休みの日も洋裁の内職をしていた。父はオーミケンシの警務係で、会社の門を守っていた。正月三が日でも、会社として誰かは門にいなくてはならない。同僚は三が日に出るのを嫌がっているため、父がいつも引き受けていた。なにせ残業手当が100%増しである。いつもそのため、父の残業手当が多すぎると人事部から睨まれていたほど。私は両親から、一度も勉強をせよとは言われなかったが、両親が、本職、内職で私のために働いている後ろ姿をみると、遊び惚けているわけにはいかない。父は小さい頃、あまり勉強をせず、遊んでばかりいたので、小学校尋常科を出てすぐ、口減らしの意味も含めて洋裁店に丁稚に出された。祖父が事故で若くして亡くなったので、家族は生活が大変だった。小さい頃に他人の飯を食って育ったので、苦労をしている。それがシベリア抑留されたとき、職人としての腕があったのと、苦労をしているので人から恨まれるような振舞いはしないという智慧がある為、結果として屋内工場でミシンの仕事に回されて命が助かった。他の人は零下20度の極寒の中の厳しい屋外労働で、多くの仲間が倒れていった。何が幸いするか、佛の采配は不思議である。

 今、振り返ると、大した贅沢もせず、息子のために働いてくれた両親の後ろ姿が、最大の遺産である。それがあるから、今の私がある。

 

後進に残す誇りと香り

 2015年、お墓の改建のおり、1734年没のご先祖にたどり着き、それを振り返って考えると、現在、自分が貰いたい遺産、後進に残したい遺産が何であるかが明白になった。ご先祖探しの調査の結果、ご先祖は「黄鶴 北尾道仙」という敬称が付けられていた。詳細は不明であるが、生前に芸の面か社会への貢献が偉大であったようだ。そんなご先祖を持って感じるのは、自分がその子孫であるという誇りである。その誇りがあると、生きていく力と、これから自分が何を社会に貢献できるかが刃として己に突き刺さる。その誇りを生む最大の要素は勤勉と人の道である。自分が世を去るとき、後進が誇りをもって自分の後継者であったと思ってくれることほど嬉しいことはない。それが佛の香りと誇りとして後進に伝われば最高である。

 

図1 白檀線香の説明書

 

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2017年7月 6日 (木)

ピアノ騒音殺人事件 2/3

子供の音に対する感受性

 2013年12月、ヤマハ名古屋店の鍵盤売り場に顔を出し、販売課長さんと話していたら、小さい子が展示ピアノの試騨をはじめた。販売課長さんとの会話を妨害するような傍若無人の音程、音量(騒音)で弾き始めたので、なんと汚い弾き方かと相手を凝視してしまった。つられて横に立っている母親の顔を見たが、風体はセレブ風ではあるが、下品な雰囲気が感じられた。子供は立派に音階どおりのそれ相応に弾いているのだが、なにせ聞いていて汚く不快感が伝わってくる。子供は親の後姿を見て育つ、を思い出してしまった。

 ピアノ騒音殺人事件後、警察が騒音を測定するため、犯行のあった部屋でピアノを弾いて上階の部屋で聴こえる騒音レベルを測定したが、44デシベル程度あった。しかしそれは警察関係者が普通に弾いて形式的に測定しただけだ。条例では40~45デシベルは「睡眠が妨げられる、病気のとき寝ていられない」とされていた。しかし小学2年生の子が、親を意識して意図的に弾くピアノは、警察官が普通の感性で弾くのに比べれば、条例の音圧レベル以上に不快感を与える響きが凄かったと思われる。音にも品位と優しさもあれば下品な音もある。音に対して下品な感性しかないと、ピアノを弾いても、機械的な音しか出せず、優しさのある繊細な音は出ない。

 その原因は、親の影響を受けて育った子の、音に対する感性の劣化であった。被害者の家庭は、父親が日曜大工で大きな騒音を立てるのが日常茶飯事であった。音に対する感性が劣化していた。殺害された子供は、犯人が回覧板を持っていったときに無邪気に「おじちゃん、人間生きていれば音が出るのよ」と犯人にそう話しかけた。それは両親が、日頃言っていた言葉をそのままオウム返しに言ったにすぎない。そういう親から免罪符を貰った子供が立てるピアノの音は、聞くに堪えない。

 

脳の発達

 小さい子供は、親の直接の躾と後姿を見て育ち、脳の思考回路が形成される。毎日、音をガサツに立てる親からの「訓練」を毎日受けると、脳の回路がそのように形成される。一日20回そんな音を聞かされると、年7,300回、7年間で51,100回のガサツな音を聞くという思考回路が形成される。それで脳の思考回路の80%が完成する。その過程で、親の教育姿勢、音の感受性が子供の脳に定着される。良いことも悪いことも、脳には純粋な情報として吸収され、脳の成長に影響を与える。今回の事件も、親の資質と無意識に与えた躾と育成環境が、子供の脳の生育に大きな影響を与えた。

 小家族の中で育った子は、大家族の中の子と違い、回りの大人の音の出し方(出さない生活マナー)を学ぶ機会がなく、核家族として気ままに生きた親の後姿からの教育は、問題があった。核家族化のために作られた団地は、大家族主義を崩壊させるために米国占領軍が敷いた施策の一つとも言われる。日本の家制度の破壊の一手段として広まり、日本人の相手を慮る精神が荒廃していった。それこそが、戦争で日本人の精神の恐ろしさに震え上がった米国が考えた、二度と日本が立ち上がれないように仕組んだ復讐シナリオの一つであった。

日本人の音への感性の劣化

 殺害された女の子が言った「人間生きていれば音が出るのよ」とは、動物界の話である。だから動物とは違う人間は、特に日本人は長い期間を掛けて、紙と木でできた住居の中、音で人に迷惑を掛けない日本独特の文化を作り上げた。それが戦後の核家族化、テレビ文化、アメリカ化でその文化が壊れていった。日本再生を恐れた米国が、その文化を壊れるように占領政策で仕組んだといえる。

音は目で観ないといけない。音には人間の心のメッセージが込められている。例えば、姑が嫁に小言を言って、「わかりましたね」、「ハイ、お母様」といって嫁が引き下がるとき、襖をピシッと大きな音を立てて閉めれば、そこに嫁の心が表現されている。それを、音を目で観るという。それが観音菩薩信仰である。

 それに対して欧米では、言わなければ何も伝わらない。自己主張がなければ成り立たない文化である。相手の心を読むという繊細な文化は育たない。そこに欧米のテクニカルライティングの文化と、天声人語に代表される文芸と仕事をごちゃまぜにする文化との差である。それも先の太平洋戦争の遠因になっている。欧米は強欲・利己の文化で、日本は共生・利他の文化である。

 その大事な日本人の心が米国の陰謀で破壊されたので、ピアノ騒音殺人事件が起きた。世の中に起こることは、全て因果である。真因を探さず対処療法で済ませるから、益々混迷の世界に迷いこむ。防音処理は対処療法である。心を直さないと、事件は別の形で再発する。例えば、ピアノの練習時間を通知して、騒音の被害者の相手に了解をもらう配慮をしていれば、この殺人事件は起こらなかった。私の経験でも、このピアノ騒音はいつまで続くのかという不安があるから、怒りが爆発する。

 3DKのウサギ小屋に住む人間には、我が子が弾くピアノは、ステータスとしても自慢の象徴である。子供が鳴らす無神経なピアノ騒音の中に、その家庭の「自分達だけよければよい、他人は知ったことではない」という心情を観る。観音菩薩と不動明王がそれを見て、間違った方向にアメリカナイズされつつある日本人に、目を覚ます鉄槌を加えたのではないか。

 その真因を追及せず対処療法ですませたため、現在でも、無神経にたてる騒音で問題が起きている。スマホの迷惑行為、静かな場所での携帯電話の大声通話、iPod等の音漏れの無配慮、身につけた鈴のチリンチリンの甲高い騒音、静かな場所でキーボードを叩くカシャカシャ音等の無神経な騒音が、暴力事件を引き起こしている。ピアノ騒音殺人事件はまだ終わっていない。

 

図3 脳の発達と心の発達

 

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2017年7月 5日 (水)

カモがネギを背負ってやってきた

文章から見る人相

 私は文章の一字一句や体裁、表・グラフの書き方等から、その文書、稟議書、計画書等のレベルを評価して、作成者の人物像・能力を占っている。スキのない書類は、各面への考慮が滲み出ているから,当然その文書の本質では充分に検討がしてあり、信頼に耐えうると判断できる。当然の結果として、作成者は仕事の出来る人である。

 

 ところがこれが逆だと、内容はおろか,そのデータの信頼性まで疑ってかからねばならない。この情報が含まれている前提で文書をチェックすると、落とし穴にはまる危険性が少ない。普通の住居でゴキブリが一匹目についたら、その家には100匹のゴキブリが住むと言われる。同じように書類で一つの間違いが目につくと、他にも多くの間違いがあると考えるのが自然である。そんな書類をそのまま上司に出したら、チェックした自分の能力や仕事の責任が問われる。

 

 旅館の女将や水商売の女は、客の靴を見て人物を判断するそうだが、ビジネス文の判断でも同じ手法でものが言えると思う。私はこの手法で文書内容や著者の誠意を計る大きな判断指標の一つにしている。経済や自然界の事象でも、僅かな変化と材料でその将来や全体像を推しはかる能力が求められている。文章の内容判断でも同じことである。

 

 これは小さな依頼業務の出来ばえで、その人の仕事能力、神経、熱意が全てわかると同じである。これこそ全てのビジネスの事象に適用できる。それが分からなければ、貴方の感性が鈍く、危機管理意識が薄いのだ。僅かな変化やおかしいと感じる力、これも危機管理である。それが自分や組織への危機を未然に防いでくれる。社長の自分一人では、なにもできない。そのとき誰に何を頼むかで、プロジェクトの成否が決まる。社長の貴方はそういう風に見られているし、見なければならない。だから自分の仕事を決して手抜きをしてはならない。それこそが、危機管理の基本原則である。

 

 

カモがネギを背負ってやってきた。

 

 2017年5月末、簡易書留で私宛てに脅迫状まがいの文書が届いた。その内容は私の所有地と相手側の境界線に絡む問題であった。しかしその内容を見て笑ってしまった。あまりのお粗末さに呆れ、正規の対抗処置を司法書士と相談しながら、牙を磨いていた。その後、6月初旬、2回目の脅迫状が内容証明付きでやってきた。こんどは大笑いである。文書のプロの私に、こんなレベルの文書を私に送り付けるのは、カモがネギを背負ってくるようなもの。

 その文書も公式文書として通用しない。私が「恐れながら…..」と相手に社長に訴え出れば、この欠陥文書を送り付けた店長の首は間違いない。

 このように、文書の書き方如何で、人の首さえ切ることができる。自分が切られる恐ろしさもある。別に刀が無くても文書で人を殺せる。ビジネスマンの武器は文書である。ご用心、ご用心。鉄砲は、目の前の敵だけが相手であるが、文書は全世界を相手に戦える飛び道具である。それが私の商売である。

 

一通目の文書は、下記問題と齟齬が多すぎて公式文書として通用しない。

・民法に照らして、間違った住所の記載では対象物件の住所が特定できない、

・指定された物件は「駐車場」でなく「車庫」(駐車場は建物がない物件)、

・自社の会社名をも間違えている(濁点の変換ミス)、

・日付がない、

・管理文書番号がない、

・会社代表者の印がない(上司承認印がない)、

・担当者のフルネームがない(姓名だけ)、

・担当者の印がない、

・担当者が現地を確認していない(事実誤認がある)、

・まだ被害が出ていない段階で、損害の話をするのは脅迫まがい、

・一方的な施行指示の文書である、

・文書のタイトルがない、

・日本語がお粗末な文章でおかしい、

・この物件は50年間以上もどこからも苦情を受けていない。

問題があるなら、この問題を売買契約書で「重要告知」で承認したはず。

 

二通目の文書も、下記の問題があり公式文書として通用しない。

・書いた日付と郵便局受付日に齟齬がある。

・問題となった対象物件の番地が間違っている。

・県名が間違っている。

・代理人の印が明らかに三文判。

  後日、当の委任者に見せたら、この文書は初めて見たとのこと。

・現地の確認、当事者同士の話し合いもない状態で、損害賠償の予告通知を送り付けるのは、日本の常識に照らして脅迫に値する。

・署名欄に会社印もなければ、上司の社長印もない。

・送り付けた封筒に手書きの住所記載(会社なら社の住所印を押す)

・司法書士が調べたら、相手の建屋は登記がされていなかった、、、、

  当事者が騙されて不動産屋から買わされたようだ。

 

またこの会社のホームページを見て笑ってしまった。会社のHP、会社案内、名刺を見れば、その会社の概要とレベルが露見する。著作権の関係で、それが引用掲載できないのが残念。

 

相手の不動産屋の身元調査

 この会社は過去2回の宅地業者として免許が更新されているが(司法書士が調査)、3回目が通るか大いに興味がある。私が、当局に「恐れながら・・」と通告すれば、何らかの影響はあるだろう。そんなバカなことはしませんがね。会社創業10年後に、95%の会社が消える(国税庁資料)。他人事ながら心配になってきた。

 

現地確認・当事者同士の話し合い

 それから、司法書士に相談して、返信の文書を作成してもらい、6月中旬に内容証明付きで当事者に送った。今回のかかった費用は交通費等を含めて3万円弱。だれがその費用を負担してくれるのか、怒れてしまう。まあこれは国防費に相当する必要経費を思わねばなるまい。司法書士に指導されて、その回答書は業者には送らなかった。送れば、相手の思うつぼカモしれない。6月下旬、現地に赴き、業者を除いて当事者同士の話し合いをして、本件は穏便に解決した。相手の当事者は、この手紙の内容を全く知らず、大恐縮の平謝りであった。当事者の本人は直接、私と話したいと相手の業者に言ったが、それを業者は強く止めたとのこと。当事者はその業者に怒り心頭であった。

 

後日談

 本件を訴訟の観点で司法書士に相談したら、「相手は、敢えて会社の印を押さず、非公式文書として、自筆の住所で書類を送り付けたと言い訳する含みがある。あくまで依頼人から依頼を受けて出しただけの手紙で、裁判になっても会社は関係ないと逃げる。そのスジの危ない仕事をやっている不動産屋みたいで、その辺はわきまえている。」と。

 手紙の書き方があまりにお粗末なのは、その業界のレベルである。そんな人しかこの業界には入ってこない。こんなレベルの文書でも、大抵の人はビビッてしまうだろう。この種の問題は、正しい知識で、不当な要求には弁護士や司法書士のプロと相談して、毅然として対処すべきである。また経営者の皆さんは、部下の文書の確実な管理が必要です。それは会社の存亡に関わります。存亡でなくとも、会社の信用問題に発展します。

 本当は、原文をしかるべき部分を塗りつぶして掲載したかったが、相談した司法書士に止められた。あえて身を危険にさらすことは愚かであると納得した。

 

その筋のお方の手口

 ある料理人から聞いた話で、その筋のお方がホテルのレストランで座っていて、コーヒを運んでいたウエイトレスに、わざと動いてそのコーヒを少しこぼさせ己のスーツを汚させたという。普通はクリーニング代だけで済むのだが、そこはその筋のお方「新品のスーツをどないしてくれるんや!」とドスノ効いた声で言いがかりをつけた。ホテルマンは隣の高島屋に連れていかれて、数十万のスーツを買わされて弁償させられたとのこと。その筋のお方は、そういうお金は保険で下りることを熟知しており、ホテル側もわきまえて対応するとのこと。それで誰も損をしない。かようにその筋の方と絡むと恐ろしい目に会うので、早々に手を引いた次第です。持つべきは知識と、弁護士、弁理士、司法書士である。素人の生兵法は危険であることを学んだ。この歳になって、まだまだ知らないことばかりです。もしかしたら、私がカモになっていたかもしれない。あな恐ろしや。

 

2017-07-05

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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ピアノ騒音殺人事件 1/3

 1974年8月28日朝、神奈川県平塚市でピアノの騒音を理由として、母子3人が殺害された。3日後、逮捕されたのは一家の上の階に住む無職の男(当時46歳)だった。階下から聞こえてくる子供のピアノの音に悩まされての犯行だった。事件の前から何度も相手先とやり合っていたが、被害者宅が犯人をおかしな人として、まともに相手にしなかったのが遠因となった。事件の数日前、被害者の室のドアに「子供が寝ていますので静かにしてください」という張り紙が貼ってあるのを犯人は見かけ、「なんと自分勝手な!」と改めて殺害を決意し、刃渡り20.5センチの刺身包丁を購入した。

 この事件以降、騒音などによる事件や訴訟が頻発しており、多くの専門家はこの事件を「日本人の騒音に対する考え方が劇的に変化した事件」としている。ピアノ製造・販売店にも大いなる危機意識を与え、音量の抑制可能なピアノや防音材などの研究が進み、防音設備やサイレント楽器が開発された。

 このピアノ事件により、騒音問題が浮き彫りにされた。この事件について多くの音楽関係者が沈黙する中、作曲家・團伊玖磨はエッセイの中で日本の住宅事情内にピアノを持ち込む行為を「根本的誤り」として、次のように断じている。

 「日本の小さな部屋でピアノを弾いている情景は、正直判りやすく言えば、バスの中で大相撲を、銭湯の浴場でプロ野球を興行しようとする程の無茶で無理なことなのである」(「アサヒグラフ 1974年10月25日号」)

 

私のピアノ騒音被害体験

 私も中高校生の時代(1965年ごろ)、会社の社宅の団地暮らしの中、隣のピアノ騒音に苦しめられたことがあるので、犯人の心境がよく分かる。住んでいた団地は、事件のあった団地の構造とほぼ同じである。昔の建築構造では、どうしても上下左右の部屋の音が聞こえる。会社の社宅のため、普通以上に気を使っての生活が強いられる。この事件と同じように上の階の住民が、娘のためピアノを入れた後、ピアノの練習音が聞こえてきて、私の受験勉強の妨げになったことがある。私の受験勉強姿を見守っている母が、怒って上の階に聞こえるように襖を大きな音を立てて閉めるのを繰り返したのを今も覚えている。社宅内の人間関係では、せいぜいやれるのはこの程度の抗議である。そんな構造のアパートにピアノを持ち込むのはどう考えても異常であると今でも思う。

 

音には暴力性があることの証明

この殺人事件のあと、似たような殺人事件が頼発する。

1976年5月2目 鳥取市 『ステレオの音を注意されて』

1976年7月21日 東京大田区 『印刷機の騒音』

1977年4月27日 大阪市 『子供の走り回る音を叱責されて』

1981年2月26日 東京目黒区『老人ホームで同室者のいびきの音を腹を立てて』

1981隼7月17日 兵庫県・龍野市 『オルガシの音がうるさかったから』

1981年9月12目 川崎市 『ステレオの音』

1982年9月8日 兵庫県・加西市 『カラオケの音』

1985隼7月5日 和歌山市 『バイタの騒音』

1997年11月10日 浜松市 『バイクの騒音」

 

 上の挙げた殺人事件は氷山の一角に過ぎず、80年代に入ると近隣とのトラブルでの暴行・傷害・器物破損は年間250件にも達している。いかに人は騒音を暴力とみなしているかの証である。この事件が音は暴力であることを教えた意義は大きい。今までは音の暴力に対して泣き寝入りであった。

 音楽は聴く人にとっては芸術でも、音楽に興味の無い人には騒音の暴力でしかない。いくら世界的な名ピアニストが弾いても、興味がなければ騒音の暴力である。犯人は美しい音楽も、興味ない人には騒音の拷問と感じることを日本社会に知らした役目を果たしたことになる。犯人は控訴もせず死刑を希望し最高裁でも死刑が確定したが、なぜか事件から40年以上経った2017年現在、死刑を執行されていない。死刑待機の最年長者でもある。それを考えると、犯人は仏様の使命を帯びた鬼の化身ではないかとも思ってしまう。

 厚さ12㎝の床を挟んで、下から聞こえてくる乱暴な子供のピアノ音は騒音の拷問である。本来、ピアノは30畳位の部屋で鳴らす前提で作られている。それを当時の防音を考慮されていない団地の3畳間に入れ、うちにもピアノが入ったと誇らしげに鳴らすこと事態、異常な状況にあった。子供もそんな親の顔色を伺って自慢げに弾いたのであろう。それが日本の高度成長期が軌道に乗って豊かになったという驕りが生んだ悲劇である。豊かになったと思い込んでいたのが当時に日本社会である。ピアノの騒音が直接響かない家庭は救いがあるが、そうでなく直接、ピアノ騒音が薄い壁を通して突き刺さる家には、悲劇である。貧しいとどうしても一点豪華主義となる。貧乏なため回りの備品や環境造りには金が行かない。いかなくても他人に迷惑を掛けなければ良いのであるが、ピアノは騒音暴力として猛威を振るう。豊かさとは一点豪華主義ではない。分相応の豊かさに満足して、全体バランスを考えて豊かさを一歩一歩実現していけば悲劇は生まれない。しかし、当時の高度成長時代は、国民全体が背伸びをしていた。そこから生まれた悲劇である。

 

図1 事件を報道する新聞(朝日新聞)

図2 当時、私が住んでいた社宅(事件の団地とほぼ同じ構造)

   取り壊される直前。新築当時は、人もうらやむピカピカの住宅でした。

   今は新興住宅地に変貌している。

2017-07-05 

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「ご先祖探し・お墓つくり」のカテゴリー追加

カテゴリー「ご先祖探し・お墓つくり」を追加します。

この数年、ご先祖を探して彦根、京都、丹後、大津と戸籍調査で走り回り、150人分の家系図を作り、その結果、1734年没のご先祖にたどり着いた。その流れでお墓を改建した経緯を記録に残した。今年の4月にウィーンに行ったのも、この件が背景にありました。

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母の思い出  3/4

一杯のインスタントラーメン

 私がまだ小学生で、日本も我が家もまだまだ貧しかった昭和30年代のお話。当時インスタントラーメンなるものが世に登場し、母はインスタントラーメンをよく作ってくれた。そのラーメンを、母は一食分を醤油で汁の増量をして2つに分け、母も一緒に食べていた。贅沢な私は、そんなケチなことをせず全部食わせろ、とよく言ったものだ。今にして思うと、ああして節約していたわけで、全く頭が下がる。ただし、節約しても野菜とか卵を入れた手の入った料理で、今のカップラーメンのようにお湯だけを入れるのとは違う。

 母は昔気質であったせいか、本当のインスタント食品であるカップラーメンやレトルト食品等はほとんど使わず、殆ど手作りの料理を作っていた。

 

人を見る眼の躾

 母からは、家の中で歩くとき畳のヘリを踏まないような躾を受けた。父はこの点が無頓着で、いつも母から叱られていた。その点では、私はおりこうさんであった。そのため、自宅に招くお客さんが畳のヘリを踏むか踏まないかで、その客の育ちを観察する癖がついた。人の家に行けば、敷居のヘリの汚れ具合で、その家の格が分かる。良いとこの育ちだと、確かに畳のヘリや敷居を踏まない人が多い。それは箸の持ち方、茶わん蒸しの食べ方、身のこなし方からも観察できる。

 そういう点で、私は母から旧家のしきたり、作法を厳しく躾けられた。その観点で、周りの人(昔の上司も含む)の下品な振舞いを情けなく思いながら、片目をつぶって過ごしてきた。見え過ぎるのも困ったものだ。片目をつぶらないと宮仕えは勤まらない。時には両目をふさぐ。

 

読み終えた新聞紙は商品

 母は新聞紙を丁寧に扱い、きちんと皺を伸ばしまとめて、露店商に売りに行っていた。露店商はこれを商品の包む紙にするので、綺麗な新聞紙が必要になる。そんな訳で、露店商は特定の人から買っていた。これはちり紙交換に回すより、はるかに高いお金で引き取ってくれた。だから当家では、新聞は商品として丁寧に扱う習慣がついていた。こんなことでも無駄にしない母は並みの人ではない。今は古新聞の買取の業者も回ってこなくなった。

 

洗濯機なしの生活

 当時、実家には洗濯機がない。倹約家の母は、洗濯機は布地が痛むからと、終生買うことはなく、お風呂の入るとき風呂場で、手で洗っていた。その歳で洗濯機くらい買って少しは楽をしろ、と私が言うのだが、手洗いがいいと頑として聞いてくれなかった。少しでも楽をしようとする意思がないようであった。

 私は三河の自宅で、全自動洗濯機と乾燥機(当時の熱風式ランドリー)を使って暮らしていた。全自動で洗濯し、熱布式乾燥機に洗濯物をかけると、てきめんに下着等が短期間にボロボロになってくる。まさか手洗いをする時間をかけられなので、それで暮らしていた。最近(2017年)は、エアコン式の水分乾燥機能が付いたドラム式全自動洗濯機を使っているので、その弊害が無くなった。それを使うたびに母を思い出す。

 

テレビなしの生活

 昔はテレビが贅沢品で、私が小さい時はよく他の家に見せてもらいに行った。その贅沢品を、うちの家ではかなり早い時期に入れた。当時社宅に住んでいて、屋根にテレビアンテナが上げるのが隣同士の見栄の競争になっていた。そういう点では頑張り屋の母であった。今の平成天皇の結婚式のパレードを見るために、1959年(昭和34年)、世間のブームに巻き込まれた形で買った。

 そのテレビは日本コロンビア製であった。当時、各社の製品を見比べてこの会社の製品に決定した。その日本コロンビアも電機業界の激変にはついて行けず、テレビの生産をやめ、2001年にはAV・メディア関連機器部門を(株)デノンとして分社化、譲渡してしまった。今は音楽に特化した商売をしている。ソニーでさえ、隣国の液晶を使ってテレビを作る時代となった。時代の変遷を感じる。我が家で最初のテレビを買って半世紀以上が経ったが、いまだに日本コロンビア製であったことを鮮明に覚えている。

 しかし、ここからが、当家が世間と違うところ。そのテレビも4年ほどで写りが悪くなったが、なぜか買い換えよういう話がなく、私が小学生の高学年から大学に入るまでテレビ無しの生活になった。お蔭で、読書と勉強にいそしむことができた。大学に入ってからは、いくらなんでもテレビぐらい無くてはと、カラーテレビが常識の時代に、白黒テレビを買った記憶がある。その影響で、母が亡くなる1992 年末まで、実家の私の部屋には白黒テレビしか無かったが、別に欲しいという気がしなかった。ただし、当時の両親の居間と仕事場と寝室にはカラーTVは有った。今にして思えば、お金以上に、時間の節約ができたと母に感謝している。

 上記事情で、昭和39年(1964年)の東京オリンピック開会式の放送だけは、行きつけの模型屋さんに行って見せてもらった。その直前のケネデイ暗殺事件(1963年11月22日)の報道は、新聞の夕刊で見て衝撃を受けた記憶がある(なんと当時、我が家にはラジオもなかった)。その時のみ、テレビがあったらなと思ったが、それだけであった。確か当時の一般家庭でのテレビ普及率は90%を越えていたはず。今は、この話を人にしても信じてくれない場合が多い。これが自慢できる時代になるとは、世も変わったものである。

 1993年頃、自宅のソニーのモニターが壊れてしまい、修理に出すのが億劫なのと、科学工業英語検定試験1級の受験勉強に本腰を入れていたため、4か月間ほどTVなしの生活を送ることとなった。この現代の情報化社会でも、TVなしで死ぬことはないのと、情報化社会に遅れることなく生活できるのを確認したのが最大の収穫であった。

 

2017-07-05

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書の著作権は馬場恵峰師にあります。所有権は久志能幾研究所にあります。

ピアノ工場見学 in ベーゼンドルファー

 2017年4月26日、ウィーン滞在最後の日、1828年創業のベーゼンドルファー本社のピアノ工場を見学した。朝、ホテルに駐在員の田村氏が迎えに来られて、氏の車で現地に赴いた。ウィーンから車で45分の静かな村にある伝統の工場である。

 

ヤマハの経営指導

 現在はヤマハが資本を入れている。ヤマハは伝統的製造法を守る方針でこの会社を買収した。日本人はヤマハから出向の田村氏(営業本部長)が一人だけ。当初は、他のピアノメーカからあらぬ疑いと噂を立てられたが、最近その真意が分かってもらえたという。当初は赤字続きであったが、ヤマハの経営指導で、黒字転換をして経営的に安定している。当初、かなりのリストラをしたが、キーマンはやめなかったので、技術が温存され現在に至っている。

 

工場見学

 最初、ピアノ製造の設計以外の全工程を見学した。今までの自分が製造メーカで体験した経験が生きて、内容が良くわかった。高校生のとき木製のソリッドモデル制作やUコンの飛行機製作に熱を上げたせいで、木工の加工技術も理解できた。また前職で工作機械の開発、自動車部品の開発、鍛造工場、熱処理工場や生技開発も担当した経験もある。新人教育講座で、前職の関連メーカの工場見学の引率を8年間もしたので、ものづくりの工程は熟知しているが、大量生産工場とは違い、ピアノの製造工程は興味深いものがあった。職人の工房といったイメージで、皆さんが真剣にピアノ造りに取り組んでいる熱意が伝わってきた。何か仏像彫刻の工房に似た雰囲気である。以前、松本明慶先生の仏像彫刻の工房を見学したが、そこの材料に対するこだわりと、同じこだわりをこの工場は持っていた。以前、ヤマハ掛川工場のピアノ工場を見学しているので、その差も分かり興味深かった。このメーカはお客の要望はほとんど受け入れてピアノを作るという。ここのピアノは手造りの製品で、工芸製品であり、芸術作品である。

 

CAD室見学

 当初、見学コースに入っていなかった設計室を、厚かましくリクエストをして設計室に乗り込みCAD室を見学した。「未だかって、設計室を見たいと言ったお客様はいない」と田村氏が呆れていた。総勢120名の会社で、製造関係が90名、設計者が数名の規模である。興味を持ったのはCADで、ドイツ製の普通のCADを使っていた。「ピアノの設計は規模的にCATIAなど使うレベルの設計ではないよ」と設計者は言っていた。

 

ピアノ品評会

 ピアノは工業製品であるが、その1台1台の工業製品の出来栄えで微妙な差があり、その差が分かる音楽家がいる。ピアノショールームを見学したとき、スロバキアの音楽院の教授達が、購入を決定したピアノ280VCで、提供された候補3台のうちから、1台を選定するという品評会の真っ最中であった。さすがプロのピアノ演奏で、表現力や豊かな迫力ある演奏でその音量に圧倒された。凡人の私の耳では、3台の差は判別不能である。

 品評会後に、そのピアノを弾かせてもらった。私が試弾すると教授たちの出した音と隔絶した貧弱な音しか響かなかった。ピアノの音は、いくら名器のピアノでもその優劣ではなく、弾き手の技量に依存することを思い知らされた。いくら普通免許を持っていても、運転技量がないとポルシェやF1フォーミュラカーの性能を100%発揮できないと同じである。楽器も名器であるほど、弾き手の技量が問われる。

 坂本竜馬が勝海舟から聞かされた西郷隆盛の人物評価で「西郷は太鼓のようで、大きく叩けば大きく鳴り、小さく叩くと小さく鳴る。すべて対応する人次第なのだ」と。それと同じことがピアノにもいえそうである。

 

鳴らないピアノ線が醸し出す音の魅力

 このピアノには熱烈なファンも多い。私の好きなピアニスト木住野佳子さんもその一人である。ジャズのオスカー・ピータソンはその代表者の一人である。私はジャズファンで、オスカー・ピータソンのCDも多く持っているが、そのことを今回のウィーン訪問で初めて知った。他のメーカのピアノと違い、ピアノ全体が共鳴板となっている構造が醸し出す音色は魅力的である。また普通のピアノの鍵盤キー数が88であるのに対して、ベーゼンドルファーのそれは92である。その鳴らない4本のピアノ線が共鳴して醸し出す音色が、耳に聞こえず感性で聴こえる音が、一つの魅力になっている。

 普通のピアノよりベーゼンドルファーの鍵盤が4鍵多いため、この鍵盤に不慣れな、並みのピアニストはこのピアノを敬遠しがちである。大垣市の音楽堂にあるベーゼンドルファーも、この理由で少し出番が少ない。少し練習すれば、すぐ慣れる話ではある。その差は、マニュアル車とオートマチック車の運転での戸惑いよりも少ない。私は、前職で、テストドライバー検定試験受験と社内のテスト車のモニターのため、自分のオートマチック車と会社のマニュアルのモニター車を並行して乗っていた時期がある。乗り始めた10分間程は違和感があるが、すぐに慣れた。それと同じだと思う。

 2017年6月19日、この音楽堂で開催されたピアノ勉強会(河村義子先生主催)で、ベーゼンドルファーを弾かれたピアノ教師の中に、タッチに戸惑った教師もみえた。ピアノの横幅が普通のピアノより4鍵分広いのだが、錯覚で同じ大きさと勘違いをしそうだという。しかし92鍵には、その差を上回る大きな魅力を秘めている。現在は、92鍵のモデルは225の1機種のみで、その他、97鍵の290インペリアルがあるが、他は全て88鍵である。新らしく開発された280VCも88鍵である。ある意味、少し寂しい。

 

経験という財産

 この項を記載していて気づいたことは、私の他社工場見学件数が、前職の従業員の中では断トツではないかということ。特に、新人教育講座の引率責任者として関連メーカの工場見学で、事前調査見学と本番見学の2回が10工場を回るとすると8年間、計160回程、通産省超先端加工システム開発プロジェクトの部会、全豊田情報システム部会、全豊田鍛造部会、自動車技術会事務局としての他社工場見学会主催が毎月開催、他の部会等の見学会で、総計で半端な数ではないようだ。このことは自分の財産として大事にしたい。

 

図1 ベーゼンドルファー本社事業所 

図2 隣接のショールーム

図3 ショールーム内部。スロバキア音楽院の教授がピアノを選定中 

図4 米国某富豪の別荘に納入予定のピアノ。右隣のピアノは「ポルシェ」

図5 ウィーン市内のベーゼンフォルファーの店。楽友協会ビルの裏側に店を構える。その通りの名が、「ベーゼンドルファー通り」

図6 工場見学後にウィーンのお店に戻り田村氏と記念撮影。ピアノはクリムトの絵がプリントされた素敵な一品 

                    

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2017年7月 3日 (月)

『文章読本』が日本を殺す (2/2)

以下、時間が無ければ読む必要はない。文章読本の記録として掲載。

 

6.1.2 『文章読本』私見  

 

現在の文章読本の抱える問題点

 ⑴本の読者対象が明確でなく,かつ小説用,エッセイ,ビジネス・技術論文用の用途が明快に指定されたのは少ない。

題名から判断すると日本では暗黙の内に下記のように分類される。

 

文章読本   小説家が記述       小説,随筆用

文章作法   ジャーナリスト・評論家  随筆,新聞記事用

・・表現法  大学教授・評論家     論文,レポート,一般文書用

・・作り方  大学教授・評論家     論文,レポート,一般文書用

・・書き方  大学教授・評論家     論文,レポート,一般文書用

・・技術   大学教授・評論家     論文,レポート,一般文書用

・・上達法  大学教授・評論家     一般文書

・・入門   エッセイスト・評論家   手紙,投稿等

 

⑵文章読本の文体自体,構成自体が「美しく」ないのが多い。文章読本である以上、普通の書とは一線を期すべく,格調高い文体で書くべきか,もしくは徹底してマニュアルらしく記述すべきだと私は思う。

 

⑶対象読者のレベルを明確にしていないので,読んでいて馬鹿にされた気にさせられる内容が目につく。

曰く「原稿用紙は・・・を使いましょう」

   「校正者に読めるような丁寧な字で書きましょう」

   「締切期限は守りましょう」

   「下書きをしましょう」等々

 

⑷漠然とした指示,指針のため,では具体的にどう書けば良いかと質問したくなる内容が多い。

 

⑸エッセイなのか,マニュアルなのか曖昧な書が多い。

⑹辞書を見れば記載されている漢字の用法,読み方等の内容を数頁に渡って掲載してある書が目立つ。これではページ稼ぎとしか思えない。

⑺大学教授,文章塾の講師の書で自分こそ文章読本を書く資格ありと豪語している書が目につく。そういった書に限って,上記の不具合を持つ例が多い。

 

以下に私が目を通した『文章読本』と文章に関する書を,

 ⑴小説家の本家としての『文章読本』

 ⑵大学教授,評論家,ジャーリスト等のビジネス文用『文章読本』

 ⑶文学,エッセイ,随筆用『文章読本』,それに関する書物

の3つに分類して,感想を記述する。

 

6.1.3 小説家の著した『文章読本』(出版年順)

 

谷崎潤一郎著『文章読本』          中央公論社 1934(昭和9年)

 文章読本として,バイブル的存在の名著であるとされている。しかしこの名著の声はあくまでも文学作品用としての文章読本である。この書では日本語の品格と余韻、含蓄の重要性を説いている。また文章の見た目の美しさ、リズムの重要性を説いている。曰く「言葉というものは出来るだけ省略して使いなさい」、「大事なのは余韻,余情だ」、「言いたいことが十あったら言葉で表すのは五つに留め,残りは余韻として残す。そうすれば五つの余韻が何倍にもひろがっていく」

 この余韻は清少納言著『枕草紙』の「言葉は不具なるこそよけれ」や吉田兼好著『徒然草』の「よくわきまえたる道には,必ず口重く問わぬ限りは言わぬこそいみじけれ。」(79段)などの言葉に対する過少評価を旨とする日本人の伝統からきていると私は思う。全てを言い尽くしてしまう言葉より余韻,余情が残っていたほうが良いとする言語観を谷崎氏は上の言葉で著したと推定される。

 この書は文学、エッセイ等の記述のためには読むべき示唆は多いが,論理性の必要なビジネス文・技術論文用には向かない。谷崎氏がいう含蓄の重要性はビジネス文・技術論文では最も避けねばならない事項である。

 またこの書の内容は,昭和9年に出版された時代背景を考慮すると興味深い。この時代,日本文学や思想が西洋主義から伝統主義,日本主義に転換する時代背景が文章読本の形で表現されている。谷崎自身も,従来の欧米調の明晰な文から『細雪』に代表される情緒を主体とする文体へ変化している。この変化を促した事情は下記の昭和9年前後の社会情勢を見れば納得がいく。

  昭和3年 関東軍,張作林を爆殺す

  昭和6年 柳条溝事件(満州事変)

  昭和7年 515事件,警察庁に特高警察部,各県に特高警察課設置

  昭和8年 河上肇検挙,小林多喜二虐殺さる,国際連盟脱退

  昭和9年 文部省に思想局設置

  昭和10年 天皇機関説事件(美濃部達吉『憲法撮要』発売禁止)

 この時代,言いたいことがハッキリ言えない時代になってきた背景を考えると,谷崎氏の言う余韻,含蓄の持つ別の意味合いが明確になる。この事情を念頭にこの文章読本を読むことが必要と考える。

 

三島由紀夫著「文章読本」           中央公論社   1959(S34)

 この書での主題は文の品格と格調であり,あくまでも文学作品用と理解したい。小説,長短編小説,戯曲,評論文の記述の違い,人物描写,心理描写等で読むべき点は多い。

 「(文学作品として)あるものを描写する場合は,主語が単調にならない様に変化させて記述せよ」といった科学・工業英語の発想とは正反対の記述がある例からも文学はビジネス文とは違うことが認識される。また,文学として形容詞の使い方の重要性も説いている。形容詞の役割が,文学用とビジネス文を峻別する。また文章の味わいと言った表現でその質を感性として重要視している。

 三島氏は「小説は歩行の文章,戯曲は舞踏の文章」と書いている。小説が勝手きままな歩行と言うなら,私は「ビジネス文は整然たる行進の文章」としての形式が必要と考える。

 

丸谷才一著 『日本語のために』        新潮社     1974

丸谷才一著 『文章読本』           中央公論社   1977

丸谷才一対談集『日本語そして言葉』      集英社     1984

 谷崎氏の文章読本からはじまって,文壇の各氏の文章読本を比較、批評しているのが興味を持たれる。ここに氏の考えが出ている。名文の基準が過去何処にあったかが記述されていて面白い。氏の研究熱意が伝わる書である。ただし,これは文章を書くためのマニュアルではない。

丸谷才一編 『恋文から論文まで』       福武書店    1987

 この書も文学としての文章論である。井上ひさし氏はこの書を「考える文と感じる文の実例」として大きく評価している。一読の価値はある。

 しかし,小説家,文学者,評論家の23人が文章についての独自の論陣(一人平均9頁)を張った内容を一冊にまとめたため,体系的なまとまりがないのが残念である。

 

井上ひさし著『自家製文章読本』        新潮社     1984

川端康成著『新文章読本』

伊藤整著 『文章読本』

 上記二冊はゴーストライタによって記述されたとの噂があるので批評は避ける。川端氏の文章読本は、雑誌に連載した各章ごとを編集しているせいかまとまりがない。またその内容は私には明確には理解しがたい。

 

6.1.4 大学教授,評論家,ジャーナリストが著した文章読本

 

立花隆著 『知のソフトウェア』        講談社現代新書

 著者は「田中角栄研究」で有名。氏の文章を削る技法のノウハウには一読の価値がある。

 

板坂元 編 『ことばの技術』         フォー・ユー  1990

 説得の技法,言葉の持つニュアンス等を記述。

板坂元 著 『考える技術・書く技術』     講談社現代新書 1973

板坂元 著 『続・考える技術・書く技術』   講談社現代新書 1977

板坂元 著 『日本語を外から見れば』     創拓社     1989

板坂元 著 『異文化摩擦の根っこ』      スリーエーネットワーク

板坂元 著 『キラリと光る文章技術』     KKベストセラーズ   1992

外山滋比古著『思ったことを思い通りに書く技術』青春出版社

 一読の価値あり。

外山滋比古著『英語の発想・日本語の発想』   NHKBOOKS   1992

 NHKラジオテキスト「英会話」紙上に連載されたのを編集した本。二つの言語の表現の差,その背景,理論的説明等をまとめた内容は,視点が的を射ていて,読ませる。文章読本ではない。

外山滋比古著『山茶花はなぜサザンカか』    朝日新聞社   1990

外山滋比古著『ことばの作法』         三笠書房    1987

 ハーバート大学教授の板坂元氏,お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古氏の書は日本語に関する良質の知識が散りばめられていて,知的好奇心が堪能させられる。どれも一読の価値がある。

本多勝一著『日本語の作文技術』        朝日新聞社   1976

 ジャーナリストとしての文章論で、ビジネスマン,技術者に参考になる点が多い。ただし氏の偏向した考え方は問題。

 

以下出版年順で記載

 

清水幾太郎著『論文の書き方』         岩波新書    1959

 技術系の文章読本には参考資料として必ずといっていいくらい,引用される有名な論文用の文章読本。名著とされている。しかし,50数年たった現代の目からみると,書の構成,各章の構成,文章の構成,文のスピード感等,首をかしげたくなる箇所が目につく。時代とともに文章の価値観,文章作成仕様も進歩するのだから,本書を参考資料の筆頭に挙げてあるような文章読本はパスが無難である。

金田一晴彦著『日本人の言語表現』       講談社現代新書 1975

 日本語の構成を,歴史的,社会的な背景から解説した。一読の価値あり。

八杉龍一著 『論文・レポートの書き方』    明治書院      1971

市原A・エリザベス 著 『ライフ・サイエンス ニオケル英語論文の書き方』共立出版社

宮川松男著 『技術者のための文章作法』    日刊工業新聞社

佐藤孝一著 『博士・修士・卒業論文の書き方』 同文館     1973

とみ田軍二著 新版『科学論文の纏め方と書き方』朝倉書店    1975

尾川正二著 『原稿の書き方』         講談社現代新書 1976

中島重旗著『技術レポートの書き方』      朝倉書店    1977

 イラストの書き方にページを割いている。

森本哲郎著 『「私」のいる文章』       ダイヤモンド社 1979

 ジャーナリストとしての文章論を展開している。一読の価値がある。

今井盛章著『文章起案の技術』 学陽選書 1980

川上久 著 『知的表現の方法』        産業能率大学出版部  1978       書名と出版社名に期待して読んだが期待はずれ。氏は裁判官。組織としての文章の書き方を記述している。少し冗長な内容だが,参考になる点は多い。

橋本峰雄著 『論争のための文章術』      潮出版社    1980

 題名はすばらしいが,「起承転結」論はいただけない。有名な小説用の文章読本の解説は明快に記述されている。しかし,書の1/3をも「自由作文」と称して題名とは関係ないエッセイを載せているのはいかがなものか。

桑原武夫著 『文章作法』           潮出版社    1980

 文芸、ジャナーリスト用文章読本。内容は並以上のことを言っているが、出版が古いせいか構成、文体にスピード感がないのが残念。

木下是雄著 『理科系の作文技術』       中公新書    1981

林茂樹監修 『論文はこう書けばいい』     西東社     1981

金田一晴彦著『日本語セミナー1』       筑摩書房     1982

井口茂著『法律を学ぶ人の文章心得12章』   法学書院    1982

 法学関係の文が分かりにくいのは有名である。題名から受けるイメージで期待して読んだが,文学作品向けと勘違いしそうな構成でがっかりした。

広中俊雄・五十嵐清編『法律論文の考え方・書き方』有斐閣選書R 1983

 法律関係の書は難しくて,読みにくいのが定説だが,法律論文用の文章読本までが同じく読みにくいとは思わなかった。各大学の教授が14名で分担執筆している。法律の小論文の書き方で起承転結の論法が出でくるとは意外であった。

 この書では,法律論文を書くための4条件を

  ⑴ 明確な問題意識

  ⑵ 言葉・文章に対する鋭敏な感覚

  ⑶ 事実認識における客観的な姿勢

  ⑷ 解釈論のもつ実践的性格の自覚

で取り上げ,解説している。私は,法律論文こそ明確な論理性・論理展開が最重要と考えていたが,上記4条件からみて法学者は技術屋とは視点が大きく異なることを認識した。

松本道弘 著『英語はロジックに強くなる』   講談社     1983

鈴木孝夫著 『武器としてのことば』      新潮選書    1985

市毛勝雄著 『間違いだらけの文章作法』    明治図書    1986

 ╶─╴若い教師のための論文入門╶─

 文章に論理性が必要だとの点で論じている。著者は「起承転結」でなく「起承束結」で論理展開を主張している。新聞コラムに論理性を求めるのは無駄との意見には賛成だ。

山口喬著  『エンジニアの文章読本』     培風館     1988

  理工系学生向け文章読本。

野口靖夫編著『書く技術表現する方法』     日本実業出版社 1988

 取り上げた視点,まとめ方はユニークで工夫の跡がわかるが、5人で執筆しているせいかまとまりがない。文章読本らしい体裁で,本の半分を対談文で埋めているのもいただけない。本のネーミイグだけは素晴らしい。

大隈秀夫著『文章実践塾』           ぎょうせい   1989

 エッセイ,新聞記事,小説用の文章の書き方としての文章技術なら許せる。

木下是雄著『レポートの組み立て方』      筑摩書房     1990

 人文・社会科学系の学生向けの文章読本。

 結論を最後に述べる「逆茂木型の文」論は,分かりやすい。

堺屋太一他 『マニュアルはなぜわかりにくいのか』毎日新聞社  1991

小川明著『表現の達人 説得の達人』      TBSブリカニカ 1991

 冒頭で「あなた」といわれると,親近感より先に馬鹿にされた気がして、その先を読む気がなくなる。「あなた」の使い方の難しさが理解できる逆説的な本である。題名をその点で意味深長である。

二木紘三著 『文章上手になるチェックリスト』 日本実業出版社 1991

町田輝史著『技術レポート上達法』       大河出版    1992

 「京都三条糸屋の娘・・・」で起承転結を絶賛している。

 文中,話し言葉も目につくが,学生のレポート用としてみれば許せる。

高田城著『就職論文の書き方攻め方』      二期出版    1992

 就職試験のための泥縄式のコツを伝授されるより,文章記述の基本を述べるのが大事だと思う。文中で「あなた」と書くのは宗教書と低学年向きの書が多いのを知るべきだ。

阪倉篤義著 『日本語の流れ』         岩波書店    1993

Roy W.Poe 編 "THE McGAW-HILL HANDBOOK OF BUSINESS LETTERS"ジャバンタイムズ マグロウヒル版英文ビジネスレターの書き方。

八幡ひろし著『プレゼンテーション技術』    日本生産性本部

渡部昇一著 『日本語のこころ』        講談社現代新書

秋沢公二著 『アメリカ人の英語』       丸善ライブラリー

品川嘉也著 『思考のメカニズム』       PHP研究所

金田一晴彦著『日本語』            岩波新書

大出あきら 『日本語と論理』         講談社現代新書

小村宏著  『外語と内語』考え方の技術    実用新書

 文章ばかりでは分かりにくい。最初にまとめを記述するとわかりやすいのに。

時事教育研究会編『論文・レポートの書き方と作文技法』画文堂

 段落の思想なし。起承転結等の主張している。

三島浩著  『技術者・学生のためのテクニカル・ライテング』       F.SCHOT HWEL,野田晴彦著『科学者のための英語教室』     

佐々克明著 『報告書・レポートのまとめ方』  三笠書房

         

 

6.1.5 文学、エッセイ、随筆等の文章に関する著書(出版年順)

 

大石初太郎著『文章批判』           筑摩書房    1980

 文学用。文字通り,文体の解説であって文章読本ではない。

多田道太郎著『文章術』            潮出版社    1981

 手紙,小説,コラム用の文章読本。例示文章も小説,コラム,手紙,新聞記事が主体となっている。氏は良い文章の条件を①わかりやすい②面白い③間違いがすくない,で規定している。私はビジネス文とは視点が違うことを認識した。付録で「私の文章作法」として小説家,文学者,大学教授,ジャーナリストの10人が各2ページほどに意見を集約して記述しているが,このページ数では言いたいことも言えないせいか,内容が漠然としている。載せない方が良いくらいで,これでは付録ではなくオマケであると言いたい。

日本語シンポジウム『美しい日本語』         小学館     1982

 昭和57年の日本語シンポジウムでの外山滋比古,稲垣吉彦,青木雨彦,芳賀綏,樺島忠夫の5人の講演と,討議をまとめた書。各々の素晴らしい講演も多人数分の講演を本としてまとめると美しくなくなる事例としては面白い。シンポシウムの記録としての価値はある。

森本哲郎著 『日本語 表と裏』 新潮社             1985

  文学作品用の文字に関するエッセイとしては興味深い。

向井敏著  『文章読本』           文芸春秋社   1988

 起承転結をベースにした文学、エッセイ等のための文章読本。序章の「名文の条件」において,何が名文の条件なのかを理解するのには心して「精読」をする必要がある。

井上敏夫著 『エッセー・随筆の本格的な書き方』大阪書籍    1988

大隈秀夫著『文章実践塾』           ぎょうせい   1989

  エッセイ,新聞記事,小説用の文章の書き方なら許せるが。

佐藤正忠著 『文章は,心で書けばいい。』   経済界     1990

 文章読本のエッセイとしてなら。

中村明著  『文章をみがく』         日本放送出版協会1991

 文学作品用・・・。題名だけは素晴らしい。

森本哲郎著 『日本語根掘り葉掘り』      新潮社     1991

 日本語独自の表現を通して,日本人の論理構成,ホンネ等を浮き彫りにしたエッセイ。「は」と「が」を「説明」,「叙述」の手法で定義した論法は一読の価値あり。前著『日本語 表と裏』の姉妹版。

岩淵悦太郎著『悪文」第三版          日本評論社

秋澤公次著『英語の発想法 日本語の発想法』   ごま書房    1992

 ─アメリカ人の考え方を知るための33のキーワード─

 コミュニケーションを成立するためには、その国民性まで理解しないと、英語の直訳や日本人が認識している意味での訳では、会話が成立しないこと。それによって貿易摩擦にまで発展する恐れを秘めていることが解説されていて、興味深く読みごたえがある。学校英語とコミュニケーション英語の違いが認識できる

 

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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